世界観警察

架空の世界を護るために

ザグレウスの原像を考える - 『HADES』考察

 おはようございます、茅野です。

ここ二週間、『HADES』しかしてません。はやく考察を書きたくてウズウズしていたのですが、「考察勢とはやり込み勢である」という信条のもと、とにかくやり込んでいました。自分で検証を走る必要がありますし、やはりデータが出揃った状態でないと、恐ろしくて書けないので……。

 そして、漸くゲームプレイが一段落付いたと言ってもよいと判断できるレベルに達したので、リサーチ・執筆作業に移行します。

↑ レビュー記事はこちらから。

 

 そんなわけで、今回は『HADES』考察第一弾。一般常識とも言うべきギリシア神話のなかで、忘れ去られた神である「ザグレウス」。第一弾となる今回は、原典ギリシア神話を紐解きながら、我らが主人公の原像を追います

 それでは、お付き合いのほど宜しくお願い致します!

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アイスキュロスの描くザグレウス

アイスキュロス

 原典のザグレウス像は、大きく二つに分けることができます。一つ目が、ゲーム『HADES』で採用されている、アイスキュロスの『シシュポス』に登場する神ザグレウス。二つ目が、オルフェウス教」に登場する神ザグレウスです。

 この二つのザグレウス像はかけ離れており、設定も大幅に異なります。原則的に、一般的に流布しているのは後者のイメージであり、前者を知る人は研究者以外に存在しないのではないか、というくらいです。従って、前者のザグレウス像を採用したゲーム『HADES』は神話愛好家の度肝をも抜いた……という次第なのです。

 

 それでは、始めに『HADES』のザグレウスの原型となったアイスキュロスの『シーシュポス』について確認します。

アイスキュロスギリシア三大悲劇詩人の一人。第64代アメリカ司法長官ロバート・ケネディが有名な演説で引用しており、わたしはそこから勉強しました。

↑ ロバートが好きで……。世界的にも有名な素晴らしい演説なので、是非一聴下さい!

 

 代表作は『アガメムノーン』『縛られたプロメテウス』など。名の知れた作品が多いですが、その多くは断片的にしか残っておらず、全編を読むことは叶いません(上記2作品は珍しく完全に残っている作品です)。

 断片は「フラグメント」と呼ばれ、研究の対象になっています。

 

『逃亡者シシュポス』『岩を転がす者シシュポス』

 アイスキュロス『シシュポス』は二部作で、『逃亡者シシュポス』と『岩を転がす者シシュポス』に分かれているのですが、二つを纏めて『シシュポス』と呼ばれることが多いです。所謂「サテュロス劇(悲喜劇)」であると考えられています。

 

 簡単にあらすじをご紹介します。

 神々の王ゼウスは、(一説には海神ポセイドンの子である)アソポスの娘エギナを誘拐する。コリントの王であるシシュポスは、アソポスに「娘を攫ったのはゼウスである」と密告する。激怒したゼウスは、シシュポスの元に死神タナトスを派遣する。

 しかしシシュポスはタナトスを縛り付けて拘束し、それにより人類は死ななくなってしまう。困惑した戦神アレスは、タナトスを助け出し、彼にシシュポスを引き渡す。

 狡猾なシシュポスは妻に、己に冥銭を持たせないように言い含めていた。冥界に辿り着いた彼は、冥王ハデスに自分には冥銭がない旨を告げる。

 冥銭がないことに腹を立てたハデスは、シシュポスの目論み通り、冥銭を取りに行かせる為に地上に返してしまう。

 これによりシシュポスは蘇る。彼は再び死ぬことを拒否するも、冥界へと強制連行され、永劫の罰を受ける。

 王とはいえ、英雄でもない一介の人間が、沢山の神々を巻き込んだ一大スペクタクルを展開させています。登場人物の大半が『HADES』に登場するので、当て嵌めて考えると面白いですね。

 

 『HADES』のシシュポスイベントには、タナトスが登場するものがありますが、この物語が元になっていると推測されます。シシュポスの物語は、時系列的にはオルフェウスの物語などよりも前であるため、もしかしたら当時は職に就きたての新人だったのかもしれません。

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↑ シシュポス・タナトスイベント。タナトスはもっと怒ってもいい。

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オルフェウス・エウリュディケについての言及。「ごさいました(誤植)」。

 

 あらすじでも登場しない神ザグレウス。それもそのはず、現存している言及は一度のみだからです。それがフラグメント124です。ご紹介します。

Ζαγρεί τε νύν με και πολυξένω (πατρί) χαίρειν.

