世界観警察

架空の世界を護るために

METライブビューイング『チャンピオン』 - レビュー

 こんばんは、茅野です。

最近の生活では全く英語に触れていなかったのですが、 Duolingo で遊ぶ際、デンマーク語などは英語版しか対応していないので、結果的に英語に触れるようになりました。

デンマーク語はいいとしても、ロシア語には冠詞の概念や厳格な語順がないので、英語の方で✕貰ったりします。寧ろロシア語より英語で間違えている気がする……。いいのかそれは!?(ダメです)。

 

 というわけで、英語オペラです。先日は MET ライブビューイングのオペラ『チャンピオン』にお邪魔しました。

↑ いつもお世話になっております!!

 

 広告からして「異色の現代オペラ」という感じで、行くか迷っていたのですが、オペラファン兼ボクシングファンの父上が先に一人で観に行き、「めっっちゃ良かった」と言うので、わたしも伺うことに。結論、「めっっちゃ良かった」です。

 

 今回はこちらの雑感を記して参ります。それでは、お付き合いの程宜しくお願い致します!

↑ 左下のいつものロゴが無ければ絶対オペラのポスターとは思うまい……。

 

 

キャスト

エミール・グリフィス:ライアン・スピード・グリーン、エリック・オーウェン
エメルダ・グリフィス:ラトニア・ムーア
キャシー・ヘイガン:ステファニー・ブライズ
ハウウィー・アルバート:ポール・グローヴス
ベニー・"キッド"・パレット:エリック・グリーン
指揮:ヤニック・ネゼ=セガン
演出:ジェイムズ・ロビンソン

 

雑感

 「なんかすごい作品を観た……」というのが初見の感想です。もうどこから書いて良いのかわからない。

なんでもあります。音楽的にも、内容的にも、視覚的にも多様。「オペラとして凄い」というよりも、「作品として凄い」という感じです。

豪華だし、面白いし、観やすい……。ピーター・ゲルブ氏(MET芸監)の方針ともよく合っていると思います。

 

 本作は、ボクサーのエミール・グリフィスの半生を描いた伝記オペラ。20世紀アメリカのボクサー! という、余りにもオペラには合わなそうな題材で、広告を見たときはド肝を抜かれました。

「オペラに向いた題材か」と言われれば今でも疑問符ですが、しかし作品としての完成度は高い。流石です。

 

 わたしはボクサーについては井上尚弥さんくらいしかわからないミリしら勢ですが、アメリカや、ボクシングファンの間ではやはり有名なようで(ボクシングファンの父曰く、「自分よりも世代が上だから観たことはないけど、名前くらいは勿論知ってる」とのこと)、伝記も色々出ています。

↑ 読めていないですが、この辺りなど。この作品を観た後だと普通に気になるな……。

 

 舞台芸術が三統一の原則から解き放たれて久しいですが、しかしやはり長い期間を描くというのは難しいもの。今回は、エミール・グリフィスの幼少期・青年期・老年期と、同じ人物を三人構成で演じています。

 実質的に捨て子で、虐待されて育った幼少期。性的嗜好に悩みつつも、プロボクサーとして活躍した青年期。そして重度の認知症を患った老年期と、どれも演じるのが難しい、或いは演じ甲斐がある役柄になっています。

 

 絶対に演じるのは難しいだろうと思います。演技力が求められるのは勿論のこと、特に青年期のエミール・グリフィス役に関しては、「チャンピオン」の名に相応しいプロボクサーに見えなければいけない。

現代ではそうでもなくなってきましたが、オペラ歌手はワガママボディな方も多いので、「誰がボクサー役なんて演じられるんだ……!?」と不安もありました。『椿姫』の初演でふくよかな椿姫が結核で死ぬというところで観客が興醒めしたように、おなかぽよぽよのチャンピオンだと、流石にちょっと没入感に欠けそうですし……。

 

 そこで、主役への大抜擢だというライアン・スピード・グリーン氏ですよ。

なんと、インタビュー曰く30kg減量したとか……!! 役作りが本気すぎる……!!!

