世界観警察

架空の世界を護るために

シュツットガルトバレエ団『オネーギン』2024/11/02 - レビュー

 おはようございます、茅野です。

さあ、やって参りました、我々の祭り、いや戦いとも言うべきか、オネーギン』ラッシュであります。

 わたしはこの作品を人生の最優先と定めているので、日本でこの演目を上演していたら通わねばならない、そういうことになっていますこの間はコロナに罹って遠征に失敗したりしたけども

 

 というわけで、総本山シュトゥットガルト・バレエ団が来日し、我らが『オネーギン』を上演しております。初日、11月2日マチネ回で御座います。

↑ 公式の表記は「シュツットガルト」なんですよね。弊ブログでは、記事のタイトルだけは公式に合わせることにしてるので、そのように表記します。エウゲニを許すな

 

 そういえば、先日、弊ブログの『オネーギン』関連記事が90を越えまして……。

 3桁は目前ですね!

 

 もし弊ブログを訪れるのが初めてで、『オネーギン』のことをよく知らないなら、以下の記事を参照することを推奨します。

↑ 30ページに纏めた簡易ガイド。入門にどうぞ。

↑ バレエ版では改悪されていますが、原作ではオネーギンは寧ろ優しい部類の一般的な常識人です。誤解無きよう。

 

 前置きが長くなりましたが、今回は、いつも通り備忘がてら簡単にこちらの雑感を記して参ります。

それでは、お付き合いの程宜しくお願い致します!

 

キャスト

エヴゲーニー・オネーギン:フリーデマン・フォーゲル
タチヤーナ・ラーリナ:エリサ・バデネス
ヴラジーミル・レンスキー:ガブリエル・フィゲレド
オリガ・ラーリナ:マッケンジー・ブラウン
グレーミン公爵:ロマン・ノヴィツキー
プラスコーヴィヤ・ラーリナ:ソニア・サンティアゴ
フィリピエヴナ:マグダレナ・ジンギレフスカ
指揮:ヴォルフガング・ハインツ
管弦楽:東京シティ・フィルハーモニック交響楽団

 

雑感

 遂にU25が切れやがりましたので、今回は4階ド真ん中で。そうしましたら、一列後ろの文字通り真後ろの席が相互さんで! そんなことあるんですね!! いや、劇場ゴウアーはコスパが良く観やすい席を知っている、そういうことでしょうか。

 

 今回は大人気フリーデマン・フォーゲル御大×エリサ・バデネスさんの鉄板ペア。フォーゲル御大はいつ見ても16歳にしか見えないのですが、御年45歳(!?!?)とのことで、日本で全幕オネーギン役が観られるのは最後なのではないかという危惧が重なり、チケットは瞬殺で御座いました。

幾らスターダンサーが主演を張るとはいえ、『オネーギン』が瞬殺される日が来ようとは。ちゃんと席が確保できて良かったです。

 

 今回の来日公演は、マチソワはなく、毎日1回ずつ、計3回のマチネがあります。有り難いことです。マチソワの時レビュー書くの大変なんだぞ! マジで喫茶店に駆け込んで1時間30分くらいで1万字書き上げてたんだからな!!!!

 しかし今日はマチネのみといえど、終演後に親愛なる我が友と会っておりましたので、あまり記事を書く時間がありません。今日も超特急で仕上げます。

 

 それでは本編。

 

第1幕1場

 開演は5分くらい押しました。また誰か降板したりするのではないかと少しヒヤヒヤしました。

西日本では大雨の影響で交通機関が止まるなど、遠征された方々は苦労されたようです。『オネーギン』の時、台風などと重なる確率高くありませんか?(新国オペラの時もそれで一公演潰れた)。呪われているのか??

 

 個人的に最後に『オネーギン』を観たのは、こちらのノルウェー国立の映像になります。レンスキー大優勝です。

↑ マイ・ベスト・レンスキーを更新。初めてバレエ版レンスキーの「正解」を知りました。

 こちらはユルゲン・ローゼの美術ではないので、改めて本家本元の『オネーギン』を観て、「やはりローゼ御大の美術が一番だな……」と再確認しました。

 

 舞踏会用の服をあてがわれ、鏡を見せられるターニャですが、鏡はチラ見しただけで、殆ど本から視線を外していません。筋金入りの文学少女です。

 

 ポルカ

フルートを中心に木管が転びました。先行き不安です。

 オケに関してですが、これよりも遙かに酷い、お話にならない、アマオケの方が余程マシな演奏に何度か遭遇しているので、「まあまだマシ」とさえ言ってもいいのかもしれませんが、それはあまりに評価が甘すぎます。

フルートやトランペット、ホルンが盛大にコケますし、チェロの統制は甘いし、ヴァイオリンのppは汚いし、スネアは皮の張りが甘いのか、すっとぼけた浮いた音がします。

踊りと全く合っていない(明らかに指揮が悪い)箇所も多かったですし、なんだかな、というところです。

 まあ元々期待はしていませんでしたが、前回観たノルウェー国立のオーケストラの演奏が素晴らしかっただけに、改めて残念に思います。

 

