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「オルデンブルク公爵夫人」の謎と「パスチラ」 - 近代レシピ考証

 おはようございます、茅野です。

世間はお盆休みですが、如何お過ごしでしょうか。東京はここ数日全く天気予報が当たらずなので、皆様折り畳み(というか日傘兼用?)傘の携帯をお忘れ無く。

 

 今回は久々の近代レシピ考証シリーズです!

当シリーズは意外と人気と需要があるようなので、色々やって遊びたいのですが、面白い背景のある、それでいて現代日本で再現可能なレシピを探すのに難航しています。情報が欲しい……。

↑ これまでの近代レシピ考証シリーズ。主に19世紀帝政ロシアに纏わる品です。

 

 今回は、「ロシアとリンゴ」特集。

記事の前半では、「オルデンブルク公爵夫人」という変わった名前の付いたリンゴの品種について考えます。

後半では、「パスチラ」という、少なくとも中世から愛されている伝統的なリンゴのお菓子の再現を試みます。

 

 それでは、お付き合いの程宜しくお願い致します!

 

 

品種「オルデンブルク公爵夫人」

 先月、オペラ『オテロ』を久々に鑑賞しました。この作品の中には、「柳の歌」という有名な歌が登場するので、「柳についてもっと知りたいな……」と思い、『柳の文化誌』という本を借りて読んでみました。

 こちらは「花と木の図書館」というシリーズ本の一つで、このシリーズでは、一冊ずつに分けて色々な植物について扱っています。一冊250~300ページほどで、カラー写真なども沢山載っていて読みやすいので、これを機に植物のリサーチを深めるか、と思い立ち、同シリーズの他の植物に関しての本も読んでみることにしました。

↑ 読書ログはブログではなく、読書メーターで纏めています。ご関心あれば。

 

 そして先日手に取ったのが、『リンゴの文化誌』。

↑ こちらです。このシリーズ、表紙もお洒落なんですよね~。

 

 こちらの書籍の巻末にあるリンゴの品種目録に、なんだか見覚えのある名前が……。引用します。

ダッチェス・オブ・オルデンバーグ(Duchess of Oldenburg)

 ロシア産の品種で1830年代にアメリカに導入され、寒冷気候に耐えリンゴ黒星病への耐性もあるとされる。淡黄色で斑点があり、ピンクがかった赤色の縞模様が入る見栄えのするリンゴで、風味が豊かで調理に向く。

                『リンゴの文化誌』マーシャ・ライス - 258-9p.

オルデンブルク……公爵夫人……だと!?

 

↑ こちらが「オルデンブルク公爵夫人」。確かに美しい。

 

 どうやら、「オルデンブルク公爵夫人」という名前の、ロシア原産のリンゴが存在するらしい……!? これは調べる他ないではないですか!

 

オルデンブルク家

 何故「オルデンブルク家」にそんなに引っ掛かるのかといえば、勿論、個人的な興味範囲と重なるところがあるからです。

 

 オルデンブルク家は、ドイツのオルデンブルクを発祥とする一家ですが、デンマークの王朝を築きました。デンマーク語読みでは、「オレンボー」と発音します。

オレンボー朝は、1448年から1863年まで、400年以上に渡ってデンマークを支配しました。また、領土の拡大や縮小に伴い、ノルウェースウェーデンにまで支配が及ぶこともありました。

 

 また、オルデンブルク/オレンボー家の傍系にも、(悪?)名高い一家が連なっています。

 まず、オレンボー朝を継いだデンマークの王家、リュクスボー家はオレンボー家の傍系です。

 それから、ロシアのロマノフ家にも、近代以降はオルデンブルク家の血が混ざっています。高名な女帝エカテリーナ2世の夫であるピョートル3世は、元々シュレースヴィヒ=ホルシュタイン=ゴットルプ公であり、この一家はオルデンブルク家の傍系だからです。

 また、ロシアに帰化し、ロシア風の名に改めたオリデンブルクスキー家という一族も存在します。

 このように、北欧・特にデンマーク、ドイツ、ロシアの王家に繋がる公爵家が、オルデンブルク家です。

 

 弊ブログでは、個人的な語学学習も兼ねて、近代の文献を読む連載をして遊んでいますが、つい先日完結したシリーズ「婚約を巡る書簡集」(全八回)では、このオルデンブルク家に連なる、リュクスボー家の姫ロマノフ家の皇子の婚約についての史料を扱っていました。リュクスボー家がデンマーク王家となった直後である、1864-6年が舞台です。

デンマークのダウマー・リュクスボー姫と、ロシアのニコライ・アレクサンドロヴィチ・ロマノフ殿下の、童話顔負けの恋物語。誰もが祝福する、若く美しく相思相愛の「完璧なカップル」だったはずが……?