そして(私は)ザグレウスと彼の父である冥王の元へ(赴き)、別れを告げに行った。

 このフラグメント124の記述から、ザグレウスの父が冥王ハデスであることがわかりますザグレウスの父はハデスである、としているのはこのアイスキュロスの『シシュポス』二部作のみです。従って、『HADES』ではアイスキュロスの物語をベースにしていることがわかります。

 これは憶測の域を出ませんが、ザグレウスとハデスが共にいることから、アイスキュロスの物語上では、親子仲は良好(少なくとも険悪ではない)と推測できます。

 

 また、最後、シシュポスは再び冥界へと連れ戻されますが、このときどの神が連れ戻したのか、については議論があります一番有力なのはヘルメス説とされていますが、他にもザグレウス説、タナトス説があります。

『HADES』に於いてザグレウス説を採用する場合、時系列的にも辻褄が合わなくなりますし、ザグレウスが父の手下として働くことを意味するので、『HADES』に於いては、タナトス説が採用されているようです。

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↑ 連れてきてくださった、っていうか……。それにしても、悉く異説を採用していく『HADES』。わたしは好きです。

 

 現存しているフラグメント124からだけでは、ザグレウスの人(神)となりを窺い知ることは叶いません。寧ろ、よくぞこれしかわかっていない神を主人公にしようと思ったな……と感心してしまいます。

 

オルフェウス教でのザグレウス

 現在、一般的に「ザグレウス」といえば、オルフェウス教で描かれるザグレウスを指します。オルフェウス教でのザグレウスは、ゲーム『HADES』では採用されていませんが、『HADES』に反映されているエッセンスも存在するので、そちらをメインに確認してゆきましょう。

 

 はじめに、簡単にオルフェウス教でのザグレウス像をご紹介します。

 神々の王ゼウスと豊穣の女神ペルセポネの間にザグレウスが誕生した。父は息子を溺愛していた。ゼウスの妻である結婚の女神ヘラは、自分以外の女神の子である幼いザグレウスを憎み、ティタンに彼を惨殺させる。ザグレウスは様々な動物に姿を変えながら逃げ惑うも、ティタンは彼を捕まえて八つ裂きにし、食べてしまう。

 しかし心臓のみは知の女神アテナにより救出され、父ゼウスに届けられる。ゼウスはその心臓を食べ、人間の女性セメレと交わる。そこに生まれたのがディオニュソスであり、即ち彼の神はザグレウスの生まれ変わりなのである。

 息子を殺したティタンをゼウスは許さず、雷霆でティタンを打ち殺す。その灰から生まれたのが人間であり、肉体は死す(ティタンの要素)が、魂は不滅(ザグレウスの要素)となり、輪廻転生するようになった。

 『HADES』のディオニュソスの親愛度を最大まで上げた方は、こちらの物語をご存じの筈です。何故なら、『HADES』では、採用しなかったこの説を、「ディオニュソスとザグレウスが共謀した冗談」として登場させているからです。

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ディオニュソスイベント①。

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ディオニュソスイベント②。

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ディオニュソスイベント③。

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ディオニュソスイベント④。

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ディオニュソスイベント⑤。勘違いが広まっていく様子がよくわかります。

 

 『HADES』では、原典をアイスキュロスのザグレウスとした上で、より有名なオルフェウス教のザグレウスを、「オルフェウスが勘違いを流布した」という形にしてキャッチアップしています。余りにも……余りにも上手すぎる!