 ポルカのコール・ドは、農奴にしては優雅すぎるな~と思いました。1820年代の帝政ロシアは酷い格差社会なんだってことをもっとわたしに教えてください。

 オリガも柔らかい動きが特徴的なお嬢様タイプ。元気溌剌! 感はあまりないです。ただ、アラセゴンで足が恐ろしく高く上がってバランスキープも長く、テクニックは素晴らしいです。

 投げキッスは入れてくれていますが、物凄く控えめでした。もっと盛大に投げキッスください!(?) 「カッコイイ彼氏にも愛されて、わたしが世界で一番カワイイのよ」という自信満々な陽キャ感出してこ! ここで投げキッス的な振付があるということを事前に知っていないと、気付かないかも、というくらい。

 

 レンスキーの登場。

前回のレンスキーが史上最高だったので、今回個人的に一番ハードルが高かったのはレンスキーです。すみません。

 同じ美術を採用していても、ダンサーによりお衣装に多少の差がありますが、今回はお衣装の色が少し濃いめだな、と思いました。襟とリボンがほぼ黒に近いです。

 オペラ及びバレエの『オネーギン』は、どちらもまずは完全に女性のみの空間から始まります。姉妹の父であるディミトリー・ラーリンさんが亡くなり、その妻プラスコーヴィヤが切り盛りするこの家は、男性の影があまりありません。

 そこに登場する青年レンスキーは、ラーリン家にとって異質です。しかしそれと同時に、幼馴染みであるレンスキーは、彼らに近しい存在でもあります。

ユルゲン・ローゼの美術では、彼に群舞の衣装の色に近いベージュ~ライトイエロー系のカラーの服を着せることにより、初登場の男性ながら、ラーリン家に少し溶け込ませています。そして、次に登場するオネーギンの異質さを強調しているのです。

 改めてそのことをこの全カンパニー来日公演で感じ、本家は強いな……思わされました。

 

 オネーギンの登場。わたしの斜め後ろにサクラがいたのか、一人盛大に登場時に拍手していました。日本人はつられやすいので、そこからパラパラと拍手が発生。わたしはドラマティックでは、主演の登場でも拍手は要らないと思います。

 

 先日、アンスティテュ・フランセでの『オネーギン』の講座を聞いてきました。

 そこでも、鏡の占いについては「ロシアの風習」と紹介されていましたが、これは誤りで、鏡の占いはクランコの創作です。

 原作『オネーギン』第5章にも、タチヤーナが占いをするシーンがあります。ここで「タチヤーナは占いを信じている」と言明され、蝋燭や指輪、そして鏡を使った占いも行われます。その中の一つには、婚約者について占うものもあります。従って、これらを元にしていることは明白なのですが、「後ろから鏡を覗き込んだ人が未来の婚約者」というわかりやすい形に整えたのはクランコです。

 この件について、丁度ツイートしていたりもしました。

↑ 原作を読もう。全人類読もう。「ロシアの国民小説」と呼ばれるこの大作を知ろう。

 

 ターニャは、鏡にオネーギンが映ったとき、跳ねるように驚くというより、立ち上がって振り返り、我が目を疑う、というような動作なのが特徴的でした。

 

 レンスキーの Va. 。意外と跳躍が低く、あれ、本調子ではないのかな……と思いました。

その後の PDD でも、基本的にオリガの方がリードしており、このカップルの力関係を思い知らされます。音の取り方は結構溜めるタイプ。

 PDDの終盤、オリガが上手前にパドヴレで進むとき、腕を明らかに座っているコール・ドに向け、彼女たちもそれに反応していました。

ここは、レンスキーに向けてやっている振付だと思っていたので、今日初めて「コール・ドに向けてだったのか!」と思いました。ここはオリガ役のダンサーや、バレエ団によって解釈が異なるかもしれません。

 また、PDD ではホルンも崩壊しました。『舟歌』だぞ! 頑張ってくれ!!

 

 オネーギンは右手首の袖を弄りながら登場。この「目の前のことに関心を持っていない」感じは、オネーギンを演じる上での必須項目です。良い演技。

 

 アダージオ。オネーギンのサポート付きでゆっくりタチヤーナが回る振りが続きますが、オネーギンを見ている時は見惚れている風なのに、我々観客側に顔が向くときは満面の笑顔なターニャが印象的でした。超嬉しそうなんだもん。

 リフト時のターニャの滞空時間が長く、長年のパートナーシップを感じさせます。

 

 オネーギンの Va.。この Va. では片手を額に乗せたポーズで回る振りが続きます。これはフォーゲル御大のオネーギンの特長ですが、彼はこの手を途中から第3ポジションに変えます。

