世界観警察

架空の世界を護るために

NTLive『オセロー』 - レビュー

 こんばんは、茅野です。

毎晩コンサート、オペラ、演劇に通っています。充実した夜です。しかしレビューを書かないと忘れるので、急いで書かねば……。レビューは苦手意識があるので少し気が重い。

 

 というわけで先日は NTLive の演劇『オセロー』にお邪魔しました。珍しく、ヴェルディのオペラではない方です。

 前述のように、ソワレの予定が立て込んでいたので、最終回駆け込み(物理)です。走りました。予告が意外と長かったので、走らなくても良かったかも。

 

 今回はこちらの雑感を簡単に記して参ります。それでは、お付き合いの程宜しくお願い致します。

↑ もうタイトル見るまでも無く『オセロー』だな! とわかる良ポスター。

 

 

キャスト

オセロー:ジャイルズ・テレラ
デズデモーナ:ロージー・マキューアン
イアーゴー:ポール・ヒルトン
エミーリア:ターニャ・フランクス
演出:クリント・ダイアー

 

雑感

 今回は久々にシェイクスピアの原作を再履してから伺いました。

↑ オセロウとかデズデモウナとか、固有名詞に古さが出ちゃってますが、普通に読みやすいですよ。

お陰で、本当に原作通りやっているんだなということがよくわかりましたね。殆ど台詞の改変は無いのではないかと思います。

 

 キャラクターのビジュアルを原作に寄せています。所謂「ムーア」、或いは「黒人」はオセローのみ。あとは皆「白人」です。

この間、人種に関しても大きなテーマのひとつとなっていたオペラ、『チャンピオン』を観たので、差が凄いな……と思って観ていました。

↑ ありとあらゆるとさえ言ってもいい様々な社会問題を扱った名作現代オペラ。20世紀アメリカのボクサーの伝記というかなり変わった内容ですが、とてもお勧めです!

オセロー、『チャンピオン』出られるな……(?)。サンドバッグ叩くシーンもあることですし。冒頭の殺陣もカッコいいです。

 現代では、「白人と黒人が結婚!? 有り得ない!」という意見は稀だと思います(だと思いたい)。実際、ジャイルズ・テレラ氏扮するオセローはカッコいいので、「何が嫌なの?」という領域。

しかし、従来通りオセローのみを「黒人」とすることによって、視覚的に異質さを演出しようとしているのは伝わりました。

 

 でも、シェイクスピアの描くオセローって、所謂「名誉白人」扱いですよね。貴族であり、将軍であり、ヴェニス大公からも一目置かれている。悲劇であることもあり、当時の上流階級の物語になっています。

「黒人」を出すならばせめて地位の高い人にしなければならなかったのか、「白人」ばかりの環境にいるからこそ目立つのか。地位や能力を持ってしても覆せない偏見の目。

 

 オセローは、「ムーア」と書かれたり「黒人」と書かれたりしています。シェイクスピアの時代では、肌の色が黒い人=黒人、という大雑把な扱いだったのかもしれません。尤も、現代でも大半の日本人は殆ど似たような認識をしてしまっていますが……。

 所謂「黒人(ネグロイド)」は主にサハラ以南アフリカに居住する人々(またそこから北米などに強制移住させられた人々)を指します。

一方で、「ムーア」は主に西サハラ地域、特にモーリタニアの辺りに住むアラブ人やベルベル人、その混血を指します。もっと専門的に言うと、恐らくルギバド族とかデリム族なんだと思いますが、細かすぎるのでここでは捨て置きます。

 アラブ人は、肌の色がとても多様で、殆どコーカソイド(白人)系の人から、ネグロイド(黒人)系の人まで様々です。このことから、彼らは肌の色ではなく、アラビア語母語、少なくとも日常的に用いる人を「アラブ人」と認識するようです。言語的紐帯は、懸念される問題もないわけではないですが、人種で分断するよりもずっといいですよね。

 個人的に、現代アラブの政治を研究していて、特に西サハラ問題に注力していた関係で、モーリタニアにはとても愛着があります。あの国ほんとに終わってるんですよ(失礼)。お金無さすぎて国内唯一の日刊紙を刷る金がないとか、クーデタでしか政権交代したことがないとか、産業がタコ漁以外壊滅的とか。もうどこから突っ込んで良いのかわからないです。

