世界観警察

架空の世界を護るために

婚約を巡る書簡集 ⑸ - 翻訳

 こんばんは、茅野です。

最近、恐ろしく今更ながら、 Duolingo を始めてみました。

↑ わたくしのアカウントです。最近よく ID で用いている Parus 1832 が何のことかわかった方はこっそり教えて下さい。ヒント:ロシア語+年号。

 今のところ、今までも縁があったフランス語、ロシア語、アラビア語デンマーク語をやっています。数多の Duolingo プレイヤーの中でも、この言語の組み合わせで遊んでいるのはわたくしだけではなかろうか。

デンマーク語はこの連載でも使っていますが、とにかくリスニングが難しい!! 厳しいです……。

 宜しければ、一緒にデンマーク語で苦しみませんか? 我らがお姫様の母語を一緒に学びませんか。いや、別にデンマーク語でなくても構いませんけども。想像以上に楽しいですし、超マイナー言語でも無料で簡単に始められるので、お勧めです。

気軽にフレンド申請して下さい。お待ちしております。

 

 さて、今回は「婚約を巡る書簡集」の第5回ロシア帝国皇太子ニコライ・アレクサンドロヴィチ殿下と、デンマーク王女ダグマール姫の婚約に纏わる手紙を読んでいくシリーズです。

↑ 第一回はこちらからどうぞ。

 

 第5回目となる今回は、政治にフォーカスしたお手紙を見て参ります。彼らは愛らしいカップルですが、それと同時に、皇太子殿下とお姫様でもありますのでね。

どれも長くありませんが、今回紹介するのは4通です。

一通目は、ダグマール姫が初めて殿下の両親に宛てて書いたもの。

二通目は、姫が殿下の父・皇帝アレクサンドル2世に政治的な援助を求めた内容のもの。続く三通目は、その手紙について殿下が言及したもの。

四通目は、姫から殿下への恋文ですが、中でもドイツに言及したものになっています。

 お楽しみ頂ければ幸いですね。

 

 それでは、今回もお付き合いの程宜しくお願い致します!

 

 

手紙 ⑻

私の愛すべき両親へ!

 お二人の貴いご子息、また私の愛するニクサの手紙に、あなた方との縁ができることによって今感じているこの幸福について、数行書き足すことをお許し下さい。

あなた方にも幸福を届けられるよう、神様が私を助けて下さいますようにと、心から願っています。

あなた方がご子息に抱いている愛を、ほんの少しだけ私にも頂けたら、私も幸せになれます。

あなた方に忠実なダグマール

 

解説

 お姫から殿下の両親、ロシア皇帝夫妻への初めてのお手紙でした。

 

 こちらは、殿下のお手紙の末尾に書き足されたものであることがわかります。恐らく、時系列的にも連載第2回の直後辺りに書かれたものでしょう。

 

 このお手紙、めっちゃよくないですか? 我々が良いと感じるように、殿下の両親からも高評価だったようです。

殿下の代は男兄弟ばかりですが、そのこともあってか、両親は娘を欲しがり、また可愛がったようです。長女アレクサンドラ(殿下の姉)の夭折は二人にとってトラウマに近いものとなり、唯一長生きした次女のマリヤ(殿下の妹)は両親から溺愛されています。この代の女の子はこの二人だけです。

 そのこともあってか、「血が繋がらぬまでも愛らしい娘ができた」と、大喜びであったとか。良い話だ……。

 

 続いて、ダグマール姫がロシア皇帝アレクサンドル2世への政治的援助を求めた手紙と、それについて言及している殿下の父宛ての手紙を、二通連続でご紹介します。

どうぞ。

 

手紙 ⑼

1864年10月29日
フレデンスボー

 

親愛なるお父様、

 

 最初のお手紙から要望を持ってあなたに近付くことをお許し下さい。しかし、私の哀れな父、私たちの国、そして国民が不当な軛に跪くことを強要されている様子を見ると、私は愛と信頼を持って、親愛なるお父様、あなたに自然と引き寄せられてしまうのです。

