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新国立劇場『ジゼル』 - レビュー

 こんばんは、茅野です。

レビューを書くのは苦手意識があるので、ついつい後回しにしてしまいそうになるのですが、いざ書き始めると、そこそこ筆が乗り始めるもの。伊達に普段から長文を書き散らしていない、ということなのでしょうか。文字書きはいいぞ。

 

 というわけで、まだまだ続きますレビュー執筆マラソン。第四回となる今回は、新国立劇場のバレエ『ジゼル』で御座います。プレミエ、10月21日の回です。前回の『ファルスタッフ』と続けて連日です。

↑ 前日の記事。素晴らしい名演で御座いました。

 

 バレエ新シーズン初日ということで、大盛況で御座いました。オペラの『ジュリオ・チェーザレ』も然りですが、観客のヴォルテージが高いのは良いですね。この熱気が舞台にも届いて欲しいところ。

 

 それでは、お付き合いの程よろしくお願い致します。

↑ このポスター、流石に良すぎません? 甲エグい。

 

 

キャスト

ジゼル:小野絢子

アルブレヒト:奥村康祐

ヒラリオン:福田圭吾

ミルタ:寺田亜沙子

ペザント:池田理沙子

     速見涉悟

演出:吉田都

指揮:アレクセイ・バクラン

演奏:東京フィルハーモニー交響楽団

 

雑感

 流石の新シーズン、新演出! 連日殆ど満席という盛況っぷりで御座いました。

席を取るのも大変で、今回は群舞が魅せ場となる「白のバレエ」ということもあり、上階席で。4階下手側でした。

 しかし、全然席が空いていなかったとはいえ、何故下手側を取ったものか。席を取った時のわたしは、観る演目がが何なのかをすっかり失念していたとしか思えません。

何故なら、『ジゼル』では、ジゼルの家もジゼルの墓も下手側にあるわけですから、下手が死角となる下手側の席を選ぶメリットは然程ないのです。お陰様で、案の定と申しますか、重要なシーンを幾つか見逃した気が致します。

 

 新演出ということで、セットが新調されています。古典は舞台の使い方が贅沢というか、余白が多いですね。最近オペラばかり観ていたので、そう感じるだけかもしれませんが。
 とはいえ、セットも振りも、従来のものから大きく逸脱するものではなく、あまり『ジゼル』を観慣れていなければ、間違い探しレベルかもしれません。

 背景の木が白樺なので、寒冷な地域の設定なのでしょうか。今回のセットはリトアニアがモデルということなので、然もありなんというところでしょう。

リトアニアに関しては、19世紀にはロシア帝国支配下にあったということ、現代の自殺率が欧州で断トツトップであるという最悪すぎる知識しか持ち合わせていないので、お勉強を深めて参りたいところです。リトアニアの美しいもの、美味しいもの、色々知りたいな。

 個人的には、『オネーギン』なる作品を熱烈に愛好しておりますので、ついつい「このセットであれば、そのまま第一幕第一場できるな……」と思ってしまいました。尤も、『オネーギン』は元々小・中劇場用に振り付けられた作品なので、決して大規模な作品ではない『ジゼル』よりも更に小規模です。

 

 前述のように、セットの配置や振りの基本的なところは従来のものが踏襲されており、新規性はあまりないのですが、ペザントなどを中心に、振りの難易度が上がっています。

『ジゼル』はストーリーがシンプルな分、ディベルティスマンのパ・ド・ドゥがバレエ的な魅せ場となりますから、良い改変だと思います。

 

 やはり新国立劇場はコール・ドのレベルが高いですね。合唱もなんですけど、群舞が安定していると、それだけで安心致します。特に、「白のバレエ」など、群舞に技術が求められるものだとそれが際立ちますよね。

 第一幕のペザントも、第二幕のヴィリも、安定感抜群。綺麗に揃っていて、観ていてほんとうに気持ちが良いです。痒いところに手が届く感覚。

 第一幕のコール・ドは男女12人ずつで、比較的大きめの編成。第二幕のヴィリも24人編成です。圧巻。ところで、亡霊の単位ってなんですか? 「人」でいいの?

