こんばんは、茅野です。
アドレナリンを焚いたり切らしたりでこの1週間半、体調ガタガタなんですが、『オネーギン』公演期間中はいつものことなので心配しないでください。来週は可能な限りなにもしたくないです!
さて、今回も今回とて、新国立劇場のオペラ『エウゲニ・オネーギン』にお邪魔しました! 3回目の公演、1月31日マチネの回で御座います。
↑ 名前の表記は以下略。
全通勢です。しかも毎度文字数5桁の批評を書いています。変態と言われても反論できないね。
プレミエの雑感はこちらから。
2回目の雑感はこちらから。
3回目ともなると、流石に書くことなくなってくるので(たぶん)、今回は、公演評は軽めにして、後半にパンフレットの簡単なファクトチェックと感想を書いておこうと思います。
それでは、お付き合いの程宜しくお願い致します!
↑ 正に "Теперь сходитесь!" と歌っているところなのはわかる。なんか見えてはいけないものが見えるけど……。
キャスト
エヴゲーニー・オネーギン:ユーリ・ユルチュク
タチヤーナ・ラーリナ:エカテリーナ・シウリーナ
ヴラジーミル・レンスキー:ヴィクトル・アンティペンコ
オリガ・ラーリナ:アンナ・ゴリャチョーワ
プラスコーヴィヤ・ラーリナ:郷家暁子
フィリピエヴナ:橋爪ゆか
グレーミン:アレクサンドル・ツィムバリュク
トリケ:升島唯博
ザレツキー:ヴィタリ・ユシュマノフ
大尉:成田眞
指揮:ヴァレンティン・ウリューピン
合唱:新国立劇場合唱団
演奏:東京交響楽団
演出:ドミトリー・ベルトマン
雑感
今回のお席は1階前方下手の一番端。いつも自分で席を選んで買うのですが、今回は完全に操作ミスで、自動で選択されたお席です。自分のミスですが、ちょっとショックだった……。
しかし、選択されたお席がまあまあ良かったので、結果オーライです。演出にもよるものの、『オネーギン』玄人(?)には周知の事実ですが、下手前ってオネーギン観察ポイントなんですよね。オネーギンさん推しの人は下手前の席取るといいですよ。
ついでに言うと、ターニャ推しの人は上手奥が死角にならない席がお勧めですよ。
今回は周囲の人が物を落としまくる呪いに掛かっていました。みんな全ての物を床に置け。落とすな。
今日はアナウンスが男性でした。いや、だからどうということでもないんですが。わたし結構新国通ってますが、男性だったのは初めてだと思うので、ちょっと驚きました。
アナウンスの声も多様性の時代。よいと思います。
第1幕
第1場
前回の記事に「次回は字幕の話をします」と書いてしまったので、字幕の話をします。
勿論、完全に2019時点の字幕を丸暗記しているわけではないので(していたらそれこそ変態である)、気付いていないだけで変わっているポイントもあると思うのですが、明確に変わったな、とわかるのは、1幕1場だと2箇所。
まず、オリガの " Ах, Таня, Таня! Всегда мечтаешь ты! " が、2019年では「夢ボケ夢子さん」だったのが、今回は「夢見る夢子さん」に修正。これは、NHK ホールでの『オネーギン』公演でも一柳先生が付けていた字幕なので、「戻った」という表現が正しいかもしれません。
「夢見る夢子さん」も充分インパクト強すぎるんですが、わたしを含めて、当時の観客は「夢ボケ」には度肝抜かれていたと思うので(しかもそれを言うのがまた、「あの」鳥木さんのオリガだし)、修正は有効だと思います。
一般的には、ここの字幕は「ターニャったら、全く夢見がちなんだから!」とか、そんな感じかなと思います。
まあ、2019年のターニャは明らかに「夢ボケ」だったよなあ……、オネーギンさん、ドン引いてたし……。頭弱そうなラーリナ姉妹、イヤだなあ……。
もう1箇所が、ラーリナ夫人の " Так нам чиниться нечего! " の辺りかと思いますが、ハートマークがついていたのが、撤去された点です。
ラーリナ夫人がオネーギンに色目を使うの、個人的にはかなり違和感あるんですよね……。
原作基準だと、確かにラーリナ夫人って恐らくは30代後半とかで、正に「メリー・ウィドウ」って感じではあるのですが(だからこそ、初日にも指摘しましたが、あのタイミングで泣くのはおかしい)、どうにもオペラ版だとそういうわけでもないようですし(オペラ版での年齢に関しては後述します)。
リブレットでは、オネーギンが挨拶したときに、ラーリナ夫人にはト書きに (конфузясь. 困惑して)とあるし、そんなに浮かれるもんかなあと思います。
そして何より、エヴゲーニー・オネーギンという若き地主貴族は、領地改革をやるような人物で、保守的な地主層のラーリナ夫人からしたら、自分たちの収入を危うくさせる、謂わば「商売敵」みたいな存在です。ラーリナ夫人が、「自由主義者の変人」を歓迎するものでしょうか?
