こんばんは、茅野です。
「もういくつ寝ると……」の域に入ってきましたね。恐ろしい。本日、わたしは暖房を解禁しました。
さて、先日は、皆大好き MET ライブビューイング新シーズンの開幕作、オペラ『デッドマン・ウォーキング』にお邪魔しました!
↑ 待っていました!
MET ライビュは基本的に外れないですからね、今作もとても楽しみにしていました。
今23-24シーズンは、前半に新作が3つも続きます。
新作なわけですから、事前情報がないわけで、タイトルだけ見て「何それ?」って思うんですけど、あらすじを読むと全部面白そうなんですよ。もう、ずるいよね。今期も通うのが楽しみです!
今回は、備忘がてらに『デッドマン・ウォーキング』の雑感を記して参ります。
それでは、お付き合いの程宜しくお願い致します!
↑ 端的に物語を表すポスターも素敵!
キャスト
ヘレン・プレジャン:ジョイス・ディドナート
ジョセフ・デ・ロシェ:ライアン・マキニー
シスター・ローズ:ラトニア・ムーア
パトリック・デ・ロシェ:スーザン・グラハム
指揮:ヤニック・ネゼ=セガン
演出:イヴォ・ヴァン・ホーヴェ
雑感
上演時間が比較的長く、いつもより開始時間が10-20分早いです。18:10はちょっと早い(走りました)。最近オペラ観る前に必ず走っているような……??
寄付を呼び掛ける映像などがほぼ総入れ替えになっていて、使われる作品も新作が多くなりました。
従って、『オネーギン』は無くなっちゃいました。悲しい。
鑑賞の前に、急いで映画版を予習しました。原作を入手して読む時間は流石に無かった……。
↑ 映画版の極簡単なレビューはこちらから。
映画版は映画版で、アカデミー賞を受賞しているなど、評価が高いようです。MGM への登録が必要ですが(これを観るだけなら無料お試し期間だけで済みます)、アマプラで観られるので、ご関心あれば併せてどうぞ。
『デッドマン・ウォーキング』って、それだけ聞くとB級ゾンビ映画っぽいですよね。本当は全然違うんですけど。
冒頭の MET 総裁ピーター・ゲルブ氏の紹介曰く、本作オペラ『デッドマン・ウォーキング』は、過去25年間で最も成功した現代オペラとのことです。現代ものは追っていない近代オタクとはいえ、今までタイトルすら聞いたことがないにわかで恥ずかしい限り。
演出上流れる映像が大変凝っていて、ほぼ映画です。映画館で観ていますし。映画と連続して観たら、どちらがどちらだかごっちゃになるかも、の領域。非常にクオリティが高いです。
序曲にて、物語の前提となる強姦殺人の様子が映像で映されます。PG-12 とか R-15 くらいの、しっかりしたサスペンスドラマのような作りで、結構刺激が強いので、お子様には指導が必要です。小さなお子様はこのオペラ観ないか……。
コンクリートジャングルの生まれ育ちとしては、最初に映し出される事件の舞台となる森と湖が美しいなとか呑気なことを考えてしまいますが(そのまま『白鳥の湖』ができそう)、その美しい自然も血で汚されてしまいます。
『デッドマン・ウォーキング』は、事前情報を何も知らずに観れば、「本当にジョセフが強姦殺人を犯したのか?」というフーダニットを問うミステリー的な楽しみ方もできるはずなので、「最初にネタバレしちゃっていいのか?」とも思いつつ、演出家がインタビューで「最初に客観的な視点でジョセフがやったことを観客に見て貰うのがよいと思った」と仰っていて、それもまたアリではあるかなあ……と考えました。
ともあれ、その映像の出来が素晴らしいので、そこだけでも観る価値があります。
この映像の間に演奏される序曲がまた美しくて。意外と、主題が上昇のパッセージなんですよね。現代オペラで、音楽自体は複雑なのですが、意外と覚えやすいところもあったりして、現代オペラ入門にも向いていると思います。
ライブビューイングでは、映像が流れている間は、正に映画のように、完全に映像だけをクローズアップして映しているので、どこまでがオーケストラの演奏で、どこまでが映像に付属した音なのか見分け(聞き分け)るのが困難でした。どういうからくりになっていたんだろう……。
