こんばんは、茅野です。
先日、プッチーニの傑作オペラ『ラ・ボエーム』を観ました。ほんとうに良いオペラだ……、名作の理由がよくわかります。すきです。
↑ レビュー記事。
そして改めて思ったのですが、恋人に看取られて結核で亡くなる殿下は、もう完全にイタリアオペラのヒロインですよね。彼の人生はオペラのリブレットだったと言われても驚きません。
実際の殿下の声域は不明ですが、もし彼がオペラのキャラクターだったら、絶対テノール・リリコに設定されますよね、と日々主張しています。ロシアオペラでいうと、『キーテジ』のフセヴォロド王子みたいな感じかな。フセヴォロド王子も婚約者より先に急死するしな(そこ?)。共感を得たいです。
ちなみに、暗黒の中世ロシア史を基にしたロシアオペラ『ボリス・ゴドゥノフ』では、ロシア皇女クセニヤがデンマークのヨハン王子と婚約しますが、彼も結婚を目前に病で急逝し、クセニヤ皇女が肖像画を見ながら涙するシーンがあります(歴史が元なので、ここは史実通りです)。
↑ 該当部のオペラ映画版。歌詞が次回扱う内容とほぼ一緒である。
ロシアとデンマークで王朝政略結婚をしようとすると、必ず婿の方が病で急逝する呪いがあるようです。怖……。なんとかしてリラの精!
そう考えると、ロシア皇族とデンマーク王族の婚約は、実に262年振りとなるのですね! そして、とうとうジンクスブレイカーとなるアレクサンドル大公であった……。
前置きからネタバレをかましたところで、今回は「婚約を巡る書簡集」の第6回、ロシア帝国皇太子ニコライ・アレクサンドロヴィチ殿下と、デンマーク王女ダグマール姫の婚約に纏わる手紙を読んでいくシリーズになります。
↑ 第1回はこちらからどうぞ。
第6回目となる今回は、殿下と姫の恋文の一部を読んでいきます。巷では芸能人の恋文が流出したとかでスキャンダルになっていますが、父とは違い、殿下のスキャンダル対策は完璧の一言に尽きますのでご安心を(?)。
しかし、糖分の高いものをご紹介したい気持ちは山々ですが、既にかなり苦みが強いので、覚悟して下さい。
今回ご紹介するものは主に4通です。
第1の手紙は、姫がロシア正教への改宗の意欲を見せる内容のもの。
2通目は、それに対する殿下の返信。
3、4通目は、殿下からの返信が来ないことを心配し、訝る姫の手紙となっております。
舞台は既に1865年。物語は佳境に入っております。フィナーレは間近。
それでは、今回もお楽しみ頂ければ幸いです!
姫から殿下への恋文
婚約後、殿下がデンマークを去ってから、彼らは文字通り一日一通ペースで恋文を交換しています。従って、全てが公刊されているわけではありませんし、内容が殆ど同じものも数多くあります。しかし恋とは、つまり全くそれでよいのだ。
実際の手紙を読み始める前に、主に彼らがどのようなやりとりをしていたのか、ということを極簡単に確認します。
11月のやり取りは、「会えなくて寂しい」という旨が主です。
12月に入ると、姫が初めて殿下の体調を心配する旨の手紙を出します。事実、殿下はこの頃、フィレンツェ行きの鉄道の中で倒れてしまい、その後は約三週間、殆ど病床を離れられず、出掛けるにしても車椅子を用いるような状況が続きます。
内容を見るに、殿下の方は婚約者に自分の病状を全然説明していない様子ですが、殿下クラスになると近況が新聞に載るので、そこから知ったものと思われます。
また、姫はヤーニシェフ神父という人物からロシア語とロシア正教について教わり始めますが、その勉強の進捗についての報告もし始めます。
