世界観警察

架空の世界を護るために

大公殿下と公爵の往復書簡 ⑹ - 翻訳

 こんばんは、茅野です。

いつの間にやら、殿下関連の記事を40記事も書いているらしいです。なんだって。

連載をやると記事数が溜まりますね……。殿下研究が大好きなので、他にも書きたい内容が色々あり、今後もどんどん記事数を増してゆきそうです。恐ろしき水の妖精、完全に沼底に沈められてしまいました。

 

 さて、そんなわけで連載の続きです。我らがニコライ・アレクサンドロヴィチ皇太子殿下と、ヴラディーミル・ペトローヴィチ・メシチェルスキー公爵の往復書簡を読むシリーズ第六回となります。

↑ 第一回はこちらからどうぞ。

 

 第六回となる今回は、公爵から殿下宛てのお手紙を一通ご紹介します。かなり長く、濃い内容に仕上がっています。それでこそ公爵だ。胸焼けに注意してください。

殿下と公爵の関係に於いては肝となる、皆大好き(?)スケフェニンフェン編です。

 

 それでは、お付き合いの程宜しくお願い致します!

 

 

手紙 ⑽

スケフェニンフェン
1864年8月11(23)日

 

殿下
貴きニコライ・アレクサンドロヴィチ!

 

 あなたとお別れした際、あなたの親切な歓待に感謝しながら、私は多くのことを感じ、また多くのことを考えざるを得ませんでした。

 第一に、今あなたとお別れするということは、あなた側からの一つの問いも、ほんの僅かな誘惑さえも無いまま、神が私に、あなたを知り、あなたを深く愛するように導いて下さった時期のあなたと永久にお別れすることだと思うのです!

神があなたの望みを叶えて下さることを願いつつ、私はあなたの唯一無二の青春時代には可能であったものの、恐らく永久に消滅してしまった、簡素で、平和的で、愉快な関係性に別れを告げます。

 私は、自分自身について話そうとは思いません。ひとつ言えるとしたら、この二年間、特に最後の一年は、私はあなたの前で仮面を被らず、己の全ての欠点も美点も、あるがまま曝け出してきた、ということです。

運命とはしばしば奇妙で異常なもので、前者がより鮮明に見えるようにしてしまいました。それらは、かつてあなたが率直に、冷淡な態度を取る女性への不幸な愛情や態度のようだ、と評したように、はじめは軽く、次いで少しずつ、偶然に、遂には全てを提示してしまいました。

それがどれだけ莫迦らしくて、滑稽な感情であったとしても、その基盤は堅固で清いものなのです。

―――だからこそ、私はあなたの「全てを棄てて去れ」というご忠告に従おうとは考えませんでしたし、この返答こそが、最早私があなたに良い影響を与える能力がないという証明に他なりませんでしたのに、それでも私はペンを取り、再びあなたと、あなたご自身のことについて、心の底から二人でお話したいと決心したのです。―――

 

 過去の監獄の中で、あなたの精神はまるで、二人分の働きをしていたようでした。あなたご自身と、あなたが感性を試すことが可能で、またそこからあなたの強い力を受け継ぐことができる人です。

言うまでもないですが、自分を試したり、比較することがなければ、必然的に自身を公正に判断する能力を失ってしまいます。

そこで私は、率直な会話の中で、あなたが時にご自身に余りに厳しすぎること、また別の時には余りに寛容すぎるということに気が付きました。

あなたはご自身に余りに厳しすぎます。何故なら、あなたは(三日目に仰っていたように)、ご自身について、活力がなく、無気力だ等という取り返しの付かない判決をお下しになっているからです。しかしそれらは全て偶発的なものでしょう。

同時に、あなたはご自身に余りに寛容すぎます。何故なら、あなたはその状態に慣れきってしまって、その原因を探り、そこから抜け出そうという努力をなさらないからです!

 

 他の誰もが成長を止め、一度しかない人生の魅惑的な期間を貪欲に楽しんでいる間にも、あなたはこんなにも不断の努力を重ねられてきたことはよく存じ上げております。しかしその為に、あなたは陰鬱で冷えた人生観を身に付けざるを得なかったのかもしれません。

―――あなたは、そこから何か楽しいものではなく、辛く暗いものを予期されていて、心を硬くしてそれに備えようとしておられるのでしょう!

