世界観警察

架空の世界を護るために

「カブの挽き肉詰め」 - 近代レシピ考証

 おはようございます、茅野です。

二月は毎年何故だか読書強化月間になるので、先月は楽しく読書に勤しんでおりました。わたくしは物書きですので、どちらかといえば読むよりも書く方が好きですが、知識がなければものは書けないですし、読むこともとても好きです。

皆様の最近の愛読書はなんですか。

 

 さて、今回はお料理企画です。だんだん馴れてきました。

↑ これまでの近代レシピ考証シリーズはこちらから!

お料理は日常的に行うものですし、レシピブックを読む気力さえあれば、気軽に挑戦できるのでいいですね。

 

 二本連続でお料理企画記事を書きたいと思っています。二本とも、帝政ロシア時代に於けるカブ料理になります。

前編となる今回は、メインディッシュ、「カブの挽き肉詰め」に挑戦します。

記事の前半には「何故カブか」ということを記し、後半では19世紀のレシピを読み解き、再現して参ります。

 

 それでは、お付き合いの程宜しくお願い致します!

 

 

カブ VS ジャガイモ

 お料理に特別関心が強かったわけでもないのに、当シリーズを開始してしまったものですから、最近、ロシアの食に関する本を読んで知識を深めてきました。

↑ 信頼と安心の沼野夫妻著。ウクライナベラルーシ料理に関しても。

↑ 食文化ではなく、食を介した社会経済史。お堅い学術書ですが、データも豊富で、とても参考になります。

入門には前者が、真剣に掘り下げたい方には後者がお勧めです。

 

 これらの本のなかで、「カブとジャガイモの扱い」についての記載に興味を惹かれたので、「取り敢えずロシアのレシピブックに載っているカブ料理にトライしてみよう!」と思いついたのが今回の成り行きになります。

 

 ところで、ロシア料理の定番の中に、「オリヴィエ・サラダ」があります。

↑ レシピの一例。

日本でも広く親しまれている、ポテトサラダの原型とも言われているサラダです。

こちらのお料理、帝政時代に考案されたとも、ソ連時代に考案されたとも言われており、出自のはっきりしないお料理の一つです。

(細かく言うと、帝政時代にモスクワで活躍したフランス人シェフであるリュシアン・オリヴィエの名を冠しているが、現在流通しているものはソ連時代に第三者が「再現」を "自称" しているものであり、帝政時代に愛されていたサラダとは全く異なっている可能性が高い)。「苺のロマノフ」でも僭称案件がありましたし、現代のオリヴィエ・サラダは帝政時代のものとは異なると認識しています。

 従って、このシリーズで取り上げる予定はないのですが、現代でも生き残る理由がよくわかる、シンプルながら美味しいサラダです。

そして、このお料理のメイン食材がジャガイモであることは特筆に値します。

 

 「オリヴィエ・サラダ」などの印象から、ロシア料理=ジャガイモを多用する、というようなイメージをお持ちの方も少なくないと思うのですが、意外なことに、ロシアでジャガイモが受け入れられるようになるには、多大な時間と労力を要しました。

 ロシアでは、伝統的にカブが食されており、ジャガイモがカブに勝利するには、ジャガイモがロシア帝国に伝わってから200年近くもの年月を必要としました

即ち、ロシアに人類が定住してから帝政末期までの間、農民の最も心強い味方のお野菜はカブであったのです。

 

「ジャガイモ一揆

 ロシアは北方に位置しながらも、広大な国土に肥沃な大地を擁し、農業大国としても知られます連邦政府よ、穀倉地帯だからといってウクライナに手を出すのは絶対に間違っているぞ)

そのくせ、帝政時代は農業改革が殆ど進まず、幾度もの大飢饉を経験しました。

 

 しかし、「政府は何も対策をしなかったのか? 歴史的にロシア政府ってのはどうしようもないんだなあ」とだけ考えていると、歴史誤認に繋がるかもしれません。

一応、政府も現状を改善しようと努力はしたのです。一応。

 

