世界観警察

架空の世界を護るために

「ニクサの予言」- 帝政ロシア雑記

 こんばんは、茅野です。

春になり、暖かくなってきたので何か新しいことを始めたいなあと思いつつ、特に具体案がない今日この頃。何か新たなる楽しみを発掘できるとよいのですが。

 

 弊ブログ「世界観警察」のレイアウトは、PC 版では右側に「Recent Articles(最新の記事)」を5つ出すようにしています。但し、最初の1件はブログの紹介記事で固定しているため、実質的には4記事です。

 わたくしは「我らが殿下」ことロシア帝国皇太子ニコライ・アレクサンドロヴィチ殿下に徹底的に沼底に堕とされたため、「Recent Articles」の中に殿下関連の記事がないと、「何か書きたい」という欲求に襲われるようになりました。

でもそれって、4つに1つは関連記事を書きたい、と言い換えられますよね。恐ろしい。

↑ いつの間にか色々記事を書いています。怖い。

 というわけで今回は、殿下関連単発記事になります。

 

 今回は、5歳の頃の幼い殿下の「予言」のエピソードを読んだ後、彼の弟のお名前でもある「ヴラディーミル」という名前の歴史について掘り下げます。

結構ガッツリとロシア語史の話になりますが、易しく書いたのでご安心下さい。

 

 それでは、お付き合いの程宜しくお願い致します!

 

 

「ニクサの予言」

 殿下は、「完成の極致」なる恐ろしい二つ名を持つ常人離れした人物ですが、稀に本当に未来が視えているのではないか、というような発言をすることがあります。

 母である皇后マリヤ・アレクサンドロヴナは、自身の息子がしたという「ニクサの予言( Пророчество Никсы )」について、幾度か言及しています。

 

 たとえば、皇后の女官である А. Ф. チュッチェヴァの1855年3月9日の日記には、以下のようなエピソードが記録されています。

9 марта.
Сегодня, в 20-й день смерти императора, была заупокойная обедня в крепости.
Вечером, после обеда, я имела небольшую аудиенцию у императрицы.
Она лежала на кушетке, но имела хороший вид. Я рассказала ей сценку, имевшую место между маленькими великими князьями; императрица с своей стороны рассказала мне слова наследника, которые произвели на нее тяжелое впечатление.
Дети играли, и императрица услыхала, как великий князь Николай говорил своему брату Владимиру: «Когда ты будешь императором…».
Мать ему сказала: «Ты ведь хорошо знаешь, что Владимир никогда не будет императором».
«Нет, будет, – отвечал ребенок, – его имя означает „владетель мира“».
– «Но ты же знаешь, что не имя, а очередь рождения дает право на престол».
«Да, – сказал мальчик, – но дедушка был третьим сыном, а он царствовал. Я умру – тогда царем будет Саша, но и Саша умрет, тогда им будет Владимир».
Императрица сказала мне, что эти слова в устах ребенка, которому было тогда 5 лет, ее поразили прямо в сердце.

3月9日。

皇帝が崩御して20日目の今日、要塞で追悼式が行われた。

夜、晩餐の後に、私は皇后の元に訪れた。

彼女はソファに臥しておられたが、お加減は良さそうだった。

私は彼女に、幼い大公たちの間で起こった寸劇について話した。一方皇后の方は、彼女に重苦しい印象を残した帝位継承者の言葉を私に話して下さった。

子ども達が遊んでいる時、ニコライ大公が自身の弟のヴラディーミルに、「君が皇帝になった時には……」と言っているのが皇后の耳に入った。

母は彼に、「ヴラディーミルが決して皇帝にはなれないことは、あなたもよく知ってるでしょう?」と言った。

「いや、なるよ」、と少年は答えた。「彼の名前は『世界の支配者』だもん」。

「でもね、帝位に就く権利を与えるのは名前ではなく、生まれた順番であることも知ってるでしょう?」。

「うん」、少年は言った。「でも、おじいちゃんは三男だけど皇帝になったよ。僕は死んで―――皇帝はサーシャになる。けど、もしサーシャも死んじゃったら、その時はヴラディーミルになるよね」。

皇后は、当時5歳だった少年の口から出た言葉が胸に突き刺さった、と仰った。

 グリム童話の『暗黒姫』みたいなことを仰っておられるな……(※『暗黒姫』では、悪魔に呪いを掛けられたお姫様が両親に「15の誕生日に私は死んでしまいます」と宣告する場面がある)。相変わらずのヒロイン枠であった。

 

 こちらの日記は1855年3月、つまり皇帝ニコライ1世(殿下の祖父)が崩御した直後のものです。殿下は11歳ですね。

女官チュッチェヴァは、殿下の10歳年下の妹であるマリヤ・アレクサンドロヴナ大公女のお世話も担当していましたから、冒頭の「幼い大公たち」というのは、当時まだ生まれたばかりであった殿下の妹弟たちのことでしょう。

 

 一方、葬儀を行って不吉なことを思い出したのか、皇后は殿下がまだ5歳であった頃の思い出話をチュッチェヴァに話しました。それがこちらの会話です。

↑ 8歳頃の殿下の肖像。面影ありますね。しかし幼少期からえげつない美少年だな。

 

