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ROHライブビューイング『Mayerling』 - レビュー

 こんばんは、茅野です。

何となく気分的に久しぶりのバレエです。最近は映画やオペラばかり観ている気が致します。

 

 そんなわけで、今回は Royal Opera House さんのライブビューイング今シーズン一弾、『Mayerling』を鑑賞して参りました!

↑ 今シーズンはオペラもバレエも演目が保守的な印象。

 

 『Mayerling』は個人的にも好きな作品ですので、楽しみにしていました。楽しみすぎて、変わった関連記事も書いてしまったばかりで。

↑ 普段追いかけているロシア帝国の某皇太子と、ルドルフ皇太子の意外な接点を見つけまして。「マイヤーリンク事件」から8日後の、ロシアの物語です。

宜しければ!

 

 今回は、こちらの雑感を記して参ります。それでは、お付き合いの程よろしくお願い致します!

 

 

キャスト

ルドルフ皇太子:平野亮一
マリー・ヴェッツェラ男爵令嬢:ナターリア・オシポワ
マリー・ラリッシュ伯爵夫人:ラウラ・モレーラ
ステファニー皇太子妃:フランチェスカ・ヘイワード
エリーザベト皇后:イツィアール・メンディザバル
ミッツィ・カスパール:マリアネラ・ヌニェス
ブラットフィッシュ:アクリ瑠嘉
ベイ・ミドルトン:ギャリー・エイヴィス
指揮:クン・ケセルス

(公式サイトやパンフレットで、モレーラさんの「ー」がダッシュになっているのが気になる……。ライブビューイングのパンフレットがお粗末なのはいつものことなので、最早半分方諦めていますが、頑張って欲しい……。)

 

雑感

 案内役に変更が。初めまして……。

冒頭の女王追悼に驚きました。そうか、その時期であったかと……。

それから、World Ballet Day! 。今年はどこの劇場も『オネーギン』をやってくれなかったので、わたくしはそんなにしっかりは観ていないのですけれども。大分昔のことのように感じます。時の流れの速さよ。

 日本はライブビューイングが凄く遅れるのですよね。利権や字幕の関係かとは思いますが、「どこが "ライブ" やねん」、と突っ込みたくなります。

 「ロイヤル」オペラハウスだから、ということもありましょうが、王制国家だとこのように追悼されるのだなあ、などと新鮮に感じたり(天皇制の日本でもそうなのかもしれませんが、平成生まれゆえ、経験が無く……)。

ROH オケでの国歌斉唱は贅沢だなあ! と思いつつ、コロナ禍であることもあってか特に歌声は聞こえず。

 

 サドラーズウェルズの話が出てきて、ゲーム考察の記事ですが、丁度この間同劇場について書いたばかりなので、少し嬉しく思ったり。

↑ 爆発的にバズった『ウマ娘テイエムオペラオーのオペラネタを解析するシリーズの続編です。

有名な競走馬に「サドラーズウェルズ」という強い馬がいたのですよね。それだけ同地で愛される劇場であることがわかります。

 

 上演前のリハーサル映像も大変豪華でした。ロイヤルは多国籍でいいですよね。

舞台裏やクローズアップが観られるのもライブビューイングの醍醐味です。とはいえ、たまに「何故今そこを大写し!?」みたいな、カメラワークへの不満が出たり、観たいところが観られないこともありますが……。

 

 さて、本編に関して。

第一印象として、やはり、平野さんの体格ですよね! デカい。こんなに大柄だとは。調べたら、185-6cm とのことでしたが、国外で活躍するバレエダンサーとしては特別大柄というわけではないものの、なんだか舞台上だと凄く大きく見えますね。なんだろうこれ。これが……カリスマ性!?

 バレエダンサーが大柄だと、動きが緩慢でぼやっとした印象を受けることが多いのですが、彼の場合は全くそんなことはなく、大柄ゆえの舞台映えはそのままに、動きにメリハリがあって、ソロだとある意味で大柄であることを感じさせないのです。

言うだけなら簡単ですが、絶対に並大抵のことではなく、第1幕から滝のように流れ落ちる汗が、その一端を物語っています。

 わたくしはロイヤルの多国籍なところがとても好きですが、それはそれとして、良いとか悪いとかではなく、黒髪の日本人が近代の軍服を着ていると、どうしても脳裏をちらつく明治天皇……。

 

