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「苺のロマノフ風」とはなにか - 近代レシピ考証

 おはようございます、茅野です。

わたくしは健康優良児であることが数少ない取り柄の一つなのですが、最近利き手に謎の切り傷を作りまくったり(しかも最もよく使う親指と人差し指……)、歯茎が腫れて痛いなと思った途端親知らずが暴れ出したり(恐らく親知らずが原因で神経が押されている)、珍しく不調気味です。何故。皆様はお気を付け下さい。

 

 さて、今回は単発記事です!

ある日、東京の街を歩いていると、ケーキ屋さんの新作に見慣れた名前が……。

↑ !?

 「苺のロマノフ」とはなんぞや。貴公ら、今度は苺になったのか。革命を経て白から熟し、真っ赤になったってこと?(?)。

 

 当ブログをよく追って下さっている方はご承知のことと思いますが、わたくし、ロマノフ朝の某皇太子について調べるのが大好きなので、この名前には過剰反応気味。

そうでなくとも、19世紀のロシア帝国の文化を調べることは最大の趣味です。

三回も振り返ってしまったし、これはもう運命と思って調べるしかない! オルフェウス神話だったらアウト中のアウトです!

 

 というわけで今回は、この「苺のロマノフ風」なるお菓子について掘り下げます。

史料を読み解いて起源と歴史を探り、最後に再現レシピと食レポを記します。

数奇な歴史のあるお菓子で、意外な事実が色々と発覚して、リサーチしていて面白かったです。

 

 それでは、お付き合いの程宜しくお願い致します!

 

 

現代の「苺のロマノフ風」

 まずは、現代で受容されている「苺のロマノフ風」について考えます。

名称

 お名前から見てみましょう。今回の記事で登場する各国語では以下のように表現します。

英:Strawberries Romanoff

仏:Fraises à la Romanoff

露:Клубники по-Романовски

いずれも、そのまんま「苺のロマノフ風」と訳すことができます。

 

内容

 こちら、どのようなお料理でしょうか。ツイートにもある、ケーキ屋さん「Tops」の説明によると、こうです。

苺のロマノフ
ふんわり軽い食感のスポンジでマスカルポーネ
たっぷりと加えたクリームと苺をサンドしました。
クリームのコク、苺の上品な酸味と甘みが合うケーキです。

苺のロマノフ -Tops

 

 画像検索をすると、苺とクリームの甘味がズラリ。どうやら、なかなかシンプルなお料理であるようです。

 

 詳しくは後述しますが、アメリカでは生クリームの代わりにバニラアイスクリームを、ロシアではスメタナサワークリーム)を使ったりするようです。

 

何故「ロマノフ」?

 このお料理、何故「ロマノフ風」と称されるのでしょうか。約300年間にも渡りロシアを統治した一家と、何か関係が?

 

 Google で簡単に調べてみると、「ロシア皇帝の為に作られたから」という記述を多く目にします。

では、14代もいるロシア皇帝のうち、どなたに?

更に調べると、「ニコライ1世の為に」とか、「アレクサンドル1世の為に」と、表記にばらつきが。うーん? これは怪しいぞ??

 

 知名度の低い人物を四年も追いかけてしまったことから、如何に Wikipedia の内容が不適当か、如何に専門的ではない歴史書や、ネットのブログ、一部の企業のページの内容が杜撰かということを痛い程知ってしまったわたくしは、最早一次資料や査読付き論文くらいしか信じられなくなってしまいました(※ウィキペディアン兼ブロガー兼ライターの自分に特大ブーメランを突き刺しながら)。

 では、自分の納得がいくような、しっかりとした検証を行って参りましょうか。

 

時代考証

 それでは始めます。

カレームのサービス

 Google で調べると、至る所に、このお料理を作ったのは19世紀前半に大活躍した偉大なフランスのシェフ、マリー=アントワーヌ・カレームであると書いてあります。

フランス料理の基礎となるソースを確立し、今では誰もがすぐに脳裏に思い浮かべることができる、シェフのあの制服を整えたと考えられている伝説的人物です。

 彼は、一家諸共飢え死にせんばかりの極貧の家庭から、各国皇帝の料理を作るまでに上り詰めた、言うなれば「料理界のナポレオン」。勿論、ナポレオン自身にもお料理を作っています。

