こんばんは、茅野です。
先日、オペラ『ローエングリン』とバレエ『夏の夜の夢』を連続で鑑賞しました。
↑ レビュー記事。
『ローエングリン』と『夏の夜の夢』には、それぞれ非常に有名な「結婚行進曲」があります。両方、誰でも知っているレベルの名曲です。
「結婚行進曲」を聴いたら、もうこれは今の連載を書くしかあるまいと!
というわけで、「婚約を巡る書簡集」第3回で御座います。婚約したのに結婚しないなんて、そんなばかなことあろうはずが御座いませんので……(フラグ)。
我らが殿下こと、ロシア帝国皇太子ニコライ・アレクサンドロヴィチ殿下と、デンマーク王女ダグマール姫の婚約に纏わる手紙を読んでいくシリーズです。
↑ 第1回はこちらから!
今回は、細々と短いものを幾つか見て参ります。
前半は、ブラコン・シスコン特集当事者二人の姉弟からのお祝いの手紙を読みます。
次に、断片的にしか公刊されていない、フラグメントを3篇。
最後に、殿下から母宛ての短い手紙を1通確認します。
それでは、今回もお付き合いの程、宜しくお願い致します!
最初にご覧頂く2通は、殿下の弟・サーシャ大公(後のアレクサンドル3世)と、姫の姉アリックス皇太子妃(アレクサンドラ)が、婚約の報告を受け、それぞれの兄・妹に宛てた手紙です。 前者は抜粋のみです。続きが気になる。
二人とも兄弟・姉妹愛が非常に強いので、かなり強火になっています。
それではどうぞ。
手紙 ⑸
1864年9月30日
愛するニクサ、
心からおめでとう。君を祝福するよ、勿論君の可愛い花嫁さんも。まあ、残念ながら僕は彼女を知らないけど……。
母様も父様も凄く幸せそうで、満足してるよ。
……君はもう僕のことなんか完全に忘れちゃうんだろうけど、それでも時々は、昔からの忠実な友人であるサーシャを思い出してくれ!……
(後略)
手紙 ⑹
1864年9月30日
愛するミニー、
あなたが花嫁になったことで、私がどのような気持ちになったか、少しでもいいから書かなくちゃ! と思って筆を執ったの。数日後に会えるってことはわかっているんだけどね。
私の天使に神の祝福がありますように。そして人生の最高の、真の幸福が授けられますように。悲しみや不幸をもたらすあらゆるものに抵抗し、戦う勇気と力を与えてくださいますように。
あなたが幸せであることを私がどんなに嬉しく思っているか、言葉にはできないわ!!
あなたが婚約しただなんて、とても信じられない、私の可愛いミニー。この結婚は、私とあなたを更に引き離すことになってしまうのかしら。
でも、私たちはいつも心から愛し合い、いつだって同じだし、何事にも、誰にも、その仲は引き裂けないはず。
あなたの愛する人に、ミニーをとても愛している私なのだから、少しは私のことも愛して欲しい、って伝えてね!
私の一番の願いは、あなたの結婚が私のように幸せであること。そうすれば、あなたも地上の小さな楽園にいるような気分になれるはずだから。
また会う日まで、元気でね。会えるのを心待ちにしてる。
私のおちびちゃんに私たち二人からキスと挨拶を。
あなたの愛する姉アリックス
解説
短いですが、二通連続でお送りしました。
二人とも、愛が……重い……!! いえ、兄弟・姉妹愛、大変素敵だと思うのですが、如何せん、重い……!!