 ロシア帝国に始めてジャガイモが輸入されたのは、ピョートル大帝時代(在位1682-1725)に遡ります。しかし、定着することはなかったといいます。

確かに、歴史が示しているように、多くの地域でジャガイモが受け入れられるのには時間が掛かっているので、然もありなんというところです。

↑ 刊行時に大きな話題を呼んだ一冊。

 

 政府は、栄養価が高く、腹持ちがよくて、土の痩せた寒冷地でも栽培が容易であり、おまけに美味であるという、この魔法のような野菜の存在に気が付いていました。

このジャガイモこそが、食糧危機問題を救う鍵であるということも、きちんと理解していたのです。

 

 そうして、これ以上の飢饉を起こさないようにと、ニコライ1世治世下にあたる1840年、国有地農民(農民総人口の約半数)にジャガイモの作付けを命じます

「これで一安心、もう国民が飢え死ぬ心配はない」……ところがどっこい! そうは問屋が卸さないのがロシア帝国という魔境です!

農民たちは、この命令に非常に強く反発し、農具を手に取り政府に立ち向かってきたのだ!! なんで!?

 

 理由は複数考えられます。

 一つは、農民たちにとっては未だジャガイモが未知のたべものであり、扱いがわかっていなかったことです。ご承知の通り、ジャガイモは放置しすぎると芽が出てしまい、人体に有毒となります。誤って口にして死傷者が……という事故も多発したと考えられます。

 第二に、ロシアの農民は驚くほど保守的であるということです。彼らは、作付けの内容や方法、そして自分たちが食べるものに関して、お偉方に介入されたくなかったのです。古来から代々受け継がれてきた方法を、小指の先程も変えたくなかったのです。

農業のことは農民である自分達が一番よくわかってる。食べ物も、黒パンとカブとちょっとのウォトカがあれば充分で、その他のものなんて何も要らない。なのになんで指図するんだ? (そりゃ農業改革も進まないわけだ)。

 第三に、政府役人の態度が考えられます。仮に中央の皇帝政府が真剣に政策を練ったとしても、末端の地方役人は賄賂や不当な搾取を行う好ましくない人物が多く、農民達はこれを機に彼らに抵抗したかった、という説もあります。

 最後に最も重要なのが、古儀式派の存在です。古儀式派とは、ロシア正教の異端信仰ですが、彼らも信じられないほど保守的であり、迷信的であることで知られています。

古儀式派の人々はジャガイモのことを「悪魔のリンゴ」と呼び、これは土の中で腐った禁断の果実だから口にしてはならない等として、農民達を煽動したと言われます。ちょっとそれは流石にガバロジすぎないか?!

 

 そして、ジャガイモ作付け令から二年後の1842年に発生したのが「ジャガイモ一揆」です。一番驚いたのは政府だと思います。今回ばかりは何も悪いことしてない……今回ばかりは……。

農民達は農具で武装し、政府役人たちの元へ。両者頑として引かなかった為に衝突になり、全国で数十人の死傷者が出たと言います。そんなことある?

 

 困惑した政府は翌年の1843年にジャガイモ作付け令を撤回(奇しくも我らが殿下の生年ですね)

そして、法令や武力に頼るのではなく、口頭で地道に説得することによって農民たちを宥め、ジャガイモ作付けに協力して貰ったといいます。やればできるじゃないかロシア皇帝政府……。

この1843年が転換点となり、ロシア帝国内ではジャガイモの栽培量が増加してゆき、帝政末期にはとうとう伝統的なカブを上回り、最も一般的な野菜として普及していくようになります。めでたしめでたし(?)。

 

 ……しかし後味の悪い後日談も。

ジャガイモが根付いたことにより、ロシアは飢饉とは無縁になったか、というとそうではありません。

 アレクサンドル3世期に入ると、国内に鉄道網が広がってゆきます。

インフラの拡張は望ましいことです。しかし、この鉄道網は主に、大規模な輸出政策のもと、農作物などを国外に輸出するために運用されていました。このことから、地域的な不作に際して、別の地域から食糧を輸送するなどの食糧危機対策には一切用いられませんでした。

