こんばんは、茅野です。
何故か毎年二月は、個人的に読書強化月間です。秋ではなく冬が読書の季節と化しております。
読書が大変に楽しいのですが、本を読んでいると記事を書けない。これは悩ましい。
さて、今回は公演評になります。
皆大好き National Theatre Live で御座います。我らがロシア文学から、チェーホフの『かもめ』です。
↑ 非常にお洒落なポスターですが、このお衣装やセットは出てきません()。
帝政ロシアものだ~! やった~! と思いつつ(わたくしは近代ロシア帝国のオタクなので)、写実的な演出ではないことに少々寂しさを感じつつ。
敢えての超古典的演出とかやらんのでしょうか。いつか是非。
それでは、簡単にはなりますが、お付き合いの程宜しくお願い致します!
キャスト
コンスタンティン・トレープレフ:ダニエル・モンクス
ニーナ・ザレーチナヤ:エミリア・クラーク
イリーナ・アルカージナ:インディラ・ヴァルマ
ボリス・トリゴーリン:トム・リース・ハリーズ
ピョートル・ソーリン:ロバート・グレニスター
マーシャ・シャムラーエワ:ソフィ・ウー
エヴゲーニー・ドールン:ジェラルド・キッド
イリヤ・シャムラーエフ:ジェイソン・バーネット
ポリーナ・シャムラーエワ:サラ・ポーウェル
脚本:アーニャ・リース
演出:ジェイミー・ロイド
雑感
今回は定番の前解説やインタビューは一切無し。いきなり本編です。ド定番の古典ですから、それも不要、新規性は観て感じろ! ってことなんでしょうか。少し寂しい。
また、『リーマン・トリロジー』や『プライマ・フェイシィ』の時にあったような、銃声やトラウマ描写への注意喚起などもありません。それくらい原作読んで知ってるだろ? ってことなんでしょうか。知って……ますけど、やっぱりあれ良いなあと思ったので欲しいですね。
NTL は、特定の劇場の配信ではなく、英国の複数の劇場の上演を配信しているので、劇場によるということかもしれません。
『シラノ・ド・ベルジュラック』と同じ演出家さんということで、同じく簡素な舞台セットです。必要最低限で、三方を囲んだコルクボードと、登場人物の人数分の緑の椅子だけで構成されています。
いやしかし、簡素な椅子だけの演出といえば、個人的には別のものを想起してしまうのですが……。カーセン演出オペラ『エヴゲーニー・オネーギン』。
椅子の配置や、人物が立っているか座っているかなどで、その場にその人物がいる設定になっているのか否かや、関係性を上手いこと表しています。シンプルながら洒落ている。
『かもめ』は演劇史を語る上では避けて通れない古典的名作ですが、色々とメタな作品なので、役者よりも演出家が大変だろうなといつも思います。
元から自虐的で重層的な台詞に満ちた戯曲を、スベらないように、そして新規性も生みながら描き直すのは非常に難易度が高いことです。生半可なものだと容易に失敗します。初演も失敗だったらしいですし……。
↑ いつまでも色褪せない原作戯曲。
今回は、台詞は概ね原作通りですが、現代読み替えをしています。
舞台は僻地の小島ということになっており、フェリーやヘリコプターで移動するようです。そのことにより、交通網の発達した現代に置き換えても、都会や文化的生活へのアクセスが難しい、という状況を演出しているわけですね。上手い。
それに、今回は勿論英語上演・ロンドン公演ですが、イギリスにはそういう小島嶼っていっぱいありそうですし……(偏見)。
第二部(第四幕)のロトがワードゲームに変わっており、より視覚的に見栄えするようになっていました。結構笑えた。
原作の『かもめ』の主人公枠はコンスタンティンだと思っていたので、予告の段階から「ニーナが主役!」と押されていることが気になっていました。
そういう設定なのかな、と思えば、特にそんなこともなく、脚本は殆ど原作通りです。
『かもめ』は明確なワンマン舞台ではなく、群像劇なので、内容とプロモーションに結構差異があるのでは、と感じました。
コースチャの右腕・右足が麻痺していて、そういう設定・演技なんだろうか? と思いましたが、これは俳優さんがそういう障害をお持ちだということのようですね。途中で、左腕と比べて右腕が異様に細いのに気が付いて、悟りました。
↑ 写真で見ると一目瞭然。
コースチャがピアノで弾くのはラフマニノフの『プレリュード』ですね。確かに時代的には殆ど同じです(『かもめ』は1896年、『プレリュード』は1903-4年)。
しかしこの曲、一般的な体格の人でも手が届かなくて弾けないと言われるのに、これまた挑戦的な選曲で……。あれか? ……これなのか……??
