こんばんは、茅野です。
今後どんどん冷え込むそうなので、お身体にお気を付け下さい。
最近は「ジェラール・フィリップ映画祭」に通っているのですが、今回は別の映画祭に潜入。「ジャン・コクトー映画祭」です。20世紀中頃のフランス映画、流行っているのか……?
↑ 「・」が二つあるのが気になる……。何故映画やライブビューイングの公式サイトやパンフレットはこんなに誤植があるんだ……。
上映されている四作品の中から、『オルフェ』と『美女と野獣』を続けて観て参りました。
恵比寿ガーデンシネマ、初めて伺ったのですが、建物も内装も美しいし、カフェやお手洗いも綺麗だし、座席がふかふかで頭部までクッションがあり、凄く良いですね……。個人的には、恵比寿は自宅から離れるため、少し億劫にはなるんですけれども、機会があればまた伺いたいですね。
今回は、先に観た『オルフェ』の方から雑感を記して参りたいと思います。
それでは、お付き合いの程よろしくお願い致します。
↑ 良いポスターだ……。
キャスト
オルフェ:ジャン・マレー
王女(死):マリア・カザレス
オルトビーズ:フランソワ・ペリエ
ウリディス:マリー・ディア
セジェスト:エドゥアール・デルミ
監督:ジャン・コクトー
雑感
わたくしは所謂「オルフェウス神話」が好きです。過去にはこんな記事なども書いてみたり。
↑ 他にも、同作品が題材となった作品もよく観ます。
しかし、わたくしは所謂「原作厨」とか「史実厨」に分類される面倒なオタクなので、あまり弄られるのは好みではなく、この神話が好きであるが故に、好きになれない同題材作品も少なくありません。
従って、期待半分・不安半分で観に行きました。
コクトーの映画『オルフェ』は、オペラをよくご覧になる方にわかりやすく一言で説明するなら、読み替え演出を観ている気分だな、ということです。
主人公二人の名前は神話のままですが、「死」はハデスでもペルセポネでもタナトスでもないし、原典では役割を持たないオリジナルキャラクターも多数。
舞台は20世紀フランスとなっているところも、正に「読み替え」。
この作品は、高い評価を受けている一方で、結構賛否両論でもあるようです。実際、ストーリーは「意味深長」と言えば聞こえはよいですが、説明不足で、破綻しているのではと捉えられてもおかしくない場面も多くあります。
特に王女の心変わりなどは全く描かれず、観客は置いてけぼりにされること請け合い。なんだろう……現代風に言えば、ツンデレ、なのかな……。
しかし、描かれない部分をそれぞれ解釈し、補完するのが観客の務めでもあります。
個人的に解釈を進めるなら、「王女」が「死」と呼ばれ始めたところで、何となく合点がゆきました。
つまり、「愛(ウリディス)」と「死(王女)」の対比であるわけですよね。
従来のオルフェウス神話は、オルフェウスは妻が好きで好きで、早逝したのが信じられず、諦めきれなくて、冥界まで追いかけてゆく、というのが古典的な解釈であると思います。
従って、王女に気を惹かれる今作のオルフェは、従来の型から外れるというか、「こんなに浮気性でよいのか?」という気持ちを引き起こすと思います。ちょっとした NTR 感。
しかし、王女が死の擬人化であるならば、話は別です。美女として顕現しているために、三角関係な恋愛ストーリーに見える、と考えれば、然程不自然はありません。現代日本だけではなかった、美少女化文化。
「ウリディスと王女」を、「エロスとタナトス」と言い換えれば、如何でしょうか。なかなかにそれらしくなります。フロイトです。
(吟遊)詩人のオルフェウスにとって、「恋人の死」はこれ以上無い題材です。数多のオルフェウス神話を下敷きにした作品でも、この「恋人の生」と、「恋人の死を詠うこと」の天秤は幾度も登場します。
『燃ゆる女の肖像』では、画家マリアンヌが「オルフェウスは詩を選んだ」と美しい表現がされていますが、『ユーリディシー』では辛辣です。冥王ハデスは「自分の悲しみに酔っていないか、今しか歌えない彼女の死を歌えなくなってもいいのか」と問いかけます。
こちらは映画『燃ゆる女の肖像』と、現代オペラ『ユーリディシー』に関してですが、問われている事は殆ど同じですよね。
↑ 『ユーリディシー』は本当に傑作なので、オペラを普段観ない方にも是非とも観て頂きたいし、可及的速やかに円盤を売って欲しい。マジで泣いた。
一点、中盤から「詩人の死」という語が多用されるので、いちいち反応してしまいました。
ロシア詩愛好家にとって、「詩人の死」といえば、そんなの、ねえ……。
詩『詩人の死』は、ロシアを代表する詩人であるアレクサンドル・プーシキンが亡くなった時に、こちらもまた高名な詩人であるミハイル・レールモントフがその死について綴った詩です。
若きレールモントフの出世作であり、問題作でもあり、そして暗いながらに激烈な怒りに燃えながらも、静謐で美しく整った詩を形作る、矛盾しているようで、それでいて共存しており、そのような不可思議さを含めて魅力的な、正にレールモントフらしい一篇です。
↑ レールモントフはいいぞ。大好きな詩人です。日本でももっと有名になって欲しい。
聞くところによると、オルフェ役のジャン・マレー氏及び、セジェスト役のエドゥアール・デルミ氏は、同性愛者の監督コクトーの恋人だったのだそうで……。み、身内キャスティング……!! 枕なんとかって言われませんか? 大丈夫ですか? メタな心配……。
それと同時に、新旧恋人対決共演だったのか……。それはそれは……。
王女、或いは「死」役のマリア・カザレス氏は、この間『パルムの僧院』で観たばかりです。早々の再会……!