 

 カレームとロシアの関係について考えましょう。

事実、カレームは、アレクサンドル1世がパリに滞在している間、皇帝にお料理を提供していたようです。

これは、フランス政府の「美食外交」の一部でした。

 皇帝アレクサンドル1世は、よく知られているように、文化人であって、美食を愛し、フランス料理を好んでいました。従って、フランス政府は、ロシア皇帝に最上のフランス料理を献上することにより、彼の対フランス感情を和らげようとしたわけです。

 

 この戦法は大変上手くいきました。ロシア皇帝はカレームの料理を気に入り、彼を自国の帝都ペテルブルクに招聘します。

しかし、折り悪く、カレームがペテルブルクに到着した頃、皇帝は外遊に出ており、結局カレームによるお料理をペテルブルクでは食すことができなかった、といいます。

カレームは、気候も文化も祖国とは大幅に異なるロシアがあまりお気に召さず、早々にフランスに帰ってしまったからです。

 

 とはいえ、パリに滞在している間は、皇帝のお食事はカレームが用意していたようなので、少なくともカレームがロシア皇帝アレクサンドル1世にお料理を提供していたという事実は存在する、と言えそうです。

 

 カレームは、数多の料理本を出しています。

しかしながら、彼の料理本には Fraises à la Romanoff なるお料理はどこにも登場しません

雲行きが怪しくなってきました。カレームの発明ではないのかもしれません。

 

カレームの「ロシア風」料理

 カレームのレシピ本には、「ロマノフ風」は無いまでも、「ロシア風( à la Russe )」とされているお料理が幾つか登場します。

そのうち、デザートに分類できるものは一種類で、それが「ロシア風シャルロット( Charlotte à la Russe )」です。

 

 カレームの著書『パリの王室御用達パティシエ 第一巻( Le Patissier Royal Parisien. I. )』に載っているレシピによると、ビスキュイの柵の中に、チーズババロワとピスタチオを流し込んだケーキを指すようです。(ババロワってバイエルンでは……? 突っ込んだら負けなのか……? カオスだ……)。

↑ 調べた中では最もオリジナルレシピに近そうなもの。お洒落~!

 「シャルロット」というケーキは、元々イギリス発祥のもので、家庭でも作れる簡単なものであったようです。

それを、カレームが王宮に提供できるほど豪華で美麗に作り直したのが「ロシア風シャルロット」、であるようです。

 

 しかしながら、同時に、同レシピの最後にはこのような一文もあります。

Quelques personnes nomment cette charlotte à la russe, tandis que je l'ai dénommée à la parisienne, attendu que j'en eus l'idée pendant mon établissement; car les premières qui aient paru, ce fut chez les ministres de la Police et des Relations extérieures où je les ai envoyées toutes moulées au moment du service, avec les commandes de pâtisserie qui m'étaient faites pour ces grandes maisons.

ある人々はこのシャルロットを「ロシア風」と呼んでいるが、この一品は私が創業時に思いついたものである為、私は「パリ風」と呼んでいる。最初に提供したのは警務大臣と外務大臣の元で、これら素晴らしい家からパティスリーが受けた注文を元に、給仕時に全てを成形して送ったのだ。

      "Le Patissier Royal Parisien. I.",  Marie-Antoine Carême - 446p. (拙訳)

 

 カレーム氏、やはりロシア帝国のことはお嫌いなのか……?

 

ニースのエスコフィエ

 どうやらカレームの発明では無さそうです。それでいいのかインターネット情報網!?

……では、誰が「苺のロマノフ風」を創作したのでしょうか?