従って、あなたの力で、ドイツの野蛮さにより父が受け入れざるを得なかった恐ろしい状況を緩和して頂けないかと、私は実の娘のようにあなたにお願いするのです。

 

 これは私の父の与り知らぬところであり、私が個人的に既にあなたを深く信頼しているが為に行っていることで、援助と、もし可能ならば私達の恐ろしい敵からの保護を頼みます。

 

 親愛なるお父様が、将来の義理の娘を邪険に思われないと良いのですが。しかし、祖国の悲しい状況を見ていると、どうしても何かせずにはいられなかったのです。

心の底からあなたを抱き締め、親愛なるお母様の手にキスする許可を求めます。親愛なる弟たちとマリヤちゃんのことも忘れません。

 

あなたの従順で献身的な娘であり続ける、ダグマール・マリー

 

手紙 ⑽

(ニコライ殿下から父アレクサンドル2世宛て)

 

 既に母様から、あなたがダグマールからの手紙を受け取ったことは伺いました。

これがどれほど僕を不愉快な気持ちにさせたか、親愛なる父様ならご想像のことでしょう。ダグマールはしっかりした性格で、如何なる煽動にも屈しない傾向があります。

僕はこれが王妃の仕業であると確信しています。既に和平が結ばれているというのに、娘にこのような手紙を書かせるというのは、如何なものでしょうか。

 親愛なる父様、彼女の母の無礼の為に、あなたが僕の可哀想な婚約者について不平を漏らすことはないと、期待しても宜しいですね。

僕の愛らしいダグマールを知れば、あなたも彼女を愛さずにはいられなくなるだろうと信じています。彼女は希有な精神の持ち主で、勿論、あなたにとっても、また母様にとっても、愛と感謝に満ちた娘になるに相違ありません。

 

解説

 二通連続でご覧頂きました。

 

 手紙 ⑼ を受け取った父帝アレクサンドル2世は、息子である殿下に対し非常に怒ったそうです。この件で殿下を怒鳴りつけて、なんかメリットあるんですかね? 殿下は姫がこの手紙を父に送ったことを知らなかったようですし、限りなくとばっちりでは? アレクサンドル2世ほんとさぁ……

皇帝陛下は、人に指図されるのが嫌いだし、「女が政治に口を突っ込むもんじゃない!」みたいな典型的家父長制タイプなので、16歳の女の子に介入されてお怒りだったようです。

手紙 ⑻ で上がった姫の好感度が、⑼ で大分下がった様子です。

 

 殿下は勿論、己の父の性格を熟知していたので、手紙 ⑽ にて、まずは気難しい父に心理的に寄り添って件の手紙を非難した後、自身の婚約者を庇っています。

研究によると、王妃が指図したのかどうかの断定は不可能だが、王妃は無関係であり、ダグマール姫が独断で書いた可能性も充分にある、ということです。

デンマーク王妃ルイーズは、結構奇特な性格の人で、割とトラブルメーカーだったようですが、政治に関しては王妃にしてノンポリ気味だったそうなので、わざわざ政治的な手紙を書くように娘に指図したかどうかはわからない、とのことです。

 殿下がそれを理解した上でこの手紙を書いたのかどうかは、もっと不明です。

 

 殿下は、憶測で濡れ衣を着せるような人ではないので、殿下自身は王妃が噛んでいたと考えていた可能性が高いかとは思います。彼らは三週間程度しか一緒に過ごしていないので、それだけでは性格を測り損ねた可能性もあるでしょう。姫も、当時まだ16歳ですし、親の影響を考慮するのは自然な推理です。

 或いは、可能性として考えられるのは、連載第1回で濁されながらも書かれていたように、王妃と殿下の間には何かトラブルがあったことがわかります。それがどのような性質のものであったのかは不明ですが、殿下側が不愉快な思いをする類いのものであったようです。

そこで、彼は王妃に対しての心象がかなり下がったようなので、贄として使った可能性も考えられるでしょう。

 勿論、彼の推理通り、王妃が噛んでいる可能性もあります。真偽の程は不明です。

 

