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METライブビューイング『ハムレット』 - レビュー

 おはようございます、茅野です。

 

 書き損じたオペラのレビューをガンガン書いていく企画です。7月末、とても仕合わせなことに、二日連続で英語オペラを観たりしました。

↑ 前日に観ていたもののレビュー。

 

 二日目は、MET のライブビューイングでのブレット・ディーン作曲『ハムレット』を鑑賞。

 今回は、ごく簡単にそのレビューを書いておこうと思います。

 

 それでは、お付き合いの程宜しくお願い致します。

 

 

キャスト

ハムレット:アラン・クレイトン

オフィーリア:ブレンダ・レイ

ガートルード:サラ・コノリー

亡霊:ジョン・レリエ

クローディアス:ロッド・ギルフリー

指揮:ニコラス・カーター

演出:ニール・アームフィールド

 

雑感

 最初に感じたのは、凄く鑑賞力が試される作品だなということです。

と申しますのも、『ハムレット』という戯曲自体は古典作品であり、リブレットに改変は殆どありません。美術もネオクラシカル調で、入り込みやすい。

 

 一方で、音楽は「THE・現代音楽」で、難解です。特徴的なのは、ライブビューイングながら、左右からも音が聞こえることだなと感じていたら、なんと二階席など、多数の場所にバンダを組んで音を発していたそうな。

「劇場自体が音を発している」「劇場が作品に呑み込まれる」という、恐ろしい仕掛けで、映画館でもこんなに臨場感があるのだから、劇場で観たらとんでもないのだろうな……と感じます。

 また、ペットボトル(!)など、奇想天外なものを楽器として用いていることも特徴。楽譜どうなってるんだろう……。楽譜に「ここでペットボトルを潰す」とかって書いてあるのかな……あるんだろうな……。

 

 題材と美術はある程度古典的なのに、音楽は現代。なのにとてもマッチしているんです。それは、『ハムレット』という作品が現代にも通ずる内容を持っていることは勿論なのですが、何と申し上げたらよいのやら、それだけでは説明しきれないようなものを感じます。これは、観客によって大分意見が変わる作品でもあるのではないかと思います。

 

 音楽は前述の通り「THE・現代」で、耳に残る旋律は殆どありません。とはいえ、ライトモティーフのように、「この歌詞はこの旋律」と、ある程度紐付いている箇所があります。

たとえば、ハムレットの最も有名な台詞 ≪ To be, or not to be. ≫ や、オフィーリアが ≪ Never, never, never... ≫ と繰り返す箇所など。

 

 ハムレットの ≪To be, or not to be.≫ は、≪ Or not to be. ≫ の方が強調されるのが特徴で、実際、正にこの言葉からこのオペラは始まります。まあ、結末から言っても Not の方なんでしょうしね。

アリア(? と言っても良いのか)の題も、≪ Or not to be. ≫ です。

↑ この記事を書いている間にヘビロテしていたら、なんだかクセになってきました。スルメ作品かもしれません。

 

 ポスターや動画を見れば一目瞭然ですが、登場人物の大半が白塗り。しかし、その基準がよくわからない。

白塗りになっていないのはガートルードくらいなのです。「気が触れている / いない」という判断だとすると、ホレイショーらが白塗りなのに納得がいきませんし、今のところ解釈が思いつきません。

 

 そして、このオペラ、何が凄いといって、出演者のレベルの高さ。歌唱も演奏も、「これは人類には早いのでは?」という難易度なのに、全然聴かせてくださいますからね。改めて、オペラ歌手ってとんでもないなという認識を強めました。

 

 ハムレットのアラン・クレイトン氏がまずヤバい(語彙力)。何故それを歌えるのかがよくわからない。伸びやかな声と、音階に囚われない現代的な音楽がベストマッチ。

作曲者インタビューでも仰っておりましたが、よい意味で舞台上であることを感じさせない自然な演技も秀逸で、恐ろしい方だなと感じました。

 

 ヒロイン、オフィーリアも、高音の多い、明らかに技巧的な歌唱を滑らかに完遂させます。

ランメルモールのルチア』などを含め、「狂乱オペラ」と呼ばれていてちょっと笑いましたが(何も間違ってはいない)、今作のオフィーリアの「狂い方」は凄まじい。ミレーの絵画にあるようなシーンはありませんが、自殺前の、振り乱した髪、下着姿に殺された父親のジャケットを羽織り、泥まみれで雑草を大事そうに握っている姿は衝撃的です。

 

 母ガートルードは、「一番歌うのが楽な役」と言われていて、「確かにこの超難解な作品の中ではそうなんでしょうけど……」、と何やら複雑な気持ちになったり。

今回の演出では、「何も知らない」設定になっていて、終幕ではだからこその悲哀があります。

シェイクスピア悲劇はとにかく登場人物を虐殺の嵐に巻き込んで参りますが、今作も勿論然りであって、バタバタと人が死んでゆきます。血糊の使用量がとんでもなく、特にガートルードは、盛大に血糊を吹き出します。

全年齢向けではないと申しますか、苦手な人は結構ウワァ……ってなると思います。

 

 個人的に今作でお気に入りのキャラクターは、亡霊こと殺されたハムレットの父です。

急遽代役として舞台に立ったというジョン・レリエ氏ですが、全く遜色ありません。

 彼は今シーズンのフランス語版『ドン・カルロス』でも、ラスボス大審問官役を務めており、最高でした。

↑ 『ドン・カルロス』の方のレビュー。好きな演目です。

 こんなにもすぐにまたお目に掛かれるとは~! と大変喜んでおりました。

亡霊は、今作では亡霊としてだけではなく、旅の一座や墓堀人夫などとして再登場。一人三役なのですが、彼らがハムレットに示唆的な言葉を掛けることを思えば、彼らに亡霊が「乗り移った」かのような演出はとても納得がいくもので、非常に面白かったです!

↑ 墓堀人夫としての亡霊。頭蓋骨の持ち方に『Mayerling』を想起したり。左隣がホレイショー、右隣がハムレットです。

 

 今作の『ハムレット』では、ローゼンクランツとギルデンスターンがカウンターテナーで、滑稽なキャラクターとして描かれるのも特徴です。

こちらも今シーズンがライブビューイング初演であった『エウリディーチェ』といい、最近はカウンターテナーの採用率が高い気が。

↑ こちらも大名作でした。早く円盤が欲しい。

 

 今作は、一番最初に抱いた感想は「これは……色々と難しい作品だな……!」ということでした。しかし、それは悪いことでは全然ないし、独り善がりな舞台となっているということでもありません。

暗く重い上に、長く、噛み応えもあるということで、集中力を要する作品であることは間違いないですが、現代のマスターピースの一つ足り得るでしょう。

 

最後に

 通読有り難う御座いました。3000字ほど。

 

 夏は劇場がオフシーズンとなってしまって寂しいですね。わたくしも引きこもって記事ばかり書いております。ストリーミングなどを積極的に利用してゆきたいところです。

 METライブビューイング来シーズンは、『ローエングリン』は観に行きたいと思っておりますが、他は何を観ようか……。お勧め作品など御座いましたら教えて下さい。

 

 それでは今回はここでお開きとしたいと思います。また別記事でお目に掛かれれば幸いです。