↑ 過去にはこんな記事も書いておりました。『ジゼル』に於ける「ヴィリ」は、日本語の「幽霊」の定義にもビッタリ当て嵌まります。

 

 今回の演出では、お母様のマイムが激しめ。確かに、特にジゼルが亡くなる前の音楽の盛り上がりなどを考えると、お母様の存在はもう少し強調されても良いのかも知れません。

 

 主演お二人の安定感は、勿論抜群。『眠り』も然りですが、『ジゼル』も、踊る量だけで見たら、「ほんとうに主役なのか?」というくらいしか出番がないので、作品としてはちょっとした物足りなさを感じますよね。もっと観たい。現代の、出ずっぱりのスタミナが求められる作品に慣れてしまった弊害か。

 

 ジゼルは、ただただ愛らしく。二幕で登場する大輪の百合、というよりも、正に第一幕で恋占いに用いる雛菊のよう。『ジゼル』は二幕が本番、みたいなところがありますが、一幕もきちんと魅せられるダンサーさんは希少だと思います。

 演技面も、クラシカルなフランス・バレエを逸脱しない範囲でしっかりと行って下さいました。それにしても、あんなに爪先がピシィッと伸びて、甲が出た遺体、あります? 死後硬直が出るのがメチャクチャ速いのか。あくまで「バレエ」だ……。

 ジゼルって、元から踊るのが好きな設定で、オペラ『トスカ』のタイトルロールのように、「踊りが上手いことが前提」になるので、設定的な難易度が少し高いよなあ、といつも思います(注: トスカは歌姫という設定)。「え、踊るのが好きなんでしょ? それでこれはちょっと……」となったらツラいですからね。勿論、今回はそんなこと御座いません。

 ところで、雛菊の別名は「長命菊」や「延命菊」と言います。花の開花時期が長いことが由来だそうですが、『ジゼル』を観ていると、ジゼルの運命と重ね合わせ、「どこがやねん」、と突っ込みたくなります。

 ちなみに、バルザックの傑作長編『幻滅』三部作の主人公・リュシアンも若くして自ら命を絶ってしまうんですけれども、彼は『雛菊』という詩を書いている設定であることは、なんとも示唆的。早逝するキャラクター、雛菊の花と縁がありがち説。

↑ 『幻滅』はラトマンスキー振付でバレエ化もしています。あまり知名度がないですが、ご存じでしたか。原作から結構設定を弄っており、『幻滅』三部作のファンとしては少々寂しいところ。

 

 アルブレヒトも、正統派解釈で、無邪気さ、後悔などを全面に押し出した造形。プレミエに相応しいお二人だと感じました。奇を衒ったところがなく、卒が無い。

前シーズンで怪我があったとは思えない完成度で御座いました。特に二幕は難易度も上がったヴァリエーションによく対応なさっていた……。

 演技的には、プレイボーイらしい気障さはあまりなく、若者らしい恥じらいを感じさせるもので、ジゼルが初恋なのでは? とさえ思わせます。あくまで清純な恋であって、象徴的な第二幕の幕切れにもそれを感じました。

 

 ミルタは、冒頭、最初亡霊特有の柔らかさを表現したいのか、ミルタらしい冷酷さを表現したいのか、どっちつかずだな、と感じました。
最初はスタートダッシュに難があったのか、ふらついていて不安に思いましたが、ヴィリたちが出てきてからは女王モード全開。ポール・ド・ブラがとにかく美しい。

 

 幕切れは、演出自体は「仄かにハッピーエンドを感じさせる」ようになっているようですけれども、ジゼルの未練が断ち切られたとしても、あのアルブレヒトは全然未練断ち切れていないのでは。いや、それはそれでとても美しく、良いのですが……。

『ジゼル』を含め古典的なバレエは、ストーリーに突っ込みどころが多く、現代人に受け入れられるように解釈を構築するのは難しいだろうな、と改めて感じる次第です。

 

 群舞含め、新国立劇場バレエ団の底力を感じさせるプレミエでした。

『ジゼル』は、シンプルな分、誤魔化しが効かない演目ですから、この作品を高水準に保てるということ、そしてそれを我が国立のバレエ団が担保できているということは、大変喜ばしいことであると、改めて感じました。

 

最後に

 通読ありがとうございました。3500字ほど。

 

 先日は、皆大好き World Ballet Day でしたね。個人的には、ロシアのカンパニーを観る機会が多かったので、現在の露政府に憤慨しつつ、ザッと確認しておりました。

今年は『オネーギン』を取り上げて下さる劇場がなかったので、簡単にしか観ていないのですが、オススメの劇場のものが御座いましたら教えて頂けると幸いです。

 

 レビュー執筆マラソン、まだまだ続きます。漸く半分ほど。長い! 10月は楽しく観劇をしすぎました。よいことです!

 それでは、今回はここでお開きと致します。次の記事でもお目に掛かれれば幸いです。