世界観警察

架空の世界を護るために

晩秋のデンマーク遠征2023 - 旅日記②

 こんばんは、茅野です。

先日は、映画『ナポレオン』を漸く観ました。休憩なし3時間は長いし、戦争パートはかなりグロテスクですが、めっちゃ良かったです。近代ファンの同志は、上映終わる前に観に行ってください!

↑ 簡単なレビュー。『Austerlitz Kyrie』が良すぎる。しかし、聖歌流しながら冷酷に砲撃しまくっているのは、色々と大丈夫なんだろうか(大丈夫ではない)。

 殿下の祖父の兄(※アレクサンドル1世)も出ます。無論モスクワは燃えています。オルデンブルク公の言及まであって、大満足でした。

 

 さて、現代に時を進めて、今回の記事は、デンマーク遠征旅日記シリーズの2日目編をお送りします。

↑ シリーズ概要記事はこちらから。今回は2日目についての記事ですが、シリーズとしては4本目。

 

 2日目・11月2日は、いよいよ聖地巡礼を開始します。徒歩でコペンハーゲン中心街を巡り、我らがお姫様ゆかりの地を探索します。

 お写真が多いので、読み込みに時間が掛かるかもしれません。Wifi 環境下での閲覧をお勧めします。

 

 それでは、お付き合いのほど宜しくお願い致します!

 

 

朝ごはんとアンケート

 朝食はお宿の一階のレストランにて。ビュッフェ形式です。

ビュッフェは、別名「バイキング」とも言いますが、そのバイキングとは勿論、デンマーク(及びその周辺国)に実在した集団のことですよね。

↑ バターが塊になっていて上手に取れなくて、凄い量になってしまった! 

 レバーペーストが美味でした。

 

 朝食を食べていたら、KGL からメールが。「昨日の公演、来てくれてありがとう。アンケートに答えてね!」とのことだったので、食べながらポチポチ回答していました。

↑ 「昨日の公演」とは勿論、こちらのこと。

 わたしは『エヴゲーニー・オネーギン』を愛しているので、上演してくださってとても嬉しいです :)  また是非上演してください。

合唱とオーケストラが揃っていると、より良かったと思います。

でも、観客はみんなとても楽しそうだったし、良い公演だったと思います。

……みたいなことを書いたつもり! です! ちゃんと書けているのかは知りませんが!

 

 食後に紅茶を飲んで、部屋で準備を整えたら、いざ朝のコペンハーゲンへ!

 

コペンハーゲン市庁舎とアンデルセン

 お宿から少し歩くと、すぐにコペンハーゲン市庁舎があります。素晴らしい立地。

↑ 重厚感ある立派な建物。

 

 デンマークの政を行う場なので、勿論建物の上部にはデンマーク旗が翻っているわけですが、このご時世下なので、ウクライナ旗と、パレスチナ旗も大量にありました。

↑ 入り口前に堂々と翻るウクライナ旗と、地面に大量に刺さったパレスチナ旗。

 週末の夜には大々的にデモをやっていて、市民の政治への関心が高くて羨ましい限りだなあと思いますね。後は、この声が実際に反映されていれば文句ないのですが……。

 

 市庁舎から向かって右手、市庁舎から顔を背け、チボリ公園をガン見しているおじさんが、アンデルセンさんです。

↑ 凄いガン見。

 デンマークが誇る童話作家アンデルセンさんは、チボリ公園が大好きだったそうな。好きそう(偏見)。

こう、チボリ公園側もちゃんと「TIVOLI」ってでっかく書いてくれてるのがもうね、わかってますよね。流石です。何を見ているのか、一発でわかるもんな。

 ちなみに、チボリ公園は入り口が複数あって、こうやって大きく名前を書いてくれているのはこの面くらいです。わかっていらっしゃる。

 

コペンハーゲン聖母教会

 わたしは大変せっかちな性格なので、我慢ができません(迫真)。というわけで、コペンハーゲン滞在は数日間ある予定でしたが、一般的なコペンハーゲン観光をするよりも前に、何よりもまずは聖地を探しました。

 というわけで、市庁舎前の広場から歩いて数分、ファースト・聖地は、こちら!

ギリシャ様式な入り口ですが、建物自体は簡素。

 

 こちらは、コペンハーゲン聖母教会といいます。一般的な観光ガイドブックには殆ど載っていない、隠れた名所です。

しかし、殿下ファンにとっては大変重要な場所。我らが殿下が、婚約後、ダグマール姫とルイーズ王妃と共に訪れたということを、本人が書いている場所でもあるからです!

