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架空の世界を護るために

映画『青いカフタンの仕立て屋』 - レビュー

 こんばんは、茅野です。

早くも7月突入で御座います。東京は最高気温37℃とか抜かしておりますが、正気でしょうか。熱帯すぎる……。

 

 猛暑の中でこそ、暑い(というよりも寒暖差が激しい)地域の映画を観ましょう(?)。というわけで先日は、映画青いカフタンの仕立て屋』にお邪魔しました。

 モロッコ製の映画で御座います。もっと中東の映画を観たい。入ってきて欲しい。

 

 今回はこちらの雑感を緩く記して参りたいと思います。盛大にネタバレを含みますのでお気を付けください。

 それでは、お付き合いの程宜しくお願い致します!

↑ お洒落過ぎる……!! アラビア書道も色も大好きだ……。

 

キャスト

ハリム:サーレフ・バクリ
ミナ:ルブナ・アザバル
ユーセフ:アイユーブ・ミシウィ
監督:マリヤム・トゥザニ

 

雑感

 事前情報ゼロで、「モロッコの映画!」というだけで伺いました。

わたくしは国際政治の研究会に属しており、特にアラビア語圏の研究に力を入れていたので、アラブものは積極的に摂取したくてですね。

自分が主導したプロジェクトでは西サハラ問題も扱っていたので、マグリブには思い入れが深いです尤も西サハラ問題ではモロッコは専ら悪役なのですが

 実は、所謂「二外(副専攻言語)」もアラビア語でした。正直、主専攻のフランス語より楽しく授業通ってました。とはいえ、今回アラビア語を聞くのは久々だったので、所々聞き取れて嬉しい一方、流石に忘れすぎなのでもっと聞き取れるようになりたいなと思いつつ。

 

 モロッコの街サレの等身大の日常が描かれていきます。映画ですし、三人称視点ですが、どことなく『世界ふれあい街歩き』風。観光地とは違う側面のモロッコが味わえます。

↑ テレビを全然観ないわたくしが殆ど唯一追いかけている神番組。違う街ですが、丁度この間モロッコ編を放送していたようです。

 モロッコは訪れたことがないので、行ってみたいですね~。でも、ツーリストとしてではなく、このように街に溶け込むのに憧れます。この映画の中みたいに、スークで「美味しかったら明日支払うわ」とか言ってツケでお買い物とかしたいですよね。現地人だからこその信頼感。憧れます。

 モロッコやドバイは観光地としても人気ですが、まだまだ日本では一般的によく知られていないアラビア語圏、このような映画を入り口とするのも良さそうです。

 

 今回はアラブの伝統衣装「カフタン」を巡る物語。職人の夫ハリムと接客担当の妻ミナ夫妻に、弟子として若者ユーセフが雇用されるところから物語は始まります。

 ハリムの作るタイプのカフタンは、結婚式などハレの場で着られるもので、華やかな生地にとても細かい刺繍をします。日本で言うと、白無垢とか着物的な扱いでしょうか。

 今モロッコで人気のポップス歌手といえば MANAL さんですが、大ヒットしている彼女のミュージック・ビデオでも、カフタンを着ている人が沢山登場しますね。短いですし、豪華なハレの日のモロッコを映した非常に美しい MV なので、良かったら観てみて下さい。

↑ J-POP や K-POP は一切聴かないくせに、アラビアン・ポップだけは聴く茅野であった。アラブのポップスは現代でも民族音楽をベースとしているので、手っ取り早く異国情緒を摂取できます。

 

 ついこの間、演劇『オセロー』を観てきたのですけれども、タイトルロールのオセローは「ムーア人(=主にモーリタニア人)」と設定されていることは余りにも有名です。

ロッコモーリタニアのお隣の国で、同じ北アフリカマグリブ地方(尤も、アラビア語ではモロッコの国名自体も「アル=マグリブ」と言うのですが)

↑ 『オセロー』のレビューはこちらから。

 今回の映画や、上記の動画を観て改めて思いましたけれど、マグリブのアラブ人・ベルベル人は「黒人(ネグロイド)」ではないですよね。

シェイクスピアが、オセローを特別ネグロイド系の人として設定したのか、イギリス人、或いは舞台となるヴェネツィアの人よりも少しでも肌の色が黒い人は「黒人」と大雑把に括ってしまったのかは不明ですが。皆様は如何お考えになりますか。