姫が初めて書いたロシア語って、殿下に対する愛の言葉なんですよ。め、めちゃくちゃ良くないですか? ちなみに、Душка Никса(愛しいニクサ)みたいなことを書いています。何としてでも結婚してくれ……。
年が明け、運命の1865年に入ると、元旦に殿下の父アレクサンドル2世へ新年の挨拶を書き送っています。
明けましておめでとうございます。あなたの御健勝と御多幸をお祈りします。
私の愛するニクサは、ニースに滞在しているということで今は安心しています。
新年が幸福をもたらし、神が私に、彼の幸福に少しでも貢献する力を与えて下さいますように。
それが私の唯一の願いです。
あなたの献身的で忠実なミニー
なんでそうやってフラグを立てるんですか? 一級フラグ建築士お姫。
19世紀の人々って、ニース(避寒地)に対する信仰が強すぎますよね。殿下も姫も北国の出身ですから、環境がそうさせるのかもしれませんが……。
反体制派のあまり一周回って殿下のモンスターペアレントになったことでお馴染み(?)の政治思想家ゲルツェンは、「ニースはロシアのネクロポリスだ」と発言したそうですが、仰る通りだと思います。フランスにしてみれば、良い迷惑でしょうが……。
そして、2月11日、姫は新聞で殿下の具合が悪いという記事を読み、心配する手紙を出しています。
殿下は3月に入ると更に病状が悪化し、引っ越し先のベルモン荘を殆ど出られなくなってしまいますが、2月時点では、まだ彼は積極的に人前に姿を晒していたので(療養とは?)、新聞記者にも捕捉されたのでしょう。
それでは、実際にお手紙を見て参ります。
手紙 ⑿ は姫から殿下宛て。手紙 ⒀ は殿下から姫宛てです。2通続けてどうぞ。
手紙 ⑿
1865年2月9/21日
(前略)
身体を冷やさないようにしてね。次に会うときに、あなたがまだ苦しんでいたら大変だから。
あなたも知っていると思うけど、再びあなたを抱き締め、それからペンでは上手く言い表せられないような全てのことを、私がどれ程待ちきれないでいることか。
アニチコフ宮殿の写真を見て、とっても幸せな気持ちになり、沢山の感情が渦巻いて、幸せな家族生活のイメージが湧きました。
愛するニクサ、ヤーニシェフ神父が私に教えてくれた宗教のことが無駄にはならず、将来的に実を結び、私達の共通の歓びに貢献することを願っているわ。
あなたの宗教が唯一正統なものだと感じるの。こんなことを言って、私のこと、偽善的な人間だと思わないでね。私もあなたと同じ神を信じられることが嬉しいの。勉強すればするほど、益々そう実感するの、私の大好きなニクサ。
私の天使、あなたに会って、どれ程あなたを愛しているかを直接伝えたい。私の心は益々あなたに惹かれ、愛は増すばかりです。
手紙 ⒀
1865年2月23日/3月7日
僕の最愛の、大切なミニー、
言葉にできない程の感情が押し寄せる瞬間、自分がそのような瞬間にいることに気が付いたよ。2月9/21日付けの、喜ばしい、感動的な手紙をどうもありがとう。
この手紙は、一通だけで、これまで君から受け取った手紙全てを合わせたものよりも、僕を幸せにしてくれた。
君の方からそんな風に言ってくれるとは驚いたな。僕たちの宗教が君の心に語りかけ、そして君がそれを正しいと考えてくれたことを嬉しく思います。
愛するミニー、君は僕をこれ以上無いほど幸福にしてくれた。僕は心の底から神に感謝しています。
そのような愛には全く値しない僕なんかに君が今までしてくれたことに、いつの日か神が報いて下さいますように!