仮に、幾らオネーギンさんが目を見張るような都会のダンディだったとしても、それだけでラーリナ夫人のような人がオネーギンに靡くとは思えません……。
総じて、字幕の改変は、良くなってると感じます。
ところで、『オネーギン』迷訳といえば、伝説の「韋駄天あんよ(Скоры ноженьки)」がありますが、あれってどなたの訳でしたっけ……。インパクト最強ですが、どこで見たか忘れてしまった……。わたしとしたことが……。
いやでも、ほんと、Скоры ноженьки って綺麗な日本語にはならないよ。無理。
今日は先唱の入りが少し早すぎると感じました。一拍置いて欲しい。でもいつも通り声は素晴らしい。
レンスキーのアリオーゾ。
日によってブレスを入れるタイミングが異なります。公演を重ねるごとに、ブレスを入れる回数が減るんですが、それ自体はめちゃくちゃ凄いものの、「そこはちょっと間開けてよ」ポイントが発生。
例えば、前回書きませんでしたが、2回目の公演から、"Я разделял твои забавы. Ах! Я люблю тебя," のところ、Ах! と Я люблю тебя の間のブレスを抜くようになりました。そのせいで、なんだか妙に急いて聞こえる。そんなに急がなくてもいいよ。
そして、今回、3回目の公演では、" Ты одно мое желанье, Ты мне радость и страданье. " を一息で歌うようになりました。そこに関してはシンプルに凄い。肺活量お化けすぎる。
でも「えいー」は直してね(3回目)。
第2場
ちょっと気になったこと。フィリピエヴナ、十字を切る方向が逆です!! この話、舞台版の『罪と罰』の時もしたし、ロシアものを日本で上演する時みんな間違える説(『罪罰』の時は聖職者役が間違えるもんだから目も当てられなかった)。大事なところだから、きちんと監修入れてください。
ロシア正教では、十字を切る際は右から左です。左から右だと、西方教会風。
フィリピエヴナが、仮に二本指で十字を切っていたら、「おっ、そういう解釈で来るんだ」とはなりますが、左から右に十字を切っていると、単に「間違えたんだな」としか思えません。解釈とかの次元ではないですね。
何が厳しいといって、ターニャは2回十字を切るシーンがあるのですが(オネーギンが叔父が亡くなった話をしたとき、フィリピエヴナが結婚した話をしたときの2回)、彼女はちゃんと右から左で切るんですよね。
ターニャとフィリピエヴナが同時に十字を切ると、謎にシンメトリーな動きになって、ダンスみたいになってます。動きは揃えて貰って大丈夫です。
フィリピエヴナは、やっぱりちょっと声が弱いかなあ……とは感じます。ソプラノからメゾ転されたらしく、それは納得。
フィリピエヴナは、基本的にはラーリナ夫人よりも重たい方が好ましいので、バランス的にも、重さ重視でいい気がします。
「手紙の場」。
" блаженство темное зову, " だったかな、この辺りで一瞬声がガサついたので不安になりました。が、全体的に見ると、今日が一番良かったように思います。
今日はオケもターニャも、 " В душе твой голос раздавался. " の pp に磨きが掛かっていました。あなた方ほんとに pp 上手いな!(毎回言ってる)。
しかし、1階席前方にいたわたしは大分酔えましたが、これ5階席の人、聞こえました? の領域。上階席にいた方がいたら教えてください。
今日はお皿落としてました。