主人公のシスター・ヘレン役は、 MET 常連のスター・メゾソプラノ、ジョイス・ディドナート様です。
小柄でスレンダー、白に近い明るい金髪のマニッシュショート、なのに女性らしさもある抜群の容姿で、聖女が似合いすぎるんですよね……! 前回観たのが『ノルマ』だったので、連続で聖女の役です。わたしの中で、ディドナート様=聖女になりつつある。
↑ ラドヴァノフスキー様×ディドナート様とかいう贅沢すぎる上演。
現代オペラでは、このシスター・ヘレン役を一番の当たり役としているそうで、何回も演じているのだとか。なるほど、大変安定感がありました。
どうでもいいのですが、踵からぺたんぺたんと歩くのが、「(靴が合っていないのかな……?)」と思いつつも、なんというか、小さい少女のようで愛らしかったです。
シスター・ヘレンの親友、シスター・ローズ役はラトニア・ムーア氏。最近 MET で観る現代オペラでは皆勤賞です。
『チャンピオン』でも『Fire Shut Up in My Bones』でも主人公の母親役だったので、キャスト表をよく読まず、彼女が出ると聞いた瞬間、ジョセフの母役かと早合点してしまいました。違った。
しかし、少し危なっかしいシスター・ヘレンに対し、包容力ある親友シスター・ローズからは、なんというか、やはり「ママみ」を感じます……。ディドナート氏=聖女なら、ムーア氏は=母ですね……。
相変わらず、ゴスペルと混ぜたような現代オペラ向きの歌唱が魅力的で、もう2時間半ずっと彼女のゴスペル・リサイタルでも良いくらいでした。
映画版でも、シスター・ヘレンが一人で長距離ドライブして刑務所に向かい、速度オーバーで警官に声を掛けられるシーンがあるのですが、オペラでも健在でした。確かに、「警官に切符を切られる聖女」という図はなかなか面白い。
ドライブシーンが結構長く、その間にアリアを歌います。確かに、一人になるシーンなので、独白の場としても丁度良いのかもしれません。なるほど……。
↑ ドラマティックな曲、英語も聞き取りやすい上、国道を行く映像も素敵です。
この歌が " make me human. " という歌詞で終わるのはとても示唆的だと思います。なぜなら、殺人を行う人は往々にして、相手を「非人間化」するからです。ナチスだってそうですし、今のイスラエルだってそうですよね。
「人を殺してはならない、そんなことはオレにだってわかってる、でも相手は人間以下の猿だから、殺してもいい、生きるに値しない」と、こういう風に言うわけです。
修道女である前に、死刑囚である前に、まず人間なのだと、その当たり前のことを、意識し続けることが肝要です。
乱闘シーンなどでは、舞台上にカメラを持ち込み、至近距離で映して、それをまた大画面に投影させています。臨場感抜群。
ライブビューイングでは、もう隠す気なくカメラマンまで映していたのが印象的でした。
さて、かなり遅れてジョセフが登場。映画版では比較的最初から上手くやっていましたが、オペラだとジョセフ(映画版ではマシュー)とヘレンは衝突しています。
でも、最初から「怖いんだ、助けてくれ」って言えるだけ有望ですよね。
MET で主役級を演じるくらいなので、もう当たり前に上手いです。上手いと逆に書くことがない。筋骨隆々のアメリカンライクなマッチョさんで、タンクトップがよく似合います。
強姦殺人を犯した死刑囚役が似合うっていうのもちょっと失礼な話すぎるんですが、しかし少なくとも、「あっこれは組み伏せられたら絶対動けんわ」という説得力は抜群でした。
ジョセフの母役を務めるスーザン・グラハム様は、なんと、初演で主演を演じた初代シスター・ヘレン。バレエでは、元プリンシパルがお年を召されてから端役で出るということもまあまあありますが、オペラでもあるものですねえ。尤も、端役というより準主役級クラスですが……。