わたくしは一人っ子なので、兄弟・姉妹愛というものがよくわかっていないのですが、兄弟のいらっしゃる方に、是非とも感想を伺いたいところ。
それでは送り主を順に見て参ります。
サーシャ大公の嫉妬
一通目の差出人は、殿下のすぐ下の弟、アレクサンドル・アレクサンドロヴィチ(サーシャ)大公です。
↑ Государь Наследник Цесаревич と書いているので、殿下の没後に撮られたお写真ですね。
大公は、兄である殿下を溺愛していて、精神的にかなり依存しており、盛大にブラザーコンプレックスを拗らせていることで知られています。
甚だ面白いことに、後に自身の妻となるダグマール姫に対し、最初に抱いた感情は、「兄を奪われた」という嫉妬でした。奪われたも何も、兄とは結婚できないでしょうが……流石に……色々な意味で……。
弟ほどではありませんが、殿下も弟のことが好きで、兄弟仲は非常に良かったのに加え、殿下は筆まめなので、これは少し意外ですが、殿下はデンマークにいる間、全くアレクサンドル大公に手紙を出しませんでした。
このことに痺れを切らした弟は、普段は自身の方がずっと筆無精であるくせに、母に対し、
Теперь он меня окончательно забудет, потому что у него только и на уме, что Dagmar.
彼(ニクサ)はダグマールに夢中で、彼女のことしか頭にないから、今に僕のことなんかすっかり忘れてしまうんだろう。
と愚痴を零しています。
それを受け、彼らの母は、「サーシャにも何か一言書いてあげて」という旨を長男に書き送ったようです。
焦った殿下は、弟へ深い関心を寄せていることをアピールするためか、10月21日(11月2日)の手紙で、彼を質問攻めにしています。
それで、君は恋しているの? 誰に言い寄っているの? 何をしているの? 何に関心を持っているの?
イタリアの公女様はまだ君の心を占めているの、それとも他の誰かに情熱を傾けているの? 新しく社交界デビューした女の子に興味深い子はいる? 舞踏会は楽しい? 誰と踊るの?……
これらの質問に答えて。
なかなかのマシンガン……。ちなみに、これらの問いに対し、弟は律儀に返答しています。政治の質問の時はガン無視しますが、恋バナは OK らしい。
アレクサンドル大公は、幾ら兄が言葉を重ねても、彼が幸せであるということを信じようとしませんでした。ダグマール姫との婚約は、あくまでも政治上の政略結婚であり、そこに愛があるとは考えなかったのです。
確かに、「両国にとって理想の相手と相思相愛になる」というのは、できすぎた話でもあります。
事実、アレクサンドル大公は、11月21日(12月3日)の手紙に以下のように書いています。
花嫁を探すために国外に行くっていう、僕たちの状況ほど馬鹿馬鹿しいものなんてないよ。神の助けがなかったら、当然、一歩だって踏み出せるはずがないね。
全然知らないし、会ったこともない花嫁の所に行って、知り合って、―――それで、気に入れば神に感謝して、もう花婿扱い、だなんてさ……。
僕にとっての楽しい日々は終わってしまったというのに、君にはこれから沢山の楽しみや歓びがあるんだと思うと、僕はつらい。
僕は君が花婿になったことが羨ましいんじゃない、ただ、この厄介な仕事を既にやっつけたということが羨ましいだけなんだ……。
君のいない秋のツァールスコエ・セローのお茶会、君と一緒に橇でタヴリーチェスキー庭園に行くこともないし、一緒にスケートすることもない。
一緒に使っていた応接室のテーブルを見ているだけで涙が出てくる。
全てが、君と一緒に過ごした楽しい時間を鮮明に思い出させるものだ。
ちょっと流石に強火ブラコンが過ぎないか? これ、ラブレターではなく、兄への手紙なんですよね……?
四ヶ月会わなかっただけでこれなので、寧ろよくその死に耐えたと思います、本当に。
しかし、大丈夫だ大公、あなたの「厄介な仕事」はその兄がやっつけたので!