そして、よくオペラグラスで観察したら、ターニャ裸足なんですね……!? お皿割るのに……!? ちょっとそれは有り得なくないですか? 危なすぎるでしょ。歌姫の足裏が傷ついたらどうするの。
ちなみに、松本の時(カーセン演出)は、ほんとうによくよく観察しないとわからないものの、バレエシューズ的なものを履いていました。あちらは「手紙」でターニャが全力疾走するシーンがあるので、絶対に必要。
↑ カーセン演出はいつ見ても最高。オシャレすぎ。ネチャーエヴァさんも最高。声強すぎ。オケはウリューピンさんの方が圧倒的に良い。
でも、ものを落として割るこちらの演出の方が明らかに靴は必要です。じゃあわたし、「チェレヴィチキ」を持参するので……(?)。
今日は一番下手側の席だったのと、ターニャの歌に集中していたので、扇風機の音があまり気になりませんでした。更に改良された……? どうなんだろう。聞こえないならそれが一番良いですね。
今日は、いつにも増して最後の減速とクレッシェンドがキマっていて、ほんと~~に酔えました。ここに関しては満場一致だと思う。最高。好き。
↑ 皆さんも復習したいと思うから、フルスコアを出しておこう。
ウリューピンさんの棒でここがめっちゃくちゃ官能的なのは、速度と強弱のみならず、パートの際立たせ方にもあります。
2回目の主題に入るとき、弦楽隊がふっと一瞬消えて、フルートとクラリネットが弱音ながら前に出てくるんですよ。他の方だと、ここはずっと弦楽メインで押すことが多いので、ここのふわっと消える弦楽と、柔らかく入ってくるフルートとクラリネットが新鮮で、心底気持ち良い。弦楽に再び主導権が戻ってくるのは、 Moderato mosso から。
いや~……これは良いですよ。語彙力無くなった。
第3場
オネーギンさんのターンです。
今更なんですが、本当に絵になる。次オペラ映画版を撮ることがあったら、あなたがオネーギンをやればよいのでは(映画版はビジュアル大事なので)。
長身すぎて、あのセットを約7歩で歩ききるの怖い。大劇場の舞台をですよ? 足長過ぎる。
相変わらずコメントに困るオネーギンさん。今回は、ロシア語の話をしてお茶を濁そうと思います。
オネーギンさんはウクライナの方なので、ロシア語はバッチリなのですが、" Нам заготовил Гименей, " の辺りはもうちょっと明瞭に歌ってくれてもいいとおもう。ここ、地味に凄いこと言ってますよね。
また、オネーギンさんの歌詞には может быть という歌詞が多いのですが(まあ普通に頻出語句なので……)、彼はここをめちゃくちゃ有声化して、完全に можед быть という音になるんですよね。有声子音が続くから、音声学的にはここ有声化する方が正しいんでしょうか。
え~っ、でも、ホロ様はここめっちゃ音 т で歌ってますよね!? ロシア語ガチ勢有識者の解説が欲しいところです。
第2幕
第1場
サクサクいきます。
今日は男声合唱の " господа? " が毎回遅れてズレていました。ここ速いから合わせるの大変なんだろうな。がんばれ。
トリケ君。
" Mesdames, я буду начинайт. Прошу теперь мне не мешайт. " の辺り、マジで何も聞こえないです。頑張れ。
今日もピローグを食べるオリガは可愛かった。
字幕の話。
これは2019からそうだったような気もしますが、" Чайльд Гарольдом стоишь каким-то! Что с тобой? " のところ、英語字幕が " like Hamlet " になっています。キャラ違うし!