 そもそもオルフェウス教」とは、名前の通り、始祖がオルフェウスだと言われている密儀宗教。全く矛盾無く回収されています。恐ろしい。

 

 『HADES』でオルフェウスが作曲したとされる『Hymn to Zagreus(ザグレウス賛歌)』の歌詞は以下のようになっています。

Sing,
Of Zagreus, oh muse
Slayer of hydras
First of his name

英雄ザグレウスに捧ぐ賛歌

ヒュドラ殺しの

ザグレウス1世

 

Born
Of Zeus as a serpent
In spite of Queen Hera
Zagreus came
父母は 雷神ゼウスと

嫉妬深き妃神ヘラ

蛇の姿に生まれ


Torn
To shreds by the Titans
Devoured in pieces
From his heart aflame
ティタンに身体を八つ裂かれ

彼らの餌となる

燃える心の臓より


The seed
Of Dionysus grew
The God of wine and feast anew

ディオニュソスの種 芽吹き

葡萄酒と宴を司る神へと

再生す


To live
At home on Olympus
Never presuming
His origins true
オリュンポスに座し

おのれの出自に

得心することなし


Wrath
Of thunder and lightning
Struck down the Titans
Burned into sand
怒りの雷霆に

討たれたティタンの

焼けた遺骸は

砂のごとき灰と化す

 

Up
From out of the ashes
Born of the Titans
The mortals did stand
その遺灰より

生まれた人間たち

 

To live
The model of the gods
At once divine and further flawed

その生き様は神々に似て

気高さと あまたの疵を

併せ持つ

 

In twain
The blood of immortals
Of Zagreus ending
It flows in their veins

人間たちの身体には

ザグレウスより受け継ぐ

不死なる者の血流る

 

The prince
Under the mortal ring
Prisoner to his king
Never to leave
冥府の王子は

死すべき身

哀れ 冥王の虜囚

冥府を出ること

決して叶わず 


Steadfast
Endlessly toiling
Doomed to remain
Endlessly toiling
Doomed to remain

奈落の底にて

とわの苦役に就く

奈落の底にて

とわの苦役に就く

 『ザグレウス賛歌』の歌詞が、前述のオルフェウス教に於けるザグレウス神話とほぼ同様であることがお分かり頂けると思います。このオルフェウス教に於けるザグレウス神話は、「ザグレウス=ディオニュソス神話」と呼ばれることが多いです。

 

 何故ザグレウスは「冥王ハデスの息子」という説と、「神々の王ゼウスの息子」という根本的に異なる二説に分かれてしまったのでしょうか。それは、ハデスの二つ名に依拠します。

 ギリシア神話の主神はゼウスであり、いつしか「ゼウス」という名そのものに「主神」という意味合いが含まれるようになりました。ハデスは冥界を統べる王であり、従って彼には「冥界のゼウス」という異名があったのです。ギリシア後期からは、この「冥界の」という部分が抜け落ち、ここに混同が起きたものと考えられています。従って、『HADES』の採用した「ハデスの息子説」は、ある意味では原点回帰、「正統派」に近いもの、とさえ呼べるかもしれないのです。

 いずれにせよ、ザグレウスの原型は「主神の息子」というモティーフが軸になっていることが重要です。

 

不死身の神の世継ぎ

 古代ギリシアより、多くの著述家がこのオルフェウス教に基づくザグレウスに言及していたり、影響を受けています。中でも、哲学者ヘラクレイトスは、この神話からかなりの影響を受けていると考えられています

 

 『HADES』では、ザグレウスは一度死産したものの、夜の女神ニュクスにより蘇生された、としています。そこから、「冥王ハデスは子が成せない」「ザグレウスは世継ぎ足り得ない」と思われていた、という設定になっています。

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↑ ザグレウスの死と再生に関するダイアログ3種。

 わたくしは、単純に「冥界で生まれた=死産」か! 上手いな!! と考えていたのですが、もしかしたらもう少し深読みができるかもしれません。

 

 ヘラクレイトスのフラグメント20は以下のような内容になっています。

γενόμενοι ζώειν ἐθέλουσι μόρους τ᾽ ἔχειν (μᾶλλον δὲ ἀναπαύεσθαι) καὶ παῖδας καταλείπουσι μόρους γενέσθαι.