シスター・ヘレンを歌っている動画も見つけたので聴いてみたのですが、めっっっちゃいいですね! これが初代の風格……たまらない。
ディドナート様よりストレートな歌い方で、響きます。ディドナート様の『He Will Gather Us Around』は、なんというか、どことなく歌い方がアイリッシュ民謡風なのですが、そういえば彼女はアイルランド系ですよね。偶然なのか、血なのか……。
映画よりも、デ・ロシェ家の仲が良さそうなのが切ないです。ここで母パトリックの歌詞もよくて、「私のジョーを殺したらあなたたち(被害者遺族たち)は満足するの?」「そんなことをしても被害者たちは帰ってこないのに?」などの歌詞が、非常に訴えかけました。
幕間のインタビューでは、作曲家ジェイク・ヘギー氏や、モデルとなったシスター・ヘレン・プレジャンご本人様が登場。ご存命なのが凄すぎる……、これが現代オペラの魅力の一つでしょね。
特典映像によると、重犯罪刑務所で、『デッドマン・ウォーキング』の公演を行い、一部囚人は合唱に参加したそうです。刑務所で同演目を上演するのも凄いし、現代オペラなのでかなり歌いづらいと思うのですが、そこに参加できちゃう囚人たちも凄い。罪を犯さず歌手になる未来があったかもしれないし、まだ実現には遅くないかもしれない。
こういうことはあまり言いたくないですが、そんなことができちゃう辺りがアメリカ的というか、MET は福祉頑張っているなあというか……。
日本だと、「凄い、偉い、異例のことだ」という扱いですけれど、向こうは半ば富める者の義務という捉え方があるのが素敵なことです。
また、合唱に参加した殺人犯が、顔出しでインタビューに答えてるのも凄まじいです。まだ死刑制度が存置している州もありますが、「罪を憎んで人を憎まず」の精神が浸透していなければできませんよ、そんなこと。
ところで、最近のオペラ歌手は腕立て伏せができないといけないらしいです。オペラ歌手が肥満体型ばかりだった時代は終わりました。
ジョセフ役のライアン・マキニー氏は、元からマッチョな方だな……! とおもっていたら、その筋肉は伊達ではなかった。トータル70回くらい腕立て伏せしていたのでは。
『チャンピオン』の高速腕立て伏せも半端なかったですが、今回はなんと腕立て伏せしながら声を出していました。怖い。MET のマッチョ歌手、怖い。
↑ このアリアの前後が腕立て伏せ。タイトル回収もあり。
最初から、被害者の女の子の父が映画のデラクロワさん役の俳優さんに似ているなー、と思っていたら、まさかの同じ枠(※最初は加害者に寄り添うシスターに突っかかるものの、最終的に非礼を詫びて、ある程度和解し、少しだけ歩み寄る枠)でした。
映画とオペラでは、被害者の男の子と女の子が入れ替わっていて、映画ではジョセフ=マシューが殺したのは男の子、オペラでは女の子の方になっています。それに従い、デラクロワさんも映画だと男の子の父、オペラでは女の子の父になっています。
原作(史実)だとどちらなんでしょう。後で確認してみます。
ジョセフの最後の "Stop!!!!" の迫真さはえげつなく、これ実際に舞台で、且つ前方の席で観たら恐ろしいだろうな、と思いました。映画館でも伝わってきます。
注射による死刑のシーンでは、またカメラマンが舞台上に上がって間近から映しており、ちゃんと針を刺しているように見えました。呼吸が荒く、震えているジョセフの死刑時の演技も凄い。
映像を多用していることもあり、オペラも映画のようでした。劇場で観る臨場感も凄まじいでしょうが、このような意味で、映画館で観るのも合っているように思えました。
現代オペラにして、音楽も聴きやすく、演出も凝っていて、社会問題にも深く切り込んでおり、相変わらずの MET クオリティ上演です。少しでもご関心があれば、鑑賞をお勧めします。
死刑を巡るミニエッセイ
折角なので、最後に、死刑に関して少し書いてお終いにします。
私事ですが、わたしは国際政治の研究会に入会した初期の頃、死刑問題に関する討論に参加したことがあります。