チャイルド・ハロルドって普通に有名じゃない? ダメなんですか? 字数の問題とか?
今日は過呼吸起こしていなかったオネーギンさん。2日目の演技はファンサービスなのか?
このオネーギンさんは細かい演技が大変に上手いです。バレエ版でもやっていけるスキル。踊って欲しい。
レンスキーに " Итак до завтра! " と言われて、その時点で帰ろうとするのですが、「お、まだなんか言ってるぞ」と振り返り、レンスキーが「言ってはいけないこと」を言おうとしていると気付いて、ちょっと困惑気味に、「お前それ言ったら本当に後戻りできなくなるぞ」、という顔をするのですが、соблазнитель! と言われて、Замолчите, иль я убью вас! が出ます。そこまでの流れが大変自然です。
群衆に取り押さえられた後も、「別に暴力を振るう気は無いよ」とすぐにホールドアップして去るのも好き。先ほどの台詞も、「そりゃあ、ああ言われたらこう返すしか無いじゃん」という程度で、特に殺意は無さそうに見えるのがいい。
オネーギンさん、ビジュアルと演技はほんと100点なんだよな~……。だからこそ、もうちょっとお歌にインパクトが欲しい。一番大事なところが微妙に物足りない……。
第2場
今更なんですが、レンスキーがあまりにもイタリアオペラ系なので、特に二重唱時、オネーギンとレンスキーはかなり声の相性が悪いですよね。それぞれは良くても、響き合わない。
『オネーギン』はめちゃくちゃ重唱が多いので、声の相性は大事です。みんな「ロシアオペラ系」で攻めて欲しいところ。
今日はザレツキーがトリケを投げ飛ばすのが大分遅れました。邪魔です。
全体的に、演技面は2日目が一番よかったような気がするな? だから録画日なのか??
この演出では、何故かザレツキーが死体の確認を一切しないんですよね。なんで一瞥しただけで死んだことがわかるんだ。ワンチャン生きているのでは?
初日にも書いたように、ヴィタリ先生は本来オネーギン歌いなので、声質がオネーギンです。ザレツキーに寄せようとしている努力は感じられますが、やっぱり元々の声がオネーギン寄りなのは変えられません。
従って、勿論別の方の声だということはわかるのですが、" Убит? " " Убит! " が下手すると一人芝居っぽいまである。ヴィタリ先生はオネーギンのカヴァーキャストなのもあって、実際に一人芝居だったらどうなるんだろう、とか余計なことを考えました。
第3幕
第1場
女声合唱の " Вот та, что села у стола. " のところ、歌詞違います? 違うこと歌っていませんか? たぶん、" Вот та, которая пошла. " って言ってますよね? わたしはロシア語のリスニングテスト自信ないですが、でもそう聞こえる。
確かに演出上「座って」はないでしょうけど、歌詞そのものを変えちゃうのはどうなんですか?
リピーター有識者の皆さん、ここよく聞いてわたしと同意見かどうか教えてください。
みんな大好きグレーミン。今日も良かったですが、今日のみ、" Мне жизнь, и молодость, Да, молодость, да, молодость и счастье! " の жизнь で、жи^знь とブレスが入ったのが気になりました。この一語は一息で歌って欲しい。
第2場
冒頭の方で、オネーギンさんが一回 я を言い直したのが気になりました。冒頭の歌詞でオネーギンが я から入るところって " Я так ошибся, " くらいだから、多分ここ。
今日のターニャは соблазнительную にめちゃくちゃ付点のリズムがついていました。付点8分+16分。со-б/ла-з/ни-тель/ную って感じ(伝わります?)。
逆に、オネーギンさんは初日は " О, молю: не уходи! " がリズム感ありすぎてちょっと気持ち悪かったのですが(そういうシチュエーションではないのに、なんかノリノリな感じがする)、日々改善されています。歌曲だったらこのノリ感は素敵だけど、間違ってもここの歌詞とは合わない。
今日はちゃんと楽譜通りだった感じがする。
他にも色々ありますが、取り敢えず今回は簡単に、こんなもんにしておきましょう!