 彼はよく他のキャラクターから Honey smile とも歌われているのですが、事実笑顔も素敵です。グリフィスご本人を知らないまま言うのもおかしな話ですが、もうエミール・グリフィスにしか見えない。寧ろもう彼以外にこの役を演じることはできないのでは? の領域。「嵌まり役」ってこういう時の為の言葉なんだな……と噛み締めております。

 音楽に合わせた超高速腕立て伏せからの歌唱とか、ほんと普段絶対オペラ歌手に求められない能力を発揮していると思います。どういうことなの……。なんでそれができるの……。

 彼に絶対に主演男優賞的なもの(あるのか?)をあげて欲しい。

 

 勿論声も輝かしくて素敵なのですが、役にかける想いと演技力とが凄すぎて、そちらの方が印象強いですね。バス2人で主役というのもチャレンジングです。

これから MET で大活躍なのではないでしょうか!? 他のクラシカルなオペラで集中して歌声を聴いてみたいです。

 

 老年期のグリフィスを演じるのは、MET ではお馴染みのベテラン、エリック・オーウェンズ氏。重度の認知症を患っているという、これまたオペラとしてはレアな役柄です。やはりボクシングで頭を殴られまくったりすると、発症しやすいのでしょうか。

 勿論非常に安定感があります。前回お目に掛かったのは『ドン・カルロ』でのフィリッポ王。現代物もいけるんだ……という新鮮な驚きがありました。

 溌剌としていて甘い笑顔の青年期グリフィスを見た直後に老年期シーンに入ると、靴を冷蔵庫にしまっちゃったり、その日の予定が思い出せないのが痛々しくてしょうが無いです。人間とは……人生とは……という哲学が始まりそうになります。

 

 少年期を演じるのは子どもです。しっかり歌も歌います。オペラではなくミュージカル風ですが、子どもの役にオペラ歌曲一曲というのも酷な話でしょうし、ここでミュージカル調になることで、更に音楽の多様性が生まれていて素敵です。

 歯の生え替わり期の幼い少年にして、堂々と舞台に立ち、堂々と一曲歌い上げました。流石世界の MET に起用される少年だ、面構えが違う。客席は大盛り上がり。これは熱烈な拍手を贈らざるを得ない。

 それにしても、引き取り先のおばさまの虐待えげつないですね! 普通に殺す気満々すぎる。史実ではどうかわかりませんが、少なくとも作中では絶対「こいつ早く死なねえかな」と思っている。怖すぎる。この時点で PTSD の因子はあったような気がします。こんないたいけな少年を、可哀想だと思わんのか。

 

 他のキャラクターも凄いです。

体型面でいくと、勿論グリフィスの対戦相手、ベニー・パレット。

↑ 奥の黄色いローブの方。手前の紫のローブが主人公グリフィス。

何? その腹筋。逆に最早オペラ歌手に見えない。ボディビルダーと言われても信じる領域。この作品に出てる歌手みんな狂ってんな……(※とても褒めています)。

普通に歌手でめちゃくちゃビックリした……。

 

 ゲイ・バー「ヘイガン's ホール」の皆様は、最早誰が男性・女性で、誰がダンサー・歌手なのか全くわからない。なんだこれは……。

↑ ゲイバーのシーン。写真で見ても誰が男性・女性で、誰がダンサー・歌手かなどわかるまい。実際に観たのにわかりませんもん。引っ掛け問題も多々。クイズにできそう。

 歌詞曰く、「ここにいるのはヘイガン(中心のふくよかな黒ドレスの人物)以外全員男性」なんだそうですが……!? 嘘か本当かわからない……。

更にすごいダンスが上手いダンサーさんだな、と思ったら急に歌い出して実は歌手だと判明したり……。どういうことなの?? この作品に出演している人みんな以下略(二回目)。

 

 えげつねえ毒親グリフィスママもソロ歌唱が凄く素敵で! あの曲もう一回聴きたいな。チャーミングな感じも大変素敵でしたが役どころはウルトラ毒親です。こうやって周囲を騙して生き延びてきたんだなこの女……! いやしかしその演技がハチャメチャに良いという話で御座います、はい。

 

 

