世界観警察

架空の世界を護るために

3.11から10年、ポケスペ4章を再考する

 こんばんは、茅野です。

ダイパキッズの皆様、リメイク発表おめでとうございます。涙に暮れるエメラルドキッズがここに! ……ORAS やったでしょ、って? いえいえ、これ(画像参照)を見ないことには、エメラルドキッズは救済されたことにならないので……。バトルフロンティア無かったし……。我々にとってのチャンピオンはミクリ師匠だし……。宜しくお願いします。

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↑ ポケモン史に残る伝説の名(迷)シーン。

 

 筆者は普段はインディーズゲームや古典文学などのマイナージャンルの極北を根城にしている考察書きなのですが、最近は紆余曲折あって最大手ジャンルに参入しています。

 先日なんかは、最大手ディズニー映画の考察記事を書きました。

 その一環で、リアルアローラ地方の神話の再履中、「そうだ、そういえば14章まだ読んでないな……」と思い、大人買いからの一気読み。初めて電子書籍版で購入したところ、その利便性に驚愕、電子書籍版でスペを買い集め直すという豪遊ぶりを発揮。何度、「我ながら何をやっているんだ?……」と思ったことか。よくあることだ、気にするな(自己暗示)。雀の涙で恐縮ですが、印税で日下秀憲御大に美味しいものたべてほしいです。

 

 14章、読んだんですが、いや、これまた青少年に「よこしまなヘキ」を植え付けようという悪意善意を感じますね! (伏せ字)触手脳姦快楽墜ちかぁ、すごいや!(白目)

(伏せ字)マミられるルザミーネママと(伏せ字)菩薩漂白グズマさんで新しい扉を開きそうになったので、全力で逃げてきました。いつものスペで実家のような安心感。

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↑ 正にこれ。

 折角リアルアローラ地方の神話の知識を蓄えてきたので、余力があれば本家ゲームの考察を1本書くかも知れません。そのときはどうぞよしなに……。

 

 要らない前書きが長くなりましたが、今回はスペ4章について、ゆるい雑談を交えつつ、軽く考察もします。普段よりゆるめにいくので、肩の力を抜いてお楽しみ頂ければ幸いですね。相当長いです。それでは、お付き合い宜しくお願い致します。

↑ つべこべ言わずに読んだ方が良いです。4章は15-22巻。大人買い推奨。

 

 

筆者の履歴

 ポケスペの記事を書くのは初めてなので、一応簡単な履歴を貼っておきます。テンプレお借りしました。ご興味ない方はこの節は読み飛ばして下さい。

 年齢的にはダイパ世代ドンピシャのはずなのですが、RSをやり込んでいた3つ上の従兄の影響でポケモン入門が早く、エメラルドキッズに。

 

 当方、基本的にキャラクターをあまり好きにならないタチで、ポケモン / トレーナー含め特に推しがいません。「世界観警察」なるブログ名から察せられる通り、「物語の舞台空間そのもの」を愛好するオタクで、そういう意味合いでも、やはりホウエン地方が好きですね。

 ゲームの方では、対戦はあんまりやらないのですが、色毒統一を組んでたまに潜っていました。耐久に振って、状態異常をを撒いて、積んで守って眠ります。相手を倒した方が勝ちなのではない、生き残った方が勝ちなのだ……。NO MORE 地震

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↑ わかる!!!!!!!!!!