この額に手の甲を乗せる憂いを帯びたポーズは、正にバレエのオネーギンの象徴とも言えるポーズなので、ここを変えてくるとは! という感じもするのですが、この上の方の手の回し方が大層綺麗なんですよね、それで全てが許されます。正解です。

 

 今日のオネーギンの Va. は、冒頭が凄く走りました。音楽と全く合っていなくて、ターニャも置いていって一人だけズンズン先に進んでしまいます。これはオケの問題なのかもわかりませんが、珍しい現象だと思うので、驚きました。

 そうでなくても、基本的に音の取り方が速く、何か少し変えたのかな? と感じさせました。

 前に四歩大股で進む特徴的な振りは、これもフォーゲル御大の特徴の一つですが、全てプリエのまま進みます。今日も然りでした。

 

 コール・ド。

シュトゥットガルトバレエ団はね、やはりドラマティックでのコール・ドのレベルが高いですよ。特にこの農奴の男性群舞は、ノーブルさを潔くきっぱりと捨て去り、クランコによって大分払拭されてはしまったものの、まだ『チェレヴィチキ』に少し残る、ロシアの「土臭さ」を体現してくれます。ちゃんと識字率低そうで安心する(※褒めています)。

 WBD の時、あまりに身体能力高すぎてビックリしたもんな……。

↑ 恐ろしくレベルが高かった。この時の映像は、全部が正解だった。

 一方で、女性群舞はまだまだ優雅さが残ります。ポルカよりは良くなっていましたが……。やはり女性がバレエで優雅さを捨てるのは難しいのか。恥を捨てよう。

 トランペットは大崩壊でした!! 頭抱えた!!

 

 群舞にはレンスキーとオリガが加わりますが、今日は、なんだかここでもオネーギンは損しているよなあ、と思いました。

 原作では、オネーギンこそが自分の領地の改革を行い、農奴を労り、労働を軽くしますが、一方でラーリナ夫人などは彼らを搾取をしている側なのです。しかし、バレエだけでは、あたかもオネーギンは下々の者を軽蔑して関心が無く、レンスキーやオリガは農民と親しんでいるように見えます。

まさかオネーギンは農奴と踊ったりはしないでしょうが、真に農奴のことを考えているのはオネーギンの方なのにな、と考えさせられてしまいました。

 

第1幕2場

 幕間の演技パート。照明暗くないですか……? もっと明るくても良いよ……? かなり見づらかったよ……?

 オネーギンは、ターニャに会釈した後は尊大にゆっくり歩いて行くものの、折り返して上手から下手に移動するときはスタスタ歩いて行きました。緩急。

 

 シュトゥットガルトのドラマティックは、コミカルなシーンは本気でコミカルに見せてくれるのが魅力的です。「それがパリの味なんだよ!」と言われたら、そうか、パリはドラマティックと縁が無いのだね……としか言えませんが、パリ・オペラ座は是非ともシュトゥットガルトを見習って欲しいですね。

 

 ターニャは、机で頬杖を付くときに手の形がハートマークになっていたり、フィリピエヴナとの対話で首を横にふるふる振ったり、コミカル且つ幼い感じが出ていて素敵でした。まだ16-7歳だもんな……。

 また、フィリピエヴナが寝ているか確認する場では、1回目は腕を掛け布団の上に投げ出し、謂わば「直立不動」なポーズに、2回目は両手で頭(耳?)を押さえるようなポーズで、コミカルでとても良かったです。

 寝直す時に、枕を叩いて柔らかくするのも近代っぽい。

 

 「鏡」の直前、ヴァイオリンのみのppの音がかなり悲惨でした。強弱の付け方が異様にわざとらしく、ここに関しても疑問です。

 

 さて、「鏡」です。前述のWBDが素晴らしかったので、楽しみにしていたこのペアの生「鏡」

 相変わらずバデネスさんはパワフルでアクロバティック。一度『白鳥の湖』の時に彼女が盛大に転倒してしまったのを見たことがあるのですが、それでも尚本当に「恐れを知らない」動きをしていて、バレエダンサーってやはり肝が据わっているのだな……と思わされます。

 相手役のフォーゲル御大は(そうはあまり感じさせませんが)大柄で、バレエダンサーの中でもひときわ筋肉質なので、どれだけパートナーが豪快な動きを見せても全く不安に思わなくて良い安心感があります。その意味で、良いペアだと言えますね。

 しかし、そのような「ダイナミックさ」に関しては、今回よりもWBDの時の方があったかな、と思います。

オネーギンが先にジュテで飛び、ターニャが駆け込んで回る振りなどは相変わらずダイナミックでしたが、冒頭の方のターニャがオネーギンに倒れかかる振りなどは、圧倒的にWBDの時の方が良かったですね。

 