 

 おお! 親愛なるニコライ・アレクサンドロヴィチ、彼女(訳注: デンマーク王女、ダグマール姫のこと)との出逢いに際して、将来に向けてのあなたの硬い決意を、私がどれ程鮮明に、そして深く受け止めたか、あなたが知って下さっていたら!

あなたがそのような思いを永久に捨て去ってしまうようにと神に祈ります。あなたの使命や責任の前で、魂を硬化させるとはどのような意味か、私は考えただけで凍り付くような思いです。

―――不愉快なこと、困難なことに対してのみ魂を硬化させるというのは不可能です。その時、あなたは悪のみならず善に対しても冷淡となり、あなたの人生は冷たく、負の偉業に満ちた人生になってしまうでしょう。

もうこのことについては考えたくないので、話しません。

あなたを知り、あなたを愛するということは、余りにも心が痛く、余りにも辛いことです。―――

 

 あなたを待ち受ける重大な事件に話を移そうと思います。あなたは、未来の家庭生活の中で、充足した暮らしと、神の祝福を得ることになりましょう。

あなたを知る私は、神と良心に懸けて宣言することができます。あなたは誰よりも幸福に値する方ですし、そして誰よりも幸福を必要とされている方であると!

幸福は、単に人生を楽しむだけではなく、それに加えて、絶えず湧き上がる精神的な強さの源になることでしょう。即ち、愛の中での絶え間ない印象の交換が、あなたが冷たい理性によって得ようとしている魂の硬化に取って変わることでしょう。幸福は誰よりもあなたに必要なものです。

あなたにはまだ、重大で神聖な再生の源泉があるはずです。

あなたが何故生まれてきたのか、神がどのような運命を用意して下さっているのかという思い、善と幸福を生み出す絶大な力は、生への渇望を熱く鼓舞し、そして胸から溢れる熱い決意を固めさせるはずです。

あなたの状況であれば、この源泉や、聖なる火を喪失するのは極めて困難ならざることでしょう。狭い世界の世俗的な心配事、会話、思想に少しずつ慣れ、深刻で深遠なこの懸案を遠ざけ、このことを人々に話さず、まるでそのような悩みを抱えているのではないという風に振る舞うのです。些細な日々の楽しい出来事、悲しい出来事に注意を向け、そこから己の人生観を作り上げることです。

この喪失は危険です。何故ならそれは、全ての良いことや偉大なことに対する視線を曇らせ、絶望に慣れてしまい、また余りに早くからの失望をもたらすからです。

失望した知性は、偉大で熱い感情に奮起せんとする魂に対し、打ち勝ちがたい妨害を加えることでしょう!

しかし、過ぎたことは致し方がありません。私はあなたを非難します。私のことや、私があなたにどのような感情を抱いているのかを知りながら、そして私があなたの地位を如何に神聖視しているのかを知りながら、どうしてあなたはこのようなことを打ち明けて下さらなかったのですか。このことについては、真剣に話さざるを得ませんし、そして何より私はこのようなことを話したいと熱望しておりましたのに。しかし私は、私の方からこのような話題を持ち出す資格はないと考えていたのです。

経験則上、腹を割って話すことができる相手との会話は、高邁な思想や情熱を目覚めさせることを私は知っています。―――

 

 あなたの旅に関して、幾つかの感想を抱かざるを得ません。

―あなたは既に未来を暗黒の陰で覆っていて、不愉快な印象を予見しており、外部からの影響を受け付けようとしておられませんね。

―あなたはお忍び旅行の利便性を存分に活用しきれていないように見えます。率直に申せば、私があなたの立場なら、自分が見たいものを見て、知りたいことを調べ、質問する機会を逃さないでしょう。要するに、生きるための励みとなる印象を可能な限り集めるでしょう。

―あなたの立場なら、学べることに限界はありません。その立場を隠し続ける強い意志さえあればよいのです。

 

 さて、私はもう沈黙し、ただあなたもご存じのことを思い出して頂こうと思います。つまり、祈りの力、祈りによる慰め、祈りによる助け程に恵み深く、万能であるものはないのです!

