世界観警察

架空の世界を護るために

新国立劇場『エウゲニ・オネーギン』2024/02/03 - レビュー

 おはようございます、茅野です。

東京は大雪で御座いましたよ。『オネーギン』祝い(?)なんでしょうか。そういうことにしておきましょう。

 

 先日も、新国立劇場のオペラ『エウゲニ・オネーギン』にお邪魔しました。千秋楽4回目2月3日マチネの回で御座います。

↑ 2019、2023と「エウゲニ」で来ちゃったら、もう一生「エウゲニ」なんだろうな、という諦念。

 もう最終回ですってよ、ちょっと早くないですか? 同チャイコフスキー作品である『くるみ』を見習って、もっとロングランでやりましょうね逆に『くるみ』はやりすぎ

 

 全通勢ですので、無論過去にレビューも三記事書いています。

プレミエの雑感はこちらから。

 2回目の雑感はこちらから。

 3回目の雑感はこちらから。

↑ 全部文字数5桁乗っている無駄に長い記事群。

 一度書いたことに関しては特に触れないので、過去の記事も宜しければご確認ください。

 

 今回は、書き損ねたことを全部書いていこうのコーナーです。そういう回に限って書き漏れがあるんですよね。更に忘れていたら書き足すかも。

いつも通り、細かすぎて伝わらない雑感を書いて備忘としておきます。

 それでは、最後までお付き合いの程宜しくお願い致します!

↑ そのドレスの色はどうなん、あと2019の時に一応推理は書きましたが、結局右の老婦人はだれなの(n回目)。

 

 

キャスト

エヴゲーニー・オネーギン:ユーリ・ユルチュク
タチヤーナ・ラーリナ:エカテリーナ・シウリーナ
ヴラジーミル・レンスキー:ヴィクトル・アンティペンコ
オリガ・ラーリナ:アンナ・ゴリャチョーワ
プラスコーヴィヤ・ラーリナ:郷家暁子
フィリピエヴナ:橋爪ゆか
グレーミン:アレクサンドル・ツィムバリュク
トリケ:升島唯博
ザレツキー:ヴィタリ・ユシュマノフ
大尉:成田眞
指揮:ヴァレンティン・ウリューピン
合唱:新国立劇場合唱団
演奏:東京交響楽団
演出:ドミトリー・ベルトマン

 

雑感

 今回のお席は1階中央の上手端でした。

今回の『オネーギン』マラソンでは、下手→上手→下手→上手と順番に観る形となりました。まあ、やっぱり『オネーギン』は下手で観た方がいいかも。とか言っていると下手側の席が売れ行き良くなっちゃったりするんだろうか。今回は、優秀なコンバス隊が下手側にいたのもあるし。

 

 今後、またこの演出で『オネーギン』再演したりするんでしょうか。

別の演出でやるならそれに越したことはないですが、今回、2019年より大分マシになっていたので、もし次やるならいい加減2幕2場からトリケをリストラしてストレスフリーにして欲しいところですね。それで大分人のこと誘いやすくなります。自分の街で、自信を持って誇れる『オネーギン』を観られるようになりたい(切実)。

演出家だけじゃなくて、「お客様の声」も聞いて欲しいところですねー。

 

 それにしても、4回ともS席に座れて、 U25 様様です。一生切れないで欲しいですがいい加減切れます。悲しい。まあ流石に、全通するのは『オネーギン』くらいですが、わたしは……アンダー制度外のフォロワーさんが『くるみ』全通していてドン引いたのは内緒である。流石にそれは変態

 

 今回、入場する時、近くのカップルが「『オネーギン』は若い女性客が多いね」「やっぱり『オネーギン』は女性に人気なんだね」という会話をしていて(盗み聞きというか立ち聞き申し訳ない)、辺りを見回してみたら、確かに若い女性が多かったように思います。これはオペラだと大変珍しいことです。え、何があったんだろう。何効果?

 わたし、『オネーギン』オタク歴9年くらいあるんですが(我ながらこの数字には驚いている……)、特には『オネーギン』は若い女性に人気だと思ったことないけどなあ。というか、東京で『オネーギン』好きな人探すのはかなり至難の業なんですが。Twitter がなければ今でも孤独だったと思います。X? 知らない子ですね……。

クランコ版の効果なのかなあ。何だと思います? 推理お待ちしています。

 

 それでは本編について、簡単に書いていきましょう。

 

第1幕

第1場

 今日も序曲から丁寧で大変宜しいですね。可及的速やかに CD を出すんだ。

 

 書き損ねましたが、3回目の公演の時、恐らく舞台さんと思しき方が見えていました(1階下手端)。黒いTシャツの女性が、ラーリン邸の中で何か作業してらしたように思う。上演中でも、出演者以外の方が舞台上にいるんですねえ。

2回目の公演の時、バックステージツアーに参加したので、「あ~これは見えちゃいけないと伺っていたやつ……」とか思ってしまいましたが。

 

 「結局何のヴァレーニエなんだ問題」ですが、よく観ていると、フィリピエヴナが篭から鍋(というかフライパン?)に材料を入れるシーンがありますね。オペラグラスで凝視していましたが、その色と、柔らかそうな形状から、たぶんラズベリーかな。そこだけ原作に季節合わせてるんでしょうか(原作だと1幕は夏だと考えられますが、オペラだと秋)。

 ベルトマン演出は、色々と懸念点が多いんですが、評価できる点がゼロというわけではありませんベルトマンより酷いのはヘアハイム。あれはブーイング出るのも当然だろという域。褒められるポイントがない。逆に凄い

リブレットには、冒頭に " Ларина и няня варят варенье. (ラーリナとニャーニャはヴァレーニエを煮ている。)" とあり、この辺り忠実だなあと感じます。

 また、お料理面で言えば、名の日の祝いのピローグも凝ってますよね。原作読む限りだと、油と塩が効きすぎみたいですが(В то время жирный был пирог /  (К несчастию, пересоленный);, 5-XXXII-4-5)、舞台上のものはきっと美味しいのでしょう。

 

 我らが三島先生も指摘しておられましたが、2019年から改良されたポイントとして、ラーリン家の仲が挙げられます。

ターニャとオリガが不仲な演出自体はそこまで珍しいわけでもないですし、何度か指摘しているように、" Вообрази: я здесь одна!  Никто меня не понимает! 考えてもみて、私はここに独りぼっち! 誰も私のことなんて理解してくれません!" という台詞を際立たせるという目的を考えれば、特別糾弾すべきでもない演出であると思えます(好みの問題はさておき)。

 しかし、2019年のベルトマン演出は、ペリー演出のような、「ちょっと反抗期気味なティーンエイジャーのよくある姉妹喧嘩」みたいな可愛いものではなくて、最早それはイジメと言っていい陰湿なもので、オリガからターニャへ明確な悪意を感じ、正直に言って、極めて不愉快でした。

 

 今回の2023年版でも、オリガがターニャのメモ書きをばら撒いたりなど、円満な仲だと言うわけにはいきませんが、それでもその「イタズラ」をした後は、ターニャの額に楽しそうにキスをしたりなど、オリガにはどうにも憎みきれない愛嬌があり、辛うじて許容範囲にまで改良されたと感じます。

 再演演出家の澤田康子さんと、オリガ役のゴリャチョーワさんが戦ってくれたのだろうか。きっと、制作陣にも我々にように2019年版を不愉快に思い、かといって立場上ベルトマンの演出を完全に無にもできないので、折衷としてこの辺りに落ち着けた有能な方がいらっしゃるのだろう。

想像するしかありませんが、いずれにせよ改良に貢献した人物には感謝と敬意を捧げたいです。でももっと言えば、メモはバラ撒かなくてよいし、姉の部屋を覗き見る必要もない。

 

 また、2019年、演出家ベルトマンは、「姉タチヤーナと妹オリガはじつは父親が違うのではないか。だから姉妹なのに性格がまったく違う」と、これまた不愉快な「裏設定」を付けています。

