こんばんは、茅野です。
最近は、空き時間に結構なハイペースで読書に勤しんでいるのですけれども、インプットばかりではどうにもウズウズしてしまう物書き性分。本当はもう少し後に書く予定でしたが、我慢できずに文章を書き始めてしまう堪え性の無さ。
そんなわけで、今回からは新しい連載をゆるゆると始めて参りたいと思います。
題材は、弊ブログの連載といえばお馴染み、我らが殿下ことロシア帝国皇太子ニコライ(ニクサ)・アレクサンドロヴィチ殿下に関してです。
↑ 主人公の紹介記事。童話の「プリンス・チャーミング」を近代ロシアに異世界転生させるとこうなるらしい。
↑ これまでの殿下関連記事はこちらから。いつの間にか、ジャンルカテゴリでは『オネーギン』に次いで二位の記事数に。なんてこった。
前回の連載では、我らがニコライ殿下と、彼のガチ恋勢親友ヴラディーミル・ペトローヴィチ・メシチェルスキー公爵の往復書簡をご紹介してきました。
↑
しかし、書簡を紹介するのであれば、他にもっと紹介すべき人物がいるだろうと。
というわけで新シリーズは、題しまして、「婚約を巡る書簡集」で御座います。
殿下と、彼の婚約者であるデンマーク王女ダグマール姫の物語です。
王朝政略結婚であると同時に、非常に珍しいことに、恋愛結婚でもある彼らの恋路と外交戦略を紐解きます。
こちら、正直やるべきかどうか凄く迷いました。と申しますのも、当人達が世界に公開されることを想定していない書簡(特に恋文の類)を闇雲にインターネットに放流してもよいものか、それは一種の名誉毀損にあたるのではないかという懸念があったからです。
公開を想定されていなくても、彼の本分である政治など、学術的に探究が可能なものであればともかく、私情に踏み込みすぎるのは如何なものか?
そこで色々考えたのですが、昨今では歴史書もいい加減なものが少なくなく、であれば、誤情報を放置しておくよりは、正しいと思われるものを発信した方がよいのではないかという方向に傾きまして……。
↑ 最近はファクトチェックも開始。近代ロシア政治史で、「これどうなん?」という記述を見かけましたらご相談下さい。
とはいえ、我ながら納得しきれていない部分もあるので、問題がありそうだったら後ほど消すかもしれませんが、取り敢えず最後まで完走はしたいと思っています。
また、使う史料は公刊されているもののみとなるため、一部断片となります。ご了承下さい。「既に公刊されているものであれば……」というのも、一つの判断材料に。
連載の予定ですが、結構見切り発車です。手紙自体がごく短いもの、断片しか手元にないものが幾つかありますので、何記事に纏めるか、未だに決めかねています。数行しかない断片も含めると、約20通程度の書簡を見ていく予定です。
しかし、3000字以下では書いた気がしないという長文書きであるわたくしの性分から、各記事が1万字前後になることが予想されるため、記事数自体はそこまで多くならないと思われます。
今回は、「婚約を巡る書簡集」ということで、殿下とダグマール姫のみならず、彼らの両親などの書簡も扱うため、原文も、ロシア語、フランス語、デンマーク語、ドイツ語と様々。
但し、公刊されている資料集が翻訳されているものになるため、今回は主に英語とデンマーク語からの翻訳となります。従って、原文がロシア語、フランス語、ドイツ語のものは重訳になります。個人的には、フランス語やロシア語の方が有り難いのですが……。
久々の英語翻訳、また初めてのデンマーク語翻訳となるので少し緊張しております。特に後者は初学者なので、拙い出来になるかとは思いますが、勉強も兼ねましてやって参りたいと思います。
出典は、原文はいずれも当人たち直筆によるもの、翻訳はアリア・バルコヴェーツ先生の英語・デンマーク語訳、インゲ・リース・クラウセン先生のデンマーク語訳を用います。
記念すべき第1回目となる今回は、殿下から彼の母マリヤ・アレクサンドロヴナ皇后への手紙を2通ご紹介します。原文は当然ロシア語です。
第1の手紙は、殿下が書面で初めてダグマール姫の名前を出したもので、まだ面識がない1863年に書かれたものです。
第2の手紙は、殿下が1864年8月にコペンハーゲンに赴き、ダグマール姫と初対面した時に書かれたものとなっています。
それでは、前置きが長くなりましたが、最後までお付き合いの程、宜しくお願い致します!