 オペラになったり、ミュージカルになったり、ジャズになったり、ポップス風になったり、民族調になったり(わたしがジャンルを知らないだけで多分もっといっぱいある)、音楽の多様性も凄まじいです。

副題は「Opera in Jazz」というそうですが、それにも納得です。いや、もっと広く、「音楽劇」とかでも良いと思います。

この記事にも貼りますが、MET 公式が幾つかこの上演の切り抜き動画を投稿しているのですけれども、それだけがこの作品の方向性だと思わない方が良いです。めちゃくちゃ多様です。シーン毎に全く違う。

 場面展開と音楽の方向性が揃っていることが多いので、暗転を挟まないシーン転換などもわかりやすくなっています。

 

 ビジュアルの多様性、スペクタクルも凄いです。フェスティバルのシーンめちゃくちゃ楽しい。好き。

↑ 観ていて楽しい。

 勿論ジムやボクシングリングのシーンなどもセット・お衣装含め非常に良いです。一作品にこんなに多様性があってよいのか? それでいてゴチャッとしないのが凄すぎる……。

 

 

 今作は、非常に多様な問題を扱っています。社会問題に関心がある人はもうそれというだけで観に来て欲しいです。

 

 まず1つ目は、人種に関してです。登場人物は8-9割方が黒人というか有色人種。バレエのように、ドーランを塗って誤魔化したりということもないです。「そういうところだぞ!」という感じですが、有色人種のオペラ歌手も徐々に増えては来ているものの、やはりそれだけで新鮮味がありましたね。

そして、作曲家のテレンス・ブランチャード氏は、MET で上演された初めての黒人作曲家なんだとか! 素晴らしいと思う半面、今までいなかったんだ……とも。

わたしは近代史が好きで、時代考証をする上では、オペラは当時(主に白人の)上流階級に愛された文化であった、という側面も勿論好きですけれども、現代ではそんなこと言っている場合ではありません。変な選民意識は棄てましょう。

多様なものを取り込み、広く愛される芸術に育っていくとよいですね。

 

 次に、同性愛に関してです。主人公グリフィスは同性(両性?)愛者。作中でも何度かゲイバーのシーンが出てきますし、ゲイバーから出てきたところを同性愛者差別の暴漢に襲われたことは史実通りであるとか……。治安終わってんな……(※現実のアメリカ)。

 このことは物語にも深く関与しています。グリフィスが誤ってパレットを殺してしまったのは、前日の記者会見で同性愛者であることを暴露されて蔑まれたことにグリフィスが腹を立てたことも関係していると考えられたからです。

「俺は男を殺したが、世界は俺を許した。俺が男を愛したら、世界は俺を殺したがる。」という歌詞は、この問題の根深さをとてもシンプルに言い表しています。良い歌詞だ……いや倫理的に良くはないけど……。

アリアでも、彼は「男らしさを規定するものとは何か? 外面か、内面か?」と歌います。男らしさ・女らしさとかいう概念、呪いでしかないですからね。辞めだ辞め!!

 

 少しだけ脱線しますが、ゲイバーのシーン、個人的には何かすっごく既視感があったんですよね……。

↑ こちらも常連のベテラン、ステファニー・ブライズ様は今日も絶好調。ブライズ様がいるバー行きたいよ(?)。そしてオペラの字幕で伏せ字は斬新すぎる。

 え、めっちゃワルリコフスキー演出の『オネーギン』じゃないですか?

↑ どう考えても既視感の正体はこれ。こちらは同性愛的な解釈を前面に押し出した読み替え演出です。

 アメリカ(?)のゲイカルチャーについて無知なのですが、20世紀後半のゲイといえばヒョウ柄にデニム、或いはタイトドレスなのかな……と考えたりしました。テンプレというか。何故そういうファッションが流行った(?)のかご存じの方いらっしゃいましたら教えて下さい。

 

 そして、所謂毒親に関してです。グリフィスとその兄弟は皆、幼少期に母親に棄てられています(父親については不明というか、恐らく「父親がわからない状況」ということでお察し下さい)。

