世界観警察

架空の世界を護るために

METライブビューイング『メデア』 - レビュー

 こんばんは、茅野です。

昨日から冷え込みが激しくなってきた東京です。

某わたくしの趣味の研究対象氏(160年くらい昔のロシアの皇太子)は、病気療養の為に避寒地にいた時、郷愁に駆られて「ロシアの冬が恋しい」という手紙を書いているのですが、このような寒さのなかにいると、どうしても「いや、おかしいよ」と思ってしまいます。彼のことは大好きですが、オタクだって一応は主体性のある人間ですから、共感できない事柄だってある。自国をこよなく愛してくれる次期君主、ということで、大変好ましいのですけれどもね、共感は無理だ……。

 

 さて、そんな極寒の中、METライブビューイングでのケルビーニ作曲『メデア』を鑑賞して参りました。

 

 『メデア』は上演機会が少なく、わたくしも序曲くらいしか存じ上げておりませんで、新作を観るかのように真っさらな気持ちで参りました。

序曲、出からインパクトがあって素敵ですよね。

↑ 買ってしまいました。ご一緒に如何ですか。

 

 今回はその雑感をば。お付き合いの程よろしくお願い致します。

↑ ポスターが大変素敵なのも、出向くモチベーションに。

こちらのポスター、前シーズンの『エウリディーチェ』と構図はそっくりながらも、白を基調とした同作と、黒を基調とした『メデア』で、対比が素敵です。

↑ 名作でした。簡単なレビューはこちらから。

 

 

キャスト

メデア:ソンドラ・ラドヴァノフスキー
ジャゾーネ:マシュー・ポレンザーニ
グラウチェ:ジャナイ・ブルーガー
クレオンテ:ミケーレ・ペルトゥージ
ネリス:エカテリーナ・グバノヴァ
指揮:カルロ・リッツィ
演出:デイヴィッド・マクヴィカー

 

雑感

 強い。一言で言うと、強い

サムソンとデリラ』の時は暴力的だとさえ思いましたが、今回ばかりは「強い」としか言いようがありません。

↑ 『サムデリ』の雑感はこちら。

何が強いといって、タイトルロール・メデアの声です、です。インタビューで「鋼の喉」という表現がありましたが、正にそれだと。あの喉が肉でできているとは全く思われない。あらゆる音に対応し続ける鋼鉄の喉。

 

 他のキャストも良かったです。全然よかった、普通に及第点以上です。普段であれば、彼らのみでも「素晴らしい公演でした」と言うところです。しかしメデアに全て持っていかれましたね。ありとあらゆるものを掻っ攫っていきました。メデア以外の印象が殆どないというくらい。

正しくメデアの独り舞台です。あのポレンザーニ氏その他を全員吹き飛ばしたの恐ろしいです。いや、彼らもお世辞抜きに素晴らしかったのですが……上には上が居る!

 

 メデアは、高音から低音までブレがなく、どこを取っても良い、力強い。キャラクタリスティックな歌唱も素晴らしいです。冒頭、そのような入りをして驚かされました。
大変に芯が強く、声量があり、ドラマティックな声質で、これ以上ないほどのカリスマ性というか、主役オーラを解き放っておられました。最高。

 ソンドラ・ラドヴァノフスキー氏自らメデアをやりたいと名乗り出たとのことですが、それも頷ける嵌まり役です。歌手生命を縮めそうなまである難役ですが、一方で歌い続けて欲しいとも願ってしまいます。

 

 『メデア』という作品ですが、確かに全然聴いたことがない。「歌える歌手がいない」という説明でしたが、「いやいや、そんなぁ。現代のソプラノ歌手は皆様凄まじいですよ」と、正直全然信じておりませんでした。が、観て理解しました。これは「歌えない」。

 高音から低音まで、あらゆる音程があり、それに加えて切なく哀願するアリアから、怒りに燃え叫ぶソロまで、様々な歌唱と演技が求められます。しかも本当に出突っ張り、歌いっぱなしです。恐ろしい。スタミナが求められるという意味を理解しました。

 

 一幕のソロなど、長すぎでは? いつ終わるんだ? 喉大丈夫か? と寧ろ不安になる程。しかし、それでいて全く飽きさせないのです。これが魔女の魔法か……。

一度出てからは二度と引っ込まないので恐ろしい。しかも、そんなに短いオペラというわけでもないですからね。

 

 オケは、MET ですしもう折り紙付きですけれども、端正な棒でした。序曲などかなり主題が激しいので、激情に任せて突っ走っていくのかなと思っていましたが、程よく抑制されている印象。それによって、殊更メデアの歌唱と演技が目立つので、バランスが取れていて良いなと感じました。

 

 「マクヴィカー演出では毎回這う動きをさせられる」と仰っておられて思わず笑いが。そうでしたっけ!?

