こんばんは、茅野です。
東京は猛暑と涼しい日を行ったり来たり。四月にも関わらず、まさかの冷房を解禁しました。冷暖房無しに過ごせる期間、余りにも短すぎませんか?
さて、今回は現在連載中の「婚約を巡る書簡集」の第2回となります。
我らが殿下こと、ロシア帝国皇太子ニコライ・アレクサンドロヴィチ殿下と、デンマーク王女ダグマール姫の婚約に纏わる手紙を読んでいくシリーズです。
↑ 第1回はこちらから!
当連載ですが、前半は殿下からのお手紙が多く、後半は姫からのお手紙が多くなっています。これは何故かと言うと、公刊の有無ではなく、実際に手紙の量が殿下は64年秋に多く、姫は65年冬に多くなっているからです。
殿下はロマノフ家としては一人でデンマークに赴いているので、手紙で家族に出来事を報告する義務が発生し、64年秋は長い手紙を多く認めています。一方、姫は家族の殆どが側にいて、一部始終を実際に自分の目で見届けているため、報告する対象が少ないのです。
では後半はどうかと言うと、時が経つにつれ殿下の体調は悪化の一途を辿り、愛する人々へ手紙を書くことすら難しくなってきてしまいます。従って彼からの手紙は減り、相対的に姫の手紙が多くなっていくのです。
そんな訳で、第2回目となる今回は、殿下から彼の母マリヤ・アレクサンドロヴナ皇后と、弟アレクサンドル大公に宛てた手紙の2通を確認します。殿下自身が、プロポーズした時の状況や心境について書き綴っているものです。
連載では、基本的に時系列順に並べていますが、今回は次回扱うものよりも後のものを取り上げます。と申しますのも、こちらの書簡では、殿下自身がプロポーズした様子について纏めているので、先にこちらを読んだ方が理解が深まると考え、先に配置しました。
今回はですね、「甘い」です。糖分マシマシです。しかし、公爵の怪文書とは異なり、胃もたれするような甘さでは無いので、心地よく楽しんで頂けるものと思っています。文句なしの愛らしさ。
この連載をご覧の方は、大方この恋物語の結末をご承知のことと思います。誠に残念ながら、こんなに愛らしいというのに、バッドエンドの宿命からは逃れられません。
しかしですね、当連載の前半は、特に今回は、結末のことなど一度忘れ、是非ともこの幸福な内容を心から楽しんで欲しいと思っています。今のうちに謳歌しておかないと、後は曇っていく一方ですので……。未来は忘れ、1864年秋を味わって下さい。
それでは、お付き合いの程、宜しくお願い致します!
手紙 ⑶
ベルンストルフ
1864年9月19日/10月1日
親愛なる母様
素晴らしい手紙に心から感謝します。短かったけれど、他のどんな長いものよりも嬉しかった。
それから、愛しい小さなフィアンセを母様がそう呼んだように、僕のマリヤへの心を揺さぶる手紙にも、それ以上に感謝を。
僕にとって歓びの日々で、こんなにも物事が速く進むだなんて、未だに信じられないよ。
まだ頭がくらくらしているくらいだけど、何が起こったのかの詳細を話そう。
まるで旧友にでも接するかのように、僕は物凄く親切に受け入れて貰って、直ぐに家にいるかのような気分になった。
ダグマールは僕にとても優しく接してくれた。だが、最も重要なのは、僕の愛を彼女が受け入れてくれるかどうかだった。
事前に母様が賛同してくれたように、先に彼女の父に率直に全てを打ち明けた。この会話から、早急に行動に移せると判断し、二日後にダグマールに告白しようと考えた。
だけど、事態は更に好転した。次の日、彼女の父は、僕のこと、僕の二回目の訪問の理由、僕の意図について仄めかし、彼女に僕に対する返事ができるかどうかを尋ねた。
彼女が「既に答えは決まっている」と言ったので、最初の散歩中にもう話してしまおうと決断した。
あの瞬間を忘れることなんてできない!