 従って、鉄道によって飢えた農民の元に食物が届くことはなく、寧ろどれだけ農民が飢えていようと、国外へ農作物を輸出しようとしていたのです。おお、アレクサンドル大公よ……(頭抱え)。

 

『おおきなかぶ』

 ジャガイモが根付くまで、農民に最も愛されてきた野菜、カブ。そのことは、文化史の観点に於いても如実に表れています。

 

 カブが登場する作品で最も有名なのが、絵本の中の大鉄板、『おおきなかぶ』。こちらの物語、ロシアの民話だってご存知でしたか?

↑ 一度は読んだことがあるはず。

 文章の形で残る最古のものは、アレクサンドル・ニコラエヴィチ・アファナーシエフが採集した『ロシア民話集』であるようで、こちらは初版が1863年です。

 

 前述の絵本はアレクセイ・ニコラエヴィチ・トルストイによるものです。高名な作家のレフ・ニコラエヴィチ・トルストイとは別人です。ちなみに、こちらも作家のアレクセイ・コンスタンティノヴィチ・トルストイとも別人です。紛らわしすぎない?

 この間のストロガノフ家にも負けず劣らず、トルストイ家も数多の作家や政治家を輩出する、ロシア帝国を代表する一大名家なので、この姓を持つ有名人も非常に多いのです。気合いで覚えましょう。

 

 カブを主題とする民話が有名になるくらい、親しまれてきたお野菜であるということがよくわかります。ロシアの農村では、帝政末期まではカブが主流! 是非覚えて帰って下さい。

 

レシピ

 さて、今回はカブ料理に挑戦です。

 

 折角ですので、農民が食していたものを……とも考えたのですが、少々問題が発生。

真の農民レシピは「焼く or 煮る、少量の塩を振る」、以上! シンプルイズベスト! カブは美味い! 完!!

……、……それでは流石にレシピ考証を名乗れない気がしたので、少しグレードを上げることに致しました。

 

 というわけで今回は、都市部のブルジョワジー向けのレシピを見てみましょう。

農民は殆ど口にすることができなかった肉入りのレシピになってしまいますが、ご了承下さい。他にどうしようもなかった。

 帝政ロシアのお料理本の一大ベストセラー、エレーナ・モロホヴェーツ女史の『若き主婦への贈り物』からです。どうぞ。

Репа с мясным фаршем

カブの挽肉詰め

 6-9 реп вымыть, срезать верхушки, вынуть осторожно острым ножом или ложечкой всю середину, нафаршировать следующим фаршем: 1½ фунта говядины или телятины наскоблить ножом или изрубить очень мелко с ¼ фунта говяжьего жира, положить 1 яйцо, ½  французской булки, намоченной и выжатой, перца, соли, мускатного ореха, гвоздики, ½ ложки масла, поджаренного с ½ луковицей,  накрыть срезанной верхушкой, перевязать ниткой, сложить в кастрюлю, налить водой и варить до мягкости репы; в соус положить ложку муки, вскипятить, облить на блюде репу.

 6-9個のカブを洗い、上部を切り、慎重に鋭利なナイフかスプーンで中央を刳り抜き、以下のフィリングを詰める。牛肉或いは仔牛肉1.5フントを非常に細かく削ぐか切り、ラード1/4フント、卵1個、浸して絞ったフランスパン半分、胡椒、塩、ナツメグクローブ、バター大匙0.5をタマネギ半個と共に炒め、切り落としたカブの上部で蓋をして、糸で縛り、鍋に重ね入れ、水を入れてカブが柔らかくなるまで煮る。ソースに小麦粉大匙1を加え、沸騰させ、小皿に盛ったカブに掛ける。
Выдать: 6-9 шт. репы. ½ фунта говядины или телятины. ¼ фунта жира. 1  яйцо. ½ луковицы, ½ ложки масла. ½ французской булки. Перца, соли, мускатного ореха. Гвоздики 3. 1 ложку муки.