 

 スペは、「よこしまなヘキ」を持つネット上の知り合いから、「狂え」という強迫文書と共に22巻が自宅に送りつけられたのが出逢いでした。そんな出逢い方をするのはわたしだけでよい。その後4章自力で買い揃えました。察して下さい。結局4章が今でも一番好きです。4章はいいぞ。

 リアルイッシュ地方に留学していた際、友人と英語版を買いに行ったりもしましたね。中部のクソ田舎にいたのですが、本屋にポケスペだけの棚があったりして、世界中で愛されているんだなぁ……としみじみ感じたり。

 

 当方、普段全く漫画を読まない人間なのですが、それでもスペが好きなのは、ひとえに日下秀憲御大のストーリーテリングの技術の力に他なりません。すきだ……。純粋に尊敬しています。壁に手書きの「美しい物語」「伏線回収」「辻褄合わせ」を貼っているシナリオライターですよ!(スペディア参照)。信頼しかないに決まっているじゃないですか。物語構築に興味がある人は割と真面目にスペ履修した方が良いよ……。

 

 考察書きとしての活動期間もそこそこ長い身なのですが、ポケモンの考察は書いたことがありません。というのも、ポケモン界は「考察」よりも「都市伝説」の方が盛り上がっていた印象が強くアカデミック寄りのアプローチを好む当方としては、全くファン層が相容れなかったので、寧ろ敬遠していました。わたしがインターネットに入り浸り始めた頃は、所謂「pixivレッド」とか「レジ原爆説」なんかが最盛期の時代で、当時はこの界隈で何か書くことはないだろうな……とおもっていました。どうしてこうなった。お手柔らかに宜しくお願いします。

 

 以上、どうでもいい自己紹介でした。そろそろ真面目な話に移りましょう。

 

災害物語としての4章

 未曾有の災害に如何に立ち向かうか。災害大国の日本にとっては馴染み深いテーマを、ダイナミックな筆致で描き出す4章は、災害物語としての側面を持ちます。MFW(My First Wide)版は正に2011年3月に発売されたこともあり、日下先生は以下のようなツイートを残しています。

 ↑ 流石先生! という気持ち半分、そんな先生に貢ぎたい……という気持ち半分。

 

 災害に対して、マクロな視点(ポケモン協会らによる作戦会議など)、ミクロな視点(ヒデノリによるコイキチ少年救助など)の双方が描かれることが魅力的です。更に、主人公らの決戦のみならず、別の場所(ニューキンセツなど)での人命救助、マスメディアでの報道、災害復興などが描かれており、災害物語×群像劇としては、抜群の完成度を誇ります。

 

協会による統治

 わたしは研究会で国際政治を学んでいる身なのですが、まあスペ4章のポケモン協会の無能っぷりは凄いですね。3.11の記憶も薄れ始めてしまっている今、コロナ禍の対処の仕方がニュースを賑わわせているわけですが、この無策ぶりは某国政府を彷彿とさせますよね。危機への対処が遅すぎる。そしてジムリーダーの会議が信じられないほど下手。こういうときは協会がイニシアティヴを取って議事進行をするべきではないのか。11章のシャガ市長の爪の垢煎じて飲んで欲しいわ……。

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↑ かっこよすぎる。

 児童向け漫画にして、しっかり政治を描いているというのはそれだけで好感を持てますね。内容は悲惨そのものですが。

 

 ポケモン / ポケスペの世界って政治や法ってどうなっているんでしょうね。スペの場合は、ある程度協会が担っているのかなという気がしますが、企業の力も現実より大きそうな印象です。15章では、創人くんが以下のように述べていることから、少なくともガラル地方では「公的機関」が存在していることがわかりますね。

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↑ 創人くん、そろそろ「勘のいいガキは嫌いだよ」されるんじゃないかと怯えてます。

 

 ホウエン協会の問題点は、危機が起こること自体は認識しているのに、センリやデボンに丸投げなことに尽きます。なにもしない。醜い政治で、残酷描写よりもある意味児童向けらしからぬとおもいます。わたしは好きですが。普段政治研究をしている分、無能な政治家を見ると、市民が可哀想で、感情移入しすぎて腹立つんですよね……(過激派)。

 

企業の介入

 デボンといえば、企業が協会(施政組織)よりも活躍するというのは現実でもよくある話です。最近話題になったものだと、Amazon が住宅建設に乗り出すというものがありましたね。