奥手で不器用な弟の為に、政治上でも理想的且つ美しく賢いお姫様との縁談を、人生を賭けてセッティングする兄、歴史上でも殿下だけなのではあるまいか……。とんでもない兄だ……。
殿下は、自筆の言葉だけでは不十分だと考えたのか、某メシチェルスキー公に対しても、以下のように伝えています。
「私が幸せであるところを見たと、また私が幸福を信じているということを彼(サーシャ)に伝えて下さい。それから、何でも構わないからもっと頻繁に手紙を書くように言ってやって下さいませんか。私は彼について仔細に知りたいと考えていますから、どうか、彼の忠実な友人になってあげて下さい。神があなたと共にありますように……」。
尚、大公が二人の間の愛に漸く納得したのは、初めて二人が一緒にいるところを見た65年4月のことでした。お察し下さい。
さて、初っぱなから高火力のブラコン怪文書をお送りしてしまいましたので(大公の怪文書は全部面白い)、次は美しい王女様の物語に移りましょう。
皇太子妃アリックス
二通目のお手紙の差出人は、ダグマール姫の姉、「デンマーク王女美人三姉妹」の長女、アレクサンドラ(アリックス)皇太子妃です。
↑ 左から、賢き次女ダグマール姫、美しき長女アリックス皇太子妃、優しき三女ティーラ王女。
↑ 1865年撮影のアリックス皇太子妃。どえらい美女!
アリックス皇太子妃は、1844年生まれ(殿下の一つ下、姫の三つ上)で、リュクスボー家の長女です。第二子で、長男且つ長子がフレディ王太子に当たります。
アリックス・ダグマール姉妹は、殿下兄弟に負けず劣らずの姉妹仲で、一緒に学び育ち、頻繁にお揃いのお洋服を着て出掛けたりと、非常に仲良しでした。
前述のように、デンマーク王家は三姉妹ですが、一番下のティーラは年が離れていたので、上の二人とはそこまで親しくなかったようで、最も親しい関係だったのは長女・次女のようです。
アリックス王女は、三姉妹の中でも抜きん出て美しいとされ、祖国デンマーク、嫁ぎ先英国問わず人気者でした。一方のダグマール姫は、美貌は姉よりも一段劣るものの、賢く、政治や語学に長けていると評判でした。
1863年、アリックス王女はイギリスの皇太子、バーティことエドワード(後の7世)と結婚します。
↑ 結婚時のお写真。もしかしなくても、花冠はオレンジの花でしょうね……。
バーティ皇太子は、「放蕩王」の名を冠す程の遊びっぷりだったので、結婚生活は幸せなものとはなりませんでした。これほど美人な妻がいて、何を遊ぶことがあります??
今回のお手紙では、「自分の結婚生活は幸せである」という旨を書いているアリックス皇太子妃ですが、それは強がりなのか、新婚のうちはまだマシであったのか、果たして……。
姉妹が二人とも結婚した後も、二人の仲の良さは健在でした。
本人が書いているように、この数日後に二人は再会しますが、その時のことはこの記事の後半にて。
それでは次に、断片的にしか公刊されていないフラグメントを3つご紹介します。
1つ目は、ダグマール姫から、彼女の兄であるギリシア王ゲオルギウス1世(デンマークでの名前はヴィルヘルム)への手紙。
2つ目、3つ目は、殿下から彼の父アレクサンドル2世への手紙です。
それでは、どうぞ!
手紙のフラグメント ⑴
(ダグマール姫から兄ヴィルヘルム宛て)
私が今はもう婚約しているなんて、本当に夢みたい。私が今どれほど幸せかを書き表すなんて、とてもできそうにないわ。
あなたがここにいてくれたら、私の思っていること、感じていることをきっと理解してもらえるのに。ペンではその半分しか表せないから。
神様が私に慈悲を掛けてくださったことにどれほど感謝していることか。今はただ、ニクサに相応しい存在になって、最愛の彼を幸せにする力をどうか私にお与え下さいと祈るばかり。
ああ、もし兄様が彼と知り合っていたら、私が彼の妻なんだって言えることがどれほど至福なことか、わかってもらえるんだけど!!
(中略)
早くまた会いたいな、私のウィリー。長い間離ればなれになるって残酷なことだから。これまで私達、殆どの時間を一緒に過ごしたよね?
ニクサにあなたのことを沢山話したけど、彼はあなたのことを知らないのを残念がっていたわ。
でも、結婚式にはきっと来てくれるよね?