 

 私は何故こんなことを書いているのでしょう、私はあなたに何をお伝えしたかったのか?

私はこれが友人の義務であると信じていますが、私はあなたの現在の無関心があなたの魂の正常な状態ではないと考えて頂きたいのです。そして、外部からの印象によってそこから逃れて頂きたいと懇願します。心の底からのお願いです、そのような罪深い考えは棄てて下さい。無関心はあなたを失望させ、魂を衰弱させるでしょうが、外部からの印象はあなたを絶えず強化し、茨の人生と闘う力を与えてくれるはずです。

―――祈るような気持ちで終わりにします。

あなたの選択に神の祝福があり、そしてあなたを幸福にして下さいますように!

 

 どうかこの願いを拒否しないでください、ニコライ・アレクサンドロヴィチ。もし私が不適当なことを言っていると思われても、どうか怒らないでください。何故なら、私はあなたとお別れをした時と同じように、熱い忠誠心と、あなたが私と共に過ごして下さった時間の全てに感謝しながら、願っているからです。

パヴロフスクであなたが仰ったことが繰り返されないように神に願い、祈ります。

『私達は群衆の中で互いを知り、

親しくなり、そして再び別れる』。

 

解説

 お疲れ様でございました! 本文だけで4000字あるという。

長大なだけではなく、これまた濃いお手紙でしたね。

 

 しかし、「冷淡な態度を取る女性への不幸な愛情や態度のようだ」とか(この場合、どう考えても「冷淡な態度を取る女性」というのは殿下のことでしょう)、「『全てを棄てて去れ』というご忠告」だとか、殿下、もしかしなくても結構な塩対応をしていませんか!?

いやしかし、前者は別に「女性」ではなく「男性」にするだけで、例え話ではなく単なる事実になってしまうのでは……。

 

原本のコピー

 さて、ではいつも通り直筆のお手紙を見てみます。冒頭部です。

↑ インクがうつったと思しき、謎の汚れ。

 比較的マシだと思います。ちょっと読める。普段の字でこの長文は流石に辛いですからね。

しかし、迷路みたいな飾りの付いた д 、可愛いですね。

そう、字はカワイイんだよな……読みづらいだけで……。そこ両立するのか、という感じですが……。もしかして公爵、絵とかお上手だったりする?

 

スケフェニンフェンで

 こちらのお手紙は、彼らがオランダの療養地、スケフェニンフェンで時を過ごした直後に書かれたものであることがわかります。

 

 殿下は、前回確認したように、1864年4月末に、遂に病を隠しきれなくなって倒れてしまいます。

公爵など友人らは「その後は健康そうに見えた」と書いている一方で、側近たちの記録を読み合わせると、五月以降も度々病臥を余儀なくされており、体調が不安定であったことがわかります。

 そこで、7月頃に、一ヶ月ほどオランダのスケフェニンフェンに滞在し、療養生活を送ることになります。

 

 当時は、現在では考えられないほどに医療が杜撰で、スケフェニンフェンで殿下が受けた「治療」は、寧ろ病の悪化を招くものでした。

彼は、病苦から精神的にも追い詰められてしまい、表面上では普段通り健常を装いながらも、生きることに全く関心を持てなくなったり、「死はせめて救いであって欲しい」と口走るようになったり、所謂希死念慮を抱き始めるようになります。

しかしそれはキリスト教では大罪に他ならず、敬虔な正教徒である彼は、自身がそんなにも罪深い願いを抱いたことに自責を繰り返し、そして更に追い詰められ……という最悪の悪循環に陥っていました。

 秋頃になってくると、殿下は逆に希望に満ちた言葉ばかりを並べるようになります。それは、婚約というおめでたい出来事があったからでもある一方で、最早差し迫った死は避けられ得ぬものとして受容し、達観してしまったが故の行動なのでしょう。

