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架空の世界を護るために

映画『エリザベート1878(Corsage)』 - レビュー

 こんばんは、茅野です。

晩夏の観劇ラッシュ・第四弾は映画です。来週までは高頻度で劇場通いをする予定です。

 最近映画は Filmarks というアプリでレビューを纏めているのですが、長くなりそうなものは従来通りブログの方で。

 

 本日は、楽しみにしていた映画エリザベート1878(原題:Corsage)』にお邪魔しました。

 日本人にはファンの多いオーストリア皇后・エリーザベト(シシィ)陛下に関する映画ですね。

 わたくしはドイツ語は介さないのですが、ドイツ語では「エリザベート」ではなく「エリーザベト」が正しいはず。前者の方が馴染んでいるので、邦題はこちらが採用されたようですが……。

ロシア語勢は「ヴラディーミル」を「ヴラジミール」と書かれると憤りますが、ドイツ語勢はそれでもよいのか。

 

 一方、原題はコルセットを意味する « Corsage » 。「締め付け」を示すシンプルな題でいいですね。

 

 今回はこちらの映画について、簡単に雑感を記して参ります。

それでは、お付き合いの程宜しくお願い致します!

↑ めちゃくちゃ物議を醸した、皇后が中指を立てたポスター。確かに好き嫌いは大層分かれそうである。

 

 

キャスト

エリーザベト:ヴィッキー・クリープス
マリー・フェシュテティチ:カタリーナ・ローレンツ
フランツ・ヨーゼフ:フロリアン・タイヒトマイスター 
ルドルフ:アーロン・フリース
イーダ・フェレンツィ:ジャンヌ・ヴェルナー
ルートヴィヒ2世:マヌエル・ルバイ
ベイ・ミドルトン:コリン・モーガン
ルイ・ル・プランス:フィネガン・オールドフィールド
監督:マリー・クロイツァー

 

雑感

 つい1ヶ月前に初めて伺った渋谷宮中にて。今回も通路スペースは広々していましたが、別のシアターだったので、前回よりは狭かった印象。

↑ 前回観に行ったもの。こちらも良い映画でした。

もうずっとこっちでいいですね、映画館……。

 

 本作は、エリーザベト皇后の約1年間を描きます。前年77年の12月から、翌年10月までです。

舞台も、ウィーンだけではなく、夏の離宮や、イギリス、バイエルン、イタリアと、幾つか移り変わります。

 わたくしは近代(大体19世紀を指す)が好きですが、主にロシア語圏を追っており、ドイツ語圏は詳しくないので、ドイツ語圏に詳しい方に是非とも検証・考証を走って欲しいですね。

個人的には、考証面で気になるのは最後の船(無駄に現代的)と音楽(ドイツのシーンなのに英語の歌が多いこと、また歌い方がポップス風なこと)くらいで、特に問題ないのではないかとは感じました。

 

 今作の製作は昨年で、ヨーロッパでのトレーラー公開時には既に Twitter のタイムラインで確認しており、その時点で「これは観よう」と決めていました。

↑ 素敵なトレイラー。

 このめちゃくちゃ耳に残る、« Go, go, go, go away, go away, go away, go...» と歌われる曲は、 Camille 氏の『She was』という既存曲のようです。トレイラーのみならず、劇中でも象徴的に流れ出し、テンション上がりました。

最初にこのトレイラーを観たときに、この曲がずっと耳から取れなくなって困ったほど。物凄くキャッチーだ。

 それにしても、新規書き下ろしではなく、既存の曲でよくもこんなにイメージに合う曲を見つけてきたな、と思いますね。この映画そのものが、この曲の MV 用だと言われても、信じられるレベルのマッチ度(余りにも豪華すぎますが)

OST がこの曲のバージョン違い4種という漢気溢れるラインナップ。制作陣がこの曲を好きすぎる。いや、わたくしも気に入りました。

 

 皇后エリーザベトは、謎多き人物です。1868年以降は写真を取らせなかったり、日記を付けなかったり、意図的に自身を隠すような素振りも見せています。

従って、実際の彼女が何を考えていたのかについて知ることは難しく、数多の想像の余地が生まれています。事実が確定していないからこそ、様々な解釈が共存できるのです。

これは、現実世界に「受容理論」を適用するようなものであり、それが倫理的に正しいのかどうかは個人的には疑問ですが、創作としては美味しい題材であることは間違いないでしょうね。

 

 今作では、そんなエリーザベト皇后の壮年時代を、かなり尖った視点で描きます。

簡単に言ってしまえば、エイジズムとフェミニズムを巡る物語です。

この「神話化」された女性を題材とすることで、問題の根深さを強烈に示しているところも、優れた選択であると言えるでしょう。

40歳を迎えた彼女に対し、「若い娘のように美しい」「永久に美しい」と褒め称える周囲。「オーストリア皇后として」「国民の規範として」と保守的で堅苦しい決まり事を押しつけてくる周囲。