当時高校を出たばかりで、政治について碌に考えたこともなかったわたしは、「現に死刑は存置しているのだし、特にちゃんと考えたことはないけど、なんとなく死刑には賛成」という何ともおつむの足りない考えだったので、日本と同じく死刑を存置しているイラン担当を希望し、イラン政府の立場から死刑を考えてみることにしました。
そこで当時なりにしっかりとリサーチをして、イラン政府がこの問題で何を主張しているかを分析し、死刑反対派の国々が言いそうなことを予測し、反論する準備をしました。
本番では、「死刑は伝統文化」とか、「国際社会の介入は内政干渉」とかなんとか色々捲くし立てて、果ては今でも研究会で「迷スピーチ」と語り継がれるガバガバロジックを披露したりして(我ながら色々な意味で凄いことを言ったと思う)、この討論では一応存置派優勢という決着にこぎ着けました。
研究会入会から3ヶ月の新人にしてはよくやったと、この会議に於ける最優秀賞を頂いたりもしました。この会議を通して、政治討論の「やり方」を理解した面がありましたし、今考えると恐ろしく恥ずかしいことを口走ったりしたなあとも思うのですが、会議全体としては、とても楽しかった思い出です。
しかし、ですよ。討論で行ったガバガバスピーチは、イラン政府の意見を代弁しているだけであって(現実のイラン政府は流石にもうちょっとまともなこと言っているかもしれない)、別にわたし個人の意見が同じである必要はないわけです。
所属していた研究会の良さは、「自分とは別の視点に立って物事を考え、議論する訓練ができること」。新人であるが故のお情けな側面があったとはいえ、仮にも最優秀賞まで頂いてしまったわけですから、死刑問題に関しては殊更しっかりと調べ、自分の意見を確立しておく必要があると考えました。
弊ブログでも何回か紹介しているので、ヘビーな読者様はご存じかと思いますが、わたしは小坂井敏晶先生の『責任という虚構』という本が好きなのですが、この本にも死刑に纏わる章があります。
↑ 本気でお勧め。
ここは死刑に纏わる章ではないのですが、加害者はどのような論理で罰される(べき)なのか、ということについて、冒頭の方にとてもわかりやすい例え話が出てくるので、少し引用してみます。
幼児を狙う性犯罪常習者がいる(とする)。この犯人は幼少の時父親に自分自身、性的虐待を受け、そのトラウマが原因となり子供を見ると性衝動を抑えきれない。
このような病的習慣を持つ人間は社会にとって重大な脅威だから、子供を扱う職業に就かせないなどの行動を制限せざるをえない。あるいは隔離し刑務所や精神病院に閉じ込める必要がある。更生が不可能と判断される場合は死刑もありうるだろう。
だが、いけないと知りつつも欲望に抗しきれず犯罪に走ってしまう人間は自由だろうか。行為に対する責任が発生するのは、その行為を踏みとどまる可能性があるからだ。社会環境や個人資質が原因で他の選択肢がないならば自由意志による行為とは考えられない。
社会を保護するために、このような個人に対して隔離や行動制限などの手段を取らねばならないが、そのことは彼に責任があることを意味しない。
『責任という虚構』 - p.34
人間の嗜好や行動が出自や環境に大きく影響される、或いはそれによって(のみ)形作られる、ということはよく知られたことですが、そう考えるならば、加害者側だって、ある意味ではその犯罪を発生させることになった劣悪な環境の被害者なのであって、犯人個人を憎む理由にはならないのではないか、ということです。
『デッドマン・ウォーキング』でいえば、ジョセフは南部の貧しい一家の出身で、幼少期に父がいなくなり、弟たちは食べるにも困る状況で、そんな中母に紹介された悪友によくないことを吹き込まれ、煽動されて……等々と、恵まれない境遇であったわけで、そこに於けるジョセフ個人の罪とは何か、どの程度か、という話にもなってきます。憎むべきはジョセフではなく、貧困や、教育の不徹底、ドラッグやアルコール、アメリカの銃刀法なのではないか、ということです。