 彼は、祖父が三男であるにも関わらず皇帝になったこと(ちなみに兄二人、長男アレクサンドル1世には正式な後継者がなく、次男コンスタンティン大公は貴賤結婚をして継承権破棄、そして三男のニコライ大公に御鉢が回ってきた)、そして弟の名前の意味から、三男が皇帝になるのではないか、と言ったわけです。

 

 ツァーリは激務なので、特に帝位に就いたロマノフ家の皇帝たちは短命な運命にありますが、殿下の代は殊更際立っています。

殿下自身は21歳という若さで早逝し、帝位には就けなかったので、「予言」の前半部は残念ながら正解です。

兄が短命すぎて忘れがちですが、弟のサーシャことアレクサンドル3世も49歳で亡くなっているため、長寿とは言えません。

 但し、幼い殿下は、自分の甥になる存在(同姓同名のニコライ2世までは想定できなかった、ということでしょう。

 

 殿下が薨御されたとき、次期帝位継承者となったアレクサンドル大公は、親族や世間から「学力が低く、帝位継承者に相応しくない」と考えられていました。実際、ゲルツェンなどもそのように書いていますね(参照)。

「学者皇女」の異名を持つエレーナ・パーヴロヴナ大公女に至っては、「せめてヴラディーミルを継承者に」と声高に主張しました。ヴラディーミル大公は、特別才能があるわけではありませんでしたが、「少なくともアレクサンドルよりはマシ」だというのです。なかなかはっきり仰る。

 

 成長した当の殿下は、この時の自身の「予言」を忘れたか、或いは忘れたふりをしていたようです。

一方の皇后は、この対話から7年も後にチュッチェヴァに話していることからもわかるように、ずっと覚えていて、胸に嫌な引っ掛かりを残していたとか。

 皇后は、殿下の死後に行われた、アレクサンドル大公の立太子の宣誓式について、自身の兄の妻に対し以下のように書き送っています。

 Я потеряла веру в будущее. Все было совсем иначе, когда Никса в шестнадцать лет принимал ту же самую присягу.
Сможет ли этот брат действительно заменить его, или же исполнится пророчество Никсы?

 私は未来を信じられなくなってしまいました。ニクサが16歳の時に同じ宣誓を行った時とは何もかもが異なっていたのです。

この弟に果たして本当に彼の代わりが務まるのでしょうか、それともニクサの予言は成就してしまうのでしょうか?

 「彼の代わり」を果たしているのかどうかはともかくとして、幸いにして(ということにしておきましょう)、「平和構築者」の治世が始まり、三男ヴラディーミルが帝位に就くことはありませんでした。

 

ヴラディーミルという名前

 ロシア語圏では非常にポピュラーな男性名、ヴラディーミル。

弊ブログの読者様なら、まず何よりも『エヴゲーニー・オネーギン』の登場人物、ヴラディーミル・レンスキーが連想されることでしょう。

一般的には、非常に悪名高くなってきた現ロシア連邦大統領、ヴラディーミル・プーチンや、ソヴィエト連邦を作り上げたと言っても過言ではない、ヴラディーミル・レーニンが思い浮かぶかとおもいます。

 このお名前について考えて参りましょう。

 

 ロシア語のお名前のヴァリエーションは非常に少ない上に(男女合わせても90種程度と言われている)、大半がギリシャ語などからの借用になっています。

一方で、この「ヴラディーミル」という名前は、非常に伝統的なロシア発祥のお名前である、と言われています。

 

 ヴラディーミルは、現代ロシア語では Владимир と綴ります。

この語は二つに分けられます。即ち、Влади- と мир です。 

殿下は、この語が「世界の支配者( владетель мира )という意味だ」と仰っています( владетель = 所有者・支配者、мира = 世界の)

格変化が起こっていますが、語幹が同じであることがご理解頂けるでしょうか。

 

 「世界の支配者」という名前の意味からもわかるように、このお名前は貴族に多いお名前でした。日本語に翻案するなら、そうですね、「統」君、とか「司」君とかになるでしょうか。

「全くのゼロなのか」と問われたらわかりませんが、従って、農民(農奴)でこのお名前を持っている人は殆どいなかったはずです。いたとしても、からかいの対象になったかもしれません。

 ちなみに、余談ですが、『オネーギン』の主人公のお名前であるエヴゲーニー Евгений も、「良い出自」を意味するため( ев = 良い、ген = 遺伝子)、貴族御用達のお名前です。

 

「世界」と「平和」

 Владимир は「世界の支配者」という意味であることがわかりました。

しかし、現代ではこの名前の意味についての異説があります。

 それは、「平和に統治する」という意味ではないのか、というものです。

 何故このような説が生まれたのかを、当節で確認していきます。

 

 先程、「 владетель = 所有者・支配者、мира = 世界の」という意味である、と説明しました。

今度は後ろの単語の方に注目します。

現代ロシア語の мир は、「世界」の他に、「平和」という意味を持っています

このことから、この説が生まれたものと考えられます。

 