 

 その答えは、恐らく、こちらも高名なフランスのシェフ、オーギュスト・エスコフィエであると考えられます。

↑ 20世紀中頃まで生きた方なので、お写真があります。

 

 ここで、普段わたくしの記事を追って下さっている方に豆知識。

エスコフィエは、我らが殿下の3歳年下で1846年生まれ。そして、なんとニース出身です。また、彼がシェフ見習いとして働いていたニースの「セルクル・マセナ」は、殿下が1865年1月から滞在されていたディースバッハ荘のごく近所です。徒歩圏内。

そして、エスコフィエは1865年4月9日~15日の間に、パリに上京します。ご承知のように、殿下がニースで亡くなるのは同月24日ですから、その直前までニースにいたことになります。

そんなことある? ……病身の殿下にはお料理を提供しないまでも、すれ違うくらいはしている可能性高いですね……。

 

 オーギュスト・エスコフィエは、前述のカレームと共に、「伝説」と並び称されるシェフです。

カレームとは時代が被らないのですが(エスコフィエが生まれる前にカレームは没している)、カレームのメソッドを引き継ぎ、発展させた人物と言うことができます。

 

エスコフィエの『料理ガイド』

 オーギュスト・エスコフィエも、お料理本を出版しています。

そのうちの一つが、1903年出版の『料理ガイド( Guide Culinaire )』です。この中に、我々が探し求めていたものがあります。

レシピを見てみましょう。

Romanoff (à la). – Fraises macérées, dressées en timbale, et recouvertes de crème Chantilly poussée à la grosse douille cannelée.

ロマノフ(風)。 ―――浸した苺を、グラスに盛り付け、太い口金で絞った生クリームで覆う。

    "Guide Culinaire", Georges Auguste Escoffier - 729p.(拙訳)

 

 ……それだけ!?

 


それだけです。マジか。

 

 「苺を何に浸すのか?」というところが抜け落ちていますが、ここには明確な言及がないものの、基本的にはオレンジリキュールであるようです。

ニースは街路樹にオレンジを採用するくらいオレンジ栽培が盛んですから、ニース出身らしい選択であると言えます。

一方で、寒冷な気候であるロシアではオレンジの栽培は難しく、入手困難でした。アレクサンドル3世の治世の頃ですら、未だに入手困難であったようです。

当時ロシアでオレンジを口にできたのは、それこそロマノフ家くらいだったかもしれません。

それで、「ロマノフ風」……?

↑ 思い当たる節はないでもない。

 

アレクサンドル1世の好物

 それでは、現在流布している「カレームがアレクサンドル1世の為に考案した」という説は、全くの嘘なのでしょうか?

ここからはわたくしの推理になります。もう暫くお付き合い下さい。

 

 前述のように、カレームはアレクサンドル1世にお料理を提供していたことがわかっています。

自分が誰かにお料理を振る舞うとなったら、普通その前に相手に何を問うか、考えてみて下さい。

そうですよね、「苦手な物、アレルギーはありませんか? また、好きな食べ物はなんですか?」と訊きませんか?

 

 アレクサンドル1世の主治医ディミトリー・クリメンティエヴィチ・タラソフは、以下のような記録を残しています。

в 10 часов возвращался с прогулки и иногда кушал фрукты, особенно землянику, которую предпочитал всем прочим фруктам.

10時に散歩から帰ると、時折フルーツを、特に苺を召し上がりました。苺は、他のどの果物よりも好まれていました。

そう! アレクサンドル1世は、苺が大好物なのです!

 

 アレクサンドル1世の料理を作り、大層気に入られたシェフは、皇帝の好きな食べ物を把握していた可能性が高いのではないでしょうか? そして、彼の好きな食材を使って、デザートを考案した可能性も高いのではないでしょうか?

 

 カレームが提供したデザートに、エスコフィエが記したようなものがあったのかどうかは最早わかりません。しかし、いずれにせよ、何か苺を用いたデザートを創作した可能性は高いと言うことができると思います。

 

 エスコフィエは、カレームの後継者とも言うべき存在です。彼がカレームの技術を継承していく最中に、アレクサンドル1世時代の苺の料理を発見した……とは考えられないでしょうか?