手紙では、私達が何語で話しているのか訊いてくれたよね。残念ながら、フランス語です。
特に難しいのは手紙で、フランス語では自分の想いを他の言語より上手く表現できないと思うの。そう思わない?
(後略)
手紙のフラグメント ⑵
(ニコライ殿下から父アレクサンドル2世宛て)
ダグマールがこんなにも愛らしい人だったとは! 彼女は僕が期待していた以上です。僕たちは二人とも幸せです。激しくキスをして、固く手を握り合い、それからはどれほど簡単に事が進んだことでしょう。僕はこの素晴らしい始まりを神が祝福して下さるように願い、心の底から祈りました。
これは一人の力で成し遂げたものではありません、神は僕たちをお見捨てにならない。
手紙のフラグメント ⑶
(ニコライ殿下から父アレクサンドル2世宛て)
1864年9月24日
(前略)
彼女と急速に親密になり、日を追う毎に彼女への愛が深まり、離れ難いと強く感じます。
無論、僕は彼女の中に自分の幸せを見つけるでしょう。我々が愛しい故郷を愛するように、彼女が新たなる祖国を深く愛し、結びつけて下さいますようにと神に祈ります。
彼女がロシアを知り、実際に訪れれば、彼の地を愛さずにはいられなくなるはずです。
誰だって己の祖国を愛しているでしょう、しかし我々ロシア人は、崇高な宗教的感覚によって祖国と結びついているので、愛は温かく深いのです。そして、これは外国人には見受けられない、我々だけの誇りです。
ロシアがこの故郷愛を失わぬ限り、我々は強く在れるでしょう。
未来の妻に、家庭の幸福や力の源となる、このロシアへの愛を伝えられて、僕は幸運です。
ダグマールが我々の信仰、教会を、心から受け入れてくれたらと願っています。これが喫緊の課題ですが、一言私見を申せば、これは上手くいくでしょう。
解説
お疲れ様でした、短いフラグメントでした。
お姫が……可愛い!!! 何気に、第3回にして、お姫からのお手紙を訳すの初めてですからね。これからはお姫の割合増えますけれども。
確かに、「完成の極致」の妻を名乗れることは、この世に於ける至福の一つかもしれません。尚、神に NTR る模様。
訳し分けが大分難しいのですが、殿下から父宛ての手紙は、ガチガチの敬語とまではいかないまでも、母宛てと比べたらかなり硬いんですよね。今回は結構かっちり敬語にしてみました。
それでは、簡単に解説を2点入れていきます。
ゲオルギウス1世
第1のフラグメントの宛先は、ダグマール姫の兄、デンマーク名ヴィルヘルム王子、ギリシャ名ゲオルギウス1世です。愛称はウィリーのようですね。
婚約はデンマークで行われたので、ダグマール姫の近親で当時一度もコペンハーゲンに訪れることができなかったのは、彼のみでした。
1845年生まれで、サーシャ大公と同い年。アリックス・ダグマール姉妹の間に挟まっている次男です。
年の近いダグマール姫とは、特に仲良し兄妹であったようで、幼少期のものでは愛らしい写真もあったりします。
↑ 妹のお写真にふざけて写り込む兄の図。それにしても、幼女お姫、可愛すぎませんか!? そりゃあ殿下の祖母上も惚れ込みますわ……。
↑ 即位時のヴィルヘルム王子改めゲオルギウス1世。
1863年、姉アリックスがバーティ皇太子に嫁ぐのと殆ど同時に、彼はギリシア王に即位します。
これは、列強間の思惑が強く働いた故の結果でした。
主にギリシアへの利権に絡んでいた強国は、イギリス、ロシア、オスマン帝国、フランスでした。どこぞのクリミア戦争当事国たちだ……。
63年まで、ギリシア王国を統治していたのはバイエルン王家出身のオソン1世でしたが、彼の政治が余りにも杜撰すぎるということで、廃位され、当時のギリシアは荒れていました。
そんな中、列強の協議の結果、ギリシア王として抜擢されたのが、当時若干17歳であったデンマーク王子ヴィルヘルムです。男性版シンデレラ……!
