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映画版『幻滅』(2021) - レビュー

 こんばんは、茅野です。

冬日だと思ったら今度は炎天下も斯くやという気温に。育てているオレンジが枯れたら嫌なので、安定していてくれ、気温よ……。

 

 さて、本日は満を持して、オノレ・ド・バルザック原作、映画版の『幻滅』にお邪魔しました。

↑ 相変わらず日本に入ってくるとフォントがクソダサになる現象が発生している。

 フランス製フランス文学映画です。よきかな……。

 

 当ブログの読者さんには疑わしい事実かもしれませんが、わたくし、一応フランス専攻でしたので……、バルザックは無論のこと大好物で御座います。特に『幻滅』三部作は大好きで御座います。バルザックの、それも特に『幻滅』の映像化とあらば観ねばなるまい!

 

 というわけで今回は、こちらの映画の雑感を備忘がてらに記して参りたいと思います。

それでは、お付き合いの程宜しくお願い致します!

 

 

キャスト

リュシアン・ド・リュバンプレ(シャルドン):バンジャマン・ヴォワザン
ルイーズ・ド・バルジュトン(ネーグルプリッス):セシル・ド・フランス
コラリー:サロメ・ドゥワルス
エティエンヌ・ルストー:ヴァンサン・ラコスト
ナタン:グザヴィエ・ドラン
デスパール夫人:ジャンヌ・バリバール
フィノー:ルイ=ド・ドゥ・ランクザン
ドリア:ジェラール・ドパルデュー
サンガリ:ジャン=フランソワ・ステヴナン
デュ・シャトレ男爵 :アンドレ・マルコン
監督:グザヴィエ・ジャノリ

 

雑感

 まず、一点指摘したいのは公式サイトに関してです。

公式サイトの説明では、

44歳で書き上げた「人間喜劇」の一編、『幻滅——メディア戦記』を映画化した本作は、

とありますが、「メディア戦記」はこの作品を邦訳した一人である鹿島茂先生らが勝手に付けた副題です。

↑ こちらですね。素敵な邦訳ではありますし、個人的にも初めて読んだ訳がこちらですが、今回はそういうことではなく……。

 事実、創元社から販売されている生島遼一先生訳だと、そんなことは全く書いていません。

↑ 今回の映画を鑑賞するにあたって、別訳で予習というか復習というかをしました。こちらの全集の11, 12巻が『幻滅』です。

 それなのに、配給会社のページにも公式ページにも『幻滅ーメディア戦記』と書いてあるのです。これには流石に「幻滅」です。

鹿島先生に札束握らされたのかそうでなければ配給会社の方が誰一人として原作を全く読んでいないんだなということが丸バレで、頭を抱えます。

 以前にはナチのポスターの問題で炎上していた某社もありますし、映画配給会社、色々大丈夫なんでしょうか……。

 

 日本では『谷間の百合』などの方が知名度が高いかもしれませんが、本国フランスでは『幻滅』三部作はバルザックの代表作として知られています。

面倒臭いファンも多いだろうこの作品に取り組むというのは、勇気のいる挑戦だと思います。

 『幻滅』は、過去には1966年にモーリス・カズヌーヴ監督が映像化したものがあるのみです。『ゴリオ爺さん』、『娼婦たちの栄光と悲惨』ならば他にもあるのですが……。

 

 今回の映像化では、「ジャーナリズム」に焦点が当たっており、他の要素はゴッソリと削られていました。長い『幻滅』をどう纏めるか、と思っていたので、これは良い選択であったと思います。

従って、セナークルはリストラ、ダヴィッドも黙役。エーヴも超脇役。個人的にはセナークルリストラはちょっと悲しかったです……観たかった……。

 バルザックの魅力は多様なので、単純に物語や人物描写だけを取り出しても十二分に面白いです。雑学・衒学的な部分、社会風俗に関しては、映画ではどうしても説明しにくいですしね。

 

 ダルテスのリストラにより、彼の役割はナタンが兼任。従って、ルストーの対としてナタンが配置され、彼の重要度が増していました。

勿論、今作でも『雛菊』など詩や散文の話は出てくるのですが、どちらかと言うと、詩とジャーナリズムの対立と言うよりも、未だ辛うじて良心を残したジャーナリスト対完璧に良心を悪魔に売り渡したジャーナリストという、あくまでジャーナリズムの中の話になっていたと感じました。

 詩作と良心の権化ダルテスから、世渡りの上手いナタンに役割を移したことにより、完全な善悪の二項対立感は薄れました。しかし、この方がある意味で現実らしさもあるかもしれません。