ロシアとの関わりが乏しかったエスコフィエが(前述のように、せいぜい地元のニースに皇族が滞在することが多かったことくらいでしょう)、何故わざわざ「ロマノフ風」なる料理を考案したのか。

真実は今となっては闇の中ですが、この程度の推理は可能でしょう。

皆様は如何お考えになりますか。

 

20世紀の「ロマノフ」

 アレクサンドル1世に供された(かもしれない)幻のデザート、「苺のロマノフ風」。

このお料理は、20世紀に入って、更に数奇な運命を辿ります。

 

 「苺のロマノフ風」は、現在では特にアメリカで人気があります

「20世紀にアメリカでロシア料理が?(考案はいずれにせよフランス人ですが)。冷戦中なのに?」 ……とお考えでしょう。

ところが、とんでもない「火付け役」がいたのです。

 

 このお料理は、とあるアメリカのレストラン経営者の目に止まります。

彼の名はハーシェル・ゲグージンリトアニア出身です。

…………別名、「自称ミハイル・ロマノフ」。

出た!! ロシア史あるある、僭称者だ!!!

自称「ニコライ2世の甥」らしいです。本当はブルックリンの孤児らしいです。うーん…………。

 

 ともあれ、アメリカに「亡命」したミハイル・ロマノフ、もといハーシェル・ゲグージンは、ロサンゼルスにレストランを開きます。その名も「Romanoff's」。おい!!

 ……当時からこの「自称」が嘘であることはバレており、「ロマノフ家を名乗っている、変なオーナー」という扱いであったようです。

僭称という大それたことをしていることはともかくとして、レストランの方はまさかの大成功。政府高官やハリウッドスターが通う人気店になりました。マジか。

 

 もうおわかりですね。このヤバいオーナーの人気店「Romanoff's」の看板メニューが「苺のロマノフ風」でした。

僭称者は、職業柄フランスの伝説的シェフの料理本を読んだ時に、偶然憧れの名前を見つけて、この料理を「盗作」することに決めたのでしょう。やることやってんな……。

 

 Google で調べると、「ゲグージンが Romanoff's で売り出したから「苺のロマノフ風」という名前になったのであって、それ以前は違う名前だった」と書いている記事も多くヒットするのですが、それは誤りです。

何故なら、エスコフィエの『料理ガイド』が出版されたのは1903年で、初版から Fraises à la Romanoff は載っているためです。これはゲグージンは13歳、渡米したての頃です。

従って、ゲグージンがエスコフィエの著作を読み、盗作したと考える方が自然でしょう。

 

 レストラン Romanoff's では、エスコフィエのレシピを、アメリカ人受けが良いように少し改変し、クリームだけではなくバニラアイスクリームを追加したようで、これがまたアメリカ人の舌にクリティカルヒットしたとのこと。実際それは美味しそう。

 

 そんなアメリカ版「苺のロマノフ風」を愛した一人が、第35代アメリカ大統領ジョン・F・ケネディの妻、大統領夫人ジャクリーン・ケネディです。

「苺のロマノフ風」、まさかのホワイトハウス入り

 

 どうでもいいですが、わたくしジョン・F・ケネディの弟が割と好き……でして……。

まさかこんな変なところで繋がるとは……恐ろしきデザート……。

 

 纏めます。

1. 「苺のロマノフ風」は、19世紀初頭、伝説的なフランス人シェフのカレームが、ロシア皇帝アレクサンドル1世の為に考案したと言われているが、それを裏付ける史料は存在しない。

2. 但し、カレームがアレクサンドル1世に料理を提供していたこと、アレクサンドル1世が苺を好んでいたことは事実である。

3. 現存している最古の「苺のロマノフ風」の記録は、1903年に出版された、フランス人シェフのエスコフィエによるものである。

4. エスコフィエは、(ニース出身であるということ以外に)ロマノフ家との関わりを持たないため、(面識はないものの)師匠格にあたるカレームのレシピを受け継いだ可能性は否めない。勿論、彼の完全なる創作の可能性もある。