トーヴァルセンの使徒像のある有名な教会を見学すると、帰る頃には大分遅くなってしまっていた。

婚約を巡る書簡集 ⑵ - 翻訳

↑ 大分長居したっていうことなんだろうか?

現在は観光に於いては然程重要視されていませんが、当時としては「有名な教会」なんですね。

 

 ではその「トーヴァルセンの使徒像」、見せて貰いましょうか!

↑ おお……。平日の午前で全然人がいなかったのも、お写真を撮るには好都合でした。

 日本で内部のお写真は見ていましたが、やっぱり現実は迫力ありますね……。

 

 無学にして、彫刻の詳しいことは全然わかりませんが、入館無料の教会に、こんな立派な像を何体も置いているということ自体がまず凄いですよね。

 トーヴァルセンは、デンマークを代表する彫刻家で、コペンハーゲン市内には彼の名を冠する、彼の作品を集めた美術館があります。しかし、実はこの教会で、多くの彫像を見られちゃうというコペンハーゲン観光ライフハック(?)。

↑ キリストさんと天使像。適当にスマホで撮ったとは思えない画である。

 

 像の極近くまで接近することができて、なんなら多分触れます(「お手を触れないでください」の精神が身についているし、聖人らの像なので恐れ多くて触れなかったけど)。

↑ 石で布を表現するって、何度見ても意味わかんないんですけど……。

 

 殿下は、某不法侵入者画家ボゴリューボフや、チチェーリン先生からも賞賛されているように、美術鑑賞の知識と素養もあったので、詳しく分析したりもしたんでしょうか。

お姫の母も一緒だったとはいえ、美術館デートと教会デートを両立していたのか……(※殿下は正教徒ですが)。良いスポットだ……。

お姫の方も、芸術は美術が一番お好きだったようなので、会話も弾むんだろうなあ。議事録ください。

 

 大興奮で教会内をバシャバシャ写真を撮りながら練り歩き、ある程度満足して、横路地の方に行ってみると、更なる衝撃が待っていました。

こ、これって……、もしかしなくても、パウリ教区長!??!

↑ パウリ教区長も、殿下の死から一ヶ月ほど後に急死してしまったので、没年がお揃いの1865年なんですよね。デンマーク王家にとっては苦難の時代です。

 数日後、私は王室の告解聴聞僧であり、非常に高名なパウリ教区長と話をした。

彼は、ロシアの法律によれば姫は改宗しなければならないと知り、大公との結婚に大きな不安を抱いていた。

「何が待ち受けているのか、彼女に話さねばなりません」、とした上で、無邪気にこう付け加えた。「しかしまあ、どうにも姫様は彼を好いているご様子なので、何の問題もないでしょう」。

婚約を巡る書簡集 ⑷ - 翻訳

 パウリ教区長は、王室の懺悔聴聞僧で、お姫からの(恋愛)相談も受けていたようです。

こちらのエピソードは、殿下が初めてデンマークへ訪れた後のことなので、殿下と過ごしたのは一週間ほどで、求婚よりも前、という時系列にあたります。1回目の訪問の時点で、お姫が殿下を好いていたということがわかる、希少な記録になっています。ナイス、教区長!

 19世紀のお姫様って、どうにも僧侶に恋愛相談する傾向があるのですよね。殿下に恋していたと言われる従妹・ウジェニー大公女も、モスクワ大司教に相談していたようですし(こちらも記録が残っている)。

19世紀の懺悔聴聞僧に異世界転生して、美少女お姫様たちの殿下の惚気を聞いて、「わかる~っ、わかるよ……、おじさん応援してるからね……!!」って言いたい!(誰)。

 わたしは、正規の殿下×お姫のカップリングを推していますが、その裏ではウジェニー大公女やティナ大公女やウンベルト王太子は失恋しているわけですよね。そう考えると、ちょっと辛いな……(彼らがお互いに魅力的でモテるのがいけない)

 

円塔

 さて、お次に向かったのは、「円塔」です。

↑ 確かに丸い。

 17世紀に建てられた天文台で、現代でもコペンハーゲンを一望できる場所として、観光スポットになっています。

 

 中に入ると、ひたすらぐるぐる登ることになるので、わけがわからなくなってきますが、図を見る限り、8階建て(?)と言えそうです(正確には7.5周するらしい)。

 そういえば、デンマークの階数の数え方はフランスなどと同じで、「日本で言う2階を "1階" と言う」スタイルなので、注意してくださいね!

