こんばんは、茅野です。
いつも以上に暗いニュースが続いている今日この頃。国際ニュースは毎日観ているのですが、心が重たくなるので、最近は必要最低限に留めるようになりました。
特にウクライナでの戦争が心を沈ませますが、そんなタイミングで日本公開された映画『親愛なる同志たちへ』。アンドレイ・コンチャロフスキー監督の、ソ連で実際にあったというノヴォチェルカッスク虐殺事件を取り上げた作品です。これは観るしかない! 観て参りました!
というわけで今回は、映画『親愛なる同志たちへ』の簡単なレビューになります。
お付き合いの程、宜しくお願い致します。
キャスト
リューダ:ユリア・ビソツカヤ
ヴィクトル:アンドレイ・グセフ
ロギノフ:ヴラジスラフ・コマロフ
父:セルゲイ・アーリッシュ
スヴェッカ:ユリア・ブロワ
エレナ・キセリョワ
雑感
丁度この間、ゴーリキーを読んでいたので、個人的にもロストフ州の物語はタイムリーに感じました。
↑ 短篇集で、非常に読みやすく、粒ぞろいです。わたしはつい一気読みしてしまいました。
作中でも示唆されていますが、ロストフ州・ノヴォチェルカッスクはドン川に近く、コサックが住まった地。弊ブログでも、過去の記事で少し書いており、例えばこちらの記事に出て来る「アタマン宮(アタマンスキー・ドヴォレツ)」はこのノヴォチェルカッスクにあります。
↑ ロシア帝国皇太子ニコライ・アレクサンドロヴィチ殿下に惚れ込みすぎて奇行に走る人々を取り上げた「限界同担列伝」シリーズ。第二回は、グラッベ将軍編です。
改めて、この地についてもっと知りたいなと感じました。
作中でも、ショーロホフの小説についての言及がありますが、特に高名な『静かなドン』は、ずっと読もう読もうと思いつつ、長くて手を出せていなかったので、そろそろ挑戦したいなと思いつつ……。
↑ 全八巻。マラソンですね……。
取り上げられるのは、この地で起こった無差別虐殺事件について。政府に訴える市民に対し軍が発砲する事件は、帝政時代、1905年にも起こっており、事件が起こった1月22日が日曜日であったことから、「血の日曜日」事件と呼ばれています。
「血の日曜日」事件は、労働者たちが皇帝ニコライ2世に対し、権利の保護などを求めて行進したところ、軍が発砲、数千人にも上る死傷者を出した、と言われている事件です。
誓願の内容は穏健で、行進も平和的な行動だったと言われていますが、祖父を暗殺によって亡くしている皇帝ニコライ2世にとっては、人民が大挙して住居に押し寄せてくる、という状況に恐怖を抱くのも理解はします。尚、この時銃の携帯を許可され、発砲した軍というのは、コサック兵だったことを考えると、何たる因果と申しましょうか。
血の日曜日事件や、ホディンカの惨劇もですが、帝政時代の悲劇は、犠牲となった方の数が数千、数万とちょっと信じられないような数字になるので、毎度驚いてしまいます。
作中、ストライキとデモに参加した人々は、「軍が市民に対して発砲するなんて有り得ないさ」「軍は外国と戦う為にいるんだろ?」と、自らに砲先を向けられるなんて露も思っていません。しかし悲劇は起こります。歴史は繰り返すと申しますか、ソ連時代って帝政時代の歴史をどのように学んだのだろう……と思いを馳せてしまいました。リサーチしたいですね。
丁度、縁があって月末までに血の日曜日事件について再履しないといけない矢先のことだったので、更にモチベーションが上がりました。
これは個人的な意見ですが、ロシア文学の伝統には、「苦悩する加害者像」があると感じています。オネーギンやペチョーリンを筆頭とする余計者や、ラスコーリニコフやチェルカッシといったピカレスクなど、手を汚した人物が葛藤する物語が多く、また傑作であると思っています。