 それがよいことかどうかはさておき、施政組織が沈黙しているならば民間が頑張らないといけないということなのでしょうね。災害時にあっては、頼もしいことです。行きすぎると、『ARMORED CORE 4 / for Answer』のような「企業による統治」という形になるのでしょうね。デボンのホウエン、ポケッチカンパニーのシンオウなどはまあいいとして(尚13章)、シルフのカントー、フラダリラボのカロスはイヤすぎんか……。

 

災害時に於ける障がい者の活躍

 第三世代から導入されたのは、「点字」の概念。視覚障がいへの理解促進などを目的に導入されたシステムなのでしょうが、スペ4章ではこれが上手く組み込まれています。但し、ここでは二通りの読み方ができて、一つは、「障がいがあっても、寧ろそれが故に人々の役に立つことができる」というプラスな側面、もう一つは、津波の押し寄せる街に視覚障がいのある少年を放置する異常さを描いたマイナスの側面です。以下の記事にあるように、災害時の障がい者の死亡率は高く、その知識を持ったままコイキチの少年の物語を読むと、ゾッとしますね。

 しかし、日下先生もそれを理解した上で海パン野郎のヒデノリを配置しているはずなので、先見の明には驚かされます。いや4章、先見の明しかない。これほんとに20年も前の作品なのか……。

 

先見性と後進

 4章は、本当に20年も前に書かれたとは信じられないほどの先見性があります(3.11に対してもそう言うことができますね)。本節では、その先見性に該当する部分と、逆に後進性を表す部分を纏めます。

ジェンダー役割

 4章の先見性といえば、やはり主人公ふたりの性格、役割。所謂ジェンダー役割(性役割)が逆転しています。このことについて、編集部から猛反発があり、出版にこぎ着けるまで苦難の連続だったそうですが、あらゆる意味で勝利したのは我らが日下御大でしたね。今では逆に、「男 / 女はこうでなきゃ」というような押しつけがましい規範は問題を生むでしょう。明らかに2003年に描かれたヒーロー / ヒロイン像ではないのだよな……。時代を先取りしすぎている……好きだ……。

 

災害時の政治

 前節の内容とも被りますが、きちんと政治にもフォーカスされていることは4章の魅力です。災害時の対応といえば、最近のヒット作だと『シン・ゴジラ』などがありますが、4章はその先駆けとも言えるかもしれません。政治パートがしっかり面白い作品はよいものだ。

 わたしは映画詳しくないので何とも言えませんが、山本先生は怪獣映画がお好きみたいなので、古い(2003年以前の)怪獣映画と4章を見比べると、新たな発見があるかもしれません。

 

家庭内暴力

 一方、後進的と思われるのが、センリによる体罰(親子げんか)でしょう。クリスママも然りですけれども。北米版ではなかったことにされています。但し、物語の構築としてこれはとてもよくできていると考えていて、何故かというと、正にこれが前述の「先見性」と対になっているからです。旧態依然(所謂「昭和の頑固親父」タイプ)のセンリと、平成のジェンダー役割に囚われず我が道を往くルビーの対比は、物語上有効なコントラストを形成していると考えられます。

 文学の世界では、物語の中で登場人物が非人道的・倫理観に欠ける言動をしたとしても、筆者がそれを教唆しているわけではない、と捉えるのが当然で、それは読者としての心得です。ですが、児童向けという、影響されやすい年代向けに描かれた作品で、こういった描写を挟むということには、北米版での描写改変などを見るに、議論の余地がある問題なのかもしれませんね。

 

群像劇としての4章

 4章は群像劇でもあります。連載時、ルビーの冒険とサファイアの冒険で分かれていたように、様々なキャラクターの視点で、様々な読解ができます。本節では、インスパイア元になったと推定される文学や、関連が深いと考えられる映画作品などを紹介しつつ、進めていきます。

 