 もしラーリナ夫人が「不倫」をしていたのだとしたら、3幕でのターニャの決断こそが「異端」ということになり、その決断、この物語の意義、タチヤーナというヒロインの心理などが大幅に変質してしまいますし、姉妹が産まれたと思われる19世紀初頭という時代を考えても、違和感が生じますはいそこ、エリザヴェータ・アレクセーエヴナの話はしない

 そういえば、2019年にはザレツキー役のヴィタリ先生がこのような解説を入れてもいましたね。

プーシキンの時代には妻の希望で離婚することは無理だったので、タチヤーナとオネーギンはお互いに愛しあうのですが、彼女は迷いつつも最後に夫のそばにいることにしました。オペラ版はプーシキンの原作から50年たって出来たもので、社会も変わっていて、離婚はまだ簡単ではありませんでしたが、出来るようになっていました。そのせいで、なぜオネーギンと一緒にならないのかが分かりにくかったのです。

《エウゲニ・オネーギン》が描く真実の愛とは?| ヴィタリの心の歌 第5回

 さて、このような観点から、ベルトマンさんには、ラーリナ夫人の「不倫」をどう説明するのか、わかりやすく解説頂きたいところですね。

 

 2023年版では、ラーリナ夫人の描写も、大分「観るに耐えるもの」になったと思います。この設定を踏襲しているのかどうかは不明ですが……。あのキュウリパックはマジでなんだったの……。

 …………、ああそうか、ラーリナ夫人は不倫をするような女性だからこそ、「習慣よりも幸福」を求めて泣くのか。今気がついた。気が付きたくはなかった。そうやって、一応解釈の一貫性は持たせているつもりなのね。いや、わたしはその解釈自体を支持しませんが……。

……、じゃあフィリピエヴナは何なの? ディミートリーさんより、「その殿方」の方が優しくしてくれた、とか? それともあなたも不倫していて村全体の倫理観が終わっているとか? そう考え始めると、殊更ここで涙を流すことへの不快感が高まるな……気が付きたくなかった……。

 

 ラーリナ夫人のエプロン投げは、地味に一番飛距離が出ていたのは初日かもしれないですね。階段の真ん中辺りに落ちる日も……。競技化しよう。

 また、彼女が見ているアルバムには、ちゃんと19世紀の方々の写真(?)が収められているのも見えました。まあ、1820年代ってまだカメラないですけどね。誰だろう、わたしも知っている人かな。ていうか、アルバムは捨てたんじゃなかったの?

 

 信じられない Вайну カット問題。普通に新国の合唱が聴けないことが悲しいだけでは無く、ウリューピンさんの1幕1場は、原則として物静かな印象を与えるので、 Вайну のような華やかな曲を入れた方が、メリハリがついて良いと思います。次は必ず入れて欲しい。

 

 この10代の女の子への理解度ゼロなお衣装と演出の中でオリガが可愛く見えるのが本当に凄いです。あれを着こなせる人類は希少。恐るべし美女の力。

 今日はいつもよりオリガの声の温まりが遅れたように思えました。アリオーゾの中盤くらいから漸く本領を発揮した印象。2幕の方が良かったように思う。

オリガの見せ場は序盤に多いので、最初からエンジン掛けてくれれば尚よかったですね。

 今日はオリガのアリアの後に拍手を入れても周りが全然ついてきてくれませんでした。なんで!!

 

 今日はラーリナ夫人が香水を掛けまくる→フィリピエヴナがクシャミする、の辺りがいつもより1~2テンポ遅れ、かなりわたわたしていた印象を受けました。最終的に間に合ったからよかった。

 

 ついでなので、演出というか美術、お衣装の話もしましょう。

1幕1場では、オネーギンとレンスキーが「お揃いか? 双子コーデ?」というくらい似たお洋服で登場します。

↑ なんか兄弟っぽい。

 当時の男性のお洋服のヴァリエーションの乏しさから考えて、そこまで極端ではなくとも、「田舎の若者」と「都会のダンディ」の差くらい付けてほしいものです。Скажи, который Евгений?

色々な方が指摘されていますが、オネーギンとレンスキーは同時に登場するので、観客には一瞬で「どちらがどちらなのか」を理解できるようにした方が良いです。そして、その役目はお衣装が担っています。

 

 この演出は、「時代考証がよくできていて~」みたいな紹介をされているのを散見しますが、肖像画や紅茶の飲み方のみならず、お衣装に関してもわたしは懐疑的です。

 1・2幕に関して、ラーリナ姉妹はともかく、男性陣に関してはかなり疑問があります。この演出で二人が着ているような、身体のラインを隠すような、だぼっとしたシルエットのデザインは、1860年代の流行です。

では、実際に舞台となる1820年代にどのようなファッションが好まれていたのかというと、上半身も下半身も、身体のラインをくっきりと出すデザインです。

参考として、ディミートリー・ベリューキンのオネーギンの挿絵を見てみましょう。

1820年代の紳士といえば、当然、このシルエットだよなあ!?

 それに、彼らは馬で来ているはずだし、コートはフロックですよね。

別に考証にそこまで拘りがなさそうな演出・美術なら特に何も言いませんが、「考証が売りです!」みたいな顔をされて、それが微妙に間違っていると流石に気になる。

 

 レンスキーのアリオーゾ。

今日は千秋楽ということもあってか、レンスキーのみならず、歌手陣が皆本気を出してきたような様相です。

しかし、レンスキー君に限って言えば、それが功を奏したかというと、懐疑的ですね。

 いつもより演技過剰で、その分指揮者から目線を外すのが早く、指揮者を見なくなった瞬間(文字通り「瞬間」である)から、オケとズレます。逆に、露骨すぎてビックリするレベル。なんかもう途中から面白くなってました。

 最初の "Как счастлив, как счастлив я! Я снова вижусь с вами! " の辺りで、「この想い、堪えきれないっ!」とばかりに身震いするような仕草があり、その時に思いっきり上手側に振り向くのですが、ここでもうズレる。早いって!

 それから、常に「表情を付けるよりも歌を聴かせる」ということを重視している歌い方のアンティペンコさんレンスキーとしては珍しいことに、今日は少し崩し気味で、地声風に声に落とすのが早かった。Ты одна ~ 改め「えいー одна」から下がって、結構驚きました。

 

 多分本人は自覚ないと思いますし、ぱっと見きちんと演技はしているので、観客もあんまり気付かないと思いますが、歌と演技を同時にやるのが本当に本当に苦手なんだと思う。誰か教えてあげて欲しい。

 わたしも2日目の記事で言及しましたが、三島先生も、千秋楽の記事で以下のように指摘してらして、

1幕1場のお歌の最後の方で、オリガに指輪をプレゼントするためにポケットを探って取り出すのですが、探すことに気を取られているように見えて心配になります。歌い終わってから取り出すじゃダメだったのかな?集中してほしい。

3回目【オペラ】エウゲニ・オネーギン(新国立劇場)

だよね??? となりました。そう感じたのはわたしだけではなかったようで安心(?)です。

 確かに声は良いだけに、余計に悪目立ちしている。早めに訓練しておかないと、後々辛いと思います。わたしもちょっと心配です。

 

第2場

 ちょっとちょっと!! 何があったんですか!? 弦が急に化けたな!?

初日から指摘していましたが、1幕2場序曲では、弦、特にチェロのピッチや速度が微妙にズレていることで生まれる「うねり」が発生していました。ここは指揮の解釈が殊更素敵で、 pp でローテンポだからこそ、この「うねり」が目立って、気持ち悪い感じになってしまっていました。

 しかし、今日はそれはもう綺麗にビッタリ合いましたね……! これだよこれ、ウリューピンさんもこれを求めていたはずだと思う(知らんけど)。千秋楽にして、漸く美しく揃いました。やはり公演を重ねるごとに演奏ってよくなるものなのだな……。「千秋楽が一番演奏良い説」は、都市伝説ではなく事実だということを実感しました。

 しかし、体感的には、初日から千秋楽にかけて段々よくなっていった、というよりは、千秋楽で急に化けたような感じがします。最終日、何かが噛み合ったのでしょうか。

 大好きな1幕2場序曲で酔えることは、個人的にも大きな喜びです。大変よかった。

 

 演技の話です。

3日目の記事で、「フィリピエヴナの十字を切る方向が逆だ」という話をしたのですが……、なんと、今日はターニャの方が間違えていましたね……。

お陰様で、「嘘、こちらの勘違いでありもしない批判をしていたのだとしたら土下座案件なんだけど」とヒヤヒヤしていたのですが、暫く観るうち、「いやこれ、明らかに3日目とは動きが違う。日によって違うやつだな……?」と感じました。1, 2 日目はどうだったんだろう。注視していないわたしが悪いですね。覚えている方がいたら教えてください。

 今回は、フィリピエヴナはイコンに祈る時も、話の途中でも右から左(正解)。ターニャも、フィリピエヴナと一緒に切る時は右から左なのですが、オネーギンの叔父の話の時には左から右でした。シウリーナさん、正教徒ではないのかな?