第2次スレースヴィ・ホルステン戦争

 今では「福祉の整った人権先進国」というようなイメージの北欧。デンマークでは、この時代には既に、例えば相続権は男女平等になっていました。

そのような意味に於いては、ウルトラ後進国であったロシア帝国への姫の移住は、デンマーク人には心配されていたようです。義理の父が「あれ」なので、その心配は杞憂ではなかったかもしれませんね。

 

 何度も言及しているように、当時デンマークは、プロイセンオーストリア連合と対峙した第2次スレースヴィ・ホルステン戦争(ドイツ語読み:シュレースヴィヒ・ホルシュタイン戦争)に敗戦したばかりでした。

↑ この戦争で最も悲惨であった、1864年4月18日のデュボル堡塁の戦いを描いたヴィルヘルム・ローゼンスタンドの戦争画

 この戦争は、デンマーク史上最も凄惨なものとなり、歴史的大敗を喫しました。

核兵器などを用いた、20世紀の狂った大戦を学んだ21世紀の人々にとってはどうということのない数字に聞こえるかもしれませんが、特にこのデュボル堡塁の戦いでは、19世紀の戦争にして、デンマーク側の死傷者だけで1000人を越すという、恐ろしい戦いとなりました。

 

 そもそも、19世紀半ばのデンマーク王国は、今我々がデンマーク領と認識している地域に加え、スレースヴィ公国、ホルステン公国などをも同君連合として治めていました。

↑ 白がデンマーク、黄緑がスレースヴィ、緑がホルステン。

 この二公国は、なんと中世の時代からその帰属について争っており、当時は条約上、「デンマーク王国からは不可分の地域である」と定められ、一応の決着を見ていました。

しかしスレースヴィ・ホルステンは、その名が示す通り、また地図を見てもわかるように、ドイツ系の住民が多くデンマークの統治に不満を持っていました。

 プロイセンを中心に、ドイツ統一の動きが出て来ると、この地域の住民はデンマーク王国を離れ、ドイツ帝国に合流したいという意志を持つようになります。

また、折の悪いことに、デンマーク王国憲法で改めてスレースヴィ・ホルステンをデンマークからは不可分の地域であると宣言したこと、そんな中、オレンボー朝が断絶し、スレースヴィ・ホルステンの統治権を持たないリュクスボー家のクリスチャン9世(姫の父)が即位したことが重なり、当該地域の住民の怒りが爆発。

ここに、最も凄惨な戦争の下地が整ってしまいました。

 

 1864年2月頃、両軍の衝突が始まり、4月には前述の大惨事となったデュボル堡塁の戦いなどを経て、8月1日に予備和平条約を締結します。何億個その名前があるんだ、という感じですが、一応名称は「ウィーン条約」です。

結果は、デンマークの惨敗。スレースヴィ・ホルステン両国を、即ち国土の約40%、人口の約20%を失いました。戦争自体での死傷者や経済的損失も含めれば、恐ろしいとしか言いようのない損失でしょう。

 

 デンマーク王室、リュクスボー家は、この惨事の責任者として、1864年当時は暗い日々を送らねばなりませんでした。

ダグマール姫は、当時未だ16歳の少女でしたが、聡明な彼女は自国に何が起きているのかを理解しており、殿下との婚約という自身の幸福を、愛する祖国にも役立てねばと考えたのかもしれません。

 

 また、こちらも聡明な殿下の方も、1864年デンマーク情勢は非常に良く注視しており、彼がデンマークに行くことを決めたのは、この和平条約が結ばれた直後でした。

本人が述べているように、ダグマール姫に求婚することは、殿下自身の願いとしても、国家の利益としても殆ど確定事項となっていましたが、ロシア帝国デンマーク王国を支援し、プロイセンオーストリアを無闇に挑発していると受け取られないように、彼は和平が締結されるのを冷静に待ちました。

 ロシア帝国国益としては、海路の確保の為にデンマークと同盟関係を結ぶのは最も望ましいことでしたが、それ以上のこと、つまりプロイセンオーストリアに喧嘩を売り、自国を危険に晒してまでデンマークを全面的に救助する必要はなかったのです。