 

 カフタン屋を営む三人を取り巻く物語なので、勿論カフタンも主題になるのですが、もう一つの重要な主題が同性愛です。

事前情報ゼロで伺ったので、これには驚きました。この間、オペラ『チャンピオン』を観たばかりでしたし……。図らずして、こちらも連続したテーマ。

↑ 記者会見中、対戦相手に同性愛者であることをからかわれ、殺意は無かったのにボクシングの試合中に誤って撲殺してしまったボクサーの実話。他にも挑戦的な題材に富む名作です。

 多様性が肯定される世界になってきて何よりですが、敬虔なイスラーム圏では未だに同棲愛は罪であり、社会から締め出されているのも事実。今作はその点にメスを入れています。

 

 職人のハリムは妻ミナと長年結婚生活を送っていますが、実は同性愛者であり、それを隠して生きています。とはいえハリムとミナは性的ではないにせよ、深い家族の絆、愛情に恵まれた夫妻です。

ハリムは自身の出生時に母に死なれ、父に虐待されて育ったので、ミナの母性的でもある愛は有り難かったのでしょう。

 妻ミナは、夫の性癖に気付いていますが、そのことについて二人で話したことは無く、暗黙の了解となっています。とはいえ、ミナの方は性的な意味でも夫が好きである描写も存在します。

 新しく助手として雇われたユーセフは、若者にしては珍しく、恐ろしく手間の掛かる完全手作業の伝統衣装作りの理念に共感しており、また仕事のできる優秀な人物です。そしてハリムに惹かれています。

 ハリムの方も、ユーセフに好意を持っていますが、いつも通り自分でもそのことに気付かないふりをしています。ミナは二人の想いに気付き、ユーセフに嫉妬するようになります。このような三角関係です。

 

 ハリムがね、そりゃモテるだろ! って感じのイケオジなんですよ。寡黙で、落ち着いていて、仕事一筋で、手先に反して心理面ではちょっと不器用な優しい職人さん、そんなんオタク全員好きですよ。俳優さんのちょっと困ったような青い瞳がまた美しく、役柄に嵌まっています。

 

 ミナは、ハリムが寝こけている横でファジュルのサラート(早朝の礼拝)も欠かさない敬虔なムスリマです。礼拝の途中で亡くなるところからも信仰の厚さが伺えます。だからこそ、戒律に反している同性愛者のハリムは妻に引け目を感じているのでしょう。

ミナの方からハリムにプロポーズしたらしく、愛も深いです。アラブ女性らしく、気が強く勝ち気なところがありつつ、愛嬌もあります。

 

 ユーセフも好青年で、手の皮膚を痛める苛酷な糸縒りから、上司夫妻のお食事の用意まで、積極的にこなします。大型わんこ系ですよね。

彼も幼少から一人で生きてきたと言っているので、温かい愛が欲しかったのかもしれません。

 

 そんな三人が一緒にお食事をしたり、踊ったりするシーンが本当に素敵です。もうジェンダーとか役割とか戒律とか全部超えてこれで家族でいいよと思います。寧ろ理想の家族では?

↑ 良すぎでは?

 しかしミナの恐らく乳癌が再発し、そんな時間も取れなくなってきてしまいます。嫌だ三人で楽しく生活してくれ。

 

 重病に冒されたミナは恐ろしい速さで窶れていくんですけれど、これ俳優さん大丈夫なんだろうか、という領域。上半身裸になるシーンがありますけれども、肋骨や背骨がくっきり浮き出ていて、拒食症レベルです。役作りが凄すぎる。

 そして彼女の好きな果物はミカン(タンジェリン)。モロッコは名産地ですからね! やはり柑橘類は「甦りの果実」なのか……。

↑ 何故か色々書いているオレンジ関連。

我らが殿下もオレンジ食べさせられてたんでしょうか。

 

 どうしてカフタンと同性愛という一見全く関係ないものを一つの作品に収めたのだろう、と考えながら観ていたのですが、きっとこれは「伝統と革新」ということですよね。

アラブの非常に美しい伝統衣装カフタンは、未来永劫受け継いでゆくべきもの。それに対し、同性愛者に対する抑圧や偏見は、今の時代には不要なもの。

その違いを間違えずに、万人が生きやすい社会になるとよいですよね。

 