 生を享けし者は、生きたいと願い、しかし同時に死すべき者だ。死ぬ運命にあるからこそ、それに備え、子を儲けるのだ。

ここでは、子供を儲ける理由が、人間はいつか死ぬため、とされています。つまり、不死身である神に世継ぎたる子供は要らないはずだ、とも読めます

 

 また、ヘラクレイトス哲学で最も有名なものがフラグメント52。

αἰὼν παῖς ἐστι παίζων, πεσσεύων· παιδὸς ἡ βασιληίη.

時間はチェッカーで遊ぶ子供だ。王権は子供の手にある。

 イタリアのギリシア神話研究者であるヴィットーリオ・マッキオーロ先生によれば、ここでの「子供」とはザグレウスを指すといいます。そして、この主神である父と、世界を統べる子の物語はキリスト教の聖書へと引き継がれてゆきます。

 マッキオーロ先生によれば、ヘラクレイトス哲学に於ける「父」と「子」の寓話は概ねゼウスとザグレウスの神話を基盤にしているといいます。尤も、ここではザグレウスの父は主神ゼウスとされていることを忘れてはなりませんが、興味深い指摘です。

 

裸足の神

 『HADES』では、登場する冥界のキャラクターは全員裸足です(足元が確認出来ないカロン・ニュクス・ペルセポネを除く)。

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↑ どれが誰の足かわかりますか? 答え合わせ(伏せ字):上段左から。アキレウスパトロクロス、ハデス、アレクト、ティシポネ、メガイラ、ザグレウス。下段左から。タナトスヒュプノスオルフェウス、エウリュデュケ、シシュポス、テセウス、アステリウス

 一方で、オリュンポスの神は全身像が公開されていないのでわかりませんが、少なくともヘルメスは原典通り、翼のある靴を履いていることがわかります。

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 全裸のアフロディテはともかく、鎧を着込んだアレスなども靴を履いていると目されます。

 

 何故冥界の民は裸足なのでしょうか。それは恐らく、ギリシア神話では、冥界の神は裸足であると考えられていたからでしょう。ザグレウス=ディオニュソスをハデスと結びつける興味深い研究も存在します。

Dioniso Zagreo era una divinità originalmente chtonia; tanto che lo si identificava con Ade. ...

Gli è dunque appunto come divinità infera che il dio appare con un piede scalzo, ...

 ディオニュソス=ザグレウスは元々冥界の神であり、ハデスと同一視される程であった。(中略)

従って、神が裸足で現れるのは、冥界の神であるが故である(後略)。

             ≪Zagreus. Studi intorno all'orfismo≫. Vittorio Macchioro.

 同書によれば、片足を素足にするのは、儀式的意味合いがあり、冥界との繋がりを示す、といいます。神を裸足で描くことは「下品(volgare)」であり、それが故に一種の神秘性を帯びるともいいます。

 但し、ここでは un piede scalzo と単数形になっており、両脚が裸足であることについては言及がないため、根拠としては少々弱いかもしれませんが……。

 

 一方、「素足は下品」であると言うからには、性愛を司る神エロス(※一説には戦神アレスと愛と美の女神アフロディテの子。『HADES』では、まだ生まれていないのかもしれません)など、「淫乱さ」を表す神は例外的に裸足(というより全裸)ですが、その他地上の神は概ね靴を履いていた、と考えられています靴の着用は、その神格が地を踏みしめる、即ち地上に属すことを意味するのです。

 『HADES』ではザグレウスと従兄弟という関係になっているディオニュソスの神格は地上に属すため、恐らく彼も靴を履いていると目されます。

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↑ 靴の編み上げのようなものが見えるので、履いているとおもいます。

 

 一方、人間(亡霊)たちですが、わたくしは彼らが裸足である理由に今のところ納得のいく仮説を出せていません。古代ギリシアでは、「快適な死後生のために」副葬品としてサンダルを入れる風習すらある中で、全ての亡霊が裸足である必然性を感じません。尤も、神々が裸足なのに人間たちが靴を履いている、というのもなんだか烏滸がましい話に聞こえるので、その辺りなのかもしれませんが。

 