↑ 何回観ても好き。
役者さんは本当に粒揃いで、申し分ありません。「いるわー、こういう人、いるわー」というのをそれぞれが体現しています。
また、皆さんマイクを付けているので、演技は舞台向けというよりも映画寄り。ライブビューイングですし、特に違和感はありませんでしたが……。
コンスタンティンはチェーホフらしい「弱き主人公」を好演していますし、無力感がよく出ています。
ニーナは田舎の初心なはにかみ屋です。第二部ではそれが疲れ果てたときにできる皺に変わり、見事な変貌を遂げます。眉の動きが凄い。それにしてもスレンダーですね……。
女優アルカージナは高慢な美女で、言うなればウザさが最高です。アルカージナにはそれが欲しい。そして、すぐに被害者ぶる悪い母親っぷりも良い。「こんな母親絶対イヤだ~。コースチャじゃなくても病む~」がそこにはある。嵌まり役です(※とても褒めています)。
地味に凄いのが伯父さんのソーリンで、演技が一番自然。こんな伯父さん一人は欲しい。倒れ方上手すぎてびっくりしました。本人も何が起きたのかよくわかっていない感じの……。
マーシャは直立不動で早口、意図的に棒読み気味なのが、逆にアクセントになっています。髪型が日本のオタクっぽい。
その母のシャムラーエワが個人的にはとても好きでした。アルカージナとは逆に、こんなママが欲しい。全力でオギャりたい。長年浮気をしていて、設定上は必ずしも完璧な存在ではないのだけれど、包容力ある素敵なママでした……。
トリゴーリンを若い役者さんが演じていると、『ばらの騎士』感が出るような気が致しますね。ハッピーエンドにはならないですが……。優柔不断で年上の気が強い女性の尻に敷かれている感じ、若者にした方が嫌悪感が減るかもしれません。
ドールン医師は正に渋めのイケオジで最高でした。そりゃモテますよ。説得力あります。
シャムラーエフの空気読め無さも好演でしたね。ちゃんと客側が笑いのポイントを押さえているので、上手いこと対話になっていました(舞台上は白けていますが)。当たり前なことではありますが、ここで釣られて笑わない俳優陣スゲー、となります。
メドヴェジェンコは良いパパです。口を開けば貧乏トークで冴えない男、という設定ですが、原作からして現代に必要な父親像ですよね。鼻ピアスですが。心からつんつんしたいお腹ですが……。
作中の合言葉は extraordinary 。うざったい程に登場します。途中から、何回登場したのか数えておけばよかったと思った。数えた方いらっしゃいましたら回数を教えて下さい。
三方をコルクボードで覆い、キャストの退場も客席のドアからというセットですが、休憩中も幕は下がりません。最初の3分程コースチャも出たままです。休憩させてあげてくれ。
幕間の曲がカッコイイです。
また、第二部開始前の約9分前からコースチャが寝そべってスタンバイ。休憩を以下略。
改めて、ロシア文学の女性は強いな~と感じましたね。筋骨隆々で逞しいというわけではなくて……、一見か弱いんだけれど、芯が通っていて、へこたれず、打たれ強いと申しますか。格好いいです。
第二部は、終始照明も話も暗いのですが、ニーナのひたむきさが痛々しくて、それでも強くて。これはコンスタンティンも追いかけてしまう。
NTLを観ていると、舞台は観客も含めて創っていくものなんだと強く感じますね。
初演時は、喜劇と勘違いした観客が要らぬ笑い声を立てて台無しにしてしまった、と言われていますが、今回は良い意味で笑い声が旺盛です。
ライブビューイングだと、そこに参加できない寂しさは多少ありますよね。
名作古典で、更にその内容の特異さから特に上演が難しい『かもめ』。
シンプルながら必要最低限の装置、役者さんの人種や障害も様々で多様性があり、違和感のない読み替えで、高水準であったと思います。
一度は観ておきたい上演です。
最後に
通読ありがとうございました! 4000字ほど。
ロシアと鴎撃ちといえば、某我らが殿下もかもめを撃ち落としていましたね……。
↑ 白鴨、鴫、鴎撃ち抜きき。
まあ彼も、当人の責ではないにせよ、美しきお姫様の恋路と運命を台無しにしていますし……。殿下トリゴーリン説(?)。
当時のロシアでは、狩りで鳥を標的とすることも度々あったのでしょうか。
次回の NTLive は、こちらも古典的名作、『るつぼ』!
セットデザインが『リーマン・トリロジー』と同じ方だというので、これまた期待が高まります。楽しみ~。
それではここでお開きと致します。また次の記事でお会いしましょう!