その意味でも、この夏のスケフェニンフェン滞在時は、心の内で絶大な葛藤があり、殿下が人生のうちで最も精神的に不安定だった時期であると言えるのです。

 

 そんな中、殿下は友人であるメシチェルスキー公爵を同地に招待します。

勿論もう少し婉曲な言い回しをしていますが、殿下はこの時、要は「私がいるのだから、当然来るでしょう?」という意の誘い方をしていて、このワガママ王子様の小悪魔め……というか、そんな問いかけをされたら、当然我らが公爵が光の速さで飛んで来ないはずはないのでありました。

 

 すっ飛んできた公爵が相対したのは、前述のような状況で心身共に酷く病み疲れていた殿下でした。

殆ど毎晩、公爵は殿下と二人きりで話す機会を得るのですが、殿下の教師であるストロガノフ伯爵の長男の急死を知らせる報を受けたことを切っ掛けに、殿下は公爵に、本当は酷く具合が悪いこと、自らの死期を悟っていること、希死念慮を抱いていることを仄めかします。

↑ 詳しいことは公爵の『回想録』第33節に書いてあります。スケフェニンフェンでの殿下を知るには一番の史料です。

 

 殿下は、仄めかす程度で、公爵にさえも腹を割った打ち明け話はしなかったようです。

 しかし、その仄めかした内容は、大変重く、罪深いことでもありました。個人的に予想はしていたことですが、ある意味で殿下は、公爵からの好意に「甘えた」のでしょう。今回の手紙で、そのことがはっきりしました。

 ただ「ロシア帝国の皇太子」という肩書きだけを見ているのではなく、「ニコライ・アレクサンドロヴィチという個人」に強い好意を抱く公爵であれば、このような重大な話をしても、外部に告げ口をすることなく、またその「唯一の相談者」という地位を喜び、適切な相談相手になってくれるもの、と期待したに違いありません。

 殿下は、公爵本人に「あなたを信頼しきった訳ではありませんよ。」と釘を刺したり、今回の手紙から明らかになったように、想定以上に冷たい言葉も投げ掛けています。

一方で、このような状況で他人からの好意に甘える計算高さも持ち合わせていることがわかります。これが飴と鞭……? ほんとうに良い政治家になりそうだな、この御仁……。

 

 文中から察するに、精神的に追い詰められた殿下は、「罪深いこと」を考えなくて済むように、思考放棄し、あらゆる外部からの影響をシャットアウトして、あらゆる動揺から精神を守ることを目指す、という旨を告げたのと推測できます。

このことを、やんわりと濁し、彼は「魂を硬化する( закалять душу )」(※ закалять には、「鍛え上げる」という意味もあります。そのようなニュアンスも含みつつ、文脈的に「硬化する」の方が近いと判断します)という婉曲表現を用いたようです。

 

 つまりは今回のお手紙は、生を諦め死に希望を見出し始めた殿下に対し、そのような考えを棄てるように懇願する必死の嘆願書なのです。

そして、ガチ恋勢であることはともかく、自他共に認める殿下の最も親しい友人の一人である彼にでさえも、腹を割った打ち明け話をしてくれなかった殿下を叱責する割と図々しい手紙でもあるのです。

 

 原則的には、暗い考えを捨て去らせ、明るい希望を抱かせることは、善いことであると考えられます。

しかし、自己の死期を正しく悟り、精神的にも死出の旅への準備を始めた彼に、叶わぬ希望を抱かせることが、本当に正しいことであったのかは、わたくしにはよくわかりません。皆様はどうお考えになりますか。

 

普遍人称文

 ここで少し、ロシア語講座のお時間です。

文中で、

あなたを知り、あなたを愛するということは、余りにも心が痛く、余りにも辛いことです。

という、物凄い台詞が登場しますが、この文章の原文を是非とも一緒に見て頂きたいのです。

 

 この「あなたを知り、あなたを愛する」の部分は、原文だと знаешь и любишь Вас. です。

これは、動詞が二人称単数形(親称形)になっています。つまり、直訳すると、「君があなたを知り、君があなたを愛する。」となります。意味不明ですね。「君って誰だよ」って話ですね。

フランス語にするなら、tu vous connais et tu vous aimes. です。なんだそりゃ。非文ではないものの……。

 

 ヒントは、主語が「私」ではない、「私にとって( для меня ≒ for me )」ではない、ということです。

…………つまりどういうことか?