 もしかすると、ロシアの支援があればこの戦争の結果に変動があったかもしれませんが、殿下はあくまでロシア帝国の帝位継承者ですから、デンマークではなくロシアの利益が最も確保できるように行動しました。

ロシア帝国国益という視点に立てば、殿下の行動は至極真っ当であり、国益に完璧に合致した行いであると言えますが、一方で彼の恋人からすれば、物足りない対応であったかもしれません。

 とはいえ、19世紀のデンマークは何故だか猛烈に外交が下手くそなので(今回の件も、少なくとももっと死傷者は減らせたはずだと思いますし、ナポレオン戦争時なんかも酷いです)、まずはそこを何とかすべきであったかもしれません。殿下も、同国の外交の杜撰さには辟易していた様子です。

 

 もっと第2次スレースヴィ・ホルステン戦争や、デンマークの歴史について知りたい方は、ド直球タイトルのこちらがお勧め。以前、デンマーク語を始めた際に読みましたが、珍しくデンマーク一国にフォーカスしているだけあって、欲しい情報が多く、有用でした。

 

 また、わたくしはまだ観られていないのですが、この第2次スレースヴィ・ホルステン戦争をデンマーク側から描いたドラマ『1864』や、それを基にした映画『Cold and Fire』タイトルがダサいなどがあります。

 この『1864』は非常に評価が高い映像作品なのですが、音声がデンマーク語とドイツ語の半々に加えて英語字幕、内容も政治と軍事なので、もう少し勉強してから観ようかなと思って寝かせています。

また、映画の方は結構グロいという話も聞くので(まあ戦争映画ですし……)、耐性がある方は観てみてください。よければ感想も送りつけて下さい。宜しくお願いします。

 

 血なまぐさい話が長くなりましたので、最後に、我らが可愛いお姫様から、彼女の婚約者への恋文を読んでお口直しとしましょう。

 

手紙 ⑾

1864年11月4日

 

 それじゃあとうとうイタリアに着いたのね、私の愛しい最愛のニクサくんNixchen。あなたがドイツを離れたことが嬉しいの、私にとってあそこの住人は全然魅力的じゃないから。それはあなたも知っているでしょ?

あの野蛮人共は、残酷な軍隊を援助して、私達に国土の半分をも放棄させたの。恐ろしいことだわ!

 

 和平条約を結んだことはあなたも聞いているでしょ? それにしても、なんて和平条約なの! 嗚呼、哀れな私の祖国が苦しんでいるのを見るのは辛い。どれもこれも、野蛮なプロイセン人のせいよ。

 

 哀れなアリックスがブリュッセルから手紙をくれたの。姉様も今はもうドイツを離れたことが私は嬉しい。

ハノーファーで、軍の勲章をつけたプロイセン王子に会った時のバーティとアリックスの怒りが、あなたにも想像できると思う。

スレースヴィであんなにも残酷な戦い方をして、それによって得た勲章をぶら下げて来るだなんて、なんて機転の利いたやり方なの!

何と言うか、本当に信じられないわ。

 

 でも、もうこのことについて話すのはやめる。どうしても私は意地悪で怒りっぽくなってしまうし、いや、もう既になっているかな。それに、あなたの前でそうなりたくはないから。あなただって、こんな悪妻を持つ夫としての人生なんて嫌よね、私のニクサくんNixchen

(下線強調は原文に依る)。

 

解説

 地味に当連載で初めての、姫と殿下、二人の間で交わされた恋文でした!

王朝政略結婚と恋愛結婚が同時に発生するとこうなるのか、というお手本のような恋文ですね、正しく。

 

 殿下はデンマークを離れた後、ドイツを経由してイタリアへ向かいます。当時は飛行機もないので、陸路で行かざるを得なかったわけですが、前述のような理由から恐ろしく反独主義であった殿下の恋人は、愛する彼が憎きドイツの地を踏んでいることが耐えられなかったようです。可愛いけど怖い。

 

 それでは、今回は二箇所、解説を入れて参ります。

 