僕に勇気があってよかったと思わない? 僕と彼女のどちらがより取り乱していたか、わからないくらいだった。
彼女の父、母、兄が前を行き、僕らはその後を少し遅れて付いていった。
もう大地に呑み込まれてしまいたいと思った。
少しずつ、僕は自分の罪を告白した。僕は遠回しに「愛している」と言おうと言葉を重ねていたんだけれど、ダグマールははっきりと理解してくれた。
彼女からの心からの同意を貰い、キスして、握手した。
彼女の両親は立ち止まり、僕らは皆殆ど黙ったまま抱き合った。僕は感極まってしまって口を利くことができなかった。秋の寒い日だったにも関わらず、窯の中にいるかのようだった。
それは素晴らしい瞬間で、絶対に忘れない。
皆が喜んでいて、僕たちは家に帰った。
僕は真っ直ぐ自分の部屋に走って行って、リヒテルと抱き合い、そのまま母様に電報を打った。凡そ5時だった(その時刻も忘れられない)。
6時、晩餐に集まった。ダグマールは桃色のドレスを着ていた。
彼女に蹄鉄型のメダイヨンをあげたら、彼女はそれをすぐに自分の首に掛けた。それが最初のプレゼントだった。
晩餐では、隣同士の席に座ることができた。それが僕ら二人にとって、どれ程嬉しかったことか!
晩餐の時、初めて僕ら二人の健康が乾杯の言葉になった。晩餐の後、僕らは祝福された。
夜、僕たちは皇太后の所へ出掛け、彼女の親戚たちから祝福と抱擁を受けた。
翌朝、いつものように朝9時のティータイムに集まり、僕はダグマールに三連の真珠のブレスレットをプレゼントした。
そこでダグマールは彼女の母の意向もあって、母様に手紙を書いたんだよ。バリャティンスキーが急いで送ってくれた。
昨日は、母娘と共にコペンハーゲンに行って、我が未来の花嫁が生まれ育った家を初めて見た。
トーヴァルセンの使徒像のある有名な教会を見学すると、帰る頃には大分遅くなってしまっていた。
晩餐も夜も予定通りに進んだが、もうそれらについて事細かに書く必要はないだろう。もっと重要なことについて話した方がいい。
ダグマールとの対話を重ね、彼女を知れば知るほど、彼女を介して幸せを見つけることができると確信できるようになった。
僕たちは身近なもの、心を満たすものについて、率直に話し合うようになった。
勿論、僕が三年間も彼女に想いを寄せていたことも伝えたし、その間に収集していた主な写真も見せた。
すると彼女は、自分も同じように僕のことを想っていて、僕が来ることを特別な感情を抱いて待っていた、と告白した。僕はどれ程驚いたことか。
彼女は写真集を興味深そうに見ていたけれど、最後のページに達した途端顔を赤らめた。僕も写っていたからだ。
会話から、彼女の母も父も僕について語ったことはなく、外的な影響も、準備も為されていないとわかった。その発見は僕にとってはとても大切で、この会話、告白、新事実は宝物になった。
僕たちは連絡も無しに愛し合っていて、初対面を果たした時には既に、全ての準備ができていた、ということが判明したわけだ。
昨日、彼女は僕にこう言った。「
誰がこのことを叶えてくれたのかを考え、心から、温かく感謝を捧げないなんて、とんでもないことだ!