続きは最終回!!
幕間の話
今日も沢山の方に構って頂きました~~! 幸福です。ありがとうございます。
まずは、我らが三島大先生。こんなキモオタにいつも優しくして頂いて、大好きです(告白)。そして今回のレビューも最速です。
↑ 弊ブログよりずっと詳しいご指摘多々なので、読んで~~!
三島先生でもオネーギンさん評は難しいのか……と安心しました。わたしも未だによくわからない。公演あと一回だそうです、どうする??
そして、ご新規のフォロワーさん3人にも会えました。完全にオフ会です。はじめまして!
お一人はバレエ強者で、バレエ版の『オネーギン』にもお詳しい方。バレエ版『オネーギン』の話もめちゃくちゃしたい。次はパリオペ来日公演で宜しくお願いします!!
もう一方はロシア文学強者で、ドラマ版『悪霊』のピョートル推し仲間さん。ドラマ版のピョートル・ヴェルホヴェンスキーほんっとウザかわいいですよね!! わかる!! 今度はガッツリ文学トークやらせてください!!
そしてもうお一人なんですが……、なんと、わたしのオペラオー君の記事からオペラを観るようになったという方が、我が最愛の『オネーギン』を観に来て、ご挨拶までしてくださったんです!! これほど嬉しいことがありますか!!
↑ なんか有り得ないくらいバズった記事。当時、アクセス解析で F5 連打すると、数秒しか経っていないのに数百ずつ数字伸びて本気で怖かった。
↑ この記事を書いたら、劇場の方にお礼言われました。笑う。こんなのでよければ幾らでも量産するので、その代わり『オネーギン』演って貰っていいですかね。
こんなマイナージャンルばっかり扱っている辺境ブログでも、役に立てることはあるらしい。
そろそろオペラオー君のオペラネタの新規供給欲しいですよね。最近は全然ないので、全然『ウマ娘』開いてないです……。いつになったらマチカネタンホイザちゃんと『タンホイザー』ネタやるん?
今回もお時間割いて頂いて本当にありがとうございました!! 千秋楽ご一緒できる方は、ご挨拶させてくださいね~!!
パンフレットの話
今更ですが、パンフレットを読みました! 初日に買ってはいたのですが!
あんまり内容について触れすぎても怒られるので、ごく簡単なファクトチェック的作業と、個人的などうでもいい感想を述べるだけにします。
キャスト
カヴァーの話。
今回、グレーミン公爵にツィムバリュクさんを持ってきているだけで超豪華なのに、カヴァーにも妻屋さんを当てているの凄いですよね。新国内部に熱烈なグレーミン・ラヴァーがいるのかもしれない。二期会の内部のいざこざは大丈夫なのだろうか……。
タイトルロールのカヴァーはヴィタリ先生ですが、仮に繰り上がったら、ザレツキーどうするんでしょうね。キャスト表に乗っていないだけで、ザレツキーはザレツキーで誰かがやるのかな。本編でもその話しましたが、会話するシーンがあるので、一人二役だったら流石に面白い。
初日の夜、ゆいさんと「英語字幕が優秀」という話になり、担当されている Steven Tietjen さんの経歴を調べたりしました。「流石に英語字幕の人の経歴調べてる限界オタク、わたし達だけだろ……」と盛り上がり、めっっちゃくちゃ楽しかったです、ありがとうございました!