余りにも異次元過ぎて、見ている分には面白くて(笑いごとではないのですが)、一周回って愛おしくなってしまって。なにか支援をしたいとずっと思っているのですが、ピンポイントで「モーリタニアに!」というのは手段が無く、大変寂しく思っています。モーリタニアを支援する方法をご存じでしたら是非とも教えて下さい。

 ……と、思いっきり脱線しましたが、ムーア人モーリタニア人)とはそういう地域に住む人々を指します。従って、本来「ムーア人」では肌の色は特定できないのですよね。モーリタニア近辺出身且つネグロイド系、とするのが一般的な受け止め方なのでしょうか。

オセローもモーリタニア地域の出身だとすると、個人的には嬉しいのですが、どうでしょうね。ご先祖タコ捕ってたりしないかな。日本が食用として輸入致します。

 

 しかし、今回の上演では、『オセロー』の核とも言うべき人種差別問題よりも、性別、女性差別問題の方を重点的に扱っていたように思われました。と申しますか、1幕が人種差別、2幕が女性差別を主に扱っていたと申しましょうか。時系列的に、女性の話の方が強調されたように感じたこともあるかもしれません。

そう、オセローとデズデモーナは、「黒人と白人」であるのと同時に、男性と女性でもありますからね。

 

 デズデモーナはもう誰がどう見ても美女すぎます。陶器のような白い肌に明るい金髪、抜けるような青い瞳、長い手足にくびれた腰。絵に描いたような美女です。

今は「そんなあなたが何故○○人(人種・国籍等)と?」と言うと、差別だと認識されるようにはなってきていますが、ここに職業や収入、身長などを当て嵌めると、現代でもよくある話になってしまうのではないでしょうか。その人を規程するのはステータスではないのも関わらず。

 

 デズデモーナに関しては、解釈が現代的だと思いました。シェイクスピアの原作では、驚くほど恭順というか、神や夫、運命に身を委ねきっていて、強い自己主張があるようには感じられないからです。

この上演では、デズデモーナも「一人の人間」として描かれていて、自らの意志を持っています。それどころか、当時の他の一般的な女性とは異なる行動を積極的に行う、とても意志の強い女性です。

 だからこそ、オセローが彼女に口を挟ませず勝手に疑心暗鬼に陥って彼女を殺してしまうことが殊更悲劇的なのです。美しいお人形のようなデズデモーナではなく、血の通った人間であるからこそ、殺人が意味を為してきます。

 

 終盤でのデズデモーナとエミーリアの対話はとても興味深く、好きなシーンです。

「世界を手に入れられるなら不貞だって働く、そしてその世界で、夫を王にしてあげればよい」。このエミーリアの台詞はつまり、権力がその世界のルールを作る、ということを端的に言い表していてゾクッとします。

 今回、エミーリアは右頬に痣があったり、右腕にサポーターをしていますが、それは夫イアーゴーからの DV を受けている、という解釈・演出であることが終盤にわかります。恐ろしいな! それにしても、このシーンも言葉にせずとも動作でわかるの、演技が上手すぎる。

 イアーゴーは、オセローとエミーリアが夜を共にしたと誤解、或いはそれが誤解であると認識した上でもその噂が許せないという点からも、妻エミーリアに対してメンヘラヤンデレ束縛的な愛を抱いていることがわかります。

この演出では、「それもまた一つの愛の形だから OK !」とか抜かすのではなく、外では権力者に媚びへつらう真似をするくせに、その鬱憤を家庭内で晴らす DV 気質の夫、そしてそれに怯え、しかし一抹の愛も残っているが故に離れられず、彼の関心を引くためだけに盗みの片棒を担いだりしてしまう妻、という家庭の問題を扱っています。

 

 イアーゴーも良かったですね。「演技をしているという演技」、一種の劇中劇を見事に演じきっていました。

正直、オセローやデズデモーナよりもイアーゴーの方がお芝居の時間長いですよね絶対。彼の演技力に舞台の成功が懸かっていると言っても過言ではないと思います。

 