 ギリシア神話と足、と言えば、有名なのがオイディプス神話です。そもそもオイディプスとは「腫れた足」を意味し、実際に足が腫れていたと言われています。

ご存じのように、オイディプスの物語は、「己の出自を知らない主人公が」「父を殺し」「実母と出会う」物語であり、『HADES』のストーリーとの類似が伺えます(流石にペルセポネとのロマンスはありませんが……)。

 

ザグレウス神話を読み解く

 さて、ここからは、これまでの資料を基に、ザグレウス神話をどう読み解くべきかについて考えたいと思います。

初子の死

 アイスキュロス版、及びゲーム『HADES』では、冥王ハデスの初子であるザグレウス。後者では、前述のように、元々死産であったとされています。

 主たる神の初子が死産であったり、身体に異常がある、という神話は世界的に多く、日本神話に於いては「蛭子(ヒルコ)神話」が該当します。

 

 生誕に異常がある物語を「異常誕生譚」と呼びますが、『HADES』に於けるザグレウスは正にこれに属すと考えられます。異常誕生譚では、その「異常児」は、その性質上不遇な半生を送りながらも、英雄として大成するか、或いは怪物として討伐されるかのいずれかの道を辿ります

 『HADES』に於けるザグレウスは、基本的に前者であると考えて差し支えないですが、テセウスが「悪神の子」と呼ぶように、同ゲーム世界での世間では、それが誤りであるにも関わらず、前述のオルフェウスによる勘違い同様、後者の解釈も成り立つようになっていると推測できます。

 

食べられる神

 オルフェウス教のザグレウス=ディオニュソスは、一度ティタン族やゼウスに食べられてしまいます。

 また、ハデスの父クロノスは、ゼウス以外(勿論ハデスも含む)の我が子を一度食べていますローマ神話でクロノスに対応するのがサトゥルヌスですが、そちらでの『我が子を食らうサトゥルヌス』で有名ですね。

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フランシスコ・デ・ゴヤ『我が子を食らうサトゥルヌス』(1823)。

 このように、ギリシア神話に於いて、「子供を食らう」というモティーフは繰り返されていることがわかります。

 

 「神が食べられる」という神話も、世界中で見られるものです。最も有名なのがキリスト教の「聖体拝領」でしょう。前述のように、「一度死に、蘇る」ザグレウスは、キリスト教、イエスの原型だとする研究も存在します。

 

農耕と死の神

 ザグレウスの母は豊穣の女神ペルセポネです。ザグレウスはその性質も色濃く受け継いでいます。

先史時代より、植物と死は切っても切れない縁がありました。植物は芽吹き、花咲き、実を付け、枯れるというプロセスを繰り返すもので、古来から人類はそれを人間の生誕、成長、死に準えて考えてきたのです。

 収穫が終わったり、枯れた後の植物は「死んでいる」状態と捉えられました。豊穣の女神ペルセポネが「一年のうち、数ヶ月は冥界に留まり、数ヶ月は地上へ赴く」のは、これを反映してのことです。

 ギリシア神話に於いては、「冥界の王と豊穣の女神の結婚」という形で植物と死の要素が取り入れられています。

 

 ザグレウスは神であり、当然不死身ですが、「一度も死なない」タイプの不死身ではなく、「死んでも再び蘇る」タイプの不死身です。

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これは植物の要素を色濃く継いでいると考えてよいでしょう。

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↑ 植物の要素を多く継いでいるのに、本人は緑を知りません。後者は迷言ですが、あながち間違いでも無いのかも?

 

 ギリシア神話では、死と植物の交わりはハデス・ペルセポネ夫妻に集約されていますが、『HADES』に於いては、その余波がタナトスにも確認できます。「死神と言えば黒衣に鎌」というイメージが強く、『HADES』でもそうなっていますが、実は原典ギリシア神話でのタナトスの獲物は剣であり、鎌ではありません(後期に鎌のイメージも付くようになったが、前期にそのような描写は全く存在しない)。

会話ウィンドウで隠れてしまいますし、 3D モデルでは省略されているので気付きづらいですが、タナトスは地味に帯剣しています

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↑ 皆様気付いていました? わたくしは考察を書く為に画像検索して、初めて気が付きました。