日本語で言う1階は、地上階 stueetage (強いてカタカナにするなら、ストゥーイテーシュ……?)と言います。

 

 こちら、殿下関係の聖地ではないのですが、殿下の血族の聖地ではあります。

ロシア皇帝ピョートル1世が、騎馬のまま駆け上がった、という逸話があるのです!

↑ ちゃんと数えたつもりなんですが、ピョートル大帝って殿下の曾祖父の曾祖父であってます??

 

 塔を上がっていく途中には、なんとこんなものも……。

↑ 何だかおわかり頂けるでしょうか。まあ、必要だよね! ちゃんと残っているのが凄い。

 

 上がっていくと、既に眺めは壮麗でした。窓に格子が入っているので、ちょっと刑務所チックなのも面白い。

コペンハーゲンの町並み。「童話の街」という二つ名のよく似合う、古い建物を生かした造りになっています。

 

 屋上まで登ると、「円塔」というだけあり、全方向コペンハーゲンを見渡すことができます。

↑ こちらは市街地エリア。

 

 屋上まで上る際の階段が、日本の古城か! ってくらい狭いのですが、面白い仕組みが。

一人分しか通れる幅がないので、一方通行になっているんです。その際に使われるのが、なんと、信号!

↑ 青信号なので、今は下る人が通れる時間。上の数字は制限時間です。

 何かのアトラクションのようで、面白かったです。

 

ストロイエとコンゲンス・ニュートー広場

 円塔を降りた後は、コペンハーゲン市内でも人気の道を歩きます。

歩行者天国ストロイエでは、日本人なら絶対に立ち止まる看板が……。

↑ 「極度乾燥(しなさい)」。

コペンハーゲンにも出店してるんですね……。

 

 そんな謎日本語看板に気を取られていたら、後ろから聞き慣れない音が……。

振り返ってみると!

↑ おお!? 隊列!

 また一気に近代に引き戻されてしまいました。

どうやら、閲兵交代式に向かうようです。目指す方向が同じだったので、暫くストーカー追い掛けていました。

イギリスと近いこともあってか、ふわふわお帽子が似ていますね。

 

 

 さて、ストロイエから暫く歩くと、コンゲンス・ニュートー界隈へ。

こちらの立派な建物はデパートで、その名も Magasin du Nord、フランス語で、直訳すれば「北の店」。直球すぎんだろーい。

↑ めっちゃ立派な建物です。自転車大国・デンマークだけあって、駐輪スペースにはえげつない数の自転車が。

 

 余談ですが、殿下はお忍び旅行の際には " Comte du Nord " という偽名を使っています。もうおわかりですね、直訳すれば「北野伯爵」です。隠す気ないでしょ???

ちなみに、この偽名は元々、祖先であるピョートル大帝が用いていたもので、そこから、ロマノフ家が伝統的に使うようになっていったようです。やっぱり隠す気ないな??

 殿下が「北野伯爵(デュ・ノール伯爵)」とかいう1ミリも隠す気がないド直球偽名を用いていたという事実が面白すぎると思っているので、誰かこの辺りの設定を使ってノンフィクション文学とか書いたらいいと思うんですが、如何か……。

 尚、公爵君曰く、殿下はそこまでお忍び旅行が得意ではないご様子。隠しきれないのか……溢れ出る皇太子オーラを……。

 スケフェニンフェンではこの偽名で通していたようですが、コペンハーゲンでもこの偽名を使っていたのでしょうか? もしそうであるなら、このお店の名前も興味深いなあなどと、こじつけてしまいますね。

 

 

 さて、そんな「北の店」から振り返ると、そこにある重厚な建物は王立劇場です!

↑ こちらも立派!

↑ 正面入り口のファサード。クラシカルだ……。

 コンゲンス・ニュートー広場は、ヨーロッパ的な重厚な建物が建ち並んでいて、特にフォトジェニックな一画でもあります。他には、超高級ホテルや、フランス大使館などがあります。

クリスマス・シーズンにはクリスマス・マーケットも出ますし、美しく楽しい広場です。

 

 そこでオタクは考えた。「あ、行くか、国立劇場」と。わざわざコペンハーゲンに来ている時点で、フットワークが重いわけがないのである。

 そのときやっていた演目には然程関心を惹かれませんでしたがごめんなさい、何はともあれ中に入ってみようと思い、後で席を確認してみることにしました。

 

アマリエンボー城

 さて、そこから歩みを進めると、目的地に到着。アマリエンボー城です!