反独主義

 姫自身が書いているように、プロイセンオーストリアとの戦争で大敗したデンマークの姫である彼女は、ドイツとオーストリアのことが大嫌いでした。

この手紙の他にも、殿下に対し、「あなたがドイツ人でなくてどれ程よかったか」みたいなことを書いているみたいですね。まあロマノフ家って血統的にはほぼドイツ人なんですが……

 

 ネタバレ(?)をしてしまえば、将来的にダグマール姫は殿下の弟であるアレクサンドル大公と結婚し、これ以上無いほどの仲睦まじい夫婦として知られるようになります。

二人とも、浮気のウの字もないような、他の異性には目もくれず、互いを愛し合う幸福な結婚生活であったといいます。

 従って、夫アレクサンドル大公絡みで嫉妬することは殆ど全くなかったのですが、それを思えば意外なことに、姫は婚約者であった殿下が絡むと、結構嫉妬深い側面を見せています。

尤も、殿下も恋人に一途でしたが、彼は分け隔て無く社交的な性格でしたし、遠距離恋愛の期間も長かった上、彼は恋愛的な意味でも人気が高かったので、姫は不安に思うところがあったのかもしれません。殿下への失恋とその死で、後追い自殺する女の子が発生しているレベルだし……

 

 殿下に関する嫉妬は、ドイツ・オーストリアが絡むと、殊更恐ろしいものになりました。それは、彼の死後であってさえも有効です。

オーストリアに対して怒りを爆発させている例。

 他にも、ドイツに対するそれが最も顕著に現れている例として、1910年11月18日ユリウス暦5日)の姫、改めロシア皇太后マリヤ・フョードロヴナの日記には、以下のようにあります。

 怒りのあまり、二晩眠ることができなかった……。ニクサの素晴らしい連隊に、外国の皇后が勝手に入り込むなんて!

気持ちを落ち着けるなんて無理だし、何よりも彼に本当に本当に申し訳が立たないわ……。あの女が彼と同じ制服を着ている所なんて、二度と見たくない!

 凄まじいです。しかもこれ、この時彼女は既に63歳殿下が亡くなって45年も経った後のことですからね。本当に殿下のことが大切だったのだなあということが伺えて、哀しくも愛らしいですが……。

 

 ことの発端は、彼女の息子、殿下と同姓同名のニコライ2世の政策です。

彼は、プロイセンとの関係強化を図るため、ドイツ皇后兼プロイセン王妃であるアウグステ・ヴィクトリアを、グロドノ軽騎兵連隊の名誉隊長に任命します。

↑ 1913年のアウグステ・ヴィクトリア皇后。

 彼女はドイツの皇后であるばかりか、なんと苗字はシュレースヴィヒ=ホルシュタイン=ゾンダーブルク=アウグステンブルク。もうお分かりですね。姫の最も嫌いな一家の出身です。

 

 グロドノ軽騎兵連隊は、幼少期から殿下が属していた連隊です。彼はこの連隊の隊長であり、グロドノ軽騎兵連隊は皇太子付きの連隊として、殿下に忠実に仕えることになります。

↑ グロドノ軽騎兵連隊の制服。カラーは紺×金、深緑×銀の二種。どちらも洒落ていて好きだ……。

 

 殿下はグロドノ軽騎兵連隊の隊長だったので、この連隊の制服を普段着としていました。殿下の写真や肖像画を幾つか見ると、彼がよくこの制服を着ていることがわかると思います。

 殿下の時代の写真は全て白黒ですが、有志が資料を元に写真に着色したものがあるので、見てみましょう。

↑ なんで顔面までこんなに整ってんだこの人???