 

 それでは「手紙」です。

今日は最初の二行目のライン、 я в ослепительной надежде と меня преследуют мечты! がよく響いていて良かったですね。

 

 今日は木管隊が手紙の動機でコケなかった、これは大いに成長です。成長率はチェロ隊の方が顕著ですが、木管隊も成長した。

 但し、Кто ты, мой ангел ли хранитель のホルンが転びましたね。その後の Или коварный искуситель? は大丈夫だったので、ホルン的にはオネーギンは守護天使ではなく、狡猾な誘惑者らしい。まあ……、間違っては無いかも。

 

 これは指揮の功績なのかターニャの功績なのかわかりませんが、О да, клялась я сохранить в душе の前の溜めがめっちゃ素敵です。後述しますが、В вашем доме 前もこれくらい空白が欲しい。

 

 「手紙」は長いので、得意な箇所、苦手な箇所も色々出てくると思います。

シウリーナさんが苦手とするのは、Нет, никому на свете / Не отдала бы сердца я! ~ のパートではないかと推測します。ここ、ブレスを入れるタイミングがかなり限られている上に、結構な早口なので、疲れるんでしょうね。

なんというか、肩で息をして息切れをしているような感じがして、思わず「(頑張れ……頑張れ~……っ!)」と力んでしまいました。

でも、それも、公演を重ねるにつれて、大分改良されていった印象です。

 

 その後の Ты в сновиденьях мне являлся, ~ を寝転んだまま歌うのは見事。それでも目線は指揮や観客に向いていることが多く、身体を捻りながらの歌唱です。

大体、声質軽めのターニャはこの являлся 地帯(とわたしは勝手に呼んでいる)が一番合うと相場が決まっているのですが、シウリーナさんターニャは地味に二回目の手紙ゾーン、Зачем, зачем вы посетили нас? ~ 辺りがかなり良いです。珍しいパターン。

 

 三島先生も  И добродетельная мать の演出の話をしていて、あそこ気持ち悪いと思うのわたしだけじゃなかったんだ、となんだか安心(?)しました。

10代の女の子って、恋愛、つまり愛の言葉を紡いだり、せいぜいキスくらいまでは妄想しても、「自分が我が子を抱く姿」とかはあまりに生々しくて想像しないと思う。ましてや、フランス書簡体小説育ちですよ? 幾らターニャが「夢見る夢子さん」だとは言っても、ねえ。

 まあその辺りはプーシキン御大も書いているし、演出として変というわけでもないんですけど、やっぱりオリガの描写といい、演出の「10代の女の子に対する理解の浅さ」が目立つよなあ。

 

 守護天使ゾーンですが、あの超ローテンポ+pp にビッタリ合うのは本当に凄いです。まず、それっていうのは pp が綺麗に出る人しかできないし、声質的にも、ここは軽めだからこそ合うんだろうな、と思いました。

ここの超超超弱音の弦、わたしは好みですが、確かに「聞こえねーよ!」という意見があるのはわかる。わかる、わかります。でもいいんだよな……なんだろうこの感情……。

 

 今日もお皿は落としていました。せめて靴履かせてあげてくれ。帝政ロシアの民ってスリッパ履く習慣ないんですか? あ、その辺りの考証走るのはアリだな……。

 

 KGL 以降、わたしは「声質軽めのターニャも意外といいんじゃね?」期間に突入しているので、シウリーナさんのターニャも「軽すぎ!」と思わずに聴くことができました。

でも、やっぱり、軽いと何が起きるかというと、一番盛り上がる Вообрази: я здесь одна! 地帯が著しく盛り上がりに欠けるんですよね。特に、新国ベルトマン演出は、例の扇風機もいますし。やっぱりここの盛り上がりはネチャーエヴァ様には勝てんよ。

 

 ターニャは、公演1・2回目はまだ様子見というか、声をセーヴしている感じがありましたが、3回目から大分よくなりました。

3回目から、より前方の席に座っていたにも関わらず、大分集中して、そして酔うことができるようになって、扇風機の音も気にならなくなった。

あ、これは「扇風機を許した」わけではなく、全面的にターニャの功績ですからね。

 

 シウリーナさんは、確かにターニャを演じるには声が軽く、柔らかすぎると思います。それは今でも全然否定できません。美しくクリアな声をお持ちですが、実際、それはターニャだと活かしきれないとおもう。もっと彼女に合う役が世界のオペラにはあるはず。

 しかし、pp がド丁寧なウリューピンさんの棒と組み合わさることで、この柔らかな声は大いに活きたと感じました。そうですね、相性がいい、相性がいいです。

この二人が、打ち合わせをしてこのような演奏に決めたのか、それぞれ持ち寄ってたまたま化学反応が起きたのかはわかりませんが、ある意味で、この組み合わせが今回限りというのは勿体ないでしょうね。

ウリューピンさん以外の棒なら、彼女の声は更に活きなくなると思うし、逆にこの丁寧な棒がパワフルなターニャと組んだら、少しアンバランスな感じがしたかもしれません。

その意味で、今回は相性が良い組み合わせと言うことができると思います。

 

 覗き見演出。2019年よりマシになったとはいえ、要らなすぎます。2幕2場ほどではないものの、邪魔です。

これまで何度も言及している、ここのウリューピンさんの棒を邪魔しないで、心から。わたしはここのフルートとクラリネットに酔いたいんだって言ってんじゃん。

そんな、帝政ロシア人といえばみんな覗きやってるみたいな、人聞き悪いじゃないですか※弊ブログのヘビーリーダーにしか伝わらないネタ

 今日は母と妹が部屋に侵入するのが少し遅れました。全体的に演技面が遅れがちな千秋楽。別に入ってこなくていいんですけれども。

 わたしは U25 で S席に座れていたので問題有りませんでしたが、覗きがそこまで露骨ではなくなった分、窓の外が死角になり、ニャーニャの動きが意味することがわからない席も出てきたんじゃないだろうか、と邪推します。

 

第3場

 容姿端麗オネーギン氏。「絶対に踊れる人だ……」と思っていたら、趣味がサルサ・ダンス(!)なんだとか。驚きましたが、納得かも。それであのグランプリエが生まれるわけね……。バレエもいけるよ絶対。

 

 合唱、以前の記事で「裏にいる方が変な演出によって視覚的に引っ張られない分、よく聞こえるまである」と書いたのですが、やはり改めて聞いてみると、2幕・3幕の方が声は飛んでいて綺麗なんですよね。やっぱり変な演出の罪は重いな……。

 ところで、娘達の合唱の間のコントラバス隊がとても良いです。ピッツィカートも、アルコも最高。全面的に良いので、楽譜を出すことはしませんが、とにかく全部いいです。ありがとう。

 

 オネーギンが来たとき、ターニャが柱に隠れて、花束で顔を隠すの可愛くて好きです。

2019年の時は、「夢ボケ」過ぎて、まともに観ていられませんでしたが、今回は可愛いと思えた。

 

 今回ちょっと良いなと思ったのは、字幕と演出の連動です。

オネーギンのアリアの前、ターニャは " О Боже! Как, обидно и как больно! ああ、神様! なんて惨めなの、なんて苦しいの!" と言うのですが、ここの字幕が意訳(?)になっていて、確か「どうしたらいいの?」になっていました。