この考え方は、個人的にかなりしっくり来ました。
例えば、「終身刑は金が掛かる」「税金で罪を犯した人間を食わせてやってるのは癪に障る」みたいな言説を耳にします。しかし、囚人だって、刑務所でだって労働はできますし、現にやっていますよね。足りないというのならば、それは制度の問題です。
「遺族の心境が」という話もあります。確かにそれは一理あるかもしれません。しかし、それこそ本作でも取り上げられているように、「犯人が死刑になったからといって満足するわけでは無い」という遺族だっています。それは普遍的な考えではないのです。「人を殺すことは間違っているから死刑にする」、このことが論理的に破綻していることにはお気づきになりませんか。
わたしがイラン担当時にスピーチしたように、「死刑は伝統で文化だ」と言うでしょうか。ギロチンを生み出した当事国であるフランスは死刑を廃止していますし、人権という概念を理解しようともせず、国を挙げて殺人に加担することが文化だと宣うことを、恥ずかしくは思わないのでしょうか。
全部が全部とは言いませんが、日本の今の(義務)教育では、「費用の問題など、現実的(と思われる)ことを言うのが正しい」とか、「ちょっと斜に構えているのが洒落ている」「現にあるものが正しい」「間違っているとは思うが、どうにもならないと諦め、受け入れる」というような考え方が染みついてしまう気がします。現に自分がそうだったから、そのことはよくわかります。そのことも、ある意味で「被害者」と言えるのかもしれません。
しかし、少し調べてみると、そのような考え方が穴だらけであることはすぐに気がつくはずです。正しい情報に上手く辿り着けるか、自分が間違っていたと素直に認められるか、意見を変えることは別に恥ずかしくないことだと思えるか、この辺りが鍵であると思います。
わたしは運良く、とても楽しく学びある研究会に入ることができて、とても人道的な意見を持つ、信念ある最高の政治の教員を師に持つことができたので、「更生」できましたが、誠に残念ながら、全員がそうとは限りません。
このような場所にわたしが粗雑に書き付けたところで、然程役に立つとも思えませんが、誰かの思考の杖として役立つことができればいいなと、僭越ながら願います。
死刑問題に関心を持ったら、入門としてはこの辺りがお勧めです。
わたしは聖人君子ではないので、もし家族や友人が何かの被害に遭ったら、加害者に対し、「○ね!!」と思うだろうし、言うだろうし、その感情を抱いたことに対して「これは人間的に正常な感情だ」と自らを正当化すると思います。
しかし、それは違う、間違ったことだという理性を、頭の片隅にでも置いておきたいと思うのです。それが、仮に実際には何か変えられなかったとしても、一人一人が、そういう理解を持っておくことが、重要であると感じるのです。
自分や周囲がいつ被害者・加害者になるのか、ならないのかはわかりません。であるからこそ、普段からこれらの問題に目を向け、考えたくは無いですが、有事に備えたり、或いは今正に死刑が行われている現実に対して、何かしらのアクションを起こすべきではないかとも思います。
おしまい。
最後に
通読ありがとうございました。8000字強。久々にエッセイも書けて、楽しかったです。
ところで、今季の MET ライブビューイング、大当たりじゃないですか?? 全部通うまである。前半の新作ラッシュが MET らしいというか何と言うか。
飛ばすなら『カルメン』と『蝶々夫人』ですが、キャストがいいですねえ。
個人的には『ナブッコ』が観たいんですが、わざわざこの時期にね……という気持ちは無くもないです。まあ、MET ならちゃんと注釈入れてくれそうですけども。
とにかく、次の『マルコムX』は是非とも伺いたいですね! 予習せねば……。
次の記事は、クリスマスっぽい単発を1本拵えようかと思っています。気長にお待ちください。
それでは、今回はここでお開きと致します。また次の記事でもお目に掛かることができましたら幸いです。