到着すると、恐ろしく混雑しており、「観光地らしくなってきたな!」と思っていたところ、その理由がわかりました。丁度、閲兵交代式をやっていたんですね。追いついた!

↑ ディズニ○ランド級の混雑の先の景色。

 交代式が終わると、平日だったのもあり、かなり寂しい感じになっていたので、やはり皆交代式を見に来ただけの模様。

 

 アマリエンボー城は、デンマーク王家が居を構える歴としたお城なのですが、元々は貴族のお屋敷4軒を買い取り、それを纏めて「お城」と呼んでいるという、極めて質素なスタイルです。

↑ このような建物×4で構成されています。

 今でも、デンマーク女王マルグレーテ2世陛下はここで生活されているのだとか。毎日観光客がうるさくしていて、ご迷惑極まりなかろう。申し訳ない( one of them )。

 

 わたくしが今回行っているのは聖地巡礼……、そう! 我らがダグマール姫もこのお城に住んでいたわけですね! それでは早速行ってみましょう!

 

 4軒のうち、中に入れる一軒は、残念ながら外壁工事中でした。

中に入ると、工事中なのもあって順路がわからず、挙動不審にしていると、係のおじさまに声を掛けられました。

係のおじさま「Hej. ……、あっ、もしかして日本から来ました?」←日本語

わたし「!???!?」

まさかの超・流暢な日本語である。

わたし「えっ……、はい、そうです、こんにちは。えっと……?(観光地すぎて、係の人が日本語までマスターしているのか……? ハワイとかみたいに……?)」←日本語

おじさま「やっぱり。アマリエンボー城へようこそ。ドアの先の受付に僕の同僚がいるから、そこでチケットを買って、買えたら戻ってきてください。コペンハーゲンカードを持っている場合は、彼に見せてくださいね」←殆ど訛りのない日本語

そんなことある?

 

 後に、彼と日本語で雑談したところ、おじさまはイギリス出身(容姿は東アジア風というわけでもなく、典型的な英国系である)で、デンマークに移住してきたのだとか。無論、英語もデンマーク語も流暢でした。

熱烈な日本オタクで(わたしより全然日本について詳しかった)、数年間日本語を学んでいて(数年とは思えないほど流暢だった。恐ろしい語学力だ)、日本にもよく遊びに来るそうです。次は東北に行ってみるそうな。じゃあどうしてデンマークの宮殿で働いてんだこの人……?

 あんまり突っ込んだことを尋ねるのも失礼かな……と遠慮して、詳しくは訊かなかったのですが、超インテリで愉快なおじさまでした。本当にビックリした。まさかお姫の聖地にイギリス出身日本語超流暢おじさまがいるとか思わなくない? 思わないよ……。

言語の壁というハードルが無くなれば一安心。皆様もおじさまに逢いにコペンハーゲンへ行こう!(?)

 

 館内は写真撮影可だったので、バシャバシャ撮りまくりました。あまり館内のものを上げるのも宜しくないので、ほんの少しだけ。

入ると、すぐにリュクスボー家の肖像画が展示されています。ダグマール姫の幼少期のものも!

↑ 左が姉のアレクサンドラ姫、右がダグマール姫。ほっぺたが赤くて愛らしい。

 このセクションでは、わたしの他にロシア人観光客親子がいて、お母さまが小さな息子くんに、- Посмотри, это жена Александра III.(見て、これがアレクサンドル3世の奥さんよ)、みたいなことを言っていました。盗み聞き大変失礼しました。

そりゃあ、極東から聖地巡礼に来るオタクがいるくらいだもの、ロシアからだって来ますよね……。前者がバグという説もある。というか、色々と多国籍だなこの空間……?

 

 リュクスボー家大集合写真もありました。三姉妹がお手々を繋いでいて可愛いですね(真ん中がダグマール姫改め皇后マリヤ・フョードロヴナ陛下)。アレクサンドル3世がめちゃくちゃわかりやすい。目立ちすぎる。

↑ 何人わかりますか?