手紙 ⑴
ツィムリャンスカヤ駅
1863年8月3日
親愛なる母様、
素敵な手紙をどうもありがとう。興味深いし、面白かったよ。
母様が僕のことを心配してくれているのはよくわかっているけれど、実際に会って話をすれば、その懸念は少しは和らぐんじゃないかな。
僕はもう第一印象には屈しないことを学び、より批判的なアプローチを採るつもりだから。
もう簡単に分別を無くしたり、何かの虜になったりはしない。良いことには感謝し、悪いことは多少なりとも我慢して受け入れます。
前の手紙で、僕たちが至るところで注意を引き、礼儀正しく丁重に迎え入れられたことは既に書いたけれど、親愛なる母様、そのことが自分のお陰だと自惚れたことは全くないし、如何なる自尊心も擽られなかったと断言するよ。
女性関係に関して言えば、僕が長い間誰にも恋していないことは、母様も知っているよね。それが良いことなのか悪いことなのかは、他の人が判断してくれることだろう。
母様は笑うだろうけれど、その主な理由はダグマールで、会ったこともないのに昔から彼女のことが好きだったんだ。彼女のことばかり考えているから、他の恋愛沙汰は全く手に付かなくなってしまう。
会うことができるかどうかさえもわからないのに、「大丈夫だ、万事順調にいく」という内なる声が聞こえるんだ。神が最良の結果をもたらしてくれますように。全てを神に委ねます。我が祈りが聞き届けられますようにと、切に願っています。
会ったこともない人を愛している(もし「愛している」なんて言ってもよければ)というのはおかしいことだけれど、僕は常識を失ったわけでも、分別を失ったわけでも、夢を見ているわけでもないんだ。今感じていることを書いているだけにすぎない。
親愛なる母様、あなたが僕の気持ちを理解してくれたら、或いは更に良いことに、この気持ちはナンセンスなものではないと言ってくれたなら僕はどれ程嬉しいか、想像できないでしょう。
僕はこの感情をとても大事にしているから、母様に「そんな気持ちは千回だって変わる移り気な幻だ」、なんて言われてしまったら、辛いな。
何故三年間も愛情が続いたものだろう? 何故この感情は減ることもなく、日増しに強くなっていくのだろうか?
勿論、このことは誰にも話していないし、今後も母様以外に話すつもりはないよ。大好きな母様には、自分に関わることは全部教えてあげる。
人間は同じ性質を持って生まれるはずなのに、他人には理解できない特殊な個性をも持っているということを忘れないで。
このような雑談と不器用さを許して欲しい。
さようなら、親愛なる母様。母様が父様のいるリヴァディアに行くこと、そして自分もそこに加われるのがどれ程嬉しいか、あなただけが知っていてくれたら。
それじゃあね、ママ。心からのキスを送り、あなたの旅が素敵なものになるように祈ります。
神の助けがあれば、ロストフで会えるでしょう。
あなたのニクサ
解説
第1のお手紙でした! お楽しみ頂けたでしょうか。
こちらが、殿下が初めて書面でダグマール姫について言及したものになります。
いやしかし、「会ったこともない人を愛していると言うのはおかしい」などと言われてしまうと、殆どのオタクは爆散すると思うのであまり殺意の高いことを仰るのは辞めてください。それがおかしくはないことは、数多のオタクが証明することと思います。
それにしても、あんなにも能力が高く非常にカリスマ性もある上に、恐ろしく謙虚。神が「 "完璧な人間" って作れないものか」と実験してみたとか思われない。
そして、「万事上手くいく」とまた未来予知しているし……。やはり未来が視えてるのではあるまいか。
それでは、いつも通り、簡単に訳注を入れて参ります。
「本当の最初」
こちらのお手紙が、殿下がダグマール姫に最初に言及したものであることは既に述べました。
しかし、既に彼が彼女を知っている以上、発端はこれ以前に遡ることができるはずです。
彼らの関係性の本当の最初は、なんと1851年にまで遡ることができます。殿下が8歳、姫が4歳の頃です。
発端は、当時のロシア皇后、つまり殿下の祖母にあたるアレクサンドラ・フョードロヴナ皇后がビープリッヒ城に滞在したときのこと。
↑ 殿下の祖母、アレクサンドラ・フョードロヴナ皇后(1798-1860)。
そこでデンマークのリュクスボー家に出逢った皇后は、中には後に絶世の美女として知られる姉アレクサンドラ姫などもいたにも関わらず、当時まだ4歳であった妹のダグマール姫を大層気に入り、彼女の母であるルイーズ王太子妃に以下のように言ったと言われます。
« Эту вы должны приберечь для нас ».