 演出は今回も絶好調。後方に鏡を張り、奥行きを演出したり、見辛いところを見えるようにしたりと工夫されています。

黄金の門の奥は城内を表すことが多く、婚礼の場であったりなど、非常に華やかである一方で、外は泥水の張った暗く、寂れ、薄汚いながらもどこか神秘的な印象を受けるセッティング。

 幕にはメデアらしき女性の顔が。めちゃ怖いです。幕間、場外に出たくなりますねあれは。カーテンコールでは、作中の内容に反し非常に和やかな雰囲気に包まれていたので、最後あの幕が下りてきたときには苦い笑いが。怖いよ!

 

 「這う動き」と言われて連想するのは、やはり蛇。ギリシア神話ではメデューサなど、超自然的な力を持つ女性との関連が見られます。

また、メデアのメイクは赤紫のウェーヴがかった長髪で、こちらもなんとなく魔女を想起させます。

このようなステレオタイプ・イメージってどこから始まったものなのだろうな、とぼんやりと考えながら拝見していました。やはりギリシア神話なのであろうか。

 

 メデアの復讐ですが、ジャゾーネ本人は殺さないのですね。

無学にして原作未読なのですが(今度読んでみたいと思います)、神の加護がある英雄は殺すのが面倒だったりするのですかね。

或いは、彼女は一瞬の死よりも、全てを喪った状態で生き続ける方が苦しいものであると考えているのか。思想が問われそうです。

 

 ところで、『メデア』はリブレット上、人が死ぬシーンを舞台上でダイレクトに映さない傾向が認められます。こちらはバロックオペラに顕著なものです(グルックの『オルフェオとエウリディーチェ』なんかはわかり易く、死のシーンではなく葬儀のシーンから始まります)。

尤も、演出上グラウチェが死ぬシーンは映されておりましたけれど。歌わないし、お衣装が違う(ジャケットを脱いでいる)上に血まみれだったので、カーテンコールまでお隣の男性がクレオント王だと気付きませんでした……。

 また、戯曲上の決まり事、「三一致の法則」も遵守しているように見受けられます。
『メデア』が過渡期の作品であることはインタビューなどでも強調されていましたが、このようなリブレット上の制約は古典期に属すように感じられました。

 

 『メデア』という作品に関して殆ど何も知らない状態で拝見しましたが、とにかくタイトルロールのソンドラ・ラドヴァノフスキー氏に圧倒され続ける三時間でした。これは確かに歌える人は数少ないだろうと思いましたし、「メデアを歌う!」と言われたなら、是非とも観に行かねばならぬのだということを知りました。

今回も素敵な観劇体験でした。

 

最後に

 通読ありがとうございました。3500字。

 

 次回の MET ライブビューイングは『椿姫』。最早定番となったメイヤー演出です。メイヤー演出、お衣装がかっっわいいですよね!! 特に第一幕。あれ本気で欲しいです。着たい。売って欲しい。

しかし、ド定番ですし、次はパスかなあ、と考えております。歌手や指揮者も豪華で素敵なのですが。

 その次の『フェドーラ』には参りたいですね! こちらは上演機会に乏しいので、わたくしも拝見したことないのですけれども、第一幕の舞台がロシアとのことですので……。

 

 MET ライブビューイング、大好きなのですけれども、わたくしが伺うと、毎回席がガラッガラで。10人入っているのかどうやらという……。人が少ないのは快適で客としては悪くないのですが、興行的に大丈夫なのかと不安になってしまいます。

 しかし、聞いたところによると、人気演目ではちゃんと席が埋まるのだとか! ははあ、なるほど、わたくしが「不人気演目」にばかり出向くから、客がいないという印象を受けるというわけですね。それは盲点でした。

…………そんなにも演目で差が……!? 日本の舞台芸術ファンは保守派が多い、という話はよく聞きますけれども、これほどまでとは……。では、『椿姫』ではきちんと席が埋まるのだろうな……。今回の『メデア』は……、うん…………。

新作や上演機会の少ない作品も、是非とも観て下さいね~~!

 

 それでは、今回はここでお開きと致します。また別の記事でお目に掛かれれば幸いです。