 また、WBDの時にこのペアの演技で良いな、と思った点があまり今回では見受けられなかったのが少し残念な点です。

例えば、オネーギンがターニャを片手で抱き込んで回す振りでは、その前にオネーギンが「向こうへ向かうんだよ」というように下手前の行き先を示します。フォーゲル御大はいつもこの動きをかなりしっかりやってくれるのですが、今回は控えめでした。

 それから、上記の記事でも書いていますが、中盤、ターニャが飛び込んで来てリフトする振りの時、WBDの時のフォーゲル御大はポーズをしていて待っていてくれました。

↑ これ(名称不明)。いつもやっているわけではなく、WBDの時の特徴だった。

 しかし、今日は、このポーズは確かにしてくれるものの、ほんとうに一瞬で、殆どありませんでした。これ、WBDで初めて見て、わたしは結構好きだったんだけどなあ。

 

 『オネーギン』はもう数え切れないくらい観ているので、振付も全て頭に入っていますが、今日改めて、「鏡」でオネーギンが後ろからターニャに2回優しくキスするのも、彼女の腕を引っ張ってたぐり寄せるのも、「手紙」との対比なのだな、と思いました。「手紙」まだ観てないのに。

 

 夢から覚めた後、音楽が妙に速い……! 最後は動きが間に合わず、ダンサー(ターニャとフィリピエヴナ)の方が焦ってしまい、凄く慌てた感じになってしまいました。1幕の最後だぞ! これは酷い。これは指揮が悪い。

オーボエが物凄いロングトーンをするというスーパーゴリ押しによってなんとか繋ぎ止めましたが、明らかに違和感がありました。可及的速やかに修正してください。

 

第2幕1場

 休憩中は、フルート、ホルン、トランペットがガチ練していました。そうだね、1幕で特にコケたのはあなたたちなので、練習は必要でしたね。結論から言って、1幕よりは良くなったと思います。

 

 毎回言っている気がしますが、改めて。文化会館、舞台狭!! 2幕1場では特にそれを顕著に感じますね。

 

 ナタ・ワルツ。

サポート付きのオリガのアントルシャが丁寧で綺麗です。

 レンスキーとオリガが群舞にぶつかった時は、従来通り、二人で笑い合って走り去っていくパターン。これが「スタンダード」の演技だと思いますし、全く問題ないのですが、だからこそやはりこの間のリマさんのここでの神経質なレンスキーの解釈、良かったよなあ……と改めて思ってしまいました。

 「捕まえた!」な振りも、リマさんの方がわかりやすかったです。フィゲレドさんもちゃんとやってはいるんですけどね。

 

 レンスキー・オリガペアに関しては、この間のバレエフェス、特にBプロのコンテの方が圧倒的に合っていたと思います。二人とも、シュトゥットガルトのダンサーなので、演技は上手いのですが、それが踊りにまで反映されていないのが勿体ないです。

コンテの方が、彼らの身体能力が大いに活かされて、真価を発揮できている感じがしました。

 

 オネーギンは咳払いをしながら登場。群舞の挨拶を悉く無視していくオネーギンですが、ここでの演技は数パターンあって、①完全に意図的にガン無視するパターン、②悪意はなく偶然そうなっちゃったパターン、③その中間(無視する意図は強くないが、なくもない。人が近づいてくるなあと思って進む向きを変える)という感じに分かれるのですが、フォーゲル御大は完全に③つ目です。

 上階席なのであまり自信が無いですが、オネーギン、1幕の時よりも前髪上げましたか? フォーマルで良いと思います。わたしはフォーマルファッションの時に前髪を下ろしていたり、髪が肩についていたりするのは論外派です。

 

 ターニャとオネーギンはこの後少し踊りますが、ターニャは歯を見せて笑って、とても嬉しそうです。夢見る夢子さんだ~。しかし、オネーギンは彼女の背を押して遠ざけます。

 一般的に、バデネスさんのターニャは、「元気すぎる、文学少女っぽくない」という意見もあるようです。しかし、ターニャはほぼ初対面の年上の男に「あなたは私の守護天使ですか?」とか書くパッショネスガールですよ。1幕1場や2幕1場はともかく、特に「鏡」などはこれくらい元気なのも「ターニャらしい」気がしますね。

 

 一人でトランプに興じるオネーギンさん。シトースして!!

1枚のカードを左手に持ち、その先の虚空を長く見つめます。何のカードだったんでしょう。Тройка, семёрка, туз! Тройка, семёрка, дама!

 

 恋文破り。フォーゲル御大がタイトルロールを踊る以上は、ちゃんと主人公がオネーギンになると思ったので、オネーギンのことを考えていました。前回はレンスキーが主人公だった

今回、改めて文法が間違っていることでお馴染みの中幕の標語のことを考えました。クランコの創作である、「私に名誉がないならば、名誉など存在しない」というものです。これは原作にはないものです。

 これをわざわざ中幕に書くということは、クランコはこれがオネーギンの行動原理だと考えたわけです。原作ではもっと血の通った、苦悩し反省し恋する男であるオネーギンですが、クランコ版では、謂わば「名誉至上主義」なわけです。頭ザレツキーか?