「この子は私達の為に取っておいてね」。
この発言は、リュクスボー家の人々にも、ロシアの側近達にも、皇后が大層可愛がっていた孫のニコライ殿下との縁談を指している、と解されました。勿論、彼女も冗談交じりであったかもしれませんが、それを意図してのことだったのでしょう。
これが本当の「最初」です。
リュクスボー家が、この冗談交じりの口約束をどれほど意識していたのかはわかりませんが、この一言を切っ掛けに、デンマーク王国のリュクスボー家と、ロシア帝国のロマノフ家は、互いを意識するようになりました。
捉えようによっては、ルイーズ王太子妃(後の王妃)はこの発言を鵜呑みにし、本当に己の次女をロシアの帝位継承者の為に「準備」したことになります。
このことから、よく「殿下とダグマール姫は幼少から婚約していた」、と書かれることがあるのですが、流石にそれは誤りです。しかし、何故そのような誤解が生じたのか、という原因はここにあります。
面白いのは、このアレクサンドラ・フョードロヴナ皇后が、元はプロイセンのお姫様であった、という事実です。
この連載でも後にそのことがよく出て来ることになるかと思いますが、ダグマール姫は後に、激烈な反独(主にプロイセン)・反墺主義者になります。事情を鑑みれば、致し方が無いことではあるのですが……。
↑ お姫が反墺を炸裂させている例。更に殿下が絡むと、その怒りは恐ろしいことになります。
その "憎き" プロイセンの元王女が、愛する殿下との仲を取り持った、という事実は、非常に興味深い運命の悪戯です。
それから10年近くが経過した1860年頃、殿下は両親から、デンマークのダグマール・リュクスボー王女との縁談を、それとなく提案されます。
そこで初めて彼女の写真を見せられた彼は、彼女を「愛し」始めるのです。
ツィムリャンスク
こちらのお手紙は、1863年の国内査察旅行の最中に書かれたものであることがわかります。殿下は19歳ですね。
手紙を出した場所が「ツィムリャンスカヤ駅」となっていることから、ツィムリャンスク村で書いたものであることがわかります。
彼がツィムリャンスク村に滞在した時のことについては以前の連載で扱っているので、彼がそこで何をしていたのかが気になる方はこちらをご一読下さい。
↑ 解説欄に色々書いています。本文では、人タラシがすぎる殿下を観測できます。
↑ 上記の記事に出て来る手紙のフルバージョン。
……ということはつまり、公爵からの「愛の告白」を受けた直後に、殿下は母に「長い間誰にも恋したことがなかった」、と書いていることになります。ドンマイ公爵。元気出せ。
それでは第2の手紙に参りましょう!