 一方のマリー・ヴェッツェラ。
第一印象は、なんというかよくわからない感想なんだけれども、「史実のルドルフが好きそうな女~!」ということでした。肉感があって、エネルギッシュで、生き生きとしていて、動的な女性。なんというかある意味で死とは無縁そうな程の健康的な少女。歴代のヴェッツェラ令嬢役で一番彼の好みなのでは?(?)。

それはそうと、足の甲ですよ。これもう、ポワントの蝋の方が負けるのではなかろうか。足が強靱すぎる。

 

 エリーザベト皇后です。

歴代のマイヤーリンク事件を扱った作品よりも「史実寄り」なバレエ『Mayerling』ですが、母子の関係は割と脚色掛かっています。

 皇后は特段のバレエ的魅せ場は少なく、演技が多いのですが、かなり演劇的になる傾向が認められると思います。ちなみに最終幕でのラリッシュ夫人へのビンタは音無し。いつかの上演で凄い音をさせていて、逆にびっくりしたので、これはこれで……(?)。

 そういえば、最近彼女が題材の映画をやるんじゃなかったか……、と思って調べたら、独墺では既に公開済み、英仏ではこれから、ということでした。

↑ 壮年期の彼女を描いた映画『Corsage』。

 エリーザベト皇后は日本でも人気なので、いずれ本邦にも入ってくるのではないでしょうか。楽しみに待ちましょう。

 しかし、ベイ・ミドルトンがギャリー・エイヴィス氏て。これもう嵌まり役の極みすぎるのでは。THE・英国紳士。

 

 皇太子妃ステファニー。第1幕では16歳という設定ですが、正に16歳の少女でした。相手が16歳ということを知ると、ルドルフのサイコパスぶりが更に引き立つ……。

 ステファニー妃は、小柄な方御用達の役なのかな、と勝手に思っています。アクロバティックで意味不明なリフトが特に多いですし(それはこの作品全体を通して言えることですが)、あの痙攣するリフトは大柄のダンサーだったら持ち上がらないでしょう。

 その意味で、今回のペアリングはなかなか相性がよかったのではないかな、と見ていて感じました。
 音楽に関してなんですが、『雪あらし』オーケストラアレンジの、コンバスとチューバが気持ちいいです。

↑ 主にここのコンバスのピチカート。すき。しかし、いつ見ても気持ち悪い譜面だな……(※とても褒めています)(譜面は美しいと思います)(「人間業ではない」の意)。

これめちゃくちゃ Extra-Bass で聴きたい。速く CD を出すんだよ。頼むよ。課金はするよ。

↑ 時代の流れに逆らい、未だに有線イヤホンを使っているわたくし。比較的リーズナブルなのに重低音の鳴りがよく、高校生の頃から愛用しているシリーズです。深緑色が好きなのでグリーンを使用していますが、わたくしは愛を込めて「茶そば」と呼んでいます。メッチャ似てる。

↑ 『Mayerling』の使用楽曲については簡単に解説を書いたことも。こちらからどうぞ。

 

 オーケストラといえば、最初の幕間でヴァイオリンが第2幕4場のベッドルームPDDをガチ練習。

二回目の幕間では、チェロが最後のPDDの『夕べの調べ』の「スーパー麻薬タイム(※わたくしが勝手にそう呼んでいるだけ)」をガチ練習していました。あそこをチェロのソロにしたランチベリーは変態天才。

 

 それにしても、オケの質が落ちた気がするのが、今回の上演の数少ない残念なポイントです。

いえ……、バレエ公演での音楽は特に、「下には下がいる」ので、十分な水準かとは思いますが、「ロイヤル・オペラ・ハウスにしては」質が下がったのではないかと思うのです。これは悲しいことです。『Mayerling』は音楽が大層素敵なので、音楽で酔えないのは手痛い。

 

 ミッツィ・カスパールです。皆大好きマリアネラ・ヌニェス氏。笑顔がもう猛烈に魅力的です。これは惚れる、致し方なし。
現代のバレリーナの中でも屈指の実力者ですから、安定感は当然抜群です。

 彼女はとてもサービス精神旺盛な方で、それは音の取り方にも現れています。決め技で、「これでもか!」というほどポーズを保ってくれるのです。

これはソロや PDD であればもう拍手喝采ものなのですが、ミッツィの Pas de Cinq のような、大人数で踊るものだと、ズレが多少気になる側面があるな……と感じました。ハンガリー高官のサービス精神を鍛えよう。

 