 クランコのオネーギンは、一度ターニャに手紙を返そうとするのですが、ターニャは「これはあなたに差し上げたものだから」と受け取ろうとしません。彼はそこで、「寧ろこのような手紙を自分が持っていたら、災いの種になる」と考えたのでしょう。この手紙の露呈は、彼らの名誉を傷つける危険性があるからです。

 ですからある意味で、クランコ版に於ける恋文破りは、オネーギン自身の考えでは、「(彼女にとっても何よりも大切なものであるはずの)タチヤーナの名誉を守ってあげたい」という、ある種の優しさでもあったのかもしれません。

 この考え方は、流石にオネーギンをアクロバット擁護しすぎなのではないかと思いましたが、今回のフォーゲル御大はそういう解釈だったのかな……と思わされました。

 クランコ版のオネーギンは、恐らく、第2幕2場で親友を撃ち殺すまで、「名誉至上主義」を抜け出せなかったのでしょう。

 

 今回、フォーゲル御大のオネーギンは、過去とは大分演技の解釈が変化しました。

以前の来日公演で観たときは、彼のオネーギンはとても子供っぽいキャラクターでした。イタズラっぽい少年というような趣きで、ちょっかいを掛けられてもチャーミングな笑顔を見せられれば全てを許せてしまえそうな、「エヴゲーニー君(16)」って感じでした。恋文を破る前も、オリガを誘う前も、明確な悪意がある感じではなく、あくまで「面白いこと閃いちゃったぞ!」みたいな感じで、ニヤッと笑うのです。

 一方で、今日のオネーギンはとても落ち着いていました。この「子供っぽい」オネーギンは、フォーゲル御大の明確な特徴でもあったので、それが失われてしまってなんだか寂しいような、彼の異なる解釈のオネーギンも観られて嬉しいような、複雑な気持ちです。分裂してくれん?(?)

 今回の解釈は、ある意味で、もっと「スタンダード」なオネーギンだと思います。落ち着いた大人のお兄さんで、憂いがあるタイプ。

 御大、こういう演技もできるんですねえ……。彼にどういう心境の変化があり、このような解釈の差が生まれたのでしょう? もしかして違うタイプのオネーギンの解釈もあったりするのでしょうか? 知りたい! 教えて!

 

 グレーミンの登場。クランコ版では、グレーミンがラーリナ家の親戚という設定なのですよね。それで、オネーギンとグレーミンは原作ではかなり親しい親戚という設定ですが、この設定は生き残っているのですか? と毎回訊いている。そうであれば、タチヤーナとオネーギンも親戚ということになるのですが……。

 グレーミンに手にキスされようという時、ターニャは驚いて逃げ出すのですが、今日観て改めて確信しましたが、やはり彼女はグレーミンではなく、オネーギンを見て驚いていますね。フォーメーションの美学。『オネーギン』、特に2幕1場のこの複雑な組み合わせ方は、天才の業としか言いようがないです。

 

 ポルカでは、かなりスタッカートを効かせています。これはこれでよいのでは。

 オリガを引き留めるオネーギンの仕草は本当に最小限でスマートです。バレエは言語のない芸術ですが、「レンスキーでさえも文句の付けようのない社交界の貴公子的な誘い文句で鮮やかにオリガの心を射止めたのであろう」ということがよく伝わります。とても良かった。

 鉢合わせたオネーギンとターニャは、殆どキスしそうなくらいの至近距離に! これはターニャじゃなくてもビビる。

 オリガはずっとオネーギンを見ていますが、グレーミンと組んでいるターニャもずっとオネーギンを見ています。流石、モテる!

 

 タチヤーナのVa.。

今日はレンスキーではなくずっとターニャを見ていました。お陰で仲直りは見逃した。目が足りない。

オネーギンの方へピケターンで進むとき、ルルベにすら降りず、ずっとポワントのまま進んでいたのが印象的でした。流石のテクニックです。

 終盤、下手前まで進む前、上手奥でしっかりポーズしていたのが好印象でした。ここでちゃんとポーズ止めてくれるダンサーさんなかなかいなくないですか!?

 

 フィナーレへ。

わたし、この入りはオネーギンは帰ろうとして、手袋を忘れたから戻ろうとしているのだとずっと思っていたのですが、今更になって別にそうとは限らないのかも? と思いました。別に必ずしも帰ろうとしている風でもないですよね? どう思いますか?

 オリガは、明らかにレンスキーとオネーギンを見比べてから、レンスキーに「ダメダメ」と人差し指を振り、オネーギンの手を取ります。それは悪意があるって!

