こんにちは、茅野です。
次の遠征が迫ってきたので、今回は旅日記です。旅の記録は溜めないようにしているので……。
↑ これまでの旅日記。
今回は、七月末に行った和歌山巡礼の旅についての記録を纏めます。
同行してくれたのは、高校の頃からの仲のフォロワー、通称・お兄様。前回に引き続き、自動車の運転ができないお荷物のわたしを連れ出してくれる頼もしい存在です。
ごく個人的な話ですし、ちょっと公にするのが憚られる内容なので濁しておきますが、昨年七月末、友人に言わせると「玉突き事故」と表現された、運命的とも言うべき、信じがたいような謎の事件が連鎖的に発生し、精神的に多大なダメージを受け、というか正確に言うとずっと怒り狂っていました。間違いなく人生史上最も情緒不安定でしたね、ええ。お兄様はそんなわたしの愚痴を全部受け止めてくれたのですが、彼からすると暴走しているわたしが相当に面白かったらしいです。まあ本心はどうあれ、わたしにとって有り難い存在であったことに変わりはありません。
そこで、「この "事故" の連鎖はわたしが何をしても止まることがなかったので、もう最終的にスピリチュアルに頼るしかないよ」と提案したところ、きっかり一年後、「(わたくし茅野の)情緒一周忌イベント」(お兄様命名)なる謎の企画が勃発したのでした。それが今回の旅の経緯です。
前回の旅は島根で(旅日記島根編はこちらから)、わたくしが冥界下り譚≒蘇生譚好きであることから提案した行き先でした。日本にはもう一カ所、蘇生譚で有名な地があります。そう、それが和歌山・熊野!
蘇生譚ファンとしては一度は訪れたい場所でしたし、関東平野に生まれ育ち、東京以外の地に住んだことがないわたくしとしては登山やハイキングに憧れがあり、初めての登山経験を熊野三山に捧げたい!という気持ちから提案しました。それに、熊野は日本古来から篤く信仰されてきた地であり、この地への参詣は旅の趣旨にも合っているように思われました。
東京在住者にとっては、和歌山はかなりの遠征になるので、二泊三日でプランニング。一日目と三日目はほぼ移動に充て、中日二日目に三山を強行突破する計画です。
それでは、そんな和歌山への遠征ログを書いてゆきたいと思います。お付き合いの程宜しくお願いします。
一日目
新幹線、特急くろしお、到着
東京から和歌山まで一本で行くルートがないので、取り敢えず東京駅から新幹線で新大阪駅へ向かいます。丁度この頃オリンピックが開催されようとしていたので、東京都民としては、気分は正しく、「疎開」。実際は二泊三日なので疎開ではないんですけどね。
研究会の全国大会で毎年神戸へ出ていたので、東海道新幹線は慣れたものです。しかし、新大阪で降りたのは過去一度だけ。全国大会の前日、好きなダンサー(※ボリショイ劇場プリンシパルのヴラディスラフ・ラントラートフ氏。何を隠そう、彼のオネーギン役がわたしにとって初めての『オネーギン』だったのである)が『ドン・キホーテ』を踊るというので、寄り道したのです。しかも、公演日が誕生日の前日という。いや、実に興奮するスペクタクルでした……。
新大阪は比較的ダンジョン化しているので少々不安もありましたが、何ともなくすぐに乗り換えることができました。
勿論初めての「特急くろしお」に乗り換え、いざ和歌山入り!
↑ はじめまして、和歌山駅!
東海道新幹線と比較して、座席がふっかふかで大変気持ちよく、うとうとしているうちに到着。大阪在住のお兄様とは現地集合。車を出してくれたので、そこからは自動車で移動することになります。
橘本神社
まず訪れたのは、和歌山駅より近い橘本神社!
↑ 後光が神々しいショット。
丁度この頃、柑橘類に関心があったので、楽しみにしていました。わたしはロシア帝国のニコライ・アレクサンドロヴィチ皇太子殿下に関心があってよく調べているのですが、彼の死について書かれた詩人ヴャーゼムスキーのエッセイ『ベルモン荘』にオレンジの木立の描写があり、当時のニースに植えられていたんだなとか、色々考えていたのです。
Придайте к ней богатства природы и местоположение, которое служило прекрасною рамою сей мрачной картине: с одной стороны зеркальное море, которое ясностью и тишиною своею как будто сознательно готовилось принять на свое лоно драгоценный залог, вверяемый ему любовью Родителей и любовью России; с другой стороны – величавые скалы, чудная растительность, померанцовые рощи и сады, разливающие по чистому воздуху свои благоухания.