用意するもの:カブ6-9個。牛肉或いは仔牛肉0.5フント。ラード1/4フント。卵1個。タマネギ半個、バター大匙0.5。フランスパン半分。胡椒、塩、ナツメグクローブ3つ。小麦粉大匙1。

   "Подарок Молодым Хозяйкам"(1861 г.), Елена Молоховец - 157p. (拙訳)

 普通に美味しそう。こういった、お野菜にお肉を詰める料理はトルコに多いので、発祥は南西部かもしれないですね。

 日本や中国でも、それぞれの味付け(前者は醤油や味醂ベース、後者は鶏ガラスープなど)でこのようなお料理がありますよね。いずれも美味。

今回は西洋風の味付けで参ります。

 

現代風・再現レシピ

 それでは実際にやって参りましょう。

1. 用意するもの

【カブ二個分】

・カブ(大) - 2個。

・牛挽き肉 - 100gくらい。

・タマネギ - 1/4くらい。

・卵 - 1個。

・パン粉 - 大匙1杯くらい。

・小麦粉、或いは片栗粉 - 小匙1くらい。

・塩、胡椒、ナツメグクローブ、バター - 少量。

↑ 根菜三兄弟。

 

 「おおきなカブ」が手に入らなければ、小さなものでもよいですが、数を調整してください。

 また、今回わたくしが用いたタマネギは小さいものなので(画像参照)、半分程使いましたが、大きめのサイズのものであれば 1/4 程度でよいと思います。

 

2. カブの用意

 カブをよく洗い、上部を切り落とします。切った上部は捨てずに取っておいてください。

カブが大きい場合は、ピーラーか包丁で皮を向き、底にヒゲが生えている場合は切り落として安定をよくさせます。

カブの真ん中を包丁とスプーンを用いて刳り抜きます。 

↑ 技術力が問われる……!

どうせ底は給仕時には見えませんので、断面の美しさは気にしなくても宜しい。と、開き直っております、はい。加熱をするとどうしてもぐちゃぐちゃになってしまうので潔く諦めましょう。

 

 カブは生のままだと硬いので、最強の文明の利器・電子レンジ600Wで4分程度加熱すると、スプーンが通りやすくなります。しかし、最初から柔らかくしすぎると、底や側面が破れる可能性も高くなりますので注意。

 加熱したら、包丁で切れ込みを入れます。刳り抜く部分の縁を書くようになぞり、スプーンを入れやすいように、オレンジの断面や、ピザのエイトカットのような切れ込みを入れるのがオススメです。

 

 カブは皮も食べることができますが、大きなものになると雑味が強くなってくるので、剥くことをお勧めします。小さいものであれば、皮自体も薄いですし、器としての強度も上がるのでそのままで良いかも。

 

3. フィリングの用意

 タマネギを微塵切りにします。

フライパンにバターを敷き、微塵切りしたタマネギとパン粉を先に強火で軽く炒め、そこに牛挽き肉、卵を加えて更に炒めます。炒めている間に、塩、胡椒、ナツメグクローブで味付けをします。

↑ 炒め終えたもの。

 

 中身はハンバーグと殆ど一緒なので、「捏ねたり練ったりしなくていいの?」と一瞬不安になりますが、普通に炒めてしまって大丈夫そうです。卵の黄身の色が見えるのが微妙に違和感ありますが……。

 

4. 煮る

 カブの中にフィリングを詰め、上部を蓋にして被せます。

沸騰したお湯の中に沈め、カブが柔らかくなるまで煮ます。

↑ 詰めたもの。ぴったり全部入りました。

↑ なんかカワイイ〜!