 

 このような、主語がなく、いきなり二人称単数形の動詞を用いる文章を、ロシア語文法では「普遍人称文」といいます。

「普遍」という語から、察しの良い方はお気づきかもしれません。

普遍人称文は、その内容が誰にでも当て嵌まる場合に使われる特殊な構文です。従って、ことわざなどで使用されます。

 

 ……という文法知識を得たところで、先程の文章を振り返ってみます。

つまり、正しく、よりわかりやすく訳すなら、こうなるのです。

誰にとっても、あなたを知り、あなたを愛するということは、余りにも心が痛く、余りにも辛いことなのです。

…………、えっ、勝手に決めつけないで貰っても良いですか? わたくしは殿下のリサーチに邁進し、彼を愛でるのが大好きですけど……。

っていうか、それはまあ良いとしても(?)、それを本人に言うのはどうなのよ。言われた方は困惑するでしょうて。しかもこの方、これからプロポーズしに行くという時期ですよ?

 

 これぞ正に原文を読むことで得られる面白みです。一緒にロシア語勉強しませんか。

 

レールモントフ

 手紙の最後に、殿下がパヴロフスクで公爵に投げ掛けた言葉というものが繰り返されています。

そうなんですよ、公爵、すぐに言質を取るんです。めちゃくちゃ議論したくない相手ですよね。

 

 殿下が投げ掛けた言葉というのは、「ロシア詩黄金の時代」を代表する詩人の一人、ミハイル・ユーリエヴィチ・レールモントフの詩、『盟約( Договор )』の一節の引用です。書いていて、「待てよ、なんだか聞き覚えがあるな……」と思いました。

 

 レールモントフ、個人的に一番好きな詩人でして……。「 "推し" が "推し" の詩を暗誦してる!!」と、大興奮でした。

↑ ギリギリ写真が無い時代の人です。

 殿下が生まれる二年前に亡くなっていて、ギリギリ時代的に被らないです(つまり1841年没)。

レールモントフも26歳の若さで亡くなっているので(しかもその死因ときたら決闘なのである)、「殺される」ようなことがなければ、更に優れた作品を多く生み出したでしょうし、殿下と関わりがあったかもしれないという、なんとも寂しい幕切れであります。

 

 レールモントフは、作品以上に本人が面白いという、これまた変わった、非凡な人なのです。

彼は天才的な詩人であったと同時に、軍人でもありました。長きにわたるカフカース戦争で武勲も立てており、軍人としても優秀であったことで知られています。

また絵もプロ級に上手く、ヴァイオリンなどの楽器も得意で、とんでもなく多才な人物でもありました。

性格は屈折していて、気難しいところもありますが、それが文学に見事に昇華されているのだからお見事です。

 …………そろそろ、わたくしが何故レールモントフのことが好きなのかがバレそうなので、辞めておこうと思います。信じられないくらいに多才で優秀な人、いいですよね。

同時代人からも、「ロシアでは、優秀な人から虐め殺される」と苦言が評されています。同感です。

↑ 実際にモスクワでレールモントフの家に潜入した時の記録です。「ブチ上がってるオタク、面白い」と、何故か一部から人気がある記事群。

 

 さて、『盟約』です。こちらは1841年、死後に出版された詩です。『レールモントフ選集』に邦訳があるので、そちらを掲載しておこうと思います。太字の部分が今回引用されている箇所です。

Договор

盟約
Пускай толпа клеймит презреньем
Наш неразгаданный союз,
Пускай людским предубежденьем
Ты лишена семейных уз.

ぼくたちの不可解な同盟に
群衆が軽蔑の烙印を押さば押せ
人びとの偏見によって
きみが家庭の蜜蝋を失うなら失うがよい。

Но перед идолами света
Не гну колени я мои;
Как ты, не знаю в нем предмета
Ни сильной злобы, ни любви.