但し、「ギリシア王への抜擢」は人生に幸を約束するものではありませんでした。
ギリシアに対し、特に強い利害関係を持つイギリスとロシアは、それぞれデンマークの王女を帝位継承者の妻としますから、デンマーク王子の抜擢はお互いにとって理に適っており、両国はここで妥結を図りました。
しかし、喜んで娘達を英露の皇太子たちに譲り渡したデンマーク王クリスチャン9世も、次男の即位には渋りました。
何故といって、「無能だから」と前国王を追放したばかりの国です。誇張抜きに、差し迫った命の危険がありました。父にとっては、「息子を生け贄として差し出せ」と言われているように聞こえたことでしょう。
それでも最終的には英露の圧力に負け交渉により、息子の即位に同意します。
こうしてギリシア王となった若きヴィルヘルム王子は、非常に苦労を重ねながら、既にギリシアの統治を開始していたのです。頑張れ……!!
余談ですが、殿下の父アレクサンドル2世は、このギリシア王が望まぬ動きをした時に、「誰がお前をギリシア王にしてやったと思っているんだ!!」とブチ切れ叱りつける手紙を送りつけたりしています。こ、怖すぎる。あなた方が押しつけてきたんでしょうが……。
殿下の史料をひっくり返していると特に思いますけど、アレクサンドル2世って巷では「農奴解放帝!」とかって持ち上げられていますが、すんごいプライド高いし、他人に厳しく自分に甘いダブルスタンダードの幅エグいし、結構性格悪いですよね。殿下は彼が父で、かなり苦労したことだろうと思いますよ。寧ろ、あの父からよくもこんな聖人君子が生まれたものだ。
また、この時、国王を決める国民選挙(!)があったのですが、我らがニコライ殿下はギリシアを治める権利を持たない、と定められていたのにも関わらず、「殿下に統治して欲しい」と、彼の名前を書いたギリシア人もいたようです。勿論それは無効票になってしまいましたが、気持ちはよくわかります。殿下に統治されたいよな……!!!
Родина と Отечество
次に、少しロシア語の話をします。
第3のフラグメントでは、殿下はロシアの話をしています。現在の情勢的に、何とも言い難い感じになってきてしまっておりますが……。
この時、殿下は Родина(ローディナ)と Отечество(アテーチェストヴァ)という語を使い分けています。
これらはどちらも「祖国」と訳すことができますが、微妙にニュアンスに違いがあります。
Родина の方は、どちらかというと「土地」を想起するような単語で、「出身地」「故郷」というようなニュアンスが強いです。一方、Отечество は、どちらかというと「社会」を想起し易い単語で、政治的な意味を含むこともあるようです。
訳文では、Родина を「故郷」、Отечество を「祖国」にしてあるので、これらを踏まえて読むと、何か発見があるかもしれません。
最後に、殿下から彼の母、マリヤ・アレクサンドロヴナ皇后宛ての手紙を一通確認して、お終いとしたいと思います。
手紙 ⑺
フレデンスボー10月8/26日
親愛なる母様、
僕たちを更に幸せにしてくれた、あなたからの手紙に心から感謝します。父様には既に書いたけれど、二人の甘く優しい手紙を受け取ったよ。
ダグマールは既に二人をとても愛しているし、新しい祖国を愛すだろうと保証する。また、彼女が僕らの信仰を理解し、愛すだろうということも。
我が新たな花嫁をマリヤという名前で呼べることがとても嬉しいよ。恋する人をこの名前で呼びたいといつも願ってきたから。
未来の妻には数々の困難が待ち受けているだろうけど、神の助けがあれば乗り越えられると信じている。僕が彼女を愛するように、彼女も僕のことを情熱的に、真摯に愛してくれている。全てがこんな調子だから、なんの障害もない。