八十日間世界一周

 4章といえば「80日間の冒険競争」。インスパイア元は、フランス文学の巨匠ジュール・ヴェルヌの『八十日間世界一周とのこと。

 それを知った上でヴェルヌを読み返してみると、「あ~~日下先生ヴェルヌ好きなんだな~~」と感じる点が多々あり、強い影響力を感じることができます。4章ファンはヴェルヌ履修してみると楽しいと思いますよ。

 

 『八十日間世界一周』でも、「80日以内に○○ができるか」という期間を設けた賭けをするわけですが、4章同様、それに引っ張られすぎることはなく、旅の先々でトラブル対処をしたり、善行を積んだりという描写がみられます。ヒワマキでのサファイアの言動にも対応するとおもいます。

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 その印象はフォッグ氏から旅の目的を聞くと、ますます強まった。フォッグ氏はクロマーティ閣下に対しても、「八十日間で世界一周ができるかどうか賭けをしている」と包み隠さず打ち明けていたが、クロマーティ閣下にとっては、そんな賭けはなんの意味もない、くだらないものにしか思えなかった。何よりも、そこには理性のある人間ならば誰もが持っているはずの「生きている間は善行を積まなければならない」という考えが欠けていた。クロマーティ閣下の目には、フォッグ氏がしていることは、自分のためにも、他人のためにも、「何もしていない」ように見えたのである

 (『八十日間世界一周 (上)』 ジュール・ヴェルヌ著, 高野優訳. p.135)

 こんな初期ルビー感の漂う(?) フォッグ氏がどのような善行を積み、変化するか。己の目で確かめられよ。

 わたしはフランス文学専攻で、卒論でもヴェルヌの『地底旅行』の話を少し引いたりしたので、フランス文学がベースにあるということは嬉しいことです。尤も、趣味の分野ではロシア文学を愛好しているのですが、さて、ロシア文学といえば……。 

 

罪と罰

 ところで、「みんなのトラウマ」264話のタイトルは『罪と罰なんですよね。ルビー一家に降りかかった災難を巡るプロセスを思えば妥当な題ですが、『罪と罰』といえば当然、ドストエフスキーの傑作。当方は丁度数ヶ月前まで、「罪罰マラソン」と称して『罪と罰』の原作は勿論、映像化 / 舞台化作品を片っ端から見るという遊びをしていたので、過剰に反応してしまいました。いや、ここに運命を感じたというのが一番の再燃の理由なのですが……。

↑ マラソンの記録。

 ドストエフスキーという作家は群像劇の名手で、作品の多くはこのスタイルで書かれています。罪と罰』とスペ4章は、ストーリー展開としてはあまり共通点がありませんが、構成・ストーリーテリングの側面では検討の余地があるのではないかとおもいますジュール・ヴェルヌがお好きだという日下先生のことですから、参考にされたのではないかと推察します。

 『罪と罰』、評判に恥じぬ大傑作なので未読の方は是非。絶対に損はしないので。保証します。

 

『災害の物語学』

 こちらは論文集ですが、災害×文学についての論評が沢山載っています。特にアメリカ文学についてで、『怒りの葡萄』や『オールド・マン』などに描かれる自然災害や、人災、果ては超常現象など、様々な事柄について触れられています。勉強になりますし、単純に面白かったのでオススメですね。このラインナップにスペ4章・6章・13章が載る日も近い……(???)。

 

 

喜望峰の風に乗せて』

 「期間を定めて世界一周」、というと、思い出す映画が一つありまして、それが『喜望峰の風に乗せて』。ヨットに一人、無寄港で世界一周をする……という現実に行われたレースが元になった映画です。

何を言ってもネタバレになるので正直何も言えないのですが……(ネタバレ無しで観ることを強く強く推奨します)、セレビィによって抹消された世界の一つに、こういった結末もあったかもしれない、なんて妄想すると、良い感じに背筋が冷えますね!

