こんばんは、朕です(最高に頭の悪い導入)(弊ブログ二回目)。
改めまして、茅野です。宜しくお願いします。
ちなみに、頭の悪い導入一回目はこの記事でした。
どうも、朕です。(史上最高に頭の悪い導入)
改めまして、茅野です!
わたしは普段国際政治の模擬会議(TRPGを思い浮かべて貰うとわかりやすいかとおもいます)をやっているのですが、今年九月の会議では、1914年WWI開戦時のロシア帝国評議会の議場にて、皇帝ニコライ2世役を務めさせて頂いていました。わたしがニコライ2世です(自己紹介)(演技だけです)。
ニコライ2世役、すっごく楽しかったんですけど、どうせロシア皇帝をやるなら別の皇帝がよかったな~とワガママを言いたいですね。
プーシキン作品を検閲という名目で誰よりも早く読めた ニコライ1世、歴史的大改革を進めたアレクサンドル2世、チャイコフスキーを愛したアレクサンドル3世……。
それに比べてニコライ2世の人生ってあまり…………、これ以上は辞めておきましょう、悲しくなるので。
ちなみに、ラスプーチン役だった同期曰く、わたしの性格はニコライ2世とは余りにも乖離しているとのこと。でしょうとも。演技が大変だ。
さて、今回は、そのニコライ2世の方「が」演じた話を。
そう、正にオネーギン役を演じたときのエピソードをご紹介しようとおもいます。今回はゆるめの雑記です。肩の力を抜いてお楽しみ下さい。
それでは、お付き合い宜しくお願いします。
プーシキンはお好き
19世紀以降に生まれ育った帝政ロシア人というのは、ほぼ例外なくプーシキンが好きです(断言)。それは皇族も例外ではありません(検閲をして厳しく弾圧していたニコライ1世に関しては微妙ですが、才能自体は高く評価しています)。
例えば、ニコライ二世の父にあたるアレクサンドル3世は、オペラの『オネーギン』が大好きで、ボリショイ劇場のレパートリーに同作品が入ったのは彼の後押しあってこそ、とも言われています。
ちなみに、アレクサンドル3世はその頭脳を過小評価されることが多いのですが、実は芸術、特に文学が大好きで、日記にはプーシキンやレールモントフの引用が沢山あります。
ニコライ2世の叔父(アレクサンドル3世の兄)にあたるニコライ皇太子(ニコライ二世と父称含め同姓同名なのである)は、作家イワン・ゴンチャロフからプーシキンを教わっています。めちゃくちゃ羨ましい。
尚、彼自身はプーシキンよりもどちらかというとレールモントフ派だったようですが、婚約していたデンマークのダグマール姫(後のマリヤ・フョードロヴナ皇后)にはプーシキン作品を贈っています。ダグマール姫はその本をずっと部屋に置き、皇太子妃、皇后になってからもそれを何度も読み返したとか。
更に遡ってニコライ2世の祖父(アレクサンドル3世の父)、アレクサンドル2世はと申しますと、詩人ワシーリー・ジュコーフスキーから教育を受けており、彼からプーシキンを学んでいます。サロンで初めてプーシキンを見かけたときは驚いたそう(プーシキンはけっこう剽軽な人なので)。
……という流れを継いだニコライ2世ですが、勿論プーシキンを高く評価しています。
彼の娘のタチヤーナ皇女の名は、『オネーギン』のヒロインから取っているほど。
詳しくはこちらから↓
尤も、ニコライ2世は『オネーギン』よりも『スペードの女王』が好きだったようで、かつての恋人マチルダ・クシェシンスカヤへのラブレターには、オペラ『スペード』のエレツキーのアリアを引用しています。マチルダとの恋愛については、冒頭で挙げた映画レビューで詳しく書いております。
(非常にどうでもいいですが、わたしがニコライ2世を演じたときはまだこのことを知らなかったので、ヴィルヘルム二世に書簡を送る際に(所謂『ヴィリー・ニッキー・テレグラム』)、タチヤーナの恋文の冒頭をもじって書きました。お陰様で若干BL風味になったので、この書簡は一部の層から絶大な人気を誇りました。)