 原作では脇役と主要登場人物どちらに含めるべきか迷う程度のナタンの掘り下げが深まったことにより、妙に魅力的なキャラに化けたな……と思いました。ロマンチストとリアリストの奇妙な二足の草鞋……。

↑ めっちゃ仕事できそうなオーラが凄い。実際できます。今作で一番魅力的なキャラクター説ある。

結末で衝撃的な事実が明かされますが、確かにナタンの立場にあれば、全ての真実を見抜くことができそうです。

 

 今作はキャスティングが見事で、皆原作のイメージに近かったのではないかと思います。

主演のヴォワザン氏は、フランス好みな(?)、女性らしさのある線の細い金髪の青年。

↑ なんか凄い「フランス人が思うイケメン」って感じだなという感じします。しませんか?(偏見)

確かに美しいのですが、それを上回るとも劣らない頼りなさ、不安定さ。成程リュシアンらしい。

 物語上、話が飲み込めずはにかみ屋になってしまうところとか、盛大に空回りするシーンも多く、「おお、痛々しくて、或いは共感性羞恥を誘って見ていられないぞ」というところも好演でした。そして尻が綺麗。

 

 リュシアンをアングレームから連れ出したルイーズ(混乱を避けるためか、ナイス呼びは無し)は、少し年齢は重ねられていますが、落ち着いた知的で高貴な雰囲気を纏った美女で、気取りはないのに「貴族の夫人」らしさ抜群でした。

↑ 近代フランスの恋愛文学といえば、年上のお姉様夫人×初心な青年がド鉄板。こういうお姉様に甘えたいだけの人生であった(それは言い過ぎだとしても……)。

 原作とは異なり、上京してからもリュシアンへの愛を忘れない描写があることで、殊更魅力的なキャラクターになっていました。

今作、 R15+ 指定で、かなり性的な描写も多いんですけれども、ルイーズとの情事の後のリュシアンのリュシアンに絶妙な感じでモザイク掛かっててちょっと笑いました。一応そこは隠すんや。

 

 一方のパリでの愛人コラリー、及びフロリーヌは、原作では「パリ随一の美女」という設定なので、「おお、そういう方向性で行くのか……!」と最初は驚きましたが、暫く観るうちに、何故このようなキャスティングにしたのかという意図がよくわかって良かったです。

↑ 女優コラリー。フロリーヌは画像がなかった……。

かなり肉感的で、10代らしからぬ華とある種の社会慣れがあり、貴族の婦人組と好対照。美しいというよりも愛らしいといった趣きで、どさ回りのサーカスからの成り上がりシンデレラです。

ある種の生活感、俗っぽさがアクセントになっています。

 

 先輩格の友人ルストーは、俳優さんのお顔立ちから、最初は「近世が舞台の役をよくやっていそう(偏見)」などと思いましたが、こちらもワルの兄貴格がハマっていました。

↑ お白粉はたいてる? というくらいの色白、頬のほくろ、赤く小さな唇から醸し出される近世ファッション感。近世にいたら超モテそう。

 悪魔に魂を売り渡してはいるものの、やはりどこかに後悔が滲む一瞬があるのが生々しくて素敵でした。

リュシアンも然りですけれども、この一見頼りなさそうな、色白だったり痩身だったりする青年たちが、パリを牛耳っている、というのが良いんですよね。

 

 地味に、一番嵌まり役説があったのがフィノーとデスパール夫人です。もうこのお二方は全てのバルザック作品に出られそう。名脇役がすぎる。

↑ こちらはデスパール夫人。フィノーは画像が見つかりませんでしたが、ちょっとゲルギエフ似の(?)老獪なおじさまです。冒頭画像の左の方。

 夫人の大きな瞳で意味ありげに見つめられたら、誰でも蛇に睨まれた蛙になること間違いなし。

 

 音楽もよくて、舞台よりも古いフランス音楽を多用していた印象です。

↑ 何故裸足?