 ハンガリー民族主義者四人組は、やはり隊長(?)というか、リーダー格の方が素晴らしいなと思っていたら、リース・クラーク氏でしたか……それはそれは……。

彼も今回ヴェッツェラ嬢役をやっていたオシポワ氏などと組んで、オネーギン役を踊るので、注目しております。あ、勿論平野さんもオネーギンダンサーです。観たい。今回を観て殊更観たくなりました。持ってきてください宜しくお願いします。

 

 『Mayerling』第2幕第3場、観る度に思うのですけれども、これはどう見ても『スペードの女王』。

ラリッシュ伯爵夫人って、オペラだったら絶対メゾソプラノだと思うんですけど、そのせいもあって、ポリーナのロマンスを想起しますよね、しませんか。

 トランプも三枚使ってるし、これはもう間違いなく «тройка, семёрка, туз» ですよ。最後の一枚を胸元の Пиковая Дама とすり替えてますよこれ。

↑ 『スペード』も良いオペラなので観て下さい宜しくお願いします。

 

 皆大好き黒軍服の第2幕第4場。

20世紀とはいえバレエ作品では珍しいことに、歌が入るのが特徴です。しかし、マイクに不具合があったのか、異音・ノイズが入ったり、たまに音を拾わないことも。うーむ、これは惜しい……。

 

 この辺りからルドルフの病的な印象が加速しますが、表情もさることながら、大汗を掻いているのが実にそれらしいです。

 

 最大の魅せ場の一つ、ベッドルーム PDD のある第2幕第5場。

 ヴェッツェラ嬢が皇太子に銃口を向けますが、まさかの銃声ミス! いや、そのタイミングで撃ったらルドルフ死んじゃいますって! この段階で皇太子殺害エンド。これはまずい。
 それもあってか、「本番」とも言うべき、3幕の心中シーンでは銃声が弱めに。うーん……。

 

 続く PDD でも、続いたテクニカルなミスに引き摺られてか、リフトで少しアクシデントが。怪我に繋がるようなものではないにせよ、音が余ってしまったのが勿体なかったですね……。

 PDD では、体格差が目立つなあと改めて感じました。特に、ルドルフの膝に乗ってヴェッツェラ嬢が反る所なんか、マリー地面から浮きすぎでは……!? とヒヤヒヤしたり。いや、技術面の不安はないんだけれども、この、浮遊感に対する人間の普遍的な感情ですよ。

 前回の、 Blu-ray 化されたスティーヴン・マクレイ × サラ・ラムペアは、身長差があまりなく、ポワントで立たれると寧ろ抜かれるくらいで、このぶつかり合い、臨場感も素晴らしかったのですが、こちらもこちらで……。

 

 ところで、これは凄く語弊を生みそうですが、PDD の前にルドルフがマリーの胸元をはだけさせるところがあるじゃないですか。あそこでルドルフがマリーの胸元をしっかりと見ていて、とても安心感を覚えました(?)。

と申しますのも、この間のガラで、シュトゥットガルトのフリーデマン・フォーゲル氏が同役を演じた時に、自分で脱がせているのに全く見ていなくて、「何の為に脱がせたんじゃい」状態に。それがなんというか、彼の思考が読めなくてめちゃくちゃ怖かったのです。これは役作り、解釈として、大成功だと思います。怖いですが。

 また、初見ではオオッとなること間違いなしの、ヴェッツェラ嬢の肩紐を剥くシーン。ここはダンサーによって、胸元をしげしげ眺めていたり(下品でめちゃくちゃ面白いです)、後ろに反らせたりと結構様々なのですが、フォーゲル氏はかなり淡泊な反応です。何故脱がせたし。

シュトゥットガルト・バレエ・ガラ 2022/3/20

↑ その時のレビュー。

 人が胸元を凝視することにこんなに安心感を覚えるとは、なんというバレエだ、『Mayerling』……(?)。

 

 第3幕。

第2場の『オーベルマンの谷』では、ルドルフ皇太子の崩れ落ち方(?)を見較べるのが好きなので、そこを映して欲しかったな~~! カメラ~~!! と思いつつ……。

 

 ブラットフィッシュのソロ。

それはもうポージングがピターッっと止まって、ここだけ静止画。ここからはもう崩壊へ向かって一直線の物語なので、ここでブラットフィッシュがクラシカルに見せてくれるのが非常に良いのですよ。

 それにしても、地味にあの帽子弄り、難しそう。

 