 その台詞に連動するかのように、オネーギンはベンチを指し、「どうぞお掛けになって」というような演技を入れます。ちゃんと「どうしたらいいの?」という問いに、「まずは座って」と応えているのが紳士的で、かなり良いなと思いました。

 まあ、千秋楽の今日は、オネーギンがベンチを示す前にターニャ先に座っちゃってたんですけどね。この流れは結構好きだったので、「そこ崩すんか~い」とは思いましたが。

 

 これは四回ともそうでしたが、オネーギンさんは  признанья, / излиянья; を、めっちゃ ие で発音します。現代表記の単数主格? ロシア語の格変化面倒くさすぎる

 

 オネーギンのアリア。

そういえばなんですけど、ユルチュクさんは Иль, может быть, еще нежней! じゃなくて、Иль, может быть, еще сильней! 派ですね。原作だと нежней なので、両方 нежней だと思っていたし、実際 нежней で歌う人の方が多いと思うのですが、調べると сильней も出てくるので、完全に間違いというわけではなさそう。どっちが正解なんだ! ご存じの方がいたら教えてください。

 

 それにしても、本当に皆さんオネーギンのアリアの後に拍手を入れる習慣が無い。4回連続で先導担当です。わたしはサクラか。

 わたしはオペラやバレエの最中にやらためったら拍手を入れて謂わば「妨害」するのは好きではないのですが、「手紙」やらレンスキーやらグレーミンは拍手を貰えるのに、オネーギンは違う、となってくると話は別です。

オネーギンに拍手を送ることを義務教育の過程で教え込むべき。習慣は天からの授かり物なので、オネーギンへの拍手を習慣にしましょうね。

 

 1幕3場では、ターニャがショールを忘れて帰ってしまうのですが、オネーギンはそれに気が付いて手に取ります。名の日の祝いでご返却予定でしょうか。それとも、お手紙と一緒にお持ち帰り?

3日目はこのショールを匂いを嗅いでいて、「あ、3幕2場といい、オネーギンさんは匂いフェチっていう設定なの?」と思ったものですが、千秋楽では嗅いでいませんでしたね。今日のオネーギンさんは匂いフェチじゃなかった。性癖日替わりオネーギンさん。

匂いフェチって流石になんか生々しいから舞台上で見るのイヤだなあ。『オネーギン』の売りの一つは、全年齢性なので……。

 

第2幕

第1場

 休憩がなく始まる2幕1場。本当は1幕~2幕の間も半年くらい時間空いてるんですけどね。休憩中、お近くのお姉様方が「長過ぎ~!」と文句垂れ垂れなのが耳に入りましたが、それはチャイコフスキーのせいではなく、演出のせいです。

 

 何度も書いているように、ワルツのリズム感は最高です。何故踊らない? Вы не танцуете, хор? 

オネーギンさんも、サルサを踊ったりグランプリエしていないで、ペリー演出のコティヨン踊ってくれないと困ります。KGL で歌ったということは、彼もあれを踊ったことがあるのだろうか。ほんとに、ヴァレーニエの瓶叩いている場合じゃないんだが?(この音も地味にうるさい)。

 

 合唱も今回が一番良かった……と書きたかったのですが! 確かに序盤は良かったものの、噂話その他などが終わった後の、二回目の Вот так сюрприз! で大幅にオケとズレ出し、ウリューピンさんが一生懸命左手で「こっち見て~~!!」とやっているのが見えたので、ちょっと評価に困る結果になりました。

 

 2幕1場って、主要人物がみんな違うことをしていて、本当にどこ見て良いのかわからないので、今更気が付いたのですが、ラーリナ夫人は合唱の男性にお酒(ヴォトカ?)だけではなく、お金まで貢いでいましたか? え、無駄に羽振りがいいし下品だな……。どうだ明るくなったろう

そういえば、ラーリナ姉妹の持参金ってどんなもんなんでしょうね。

 

 1幕から2幕になっても、ターニャのドレスのデザインはそこまで変わらないのですが、髪型が変わりますね。後頭部に真珠のラインが入るの、とても可愛いです。

 

 演技の話。

今回は、噂話をされたオネーギンが、下手前の椅子にもたれて、皮肉げに笑いながら、その噂話に対して拍手をしていました。え、めっちゃいいな。それ、めっちゃいいです。最高。

過去3回の公演ではやっていませんでしたね、やはり日によってちょっとずつ演技を変える俳優タイプだ! いいぞ!! そういうの好き! ちょっとレンスキー君に演技を教えてあげて欲しい。

 それから、今日は В его душе родили жалость: /  Он молча поклонился ей, / Но как-то взор его очей / Был чудно нежен. Оттого ли, / Что он и вправду тронут был, / Иль он, кокетствуя, шалил, / Невольно ль, иль из доброй воли, / Но взор сей нежность изъявил: (5-XXXIV-6-13) タイプの解釈だった。それも良い。

 

   レンスキーの " Когда смеялась ты кокетничая с ним? " では、4公演とも「本当はこんな言葉使いたくないけど、それしか出てこないよ」とばかりに手をくるくるさせています。頑張れ詩人。それくらいは流石に集中力削がれずに歌えるっぽい。

 

 ハルリコフさん家に住んでいる人の話。

この演出では、珍しいことに、1回目をロシア語、2回目をフランス語で歌います。まあその時点で「なんで?」なんですけど……。やるとしても、普通逆じゃない? というかどちらかに統一したほうが良くない?

 そして、個人的にはちょっと思うところがあって……。あんまり歌われませんが(今回の演出でも歌われませんし)、トリケのクプレのロシア語版2回目には、以下のような一節があります。

Никогда не быть скучна, больна! 退屈も、病も、決してありませんように!

 ロシア語版を歌うなら、絶対こっちでしょ!! と思うのですよね。

というのも、我らが主人公オネーギンの口癖は「退屈 скучно」で、この語はオペラの中でも沢山出てきますし、『オネーギン』という作品の一種のキーワードにもなると考えているからです。

 このトリケの台詞がある種の「フラグ」になり、将来、ターニャがオネーギンと共にいることにしたら、或いはいないことにしたら、「退屈」になるのだろうか、とか、色々考えさせられる起点になると思うのですよね。如何ですか。

 ちなみにトリケのクプレは、ロシア語の文法としてはハチャメチャなので真似しないように(添削するなら никогда не будет скучно になるのかな? 合ってる?)

 

 " В вашем доме " 。まず言えるのは、入りが早いです。

ただでさえ、1幕と比べて2幕は短く、展開も怒濤なのに、そんな間髪入れずに始めなくても、と思います。

ペリー演出の、レンスキーが怒って思いっきり「台パン」した後、合唱も観客も空気が凍って無音になるあの「長い」数秒間、あれは効いていたなあ。ただでさえベルトマン演出の2幕1場はゴチャゴチャ・わちゃわちゃしているのだから、あれくらいのインパクトは欲しい。

 

 今更ですが、レンスキーの коварна и зла! の後のパートを、わたしは勝手に「スーパー聖徳太子タイム」と呼んでいるのですが(他に良い呼び名があれば付けてください)、今回の演出ではカットされています。

 「スーパー聖徳太子タイム」とは何か。

聖徳太子には、「10人の話を同時に聞いた」という有名な伝説がありますよね、そこから勝手に命名しました。

 ここでは本来、タチヤーナ、オリガとラーリナ夫人、(レンスキー)、オネーギン、合唱(7パートに分かれる)が、同時に、別のことを歌います。これぞまさに「スーパー聖徳太子タイム」です。

↑ 該当部のヴォーカル譜。拡大して見てみてください。カオス極まりない。

 この「スーパー聖徳太子タイム」を削る演出は結構多いです。確かに、これだけの人数が同時に別のことを言っていたって、ロシア語ネイティヴだとしても聞き取るのはまず不可能です。ではどういう処理がされているのか、というと、合唱のみが歌うことになります。それならなんとかなるということなのでしょう。

 皆様は「スーパー聖徳太子タイム」が有るのと無いの、どちらがお好きですか。

 