それに加えて、豊かな自然がこの陰鬱な光景の額縁として彩りを添えていました。一方では、まるでその胸に両親とロシアからの愛によって託された貴い財産を受け入れる準備をするかのように、清澄で静かで鏡のような海がありました。他方では、堂々たる絶壁や美しい植物、豊かな芳香を漂わせるオレンジの林と庭がありました。
↑ 翻訳書きました。美しいエッセイなので、お時間ありましたら。
というわけで、リサーチはバッチリ。橘本神社は柑橘とお菓子と縁が深いということで、勉強しておきました。
↑ 「文化誌」という題にあるように、学術的というよりエッセイ風の箇所もありますが、読みやすく、必要な知識を与えてくれます。
↑ みんな大好きちくま学芸文庫。わたしも大好き。カラー写真も沢山あって最高です。
神社に参拝に来たら、恒例の御手洗チェーック。
↑ これは……蜜柑……!?
御手洗から既に楽しい橘本神社でありました。
社はこぢんまりとしており、住宅街に唐突に現れます。「THE・観光名所!」という趣きはありませんが、お菓子を製造する各社がお布施を施した跡があったりなど、色々面白いので、関心があれば行く価値はあると思います。
但し、蚊が、えげつない。虫除けスプレーもしていたはずなのに、短期滞在で3カ所くらい刺されました。対策は入念に!
夕食
宿方向に移動しているうちに、既に空が暗くなってきました。やはり東京から和歌山、遠い。というわけで、何かお腹に入れることに。
↑ どどーんと。
自然に恵まれた和歌山、海産物も有名ということで、海の幸にしました。手前ですが、お兄様に運転を任せてわたしだけ梅酒飲んでますすみません。
宿
宿へ。この宿への旅がめちゃくちゃ大変で! 翌日に備えて出発地点に比較的近い場所を選んだのですが、とんだ僻地にありました。道とも呼べぬような段々畑の畦道を延々走らされると漸く見え……。何度道を間違えたと思ったことか……。
折角だし和風なところへ!と思って和室を取っていたのですが、お宿そのものは快適でした。最も、山奥にあったので、電波がめちゃくちゃ悪いというか最早届いてなかったんですけど!
尚、お宿のお写真はちゃんと撮っていたのですが、何故か心霊写真みたいになってました。すみません。もしかして……何か "い" る……?
↑ 掛かっている能面が更に不気味さを煽る。
いや、今回の旅の趣旨、「お祓い」もかなり大きなウェイトを占めているのですが……!?
二日目
というわけで、二日目。この日をメインに据えていたので、夜行性のわたくしには珍しく6時起き。差し込むあたたかな朝日が眩しく、快い目覚めでした。
熊野詣で、中辺路
そう。この旅は7月末に敢行されたもの。夏!真っ盛り!!
熊野詣では道を選べばかなり易しい登山となることは聞き及んでおりましたが、初めての登山ですし、熱中症などに備え、装備は結構整えました。というわけで、朝からあまり可愛げのないスポーツウェアに着替え、いざ出発!
↑ 熊野参詣道 中辺路。
最初からゴール地点に車を止め、出発地点までバスで移動という、なんだかよくわからないルートが正規ルートとなっている熊野参詣道 中辺路コース。最も一般的な参詣道であり、初心者向けでもあるということで、今回はこちらから出発します。この時点で朝8時くらいでしたが、朝からかなりのハイテンションで参ります。
登山中に出逢った美しき風景をお届けします。
↑ 各地にあるのがこの「蘇生の森 熊野古道」の碑。蘇生譚クラスタであるわたくしのテンションは最高潮に。
↑ 高木が連なり、先の見えない細い道。こういうの!こういうところ歩きたかったんだよ!! 満足しました。
↑ 中辺路コースでは、石畳やアスファルトなど、一部舗装された道もあります。歩きやすい!
↑ 中には開けた場所に出ることも。う~ん、夏の緑が青々しく、美しい!
お天気は曇り~晴れ。朝ということもあり、森に入ってしまうとかなり涼しく、非常に快適でした。一方、村の近くなど、アスファルトの敷かれた開けた場所に出るとかなり暑く……。やはり最早日本の夏はガッツリしたアウトドアができる気候ではありませんね……。
「THE・森」!「THE・山」! という、正に待ち望んでいた景色ながら、足元は踏み拉かれた固い土や、石畳、アスファルトなど、とても歩きやすく、正に初心者向け。大層ありがたいです。皆様も熊野古道から登山を始めてみませんか(謎勧誘)。
道中、無人販売所で梅干しを売っていたりとか、見慣れない光景にテンションが上がる無機質コンクリートジャングル育ち。紀州ですものね! 家や宿もあり、きちんと人の営みがあるのだなあと確認できました。
熊野大社
そうして辿り着いたのが、熊野大社!