ダグマールが根からのロシア人になれるように、母様も手伝ってあげて下さい。これが僕たちの共通の願いです。
美しいフレデンスボーで愛を育み、僕たちはとても幸せです。
毎日一緒にいて、知り合う誰とでも仲良くなり、僕の愛くるしいミニーとどんどん親密になり、それにつれて愛も増してゆく。彼女は心からの愛情と完全な信頼を必要とする、真に価値がある宝物なんだと、ますます確信するようになった。
母様が彼女と出逢う瞬間を、僕がどれ程待ちきれないでいるか。
母様もきっと彼女を好きになるよ。彼女の純粋で、生き生きしていて、信頼できる性格を。彼女の余りに雄弁な、知的で優しい瞳を。
彼女は、デンマークだけではなく世界が誇る小さな真珠だ。
ああ、神が願いを聞き届け、全てを叶えてくれたらたらいいのに。
ではこれで。またね、親愛なる母様。
僕たちは愛情を込めてあなたを抱き締め、沢山の歓びを運んでくれたあなたの手紙に感謝します。
家族に、お祝いの言葉に対する感謝を伝えてね。
アリスも喜んでくれていると思う。
プリンス・オブ・ウェールズのことは、最初に会った時よりは気に入ったよ。彼の妻は大変愛らしく、僕たちは皆旧友のようになった。
さようなら、親愛なる母様。心の中でキスします。
あなたのニクサ
解説
お疲れ様でした! 今回最後のお手紙でした。
先程のフラグメント⑶ にて父にも書いていたように、お母様宛てにも、ダグマール姫にロシアを愛して欲しい、その手伝いをして欲しいと書いていますね。
姫の胸に張った殿下の祖国への愛は、しっかりと根付き、彼の死後まで続き大きく花咲かせるのだから、実に見事なものです。流石すぎる。
一方で、相変わらず神が自分の望みを叶えてくれないことを悟っていらっしゃるのが何とも痛々しい。神よ、そこはなんとかしてくれ。
それでは、また少しだけ解説を入れてお終いにしましょう。
アリス大公女
殿下が最後に言及している「アリス」とは、恐らくはアリス大公女のことだと推測されます。1843年生まれで、殿下や、フレディ王太子と同い年です。
彼女はイギリスの皇女、つまりエドワード皇太子の妹で、ダグマール姫の姉、アリックス皇太子妃の義理の妹でもあります。
1862年に殿下の母の祖国であるヘッセン大公国のルートヴィヒ大公子(後のルートヴィヒ4世)と結婚しています。ルートヴィヒ大公子は、殿下の母の兄の子、つまり殿下にとって従兄にあたるので、アリス大公女も血の繋がらない従姉になります。
↑ ルートヴィヒ大公子夫妻。アリス大公女、目元が兄にそっくりですね……。
興味深いことに、彼女の四女アリックスは、後の皇后アレクサンドラ・フョードロヴナ(ニコライ2世の妻、つまり殿下にとって義理の姪、姫にとっての義理の娘)になります。
ついでに言うと、次女エリーザベトは、殿下の弟のセルゲイ大公に嫁いでいます。尚、セルゲイ大公は同性愛者だったので、兄夫婦のような円満な関係にはならなかったようですが。
や、ややこしい。つまり、殿下にとっても、姫にとっても、血は繋がらないまでも結構近い親戚ということです。
デンマーク王室は元から英国王室とは繋がりが強く、特に姉アリックス皇太子妃の英国入りによりそれが深まっていたので、ダグマール姫とも交流があったようです。
↑ 1863年に撮られたお写真。左がアリス大公女、右がダグマール姫。ボンネット可愛い。
殿下との関係性は不明ですが、ここで言及されているということは、少なくとも面識はあったのでしょう。
ともすると、アリス大公女からしたら、見知った二人の婚約、と映ったのでしょうか。殿下と姫の双方を元から知っている人物は意外と少ないので(彼ら自身だって64年が初対面だった訳ですし)、意外と唯一無二のポジションかもしれませんね。
プリンス・オブ・ウェールズ
最後に、姫の姉夫妻について。
前述の通り、バーティ皇太子とアリックス皇太子妃ですね。