最初に僕がしたことは、感謝し、心から祈ることだった。
二つ目にしたことは、あなたの祝福を思い出すことだった。それなしには幸福なんて有り得ないのだから。
母様を忘れたことはないよ。あなたの為に祈り、神があなたの結婚を祝福したように、僕たちのことも祝福して下さいとお願いしました。
僕はこの幸福には値しないということは自分でもわかっている、それでもこの気持ちこそが、唯一本当の幸福を授けることができる神に尽くそうという気持ちを抱かせてくれるんだ。
二人のことを沢山話したよ。僕が恋人を得たことでどれ程喜んでいるか、どのように彼女を迎え入れるか、どれ程彼女に会うことを待ちきれないでいるか。
彼女は母様の手紙と、父様が彼女の父に宛てて書いた手紙に深く感動していた。
僕に同行してくれたメンバーは皆喜んでくれている。彼らが真摯な関心を持ってくれたことに、僕は心を動かされた。母様も彼らの反応を見てみるべきだ。
ダグマールも彼らの関心に感動していた。そしてそのことから、既に未来の国民を愛し始めている。
デンマーク人たちもとても喜んでいる。勿論、この縁談には政治的な要因も多分にある。しかし、闇雲に希望を与えるようなことはしないよ。僕は用心深いから。ゴルチャコフが僕のことを「外交官」と評するのも、訳の無い話ではないんだ。
残された数日間を使って、より仲を深めようと思っている。
僕らはプリンス・オブ・ウェールズとその妻が、スウェーデンから到着するのを待っている。彼女の家族はとても温かく、特に王妃の父と姉はよく励ましてくれる。
もうそろそろ書くのをやめないと。
サーシャがとても恋しいよ。彼がここにいてくれたらいいのにな。
早めに返事を下さい。
心からあなたを抱き締めます、本当にありがとう、親愛なる母様。僕の代わりに、父様たちにキスしてあげて。
僕たちの一行は敬意を以てあなたに頭を下げ、あなたを祝福しています。
あなたのニクサ
手紙 ⑷
1864年11月
親愛なるサーシャ、
(前略)
プロポーズが上手くいくという自信もないままデンマークに戻ったことは、君も知っての通りだ。
僕は非常に歓迎され、ダグマールはまるで長年の親友のように接してくれて、僕は動揺した……。
二日目の朝、国王が僕の二回目の訪問の目的を話そうか、それとも自分で話したいか、と訊いてくれた。僕は後者を選び、「あなたの許可があれば自分からダグマールに話します」と答えた。
そこで、王妃と彼女が庭園に出てきて、僕たちは皆で歩き始めた……。
いつの間にか僕と彼女は隣を歩くようになっていた。彼女の父、母、兄が前を行き、僕らはその後を少し遅れて付いていった。
自分など大地に呑み込まれてしまえばいいと思った。以前訪れたときは寒く感じたのに、今では夏のように身体が火照っていた。
少しずつ僕は話し始めた。最初は酷く遠回しに、次第に明確になるように、そして終いには、魂に秘めていたことを洗い浚い打ち明けた。
その時のダグマールはどうだったか? 最初の方はシーツのように蒼白になって、重ね合わせられた唇の上で言葉が固まってしまったようだった。
僕が臆病な最後の言葉を発し終えると、彼女は顔を赤らめ、僕の方に向き直り、僕の腕を掴んで自らの方に引き寄せると、―――これが僕たちの最初のキスだった。
触れた彼女の頬は熱を持っていて、瞳は彼女の気持ちを代弁していた。
僕たちは二人とも、なんだか肩の荷が下りたような、幸せな気持ちになった。
この時から、僕たちは恥ずかしげも無く、互いに愛し合っていると自信を持って言えるようになった。
同行してくれていた残りのメンバーにこの朗報を伝え、彼らと合流した。皆で抱き合い、僕は直ぐに心からの感謝を神に捧げ、この門出を祝福してくださるように神に祈った。
狂ったように階段を駆け上がって自分の部屋に向かい、叫ぶようにリヒテルを呼んで、しっかりと抱き合い、キスした。
(後略)
解説
お疲れ様でした! 殿下本人の筆からなるプロポーズの様子について、二通連続でお送りしました。
か……可愛すぎません?? 心から末永く幸せになって欲しい(半ば禁句)。
お母様宛ての手紙では比較的淡々と語られていますが、弟サーシャ大公宛の手紙では殊更情熱的に記されているのが良いですね。
それにしてもお姫よ、プロポーズの返事の代わりに、4歳年上、身長約20cm差の男性を引き寄せ唇を奪っていくのは、余りにも漢前すぎませんか!? これは殿下でなくとも惚れてしまう……。
↑ 身長差。同時代人曰く、「殿下の耳の下辺りに姫の頭が来る」とのことですが、かなり正確な描写であったことがわかりますね。
会う前から相思相愛ってなんなんですかねこのカップル。しかも現実で出逢っても幻滅しないという。ディズニー映画の方の『眠りの森の美女』の『Once Upon a Dream』で聴いたそれ……。「夢の中で会ったから初対面ではない」というガバロジ理屈が通用するのって童話の中だけじゃなかったんですか?!