↑ 会議運営の広報が書いたレビュー。繊細な文章(プーシキンの引用)。
ちなみにエレツキーのアリアについても何故か一筆やっています……↓
ちなみに、チャイコフスキーとニコライ2世といえば、チャイコフスキー作品で一番好きな作品はバレエ『眠りの森の美女』、特にそのディベルティスマンだったようです。恋人がバレリーナだったわけなので、致し方ない。
オペラ『オネーギン』も宜しくお願いします、陛下。
劇『オネーギン』
さて、前置きが長くなりましたが、本題です。
19世紀末の宮廷ではアマチュア演劇が流行したようで、プーシキンやシェイクスピアの劇が演じられていたようです。皇族らが自ら演じたようで、日記や手紙などからその様子を伺うことができます。
話の発端はエリザヴェータ・フョードロヴナ大公妃(通称エラ)。ニコライ2世から見ると、義理の叔母(叔父セルゲイ・アレクサンドロヴィチの妻)且つ未來の妻(アリックス)の姉という中々複雑な続柄です。
配役はオネーギン役がニコライ2世(当時は未だ皇太子、通称ニキ)、タチヤーナ役がエラ大公妃です。
1890年2月13(25)日、エラ大公妃がタチヤーナ役を練習し始めたことをニキ皇太子が日記に認めています。2月(グレゴリオ暦だとほぼ3月)は練習に充てられたようです。
こちら、ニキ皇太子です。当時22歳なので、第一幕のオネーギンと推定同い年くらいですね。
コンスタンティン・コンスタンティノヴィチ大公(祖父アレクサンドル2世の弟の息子)曰く、身を包んでいるのは「19世紀はじめの衣装」で、確かに胸元の華美なリボンはそれらしい。
こちらがエラ大公妃。美人で有名だっただけあって、とても美しいです。ニキ皇太子の義理の叔母ですが、たったの4歳差で26歳。
2月24日、25日、27日(グレゴリオ暦3月7日、8日、10日)にドレスリハーサルが行われたようです。本番はその数日後でしょう。
劇は大成功で評判がよく、何日か続けて上演されたようです。3月3日(15日)に公演終了。「ネフスキー大通りの宮殿」での上演とのことだったので、アニチコフ宮かと推測されます。
演じられたのは二場だけだったようで、恐らくオペラで言う『オネーギンのアリア』の部分と、最後のデュエットの部分かとおもわれます。写真も残っています。
↑ Вы мне писали, не отпирайтесь!
↑↓ リディア・ティモシェンコの挿絵と完全に一致。
劇を見たコンスタンティン・コンスタンティノヴィチ大公曰く、「ニキ(ニコライ皇太子)は(『オネーギンのアリア』にあたる部分)をとても上手く演じた」とのことです。
ちなみに、ニコライ2世自身は、恋愛面に於いては(資料を見る限りでは)比較的純粋・一途なタイプなので、オネーギンのキャラクター性とは大分外れるかな、という印象があります。
このように、プーシキン及び『オネーギン』は、皇族の間でも愛された作品だということがよくわかるエピソードでした。
しかも、第8章の発表から60年後のお話ですからね。偉大な作品です。この名声が末永く続きますように。新訳がまた出ますように。学術書や論文がもっと出ますように。オペラ・バレエの上演回数が増えますように。
最後に
お付き合いありがとうございました。3500字ほど。
何だか、図らずして他記事の紹介を大量に入れてしまいましたが、よく考えたら弊ブログ、50記事以上『オネーギン』関連記事を書いているらしいので、そりゃあ……まあ……というところでしたね。
ちなみに全記事数は100強なので、弊ブログは半分『オネーギン』で出来ていることになります。怖い。
わたしは、勿論、『オネーギン』がいちばん好きなのですが、帝政ロシアに関しては皇族関連や政治、法、文化など、様々な分野に興味があるので、このように分野横断的にと申しますか、色々絡めて考えて行けたらいいなとおもっております。今後とも宜しくお願い致します。
それではお開きとさせて頂きます。また別記事でお目にかかれれば幸いです。