それでも 世界の偶像たちの前に
ぼくはひざまづきはしない。
きみと同様 ぼくはこの世間に
強い敵意の対象も愛の対象も しらないのだから

Как ты, кружусь в веселье шумном,
Не отличая никого:
Делюся с умным и безумным,
Живу для сердца своего.

きみと同様相手の見分けもつかず
さわがしい陽気さの中をはせめぐる。
利口ものとも馬鹿ものとも ひとしくつき合い
自分の心のままに生活している。

Земного счастья мы не ценим,
Людей привыкли мы ценить;
Себе мы оба не изменим,
А нам не могут изменить.

地上の幸福を ぼくらは重視しないし
人びとの品定めにも なれっこになってしまった
ぼくらふたりは 自己を裏切らないし
他人に裏切られることもない。

В толпе друг друга мы узнали,
Сошлись и разойдемся вновь.
Была без радостей любовь,
Разлука будет без печали.

群衆のさなかで ぼくらはお互いを認め合い
一緒になり ふたたび別れんとしている。
喜びにみちた愛もなかった、
別れには哀しみもありはすまい。

                  Михаил Лермонтов, 大橋千明、草鹿外吉訳

 

 この詩は、(恐らくは不倫などをして)社会的な名声を失った女性と、彼女を認めるアウトサイダー的な男性のカップルを扱った詩であると解釈されています。

 一方で、正に「アウトサイダー」的なレールモントフ自身と、彼が密かに恋し続けていた、幼馴染みのワルワーラ・ロプヒナーのことである、とも考えられています。

 ……別に喜ばしい内容ではないことに違いはないのですが、自身と公爵の関係を恋人同士について書かれた詩に喩えるとは、ちょっとリップサービスが過ぎませんか、殿下!? このままでは公爵が勘違いオタクになってしまうよ……

 

 ちなみに、細かいことですが、詩では Сошлись という語を用いているのに対し、引用では Слились になっている、という差があります。しかしこれは、深い意味があるわけではなく、単に公爵の記憶違いでしょう。

というのも、この二つの単語は、見て頂ければわかるように、よく似ていますし、意味も「出逢う」と「合流する」で、ほぼ同様だからです。

 

 レールモントフは、基本的に韻文を扱う詩人なのですが、散文小説を一篇だけ残しています。それが『現代の英雄』です。

↑ 最近新訳が出て、入手が容易になりました!! 是非とも!!

 『現代の英雄』は、時系列を意図的に乱したり、語り方を章ごとに変えたりと、構成が緻密で、非常に計算された、複雑な小説です。これが唯一の散文小説だなんて、信じられません。

 「ロシア文学で最初の心理小説」と呼ばれることもあり、半自伝的な、屈折した主人公ペチョーリンの心理描写も見事です。

 とにかく「質が高い」の一言に尽きる一篇で、個人的に最も好きな小説です。わたくしが、このような考察書きではなく、小説書きであったなら、レールモントフに出逢った瞬間に筆を折るでしょう。

……幸い、小説書きではなかったので、文筆活動を続けております。確かに『現代の英雄』は、非常に面白いながらも難解な小説であることに変わりは無いので、僭越ながら解説も書きました。良ければ参考にして下さい。

 最後に『英雄』のダイマになってしまいましたが、唯一無二の読書体験ができますので、胸を張って推薦致します。

 

最後に

 通読有り難う御座いました! 本文が長かったこともあり、久々に1万字超えで御座います。はてなブログ、1万字を越えると途端に動作が重くなるんですよね……。今、ガックガクです。普通はそんなに書かないか。そうかもしれません。

 

 長くなってしまったので、簡単に次回予告をして終わりにしたいと思います。

次回、第七回は、殿下から公爵宛のお手紙を一通ご紹介する予定です。今回のお返事ともなるような、精神的な話も出てきますが、主にイタリアでの旅について書かれています。お楽しみに!

 

 それでは、今回はここでお開きとしたいと思います。また次の記事でお目に掛かれれば幸いです!

↑ 続きを書きました。こちらからどうぞ!