 現実は小説よりも奇なり。

 

エカテリーナ・パーヴロヴナ公妃

 オルデンブルク公爵家について確認したところで、「公爵夫人」とは誰を指すのか考えましょう。恐らく、特定の誰かを指すはずです。

調べてみましょう。

 

 リンゴに関する最も広大なデータベースだという「Pomiferous」というサイトには、以下のような説明があります。

Origins: Originated in the Tula region south of Moscow in Russia during the last half of the 1700s and it quickly spread out across most of Europe.
Named to honour Catherine Pavlovna, the Grand Duchess of Oldenburg as well as being the sister of Tzar Alexander and the granddaughter of Catherine the Great.

起源:起源は、1700年代後半のロシアのモスクワの南方にあるトゥーラ県であり、ヨーロッパの大半に急速に広まった。
皇帝アレクサンドル(1世)の妹で、エカテリーナ(2世)大帝の孫である、オルデンブルク公妃エカテリーナ・パーヴロヴナに敬意を表して命名された。

                   Duchess of Oldenburg - Pomiferous

 曰く、エカテリーナ・パーヴロヴナ公妃がその名の由来であるといいます。

 

↑ エカテリーナ・パーヴロヴナ公妃(1788-1819)。

 アレクサンドル1世の妹ということは、ニコライ1世の姉になります。弊ブログの読者にわかりやすく言うと、殿下の祖父の姉(大伯母)です。

 皇帝アレクサンドル1世が特に愛した妹として知られています。

 

 彼女はロシア大公女として産まれ、結婚に関しては紆余曲折の末、オルデンブルク公子ゲオルクに嫁ぎます。多数の求婚者の中から、大公女自身に選ばれたのが彼で超豪華リアル乙女ゲーム、夫婦仲は極めて良かったようです。

ゲオルク公子は次男で、オルデンブルク公国の公太子はなかったので、妻の祖国ロシアへと渡り、名を「オリデンブルクスキー」と改めます。とても聞き覚えのある苗字ですねえ……。

 

 彼らの間には二人の息子が産まれています。

 長男はアレクサンドル・ゲオルギエヴィチですが、どうやら19歳で早逝しているようです(情報少なく詳細不明)。

 次男がピョートル・ゲオルギエヴィチ。作曲家でもあり、バレエ『海賊』の音楽の一部なども担当しています。この件に関しても一筆やりたいなと思いつつ。

お名前でおわかりかと思いますが、彼こそが「限界世代」でお馴染み(?)、オリデンブルクスキー家ペトローヴィチ世代の父です。

↑ 通称「限界世代」とは:我らが殿下ことニコライ・アレクサンドロヴィチ皇太子に恋い焦がれすぎておかしくなった、殿下と同年代の世代のこと。長男は、気を失って倒れた殿下が寝かされていた寝室に不法侵入、次男は殿下に真剣に恋していた従妹と結婚、三女は彼の死に耐えきれず後追い自殺など、色々狂っている。こちらの記事は三女編。

 つまり、エカテリーナ・パーヴロヴナ大公女は、殿下の大伯母であるだけではなく、オリデンブルクスキー家ペトローヴィチ世代の祖母なのですね。殿下とペトローヴィチ世代は再従兄弟(はとこ)の関係にあたります。

 

 尚、初代オリデンブルクスキー大公ゲオルクは、チフスで30歳にもならずして急逝。次男ピョートルが産まれた直後だったといいます。

最愛の夫にあまりに早く先立たれた妻エカテリーナ・パーヴロヴナは、一時は文字通り発狂せんばかりだったそうですが、後にヴュルテンベルク王ヴィルヘルムと再婚します(ちなみに彼は最初の結婚時に沢山いた求婚者王子たちの一人でもあったそうな。二回目の正直)。

 

 ヴィルヘルム1世との間には二女儲けていますが、このうち次女ゾフィーオランダ王妃となります。そして彼女は、あの悪名高き「レモン王子(ウィレム王太子)」の母となるのです。

ということは、異父ではありますが、「レモン王子」はペトローヴィチ世代とは従兄弟で、殿下とも再従兄弟ということになるんですね。今回調べて初めて気が付きました……。

王家の家系図、複雑怪奇なり。

 

 さて、リンゴの名の由来はエカテリーナ・パーヴロヴナ公妃ということで、これで一見落着、めでたしめでたし……かと思いきや! もう少しだけ謎は続きます。

 