 もしかすると、それを反映し、タナトスが「武具を持ち替えた」可能性があります。その説を取るならば、『HADES』の物語はギリシア神話の時系列でも後期に属す可能性があります。

 

 一方で、勿論、鎌は農具です。従って、『HADES』では、タナトスに、原典に存在しない農耕のモティーフが重ねられていることがわかります。生ける神であるザグレウスが「半分植物」なら、対応する死の神が振るうのは、「収穫の大鎌」ということなのでしょう。

 

血と再生の神

 『HADES』に於けるザグレウスはアイスキュロスの『シシュポス』二部作に登場するザグレウスをベースにしているということを確認しました。しかし、それでも本作のオリジナル要素は存在します。その最たる例が血縁関係、それからザグレウスが何を司るかについての解釈でしょう。

 

 前者から確認します。『HADES』に於いては、デメテルはテイアの娘であり、ペルセポネは農家の青年から生まれた、ということになっています

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デメテルの血縁に関するダイアログ2種。

 つまり、家系図に表すなら以下のようになります。

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↑ 『HADES』に於けるザグレウスの母方の家系図。ハデス側は省略。

 

 一方、ヘシオドスの『神統記』では、デメテルはクロノスとレイアの子であり、ハデス、ポセイドン、ゼウスらの姉になっています。ちなみに同書では、テイアはデメテルではなく、太陽の化身ヘリオス、月の化身セレネ、暁の化身エオスを生んでいます

 

 そして、ザグレウスの母ペルセポネは、一般的にはゼウスとデメテルの子と考えられています。つまり、姉と弟の間の子であり、近親相姦にあたります。彼女が冥王の妻として相応しいのは、主神とその姉の子であるからに他なりません。

『HADES』では、オリュンポスの神々は揃って「夜の化身ニュクスは格下の女神であり、冥王の妻には相応しくない」という旨を発言します。しかし、『HADES』では、ペルセポネは幾ら母がデメテルであろうと、父は人間で、即ち半神であることに変わりは無いのであり、彼女がニュクスよりも位が高く冥王の妻に相応しいとされる根拠としては少し弱いのではないかと考えます。尤も、半神ながらに位の高い神は沢山いるので、必ずしも……というわけではありませんが。

 

 調べましたが、ペルセポネを半神としている文献は今のところ見つけられなかったので、ここは完全に『HADES』のオリジナルであると目されます。恐らくは「家族の絆」を主題とした物語に近親相姦は相応しくないと判断されたのでしょう

 

 従って、『HADES』に於いては、ザグレウスは 1/4 が人間の血、ということになります。ザグレウスの血は赤く、そのことはアレクトやハデスを筆頭に多くのキャラクターに指摘されている通りですが、その由来はここにあると考えて差し支えないでしょう。ザグレウスは、少なくとも血液に関しては隔世遺伝が強く働いているようです。

 

 タナトスのイベントを進めると、師匠アキレウスが執筆している「冥界の書」にザグレウスの神性についての記述が追記されます。

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↑ 師匠がまず考察勢で笑ってしまいます。「心許せる同志」、ですね!(パトロクロスに後ろから槍で刺されながら)。

 また、それに続く会話でもそのことについて触れられます。

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 「ザグレウスは血の神である」とするのは、家族を主題とする『HADES』の物語にも相応しいですし、循環する液体を死と再生に結びつけることが可能で、美しい解釈だと思います。しかしながら、ここには「ザグレウスの母方の祖父は人間である」というオリジナル設定が大きく働いているとも考えられ、原典神話解釈に落とし込むには根拠が弱いと推察されます。あくまでこれは『HADES』という「物語」であり、神話解釈の一例ではないことを留意しましょう。

 『HADES』という物語だけで考える場合、メガイラとのロマンスイベントが用意されているのは、彼女がティタンの血から生まれた女神であることも関係していると考えられます

 

 一方で、「ザグレウスは生命の神である」とするのであれば、物語的にも、神話解釈的にも深く納得がいきます。

 「冥界の書」邦訳ではザグレウスは「生き神」であるとされていますが、「生き神」とは「人間の形でこの世に現れている神(大辞泉)」の意なので、微妙に語弊があります。原文は «My thought is that the Master's son must be the god of blood; of life. » になっており、この文章は「生命の神」と解釈するのがよいでしょう