喜望峰の風に乗せて(字幕版)

喜望峰の風に乗せて(字幕版)

  • ドナルド・クローハースト
Amazon

 ↑ 恐ろしい映画です……色々な意味で。4章ファンにはオススメ。

 

ぼくは怖くない

 インスパイア元詮索を続行します。ご覧頂きたいのはこのツイート。

えっ、なんで……? よりによって、それ……??(困惑) 

 

 『ぼくは怖くない』は、ヴィアレッジョ賞受賞の傑作イタリア文学、及びその映画化作品です。少年フィリッポ・カルドゥッチはその登場人物で、9歳の金髪で色白の少年です。確かに映画化でフィリッポ役を演じたマッティーア・ディ・ピエッロ君はコイキチの少年に似ていると思います。

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↑ フィリッポ(左)。右は主人公のミケーレ。

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↑ ホラー映画ではありません。

 フィリッポは特段盲目という設定はないのですが(上記画像のときは見えてません)、作中で以下のような会話があります。

「でられないんだ、目が見えなくて……」

「目が見えないって?」

「目があかないんだ。あけたいんだけど、しまったままなんだ。(中略)」

フィリッポがぼくを触りはじめた。「きみ、いくつ?」 鼻、それから口、目に触れている。ぼくは動けなくなっていた。

(『ぼくは怖くない』ニコロ・アンマニーティ著, 荒瀬ゆみこ訳. p.158-9)

ずっと暗いところにいたのと、まぶたに厚いかさぶたがあるせいで、一時的に目が開けられないという場です。強いて言えば、この辺りから着想を得たのかな、とおもいますが……。

 

 改めて、『ぼくは怖くない』のあらすじを簡単に記しますと、

 1978年、イタリア南部の貧しい村、アックア・トラヴェルセ。夏のある日、9歳の少年ミケーレ・アミトラーノは、村の僻地にある廃屋の裏手の隠し穴に、片足を鎖で繋がれた少年が隠されていることに気が付いてしまう。最初は死んだように動かない少年だったが、ミケーレと逢瀬を重ねるうち、心を通わせていく。夜、ミケーレは、大人たちが見ていたニュース番組から、少年が大企業家の息子でフィリッポ・カルドゥッチという名だということ、高額な身代金を掛け誘拐されたのだということ、そしてその誘拐とは、己の両親を含めた村全体で計画されたものだったということを知るのだった。ミケーレはフィリッポを助け出そうと苦心し、フィリッポを逃がすことに成功するものの、彼を殺そうとやってきた己の父に誤って撃たれてしまう。

……とまあ、こんな物語です。わたしの拙い筆で魅力が伝わっているか疑問ですが、原作は抜けるような青空、黄金の小麦畑、虫の羽音、家畜の糞の臭い、刺すような日差しに、生ぬるい風……イタリア南部の農村の風景がノスタルジックな肌触りと共に伝わってくる傑作です。

 しかし、ご覧の通り、村ぐるみで誘拐というものすごいストーリーを持った小説です。何故これが選ばれたのか……。光の差さないじめじめした穴のなか、何週間も閉じ込められていたせいで泥と血と便に塗れ、食事の機会も少なく痩せこけ、悪臭の立ち籠めるなか鎖で繋がれる金髪色白の令息、という、これまたスペ同様「よこしまなヘキ」の扉を開きそうな強烈な絵面です。ちなみにこの点については映画よりも原作の方が描写がエグいので、ご興味ある方は原作の購入をお勧めします。

 いや、しかし、「大企業家の息子」で「一時的に失明」、か。そういえば某氏の失明説って公式で確定したんでしたっけ? ……、わたしは閃きましたけど、あなたはどうですか? わたしは筆を執るつもりはないので、後は二次創作界隈にパスします。宜しく頼んだ。

 

 ちなみに、『ぼくは怖くない』では、以下のような会話があります。

「ねえ」 ぼくは言い出した。「デスターニ先生がラザロの奇跡の話をしてくれたの、憶えてる?」

「うん」

「ラザロは、生きかえったとき自分が死んでたことを知ってたとおもう?