 

 オリガを奪った時、オネーギンは左腕を自然に垂らしていました。別に綺麗に伸ばしてくれていても良いよ。まあこれはこれで。

 フィナーレでのオリガとのダンスは、オネーギンの足さばきが今日一鮮やかで、なんというかよくわからない感想ですが、「あ、原作通りダンスが上手いのだな」と思いました。マズルカを踊りこなせる紳士だ!(相手はフォーゲル御大だぞ?)

 異変を察したタチヤーナが下手側から駆けてくるのですが、ガチ走りでしたね。お姫様役でやったら怒られそうですが、田舎貴族の令嬢くらいであればセーフか?(?)

 リマさんのレンスキーを観た後で全てが薄味に思える期間中なのもあってよく言えば、レンスキーはしっかり「脇役」に徹しているな、と思いました。絶対に主役を食わない。まあ、これは『オネーギン』という作品なのだと思えば、そしてオネーギンがしっかり主役を全うできているのであれば、これはこれで纏まりが生まれるのではないでしょうか。

 

 手袋ビンタはなんだか柔らかめ。レンスキーは不機嫌に大股で去って行きます。

オネーギンは手袋を拾って頷くタイプですが、動きが速いので許容範囲内ですゆっくり頷く演技が好きではない

 

第2幕2場

 幕間の演技。オネーギンはレンスキーに手を伸ばさず、駆け寄ろうとして後ずさります。既に動揺が窺えます。

この幕間の、特に前側に立っている時のオネーギンは、彼の心理状態を表していると捉えられるので、既にこれくらい動揺している解釈は良いと思いました。

 

 ノルウェー国立のアルサカーさんの美術では、2幕2場での月が恐ろしく大きかったので、第一印象は「月ちっっさ!!!」です。ビックリした(?)。

 

 レンスキーのVa.。動きが大変機敏です。若そう。

相変わらずテクニックは素晴らしいです。足が綺麗に伸びる! しかしこれ、スポットライト班は大変だったのじゃなかろうか……。

 ところで、1幕のものも2幕のものもどちらもですが、レンスキーの Va. は何故か知りませんがよく左右反転します。どちらが「正規」なのかわかりませんが、人によって左右がバラバラです。

フィゲレドさんのレンスキーは、膝を突いて後ろに倒れ込む振りは上手側から下手側へ行くタイプです。

 

 姉妹が登場。

ここで改めて思いましたが、スネア音気持ち悪くないですか? まあ『オネーギン』の生演奏では高確率でこんな感じな気もしますけど……。明らかに音が浮いていると思います。

 フィゲレドさんのレンスキーは、姉妹を本気で拒絶するような演技でした。そこに迷いはなかった。

 

 オネーギンの登場。ビンタはする振りだけでしたが、太腿叩きは2回ガッツリ入りました。パンパン! と、発砲音のような乾いた音で流石でした(?)。毎回、オネーギン役の方の太腿に痣ができていないか心配になるオタク。

 

 決闘。オネーギンさん~! あと3歩前!! あと3歩前に進んで~~!!

わたしは今回文字通りのセンターの席だったので、ナナメだから向き的に~という言い訳は通用しません。決闘の際、中幕の木に隠れちゃってましたよ! わたしたちはオネーギンさんを観に来ているのだから、木の後ろに隠れないで~!

 明日はちゃんと見えるといいな!

 

第3幕1場

 休憩を挟みまして第3幕です。

 

 今更知ったのですが、クランコ版の3幕1場はグレーミン邸という設定らしいです。

原作では、タチヤーナが「夜会のホスト」に挨拶する描写があるので、舞台は明らかにグレーミンの家ではありません。わたしの考えでは、レールモントフが『仮面舞踏会』の着想を得、スタシュレーヴィチ先生が我らが殿下の健康を祈る乾杯の辞でガチ泣きしたことでお馴染みの(?)、貴族会館あたりが怪しいんじゃないかなあ、と踏んでいます。どう思いますか?

 

 トランペット、終了のお知らせ。明日は生きてください。

特に男性群舞は、1幕の農奴と同じ人たちが演じている(だよね?)と思うと恐ろしいなと感じてしまいますね。流石の演じ分けだ。

 

 グレーミン公爵。大変威厳があります! わたしが観た中で一番威厳があるグレーミンかも。ノヴィツキーさんのグレーミン、過去にも観たことあるんだけどな? その時よりも数倍威厳がある気がする。進化した??

 意図的だとは思いますが、3幕では歩く時に少し前屈みなのが気になりました。それもある意味で壮年であることを表しているようで良いと思いますが、どういう意図なのだろう、とは思いました。

 

 オネーギンの回想。

即興曲』繰り返しの2回目で恐ろしく減速します。ここまで変えるのはわざとらしすぎるのでは?