『パルム』では、サンセヴェリーナ公爵夫人を演じておられました。今作も含め、気が強い高貴な女性の役が本当にお似合いになる……! 王女というより、女王様。マゾヒスト大集結の予感。
↑ 跪きたい。
そして、腰の細さよ。砂時計とは正にこのこと。恐ろしい。
そして王女の配下である亡霊オルトビーズ役ですが、なんと元々ジェラール・フィリップ氏に打診していたそうです。また大分思い切ったことを……!
ジェラール・フィリップ氏といえば、こちらも映画祭を開催中で、わたくしも数本観に行っています。前述の『パルムの僧院』も、彼が主演を務めていることから、この映画祭で拝見したものです。(その他作品に関して、それぞれレビュー記事に飛びます:『肉体の悪魔』『モンパルナスの灯火』)。
時代の寵児的な人気俳優さんって、ほんっとうにその時代のどの作品を観ても登場するので、驚きますよね。わたくしは文学が原作となるロシアの映画やドラマを好んで観ますが、ほんとうに俳優さんが「イツメン」なので驚きます。
オルトビーズは、カチッとした制服を着込み、恋に破れ若くして自殺する繊細さ、最終的には愛する女性の為に職務を背く大胆さを併せ持ち、特に終盤に掛けて、亡霊として儚い雰囲気を垂れ流しているので、大変お似合いになったことだろうと思います。
尤も、フランソワ・ペリエ氏が良くない、というわけでは全くないのですが!
また、今作は、1950年にしては有り得ないくらい、特殊な演出を用いていることが特筆事項です。
鏡の中からスッ……と出て来るところなんか、現代では CG で一発でしょうけれど、当時これを撮ることがどれほど大変であったことか。
映像技術も素晴らしいです。
コクトーの『オルフェ』は、オルフェウス神話を20世紀に読み替えた作品です。
説明不足でわかりづらい点も多いですが、優れた映像技術を用い、その世界に酔える雰囲気に満たされており、「何が何だかわからない、つまらない」という状況には陥り辛いのではないかと思います。
今回の映画祭ではラインナップされていないのが残念ですが、続編があるそうなので、機会があれば是非とも拝見したいところです。
最後に
通読ありがとうございました! 短く纏めるつもりが、いつも通り4000字ほど。
オルフェウス神話が好きなので……致し方なし。お勧めのオルフェウス神話を下敷きにした作品があれば、是非とも教えて下さい。文字通り数え切れない程あるので、把握が難しく……。
上映前の予告で流れて酷く動揺してしまったのですが、バルザックの『幻滅』が! とうとう!! 映画化!!(過去にも映像化はされているのですけれども、新作!)。
わたくし、バルザック作品の中でも、『幻滅』三部作が一番好きでして……(三部作内訳:『ゴリオ爺さん』『幻滅』『娼婦たちの栄光と悲惨』)。
中でも『栄光と悲惨』が断トツに好きなのですが、世間的には『幻滅』の方が人気である印象を受けます。『栄光と悲惨』は『幻滅』の続編にあたるので、『幻滅』が売れたらこちらも映像化……なんてことは……! なってくれ……!!
↑ 原作です。バルザックですので長いですが、面白いのでページを捲る手が止まらなくなることでしょう。
楽しみです!!
それでは、今回はここでお開きと致します。お次は、続けて観た『美女と野獣』について記します。次の記事でもお目に掛かれれば幸いです。