 

 「柔らかくなるまで、ってどんなもんよ?」という話ですが、刳り抜いたカブの器の厚さなどにもよりますが、大体2, 30分程度煮るとある程度柔らかくなるかと思います。あとはお好みで。

お鍋の深さが足りない場合は、度々お玉で煮汁を上から掛けてあげましょう。

逆に蓋ごと完全に沈める場合は、フィリングが零れ出ないように、レシピ通り紐で縛ってからお鍋に投入して下さい。

 

 フィリングの量は、カブ大2個に対して上記の分量が丁度宜しいかと思います。最後は少し押し込みましたが、全て収めることができました。よかった。

 

 煮ている間に、付け合せを用意しましょう。

今回は、カブのライバル・ジャガイモに参戦頂きました。根菜対決。

 ロシアでは魚卵がよく食されており、それはキャビアイクラに限りません。ということで、ブロック状に切ったジャガイモをタラコとマヨネーズで和えましたが、日本人にとってもタラコ×マヨネーズは定番ですね。

 

5. ソースの用意

 ソースはレシピに厳格な指定がないので、お好みのものを用意して宜しいかと思いますが、今回はそのまま煮汁を使ってスープ風にしてみました。

カブをお皿に盛ったら、煮汁の量を少し減らし、コンソメを多めに解いて、塩・胡椒で味を整えたあと、水によく溶かした小麦粉か片栗粉を入れます。

 

6. 盛り付け

 なんかいい感じに盛ります。

↑ 偶然深皿がジャストサイズ。

(奥のジンベイザメの箸置き、めちゃくちゃ可愛くないですか? お気に入りなのです。しかし、この企画では基本的に出番なし。寂しい。)

Приятного аппетита!

 

食レポ

 優しいお味! そして身体に良さそうな感じがすごい。

今回はスープ風にしたこともあって、洋風お鍋って感じですかね。いやこれ冬暖まりますよ! 流石冬のお野菜。

 

 作っている間は薄味すぎるかなと心配しましたが、特にそんなこともなく。とろっとろのカブ、大変美味です。ナツメグがよく効いています。

 煮る時間にもよりますが、完全に柔らかくなっていれば、カブの器はスプーンで崩すことができると思います。まだ硬ければ、諦めてナイフも使いましょう。

 

 全く癖がないので、どなたでも食べやすいと思います。しっかりと煮てやれば、お野菜嫌いの方でも食べられそう。

以前の「ビーフ・ストロガノフ」も然りでしたが、中上流階級向けのロシア料理、万人受けするものが多い説。有り難いことです。後世の極東人の舌にもばっちり合います。凄い。

 

 現代でもこのお料理は愛されていますが、アレンジを加える方が多いようです。

即ち、最後に煮るのではなく、チーズを掛けて、オーブンで焼くスタイルが流行しています。それはそれでとても美味しそう。こちらもチャレンジしてみたいですね。

 

 カブを刳り抜くなどの工程が少し手間といえば手間ですが、温まる優しいお味の一品なので、冷え込む日に如何でしょうか!

 

最後に

 通読ありがとうございました。8000字強。

 

 最近『アンナ・カレーニナ』を再履しているのですが、この作品はヒロインのアンナと恋人ヴロンスキー、夫カレーニンの三角関係が主題であり、読者の視点もこちらばかりに向きがちですが、同時に描かれるリョーヴィンとキティたちの物語も大変素敵なものです。

 リョーヴィンは至らぬ所もありながらも、基本的には良心的な地主貴族で、自らの手で農業改革に乗り出す精力的な男性です。

細かい部分を注意して読んでいると「ジャガイモを育てている」という記述を何度か確認することができます。『アンナ・カレーニナ』の舞台は1870年代です。

 つまり、1870年代のロシア帝国の地主貴族領でジャガイモを栽培している、という描写が存在しているわけです。これは事情を知った後だと、とても興味深い記述です。

 

 さて、次回、後編ですが、もう一品カブ料理を作ってみたので、そちらについて一筆残しておきたいと思います。少々変わり種です。お楽しみに。

 

 それでは、今回はここでお開きと致します。次の記事でお目に掛かれれば幸いです!

↑ 続きを書きました! こちらからどうぞ。