 さて、最後の PDD です。

平野さんのルドルフは、最後まで崩れません。最後まで「バレエ」です。

 ドラマティック・バレエでは、感情表現を優先するあまり、躍りが崩壊するダンサーが結構います。

わたくしは『オネーギン』の最後の「手紙のPDD」を崩されるのが、正直言って好きではないのですが、唯一、『Mayerling』の最後の PDD だけは、崩れてもよいとおもっているのです。

それは、メタ的な意味でルドルフは体力を使う役ということもありますし、ストーリー上でも心労と薬物と病で酷く疲弊している設定ですから、その二重の「へろへろ具合」が、物語に説得力を生んでいると感じるからです。

 しかし、平野さんのルドルフは全く崩れないのです。最後まで、鋼のような冷たさと強さを兼ね備えています。それが、なんというか、真面目で精悍な印象を与えるのです。

俯せで死んだ後、従者たちに仰向けにされるとこですら、気が緩んでいないのが伝わります(勿論、死体の演技なので、程よく身体の力は抜けている演技ですけれども)。美しい。

 

 ルドルフは、実在の人物ですから、元も子もないことを言えば、史実の彼が何を考えていたのかは、日記や手紙などからある程度わかることでしょう。

一方で、こちらは『Mayerling』という作品に昇華されているわけですから、彼の心理に関して、様々な解釈が成り立つと思います。それは、演者や観客一人一人に委ねられています。

 インタビューで、コーチを務めたエドワード・ワトソン氏と、己のルドルフ像は少し違う、ということを話されていた平野さん。そうであろう、と思いました。

ワトソン氏のルドルフは、典型的な「へろへろルドルフ(?)」で、わたくしはこちらもとても好きです。凄く嵌まり役だと思う。病苦と心労とドラッグで完全に心身共に潰れてしまい、物理的にもう生きてゆかれないから死ぬ、というような解釈です。

 ところが平野さんのルドルフは、最後まで意志があるルドルフだと思いました。ヴェッツェラ嬢と拳銃を持って衝立の裏に行くときの、憑きものが落ちた少年のような笑顔は、観客に数多のことを考えさせると思います。

それは、消極的な、「生きていけないから致し方なく」という死ではなく、あくまで自分の意志による積極的な選択、自分の最期は自分で決める、「自決」であると感じました。

 それでも、振付は同じなわけですから、意志ある平野ルドルフでも、猟奇的なシーンはあるわけです。しかしそこに整合性がとれないわけではなくて、言うなれば、没後に「あの人が自殺? 信じられない。でも、そういえばたま~に変になる時があったけど、今思えばあれは精神を病んでいたのかな。話、もっと聞いてあげればよかったのかな。」と言われるようなルドルフだな……と思いました。

 このようなルドルフ像にはお目に掛かったことがなかったので、とても興味深く拝見しました。これはこれでとても好き。

なんというか、史実のルドルフよりもずっと魅力的な男性なんだろうな、平野ルドルフ……と感じました。

 

 どうでもよいですが、エピローグシーンのマリーの「死後硬直感」凄かったです。必見です。死んでても爪先がものすっごく綺麗に伸びてる、とかは結構見ますけども、死後硬直は流石に初見です。

 

 ドラマティック・バレエの人気作、男性ダンサーなら誰もが憧れる最難関、『Mayerling』でした。個人的にも好きな作品で、今回も大変に楽しめました。毎回違うキャストで、毎シーズン持ってきて欲しい。

 ドラマティック・バレエの素晴らしい点は、演者、ダンサーごとの解釈が顕著に表れること。それぞれの解釈ごとの魅力があります。

今回の解釈は、他にあまり類を見ないもので、とても興味深く、素晴らしかったと思います。あのルドルフ役で、「最後まで崩れないバレエ」を可能にするのは、人並み外れた体力・技術力があってこそ。実現させてしまった平野さんには改めて畏敬の念を覚えますね。

 

最後に

 通読ありがとうございました。7000字強。

 

 好きな演目だと、ついつい長く書いてしまいますね。1万字超えるのは『オネーギン』だけ!……かと思っていましたが、この間『ボリス・ゴドゥノフ』でもとうとう1万字超えをやってしまいました。『Mayerling』でも、越えるのは時間の問題です。怖い。

 

 今のところ、もうバレエの席は何も取っていない状態です。なにか面白い上演はないものか。お勧めの公演などありましたら教えて下さい。

 

 それでは、長くなりましたので、今回はここでお開きと致します。また別の記事でお目に掛かれれば幸いです!