クラシック音楽界では、「繰り返されるところを同じように奏でるのは御法度」なのは勿論承知していますが、もうちょっと滑らかな変化が欲しい。

 女性陣は、ポワントの音が大きいのが少し気になりました。作中で一番ポワント音がしたのはここかも。いきなりパドヴレで大人数が出てくるから仕方ないんだけれども。

 

 PDD。

グレーミンにはソロがないので、ダンサーとしての能力を測りづらい側面がありますが、サポートがめちゃめちゃ上手いことだけはわかりました。オネーギンよりもふんわり上げる。もうなんかリフトの下ろし方が『ジゼル』2幕や『シルフィード』でもいけそうだった。

 

 これはフォーゲル御大の新しい解釈なのでしょうけど、オネーギンは、タチヤーナに気が付いたから立ち上がるのではなく、目の前に立っている女性(群舞)がいることに気が付いて、席を立ちます。そして彼女に席を譲り、振り返ってそこでタチヤーナが踊っていて驚くのです。

 この辺りからもオネーギンの紳士さが窺えて、これまでのフォーゲル御大のオネーギンよりも、もっとジェントルで素直なキャラクター像に変化したのを感じました。

これ、凄く良いな! 『オネーギン』という物語としては、ターニャに気が付いて弾かれるように立ち上がるのが「正解」なのでしょうけれど、ここでオネーギンの紳士的な側面を強調しておくことは、とても素晴らしい演技であると感じました。原作ファンもニッコリ。

 

 再会したタチヤーナは、毅然とはしているが逃げようとはするという、絶妙な塩梅を突いてきました。そしてしっかり振り返ります。これくらいの解釈、わたしは良いと思います。

 

 最後、上手、下手を一瞬ずつ見て、辛そうに頭を振ってから駆け出すオネーギン。やっぱり演技は大きく変化しているように思います。感情の発露が素直になり、彼の苦しみを強調するようになりました。

 更に注目すべきはこの後の幕間の演技パートです。

オネーギンは上手側から走ってきて、困ったように右往左往します。地味に、今までで一番明確に精神的に参っているオネーギンかもしれません。慌てる演技がとても上手いです。いつ習得したのそれ!? 6年前はやってなかったじゃん!

 一つだけ気になったのは、レンスキーがオネーギンが撃つよりも前に斃れたことです。ちょっと速かった。

 

第3幕2場

 さあ、フィナーレです。

ところで、今回、バデネスさんはインタビューで以下のように回答しています。

バデネスの解釈によると『オネーギン』は第2幕と第3幕の間に10年ほど時間が経過しており、タチヤーナは結婚し子供ももうけている

シュツットガルト・バレエ団日本公演 記者会見レポート

若く夢にあふれた女性が、最後の方で家庭を持ち、子どももいる中で昔の最愛の人に再会するというストーリー自体がとても美しく、誰しもが共感できる部分があると思います。素晴らしい傑作ですし、挑むたびに喜びを感じます。

シュツットガルト・バレエ団 エリサ・バデネスが語る、ドラマティク・バレエの名作『椿姫』『オネーギン』の魅力~ドイツの名門、フルカンパニーで6年ぶり来日

 原作では、N公爵(グレーミン公爵の原作での名前)とタチヤーナの間に、子供がいるという設定はありません。

 寧ろ、個人的には、彼女には子供がいないし、なんなら公爵と性行為もしていないのではないかとさえ考えています。幾つか根拠となる描写がありますが、これはあくまでわたしの仮説です。

↑ ChatGPTも賛同してくれた。ありがとう。

 原作では、第2幕に相当する場面から第3幕に相当する場面まで、2-4年程度しか経っていません。3幕相当では、オネーギンはまだ26歳で、タチヤーナは21歳くらいと考えられます。彼らの人生はまだまだこれからなのです。

 オネーギンの仲の良い親戚(従兄である可能性も)であるN公爵=グレーミン公爵は、戦争で負傷した傷痍軍人で、深刻で不可逆的な傷があります。

 ここからはわたしの推測ですが、このことから、恐らくその傷が原因で公爵はタチヤーナとの性行為は行っておらず、今後も行う予定はなく、だからこそ当時の価値観でも、オネーギンにはタチヤーナとの再びの恋が許される可能性があったと考えます。

 先程の画像でもChatGPTが言及してくれましたが、プーシキンの時代は検閲がとても厳しく、エロティックな単語は一切使用ができませんでした。実際、原作の『オネーギン』は、言ってしまえば物凄く「クリーン」な描写で構成されており、同じくバレエになっている『椿姫』や『マノン』とは対照的です。そこから、研究者の意見では、幾つかはエロティックな隠語であろう、とされる表現が幾つかあります。わたしはこれもその一つではないかと考えます。

 彼らはまだ若く、相思相愛だし、ギリギリ恋をしても許される関係性にある、だからこそタチヤーナの明確な拒絶、正にその拒絶だけがオネーギンを退けることのできる唯一の武器であり、だからこそオネーギンは絶望したのではないか、これがわたしの『オネーギン』に対する解釈です。

 

 ……だからこそ、「タチヤーナに子供がいる」という設定はどうなのか、と考えてしまいました。元からクランコ版では、2幕から3幕の間に10年もの歳月が流れているという設定で、「今更感」が半端ないです。更に子供までいるとなったら、オネーギンに勝ち目などあるわけないじゃないですか。

 実際、ちゃんと裏を取れていませんが(出典教えてください)、改訂前のクランコ版『オネーギン』では、3幕2場でタチヤーナの子供たちが登場したそうな……。

 原作では、特にわたしの仮説に基づけば、寧ろ勝算が高いのはオネーギンの方です。一方、クランコ版では、明白にオネーギンは劣勢です。

そんなに望み薄な希望が叶わなくて、人は斯くも絶望するものでしょうか? あなたはどう思いますか?