アニチコフ宮殿の写真を気に入って貰えたようで、嬉しいよ。いつの日か、この宮殿を好きになってくれるといいな。
ああ、勿論、僕も魅力的で幸福な未来についての想いがないわけではないよ。
今の僕にはもう何も残されていないけれど、夢を見ることだけはできるから。
もし僕たちが夢見た1/10だけでも実現できるのなら、僕たちは世界で最も幸せなカップルになれるのにな。
解説
これもう殿下完全に ""わかって"" ますよね??? かなり終末を匂わせています。
この殿下の手紙は、姫とのやり取りの中では比較的文章が硬い(敬語寄り)なんですよね。訳文でもそのことを反映したつもりです。
それも相俟って、これは覚悟完了済みだな……ということが伝わってしまうのが辛い。「いつの日にか(un jour)」を乱用するな。
それにしても、相変わらず自己評価が低すぎる。寧ろここまで愛されるに値し、事実人々から愛されている人物も稀だと思うのですが……。
この時の殿下は、文面からも明らかなように、自身が余命僅かであることを察しているので、そんな自分を愛しても無駄だ、と思ったのかもしれませんね。切ないが過ぎるな……。
さて、それでは少しだけ解説を入れて参ります。
殿下の筆跡
殿下は恐ろしく筆跡が美しいです。ロシア語の筆記体に苦手意識があるわたくしですら普通に読めますし、フランス語に至ってはフォント級。
本当に見ればわかるんですけど、紛らわしい箇所に補助線を入れるなど、随所から読み手への配慮が感じられるような書き方をされています。素敵すぎる……。
殿下の字に関しては、過去の連載でも扱っているのですが、改めてここでも確認してみましょう。
↑ 以前の連載から。公爵が殿下から出禁を喰らった(!?)、同連載の神回です。
前述のように、殿下は非常に美しい筆跡の持ち主ですが、身体の不調を隠しきれなくなる64年4月頃から、調子が悪い時には筆跡に乱れが見られます。
時期からもわかるように、姫との書簡でも、字が乱れていることがあるので確認してみましょう。
まず、こちらは公爵宛てですが、普段の筆跡です。
↑ « Merci bon souvenir lettre. Santé mieux. Nicolas » (素敵なお手紙をありがとう。お元気で。ニコラ)。
そしてこちらが姫に宛てたものの中で、筆跡の乱れたものです。
↑ « À Vous seule pour la vie. Nicolas »(この命をあなただけに捧げましょう。ニコラ)。
斜体気味なところ、大文字の N の書き方などが一致しているのが、逆に痛々しいですね。
ちなみにこのお手紙、殿下にしては非常に珍しいことに、筆跡が乱れているだけではなく、フランス語とロシア語が混ざってしまっていたりするので、絶不調の時に書かれたものと推測できます。
しかし、何より、結びの言葉が……重い!
アニチコフ宮殿
アニチコフ宮殿は、ペテルブルクにある宮殿の一つです。殿下と姫は、結婚後はここに住む予定になっていました。
↑ 美しい! 現存していて、中に入れます。聖地巡礼したい!
(沢山のお付きの人もいますが)、ここに二人で住むというのだから、改めてロマノフ家の財力を感じます。デンマークのベルンストルフ城を見た後だと、尚更ですね。
65年前半は、彼らの為に内部の改修工事が急ピッチで進められていました。
結局、翌年、姫は別の男性とこの宮殿で結婚式を挙げ、居住し、殿下と同姓同名の最後の皇帝もこの宮殿で幼少期を過ごすことになります。「いつの日か」、彼女はこの宮殿を好きになったでしょうか。
続いて、姫から殿下への手紙を2通連続でお送りします。なんと、1865年4月に入ってから書かれたものです。
前述のように、殿下は65年3月以降は本格的に病が重く、ペンを執ることすら難しくなってしまいます。婚約者からの返信の頻度がどんどん下がっていくことに対し、姫は不安を覚えたようです。
前半と比べて急激に内容が重たくなりますが、どうぞ。
手紙 ⒁
1865年4月7日
コペンハーゲン
親愛なる、最愛のニクサ、
私の愛するニクサが全然手紙をくれないので、私はすっかり意気消沈しています。全く不幸で、完全に忘れられてしまった気分。電報の一通さえもないなんて!
この惨い沈黙は何故なの? その理由は何なの?
3月20日以降何の知らせもなく、今日はもう4月8日(訳注: 正確には7日で、姫が間違えている)……。私にとっては悲劇的です。可哀想な私、あなたからの手紙だけが私の唯一の生き甲斐なのに!!!!