第2場

 1幕2場序曲がとてもよくなった、それは即ちどういうことか。

そう、2幕2場序曲も素晴らしくなる、ということです! チェロ隊、よく頑張った! そしてコンバス隊は今日も絶好調です。

 

 さて、ラダメソヴィチ君です。今度からイタリアな血を継いだレンスキーが現れたらこれを標語にしていきたい。流行らせよう(?)。

 

 アンティペンコさんのレンスキーが巻き起こした反響は、今回の上演の中でも特に興味深いものでした。今回が最終回なので、ちょっと長めに言語化してみます。ほんとに長いです。皆様の「理想のレンスキー」をここで問います。

 それはつまり、その観客が「オペラ」が好きなのか、「ロシアオペラ」が好きなのか、ということが、彼への感想によって明確化された、ということです。

 

 確かに、彼は声が強く、大劇場でもよく響きます。朗々と歌い上げる様は、「オペラ」好きには頗る高評価を得ていました。

 一方で、わたしを含めた「ロシアオペラ」好きは、初日から、「イタリアオペラ?」「ロシアオペラではない」「 Что が気持ち悪い」などと、かなり不評。

こうして、彼のレンスキーは「オペラ全般が好きなのか、ロシアオペラが好きなのか」を明確化する、リトマス試験紙と化したのでした。

 

 明るい声で朗々と歌われたら、それはもうレンスキーではないんですよ。

 わたしは常日頃から言っていますが、レンスキーのアリアはリリコ系テノールなら誰でも歌っているメジャーアリアに見せかけて、きちんとこなすのは意外と難しいと考えています。

 チャイコフスキーの全オペラの中でも最高と言える名旋律を歌う技量を求められることは勿論、「死を目前にした辞世の句を詠うという情感」「激情的でありながらもオネーギンに敗北する弱々しさ」「18歳の少年の青さ」「それでもロシアオペラ的な "暗さ" 、或いは "重さ" 」の全ての要素を内包していないと「ヴラジーミル・レンスキー」というキャラクターとしての説得力が生まれないのです。

矛盾しているとも思えるようなこれらの属性を全て統合するのは、至難の業と思われます。

 

 「そこまで言うなら、茅野の考える "お手本" は誰?」という質問を多く受けます。その疑問はご尤もです。

回答としては、わたしはここ暫くはバンジャマン・ベルナイムさんを挙げています。上記の要素が全て揃っているかを確認しながら、一回聴いてみてください。如何でしょうか。

↑ 今をときめくフレンチテノール。いつ全幕レンスキーやるんだ~。やるなら遠征検討したいまである。

 まず何より、歌唱に感情を乗せるのがめちゃくちゃ上手い。歌曲ではなくオペラアリアなんだということがよくわかる。怒りがあり、悲しみがあり、諦念があり、そしてそれをどの音・歌詞に乗せるべきかわかっている。ちゃんと「辞世の句」だと伝わる。演奏会形式でも、しっかり「レンスキー」だな、と感じます。かなり解釈一致度が高い。

素晴らしくリリックな声質ですが、やたらめったら明るいわけではなく、ナイーヴな役柄向きな、絶妙な暗さがレンスキーによく合っていると思います。

 確かに、ちょっと母音がフランス語訛りですし、 готовит / ловит の語末の子音が消えていたり、 ь の音が弱かったりなど、言語の壁が少し残り、他にも気になる点がゼロではないんですけど、その辺りの課題を差し置いたとしても、声質・技術・歌い方などを合わせた総合評価としては、非常に高水準だと考えています。あとは良い発音指導者に出会い、鼻母音っぽくならず、ロシア語らしいクリアな母音が出るようにさえなれば、間違いなく現環境最強レンスキーの座を狙えますよ。あと、この動画はオケと録音の質がとてもいいので、人に勧めやすいというのも割とある

声質がよく合っていたり、ロシア語ネイティヴでも、「なんでそんな歌い方しちゃうの?」みたいなテノールは結構いて、総合評価でこれに敵うレンスキーを探すのはかなり難しいと思いますね。

 

 勿論、何か「正解」があるわけではないですし、歌手の話になるとかなり聞き手の好みが出るので、何とも言えませんが、一意見として。同意を頂けたら嬉しいですね。

 歌手は全然詳しくないので、絶対に譲れない「私のレンスキー」がいらっしゃる方は是非とも紹介してください。勿論、これからも色々開拓していきたいです。

 ここから細かすぎて伝わらない選手権上級編:キャスト表を物色する限りだと、最近モスクワではレッジェーロ寄りのレンスキーが流行りっぽいですね。確かにボグダン・ヴォルコフさんは評価されている通り、かなり良いと思う。アレクセイ・タタリンツェフさんは10年以上前の歌い方はとても好きですが、最近はあんまり宜しくない。パーヴェル・ペトロフさんは同姓同名のオネーギン歌いの方が好き。イリヤ・セリヴァノフさんは歌うとき力みすぎだが、声質は合っていると思う。ヤロスラフ・アヴァイモフさん、スタニスラフ・マスタヴォイさんはレンスキーにはレッジェーロすぎると思う。個人の感想です

 

 「良いお手本」例を出したところで、言い方失礼すぎますが、続けて「悪いお手本」を観てみます。

初日のレビューでも書きましたが、ロベルト・アラーニャ御大のレンスキーはめちゃくちゃ面白いです。完全にお笑いです。元祖「ラダメス=レンスキー」。マジで「出オチ」動画なので、自室など、急に笑い出しても不審にならない環境で観てくださいね。

↑ 何回聴いても最初の Что で吹き出してしまうwww 他にも無限に突っ込みどころ満載なんですが、まず出オチすぎる。テノール各位は忘年会のネタとして、「アラーニャ御大のレンスキーのモノマネ」をレパートリーに入れよう。

 こんなに歌が上手くてもズッコケそうになるの、最早カルチャーショックの域。絶対に笑えるので、元気がないときによく観てます、逆に。これは凄いですよ、レンスキーとしてやって欲しくない歌い方、役満

 ご理解頂けますでしょうか、ベルナイムさんのレンスキーと、アラーニャ御大のレンスキーの違い。嘘ではなく、ラダメス役やサムソン役に関してはアラーニャ御大が一番好きと言っても過言では無いのですが、でももう何をどう間違ってもレンスキーではないですよねこれ。ロシアオペラの「ロ」の字もないよ。

 アラーニャ御大のレンスキーを聴いて、何の疑いもなく「最高のレンスキー!」と感じるようなら、それはちょっと、真面目に『オネーギン』研究をやり直された方が宜しいかと思います。「それでも好きだ!」という感情は勿論否定しませんが、好き嫌いの問題ではなく、役柄に合っている合っていないの問題です。合ってないです、間違いなく。

 イタリアオペラにはイタリアオペラに即した声質や歌い方があり、ロシアオペラにはロシアオペラに即した声質や歌い方がある、ということです。

 

 それで、アンティペンコさんのレンスキーは、ここまで極端ではなくとも、でも圧倒的にアラーニャ系列なんですよね。ラダメソヴィチ君。 Что の入り方も、「真似した?」ってくらい近いです。

あれを「甘く切ない」とか言われてしまうと、頭の中がクエスチョンマークで一杯になります。先入観と旋律に騙されていませんか? 完全にオネーギンを撃ち殺す気満々で、意気揚々とオリガの元に戻って " Vittoooriaaa!!" って叫ぶタイプだと感じたけど。

 ペテルブルクの育ちで、どうしてそんなにイタリアオペラ感が出るのか。逆に凄い。

「ロシア人だからロシアオペラが上手い」ってわけでは全然ないんですね。やはりネイティヴには敵わないと思っていたところがあったので(しかもそれも国民的文学/オペラの『オネーギン』なわけで)、興味深い発見でした。ということは、裏を返せば、非ロシア語圏の我々にもチャンスがあるということですよね。頑張りましょう。

 

 今回の記事を書くにあたって、改めて色々な人のレンスキーのアリアを聴いてみたのですが、やはりこの Что день грядущий мне готовит? という入りは相当に難しいらしい。