指揮のウリューピンさん。
ほぼ唯一、出身地について触れられていませんが、調べてみるとウクライナのロゾヴァヤ(ハリコフ)のご出身との由。それでも「ロシア人」と書かれていることが多いのは、出身は現ウクライナだけど、アイデンティティとしてはロシアということなんだろうか、わかりませんが。当時はいずれにせよ「ソ連」ですからね……。
過去にはブレゲンツで『オネーギン』を振ってるそうな。録音しよう。
合唱指揮は冨平先生。今回もいいぞ!!
タチヤーナのシウリーナさん。
三島先生が、記事に以下のように書いていらっしゃいましたが、
規則正しい作品(役)というかかっちりしている作品(役)の方が良さそう。モーツァルト先生とか?
確かに、レパートリーにドンナ・アンナなどがあり、「あ~、合うかも……」になりました。
オネーギン役のユルチュクさんは、実は理系のインテリでもあるらしい。設定盛りすぎ人材であらせられたか。というか、それだとリアルオネーギンだ……。
あまり知られていないような気がしますが、実はオネーギンは、ロシアの国民的文学の主人公でありながら、「韻の違いも見分けられない(Не мог он ямба от хорея)」一方で、「アダム・スミスを読む経済学者(Зато читал Адама Смита / И был глубокой эконом)」なんですよ! そりゃ、詩人のレンスキーに「僕たちは正反対」とも言われるわ。
また、 KGL でオネーギンを歌ったこともあるそうな。危ない、危うく計らずしてユルチュクさんの追っかけをやるところだった。ソンダーガードさんのオネーギンを聴けてよかった。
KGL のキャスティング担当には、「オネーギン役はイケメンじゃないとイヤ過激派」が存在するのかもしれない。気持ちはわかる。
また、オリガ役のゴリャチョーワさんも KGL 経験者であるらしい。新国と比較して如何ですか。そして『スペード』のポリーナを歌うらしい。うわ、絶対合う~。正味、オリガより合うと思う。
あらすじ 日・英
日本語版と英語版で大分内容が異なります。両方見比べてみると面白いかも。
日本語版の担当は一柳先生。
第1幕は「1820年代」。3幕は「数年後」となっています。丸い書き方だと思います(時代論争は厄介なので)。ところで、1幕が1819年だとする説は、今はもうあんまり人気ないのかな。
1幕1場の時点で「オネーギンもタチヤーナに好意を抱く」はちょっと言い過ぎな気もします。オリガよりは好印象ですが……くらいかと。
英語版の担当は Mark Pullinger さん。Bachtrack の人らしい。いつもお世話になっています。
レンスキーのアリオーゾを「 (bad) verse 」と書いていて笑いました。辛辣。
「手紙」の後を To the cockerel's crowing と書いていて、それよりは The shepherd boy plays the flute とかなんとかの方が近くない? とは思いました。まあ厳密にはフルートじゃないけど。オーボエとファゴットだけど。牧笛って本来横笛……だよね……? 縦……?? そういえば英語字幕は pipe だったような……。
トリケのクプレは「Grétry-like」らしい。『Pierre le Grand』ってコト……!?(※マイナーすぎて伝わらないと思いますが、ロシア史が題材のオペラを書いています)。
調べてみると、確かにチャイコフスキーは『スペード』作曲前にグレトリを研究しているようなのですが、『オネーギン』の時には特にそういう記述は見つけられず。何をお手本にしたんだろうな……。
3幕1場のポロネーズは「Stately polonaise」らしい。この演出では、わたしには Stately には見えないけど……。
3幕で、オネーギンさんはタチヤーナに「a lettre」を送ったそうですが、ここは複数形の方がよいのでは?
