こんばんは、茅野です。
何事も、取り敢えず手を付けることが肝要です。やり始めれば、モチベーションが低くとも、意外と続くもの。それは当然、物書きに関しても同様です。
というわけで、続けて、苦手意識が拭えないレビュー記事を。
「ジャン・コクトー映画祭」に赴き、『美女と野獣』を鑑賞して参りました。
『オルフェ』から続けての鑑賞です。
↑ レビュー記事。
昨年11月頃、友人の家に泊まり込んで「ディズニー・プリンセス映画マラソン鑑賞会」をしていたのですが、時間が足りず、『美女と野獣』はお預けになっていました。
それゆえ、先にコクトー版を観ることに……。ディズニー版も断片的な記憶しかないので、折角ですから見較べてみたいものです。
それでは、簡単にはなりますがお付き合いの程よろしくお願い致します。
↑ 白黒映画だからこそ出せる雰囲気。
キャスト
美女:ジョゼット・ベイ
野獣 / アヴナン:ジャン・マレー
父親:マルセル・アンドレ
監督:ジャン・コクトー
雑感
まさかの『オルフェ』と主演が同じ! ジャン・マレー氏!
キャストなど全く調べないまま観たので、衝撃的でした。コクトー、彼のことが好きすぎる。その点に関して余計な中傷とかされてないといいですけど……。枕なんとかとか……。
尤も、大部分が特殊メイク(?)の野獣スタイルなので、お顔が見えるシーンの方が短いですけれどもね。
ディズニー映画でお馴染みの『美女と野獣』ですが、最初に映画化をしたのはコクトーなのだそうです。
彼のことなので、また捻くれた……というか、含みのある表現が多いではないか? と、少々身構えていましたが、ほんとうにそのまま童話の再現でしたね。逆に意外です。
濃厚なメルヒェン世界を味わえます。美しいながらも少々不気味な森の奥の古城、正しくです。ド直球の王道で、「これでいいんだよ、これで!」という安心感。
↑ 白黒なので、食卓に並んでいるのが何なのかが見極めづらいのが「世界観警察」悲しいポイント。
↑ 燭台を支えるのが全て人の手というのが不気味。
ドレスの形や籠の形状などから、近世らしさが漂います。
わたくしは「世界観警察」なる名前の当ブログを運営しているわけですが、中には「中世警察」や「近世警察」と呼ばれる方々もいらっしゃいます。「中世 / 近世でない時代を中世 / 近世と言うな!」というわけですね。
わたくしは近代(主にフランス大革命から第一次大戦まで)を愛好するオタクですが、「近世」は兎も角、近代を「中世」と言われると酷く気になってしまうので、気持ちは大変によくわかります。
「中世」と呼ばれる時代区分は非常に長く、中世と近代では、最大で約1400年の開きがありますから、同時代と混同するのは正直に言って無理があります。気をつけたいですね。
しかし、薔薇が咲かない地域か……、どこであろう……。時代によっては品種などに関しても考える余地がありそうですね……。
『美女と野獣』は、もうタイトルからして完全にルッキズムの問題を孕んでいます。
以前、フランス文学とルッキズムの問題に関しては、少し書いたことがありました。
↑ 『美女と野獣』、『肉体の悪魔』の一年前の作品でしたか。こちらも王道ラヴストーリーに仕上がっているので、この頃は王道なものが好まれたのでしょうか。
特に、こちらは古い童話ですし、今更とやかく言うのもおかしな話なのですが、現代的な視点で見ると、引っ掛かりがあることも事実です。
こちらは1946年と、映画自体もかなり歴史がある作品ですが、現代で蘇演するのなら、なにか工夫が必要になりそうです。
特に、今作では、ヒロインは「La Belle(美女)」、お相手は「La Bête(野獣)」と、本当にそのまま呼ばれているのもそう思わせるポイントかもしれません。幾らビジュアルが獣だからって、そのまま野獣って呼ぶの、どうなん……。某動画サイトで大人気の例の先輩じゃないんだし……。