 それを「Corsage(コルセット)」と表現しているのは、余りに洒落ています。

彼女は美に狂気的なほど気を配り、コルセットを締める女官に「もっときつく」「もっと締めて」と厳しく命じ続けます。そして最後に、厳しい食事制限を解いてクリームを舐めてケーキを食べ、戒めを解いていくのです。

 その象徴性、対比、見せ方は見事です。

 

 オーストリア帝国は、隣のあの人権後進国ロシア帝国よりも保守的で、伝統に縛られた国であったことで知られています。

特に、フランツ・ヨーゼフ帝時代は、厳格な家父長制が敷かれていましたし、ハプスブルク家ということで、何百年続いているのかもわからないような謎の伝統も沢山ありました。

自由を求めるエリーザベト皇后や、ルドルフ皇太子とは気風が合わないことは火を見るよりも明らかです。その「コルセットの中で藻掻く」様子を、史上最も克明に映したのがこの映画であると断言できるでしょう。

 普段、わたくしはロマノフ家の一部を追っているのですが、彼ら二人が余りにも皇太子や皇后という立場に対する理解があり、その地位に相応しくあろうという一心で自ら不断の努力を重ねているために忘れがちですが、同時代のハプスブルク家を見ると、こちらが普通だよなというか、普通の人間だったら皇帝や皇后という立場は重荷でしかなく、辛いものだよな、と思い知らされます。まあ、彼らもロマノフ家の中では異端ですけれども。

 

 前述のように、わたくしはドイツ語圏は詳しくないので、史料は読めませんし、今作がどれほど史実と合致しているのかの検証はできません。

 ただ、皇后エリーザベトがハンガリー贔屓であったことや、長女を亡くし気を病んでいたこと、夫に愛人を斡旋していたことなど、枚挙に暇が無い有名なエピソードは踏襲されていますし、現実の皇后もかなり自由奔放な性格ではあったようなので、「有り得ない話ではない」という気持ちで観ることができます。その塩梅が見事です。

 まあ、流石に中指を立てたり、髪をザクザク自分で切っちゃったりすることはなかったでしょうけれど、「こういうエリーザベト皇后の解釈も全然 "アリ" だな」と思わせてしまうところが恐ろしいです。

 

 今作は『Mayerling(邦題:うたかたの恋)』のファンは確実に観た方がよいでしょう。

↑ バレエ版はわたくしも大好きです。解説も書きましたが、特に音楽がたまらん。

 ハプスブルク家の「イツメン」が大集合です。

フランツ・ヨーゼフ帝は勿論、息子ルドルフ皇太子とか、娘マリー・ヴァレリー皇女バイエルン国王の従弟ルートヴィヒ2世、浮気相手のベイ・ミドルトンさんも出てきます。妹はマリー・ゾフィー妃でしょうか、ちょっと自信ありません。

もしかしたらアレクサンドラ皇太子妃が出て来るかと思いましたが、イギリスに行くシーンはあるものの、イギリス王室は出演無し。

 俳優さんは皆実際のモデルの肖像画やお写真には正直似てないんですけど、メイクなどで似せようとしているのはわかります。まあ、そっくりさんばかり集めるわけにもいきませんしね。

 

 ハプスブルク家の皆様は、「まとも」と言ったら失礼かもしれませんが、要は几帳面で誠実な描かれ方をしている場面が多く、エリーザベト皇后だけ「変人」的な描かれ方をしているのが印象的でした。故に彼女は孤立してゆきます。

 特にルドルフ皇太子は若々しく健康的な好青年で、十数年後には心身共に病み果てて愛人と心中をするようには全く見えません。歴史の知識なしにこの映画を観た人がいたら、後に調べた時に絶対に驚くと思います。自由主義に同調していることもしっかりと描かれていました。ルドルフ皇太子統治 if はそれはそれで見たい。

 エリーザベト皇后から溺愛されていたという娘のマリー・ヴァレリー皇女も、映画では母より父に懐いており、彼女の破天荒な行動を、意識的にも、無意識的にも非難します。

マリー・ヴァレリー皇女の日記は公刊されているようなので(尤も、大分プライベートな内容らしいですが)、「答え合わせ」がしたいところですが、ドイツ語は読めないのであった。

 夫フランツ・ヨーゼフ帝は、史実でも仕事人間で(但し能力が伴っていたかというと……)、几帳面で真面目な人物だったそうですが、それはこの映画でも現れています。彼の行動は皇帝として「正しい」ので、破天荒な妻の行動が理解しきれない、ということも客観的に理解できます。実際にも、夫は妻を愛していたものの、二人の性格の相性の悪さから、結婚生活は不幸なものだったといいます。

それにしても、あのもみあげ、付け髭だったの!?