↑ 朱で飾らず、元の木を前面に出した趣きある鳥居に、立ち並ぶ幟、長い階段。
↑ 裏手。この鳥居の間を車で通れます。気分は『千と千尋の神隠し』?
↑ 御手洗チェーック。竹が二股に別れており、利便性抜群。
↑ お参りの順番など、お作法が決まっている熊野大社。
昨年は地元・明治神宮でご祈祷を受けてきたわたくしですが(「事故」っていた去年の方がスピリチュアルに頼りたい心境であったので)、今年は熊野大社にて。なんて豪勢な神道ライフ……。古今東西あらゆる人の尊厳が守られますようにと切実なお願いをして参りました。一番たいせつなことです。
コミュ障ながら、神職の方ともお話をさせて頂いて、楽しいお参りでした!
大斎原
熊野大社の参道を下り、少しだけ道を逸れるだけで見えてくるのが、大斎原の大鳥居!
↑ 田畑の奥にドドーンと聳えるのがまた日本の夏らしく、素晴らしい景色でした。
わたくし、ほぼ全く漫画は読まず、原則としてご縁がないのですが、旅の直前にたまたま星野之宜先生の『宗像教授伝奇考』シリーズを読み進めていたので、「ここ、出て来たな~!」と思い入れを強め……。
↑ メッチャ面白いです。蘇生譚クラスタにも優しい。
↑ どこもかしこも世界遺産。つよい。
↑ 御手洗。「蘇」に「魂」ですよ。もう、最強。
大斎原といえば、川ですよ! 裾を濡らすんですよ! というわけで、奥の河原の方まで歩きました。青少年が水切りをして遊んでいて、素晴らしきノスタルジー……と感動したりとか。
夏ということもあってか、水位がかなり低く、水も少ないように感じましたが、登山後の火照った肌に冷たい川の水は気持ちよく、暫く手を浸して涼みました。
↑ 緑、白の川縁、澄んだ水。完璧です。
昼食
大斎原を堪能しているうちに、もうすっかり昼過ぎ。お腹が空いたので、ご飯どころに入ります。熊野古道参詣と食といえば、勿論!
↑ めはり寿司!!
はじめて食べました。「手が汚れない」というところが画期的であったというめはり寿司ですが、ぶっちゃけ高菜の葉は触るとべたべたしますし、結構噛み切るのが大変で、途中でぼろぼろ崩壊しないようにするのは結構至難の業。しかし、味はふつうに高菜のおにぎりなので、不味いわけはない。確かに登山中に食べたら美味しいんだろうなあと思いを馳せつつ、普通にお店で椅子に座って食べても美味しいのでありました。
那智の滝
一日で熊野三山を制覇する強行スケジュールな今回の旅。お腹を満たしたらすぐに出発!
雄大な熊野川は、太陽に照らされ水面が煌めき、澄んだ深い青が非常に美しかったのですが、助手席からはその美しさをお伝えできるような写真が撮れなかったので、この景色は実際に訪れたわたしだけの宝物とさせて頂きます。ほんとうに綺麗だったので、自分が運転者だったら、間違いなく目を奪われて川に墜落していましたね、ええ。皆様、安全運転にお気を付けつつ、夏は和歌山・熊野へ。
道中も美しい青を堪能していましたが、次に向かうは一段滝として日本一の落差を誇る、那知の滝!
↑ 那知大滝。鳥居の前にドドンと聳える樹木を排さないところに、自然との共生を感じます。
そしてこの那知の滝の水、なんと、飲めます。
↑ 御手洗……というか、この龍の吐く聖水を……。
↑ こちらの盃で!
盃は購入も可能。旅の想い出に是非。
して、その雄大なる大滝をご覧に入れましょう。
↑ かなりの水量です。三つの筋に別れているのが特徴!
↑ 台に上って、かなり近くまで行くことができます!
滝の傍とあってかなり冷え、夏には有り難いスポット。滝、社……と、自然を尊ぶ日本の信仰に寄り添う名所です。
しかし、行きは下りだった大階段、帰りは当然、登りです。き、キッツい……。
熊野那智大社
しかし、ほんとうにキッツいのはここから先であった! 征くぞ、熊野那智大社!
↑階段、階段、階段です!!!