↑ この間友人と開催した「ディズニー・プリンセス映画マラソン」で初めてちゃんと観ました。普通に音楽がチャイコフスキーでびっくりした。流石ロシアのワルツ王だ。
『眠り』はハッピーエンドで羨ましい。殿下も百年の眠りってことにならないんですかね(※今年は没後158年です)。いずれにせよ、相変わらずヒロイン枠だった……。
それより、個人的には勿論、我らが『エヴゲーニー・オネーギン』の「手紙の場」を想起しましたけれどね。音楽は同じチャイコフスキーなのですが。ロマンスに強い偉大な作曲家すぎる。
ヒロインのターニャが主人公に一目惚れし、一気にラブレターを書くシーンですが、姫と丸っきり同じことを言っています。
Другой! Нет, никому на свете
Не отдала бы сердца я!
То в вышнем суждено совете,
То воля неба: я твоя! <...>他の人! いいえ、この世界にそんな人はいません
心を捧げたりなんてしません!
それは神の判断、
天の意志なのです、私があなたのものなのは!(中略)Ты в сновиденьях мне являлся,
Незримый, ты уж был мне мил,
Твой чудный взгляд меня томил,
В душе твой голос раздавался. <...>
И в мыслях молвила: вот он!
Вот он!あなたは私の夢の中に現れて、
未だ会わぬうちから私の大切な人でした、
あなたの素敵な眼差しが私を悩ませ、
魂にはあなたの声が響いていました。(中略)
そして思ったの、彼だわ!
彼なんだわ!
何回読んでもかなり凄いことを言っている。16歳の女の子が書いたと思えば可愛いとも思えますが、冷静に読んでみると実は割となかなかの怪文書。
そういえば、お姫もこの時16歳なのですよね。16歳の女の子ってみんなこんな感じなんでしょうか。
そう遠くない昔にわたくしも一丁前に16歳の乙女をやっていたはずなのですが、……いや待て、わたしが16の時は丁度『オネーギン』を知り、盛大に狂っていたな……。じゃあ、16歳の乙女はみんなこんな感じかもしれません!(サンプルの偏り)。
お姫との初めてのキスには紆余曲折あるのに、側近のリヒテルとは速攻でしていて、ちょっと笑いました。
勿論、これはフランス語でいう embrasser(恋愛的な意味の強い、唇を合わせる行為)と baiser(友愛的な意味の強い、どちらかと言うと頬を合わせるような行為)であって、差があるとは思いますが、ロシア語ではどちらも целовать 或いは поцеловать と表現するので、表現上は同じなんですよね……。
日本語でも、単語としては、カタカナ語の「キス」か、唇のニュアンスが強い「接吻」「口付け」くらいしかないので、訳し分けは難しいです。
流石「愛を囁く言語」ことフランス語、愛に関する語彙が豊富!
それでは、簡単に解説を入れて参ります!