愛する、大切なニクサ、美しい春が始まって、再び私達が巡り会う季節になりました。
早くあなたに会いたいという気持ちがどれ程までに私の心を占めているか、想像できる? あなたからの便りが欲しい、あなたが今何を考えているのか知りたいの。あなたは今幸せなの、そうではないの?
そうでないと、あなたが大きな黒い瞳をしたイタリアの女の子に夢中で、北国の哀れな恋人のことなんか忘れちゃうんじゃないかって、不安なの!!!!!
手紙 ⒂
1865年4月8日
今日はお父様の誕生日(間違いなく、私が愛する祖国で祝う最後の彼の誕生日でしょう)。だから今日は私の天使であるあなたとの時間を楽しむ時間が数分しか取れないのだけど、でもあなたからの便りがない限り私はもう生きていけないので、あなたからの返答を得る為に今朝こうして電報を打っています。教えて、何がそれを妨げているの?
私のことを忘れてしまったのだとしたら、何度も催促をして申し訳ないわ。でも、それ以外に理由を見つけられない。だけどそんなこと信じられない、だって私は、私の愛しいニクサ、あなたのことが好きで好きで仕方がなくて、大好きなんだもの!
フレゼリク7世の死後、神様が私の愛するお父様に与えたのは茨の道だった。しかし私達は神を信頼し、これが最善なのだと信じなければなりません。今年は去年よりも幸福な一年になりますように。
愛するニクサ、あなたのお母様に娘からのキスを送ることを許して貰ってね。私はまだ彼女に感謝のお手紙を書いていないのだけれど、余りに頻繁に送っても、迷惑を掛けてしまうのではないかと思って。だから私の天使、あなたから彼女にお願いしてね。
余り私を待たせすぎないで。それは私を酷く不幸にしているわ、愛するニクサ。
それでは終わりにします、私の愛しい人。あなたの忠実なミニーを忘れず、いつも心の片隅に置いておいてね。
解説
書いていて辛かったんですけど!! 特に手は入れず、普通に直訳しています。エクスクラメーションマークの数も踏襲しています。現実は小説よりも奇なり……!
この手紙では最早 Je t'aime ではなく、Je t'adore になっていますね。フランス語の動詞 adorer は、aimer(英語で言う love に相当)よりも更に一段階強くて、「大好きである」「熱愛している」「崇拝している」のような意味になります。普段であれば愛らしいの一言に尽きるのですが、65年4月に書かれたと思うと、苦しい……。
原文では、本当はもっと語彙力があって、chèr, chèri, doux, adorable などの語を使い分けているんですけれど、日本語に訳すにあたって、殆どが「愛しい」「最愛の」に集約してしまい、日本語に於ける愛の語彙の少なさを実感しました……。「好き」と「可愛い」だけで乗り切ってきただけのことはある。もっと直接愛を伝える表現を増やすべきですよ!