サルヴァトーレはちょっと考えた。「いや。病気だったと思ったんじゃないかな

(中略)

「もし、死人が生き返ったら、ちゃんと歩けないだろうし、脳みそが腐って頭がおかしくなってるから、変なことを言いだすかもしれないって、思わない?」

「そうかもしれない」

死んでも蘇ることってあるのかな。そんなことできるのは、イエス・キリストだけだと思う?」

 (『ぼくは怖くない』ニコロ・アンマニーティ著, 荒瀬ゆみこ訳. p.115)

これが「セレビィショック」の解答か……!?

↑ シンプルにオススメです。少なくとも、コイキチ少年ファンは買った方が良い。

 

機械仕掛けの神

 賛否分け目の「セレビィショック」。4章ファンのわたくしとしても、手放しに賛称するのは難しいポイントです。解釈としては、13章を読むに、「生存していないと13章で詰むと想定された人々」なのかなという気がしますが、なかなか厳しいですね。そもそも、ルビーの解釈では「少しズレた世界」なわけですが、これが何を意味するのか。この台詞からはパラレルワールドにトリップした、という読解が最も一般的だとおもいますが、セレビィの能力ってそういうやつだっけ? という疑問も残ります。スペでは、ヤナギさんの描写を読むに、所謂タイムスリップのみならず、並行世界を移動する能力があると考えることもできますが。しかし、そもそも、ルビーのこの台詞には全く根拠が無く、ミスリードであると考えることすらできます。そうなってくると、最早何を信じたらよいのかわからないわけですが……。

 第七世代でパラレルワールドの存在が示唆されているところを見るに、またしても日下先生の「未来予知」が発動したのかもしれません。13章か14章で掘り下げ欲しかったなァ……。

 

エアカーの話

  余談。地味にポケモンの世界ってちゃんとポケモン以外の交通機関が発達しているのが凄いですよね。特に、4章ではマリダイの車やミクリのエアカーなど、「車」型の乗り物が多く登場します。ただ、運び屋さんのように、ポケモンを乗り回す人も多いだろうと思われるので、現実世界よりも需要が低そうです。ともなると、車などの値段は現実世界よりも高そうですね。まあ、ゲームだと自転車を無料で貰えたりしちゃうわけですけれども……ありがたや。

 

 日下先生の Q&A によると、ミクリ師匠のエアカーは高級車らしいです。そりゃ、飛ぶしな……(?)。しかし、そのエアカー、4章最後でアオギリマツブサのランデブー(?) に使われ奪われてしまう。盗んだ車で走り出してますよ彼ら!! 青春だ!!

……にもかかわらず、13章ではなんと、エアカー復活! 師匠、まさか……買い直したのか……高級車を……? ジムリーダーってお給料いいんですかね。あ、チャンピオンになったからそっちでしょうか? いや、お給料いいのはコンテストマスターの方なのかも……。或いは、実家が太い……? 謎が謎を呼ぶミクリ師匠のお財布なのであった……。

 

Road to 味方全滅

 ミクリ師匠といえば、「ルビーとの距離感を考えて、ダイゴよりもミクリを殺した方がルビーへのメンタルダメージが深く、物語として盛り上がったのでは無いか」という意見が結構見られるのですが、これはたぶんストーリー構築の観点から、簡単に説明できます。