バーティことエドワード皇太子は、1841年生まれで、殿下の2歳年上です。
後にはアレクサンドル3世(サーシャ大公)と同じ「平和構築者」として知られる彼ですが、皇太子時代はヤンチャの限りを尽くしていたようです。
実際、殿下も元から彼とは面識があったようですが、「初対面時よりはマシ」という書きぶりから、相手のことを内心よく思っていなかったことが読み取れます。
殿下は必要とあらば誰にでも愛想良く接することができますが(そうやってよく勘違いさせて拗らせた崇拝者を生んでいる)、根が非常に真面目な人なので、責務を放棄して遊び呆けている皇族や政治家に対しては、心象が悪いことが多いです。
恐らく、同じ理由で、同じ放蕩者のオランダのウィレム王太子とか、イタリアのウンベルト王太子のことは好きではないのでしょうね。しかし殿下は逆に休暇を取った方がよいと思う。
殿下に同行し、彼を溺愛した某法学教授チチェーリンによれば、イギリス皇太子夫妻が来てから、コペンハーゲンの雰囲気がガラリと変わり、すっかり享楽的なムードになってしまった、と嘆いています。
殿下もバーティ皇太子に巻き込まれ、イギリス発祥の謎のゲームに付き合わされていたようです。
殿下を筆頭に、真面目な人の多かったロシア代表団は、この雰囲気にはあまり馴染めなかった模様です。
一方、彼の妻、つまり姫の姉アリックス皇太子妃とは仲良くなれた様子。前掲手紙⑹ の、「少しは私のことも愛して欲しい」という希望が叶えられたようで何よりです。
それにしても、若きイギリスとロシアの皇太子夫妻(後者は婚約ですが)が仲良くしているの、なんか絵面としてとんでもないな……と思いますよね。
余談ですが、姫の兄、フレディ王太子(後のフレゼリク8世)は、バーティ皇太子の妹、ヘレナ皇女に恋していたようです。
↑ ヘレナ皇女。前述のアリス皇女の妹でもあります。
二人の関係自体は良かったようなのですが、結局、彼女の母ヴィクトリア女王の反対に遭って破談したので、フレディ王太子は易々と縁談が調っていく妹たちをどのように感じただろう……と考えてしまいますよね。
殿下とダグマール姫の政略兼恋愛結婚は、非常に稀なケースであるということを思い起こさせるエピソードです。
最後に
通読ありがとうございました! 1万字超えたのでお終いにします。
先日、地下鉄に乗っていたら、隣に座っていた女性が急に意識を失って倒れるという事件に遭遇しました。
実は、個人的にはこのような事件に遭遇するのは二回目で、数年前にも地下鉄内にて、サラリーマン風のおじさまがわたしに撓垂れかかるようにして卒倒したことがあります。
二回目なので、半ば冷静に、「いや、こういう不幸に慣れたくないなあ」「こういう時のために、 AED の講習とか受けておいた方が良いんだろうか? 今度どこで受けられるか探してみるか……」などと考えながら救命活動のお手伝いをしたのですが、いやはや、皆様、健康にはお気を付け下さいね。
その後地下鉄に乗り続けながら、暫くして、「そういえば殿下もフィレンツェ行きの鉄道の中で倒れちゃったんだよな」などと思い出しました。当時は非常停止ボタンも無いですし、側近の皆さんは酷く焦っただろうなあ、と、この時になって何となく心境が理解できたような気がしました。
さて、次回、第4回ですが、当連載は「書簡集」であるものの、暫し脱線して、少しだけ史料を読もうかな、と思います。デンマークの君主秘書官の目から見た若きカップルや、殿下の側近が書き残したちょっとしたエピソードなどをご紹介する予定でおります。列伝で登場した某氏も再登場。
お楽しみに!
それでは今回はここでお開きと致します。また次回お目に掛かれれば幸いです!
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