プロダクション・ノート
何も言うまい。言うまいけど、セットは確かにスタニスラフスキー系かもしれないが、あの戯画的な描き方はスタニスラフスキーの考えとは真逆ではないか。とだけ言わせて欲しい。
作品ノート
お馴染み一柳先生がご担当です。
先生はオネーギンというキャラクターをかなり強力に擁護するタイプで有名です。何故か現代日本では「オネーギンはダメ男」という言説が蔓延っていて、オネーギンに逆風すぎるので、これくらい強気な方がいた方が心強いかもしれない。
オネーギン・スタンザについて、わたしは素直に「aBaB/ccDD/eFFe/GG」と書いちゃうんですが、先生は「abab/eecc/iddi/ff」表記。これってナボコフの書き方ですよね。
中沢敦夫先生も前者の方で書いていますし、研究者でも割れている印象です。eecc...とアルファベットをずらす理由ってどこにあるのだろうか。知りたい。
「ロシア貴族女性の貞操観念が脆弱であるという定説」との由。そ、そうか……? どこら辺が根拠なのだろう。寧ろロシア貴族女性って、他地域と比べて貞淑な印象です。
わたし一応フランス文学やってましたが、フランスの方が圧倒的にヤバいぞ……?(※比較対象としてフランスを持ってきてはいけない説)。
「プーシキンの原作によれば、年齢は〜」。出ました、年齢論争!! 『オネーギン』の登場人物の年齢には触れない方が無難であるとあれほど!!
↑ オネーギンの年齢について、研究者が一生揉めてるって話を纏めた記事。
原作で年齢が明示されているのは、レンスキーのみです。特にグレーミンなどは全く記載がなく、誤解を生むと思います。
タチヤーナの年齢に関しても、原作のみではよくわからず、プーシキンの手紙などから漸く推察することが可能、というレベルで、これだと「受容理論」の問題にも引っ掛かってきます。
オネーギンに関しては、「(1章を除き)作品全体を通して20代だろう」ということは推測できても、それ以上を突き詰めるのは非常に困難です(前掲の記事参照)。
オリガに関しても原作では記載がありませんが、例えば Роман А. С. Пушкина «Евгений Онегин». Комментарий. Пособие для учителя によると、「15歳以下であるはずがない( ей не могло быть меньше 15 лет )」などと書かれています。
『オネーギン』の登場人物の年齢に関しては、原作に明記があるのはレンスキーだけですし、その他のキャラクターに関しては研究者の間でも結論が出ていないので、迂闊に「○歳です」と言い切ってしまうのは危険です。
一方で、逆に、オペラ版・チャイコフスキーのリブレットには、以下のようにあります。
Онегину 22 года, Ленскому 19, Лариной 56, Ольге 18, Татьяне 17, Филиппьевне 70, Князю Гремину 45.
オネーギンは22歳、レンスキー19歳、ラーリナ56歳、オリガ18歳、タチヤーナ17歳、フィリピエヴナ70歳、グレーミン公爵45歳。
(チャイコフスキーの字、かなりマシな部類ではあるものの、初学者にはまあまあ見づらい。合ってますか?)
色々と突っ込みどころがありすぎるんですが(レンスキーに至っては原作と違う、オリガの方が姉なのか、ニャーニャは53歳でお乳あげてたのかとか)、一応、チャイコフスキーはこういう設定で書いているらしいです。
従って、プーシキンの原作に沿うか、リブレットに沿うかを明確化した上で演出し、それを記載するのが良いと思います。
チャイコフスキーとオペラ
我らが山本先生担当です。
『鍛冶屋のヴァクーラ』或いは『チェレヴィチキ』って、現在全然上演されませんけど、作曲時はそんなに評価高かったんですね。いや、確かに全然質は悪くないと思うんですが。
上演されない理由ってなんだろうか。リムスキー=コルサコフの『降誕祭の前夜』に知名度負けてるから?(?)(この作品を『クリスマス・イヴ』って書くことに絶妙に抵抗あるのはわたしだけですか?)。
余談ですが、『ウンディーナ』も『地方長官』も『チェレヴィチキ』も、はバレエ『オネーギン』ファンは必修ってご存知でしたか。
↑ 高校生の頃に書いた記事ですが、ちゃんと纏まってはいると思う。
チャイコフスキーのオペラが好きな同志も、バレエも愛でる同志も、全員履修してくださいね!!