こちらも殿下からお母様宛て。約一年後、殿下が初めて滞在したコペンハーゲンから書いたものです。少し長いですが、お付き合い下さいませ。どうぞ。
手紙 ⑵
親愛なる母様、
僕がどれ程幸せか、あなただけが知ってくれていたら。ダグマールに恋をしました。
恐れる必要は無いよ、性急に物事を決めてはならないという、母様のアドバイスはきちんと覚えているから。
けれども、心が彼女を愛している、熱烈に愛していると言うのに、どうして幸せになれないなんてことがあるだろう?
まるで熱病にでも罹ったかのようにここに訪れ、フレデンスボーに辿り着き、そして遂に愛らしいダグマールを見たときの気持ちを表現することなんて、できそうもない。
彼女をどう表現したら良いだろう? 彼女はとても可愛くて、素直で、賢くて、生き生きとしているけれども同時に恥ずかしがり屋でもある。
これまで一緒に見てきた写真よりも、実際の方がずっと愛らしいと思う。
彼女の目が雄弁に自身を物語っている。親切で、知的で、活動的だ。
フレデンスボーでの最初の数日間は、僕たちは緊張していて、落ち着かなかった。会話は弾まず、国王は誰よりも決まり悪そうにしていた。
けれども、昨晩、そしてその前の晩にも、僕たちはお互いを知ることができた。皆もうリラックスしていて、僕自身も異邦人だという感じがしなかった。
国王にはとても好感が持てる。彼は誠実で、オープンな性格をしている。
王妃は知的で非常に礼儀正しいけれど、彼女のことは後で書くということでもいいかな。何故なら今僕はとても幸せで、少しだって悪いことは言いたくないから。
王太子は非常に好青年で、シャイだけれど優しく、誠実で高貴な眼差しを父から受け継いでいる。
幼いティーラとヴァルデマーは魅力的な子ども達だ。ティーラは愛らしい目をした、小さな11歳の女の子。
ヴァルデマーは明るい5歳の男の子で、悪戯好きで無邪気な
彼らは僕の良き友だちで、忠実な同盟者でもある。二人とも僕に好意を寄せてくれていて、完全に打ち解けた仲になった。
コペンハーゲンに到着したとき、フレデンスボーに行くには既に遅すぎて、国王の希望で次の日に行くことになった。
ニコライ男爵の家に着いた途端、王太子と国王の弟のハンス王子が訪ねて来てくれた。
午前11時、僕たちを乗せた王室の馬車はフレデンスボーへと向かった。
道中はとても楽しかったよ。最初に海沿い、森、そして庭園の側を抜けた。風景は大変美しく、どうにも英国風らしい。
午後2時には既にフレデンスボーに着いていた。
家族全員と共に、国王が正面階段で僕を迎えてくれた。いつものように、そこで公式の紹介が行われた。
その後、王宮で家族での昼食会が開かれた。
その時の僕は、適切な会話をするのに必死で、食べ物が全然喉を通らなかった。
ダグマールがいることで、完全に取り乱してしまって。母様には奇妙に思われるかもしれないけど、僕は長い間彼女のことを考え、ずっと会いたいと思ってきたから、訳の無いことでもないし、個人的には想定済み。
昼食の後、王室の全てのメンバーと散歩に出掛けた(王妃の父、彼女の姉のアンハルト=デッサウ公女、そしてその令嬢のナッサウ公女)。
庭園は魅力的だった。素晴らしい木々、通り、それに大きくて美しい湖。僕たちはセーリングをして、満足げに散歩をした。
全員まだ格式張っていて、お互いのことをよく知り合うことはできなかった。
晩餐は素晴らしく、宮廷、大臣たち、側近達を含む大規模なものだった。
僕は王妃とダグマールの間に座ることになり、緊張の糸の張った会話をして、緊張した返答を貰った。