ベルンストルフ城
殿下がダグマール姫に求婚したのが、ベルンストルフ城の庭園です。
↑ 1865年(!)に描かれたベルンストルフ城。
↑ 現在のベルンストルフ城。2023年11月筆者撮影。
ロシアの、街そのものとか島そのものが宮殿!! みたいな狂った城ばかり見ていると、デンマークのお城は随分こじんまりして見えます。感覚が狂わされている……。床下から死体出てくるし……。
↑ サムネからして規模が違う。しかし、結局彼女は何者だったのか? ホラー回です。
ベルンストルフ城は、殿下からのプロポーズを受けた場所として、彼女にとって生涯思い出深い場所となりました。
ちなみに、殿下がプロポーズしたのは、姫の家族と共に散歩の最中であったことが記されていますが、より具体的に言うと、バラ園の散策中であったとか。
バラには数え切れないほどの品種がありますが、ベルンストルフ城の庭園に植わっていた品種のひとつの名前は、なんとその名も「デンマークの女王( Dronning af Danmark)」( Drounning は王妃、王女とも訳せますので、姫のことを指すこともできます)。
↑ 花弁が多く、豪華な感じからこの名が付いたとか。確かに。
後に、姫は殿下から求婚された場所に、記念として手ずから植樹をしたそうです。それを示すプレートとか残っていれば、聖地巡礼の際に有難いのですが……。
従って、ダグマール姫にとって、殿下との恋を強く想起させる匂いはバラなのだそうです。よ、良すぎる。王道、だがそれがよい。何しろ絵に書いたような麗しのリアル若き王子様・お姫様なんだもの、それはもうガッチリと王道で固めたら宜しい……。
お姫様への贈り物
婚約が成立すると、早速恋人に対して貢ぎ物攻撃を開始する殿下。プレゼントの品を少し見て参りましょう。
このお写真に写っている姫の身に付けているアクセサリー、つまりネックレスとブレスレットは、全て殿下並びにその両親から送られたものです。
↑ 幼い印象を受ける髪飾りのリボンとのアンバランス感はありますが、それもデンマーク時代のみのこと。
真珠の五連のネックレスに、同じく真珠の三連のブレスレットをしています。後者は手紙にも出てきますね。
婚約時に皇帝から姫に贈られたネックレスですが、例によって現代のレートで計算してみたところ、なんとですね、約25億円相当という数字が出ました……。……は?
桁を間違えてるのかと思いましたが、恐らく合っているはずです。……は??
これが……これが当時世界一の富豪ロマノフ家……、慶事とあらばポンと25億……。
というか、あの化け物じみた非凡な才能を有す我らが殿下が、世界一の富豪一家の跡取りでもあるという事実にも驚いてしまいます。改めて思うけど、設定盛りすぎなのでは。
ちなみに、このお手紙には出てきませんが、婚約の指輪は順当にダイヤモンドらしいです。
↑ 婚約時のツーショット。良すぎる。
二人とも左手の薬指に指輪を嵌めていることがわかります。手のサイズの差……。
殿下と姫は、デンマークで婚約したからなのか、指輪を左手に嵌めていますよね。ロシアでは、婚約・結婚指輪は右手の薬指に付ける風習があるので、殿下の方がデンマークの風習に合わせていることがわかります。
事実、姫が某大公と結婚し、ロシアに渡ると、右手に指輪を嵌めますが、それはまた別の物語。
黄の館
母娘とコペンハーゲン一日観光に出掛けた殿下。訪れたと明記されている二箇所を確認します。
ダグマール姫の生家は、通称「黄の館( Det Gule Palæ )」と呼ばれています。
↑ 実際、黄色い。2023年11月筆者撮影。
王位に就くまでは特に、リュクスボー家は王族とは思えないほど貧しかったので、かなり簡素な作りのお屋敷です。
殿下自身の感想が書かれていないのが勿体ないですね。自分の生まれ育った悪趣味なまでのキンキラ大御殿と、無意識に比較したりしたでしょうか。殿下の部屋自体は(ド派手なロシア皇族にしては)質素な方ではありますが……。
ダグマール姫の属すリュクスボー家は、1863年に父クリスチャン9世が即位して発足しました。実はクリスチャン9世が初代なのですね。
それまではオレンボー家という一家がデンマークを統治していました。リュクスボー家はこのオレンボー家の傍系で、ダグマール姫ら一家は本来、王位継承をする運命にありませんでした。
オレンボー朝最後の王フレゼリク7世が後継者無しに没すると、傍系だったリュクスボー家に王位が転がり込んでくるのです。
余談ですが、リュクスボー家以前にデンマークを牛耳っていたオレンボー家、これはデンマーク語での発音です。ドイツ語発音では、オルデンブルク。……何か語感に聞き覚えはないでしょうか?