名前を巡る謎

 このリンゴは、「オルデンブルク公爵夫人」だけではなく、地域によって様々な名前で呼ばれています。

この名前で呼ばれたのは、意外にも輸出先のアメリが主であったようです。

 

 そもそも、先程引用した説明にもあるように、ロシアでは18世紀から食されていたリンゴです。この頃まだ公妃は産まれていないか、産まれていてもごく幼少のはず。従って、原産国でこの名前になるには、時期が合わないのです。

 

 ではロシアではなんと呼ばれているかというと、「ボロヴィンカ(Боровинка)」です。恐らくは「高燥地の~(боровой)」という形容詞から来ていると考えられます。全然違うじゃん!

 

 また、非常に紛らわしいことに、「ボロヴィンカ」は、ロシア語と同じキリル文字を用いるブルガリア語では、ブルーベリーを指すらしいのです。

事実、画像検索をすると、リンゴではなくブルーベリーが一面に出てきます(ロシア語では、「リンゴの」という形容詞をつけるようにサジェストされます)。

↑ ものの見事にブルーベリー。

 

 詳細は不明ですが、このリンゴを持ってアメリカに渡ったロシア人が、エカテリーナ・パーヴロヴナ大公女推しだったのでしょう。

「このリンゴこそ公妃に相応しい!」と考えたのかもしれませんね。

 

 尚、この「オルデンブルク公爵夫人」、或いは「ボロヴィンカ」は、優れた品種で、現在でも交配元として採用されることが多いようです。"彼女" を親に、現在でも世界的に愛される伝説的な品種が生み出されています。本物の孫もなんとかしてくれ

 それなら是非とも食してみたい! ……のですが、勿論日本では全く入手不可。ロシアか、少なくともアメリカに行くしかありません(前者の方が入手は容易)。現在は情勢の変化から、そのハードルがかなり高いので、暫くお預けになりそうです。

 

「パスチラ」 - レシピ

 この記事の後半は、間違いなく「オルデンブルク公爵夫人」食レポが相応しいのですが、前述のようにそれは難しいので、今回は別のロシアのリンゴ菓子を作ってみようと思います。

 

 以前書いた「ホット・チョコレート」の記事で、皇帝アレクサンドル3世が「パスチラ」というお菓子が好きだった、という話を書いているのですが、今回はそちらに挑戦してみようと思います。

 パスチラは非常に伝統的なロシアのリンゴ菓子です。製作に恐ろしく時間が掛かるので、今まで試していなかったのですが、良い機会なのでやってみましょう。

 

 パスチラは、記録が残っている限りでは中世から食されており、今でも愛されている素朴なお菓子です。農民から皇帝まで、あらゆる階層に人気がありました。

 現在では、「コロムナ風」と「ベリョフ風」という二種類が食卓に上がります。材料は全く同じですが、食感が異なり、コロムナ風は薄べったく、ベリョフ風は弾力があるようです。

 

 歴史あるお料理ですが、このシリーズは「近代レシピ考証」なので、19世紀のレシピを見てみましょう。

毎度お馴染み、エレーナ・モロホヴェーツ女史の『若き主婦への贈り物(Подарок Молодым Хозяйкам)』です。どうぞ。

Постила яблочная.

リンゴのパスチラ
Взять кислых антоновских или лимонных яблок, испечь на железном листе, протереть сквозь сито; смерить, сколько стаканов, потом мешать в каменной чашке, пока масса не побелеет.
На 2 стакана яблочной массы взять 1 стакан меда, растереть его также добела и тогда смешать вместе и то и другое и опять мешать, пока масса сделается белой и рыхлой.
Тогда разлить в бумажные формы, в три пальца вышиной, и разложить их на железный лист, посыпанный отрубями, вставить в летнюю печь на несколько часов, чтобы высохли, потом вынуть из печи, снять бумагу, уложить в банку.
Или сложить два или три пласта один на другой, смазывая медом, вставить опять в печь, чтобы подсохли.