晩餐の後、国王と王子たちと共に散歩に出た。その後、正式な会談を行った。
次の日、早速動きがあった。皆はリラックスし始め、僕も怖くなくなった。会話は弾んだ。
僕は緊張を解きほぐし、そこで決断した。
リヒテルが助けに来てくれて、一緒に作戦を練った。彼女が僕の気持ちに応えてくれるかどうかの探りを入れるため、僕たちは仲間に引き入れる対象に彼女の兄を選んだ。彼を介して首尾を伺い、何よりも下準備をすることにしたんだ。
彼からの知らせは、最も待ち望んでいたものだった。
最初の頃、ダグマールは用心深く、結果を知るのは困難だった。
だけど昨日、彼女は僕の気持ちに応えてくれるだろうと理解した、いや、感じ取ったという方が正しいかもしれない。
二日目は午前9時の身内でのティータイムから始まり、その後散歩に出た。
午後1時、昼食の後に、数年前に焼け落ちた有名なフレデリクスボー城に出掛けた。
素晴らしい旅だった。天気にも恵まれて、輝くばかりの森を抜け、興味深い教会もあった。
僕たちは一台の大きなシャラバンに11人全員で乗ったんだけれど、ダグマールはとても愛らしかった。
この旅のことは絶対に忘れない。
この日の晩餐会はセミ・フォーマルだった。
僕は D(ダグマール)の隣に座ったけれど、この時初めて、これまでとは違って打ち解けた会話になっていた。
夜に競馬があって、とても楽しめた。王妃なんか、もう笑いすぎて死んじゃうんじゃないかってくらい笑っていたよ。国王もとても楽しそうだった。
可哀想に、彼らは酷く長い間楽しんだり笑ったりしたことがなかっただろうから。
コズロフとバリャティンスキーは特に目立っていた。
昨日は素晴らしい一日で、外気も暖かく感じた。
僕たちは教会に行った後、セーリングに出掛けた。概して歓楽的だった。僕たちは隣同士に座って、舟は風だけで進み、皆良い雰囲気に満たされていた。
ダグマールは魅力的だった―――素晴らしい一日!
夜、僕たちはフレデンスボーを去った。
離れるのがとても哀しかった。ダグマールの兄が、今日彼女も寂しそうだったと教えてくれた。
さて、もう書くのを辞めないと。蒸気船が今にも出発しそうだ。
これより早く書くことはできなかったんだ、親愛なる母様、信じて欲しい。
僕は今とても幸せだけれど、これは始まりにすぎない! あなたと父様に会って、この問題を解決し、あなたの祝福を受けるのが待ちきれないよ。ヴィエリゴルスキー伯爵とリヒテルにも相談して、辛抱強く結果を待つつもり。
一つだけお願いを聞いてくれる? この問題を解決する為に、すぐにここに戻ってきたいんだ。
恐らく、父様はベルリンでの軍事演習の後に行かせてくれると思う。
彼女の父にも母にも、決定的なことは何も言っていないから安心して。ただ、母様に会った後にもう一度僕を受け入れて欲しいとお願いだけしました。言うまでもないことだけれど、このことはダグマールには一言も言っていない。
総じて、僕は慎重に行動したと思うし、愚かな過ちは犯さなかったと考えている。
様々なことを考えながら、お祈りをした。頻繁に母様のことを考え、早く会えたらと思っているよ。
僕の同行者は皆ダグマールに魅了されている。これは良い兆候だ。皆彼女に真剣に関心を持っている。
リヒテルは真の友だよ、僕の為にこんなにも喜んでくれるなんて。
母様もダグマールに会えば、何故人々が彼女に恋に落ちるのかを理解できるはずだよ。
親愛なる母様、このような取り留めも無い雑談を許して欲しい、でも今幸せなんだ! ああ、神がこの門出を祝福してくれたらいいのに!