そう、リュクスボー王朝以前にデンマークを統治していたオレンボー家は、長男は意識を失い寝かされていた殿下の寝室に不法侵入し、三女は殿下の急死にショックを受けて後追い自殺したことでお馴染み(?)、一家揃ってトップレベルの限界同担ファミリー、ロシアのオリデンブルクスキー家の本家なのですね!!
↑ 三女エカテリーナを取り上げた記事。ロマン主義小説を地で行きます。
つまり、実は、殿下と婚約したダグマール姫と、殿下に真剣に恋したエカテリーナ大公女は、遠い親戚。そんなことある?
殿下は万人を恋に落とす恐ろしい人物ですが、このオルデンブルク=オレンボー=オリデンブルクスキー系の血筋の人物に特攻が入るフェロモン的な何かを発していたのでしょうか。こうかはばつぐんだ!
もっと言えば、殿下の属すロマノフ家にもホルシュタイン=ゴットルプ家の血が流れていますが、こちらも実はオレンボー家と血縁関係にあるので、殿下も含めて遠い親戚だったります。とはいえ、めちゃくちゃ遠いですが……。ヨーロッパの王族は、元を辿れば全員親戚。
……ともあれ、リュクスボー家は本来王位を継承する運命ではなかったことから、所謂「デンマーク王女美人三姉妹」は、シンデレラに準えられたりもします。確かに、小国の王族の傍系からイギリス王妃やロシア皇后に、という転身を考えると、そう言っても過言では無いのかもしれません。
聖母教会
黄の館の後に訪れたのは、恐らくは聖母教会と呼ばれる教会です。
非常に美しい教会で、デンマークが誇る彫刻家、ベルテル・トーヴァルセンによる素晴らしい十二使徒像、イエス像があります。
↑ 綺麗に撮れてません? 2023年11月筆者撮影。
↑ ベルテル・トーヴァルセン(1770-1844)。
殿下も姫も、芸術の中で一番関心があったのは美術であったようなので、デートスポットとしては最適であった模様です(お母様も同席ですが)。
敬虔なロシア正教徒でありながら、他の宗派の教会にも敬意を示す、流石「外交官」です。
尚、殿下を「外交官」と評したのは、ロシア帝国外務大臣ゴルチャコフでしょう。外務大臣直々に「外交官」と評されている……。
過去の記事に概説しているので、適宜参考にして下さい。
↑ 「お利口さん」になろうとしているあざとい殿下を観測できます。
ロシア名マリヤ・フョードロヴナ
姫の名前に関してです。
我らがお姫様の出生名は、デンマーク語読みで、マリー・ソフィー・フレゼリケ・ダウマー(英仏語読み: ダグマール)です。
しかし、ロシアの大公妃となり、ロシア正教に改宗するにあたって、ロシア風の名前に改名する必要があります。
この時、どうやら姫は殿下に、「私の名前を選んで欲しい、あなたの好きな名前で呼んで欲しい」と伝えたようです。なんて素敵なんだ……。
そこで彼は、敬愛する母の名前が「マリヤ・アレクサンドロヴナ」(ちなみに妹も同名)であり、姫のミドルネームにも入っている「マリヤ」という名前を希望し、姫はそれを快く受け入れたとのことです。ロシア皇后マリヤ・フョードロヴナの名付け親は殿下だったのですね(父称までは知りませんが)。
このことから殿下は、名前の由来となった母が、義理の娘が同じ名前を得ることを喜んでくれたことに対しての感謝を表明しているわけですね。
殿下のお母様は、側近だけではなく家族からでさえも「長男は彼女の全てだった」と言われる程に殿下を溺愛していたので、彼から「あなたと同じ名前に」と言われて嘸かし嬉しかったことでしょう。良い息子すぎる……。
ちなみに、余り聞き慣れない名前「ダグマール(デンマーク語読み:ダウマー)」は、主にスカンジナビア諸語圏(要は北欧)でしか用いられない名前です。
殿下は、彼女の名前を Dagmar と、ロシア語の文中にあっても、いつもキリル文字ではなくアルファベットで記しているので、弊ブログでは英語・フランス語読みの「ダグマール」表記にしています。二人の会話は基本的にフランス語ですしね。ちなみにロシア語読みではアクセントが前に来るので「ダーグマル」の方が近いです。
この Dagmar というお名前の意味は「朝日」。姫の名前を日本語に翻案するなら、そのまま「朝日(朝陽)」ちゃんになるでしょうね。
そうなると、殿下はどうなるんでしょうね。彼の名前は聖人、並びに祖父から採られていますが、元を正せばギリシア語で「人民の勝利」を意味します。翻案しづらいな! ……しかし「ヴラディーミル」よりも統治者の名前に相応しいのでは……?