 酸っぱいアントノフカか黄色いリンゴを鉄板で焼き、摺り下ろして篩に掛ける。量を量り、石の器で白くなるまで掻き混ぜる。
2カップのリンゴに対し、1カップのハチミツを取り、これも白くなるまで擦り潰し、これらを合わせ、再び白く柔らかくなるまで混ぜる。できあがったら、指三本分の高さの紙の型に移し、鉄板の上に広げて、ふすまを振り掛け、夏用の窯に数時間入れて乾燥させる。
窯から出し、紙を取って、瓶にしまう。或いは、二層か三層に重ね、ハチミツを塗り、オーブンに入れて乾燥させる。

  "Подарок Молодым Хозяйкам"(1861 г.), Елена Молоховец - 649-50p. (拙訳)

 リンゴとハチミツだけの、素朴さ溢れるお菓子であることがわかります。

これでできるのがコロムナ風なのかベリョフ風なのかもわかりませんが……、作れば自ずとわかることでしょう!(脳筋)。

 

 「アントノフカ」とは、こちらもロシアで愛される酸味の強いリンゴのこと。イギリスやロシアなど、リンゴがお料理で使われることが多い文化圏だと、レシピできっちり品種の指定までされていることが多いようです。

 

 尚、改訂版の1901年のレシピでは、甘味料はハチミツではなく、砂糖と卵白に変更されています。19世紀からは、裕福な家庭を中心に、ハチミツではなくお砂糖を使うことも増えたことを反映してのようです。

ちなみに砂糖はリンゴ2カップにつき1カップ、卵白はリンゴ2カップにつき2-3個とのことです。

 

 それでは、実際にやってみましょう!

 

現代風・再現レシピ

 1861年版のレシピを殆どそのまま踏襲します。工程は簡単ですが、かなり時間が掛かります、所要時間は4時間以上

1. 用意するもの

・リンゴ - 2個

・ハチミツ又は砂糖 - 50gくらい

(・卵白 - 1個)

↑ なんて簡素なんだ。

 

 真夏ゆえ、リンゴは季節外れ! こんな季節にやるなという話ですが、すみません、「思い立ったら即行動」が信条の脳筋でして……。

 紅玉などの酸っぱい品種を使おうかと思っていましたが、お取り扱いがなかったので、今回は「黄色いリンゴ」という指定から王林です。

 

 お砂糖の方が甘味がダイレクトに伝わり、洗練された味わいになるということでしたが、今回は伝統的なハチミツで挑戦します。ハチミツだと「味がぼやける」という意見もありますので、お好みで選択してください。

 

2. リンゴを焼く

 リンゴを8等分程度に切って芯を外し、クッキングシートを引いた天板に並べ、180度に余熱したオーブンで約40分焼きます。竹串がすんなり通り、柔らかくなっていることが目安です。

↑ 一切れ摘まみ食い。美味しーい。このまま生で全部食べたい。

 

↑ 40分後、焼き林檎になりました。

 キッチンを漂う甘酸っぱい香り。焼いた後のリンゴは、表側は乾燥してパリパリしていますが、反対側はぐっしょり湿っています。

 

3. リンゴフォームの用意

 焼いたリンゴの皮をスプーンで剥がして、身だけを取り出し、濾し器を使って濾します。

このリンゴピューレの量を量り、その半分の量のハチミツ又は砂糖を用意します。

ハチミツ又は砂糖、卵白を少しずつ入れながら、ハンドミキサーで白くもったりするまで混ぜます。

↑ 濾した後のもの。大分量が少なくなりました。

 今回は、リンゴの量が約100gになったので、ハチミツは50g用意しました。後になって、王林は甘みの強い品種なので、もう少し減らしても良かったかも……と思いましたが後の祭り。リンゴの品種によって甘味料の量は微調整して下さい。

 

 卵白を入れると膨らみが安定するとのことだったので、今回は入れてみました。元祖レシピにはないので、入れないバージョンとの見た目や味の比較も気になります。

 卵白を入れる前のリンゴフォームを少し取り分けておくと、できあがったパスチラに塗る生クリーム代わりとして使えるので、少し残しておくのもお勧めです。

 

↑ 先程のリンゴピューレがこうなるとは! 魔法みたい。

 ロシアの先駆者曰く、混ぜると大きく膨らむ為、ボウルは大きめ推奨とのこと。最大4倍くらいに膨らむそうですので、そのつもりでご用意下さい。

 

 ハンドミキサーで5分程度混ぜていると、こちらの画像くらいになります。ほんとうは15分くらいやると良いそうです。更に白くもったりし、所謂「ツノが立つ」状態にまでなります。不思議!