童話の方を考えると、典型的な「変身譚」に分類できる『美女と野獣』。
「獣」が主に何をモティーフにしているのかよくわかりませんが(森だし、狼とか、熊とか?)、いずれにせよ、凶暴・野蛮などのイメージは共通するのでしょう。特に、この映画では、食べ物に関しての示唆などがありましたね。
童話や映画などでは伝わりませんが、体臭(?)とかもヤバそう。知りませんけど……。
過去に、馬や驢馬への変身譚に関しても一筆やったことがあるので、ご関心があれば。変身譚の場合、どの動物へ変化するのかによって、ある程度その性格や性質の変貌のカテゴライズが可能です。
↑ オペラトークシリーズが盛大にバズりましたが、初めて書いた『ウマ娘』関連の記事は実はこちらでした。
「美女」というだけあって、勿論ヒロインは大変に美しいです。
↑ 豪華絢爛なお着替えが多いのも今作の魅力の一つ。美男美女に美しい服を着せよう。
しかし、名前くらいは創作してあげてもよかったのではないか……とも思います。尤も、固有名詞なく「美女」と呼ぶ方が童話らしさはあるのかもしれません。「白雪姫」や「眠り姫」だってお名前はわからないわけですし……。
いじめっ子の姉二人には従順に従う一方で、どれだけ心から優しく接待され、豪華なものを延々と貢がれても、「まあ、野獣!」で一蹴してしまうところに、価値観の違いを感じますね。
一方の「野獣」。こうやって見ると、ネコ科のようで少し愛嬌があるような気も致します。
↑ 目が漫画みたいにキラーン! としている。
大変に心優しいので、外見が醜い(ある意味愛らしいのではないかと思いますが)というだけであそこまで迫害されて可哀想だな……という同情心の方が勝ることでしょう。
呪いが解けると、王子様に。もうお手本みたいなカボチャパンツ+白タイツコンビネーションです。タイツに靴が同化してしまっていて、靴履いていないのかと思った。
↑ 大綬もあるし、やはり文字通り王子様なんだろうな。
「魔法」ならよいですけど、あの豪華絢爛城が奴隷の搾取で得たものではないといいな……などと、メルヒェンとは無縁なことを考える歴史政治クラスタでありました。
それにしても、この直前に観た『オルフェ』と同一人物とは思われない……。俳優さんの演技力はやはり凄い。
喋り方が大分特徴的なのですが、それは王子様に変身してからも同様でした。野獣だからというわけではなかった。
アヴナンとの関係性が、「オチはそれでいいの?」と思わせます。或いは、野獣は元からその容姿だったのではなく、アヴナンが同じタイミングで死んだからその容姿になった、とか……? みたいな深読みをしてしまいます。
不気味ながらも美しい、童話そのままの世界でした。近世らしい風習なども楽しめます。誰もが知っているストーリーですし、簡単に世界に没入することができるでしょう。
最後に
通読ありがとうございました! 簡単に3000字程です。
わたくしは19世紀のロシア帝国について考えるのが好きで、特に20-60年代を追いかけているのですが、皇帝アレクサンドル3世とその妻の皇后マリヤ・フョードロヴナは「美女と野獣」と評されることがままあります。
↑ 確かに巨漢の男性と小柄な愛らしい美女ではある、んだけれども。
「容姿をイジるの、シンプルに失礼だろ……不敬罪にならないの、ロシア帝国は意外にも寛大だな……」などといつも思っていました。
わたくしはこの「美女と野獣」という表現は礼を欠いていると思うのですが、結構な頻度で出会すので、ついつい映画を観ながら想起してしまいました。
尤も、アレクサンドル3世は、その厳めしい容姿に反し、とても心優しい人物で、大変な愛妻家でしたから、そういう良い側面を見れば、或いは……?
皇帝夫妻に関しても、機会があれば一筆やってみたいですね。
それでは、今回はここでお開きと致します。また別の記事でお目に掛かれれば幸いです!