それにしても、流石愛を囁く言語、フランス語! やはり恋文はフランス語に限ります。『オネーギン』でも、本来はフランス語で恋文を書いている設定ですからね。
二人とも母語ではないのに使いこなしていることも凄いのですが、彼らは特別聡明な部類に入るので、今更でしょうか。この時殿下は21歳、姫は17歳。ほんとうに尊敬します。
それでは、今回は簡単に二点解説を入れて、お終いにします。
クリスチャン9世の誕生日
ダグマール姫の父、デンマーク王クリスチャン9世は、4月8日生まれ。1865年に、47歳となりました(若い!)。
姫も書いているように、どうやら本来は、殿下は義父の誕生日に合わせてコペンハーゲンに戻り、彼の誕生日の祝宴に参加する予定だったようです。
殿下は4月に入ると文字通り生死の境を彷徨い始めるので、その旅は叶わなくなってしまいますが、この姫の手紙を読む限り、殿下側はキャンセルの理由を明確には説明していない模様です。
これは地獄の選択肢ですが、音信不通になって状況が全くわからないのと、絶望的な状況を逐次知らされるの、どちらが辛いものでしょうか。殿下は前者を選びましたが、皆様はどちらがマシだと思いますか。
ちなみに、殿下の父アレクサンドル2世は、クリスチャン9世と同年同月の、1818年4月29日生まれ。
皇帝アレクサンドル2世と国王クリスチャン9世が同い年で、彼らの長男である皇太子ニコライ殿下と王太子フレディ殿下も同い年(1843年生まれ)なの、なんか良いですよね。完全に同年代。
ところで、前年の64年、殿下が自宅で初めて昏倒したのが父の誕生日の直後であったということなので、ほんとうに殆ど丸一年間闘病をしていたことになりますね(尤も、それは「隠しきれなくなっただけ」であって、発病はもっと前だと考えられているのが恐ろしいところですが……)。
姫は、祖国で祝う最後の父の誕生日、と予想していますが、結局それは一年延び、翌年も祖国に居残ることになります。
沈黙の理由
姫の返答を求める哀願は可哀想で、「愛らしいお姫様にこんなことまで言わせて、一体全体何をしているんだ!」という気持ちにさせられますが、殿下は殿下でそれどころではないのでした。
姫が手紙 ⒂ を出した頃、彼は脳卒中を起こして気を失い倒れているところを侍従に発見されます。その後は、一時的に半身不随状態になったり、昏睡状態に陥ったりと、明らかに命に関わる症状が頻発するようになります。
従って、恐らく、殿下はこのお手紙を読めてすらいません。
殿下の秘書官オームによると、脳出血を起こす数日前から、彼は病の進行で眼筋の機能が衰えてしまい、傍から見ても瞳孔が開いていて焦点が合っておらず、殿下自身「酷い乱視状態でよく見えない」と仰っていたそうな。彼は既に、物理的に手紙が読めない状態になっていました。
更に、聴覚も衰えていってしまったようで、このことから、最期の方は、気配を頼りに状況を把握していたといいます(尚、弟の側近リトヴィーノフ曰く、視覚を上回る程の正確さであったらしいです。視覚や聴覚を奪ってもこれだからこの人は……)。
この後姫の元に届いたのは、殿下からの恋文ではなく、彼の危篤を知らせる急報でした。彼女は、愛する婚約者の最期に立ち会う悲愴な決意をし、母(ルイーズ王妃)と兄(フレディ王太子)と共に、ニースへ向かう準備を開始します。
最後に
通読ありがとうございました。今回は全面的に恋文で、解説する事項も少なかったこともあってか、比較的短めで8000字ほど。
先日、リサーチをしていたら、現在モスクワのロシア国立歴史博物館で開催されている展覧会で、幼少期の殿下の制服が展示されていることを突き止めました。マジで??
↑ 画像だけで良いから載せてくれないかな~……。
今モスクワでミリタリー系の展覧会を開催というだけで、何やら芬々と胡散臭い香りが致しますが……、我らが殿下を愚かな戦争に巻き込まないでくれ、と思いつつ。
いや、いずれにしても、来月末までにモスクワに行くのは厳しいし、今は侵攻に対する制裁でロシアに送金できないので(送金に失敗した際の記事)、仮に図録が出ても買えないしな~……、おのれ連邦政府許すまじ。
次回予告です。
立て得るフラグは全て立てきり、物語は最終章へ。第7回では、殿下の死を扱います。
17歳の愛らしいお姫様は、最愛の婚約者の最期の瞬間に辛うじて間に合い、別れの言葉を交わして、その早すぎる旅立ちを見届けることになります。
次回は、彼女自身が4月24日について綴った手紙などをご紹介していく予定です。
書く方も凄く気が重いんですが……! どうして殿下の連載は明るく終われないんでしょうか。
重たい内容にはなりますが、美しい悲劇でもありますので、お付き合い頂ければ幸いです!
それでは、今回はここでお開きと致します。また次の記事でお目に掛かれれば幸いです!
↑ 続きを書きました! こちらからどうぞ。