 

 こちらは三姉妹と父上がカードゲームをしているところ。ほんとうに仲良し家族ですね。

↑ お姫はカードは強いのかな?

 

 姫の両親や、甥のお部屋などがそのまま残されていて、近代オタクはテンション爆上がりです。

また、なんと、お姫に特化した「ファベルジェの秘宝」コーナーも。ダグマール姫が所有していた、ファベルジェの卵などの財宝が展示されています。近代ロシア史オタクは必見です。

 

 途中で、また例のおじさまに遭遇し、再び日本語で雑談。安心感が凄い。

デンマーク語をちょっと勉強していて……」という話をしたら、「デンマーク語を!? どうして!? デンマークに住みたいの?」と訊かれ、「(え、それあなたが言う?? わたしからしたら、どうして日本語を!? だよ? というか、言語を勉強している=住みたいにはならないぞ?)」と思いながら、「移住の予定はないですけど、歴史に関心があって、ここに来るのを楽しみにしていて……」云々などと返しました。

すると、「デンマーク語、難しいよね。日本語ほどじゃないけどさ」とのこと。まさか、デンマークデンマーク語に苦戦(?)する仲間に出会えるとは。いや、おじさまは既にめっちゃ流暢なのですが。でも嬉しかったです。

 

 書庫のコーナーには、なんとこのような本が……。

 こ、これは、 J. P. トラップさんの回想録!?

つまり、こちらです。

↑ 一部を翻訳した記事。

 まさか、原本が宮殿にあるとは……、いやそうか、ここが聖地なんだもんな……などと、大興奮でした。

また、この本棚には、バイロン卿の本など、19世紀文学も幾つか。楽しいスポットでした。

 

 

 ミュージアムショップで資料を3冊買い、アマリエンボー城を後にすると、なんとすぐそばにオペラハウスが見えるではありませんか。

↑ 運河を挟んだ反対側が、既にオペラハウス。

 そうか、昨日、近くには来ていたんだな……と改めて感じました。昨晩が大冒険すぎた。

 

お昼ごはん

 アマリエンボー城を出る頃にはお昼を過ぎており、空腹だったので、レストランを探すことに。

昨晩の散歩で、ニューハウンにはレストランがズラリと並んでいることがわかっていたので、そこから選んでみることにしました。

 

 あまりにも店が多いので、逆に迷ってしまいましたが、英語メニューがあって、且つ内容がわかりやすいところを見定め、エイヤッと入店。

伝統的な、スモーブローを本場で食べてみることに!

↑ スモーブロー3種盛りプレート。可愛くないですか??

 小エビとゆで卵とディルのもの、ローストビーフとトマトとピクルスのもの、レバーパテとベーコンのものの3種盛りです。

黒パン×レバーペーストの組み合わせが美味しいということを、コペンハーゲンで知りました。黒パンもレバーペーストもかなり癖があり、苦手な方も多いと思うのですが、一緒に食べることでかなり相殺されて、食べやすくなるんです。是非お試しください。

 

 量も程よく、美味で、雰囲気もよく、店選びは正解だったと思います。お値段はデンマーク価格で素敵な感じになってしまってましたけどね!

 

デト・ユレ宮殿

 おなかを満たしたところで、聖地巡礼を再開。

お次に向かったのがデト・ユレ宮殿です。直訳すると「黄色の宮殿」。相変わらずネーミングがそのままである。

↑ 名前に違わず、黄色い。

↑ 表札に王冠が!

 尤も、「デト・ユレ宮殿」というのも酷い音写で、実際には Det Gule Palæ、強いてカタカナにするなら、デ・グール・パレになると思います。全然違う。

 

 そんな「デト・ユレ宮殿」ですが、こちら、我らがダグマール姫の生家です。彼女はここで生まれ育ちました。

殿下自身も「聖地巡礼」したことがわかっています。

昨日は、母娘と共にコペンハーゲンに行って、我が未来の花嫁が生まれ育った家を初めて見た。

婚約を巡る書簡集 ⑵ - 翻訳

 今、わたしは、殿下と同じことをしている……!!(興奮冷めやらないオタクの図)。

 

 「お城」と言ってもこちらも大変簡素で、単なるアパルトマンのようなものです。お隣の建物と造りに大差はありません。プーシキンの家の方が断然広い(比較対象)

一人一部屋の余裕さえなく、お姫は姉のアレクサンドラ王女と共同の部屋を使っていたというのだから、その広さは察することができます。

 

 アマリエンボー城は観光名所になっていますが、そのお隣にあるデト・ユレ宮は、隣と言えど一本路地に入ることもあってか、人っ子一人いませんでした。みんな、お姫の生家はここだよ! 見た方がいいよ!!