↑ 殿下の弟にもいる「ヴラディーミル」さんの名前の意味について。
甘い想い出に
二通目は、殿下の弟サーシャ大公宛てのお手紙でした。もう彼に関しては説明不要かと思いますが……、後のアレクサンドル3世です。
↑ ちなみに、えげつなくブラコンだったりする。「列伝」シリーズを終えた後にも、仰天のブラコンエピソードや記述を大量に発掘したので、そちらも早く書きたいなあと思っています。
この手紙は、彼にとって非常に大事な一通になったようで、後の日記にも言及があります。
1867年3月1日(12日)付けの、サーシャ大公の日記にある「ニュルンベルクからのニクサの手紙」は、今回取り上げた手紙を指しています。
Разбирал свои старые письма и, между прочим, достал письмо от милого Никсы, которое он мне написал из Нюрнберга и где он подробно описывает своё вторичное пребывание в Дании и свою помолвку с душкой Dagmar.
— Давно хотел прочесть это письмо моей душке, но всё время не было. Теперь прочёл его от начала до конца. Несколько раз я не мог удержаться от слёз и Минни тоже.
Мне всегда так отрадно плакать вместе с милой душкой Минни, вспоминая о незаменимом, добром и милом брате...古い手紙を整理していたら、その中から、愛するニクサが、二回目のデンマーク滞在と愛しいダグマールとの婚約について、ニュルンベルクから詳しく書いてくれた手紙を見つけた。
―――僕は長い間、この手紙を愛する人に読んであげたいと思っていたが、なかなか実行に移せなかった。今日、それを最初から最後まで全部読んだ。僕は幾度となく涙を堪えることに失敗し、それはミニーも同じだった。
代えがたく、優しくて大切な兄を思い出しながら、愛しいミニーと一緒に泣けるのは、僕にとって常に有り難いことだ……。
同担婚、大成功ですね……。仲睦まじいことで知られるかの皇太子~皇帝夫妻にとって、「愛するニクサの想い出」は、絶対に揺るがない紐帯の要であり続けました。
前述のように、姫のことを、殿下は「Dagmar(ダグマール)」、大公は「Минни(ミニー)」と呼んでいることがわかりますね。
「ミニー」は、それこそディズニーでお馴染みですが、「おちびちゃん」という意味。そりゃあ巨人族ロマノフ家に嫁いだら、身長差が目立ちますよね……。
「是非未来を忘れて読んで欲しい」と言った側から、しんみりした話を書いてしまいました。失礼しました。
もしもこの物語の結末をご存じないまま当連載を読み進めて下さっている方がいらしたら(いないとは思いますが……)、申し訳ないです。
皇帝夫妻も大変素敵ですので、誰か一次史料纏めて下さい(丸投げ)。
最後に
通読有り難う御座いました。1万2000字程。
今回の連載は行き当たりばったりで、第何回に何通書くかを決めていないので、大体1万字を越えたら辞めようという指標になっています。そもそも1万字はブログに書く字数ではないというツッコミが聞こえてきそうですが……。
さて、次回に関してですが、次も糖分過多で! ご用意できればよいなと考えております。
しかしですね、その前に、明日は4月24日、殿下の命日ということで、単発を拵えようと思っております。明日中に間に合うかどうか……。
↑ 間に合いました~! こちらからどうぞ!
感想等頂ければ嬉しく思います。
それでは、今回はここでお開きと致します。また次の記事でもお目に掛かれれば幸いです!
↑ 続きを書きました! こちらからどうぞ。