 ミナの死後、彼女の遺体はイスラーム式に清められます。イスラームって本当にこういうところキチンとしてるよなと思うのですが、グスル(湯灌)の手順までしっかり定められているのですよね。ムスリム向けに、遺体に対するグスルのやり方の解説動画とかも YouTube にいっぱい上がっていたりします(※基本的に生きているモデルさんが死体役をしてくれていますが、たまに "マジモン" が紛れているので、閲覧するときは気をつけて下さいね)

 グスルの後、ムスリム/ムスリマの遺体は白い布一枚に包まれ、土葬となります。こちらも巻き方が決まっています。流石。

 しかしハリムは、イスラーム式に清められ、布に巻かれた妻を見て、それを解き、自身が丹精を込めて縫っていた、非常に凝った刺繍が施された美しい青のカフタンを彼女に着せます。勿論、これも戒律に違反しています。

その行動を見て葬儀の参列者は離散しますが、ユーセフは残り、彼と二人で青いカフタンを纏ったミナの遺体を墓地に運びます。ここの無言で運んでいくところがまた美しいんですよね。

 

 ミナは、敬虔なムスリマなので、自分の意志の届かないところで、自分に対して戒律を違反されることに関してどう感じるだろう、と一瞬考えてしまいましたが、ハリムは彼女自身が「もし結婚式を挙げられたら、こんなカフタンが着たかったな」と言ったからこそそうしたのだろうし、愛する人の愛ある行動の方がずっと大切ですよね。

 

 所属していた研究会では、ディベートのようなものをしているのですが、以前、イラン政府の立場に立って、死刑制度の存置を弁護したことがあります。

わたしは死刑には反対の立場ですが、強制的に自分の思想とは違う立場に立って、その思考や主張を検討するというのは、多様性を考える上でも非常に良い機会で、大好きな活動です。

 その中で、「我々はイスラームの戒律を守って生きてきて、これこれを行った者は死刑に処すと定め、皆それを理解して生活しているのだから、我々政府がそれを破ることは秩序を根本から破壊することである、従って廃止するつもりはない。」みたいな弁論なんかもしていたのですが、改めてそのことを思い出しましたね。イスラーム社会では同性愛も罪であり、罰則の対象ですから、構造上は同じですよね。

 勿論これはリサーチを元にわたくしが考えたものであって、実際のイラン政府の意見ではありませんが、実際に本気でこのように考えている人は沢山いるのだと思いますし、そのような人々とどのように和解し、共存していくかを考えることは、必要不可欠だと思います。あなたならこの主張にどのように反論しますか。

 

 モロッコの日常を背景に、伝統的な美しいカフタン作りと、新しい三人の「家族」という対比、そして愛と死を描き、静かながらも挑戦的な主題を持っていて、とても良い作品でした。

何故この時期にこの映画を撮ったのかということもよくわかりますし、画や俳優さんの役作り・演技も良かったです。

 同監督の前作も、同じモロッコイスラームの戒律から漏れてしまった女性を描いているとのことなので、是非とも観てみたいですね。

 お勧めの一本です。

 

最後に

 通読ありがとうございました。5000字程。

 

 久々にアラビア語を浴びたので、途端に恋しくなってしまい、昨晩怒濤の勢いで Duolingo のアラビア語を進めました。ロシア語の進捗を抜きそうになっています。

↑ 一緒に語学やりましょう!!! 戦友は一人でも多い方がよい。

 なかなか取っつきづらいアラビア語ですが、文字(アリフバーター)から教えてくれるので、関心があればこの辺りから初めてみても楽しいかもしれません。

 それにしても、アリフバーターは美しい……アラビア語は言語ではなく、芸術です。

 

 アラビア語圏の映画は、イスラーム映画祭くらいでしかお目に掛かる機会がないのが寂しいところです。また、日本に入ってくるものだと、内容が暗いもの(特にパレスチナ・シリアのドキュメンタリーもの)が多いので、今回は少し新鮮でした。

 お勧めのアラブ映画が御座いましたら教えて下さい!

 

 それでは、今回はお開きと致します。また次の記事でもお目に掛かることができましたら幸いです。