 

 唯一の破天荒仲間(?)と言えるのが、従弟ルートヴィヒ2世です。バイエルン王家の血は一体全体どうなっているんだ。

ルートヴィヒ2世が同性愛者であることも明言されており、マリー・ヴァレリー皇女はまだ幼いですが、今後の関係性を暗示させます(※彼がこの縁談を断ったことにより、エリーザベト皇后との関係は悪化する)

 「私の湖で溺れ死ぬなよ。あれは私の湖だからな。」というセリフには、史実を知る人は苦笑必須(※ルートヴィヒ2世は湖で不審死を遂げる。恐らくは入水自殺と考えられている)

まさか入れ歯まで出てくるとは思いませんでしたけど……(※壮年以降の彼の歯はボロッボロだったことで有名)

 

 言語は、基本はドイツ語ですが、娘とはハンガリー語、ベイ・ミドルトンとは英語、映像技師ラ・プランス(凄い名前ですね)とはフランス語で喋ります。流石の語学力。

彼女は、特にハンガリー語には堪能であったことで知られていますね。

映画には「お飾りなんかじゃない」というキャッチコピーが付いていますが、事実、賢い女性だったのだと思いますよ。素敵。

 保守的なオーストリア帝国では、美しい女性は正に単なるお飾りで、獲得される勲章やジュエリーのようなものであったでしょう。確かに、彼女は容姿端麗ではあったでしょうが、能力も高く、何よりも意志を持つ一人の人間ですから、そのような規範を疎ましく思うのは当然のことです。

 

 彼女の破天荒ムーヴは多岐にわたります。

意図的に卒倒した振りをしたり、夜中に抜け出して乗馬をしたり、窓から飛び降りてみたり、女官に自分の代わりをさせたり、長い髪を切り落としたり、ヘロインを注射しまくったり、入れ墨を入れたり、海に飛び込んでみたり。

このうち、麻薬を使っていたことと、入れ墨を入れていたことは史実通りなようなので、他もやっているかもわかりません。

 しかし、「国民的アイドル」というか、象徴であったエリーザベト皇后をこのように描くだなんて、一昔前なら不敬罪だとかなんとか言って、絶対に不可能でしたよね。現代だからこそ撮れる映画だな、ということは強く感じました。ヌードシーンまでありますし。

 ロシアでは、帝政期には皇族を舞台作品に登場させることは不可能でしたし、ソ連に入ると、ロマノフ家は蛇蝎の如く嫌われ、それこそ禁忌となっていましたから、ロマノフ家関係のフィクションが現れるのはソ連解体後、ロシア連邦になってからなのですが、オーストリアはどうなのでしょうか。20世紀からこういう映画は撮れたのだろうか、それともやはり、21世だからこそなのか。

 

 作中には、フランツ・ヴィンターハルターの肖像画や、例の特徴的な髪型、子どもたちの養育権の話なども出てきます。この辺りに関しては、過去に一筆書いたことがあるので、「知ってるぞ~!」と少し興奮しました。

↑ この映画より13年前、オーストリア皇帝夫妻に怒り心頭なあるお姫様の物語の続編です。

冒頭にアウエルスペルク大臣が出て来るのも個人的には嬉しかったですね。その一族に連なるという設定の架空の人物を主人公にした文学作品で卒論を書いたので……。

 

 エリーザベト皇后は乗馬が趣味で、前半は乗馬のシーンが多いです。

以前の連載で確認したように、イギリス・ロシアでは、女性が乗馬をすることは「はしたないこと」と捉えられていましたが、オーストリアでは問題なかったのであろうか。 

そもそも女性が乗馬をすること自体が破天荒扱いだということに、現代の観客は気付けるだろうか……と余計なことを考えました。

 競馬など特殊な騎乗法以外での乗馬シーンを久々に見て、「いやこれ、絶対に背骨を痛めている人間がやることじゃないよ!」という気持ちを強めましたし、皇后がベイ・ミドルトンとレースをしていて、やはり19世紀の高貴なカップルは乗馬レースをして遊ぶものなのか……と思ったり。

落馬のシーンまでもあり、馬を銃殺していて、自分の興味範囲と絡め、色々思うところ多々でした。

 この映画では、皇后がかなり自傷的な行動をしているシーンが多いのですが、悪運が強いといいますか、全て軽傷で済みます。尤も、歴史改変してこの年で殺すわけにはいきませんしね。最後のシーンはかなり衝撃的ですが……。

 