 そこで終わりにしてもよいのですが、もう少し掘り下げてみましょう。

ロシア語は、1917年に起きたロシア革命を機に、人為的な変化を遂げます。帝政時代に使用されていた、所謂「旧正書法」の廃止です。帝政期のオタクは、旧正書法も読めるようにしておかねばなりません。

 帝政時代まで、ロシア語では「ѣ」「ѳ」「і」という文字が使われていました。

これは、日本語でいう「ゐ」と「い」や、「ゑ」と「え」のように、同じ読み方をするが違う字を使っていたもので、それぞれ е, ф, и に対応します。

ロシア革命が起こると、このような表記を統一することになり、この三文字は使われなくなりました。

正書法には、他にも、現代ロシア語とは異なるルールが幾つかあります。

 

 мир の話に戻ります。

この語には、現代ロシア語では、「世界」「平和」と、大きく異なる意味が二つあります。

しかし、帝政期(旧正書法)では、読み方の同じ「мир」と「мiр」は別語であったのです。

 

 実際に見た方が早いと思うので、ここでは帝政期に書かれた文章を見てみましょう。

例として、以前の連載、「大公殿下と公爵の往復書簡」シリーズの第七回の書簡をもう一度見てみましょう。

↑ 殿下がイタリアから書いたお手紙です。

 

 

 まずは右上を見て下さい。ロシア語で「フィレンツェ」と書いてあります。

現代ロシア語では Флоренция ですが、旧正書法で書いている殿下が Флоренцiя と綴っているのがおわかり頂けるでしょうか。昔は i の方が使われていたのですね。

 

 重要なのが、下の横書き、宛先です。

訳すと、「親愛なるヴラディーミル・ペトローヴィチ」になります。地味に(?)、公爵の名前もヴラディーミルでしたね。

現代ロシア語では Любезный Владимир Петрович となりますが、殿下は Любезный Владимiръ Петровичъ と綴っています。

つまり、Владимир は、帝政期には Владимiръ と綴られていたのです。

(余談ですが、殿下が宛先に「親愛なるヴラディーミル・ペトローヴィチ」と名前で書いているのはこの手紙だけで、普段は「親愛なる公爵」と書いています。この第七回で扱った手紙は、宛先からして、殿下の "デレ" が出ているのです。あざとい)。

 

 帝政期に於いて、мир と мiр は別の単語だった、というお話をしました。

所謂「同音異義語」というもので、日本語で言うなら「橋」と「箸」の関係にあたります(こちらはイントネーションが異なりますけれども)

では、これらの語はそれぞれどのような意味を持ったのでしょうか。

 

 現代のロシア語で採用されている мир は、帝政期には「平和」の意味しか持ちませんでした。

従って、トルストイの名作『戦争と平和』は、帝政期にも « Война и Миръ » と書かれています。

 一方の мiр の方が、「世界」を意味したのです。

従って、たとえば、弊ブログの名にも入っている「世界観」は、19世紀には « Мiровоззрение » と綴られているわけです。

 

 従って、5歳の殿下が、「 Владимiръ(ヴラディーミル)という名前は владетель мiра(世界の支配者)」を意味する、と仰ったことは正しいのです。

幼いながらに流石の語学力だ……。

 

 ロシア革命で、この「i」という字が失われたことにより、мир と мiр は同じ綴りになりました

 先程の日本語の「はし」の例で言うなら、「箸」という漢字を消滅させて「橋」と同じにしてしまった、というところでしょうか。

以上の結果、мир という一語に「平和」と「世界」という全く異なる二つの意味が宛てがわれるようになったのです。

 このことにより、現代ロシア語では「世界平和」は « Миру мир » と表現します。ややこしいですね。帝政期であれば、« Мiру миръ » になるでしょうか。発音は同じですけれどもね。

 

 旧正書法の廃止により、同じ読みなのに違う綴り、というややこしい問題が一気に解決された一方で、同音(同綴)異義語が増えました

 ロシア語を学習する際には、単語の綴りの歴史まで覚えると、新しい地平が見えてくるかもしれません。

 

最後に

 お疲れ様で御座いました! 7000字です。

 

 この間、Twitter でフォロイー諸賢が「ヴラディーミル」という名前について話をしている様子を観測し、自分も何か簡単に纏めておこう、と思い立ち、このような形にしてみました。

殿下の「予言」の話も書けて満足です。

 

 殿下は他にも「予言」を遺しており、機会があればこちらについても書きたいなと思います。あんなにも才能に溢れているのに予言までしてしまうの、ほんとうに何者なんですかね……。やはり人間ではなく妖精なのか。

 

 ところで、プーシキンは何故レンスキーの名前を「ヴラディーミル」にしたのでしょうね。彼はどのような世界を支配、或いは所有する予定だったのでしょうか。

「韻が踏みやすい」とか、「テンプレ貴族ネームだから」とか、その程度の理由かもしれませんが、物語の側面から深読みできる点がないか、探してみるのも面白そうです。

皆様はどうお考えになりますか。

 

 それでは今回はここでお開きとしたいと思います。また別の記事でお目に掛かれれば幸いです!