「チャイコフスキーはオペラ作曲家(意訳)」と言って貰えて嬉しいです!!
プーシキンの生涯と作品
坂庭先生の担当。
簡潔にわかりやすく纏められていて流石ですの一言。
最初に注がありますが、日付がユリウス暦で記されていることに読み手は注意が必要です。
昔、こんな表を作って遊んでいたこともあるので、「デカブリストの乱」に関心がある方はよかったら。
一点、p.25の「年令」は誤植でしょうか? 漢字こっちでもいいのかな? 日本語わからん。
オネーギンとロシアの余計者たち
相沢先生の担当。
オペラだと第1章が全部無くなる問題は、ほんとうに、どうにもならないけどどうにかした方がいいポイントランキング上位ですよね……。
" без службы, без жены, без дел; " を、「勤めも妻も仕事もなく」と訳していて、まあそうなるよね~と思うなど。日本語だと、「勤め」と「仕事」のニュアンスがほぼ同じなので、訳語悩みますよね。後者を「やること」とか「打ち込めること」みたいにするのがよいでしょうか? どう思われますか?
『現代の英雄』も大好きなので、ペチョーリンの話助かります。他の余計者たちの話も色々載ってます。
お察しの通り、わたしはドブロリューボフとは思想が相容れない派です。「文学受容史」「文学と社会の関わり」としては興味深いけど、文学の読み方としてはあまりに粗雑すぎると思う。
皆様のお考えは如何?
タチヤーナの恋文
沼野恭子先生の担当です。沼野先生は、一柳先生とは逆に、ターニャに寄り添った視点から描かれています。
それもあってか、オネーギンがタチヤーナの手紙を受け取った時の反応が、ちょっと辛辣すぎるかなあと思わなくも無いですね……。一応、 " Но, получив посланье Тани, Онегин живо тронут был: (4-XI-1-2)" とはあるので……。
親称・敬称の話など、ロシア語未修者にもわかりやすい解説だと思います!
When life imitates art: Pushkin, Tchaikovsky and Eugene Onegin
Mark Pullinger さんの担当です。英語版も解説が充実しているのはよきことです。新国、やっぱり国外のお客さんも多いですからね。
オペラ製作の経緯から、オネーギンのキャラ作りまで、結構色々重要なことが書かれていて面白いです。
バレエ・クランコ版の言及が1箇所だけあるので、バレエ版のファンは読むんだ。長文英語だけど!!
今まで意識したことなかったんですけど、Малый (日本語音写するなら「マールィ」)は、英語表記だと Maly なんですね。文脈がなかったらわかんないかも。
こんなところでしょうか! 久々にしっっかりプログラムを読んだ気がします(普段からもっと読んだ方がいい)。
1200円で複数の研究者が書いた好きな作品についての解説が読めるの、コスパが良すぎるな。
皆さんももっと『オネーギン』を愛でてくださいね!!!
最後に
通読ありがとうございました! 今回も無駄に長くて1万3000字! 公演評の方はあんなに削ったのに!!
えー、いつも通り、千秋楽があと10時間で始まってしまいます。最後までギリギリ癖が直らなかった……。書くことありすぎ……。
千秋楽ですってよ、怖くないですか? 一瞬だった。あと10公演くらいやればいいのに。通うのに。あ、でも流石にお財布しんどいかもしれない。悩ましいところだ……。
次回は、簡単に総括みたいなものも書けたらいいですね。
それでは、今回はここでお開きと致します。
心底寂しいところではありますが、新国『オネーギン』マラソンは次回で最終回。最後までお付き合いくださいね!!