 中には入れないのですが、オタクなので、当然、舐め回すように見たところ(それがこの旅の目的でさえある)、中には電気が灯っていました。ぐお~、見取り図だけでも知りたい!

↑ 覗き見は限界同担の始まり!(末期)。

 

アレクサンドル・ネフスキー教会

 文字通り「お姫と殿下の足跡を辿」ったところで、お次に向かうのは近くにある教会。

デンマーク国教会を見たあとは、ロシア正教会へ! コペンハーゲン市内唯一のロシア正教会、「アレクサンドル・ネフスキー教会」です!

↑ 裏路地で 異様に目立つ 葱坊主(コペンハーゲン川柳)。

 裏路地に、住宅やショップと並んで平然と建っているのですが、まあ恐ろしく目立ちます。

↑ 色も形も浮きまくっている。ここだけロシア。

 

 こちらの教会は、殿下の時代にはないのですが、殿下の弟アレクサンドル3世と、お姫改めマリヤ・フョードロヴナ皇后の資金によって建てられたロシア正教会なのです。

二人の結婚で、コペンハーゲン市内にもロシア正教を奉ずるロシア人が増えたのでしょうね。

 

 ちなみに、「アレクサンドル・ネフスキー」は、中世ロシアの英雄のお名前ですが、殿下の遺体をニースからペテルブルクまで運んだ船の名前が「アレクサンドル・ネフスキー号」だったりします。

殿下自身、亡くなる一ヶ月ほど前に、この船をじっと見つめ、「アレクサンドル・ネフスキー号が、自分を遠い旅に連れて行ってくれるような、そんな気がしたんです」と "予言" していたりもします。

 命名の理由はわかりませんが、殿下のことが大好きだということで絆を深めた皇帝夫妻のことですから、割とこじつけではなく本当に命名の理由はここかもしれませんね。

 

 教会は閉まっていましたが、入り口にスケジュールの張り紙がありました。当然といえば当然なのですが、デンマーク語とロシア語の二語併記になっていて、テンション爆上がりの帝政ロシア×デンマークオタクの図。

 

 中は暗く、覗いてもよく見えなかったので、スマホを窓に押しつけてみると……(合法か?)

↑ レッドカーペットな階段が!

 次に行く際には、中に入ってみたいですね。

 

フレゼリクス教会

 その後、同じ通りにあるもう一つの教会にも入ってみました。アマリエンボー城からよく見える、立派な教会・フレゼリクス教会です。

↑ 重厚な造り。ロシア正教会とは全然違った趣きですね。

 

 中の円天井が素晴らしく豪奢で美しいので、コペンハーゲンに観光に来るなら一度は訪れたい名所です。

↑ イタリア風な円天井がドドーン。

 

 中の照明は青みがかっていてかなり暗く、瞑想というか祈りが捗りそうな空間になっていました。

事実、 " Quiet please! " の張り紙が貼られ、中では見るからに信心深そうな方々が熱心にお祈りを捧げていました。

↑ 祭壇も美しい……。

 

 観光名所になっているとはいえ、明らかに非キリスト教徒は場違いな感じが芬々としたので、早めに撤退。

 

 しかし、どうしてお姫はこちらのフレゼリクス教会ではなく、コペンハーゲン聖母教会に殿下を連れて行ったのでしょう(勿論、殿下が書いていないだけで、フレゼリクス教会にも訪れた可能性はありますが)。

こちらの方が宮殿に近いし、言ってしまえば豪奢な感じがするものですが。

 殿下が美術が好きだから、彫刻を見に行こうという話になったのか? それとも、お姫のお気に入りの教会がこちらよりもコペンハーゲン聖母教会であったのか……。正解はわかりませんが、想像が捗りますね。

 

スティレット要塞散策

 さて、教会たちを巡ったあとは、要塞へレッツゴー。全部徒歩で巡っているのだから、我ながらよく歩いたものです。

↑ 要塞は、今やその軍事的な面影は薄れ、自然豊かで美しい空間になっています。

 

 自然豊かな要塞を歩いていると、見慣れない鳥が飛来してきました。とても愛らしかったので、暫く野鳥観測会を敢行。

↑ 結構近くまで寄れました。

 正直に言うと、わたくしは基本的に動物は全般苦手なのですが、青緑色と深緑色が大層好きなもので、「この羽のカラーリングは一体何!? 超可愛いじゃん!!」と興奮。

後に、有識フォロワーさんが「この鳥はカササギでは? 日本では滅多に見られないからよく見ておいて!」と教えてくれました。持つべきものは有識フォロワー。ありがとうございます!