 先程の画像の、左の紺×金の方を着用していることがわかるかと思います。首元と内側がもこもこの冬仕様ですね。

 

 姫、もとい皇太后は、自分の祖国を最も苦しめた一家出身の女性が、自身の愛した婚約者の管轄であった連隊の名誉隊長となり、彼と同じ制服を着ていることが、ほんっっとうに許せなかったらしく、普段は然程政治には介入しない彼女が、今回ばかりは息子に対して全力でブチギレています。心中お察し致します……。

↑ アウグステ・ヴィクトリア皇后がグロドノ軽騎兵連隊の制服を着ている写真は見つけられませんでしたが、彼女の持っていたこの連隊のサーベルの写真は発見しました。殿下も同じデザインのサーベルを帯剣していたはずです。そら姫もブチギレる。

 19世紀の軍服風ドレスってシンプルにデザインが可愛いので、後世のオタクとしては、もうコスプレでも何でもいいので、姫もグロドノ軽騎兵連隊の制服ドレスを召して欲しかったな……と思いますけれどもね。ペアルックしてくれ~。いや、姫自身が一番着たかったであろう。申し訳ない。

 

 それにしても、この些末な、と言ったら申し訳ないですけれども、このような政策からして、どれだけニコライ2世は政治が下手くそだったのか、ということが伺えますよね。これで母が恐ろしく気分を害すことなんて、火を見るよりも明らかではないですか。

単なる後世のオタクのわたくしですら、仮に他に如何なる理由があったのだとしても、姫に同情してしまいますもの。いや別に他の連隊でもよくない?

 これで殿下と完全に同姓同名(ニコライ・アレクサンドロヴィチ・ロマノフさん)だというのだから、因果なものです。

 

接尾辞 -chen

 今回のお手紙では、姫は殿下のことを冗談めかしてNixchen(ニクスヒェン)と呼んでいますね。皮肉がすぎるな!

ドイツ語で、名前の後ろに -chen(ヒェン)を付けると、日本語では「ちゃん付け」「くん付け」に相当するので、訳文でもそのようにしてあります。日本語圏以外のお名前に「ちゃん」や「くん」を付けるのは、絶妙に違和感がありますが……。

 

 基本的には指小辞で、「小さな~」という意味になります。英語だと「little ○○」みたいなかんじですね。ちなみに、バルコヴェーツ先生の英訳だと、「my little Nixa」と訳されています。殿下は物理的には全然小さくないけどな……(※身長190cm弱)

 

 殿下と姫の会話は、普段はフランス語、たまにドイツ語で行われていたようです。従って、恋文も原則的にはフランス語で綴られています。

このお手紙も原文はフランス語ですが、だからこそ、ドイツ語風の -chen は異質で、際立っていますね。

 

 姫は、大嫌いなドイツに滞在していた婚約者を、ドイツ語で「くん付け」に相当する語尾を付けて呼んで、からかっているわけですね。

殿下は、研究者を以てして「歴代のロシア帝国皇太子の中で最も自虐的で皮肉っぽい性格」と言われる人物ですが、このような手紙を見るに、姫も大概皮肉っぽいですよね。

性格面でも、お似合いの二人だったのかもしれません。

頼むから結婚して幸せになって欲しい。

 

最後に

 通読ありがとうございました! 1万字弱です。

今回は翻訳した本文が短いので、記事も短くなると思っていましたが、気付かない間に解説をいっぱい書いてしまっていたようです。いつもの。

 

 先日、『ウマ娘』の解説記事を書きました。最早恒例の、オペラトークシリーズですね。

↑ 書くネタがそんなに無かったので、オペラ雑学が主。殿下シリーズを追って下さっている皆様も、是非オペラを観て下さいね。

 この記事の中で、ついつい手が滑って少しだけ殿下の話を書いてしまいました。『ウマ娘』プレイヤーに殿下の話の需要があるとは全く思われないですが、致し方ない、わたしは殿下が好きなので。

 今度、この記事で言及した件についても、単発で一本ご用意できればいいなと思っております! 

 

 さて、次回第6回ですが、皆様お待ちかねの(?)、お姫から殿下への恋文を読んでいく予定です。恋文ラッシュ!

しかし、一方の殿下は、急速に具合が悪化してしまい、一通一通が短くなり、字が暴れるようになり、終いには返信も滞りがちに……。次回辺りから、「苦み」も強くなってきますので、覚悟して下さい。この点、わたくしも少々気が重い。

しかし、姫の愛らしさは不変ですので、次回もお楽しみに!

 

 それでは、今回はここでお開きと致します。また次回、お目に掛かれれば幸いです!

↑ 続きです! こちらからどうぞ。