ダグマールの写真を送るよ。よく写っているけれど、でも実物の方がずっと綺麗だ。
親愛なる母様、あなたと父様にキスを。明日は再びフレデンスボーに行くよ。プリンス・オブ・ウェールズが来るんだ。
心を込めてあなたを抱き締めます。
До Сви-Дания!!!(訳注: «До свидания» はロシア語で「またね」の意味。また、それとは別に、«Дания» はロシア語で「デンマーク」を意味するので、偶然同じスペルの部分を強調して言葉遊びにしている)。
あなたのニクサ
解説
お疲れ様で御座いました! 弊ブログでは、基本的に政治のことと珍エピソードばかりを扱ってきたので、恋する青年の殿下、そして母に対する息子である殿下を扱うのは初めてかもしれません。こちらはこちらで書いていて楽しいですね。「あなたのニクサ」というサインが余りに良すぎる。
いつもの化け物じみたカリスマ性を誇る殿下ばかりを見ていると、好きな女の子を前にして、緊張して食べ物が喉を通らない殿下というのが激レアに思えます。一応そういう人間らしい側面も持ち合わせていたのか……(?)。
それにしても、恋をしているのにこの落ち着き。自身の結婚が国家の利益と密接に結びついていることをよく理解しておられる。父と甥はこの手紙を声に出して読んで欲しいですねほんとうに。何とは言わないですけど、はい。
文中にも注を付けましたが、最後に言葉遊びをしていて可愛らしいですね。殿下は言語を操る能力も非常に長けていたので、「詩人」と呼ばれることさえあります。本当に不可能などないのかこの人は。
細かく出来事を書いてくれていて助かります。これを元にデンマーク聖地巡礼の旅がしたいものですね。いずれ必ずや。
さて、それでは簡単な解説に移ります。
リュクスボー家
まずは登場人物紹介から。デンマーク王家であるリュクスボー家の人々を見て参りましょう。
あんまり画質が宜しくないですが、この時撮ったお写真を確認します。
↑ 左から、フレゼリク王太子、マリー公女、ヴァルデマー王子、ダグマール姫、ティーラ王女、我らがニコライ殿下、アーデルハイト・マリー公妃。それにしても、身長差! 改めて、ロマノフ家は巨人族だな……。
一番左のデンマーク王太子フレゼリクは、後のフレゼリク8世になります。愛称はフレディで、後に殿下ともフレディ、ニクサで呼び合う親しい仲になります。殿下と同い年の1843年生まれ。
↑ 父が長命だったため、在位時にはかなりの高齢になってしまっていましたが、スーパーイケオジです。確かに殿下の言う通り、目がお父様似かも。
文中の「ダグマールの兄」がこのフレディ王太子のことです。
そのお隣のマリー公女は、ダグマール姫らの母ルイーズ王妃の姉で、アンハルト=デッサウ公女。
一番右のアーデルハイト・マリー公女は彼女の長女で、既にナッサウ公妃となっています。殿下とフレディ王太子とは10歳差の1833年生まれ。
お写真には写っておりませんが、殿下の言によると、マリー公女とルイーズ王妃の父、ヴィルヘルム・フォン・ヘッセン=カッセル公も一緒だった模様。
↑ つまり、上の写真で写っている殿下とマリー公女以外の全員のお祖父ちゃんですね(マリー公女にとっては父)。
5歳の "アンファン・テリーブル"、ヴァルデマー王子。言語も通じない小さい子どもまで魅了できる殿下であった。長男故にちびっ子のお相手には慣れているのかもしれません。それとも、王子の方が、幼児の勘で、彼が家族の一員となることを見抜いていたのでしょうか。
↑ うおっ、流石に面影を感じ取れない!