 この曲なんか、タイトルド直球で『未開人』ですよ。狙っておられる。

 OST 普通に欲しいんですが、発売はされていないようで残念です。

 

 腐敗しまくったジャーナリズムが主題の『幻滅』。

広告などでもよく見られたように、残念ながらそれは21世紀に入った現在でも然程変わらぬ問題です。嘆かわしい。

 わたくしは一応劇評も書くので、『幻滅』はとても身近に感じます。

我が「善良なルストー」から、「どの編集者は自由に書かせてくれるか」とか、「あの劇場は批判すると二度と仕事がこなくなる」とか、そういう話もよく聞きます。わたくし自身、所謂サクラ的な仕事を依頼されたこともあれば、素直に問題点を上奏して謎に怒られたこともあります。

別に専門家でもない、ちょっと熱心なオタクレベルのわたくしにすらこのような情報が伝わるくらいなので、ドップリとこの世界に浸っていたらどのような腐敗が露呈するものか、と恐ろしく思ったりもします。急に怖い話してすみませんね……。

 幸いにして、わたくしは良心を売り渡さねばならぬ程の野心や貧困を抱えているわけではないので、それはもう自由に筆を走らせているわけですが、もし大出世の意欲や、お金に酷く困っていたりしたら、これには抗えないのだろうなあ、と思うとぞっとしますね。

 『幻滅』の1820年代と同じように、現代に於いても、読者の方が情報の正誤を自ら確認したり、著者の本心を読み解く必要があります。

一応、わたくしは最近ファクトチェックなども書いたりしますが、公正な情報が出回る社会になるとよいですよね。

 

 あくまでこの物語は『幻滅』なので、ラスティニャックやヴォートランの登場はなし。それはちょっと……いやかなり寂しいことではありますが、特に続編などを作る予定はないのでしょうね。

個人的には、続きの『娼婦たちの栄光と悲惨』の方が好きなので、是非とも映像化して欲しいのですが……。こちらでリュシアンの運命を知っているからこそ、『幻滅』は観ていて辛さ倍増なんだよな……と思いつつ。

『娼婦たちの栄光と悲惨』はいいぞ……、大学1年生の時、深夜に一気読みして、感情移入しボロ泣きした想い出の作品です。はい。

↑ この作品の題の「娼婦」は複数形じゃないと絶対イヤ学派所属なので、頑なに複数形で表記しています(原題が複数形)。

 わたくしは所謂腐女子という訳でもないんですけれども(特別 BL の愛好家ではないが、愛し合っていれば性別とかなんでもよくね? 派)、フィクションのカップリングではヴォートラン×リュシアンは殿堂入りですよ。ルイーズとかコラリーとか霞み散らかしますよ(?)。父性愛ブロマンスみたいなのが好きな人は絶対『幻滅』三部作は読まなければダメです。フランスが誇る一大供給です。保証します。

 

 フランスの国民的大作家の代表作ということで、期待半分・不安半分で赴いた今作でしたが、満足できる作品に仕上がっていてとても安心しました。

セナークルやヴォートランが登場しないことは、個人的には寂しかったですが、「あくまでもジャーナリズムに焦点を当てる」というコンセプトには沿っていたと思います。

 キャスティングも良ければ、舞台セットや音楽も素敵でしたし、改変も納得のいく範囲。非常に高水準であったと思います。バルザック入門にもお勧めです!

 

最後に

 通読ありがとうございました。5500字程。

 

 弊ブログを追って下さっている方はバレエファンも多いかと存じますが、『幻滅』はアレクセイ・ラトマンスキー振付でバレエ化もしています。

↑ ライブビューイングのトレイラー。

 この時のキャストが、リュシアンにヴラディスラフ・ラントラートフ、コラリーにディアナ・ヴィシニョーワという豪華メンバーで、珍しくキャストに釣られて観ました。

そう、何を隠そう、個人的には、クランコ版の『オネーギン』ではラントラートフ氏のオネーギンが断トツで一番好きで、ヴィシニョーワ氏のターニャが一番好きなのである!!

いや~……理想の『オネーギン』キャストですね。二人で『オネーギン』やってくれんかな……と思いながら観ていました。

 バレエ版の『幻滅』は評価が低く、個人的にも擁護できません。まず、原作の素晴らしいストーリーの中からどうしてその部分を抜き出したのか全くわからないし、改変も稚拙だし、長ったらしく、新規性にも欠け、豪華な舞台セットでスペクタクルを演出しているものの……と、あまり褒める気は起きない代物です。

 あんまりお勧めはできませんが、キャストは最高でした。ヴラドは情けない青年貴族役(オネーギンも然りですが、『椿姫』のアルマンとか)がどうしてあんなにハマるんだ……リュシアン合うな……良すぎる……。

 

 今後に関してですが、今上演中の映画だと、特に惹かれるものがなく……。最近広告が出始めたものだと、『古の王子と3つの花』、『Corsage(邦題:エリザベート 1878)』は観に行きたいと思っております。突発的に何か観たり、過去の映像を観たりはするかもしれません。

 お勧めの作品等ありましたら、是非とも教えて下さい!

 

 それでは、お開きと致します。また次の記事でもお目に掛かることができましたら幸いです。