 自分が日下先生になった気持ちで考えてみて下さい。まあ、じゃあ仮に死んだのがミクリだったとして、その後サファイアとルネに入りますよね。ナギが人質に取られたとして、どうしましょう。たぶんダイゴだと止まらないんですよね。仮に人質がムクゲ社長でも同様だと考えます。そりゃあ勿論、動揺して、困るとは思いますけど、スペのツワブキ父子は商家らしく、「最大の幸福のために多少の犠牲は致し方ない」という大胆な功利主義の立場に立っているので(13章ではそれが顕著)、「申し訳ない。でも仕方ないこと」で割り切って先に進めてしまうのではないかとわたしには思えます。するとどうなるか。アオギリマツブサが言明しているように、チャンピオンは強いんですよ。ルビーとサファイアの魅せ場を多分取ってしまうんですよね。もしかしたら勝ってしまうし、そうなればセレビィによる救済も無し。物語が破綻します。……つまり、「人質作戦が効かない」「物理的に強い」と、とにかく弱点がないので、他のどうしようもない要因で、そう、例えば過労死なんかで、敵の与り知らぬところで物語から退場させないといけなかったと、物語を逆算するとそう読めます。そうでないと主人公の魅せ場を食ってしまうから。「強い味方」、ゲームでは頼もしい存在ですが、ストーリー構築では主人公を立てないといけないという側面から、結構疎ましい存在だったりするのですよね。しかし、弱点がないとは何事だ。第五世代までの悪ゴーストなのか?(?) うーむ、やっぱりダイゴさんが一番つよくてすごいわ。

 

ホウエン神話

 最後に真面目な考察を一本書いて、締めたいとおもいます。

ポケモン世界の神話といえばシンオウの方が有名ですが、ホウエン地方も立派な神話を持っています。ホウエン神話、即ちグラードンカイオーガレックウザからなる物語です。

 「天」「地」「海」をそれぞれ支配する。これは神話学では「三界分治神話」と言われるもので、ギリシア神話や日本神話などの高文化多神教的神話では比較的よく見られる形です。天地開闢神話の後に語られることが多く、基盤となる世界を統治する三神が登場します。原則的には「天」を支配する神が最高神なのですが、グラードンカイオーガを仲裁する役目を持つレックウザは、それに対応すると言えるでしょう(尚エピソードΔ及び13章)。

 

 但し、現実の三界分治神話では、原則として「三界」とは「天」「海」「冥界」なのですよね。最後は「地」ではないのが注目に値します。ポケモンで言ったら、レックウザカイオーガギラティナが恐らく当て嵌まるという、なんだか奇妙な形です。やはりグラードンって不遇……。6章もマツブサではなくアオギリが勝ったし……。

 わたしはグラードンカイオーガが、大地と海を「広げた」と表記されていることから、ホウエン神話を天地開闢神話ではなく、三界分治神話だと解釈しています。仮に大地と海を「創った」とするならば、これは天地開闢神話に分類されるのでしょう。しかし表記を見るに、元から世界自体は存在し、大地も海も存在した、そしてそれを司り、広げたという出来事にフォーカスしたものがホウエン神話なのではないかと推察できます。であるならば、ホウエン神話は神話学的な分類では、王道を踏襲しつつもユニークな特徴がある、興味深い神話だと言えそうです。

 

 ちなみに、リアルアローラ地方の神話では、火山(大地) VS 雪(水)の物語があります。女神ペレと女神ポリアフの対決です。結果は必ずポリアフ(水)が勝ちます。もしかしたら、ホウエン神話のモデルになっている可能性があります。地面タイプが水タイプに勝てるわけないだろ! いい加減にしろ! クッ……やはりグラードンって……デカいサンド……

 

最後に

 通読お疲れ様で御座いました。気付けばえげつない長くなっていますね……。ボクの全身から溢れる4章へのラヴ……。脅威の1万2000字。全文読んで下さったあなたは英雄です。

これだけ長く書いたこともあって、ある程度満足しました。スッキリ。深夜の一晩クオリティなので、わかりづらい点等ありましたら申し訳ないです。

 

 スペはほんとうにいいですね。ファン歴もう10年くらいですか、時の流れにおののいています。今後も多分ぼちぼち追っかけているので、気が向けば記事書いているかもしれません。又、考察書きの端くれなので、お役に立てそうであればお声がけ下さいませ。

↑ その他の4章関連記事はこちらから。

 

 さて、いい加減締めたいと思います。長々と失礼致しました。それでは、又別の記事でお会いできれば幸いで御座います。