1858年生まれ、殿下とは15歳差ですね。殿下兄弟だと、五男のセルゲイと同年代くらい。
そのお次は説明不要、今連載のヒロイン、ダグマール姫ですね。
↑ ほんとに可愛い。殿下同様、頭脳明晰で知られるダグマール姫。本を持って写っているお写真がかなり多いです。
髪の毛をカールさせている印象が強い彼女ですが、実は地毛はストレートで、髪を巻くのはロシアに来てから。デンマークのお姫様時代はサラッサラのストレートでした。お姫の写真を見分けるコツです。
ダグマール姫と殿下の間でドヤ顔している愛らしい少女がティーラ王女です。
↑ 流石お姫の妹、当然可愛い。
所謂「デンマーク王女美人三姉妹」最後の一人です。
「美しき長女アレクサンドラ」、「賢き次女ダグマール」、そして「優しき三女ティーラ」です。冠詞がもうグリム童話っぽい。やはり童話なのか。
彼女たちの姉夫妻に関しては、実際に出逢う次回に回します。
家まで迎えに来てくれたという国王の弟ハンス王子はこのお方。
1825年生まれ、国王兄弟の六男です。
そして、デンマーク国王夫妻。
↑ 「ヨーロッパの義父」クリスチャン9世と、その妻ルイーズ王妃。
手紙から、「殿下とルイーズ王妃の間に何かがあったらしい」ということはわかるものの、結局それが何なのかは書面では残されておらず、謎です。一体全体何があったというんだ……。変なスキャンダルではないとよいのですが。
殿下が、「国王夫妻は長い間笑うことさえできなかった」、と書いているのは、何も煽っているわけではなく、デンマーク史上最悪の惨状になってしまった第2次スレースヴィ・ホルステン戦争の敗戦を指しています。
「ロシアの希望」なる二つ名を持つ殿下ですが、殿下の存在、そしてダグマール姫との縁談は、「デンマークの希望」でもありました。
彼らは、殿下の訪問が、政治的な観点から見ても、ついつい羽目を外してしまう程に、心底嬉しかったのだと思います。
殿下の側近達
殿下の側近達、ヴィエリゴルスキー伯、コズロフ、バリャティンスキー公爵に関しては、既に過去の記事で紹介済みなので、そちらを参照して下さい。
↑ 殿下がコペンハーゲンに赴く前に滞在していたのが、みんな大好きスケフェニンフェン編。別の連載ですが、繋がっていると思うと面白い!
ロシア帝国の青年貴族にとって最も華々しい役職の一つが、「皇太子の副官」。良い家柄に生まれた優秀な青年が目指す宮廷の最高峰です。
それなのに、「バリャティンスキー公に比べてコズロフは異様に情報が少ないな……何故だろう……」と思っていたら、どうにも後に精神を病み、恐らくは哀しい結末を辿ったようで……。おお……それは……知りたくなかったな……。帝政ロシア人、長生きするの下手くそすぎないか……。
そして、殿下から「真の友」と勿体ないお言葉を授かっているリヒテル大佐といえば、勿論この方。
↑ 殿下に恋い焦がれすぎて正気を失った人々特集、「限界同担列伝」シリーズの最終回。布に穴を開けて寝顔を覗き見していたのが本人にバレるという、特級の珍エピソードをご紹介しています。
殿下、それは……、一度考え直した方が良いのでは?
フレデリクスボー城
第一回目のコペンハーゲン滞在でデートスポット(?)となった、フレデリクスボー城。
確かに、1859年12月に焼失してしまったようです。
↑ 燃え盛る城を描いた絵画。
フレデリクスボー城は、デンマーク王家が代々戴冠式を行ってきた歴史あるお城とのこと。ロシア帝国でいう、モスクワのクレムリン(ウスペンスキー大聖堂)の扱いですね。
現在は修復されているようなので、是非とも聖地巡礼の旅の行き先に加えて下さい。
最後に
通読ありがとうございました! 案の定1万字超。最早これくらい書かないと、書いた気がしなくて……。長文書き病に罹患しております。
このような形で、暫く連載を続けていこうと考えております。お楽しみ頂けていると幸いなのですが。
コメントや、匿名が宜しければマシュマロなどでご感想等頂けると嬉しく思います。
さて、次回ですが、再び殿下から母と弟宛ての書簡をご紹介する予定でおります。第2回にしていよいよ、殿下視点から見たプロポーズ編です。
「完成の極致」による「完璧な恋愛」を教えて頂きましょう。
それでは、今回はここでお開きと致します! 次回、またお目に掛かれれば幸いです。
↑ 続きを書きました! こちらからどうぞ。