 幕間の制作陣対談で、ロドリーゴーが従来の間抜けの三枚目ではなく、差別主義者として描かれている、というお話がありました。ロドリーゴーのシーンで笑いが起こると、「何がおかしいのかわからない」とも真顔で仰っていましたね。

彼は原作からして間抜けなので、笑いを誘う面は正直あると思います。しかし確かに、「女性は男性の所有物」「黒人はどう足掻いても白人と同列にはなれない」という思想が滲み出ていることがわかります。

 特に我々時代考証班はよく陥りがちですが、「当時はそういう価値観が一般的だったから」ということで、それを「普通」だと認識してしまいがちです。一般的であったことは否定できないかもしれませんが、その「普通」が「(倫理的に)誤り」であるということは、忘れてはならない事項ですよね。

 ところで、ロドリーゴーとロドヴィーコー、名前紛らわしすぎんか。

 

 また、オセローやイアーゴーの独白の際に現れる人々は、「社会」を表しているということでした。その意図はわかりづらいな、というのが正直なところです。

独白のシーンのみの登場なので、解説を受けるまで、彼らの頭の中の住人なのかな、とか思っていました。盾を持つところで漸く「社会と言われればそうかも?」というような。

 今回の演出では、社会構造としての差別という点についての掘り下げが深かったので、もう少しわかりやすくしてもよいかもしれません。

 

 舞台セットは簡素で、多少現代風。大道具はほぼゼロで、舞台に沿ってコの字型に囲った階段と照明のみで魅せます。大胆。

 お衣装に関しては、冒頭のオセロー夫妻のペアルック的なものが凄く可愛いです。

その他は、大体皆腕に番号の付いた制服のようなものを着ています。最後まで見てもその番号の意味などが判然としませんでした。囚人服をモティーフとしているのでしょうけれど、何故そうしたのかなどが明確に語られないので、意味を解しづらいです。

 先程同様、演出に関してはもう少し意図を明瞭に伝える方法があったのではないか、と思います。

 

 こんなところでしょうか。

 原作の台詞を殆どそのままなぞっていますし、舞台セットも簡素なので、特別新規性や真新しい感じはしません。ということはつまり、シェイクスピアの原作がお好きな方にはお勧めできるということです。

 人種の問題のみならず、家庭や女性の問題にもガッツリとメスを入れていることが、今上演の特徴であると感じました。

 俳優陣の演技も申し分なく、流石の NTL 、上質なお芝居でした。

 

最後に

 通読ありがとうございました。5000字強。

 

 『オセロー』といえば、月末に東フィルさんの『オテロ』が来ますね!

↑ お伺いする予定です。

 『オセロー(オテロ)』祭りだ! まだ席ありますので、良ければ是非。チョン・ミョンフン御大のオペラはいいぞ。

 

 ご承知の通り、Twitterが瀕死です。一日中 Twitter に張り付いているツイ廃はとてもとても悲しい。イーロン・マスク氏のやっていること、末期のニコライ2世みたいで萎えます(喩え)。蜂起するぞ。

 致し方がないので、移転先として取り敢えず Misskey に登録しました(村上さんお財布圧迫してスミマセン)Twitter がご臨終の際にはこちらに亡命して延命しようと思います。

 他に使い易い SNS が現れれば移るかもしれませんが、Twitter を必需インフラとし、ツイートを呼吸と認識しているツイ廃ゆえ、可能な限り Twitter にしがみつきつつ、ダメそうな時は Misskey に、としようと思いますので、宜しくお願い致します。

 尤も、こちら「世界観警察」には常駐しているわけですけれども。わたくしもね、記事のリアクションをコンスタントに得られた方がモチベーションが段違いですのでね。その意味ではマシュマロとかも有り難いです(記名制の方が個人的には好きですが)。

 重ねて、宜しくお願い致します。

 

 レビュー系記事の次回に関してですが、珍しく(?)少し観たい映画があるので、有楽町に通おうと思っています。

 NTLive に関しては、『Good』と『Best of Enemies』がめちゃくちゃ楽しみです。わたしは政治がテーマの少人数劇が大好物なんだ。絶対面白いもん。暑さも耐え難いですし、はやく秋になれー。

 

 それでは、今回はここでお開きとしたいと思います。また次の記事でもお目に掛かることができましたら幸いです。