こんばんは、茅野です。
もう二月も半ばを過ぎたということに衝撃を隠しきれません。どうでもいいですが、わたくしが『エヴゲーニー・オネーギン』との運命的な出逢いを果たしたのは丁度この頃のことでした。感慨深いです。
先日、東京バレエ団さんの『白鳥の湖』を観ました。大変満足致しました。
白鳥来てます!🩰🦢 pic.twitter.com/l67l9Q2CX4
— 茅野 (@a_mon_avis84) February 19, 2022
クラシカルな演出で、一周回って新鮮でしたね。以前、『白鳥の湖』に於けるスペイン大使団(スペインの踊り)について一筆やりましたが、なんと今回は全大使団買収済みヴァージョン。盛り上がりますね……!
↑ スペインってなんか毎回悪役にさせられてない? というのを解きほぐす記事。
また、最近ではあまりみられない、道化師が大活躍するもので、第3幕ではフルメンバー5人体制でした。ダイナミックで素敵でしたね~。一方で、こちらを拝見している間、「そういえば、この道化師の帽子って何を模しているんだろう……動物の角?」という疑問が湧いたので、帰宅後調べてみることに。
というわけでリサーチ結果を。今回は、道化師の帽子について考えます。
それでは、お付き合いの程宜しくお願い致します!
舞台芸術に於ける道化
まずは疑問の発端となった、舞台芸術に於ける道化を見てゆきます。
伝統的な『白鳥の湖』に於ける道化師はこのような衣装です。
今回の東京バレエ団さんのものも、ほぼ同様のものでした。
バレエのみならず、オペラの世界でも道化は似た姿で描かれます。「道化とオペラ」と言えば勿論、ヴェルディ作曲『リゴレット』。
↑ オペラ『リゴレット』の道化師(ロイヤル・オペラ・ハウス)。
バレエに比べて身体を激しく動かすことがない分、バレエ版より豪奢になります。この ROH での上演のものでは、よりホラー感が出ていますが、帽子に関しては概ねバレエ版と同様です。
勿論、演劇の世界でも道化は健在。最も有名な道化の一人、シェイクスピア作『リア王』の於ける道化も似た姿で登場します。
↑ 演劇『リア王』の道化師(ロイヤル・シェイクスピア・カンパニー)。
このことから、中近世が舞台の作品に於ける道化の衣装については、ある程度共通していることになります。それは勿論、この二股(或いは三股)に分かれた帽子についても然りです。
また、この角(仮)の先には鈴が付いている場合が多いです。尤も、オペラ上演など音楽の邪魔になる場合は省略されます。
消えたトサカ
それでは、謎を解き明かしていきます。
この帽子、そもそもなんと呼べば良いのでしょうか。答えは『リア王』にあります。
Fool
Let me hire him too: here's my coxcomb.
(Offering KENT his cap)道化
わたしも雇いたいものだ。ほれ、これがとさか帽だ。
(ケントに帽子を差し出しながら)
そう、このイカしたお帽子の名前は「鶏冠(とさか)帽」なのです。
しかし、どこに鶏冠要素があるのでしょうか。少し時代を遡ってみましょう。
こちらは16世紀の木版画です。道化師を描いています。
注目して頂きたいのは、頭のてっぺんを走る縦線。ちゃんとニワトリのとさかに見えませんか……!?
↑ このギザギザ、もし色を赤く塗れば……。
↑ ニワトリのとさか(単冠)。
つまり、元々はこの真ん中の縦線がニワトリのとさかに似ていた(或いは模していた)が為に「鶏冠帽」と呼ばれていたにも関わらず、段々その一番大事な部分が省略されるようになってきてしまった、ということがわかります。
そして、二股部分は、もともとフードについた耳を覆う部分だったことがわかります。ロバの耳を模すことが多いようです。その先端に鈴を付けています。次第に、とさか部分は省略され、この目立つ耳の部分が誇張され、独立し、帽子となったのではないか、と考えられます。
ちなみに、中世の道化の帽子(フード)には、しっかりニワトリの頭までくっついているものさえあります。
こちらが、二股ではなく三股になっている帽子の原型なのでしょう。
「愚か」な動物
「ニワトリ頭」「ニワトリは三歩歩くと忘れる」なんて(侮辱の)ことばがあるように、古今東西を問わず、ニワトリは愚鈍ないきものと解されてきました。
道化師は、舞台芸術の世界の中だけの存在ではなく、中近世のヨーロッパに実在していました。主に滑稽な芸をして主である王侯貴族を笑わせる職業です。また、現代のモラルには即しませんが、知的障害者(ロシア正教でいう「聖愚者」など)が就ける特権的な仕事でもありました。一応フォローを入れておくと、一般的な畑作業や商売などができなくても、王侯貴族が雇い入れることで彼らを路頭に迷わせないという、生活保護的な側面もあったようです。
このことから、「愚鈍なニワトリ」と「道化師」を結びつける向きがあったのだろうと推測できます。
また、ヨーロッパでは、同じくロバにも「愚鈍」というイメージがありました。実際には言う程愚かではないそうですが、やはり体格がよく賢い馬と比較してしまうのでしょうね。
コッローディによる児童書『ピノッキオ』でも、ばかなことをしでかした主人公ピノッキオがロバになってしまうシーンがありますが、これはロバがどのようなイメージで捉えられているかを示す好例です。
↑ 話題となった実写版の映画のレビュー記事。とてもよかったです。
ちなみに、ロバは好色なイメージも持たれています。たとえば、変身譚に於いて、ロバに変身するのは性的なニュアンスを含みます。「彼は夜になると獣になったようだ」というような比喩表現もありますが、ここで言う「獣」とはロバなどが主に連想されるようです。
もしかしたら、このことも道化との関係に影響があるかもしれません。
昨今では忘れられがちな「とさか」の存在ですが、稀に復活することがあります。とさかが表現されるか否かは、美術さん次第です。
↑ オペラ『リゴレット』(サンフランシスコ歌劇場)。
今後は道化の頭上に要注目! ですね!
最後に
通読ありがとうございました。今回は突発的な単発記事なので短く、2500字ほど。
疑問を抱いたことをすぐに調べられてすっきりしました! 同じ疑問を抱いた方のお役に立てていれば幸いです。
それでは今回はお開きと致します。また別記事でお会いしましょう。