正に生クリームのような見た目で、写真では見分けが付かないのでは? という程。但し、匂いは凄くハチミツです。

 なるべく高速で長く混ぜると、泡がきめ細やかになり、更に膨らんで、美味しいそうです。筋肉との戦いです。

 

4. 焼成

 クッキングシートを敷いた天板の上に、できあがったリンゴフォームを置き、高さ1cm程度の厚さになるように薄く伸ばします。

70-100度のオーブンで、3-5時間程度じっくり焼き上げて、乾燥させます。

↑ 綺麗に伸ばすのが難しい!(不器用人間)。

 

 我が家のオーブンでは100度以下に設定できなかったので、100度で3時間加熱することにしました。

 焼き上がると、ほんのりきつね色に色づきます。

↑ 3時間後の姿。焼いている間にこの記事を書いていました。右端のボロボロしている所は、1時間半が経過した時に竹串でつついてみた跡なので、気にしないで下さい。

 

 これは窯や暖炉があるご家庭御用達レシピだな……と改めて認識しました。現代でオーブンでやるお料理ではない。なるほど、「ロシアの伝統菓子」になるわけだ……。

 

 1cmの厚さといいつつ、最終的に5mmくらいになっていました。

「焼く」というよりは「乾燥させる」のが目的なので、クッキングシートから綺麗に剥がれるくらいが目安です。

 

5. 完成

 クッキングシートから剥がし、同じサイズに切り分けたら、完成です。

ケーキのように重ねる場合は、層の間に取り分けておいたリンゴフォームやハチミツを塗ったり、粉砂糖をまぶすと見栄えがします。

↑ 取り敢えず素組み(?)の状態。ちゃんとケーキ型になって一安心。

 

Приятного аппетита!

 

食レポ

 軽い食感のお菓子です。さくっ、ふわっ、という感じ。

これはお子様でも食べやすそうだな~! という匂いと甘さ。流石の黄金の組み合わせ、リンゴ×ハチミツです。伝統が生き残るのにも頷けます。

 

 今回は王林という甘いリンゴを使ったこともあってか、甘みがしっかりあります。リンゴが主体ですが、ほんのりリンゴの風味がするかな……? 程度で、驚きました。品種や量を変えたらもっとガッツリとリンゴ味になりそうです。

 また、今回はハチミツを使用しているので、焼いている間からずっと芳醇なハチミツの香りがしていました。お砂糖だと大分味が変わりそうな気がします。

 

 シンプルである分、材料の比率によっても変化が大きそうな感じがしますね。リンゴを増やすと更にしっとり食感に、卵白を増やすともっとふわふわ食感になりそうです。

 今回作成したものは、かなり薄く、比較的パリッとしたような硬めの仕上がりなので、コロムナ風ということになるでしょうか。マシュマロのような食感だという、ベリョフ風も気になる!

 初めてだったので、取り敢えずレシピ通りにやってみましたが、慣れたら色々配分を変えても面白そうです。自分好みの味や硬さにできそう。試行錯誤の経験が必要そうですが……。

 

 この品種・分量だと、かなりの甘さを感じますが、普通に美味です。誰でも食べやすいと思います。

材料はほぼリンゴとハチミツだけであるにも関わらず、調理法が未知すぎて、正直味の想像がつきませんでしたが、まずハチミツの甘さが来て、最後にリンゴの香りが鼻を抜けます。リンゴが苦手な人でも食べやすいかもしれません。

 食感が不思議で、一枚一枚は脆いお煎餅のような仕上がりですが、舌でしゅわっと溶けます。新感覚。意外と、綿飴が近いかもしれません。

 

 作るのに時間が掛かりますが、必要な材料も少なく、工程もとっても簡単です。このレシピだとお砂糖を使わないので、健康的でもあります。

また、保存食として作られていたことからもわかるように、非常に日持ちするようです。

 お時間があるときに試してみては如何でしょうか。

 

最後に

 通読ありがとうございました! 9500字。

 

 「オルデンブルク公爵夫人」についてリサーチしていたら、ついつい楽しくなってしまい、一気に書き上げてしまいました。やる気があるときにやるのが一番ですからね。

 

 実際のオルデンブルク(オレンボー)家、または繋がりのあるオリデンブルクスキー家、リュクスボー家、ロマノフ家の人々も「オルデンブルク公爵夫人」あらため「ボロヴィンカ」を食すことはあったのでしょうか。そもそも、アメリカではこのリンゴが彼女の名で呼ばれていたことを知っていたのかどうだか?

 日本では入手不可とはいえ、現在でも同じ品種が愛され、また交配の元となっている事実は、歴史の愛好家としては喜ばしいことです。いつか絶対試してみたいですね。

 

 また面白い一品があれば、再現を試みて遊びたいと思います。情報提供もお待ちしております。食レポも歓迎です。

 

 それでは、今回はこちらでお開きとします。また次の記事でお目に掛かれれば幸いです!