大体、Ч で約6度下(シ、B 辺り)の音を一度引っかけるか、初っぱなから ff で入ってイタリアオペラ化しています。「綺麗な Что 選手権」とかやったら面白そう(?)。

 確かに、ここって楽譜をよく見てみると(※綺麗な最新版のヴォーカルスコアとかだと何故か削られていることもあるので注意)、a piena voce という指示があるので、ある程度語気強めというか、声量増し増しで歌うこと自体は間違いではないんですよ。でも塩梅ってものがあるし、情感を大切にして欲しい。

 他にも有識者のご意見などを伺って回ったら、「ロシア化」のコツは、母音とヴィブラートのかけ方にある、というお話もありました。確かにそうかもしれない。イタリア的な、うおんうおん言うような振れ幅の大きいヴィブラートのかけ方はロシアっぽくない。でも今回のレンスキーは正にそれ……。

 今後のレンスキーのアリア鑑賞の際に、この「違い」を参考にしてください。

 

 あと最後に細かいことを言うと、最初の златые дни~~~~ッッ!? みたいな終わり方も好みではないかな……。あとは、 Все благо; の下げ方が好きではない。благэ に聞こえる。あ、もしかして о の音苦手?(ウダレーニエないけど)

 

 ザレツキーは、史上最強に聞き取りやすい седьмой ведь час! です。

ここだけの話(?)、わたしここの台詞ずっと седьмой уж час だと思ってました。だってここ、уж じゃないとその後の уж нас と脚韻踏めなく無いですか。

それなのに、なんでわざわざ ведь に変えたんだろう。ご存じの方は教えてください。

 

 あと細かすぎて伝わらない選手権をやると、ヴィタリ先生ザレツキーの Позволю я не как-нибудь, はめっちゃ好き。オネーギンボイスでも、頑張ってザレツキーにしようとしているのを強く感じる。もっと強気でいってトリケを追い出してくれ。

手拍子は日に日によくなっていった印象。手袋でやると、乾いた音が出ないんだろうな。

 

 仕方がないから言及しますが……、まずは字幕の話。

歌詞は変えずに、Вот он: Monsieur Gillot! になっています。英語字幕でも Monsieur Gillot です。

しかし日本語字幕では、「私の介添人はフランス人です」になっていて、これは大いに違和感を覚えます。

まあ、確かに Monsieur Gillot も Monsieur Triquet もフランス人ですから、間違いではないですが、人を紹介する時に、名前も言わず、単に「○○人です」とだけ言うってかなりおかしくないですか? なんか人種差別っぽいまである。「あ、この人はフランス人です笑」。しかもこんな演出だし、なんというか、フランス人に何の恨みがあるの? と訝ってしまいます。

 オペラしかご覧にならない方には知られていませんが、実はオネーギンの実質的な育ての親とも言える家庭教師はフランス人です。従って、祖国戦争を経た後で、イギリスのモードを追う紳士だったとしても、オネーギン個人の心情としては別に反仏ではないんだろうな、とは思うんですよね。

 チャイコフスキーの作品も担当したバレエ振付家マリウス・プティパは、スペインが嫌いで、彼の作品ではスペイン人ばかりが悪役を担っている話は有名ですが、同じような形で、ベルトマンさんはフランスがお嫌いなのかな? とか勘ぐってしまいます。

↑ バレエの考察もたま~に書きます。良い題材あったら振ってくださいね。

 

 「何か」を視界に入れたくなかったので、この辺りあんまり舞台観ないようにしていたんですけど、シルクハットのオネーギンさんはカッコイイです。ほんとうに原作の挿絵みたい。

↑ 完全に一致。

 

 二重唱。

日によって指揮の指示出しが結構異なっていましたね。今日は指さしで明確にティンパニのリズムを取っていました。ここ、レンスキー・オネーギンだけではなく、ティンパニも相当緊張しそう。

↑ ここのカノンもまたオシャレ構造すぎますよね。

 

 また、少し気になったのは、銃の撃鉄を下ろす音が凄くハッキリ聞こえることですね。そんなに前方の席でなくてもよく聞こえます。

あまりにギリギリギリ……という音がするので、一瞬リボルバータイプかと思ったくらい。形状は見た感じちゃんとピストルでしたね。ちゃんとル・パージュのレプリカ持ってきた?

 

 聞こえてはいけない何かに関してなのですが、3日目はかなり声が抑えられていたように思う。漸く邪魔であることに気が付いたのか……と思ったら、千秋楽で何故かボリュームアップ。何故だ。本当に要らない。心の底から要らない。ストーリーと音楽の邪魔すぎてこちらが泣きそう。ウリューピンさんの指揮こんなに良いのに。

ていうかそんなに無駄に声が出るならクプレもうちょっと頑張ってくれ。

 

第3幕

第1場

 みんな大好きポロネーズです。

勿論、ポロネーズに関しても今日が一番良かった。オケの成長は凄い。今日は前3回よりも、弦がレガート気味で、それがまた良い味を出していました。鋭い金管との対比になっている。

 4公演とも、ポロネーズの謎ダンスはあんまり観ないようにしていたのですが(集中力削れるので)、多くの人が「2023になってから、扇風機の音よりも衣擦れの音の方が気になる」と指摘されていて、確かにな、と思いました。なんかもう、その辺りは最早諦めていた。

まあ、お予算がないのだと思うのですが、もう少し宜しい素材のドレスを着せて差し上げたら……と思いますね。めっちゃカサカサいってるので……。

 

 珍しく演出の褒められるポイント。

ちょっと露骨すぎるとは思いますが、オネーギンの登場シーンはいつも、弦の低音がメロディラインを取った時です。

つまり、3幕2場では、ポロネーズのここですね。

 クランコ版の『即興曲』と同じ効果ですね。

 

 さて、演技面が殊更絶好調のオネーギンさん。今日は前3回よりも更に精神が参っていそうな解釈に。完全に PTSD を患っていました。フラッシュバックしてそうだったし、それがまた精神的にキツそうだった。流石に観客にも同情して貰えるのではなかろうか。

 

 チェロ隊がよくなったということは、3幕に於いて改善されるのはポロネーズの中間部だけではありません。

エコセーズのヴィオラ・チェロの内声もめちゃくちゃよかった。ここ好き。

↑ ここよく聞こえた。よかった。

 

 合唱の歌詞違うよ問題。

やっぱり" Вот та, что села у стола. " が " Вот та, которая пошла. " になっていますね、最後に確認できてよかった。「なんで合唱の台詞まで覚えてんの」とまあまあ引かれた。

 いや、流石にわたしも丸暗記している自信はないんですよ。

初日の時点では、まず演出を再確認して、そのときに「座っていないのに села у стола という歌詞は処理しなかったのだろうか。字幕は変えてきているけど」とちょっと引っ掛かったんですよね。2日目、改めて確認して、「やっぱり歌詞が変わっている」と思い、3日目、歌詞が которая пошла だと確信、今回は確認でした。

 ここ、人に説明するとき、裏拍から始まるのもあって意外と歌いづらくて笑いました。実際、что села у стола よりも которая пошла の方がずっと言いやすい。

 千秋楽にご一緒する有識者各位に、「ここ注意して聞いていてくださいね!」って言ったのに、結局検証やったのわたしだけみたいで、ちょっと寂しいです!!

まあ、いずれ放映(配信?)されるとは思いますので、その時にでも。

 内部の方がもしこの記事を読んでいたら、こっそり答え合わせして欲しいかも。宜しくお願いします。

 

 グレーミン公爵。

「だ~れだ!」ってやるのあざとくて可愛いですよね。これは幼少期に一緒にイタズラして遊んだ仲の良い親戚ですわ。よかった、エヴゲーニー君の幼少期のオネーギン家は推定父子家庭、且つ父との関係も良好であるようには見えないのですが、孤独に育ったわけじゃなかったんだね!! そんな義兄弟的な二人が同じ女性に惚れちゃうのは血なのか環境なのか!