それぞれ別の所に預けられたので、一家離散状態であり、若きグリフィスは一家を纏め、養うことを夢見てニューヨークに出てきます。健気だ……。

預けられた先で、グリフィスは鞭やコンクリートブロック(!)を使って虐待されており、悲惨な境遇であったようです。

虐待している預け先もヤバいのですが、更にヤバい(比較の問題でもありませんが)のが実の母親。都会で一人着飾っており、十数年ぶり(?)に再会したグリフィスが誰だかわかっていません。

極めつけは、「それでもあんたのママは私一人よ!」です。凄すぎる。逆にその強メンタル見習いたいまである。

そんな毒親の極みのようなママを、グリフィスが明確に嫌い退ける描写がないというのも、また切ないと申しますか。

 

 また、搾取の問題もあります。虐待されたことにより、逆に身体とメンタルが鍛えられたグリフィスは、ひょんなことからボクサーになり、チャンピオンへの階段を駆け上っていきます。

その際、賞金をコーチ兼マネージャーや前述の毒親ママに吸い上げられており、グリフィスの元に残る額は少なかったようです。正気か?

 更に、対戦相手のパレットも、その前の試合で頭を打たれて、まだ頭痛が残っていると言っているのにも関わらず、周囲が賞金欲しさに無理矢理彼を試合に出したことにより、グリフィス戦の途中で死んでしまいます。

賞金>人命になっているの、闇が深すぎますね……。

 

 そして、PTSD に関してです。相手が体調不良の中始まった試合、同性愛者であることをからかわれて闘志を燃やしていたグリフィスは、試合の途中で激烈なパンチを繰り出し、パレットを昏倒させます。ボクシングの試合には勿論勝利しているのですが、打たれたパレットは昏睡状態に陥り、そのまま死亡……。史実でも、グリフィスはそのことがトラウマになってしまい、日々悩んでいたといいます。

 ボクシングの試合中の事故は、現代でも稀にあります。競技の内容上、完全には避けられないのかもしれません。それに、相手がそもそも体調不良であったこと、パレットの方から差別的な言葉を投げられたこともあり、グリフィスが全ての罪を負うべき事項でもありません。

 それでもやはり「直接殴り殺してしまった」という感覚は強かったのでしょう。心理学でも、被害者の死の際、被害者と距離が近ければ近いほど加害者は PTSD に陥りやすいといいます(つまり、銃で狙撃するよりも殴り殺す方が PTSD になりやすいということ)。

 被害者の家族が病室に入れてくれなかったり、面会を拒絶されて一言謝ることすらできなかった、ということもそれに拍車を掛けています。勿論、家族側の気持ちもわかるので、これは何とも言えませんが……。

 人を殺すオペラは沢山ありますが、主人公が(主に殺人に対する) PTSD に悩むオペラというのはレアですよね。あ、『オネーギン』第3幕も今で言えばそれに該当するのか……?

 

 最後に、認知症に関してです。ボクシングで散々殴られ、更に PTSD で精神的にも疲労していたグリフィスは、重度の認知症に陥り、介護を必要とします。介護してくれる相手がわからず、本人に対して「どこにいるの?」と聞いたりします。

インタビューで、「障害がある人を演じる時、わざとらしくやるのではなく、実際の障害の理解を深めることが大事」というようなコメントをされていて、正に仰る通りだと思いました。

 

 テーマが深くて多様で、ストーリーとしても面白いですし、セットも凝っていて豪華なので、オペラというよりも映画を観たような気分でした。とはいえ、音楽も非常に凝っていて面白いのですが。全部盛り込めるだけ盛り込んだお得セットです。改めて、よくエミール・グリフィスの半生をオペラにしようと思ったな、と思います。

現代オペラに抵抗がある方も、是非とも観に行って欲しい作品ですね。

 あ、それから、ボクサーコスプレの指揮者ネゼ=セガン氏がめちゃくちゃ可愛いので、そちら見所です。人柄の良さダダ漏れ。是非どうぞ。

 

最後に

 通読ありがとうございました! 長くなってしまって7000字程。

 

 次は特にオペラの予定はなく、演劇のライブビューイングや映画を観ようかなと思っております。お勧めの公演がありましたら教えて下さい。

 

 それでは、お開きと致します。また次の記事でもお目に掛かることができましたら幸いです。