5. 20世紀中頃、ロマノフ家の僭称者が、アメリカで「苺のロマノフ風」を流行らせたが、起源とは全く無関係である。

 ……と、このように整理することができると思います。

 

再現

 エスコフィエが『料理ガイド』に書いた「苺のロマノフ風」のレシピは、非常にシンプルなものです。

これであれば、簡単に誰でも作れそう!……というわけで、折角ですし、再現してみました

1. 用意するもの

【大きめの容器一個分】

・イチゴ - 小粒で10個程度。お好みで増減可。

・オレンジリキュール - 30-50 ml くらい。

・生クリーム - 100 ml くらい。

・砂糖 - 7g くらい。

 わたくしが用いたのは「とちおとめ」と、Collesi の Orange Cuvée 。

Collesi 社は1870年創業だそうです。惜しい!(?)。

 

2. 苺の処理

 苺のヘタを取り、包丁で薄く切ります。

オレンジリキュールを回し掛け、軽く混ぜ合わせて、暫く放置します。

 お酒が好きな方は、もっとひたひたになるまでドバッと掛けてしまってもよいかも。画像だと伝わりづらいですが、40 ml 程度で結構な量になります。ジガーくらいだと思えば、確かに結構な量です。

 

3. 生クリームを立てる

 苺を漬けている間に、生クリームを用意します。

氷を張った中ボールの上に、小ボールを重ね、生クリームと砂糖を入れて混ぜ合わせます。

 結構時間が掛かる上に重労働なので、19世紀にはなかった文明の利器・ハンドミキサーを使うのも吉。手動でやりたい方は筋トレだと思って頑張りましょう。

所謂「ツノが立つまで」が理想です。

 

4. 盛り付け

 なんかいい感じに盛り付けます(※一番難しい)。

↑ 不器用の限界。許して下さい!!

Bon appétit! / Приятного аппетита!

 

食レポ

 生クリーム × イチゴが不味い訳が無かった。当然の結果です。誰が作っても美味しいと思います。

スポンジケーキなどが一切入っていないので、確かに「軽めのデザート」と言えるかもしれません。言うなれば、果物にクリーム掛けただけですからね。なんて簡素なんだ。

しかし、生クリームは結構胃に来ますので、調子に乗って食べ過ぎないように注意。

食べた感想、半分くらいで充分だな……と思ったので、上記は二人分程度ということで……。量を作れない一人お料理の悲しみ。

 

 気になるのがオレンジリキュールですが、苺と味が喧嘩しないのが意外でした。

ダイレクトに苺の味が伝わる一方で、オレンジピールの苦みとアルコール特有の辛味が鼻に抜け、大人味です。オレンジの風味は最後にほんのり来ます。

漬ける時間を長くしたり、もっと風味の強いリキュールを使うと、また味が変わるかもしれません。

お子さんやアルコールが苦手な方が作る際は、オレンジリキュールの代わりに、オレンジジュースで漬けると良いそうです。

 

 めちゃくちゃ簡単なので、良ければ是非お家でチャレンジしてみて下さい!

 

最後に

 通読ありがとうございました! 9000字です。

 

 通りすがりに偶然目にしたケーキ屋さんの看板から、ここまで面白い事実が明らかになるとは! ケーキ屋さん様様ですね……。尤も、現代日本風にアレンジされたものは、最早ショートケーキで、元祖レシピとは大分異なるようですけれども……。

 

 しかし、僭称者が広めたとなると、なんとも複雑な心境です。彼の手柄にはしたくないな……。正当な人に正当な評価が下ることを願って……。

 

 基本的に19世紀の文化社会、特にロシア帝国には関心があるので、お料理の再現などもやって遊んでみたいのですが、食材が入手困難だったり、労力が掛かりすぎたり、わたくしの手に余ったりと、なかなか難しく……。これくらい簡単で良いんだよ! と思いつつ。

何か現代の不器用お料理初心者でもなんとかなりそうなものがないか、探してみますね。

 

 それでは、今回はここでお開きと致します。また別の記事でお目に掛かれればとても嬉しいです!