 アリアに関しては、文句ないです。以上です。いや、本当に書くことが無い。ケチの付けようがないし、全面的に「ここが良かった」ポイントみたいなもんだし。

 わたし、地味に実演で「ハズレのグレーミン」に出逢ったことがないので、毎回勿論ちゃんと聴いているんですけど、「今回もよかったなあ、100点出せるよ。完。」になっちゃうんですよね。いつか「ハズレのグレーミン」に出逢ってこれまで出逢ってきた「正解」の良さを噛みしめたい。いや、出逢わないに越したことはないけど。

みんなグレーミンの批評どうやって書いてるんですか?

 今度は『ボリス』で来日して欲しいですが、新国のあの演出をもう一回観るのはイヤすぎる。わたしは『オネーギン』が好きだから、『オネーギン』の演出が気持ち悪いのは許せないけど、客観的に「観ていられない演出ランキング」なら、『ボリス』の方が数段上だよ……。

 

 今回は纏めの最終回なので、一応改めて書いておきますが、オネーギンがニコライ1世とアレクサンドル1世の肖像画にお辞儀するのは、絶対に有り得ません。何があっても有り得ません。

ベルトマンさんは、『オネーギン』第10章、読んだこと無いんですかね。流石に10章はロシアの公教育でも必修ではないのかな? でも『オネーギン』の演出を何回も手がけるような方が読んでいないなんてことは有り得ないですよねえ?

いや、「体制派のオネーギン」、完全にキャラ崩壊ですよ、いいですか。些末な問題ではなく、それは根幹の改変です。笑い事ではない、重く受け止めて欲しい。

 

第2場

 漸く最終場まで来ました。流石に今回は書くの時間掛かりましたし、疲れました。最後まで完走しましょう。

 

 容姿端麗で非常に演技派、特に千秋楽の今日は磨きが掛かっていたオネーギンさん。

一方のターニャも、今日は一番役柄に入り込めているように見えました。声も一番響いていたし、情感も豊かだった。3幕2場に関しては、公演を重ねての改良が顕著だったように思います。

 

 だからこそ、なのですが……。

オネーギンの「物足りなさ」が、ここで漸くわかったんですよね。千秋楽の3幕2場でって、流石にギリギリすぎませんか!? いや、危ないところだった。

 オネーギンさんは、アリアはあんまり感情乗せなくて良いですし、作品を通して超絶技巧を披露できるポイントもないので、基礎ができていれば、綺麗にサラッと歌えてしまいます。だからこそ、「タチヤーナでもなく、レンスキーでもなく、オレがタイトルロール、主人公だぞ!」という自己主張をするのが非常に難しい役でもあります。チャイコフスキー御大の鬼畜!

 ユルチュクさんは、声質はオネーギンに合っていると思うし、歌も別に特別おかしいポイントはないです。細やかな演技もお上手。ついでに、容姿も挿絵から出てきたようで、オネーギン役に似合うと思う。

しかし何かが物足りない、この「足りなさ」の原因は何か?

 結論としては、歌唱に於ける演技がお上手ではない……、ということですね。

 

 前述のように、ユルチュクさんは、ビジュアル面は完璧にオネーギンにハマっています。そして、身体面の、細やかな演技が本当に素敵なんです! 今最も演技が上手いバリトン説は充分ある、冗談抜きに。

だからこそ、我々はその視覚的効果に騙されていたのだと思う。

 3幕2場、もし目隠しして、ピアノ伴奏で聴いたら、相当棒読み歌唱に感じると思うんですよね。

 

 オネーギンのアリアは、確かに、別にそんなに感情を乗せなくてもいいです。淡々とお説教をしてくれても構わない。しかし、3幕2場はそういうわけには参りません。哀願して、怒って、歓喜して、絶望してくれないと困ります。

 ユルチュクさんは、実は、歌唱に感情を乗せるのが恐らくそんなにお得意ではないのだけど、その分、細やかな演技がオペラ歌手の中でも類を見ないくらい上手いので、それで誤魔化せちゃうんですよ。歌は歌曲的でも、動きでほぼ完全にカヴァーできている。舞台俳優としてもやっていけるよ、これなら。

 しかもロシア語に強いから、早口なパートも引っ掛かったり違和感を覚えることも無く、サラサラと歌えてしまう。その「サラサラ歌えている」というのは何かというと、良く言えば欠点なく、基礎ができていて、お上手ということではあるのだけど、悪く言えば、心に訴えかけるものがない、ドラマとしての完成度が低いということ。

 だから、実は歌と動きを切り離して見ると、その差に結構驚くはずです。いや、目隠しして観たわけではないから断言はできませんが。

 

 最終日、ターニャが殊更情感豊かに仕上がってきたので気がつけました。ありがとうございます。

いやしかし、年がら年中『オネーギン』ばっかり聴いているわたしを、3回も騙せたのは凄いな。ほんとうに、それだけ演技が上手いということだ。お見事。

 

 すっきりしたところで、もう少し細かい話をして終わりにします。

ターニャのお説教パートの最後、 Вам соблазнительную честь? 、なんというか、聞き分けの悪い小さな子に少し強めに言い聞かせているような歌い方で、個人的にめっちゃツボです。好き。

 

 ターニャが本をオネーギンに差し出し、О, не гони, меня ты любишь! ~ の下りでオネーギンが上手側にそれを放り投げる演出。

いや、本投げんなし、というか、本を放り投げるような男、元文学少女のターニャは嫌だろ、とか思ったりしますが本をビリビリに破く演出とかもあるから、それよりはまだマシかもしれない

 結構日によって投げるタイミングが異なります。

あまりにどうでもいい話なのですが、歌詞を知っているにも関わらず、2日目、И знай: тебе я послан Богом. で投げていたことから、一瞬だけ「ボーグ」だからここで投げるのか、とか謎の早とちりをしかけました。

「ボーグ(bog)」が「本」を意味するのはデンマーク語ですので……、またロシア語とデンマーク語混ぜてる……。ロシア語の「ボーグ(Бог)」は「神」です……。いや、「ボーグ」って言いながら「本」投げてたら一瞬混線するじゃん……。言語によって、同じ発音で「本」と「神」という全く異なる意味になるの面白いなあ……、本と神という組み合わせ、なんかイスラームっぽい……。……はい、混同しないように語学やります。

 

 シウリーナさんターニャは、初日からかなり歌いづらそうに " Прощай навек! " を歌っていましたが、今日は成長を感じましたね。四日間だけでしたが、見守れてよかったです。

 

 この演出では、最後にターニャがオネーギンにキスしてから去るのですが、二人に身長差がありすぎて、オネーギンの唇まで到達できない日もしばしば。

やっぱり身長差カップルって大変なんだな……などと余計なことを考えました。お姫は偉大だ……。

 

 謎が解けたオネーギンさん。というわけで、" Позор!.. Тоска!.. О жалкий, жребий мой! " は、別に発声などは何も問題ないのですが、やはりもっと更に情感が欲しいと感じましたね。歌唱にも激情が乗れば、名実というか、歌演技共に良いオネーギン歌いになれると思いますよ。

 

 過去3回では三連符が丁寧だった最後の最後のウリューピン棒。今日は、千秋楽という環境に煽られたか、いつもより加速激しめです。

わたしはこの最後まで丁寧な三連符が気に入っていましたが、うーん、これはこれで!!

でも、フラ拍フラブラは許さないぞ!! ちょっと落ち着け?それだけはわたしに言われたくないと思うけど

 

 以上、公演評でした!!!

 

幕間・終演後の話

 ……もうちょっとだけ続くんじゃよ。

 

 幕間と終演後には、パンフレットも担当されていた山本先生に会えました! よく zoom や discord ではご一緒させて貰っていたのですが、対面でご挨拶できたのは初めてで、めちゃくちゃ嬉しかったです!!