『親愛なる同志たちへ』の主人公・リューダは、「虐殺する側」であった共産党の人間です。友人のヴィクトルも悪名高きKGBに属しており、当時で車を持てる程のお偉いさん。特にリューダは、「デモに参加した人間全員を逮捕すべき」と、過激な提案をするような、共産党の理念に心酔するパトリオット。そんな彼女が、デモに参加した実の娘が行方不明になったことを切っ掛けに、体制に疑問を抱き、揺れ動きます。
とはいえ、長い間自分の理念の中核を為してきた信仰を即座に捨て去れるわけでもありません。スターリンを侮辱されれば怒り、愛国歌を口ずさみます。予告編にもあるリューダの台詞、「共産主義以外に何を信じれば?」は、それをよく表しています。
現代ロシアでも、報道規制などにより、現ロシアの体制、大統領、プロパガンダを盲信している人も少なくないと聞き及びます。その彼らの心理の理解にも、一役買い得る映画であると感じました。
しかし、中盤からは、宗教は禁止されていたのに、お手洗いで神への祈りを口にしたりなど、揺れ動く人間の心理に対する描写が巧みです。
わたし自身がソ連の作品や映画作品に無知なので、知らないだけかも知れませんが、プロパガンダ以外で、体制側からの、特に体制に心酔しきった人間を軸に描く今作は新鮮に感じました。一方で、前述のように、ロシア文学には「苦悩する加害者」の伝統があるため、違和感が全く無いのもまた興味深く感じました。
一点だけ少し気になったのは、銃殺された人々の死に方が少々チープであることです。何と申しますか、単刀直入に言うと、死ぬ演技が上手でない。虐殺の凄惨なシーンでありながら、コメディ映画でよくあるような、「ばきゅーん!」「わあ~撃たれた~(数回わざとらしく痙攣して首ががくんと落ちる)」……みたいな死に方をするので、下手をすれば不謹慎な笑いが起きそうなほど。
まあ、ここで物凄い迫真の演技をされたら、それこそ心理に大ダメージを負いそうな気も致しますが、それはそれでよいのではないかと……。わざとチープな演技をする理由がわからないし、もう少し演技指導してもよかったのでは……などと考えてしまいました。
最後のセリフ、「これからもっとよくなる」は非常に示唆的でした。題にもあるように(珍しく、原題も英題も邦題も直訳で同じ意味です)、リューダのような体制側の人からも、疑問を持ったならば「親愛なる同志たちへ」と、呼び掛け、心を繋げていって欲しいものです。
「これからもっとよくなる」。そうであって欲しい。そうであって欲しかった。今からでもそうなるように祈り、行動しましょう。
最後に
通読ありがとうございました。3000字強です。
わたしは19世紀の帝政時代が好きなオタクで、ソ連時代に関しては全くの門外漢なので、今後リサーチを詰めてゆきたいなと改めて感じました。
今作は、時代に関して言えば、1960年代という、政治的には非常に白熱した10年です。冷戦で対立していたアメリカでもそれは同様で、作中でも「ケネディが核を撃ったら~」という話が出てきますが、正にケネディ兄弟が活躍していた時代でした。
↑ 個人的に弟のロバートが好きで、特にお気に入りの演説の原稿を翻訳したり解説したりしていました。最高の演説なので、是非聞いて下さい。
詳しくないながらも、1960年代には関心があるので、この辺りを中心に掘り下げてゆけたらよいなと考えつつ。
ロシア語に関しても初心者なのですが、最初の方はできるだけちゃんと聞き取れるように頑張っていました。しかしまあ、流石に2時間集中力を持続させるのは難しいですね……。前よりも聞き取れるようになった、と少しは感じられることが救いですね。もっとロシア映画を観て耳を鍛えてゆきたいところ。諸々がんばります。
それでは、今回はこの辺りでお開きとしたいと思います。また別記事でお目に掛かれれば幸いです。