 

 さて、上演に話を戻しましょう。

物や人が減った分、3幕2場は舞台が広く見えますね。

 

 PDDの音楽に戻る場面では、ターニャは1回目は両手と顔をグレーミンの胸に埋め、2回目は抱き締めていました。

 

 「手紙」です。まず一言。最大の見せ場で携帯電話を鳴らすとは何事か。猛省してください。

 急にテンポがかなりスローダウン。ホルンは相変わらずお亡くなりに。

 序盤、タチヤーナはオネーギンを拒絶するときの目つきがかなり冷ややかです。いいですね! 向き合ってタチヤーナが逃げる振りでも、かなりしっかり身をよじっています。

 

 サビ(?)の前では、バットマンだけでは足りず、上手後方にかなりの歩数下がっていました。そう考えると、舞台が大きそうに感じるのだけどなあ。

これは殆どのオネーギンに5億回言っていますが、サビはもっと全力でターニャを受け止めてください、宜しくお願いします。あなたが欲しいのはその女性でしょ! もっと本気出せよ!!

 この直後、タチヤーナが振り返ってオネーギンに飛びつき、キスをする際の振り返り方がダイナミックで素敵でした! これはバデネスさんのような大きく動けるダンサーならではのターニャ。

 大ジャンプの前はキスなしでした。

 

 しかし何より素晴らしかったのは、タチヤーナの動きに、オネーギンが「驚いていた」ことです。

わたしは常に、「音楽を待っています、とか、振付通りに踊っています、というのが垣間見えるようでは、ドラマティックでは足りない。表現力・演技力を磨くべし」と再三言っていますが、今日のフォーゲル御大の「手紙」に関しては、そういうものが一切なく、極めて自然でした。

 自分の手が振り払われたことに驚愕し、一瞬たじろいでから、タチヤーナを追い掛けます。そのプロセスは振付で定められたもののようには見えず、初めて行われたかのようです。御大、6年間で演技お上手になったね?

 

 最後、破られた手紙を投げ捨て、ターニャに駆け寄るオネーギン。いいんじゃないでしょうか!

無論最後には追い払われます。バデネスさんの最後のポーズはグー派ですが、グーを作るのがかなり遅く、ほぼ幕が閉まる直前でした。

 

 

 カーテンコールでは、主演二人を照らすスポットライトがなんだかハートマークのようで、ちょっとエモかったです(語彙力)。

花束は女性二人に対してで、3幕1場のモーツァルト鬘さんが持ってきました。

 

 

 こんなところでしょうか?

総評としては、安定した上演だったと言えると思います。流石シュトゥットガルトの看板キャストによる看板演目の上演であると言えるでしょう。

 特にフォーゲル御大は過去の上演からかなり演技や解釈に変化があり、とても興味深く思いました。こういうのがあるから通うの辞められないんだよね~、『オネーギン』……。わたしは彼の「子供っぽい」エヴゲーニー君が結構好きでしたが、こちらの解釈もとても好きです。

 一方で、「このキャストでこの演目を観るなら、もっと心が動かされても良いよな」と感じたのも事実です。特に「鏡のPDD」に関しては、勿論今日も及第点超えなのは間違いないのですが、WBDの時の方がクオリティが高かったです。

 とはいえ、安定的にこのクオリティの上演が可能であるところが看板たる所以であろうし、オタクとしては勿論楽しい上演でありました。

 以上!

 

最後に

 通読ありがとうございました。1万5000字です。まあ5桁乗るのは当然であろうと思いましたが、1.5倍書くことになるとは。初日からアクセル踏みすぎかもしれません、いや、初日だからこそ書くべきことが多いというのもあるのですが。

 

 さて、明日(というかもう全然今日)も『オネーギン』を観ますから、わたしはこの記事の誤字脱字をチェックしたら仮眠を取らねばなりません。まさかこのわたしが『オネーギン』で寝落ちるなんてことは有り得ないにしても、絶起でもしようものなら終わりますからね。

 というわけで、次回の記事は翌日のレビューとなります。

 

 それでは、今回はここでお開きと致します。また次の記事でもお目に掛かることができましたら幸いです!

↑ 翌日のレビューも書きました! こちらからどうぞ。