これが、『泥棒カササギ』などでお馴染みのカササギ……!? 音楽の題材にはよく選ばれていますが、実際にお姿を見るのは初めてでした。こんなに可愛い鳥さんだったの!? お、推せる。グッズとかあれば普通に欲しい。

 

 

 一端カササギちゃんとバイバイし、更に歩を進めると、橋と建物が見えてきました。

「なんかこの雰囲気……デンマークというより英国っぽくない?(※わたしはイギリスに行ったことがないので、単なる偏見である)」と思ったら、本当に右奥の建物は英国国教会でした。たまには役に立つな、偏見!(?)。

↑ 本日教会4軒目。

 

 

 さて、カスティレット要塞の最大の観光名所といえば、「世界3大ガッカリ」でお馴染み(そんな称号で馴染むな)人魚姫像です!

↑ 足が変化していく様子を切り取ったもの。

 噂に違わず、大層小さいです。しかし、そのことを知ってさえいれば、別にガッカリはしません。彫刻の美しさは、サイズで決まるわけではありませんからね。

 波際にありますが、触れそうなほど近くなので、お写真を撮るのは簡単です。但し、足下の濡れた岩は大層滑るので、細心の注意を払ってください。最悪足を滑らせて頭を打ったら死にます。冗談抜きで。

 

 我らがダグマール姫は、幼少期から、アンデルセン本人に自作の童話を読んで貰って育ったといいます。当時から、『人魚姫』はアンデルセン最大のヒット作でしたから、ほぼ間違いなく、作者本人の口から『人魚姫』を聞いているはずです。

わたし達もよく知る物語を、150年近く前の異国のお姫様である彼女も知っていた、と思うと、なんだか親近感が湧きますね。

 また、殿下の愛称「ニクサ(Никса)」は、ドイツ語で「水の妖精」を意味する Nixe がロシア語化したものです。広義の「水の妖精」には、人魚も含まれますから、殿下の愛称は「人魚姫」に近いと言うことができるかもしれません。

そんな二人が婚約していた、という事実は、なかなか興味深いものがありますよね。

 まあ、尤も、お姫に一番近いお姫様は「シンデレラ」だとよく言われますしデンマーク王家の貧しい傍系から、世界最大の富豪ロマノフ家の皇后に)、殿下も、人魚姫というより、「白雪姫」ですけどね(白い肌、父に嫉妬されて半ば虐待の末に早逝)(殿下も姫扱いで良いのかという話はさておき)

 

 

 カスティレット要塞には、他にも、二次大戦の戦没者慰霊碑などがあります。デンマーク、ドイツと隣接していますしね……。

近代のみならず、20世紀に関心がある方も、是非とも歩いて欲しい一画です。

 

チボリ公園

 カスティレット要塞を歩いていると、早くも太陽が落ちてきました。冬の日は短い!

というわけで、お宿方面に戻ります。

 歩きながら、さて、今晩はどうするか……と、プランを練ります(無計画)。

明日は再び『オネーギン』を観に行くし、明後日の夜は、今日前を通った国立劇場に行ってみるとして……、そうすると、もしかして、コペンハーゲンで自由に過ごせる夜って、今晩しかないのでは?

 

 であれば、答えは一つ! チボリ公園に行ってみよう!!

↑ インド風? な宮殿エリア。

 

 チボリ公園1843年創業。わかりますか、この数字。殿下と同い年なんですよ、チボリ公園は。もうそれだけで親近感湧きますよね(オタク特有の以下略)

 

 初回の記事でも書いたとおり、デンマークでは、冬期には多くの施設が休業します。チボリ公園も例外ではありません。

しかし、ハロウィーン前後と、クリスマス前後は、特別に開いているんです! この日は11月2日ということで、ハロウィーン仕様で開いていました! 勝利!!