 「お飾りの皇后」という立場に耐えられなくなった彼女は、途中から女官マリーに自分の代わりをさせるようになります。

このマリーとの関係がね! 完ッ全にパワハラで、現代なら一発アウトなんですが、フィクションとして捉えるならば、恋愛感情や性的関係にあるわけではないものの、倒錯している程の強い感情で結ばれた関係で、要はオタクの好きなやつです。

皇后は素の自分を愛してくれるのはマリーだけだといい、自分の傍に置き続けようとして、彼女の縁談を断るように「命令」します。そんな彼女に、献身的なマリーは自分の人生を捧げることにします。歪んでいるけれども、巨大な感情が渦巻いていてどこか美しい。

 この替え玉作戦というか、成り代わり作戦は、如何にも二次創作的ですが、実際に行われることも多々あったようです。エリーザベト皇后が実際にやっていたかはわかりませんが、我らが殿下ですら試したことがあります。

彼は自分の容姿が線が細く中性的で、本人曰く「威厳が無い」ことがコンプレックスだったので、一度自分よりも体格のよい側近のリヒテル大佐に、「手を振って、私の振りをしてみて」と促し、国民にバレるかどうかを賭けたことがあることがわかっています。またそうやって自虐的な遊びをしている。

 

 エリーザベト皇后が精神病院(当時で言う癲狂院)に関心があったことは知られていますが、今作でもその様子は描かれます。19世紀では、精神病患者は酷い扱いを受けていたので、それを是正しようとしていました。

尤も、彼女ら親子も現代医学の見地から見れば、精神病を患っていると断言できると思いますが……(主に鬱病)。

 

 水浴が万能薬扱いされていることも19世紀らしいですよね。確かに、湯治は現代でも効果が見られることがありますけれど、そこまでの万能薬ではないのでは、といういつものツッコミ。19世紀の治療といえば、避寒地への旅行と水浴! おしまい!

作中でお風呂のシーンが沢山出て来るので、この辺りも時代考証走って遊びたいですね。19世紀のお風呂といえば、フランツ・リストの残り湯を盗もうとした変態オタクの話しか知らない……。

 ヘロインが「全くの無害」として医師から処方されているところも19世紀的ですよね。本当に医療がポンコツ

↑ 関心がある方にはとてもお勧めの一冊です。トンデモ医療、マジで怖い。

 一方、作中で皇后がマリー・ヴァレリー皇女に言う「お勉強も大事だけれど、空気を吸うことはもっと大事よ。」というセリフは、含蓄があって素敵ですよね。

 

 こんなところでしょうか。

国民から深く愛された美貌の皇后・エリーザベトの壮年時代の1年を、斬新に、ダイナミックに描いた一作です。

 特に彼女を愛するファンにとっては、非常に評価の分かれる作品になることは間違いありませんが、現代的で、エイジズムやフェミニズムについて考えさせられ、単純に面白く、画も美しくて、質の高い映画だと感じました。

ここまで破天荒な行動をしたかどうかはともかく、史実の彼女も悩んでいたであろうことは間違いない点にスポットが当てられており、興味深いです。

 このような斬新な解釈ができるようになったのは現代の特権だと思いますので、実在の人物の尊厳を破壊しない程度に、新規の解釈作品が出てきたら、歴史界隈も盛り上がるだろうと思います。同志19世紀ファンにもお勧めです。

 

最後に

 通読ありがとうございました。長くなってしまい、7500字強。

 

 弊ブログではお馴染みの、我らがお姫様は、オーストリア帝国のことを蛇蝎の如く嫌っていますが、一方でエリーザベト皇后が人気な理由はわかりますよね。いや、わたくしはお姫推しを覆すつもりは全くありませんが……。彼女こそ、己の役目をよく理解し、楽しみさえしながらそれを全うし、国民から広く愛された、賢く愛らしい我らが皇后陛下! Ура!

 お姫の映画も沢山出てきて欲しいですね。銀幕では、彼女はいつも「ニコライ2世の母」という枠でつまりません。彼女の個性はそれだけではないのに。

エリーザベト皇后と概ね同じ時代を生きた隣国の皇后ですので、宜しくお願い致します。彼女も激動の一生を送っています。

 

 次回の記事もレビューになるかなと思います。観劇予定が詰まりすぎている!

数日後には我らが殿下のお誕生日(ユリウス暦)も迫っておりますし、何かしら企画記事をやって遊びたいとは思うのですが。グレゴリオ暦には何か仕込めるようにしておきたい……。

 

 今作に関して、皆様からの感想も是非拝聴したいので、ご覧になった方は適当にコメントやマシュマロを頂けると嬉しく思います。

 

 それでは、今回はここでお開きと致します。また次の記事でもお目に掛かることができましたら幸いです!