 

 ハデスの息子説、ゼウスの息子説どちらをとるにせよ、原典からザグレウスの神格が冥界に属すことは前節で確認した通りです。オルフェウス教に於けるザグレウスは、ギリシア神話では唯一「輪廻転生」をする神でもあります。

 そもそも、その逆も然りですが、「生」とは「死」という概念無くして成り立たぬものであり、生き死にを繰り返す神が「生命」を司るのは十分な根拠足り得ます。但し、『HADES』に於いては、エリアボスたるメガイラやハデスも「生き死にを繰り返す」と考えられるので、その点は留意する必要があります。

 

 心理学者ジークムント・フロイトが「エロスとタナトス」の概念を提唱して以降、この二つの概念が謂わば対義語のようにして扱われてきました。「タナトス」はご存じのように「死」を意味します。「エロス」は、ギリシア神話に於いては愛の神ですが、フロイトはこれを「生」と捉えました。「死」と対になる「生」とは即ち「愛」なのだと。

 原典ギリシア神話に於いても、死神タナトスは冥王ハデスの忠実な部下です。愛の神エロスも同様に、母でもある美の女神アフロディテに仕えていると言って差し支えなく、扱う概念自体が重要であるのに反し、苦労が絶えず、謂わば中間管理職的な立ち位置に類似性があり、対として置きたくなる気持ちも理解します。

 

 しかし、「 "死" の反対は "愛" だ」と考えたのはあくまで19世紀生まれのフロイト一派であり、古代ギリシアからそのモティーフが扱われていたわけではありません。今では広く受け入れられているこの説明も、改めて考えれば突飛な発想であることがご理解頂けるでしょう。「死」の反対はどう考えたって「生」だろうと

 

 そこに「死の対」として「生命の神 ザグレウス」を当て嵌めるのは、原典を鑑みても非常に合理的な解釈です。断片しか現存していないにも関わらず、アイスキュロスの戯曲を鑑みても二柱に関わりがあることは明白ですし、オルフェウス教にしたって、前述のように、ザグレウスは「再生」を成し遂げた唯一のギリシアの神です。

 タナトスイベントを最後まで進めると、その仲を多くの神々に公認されますが、中でもアレスのコメントは示唆的です。

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言いたいこともわかりますが、対の神に惹かれるのは、寧ろ必然ではないでしょうか。

 

 『HADES』に於けるザグレウスの血は赤いのは前述の通りです。では、他の神の血はどうなっているのでしょう。実は、作中に既に登場しています。カロンの泉の移動速度を上げるアイテム、「燃ゆるイコル(Ignited Ichor)」です。

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 ギリシア神話では、神々の血は「イコル」という透明な液体であると考えられていました。即ち、このアイテム、実はザグレウス以外の神の血なのです。一体全体、誰のものなんだ……。カロンの商品ゆえにカロンの血なのか(カロンは神ではありませんが、不死者であると推定される為、体内をイコルが流れている可能性があります)、或いは……。根拠がなく特定不可能なので、ここは各プレイヤーのご想像にお任せします。

 

最後に

 通読お疲れ様でございました! 12500字です!

徹夜で一気書きしたので、疲れました……。内容が破綻していたらご指摘ください。

 

 ギリシア神話をリサーチするのは久々で、とても楽しいです。しっかし、この『HADES』、マイナーな異説ばかり採用しているので、リサーチも骨折り。それが楽しいのですが……!! 継続してリサーチを重ねたいと思います。

『HADES』考察は、もう少し続ける予定なので、お付き合い頂ければ幸いです。

↓ 『HADES』についてだけではありませんが、オルフェウス神話について一筆やりました。こちらからどうぞ。

 

 それではお開きにしたいと思います。次記事でお会いしましょう!

 

参考文献

«The Sisyphus Plays of Aeschylus». Katarzyna Pietruczuk.

«Zagreus. Studi intorno all'orfismo». Vittorio Macchioro.

童子神の変容』. 中村一