直接パンフレットの感謝ができたのもよかった。わたしは先生の担当された箇所は限られた文字数の中で必要充分な知識が得られて、とても優れていると思います。

 また、現地ロシアで『チェレヴィチキ』を聴いた話などをしてくださって、とても興味深かったです。わたしもオクサーナのアリア聴きたい~~。

 

 そして、新国バレエにはよく通っていらっしゃるものの、オペラはご新規さんな相互さんとも会えました。

「良いオペラ公演情報があったら教えてください」と言われたときに、「いや~、わたしはこれ(『オネーギン』)が一番好きだからなあ……」と返したら、「「知ってるよ!」」と総ツッコミを食らって面白かったです。知られていた。まあ、知らない人いないか。

 今やっている『ドン・パス』はすっごく評判いいですよ! わたしはちょっと、『オネーギン』で体力使い果たしたので、今回はパスしますが……ドン・パスだけに。公演日近すぎなんだよお……。

 

 また、『イーゴリ公』限界オタクでお馴染みのロシアオペラ愛好家仲間の飯盛さん、新国『オネーギン』で会うのは3回目、我らが三島先生にも勿論会えました!いつも仲良くしてくださって大感謝です。

 終演後に「いや、ここさ~!!」とか言いながらフルスコア引っ張り出すのめちゃくちゃ楽しかったです。オタク仕草。

 

 今回の三島先生のレビューも最速且つ最高ですので、絶対読んでくださいね!!

↑ いつにも増して大共感。もうパクリって言われるんじゃ無いかというくらい同感で、記事の書き方迷ったレベルです。

 「先生(ではないけど)がいるからオネーギンがさらに楽しくなります。」とか、ね、人生で言われて一番嬉しい言葉ランキング更新ですよね、こんなのね。自分の好きな人やら作品に貢献できることが何より嬉しい生き物ですからねオタクはね。本当にありがとうございます。

 

 また、ご挨拶し損ねましたが、2日目にバックステージツアーで親しくなった同志も、急遽「追い『オネーギン』」してくださったみたいで! 嬉しい!!!!

みんなで『オネーギン』観ましょうね。

 

 更に更に、DM などで、「茅野が観ろ観ろとうるさいので、今回『オネーギン』でオペラデビューしました!」とか、「はじめてのロシアオペラですが観に来ました!」みたいなメッセージを多数頂いております。マジか。影響力あるんかわたし。『オネーギン』だけは割と集客に貢献できるらしい。

 心から、ありがとうございます! 『オネーギン』をお気に召して貰えたら嬉しいですね。次は気軽にご挨拶してください。

 直に送って頂いて構わないので、感想も聞かせてくださいね。言及はなんぼあっても良いとされているので、Twitter では、検索避けしていない限りは全部監視しています。Google だと、「新国 オネーギン 感想」みたいなワードで検索を掛けると、弊ブログが一番上に出てきてしまう異常事態が発生していますが、他の方のブログも勝手に読んでますので。わたしは Facebook という SNS が好きではありませんが、『オネーギン』の感想には代えられないので、そっちでも追ってますんでね。逃げられないと思って、送ってください。

わたしは確かに限界オタクですが、排他的じゃないので。怖くないので。単なるオタクなので。お気軽に『オネーギン』の話振ってくださいませ。宜しくお願いします。

 

 どうしても匿名が良い方はこちらからどうぞ↓。

 

総括

 いやー、遂に終わってしまいましたね、新国『オネーギン』マラソン

長かったような、短かったような。いや、この記事を書くのには大分時間取られております、はい。わたしにとっては、この記事を投稿し終えるまでがマラソンなのでね。

 

 あの演出が本当に嫌いで、ある種苦々しい思いをして公演日を待っていましたが、蓋を開けてみれば大分改良されていて、その点は少し安心しました。「誰にでも勧められる名演出」とは絶対に言えませんが、それでも改善は見られました。まずはそこを評価しましょう。

 4回観たので、不愉快な点に関しても大分慣れてしまった気がしますが、いやでもこの不快感は忘れちゃいけない。宜しくないものは宜しくない。

特に改善するべきなのは、①バイニュを入れないこと、②扇風機、ヴァレーニエの瓶を叩く、衣擦れなどの雑音、③2幕2場のトリケ、④オネーギンが皇族の肖像画にお辞儀すること、の四点。

他にも気になる点は色々ありますが、とにかくこの4つがなんとかなれば、かなりストレスフリーにはなるはずです。これらはちょっと譲歩できないポイントだな。直るまで言う。

 

 今回は、何よりもウリューピンさんの指揮が最高でした。これはほぼ満場一致で MVP を進呈できるのではあるまいか。よく楽譜を研究しているのがわかるし、繊細で、丁寧で、美しい。

最初はオケが着いて行ききれていない面が目立ちましたが、千秋楽にはとてもよくなりました。

指揮に関して言えば、過去に鑑賞した『オネーギン』の中でも間違いなくトップクラス、順位を付けるものではないですが、過去一を更新できるレベルです。

 他の演目ではどうなのかわかりませんが、彼はまた是非積極的に招聘するべきです。わたしのみならず、今回で彼のファンになった人はとても多いはず。

というか、まずは『オネーギン』の CD 出してくれ。

 

 歌手陣に関して言えば、シウリーナさん、アンティペンコさんを中心に、少しキャスティングミスは感じます。「この歌手ひっどいな! 二度と呼ぶな!」みたいな人はいませんが、役柄に合っていないという意味で、キャスティングは再考の余地があるでしょう。

次はシウリーナさんはモーツァルトで、アンティペンコさんは『アイーダ』で呼んでください。

 

 このような情勢の中、出演者はロシア人とウクライナ人の混合キャスト。

特にタイトルロールのユルチュクさんは、SNS の自己紹介欄に「Help Ukraine!」と入れていたり、チャリティコンサートによく出演されていたり、大分愛国心があるご様子。

そんな中で、帝政時代やソ連時代は同じ文化圏だったとはいえ、「ロシアの国民的文学の第一のヒーロー」を演じてくださるとは、これは凄いことですよ。

いい加減平和になって欲しいものです、ほんとうに。

 

 今回は、どうやら、ロシアオペラというか、『オネーギン』にしてはかなり集客に成功していた様子。であれば、公演日もう一日くらい増やしてくれたら嬉しいんですけどねー。『くるみ』3回削って、『オネーギン』1回増やさない? いずれにせよチャイコフスキーだし。だめですか。

 

 総括としても、こんなところでしょうかね。想像以上に楽しめました。個人的には満足です。

また新国にはどんどんロシアオペラをやっていってほしいですね。但し、演出家は選んでな!!

 以上です!!!!

 

最後に

 通読ありがとうございました。聞いて驚いてください、に、2万7000字……。いや、わたしがまず驚いているのですが……、流石にわたしとしても、最長公演評記事ですね……(他のジャンルの記事ならもっと長いものがあるから意味不明である)

途中で大分話が脱線したとはいえ、公演評でここまで長文書く人間います? いたら友だちになりたいです……。

 

 さて、次の『オネーギン』は、グリゴリアン様の来日コンサートになりますかね! U25 取れるといいんですが!

↑ 二回しかないし、普通に二回とも行こうとは思っています。

 演奏会形式でいいから、全幕やってくれてもいいのよ……!!!

 

 『オネーギン』の公演情報を集めています。スローガンは「全ての『オネーギン』情報を茅野へ」です。

流石に『ポロネーズ』一曲くらいだと、演奏機会が多すぎて追い切れませんが、レンスキーのアリア1曲くらいでも、歌うとなったら連絡を下さい。行きますので。宜しくお願い致します。

 

 さて、『オネーギン』公演評から弊ブログを知ったという方も結構いるようなのでマジでこんなえげつない長文記事読む人がいるんですか? 怖いわ~、ブログの更新に関してですが、次回の記事はまたオペラのレビュー、 MET ライブビューイングに行きたいな、と思っております! この記事を脱稿できたら行けるはずだ。だ。

 『オネーギン』以外の演目では、流石にこんなに書きませんから。安心してください。3000字から、長くても8000字くらいには収めてますから。

あんまり期待せずにお待ちくださいませ。

 

 それでは、今回は流石に長くなりすぎましたので、ここでお開きと致します。『オネーギン』ファンが増えることを願いつつ、また次の記事でもお目に掛かることができましたら幸いです!