↑ あいにくの雨天且つ、夜ゆえ、お写真の出来があまりよろしくありませんが、スプーキーな雰囲気が伝わっていれば。

 

 「世界初の遊園地」「世界初のテーマパーク」と言われるチボリ公園は、園内のテーマもわかりやすいです。

インド風や中国風のオリエンタルな建物があったり、洋館風のお化け屋敷があったり、勿論、ジェットコースターやカルーセルの類いも充実しています。

↑ こちらは躍動感が凄いムーラン・ルージュ(仮)。

 

 ディ○ニーランドのパレード的なものはありませんが、ショーは幾つかあるようです。

↑ この後、火が出たりして、結構豪華だった。

 

 「世界最古」だから、古めかしくてしょぼいのか、といえば、全然そんなことはなくて、完全に現役です。中央駅の真ん前にあるだけのことはある。

絶叫マシンはかなりのクオリティのようで、深夜まで「絶叫」が轟いていました。お部屋の中でもよく聞こえます。

 

 「公園」というだけあって、遊園地・チボリ公園は、「階級に囚われず、誰でも楽しく遊べる場所」を目指した素敵な遊園地。従って、創業当時から、比較的貧しい家庭の子供たちが遊べる場所になっていたようです。

いやしかし、そうとはいえ、殿下×お姫はチボリ公園デートしないんですか。しよう。こんなに素敵な遊園地があるのに行かないのは勿体なさすぎる。遊園地に殆ど関心が無いわたしでも楽しめるんだから、彼らなら絶対に楽しめるはずだ。行こう。

 

夜ごはん

 園内はかなり入り組んでおり、広く、「全ての道を通るぞ!」と意気込んで歩き回っていたら、一時間くらい経っていました。迷子になりそうな瞬間が何度もあった。

 何か一つくらいアトラクションに乗ってもよかったのですが、何よりも、雨で、寒い!! そんななかジェットコースターにでも乗ろうものなら、何が起こるかは想像するまでも無かったので、夏にリベンジするぞ、と誓って、とにかく散策に費やしました。

 

 そんなこんなで、時刻は既に21時過ぎ。聖地巡礼でアドレナリンを焚きまくり、興奮していたのであんまり気がつきませんでしたが、そういえばおなかが空いたな? ということで、園内でお食事を取ることにしました。

 

 園内をぐるぐる歩いたので、レストランが10軒近くあり、軽食(フィッシュアンドチップスとか、ポップコーンとか)の屋台も沢山あることはわかっていました。

しかし、悩むまでもなく、お店はこちらに決定。

↑ うん、まあ、そうなるよね。

 「FIGARO」とか言われちゃったらね、オペラファンとしては選ばざるを得ないですよね、はい。まあ、わたしは『フィガロの結婚』ゆうてそんなに好きでもないけど……

 

 レストラン「FIGARO」は、イタリアンでした。今回チョイスしたものは……。

前菜に、サーモンとイクラのマリネ。

↑ なんかこれ有り得んくらい美味でした(語彙が消し飛ぶ)。今回の旅で一番美味しかったものランキング首位争い。

 

 そして、メインは、エビとトマトのリングイネです。

↑ まあトマトパスタが外れるわけはないのである。

 なんだかディル大好き人間みたいになってしまった。実際、好きだからいいですけど! 北欧ですしね。

 

 夜のライトアップされたチボリ公園を見ながら、美味しいお料理を食べて大分満足しました。アトラクション何も乗らなかったけど、やっぱり来て良かった。

コペンハーゲンカードで入れますしね!

 

 

 食後に紅茶を啜っていると、夜10時に。

お宿まで徒歩で2分なので(有り得ない立地である)、帰って、お風呂に入って、ちょっと Twitter して、寝ました。

 

 2日目は、以上です!

 

最後に

 通読ありがとうございました! 14000字ほど。

旅日記の記事をガシガシ書きたいのですが、なかなか更新できず、どうしてだろう……と思っていたのですが、一記事一記事が凄くボリューミィだからですね。これは書き終わらない。

 しかし折角の旅の思い出、忘れないうちにしっかり書き進めて参りたいですね。

 

 次回も、旅日記を書けたらと思います。3日目編です。気長にお待ちください。

 

 それでは、今回はここでお開きとします。また次の記事でお目に掛かれれば幸いです!

↑ 続きを書きました! こちらからどうぞ。