那知の滝の上り階段を出ると、そこから参道は上り坂。更にその先、延々と上り階段が続きます。上記の写真はごくごく一部。
わたくしは「革靴ウォーキング部」と称して、革靴で一日に10kmも20kmも街中をほっつき歩くのが趣味なので、割となんとかなりましたが、お兄様の方は息切れが激しく、途中休憩を何度か挟んだので、那智大社に行かれる方はお気を付け下さいませ。また、熊野古道を踏破した直後に行くというプランは、改めて考えるとあまり現実的なものではありません。何とかはなりますが、行かれる方はきちんと己の体力と相談してくださいね。
しかし、道中も絶景。先程の那知の滝がお目見えします。
そして漸く現れるは大鳥居。
↑ 大変立派です!
少し見えておりますが……、そう! ここからも更に登り階段!! ラストスパート、気合い入れて登りましょう~!
↑ ここは比較的なだらかなゾーン。上から見ても美しいですが、登るのは骨折りです。
そして漸く!!!
↑ 到着!!
辿り着くのが大変なこともあってか、静かな雰囲気で、疲れ切った脚や心に染みます。
↑ 御手洗チェック。二匹並んだ小さな龍がかわいい。
これほど登ったのですもの、雄大な自然はその努力に報いてくれます。
↑ 素晴らしき哉萌ゆる緑……。
そして、この那智大社で注目すべきが「胎内くぐり」。根元が空洞になった御神木の中を通り抜けることで、「生まれをやり直す」という、新しいタイプの「蘇生」です。というわけで、わたくしも、いざ、「再誕」!
↑ こちらがその御神木。
中は狭いですが、確かに胎内のような(?)昏いあたたかさがあり、神秘的です。一方で、どこかアスレチックのような楽しさもあるので、小さなお子さんをお連れとかでも楽しいかもしれません。あ、行くのがそもそも大変か……。
熊野速玉大社
さて、那智大社の大階段の洗礼を今回は下りで受けた我々は、最後の大社、熊野速玉大社へ向かいます。
熊野速玉大社は、これまでの二社とは異なり、街中にあります。有り難い。というわけで、新宮の方へ。
↑ 夕刻、これまた後光が!
那智大社の御神木は樟(くすのき)でしたが、速玉大社は柳です。
↑ こちらもご立派!
柳の木は、日本だと枝垂れ柳が馴染み深く、また、水辺に生えていることが多いことから、どことなく不気味な雰囲気があり、「死」と関連づけられることが多い樹木。ちなみに、一方ロシアなどでは「生」と関連づけられることが多いようです。いずれにせよ、「生死」と関わりの深い樹木として世界中で受容されているのは興味深いことです。
お社ですが、ギリッギリタイムアウト……!!
↑ 閉鎖。かなしい。門の前で立ち往生です。
参拝したかったのですが……、致し方ありません! 一応行くには行ったので、満足はしました!!
夕食
流石に疲れたので、御夕食を摂って帰還します。コロナ禍ということもあり、お店がもう全然やってないんですね。難民になりかけたところで、街のお蕎麦屋さんに入店。
↑ 名物だというカレーうどん。凄い量でしたが、美味でした。尤も、猫舌にはしんどい熱さでしたが!
宿に戻るのが、これまた大変で……。すっかり暗くなってしまっており、道幅の狭い段々畑の畦道が完全に凶器と化しました。えっこれどうやって帰る!?と、暗黒の道を進みます。ちょっとでも外したら崖から墜ちるというようなスリリングな道で、しかも暗い。よくぞここに人が住んでいるものだと話し合ったものです。しかもその道、ちゃんと車とか停まってるんですよ。どういう運転技術と肝っ玉なんでしょう。凄いな和歌山県民……。
最終的に、お兄様の卓越した運転技術で危機を脱しました。大感謝。助手席のわたくしとしては、そのスリリングさを含めてなんだか遊園地のコースターみたいで、ある意味楽しんでしまいました。なんかすみません。これもまた旅の想い出。
さて、熊野三山強行突破した結果、スマホの万歩計曰く、このような結果に。
20kmを割っている! 大したことない! とも取れますし、大半は登り道・上り階段という点で、数字だけでは測りきれない部分もあります。熊野三山に挑戦される方は、よければ参考にして下さい。
三日目
三日目は急ぐ用もないので、ゆったり起床でよかったものの、あんなに登山などをして身体を疲弊させたにもかかわらず、何だか早くから目が冴えてしまい、壊滅的に遅い電波を細々と辿りながら、インターネットの記事なんかを読んでしまいました。して、漸く起床に適した時間になったので、荷物を纏めて街へ下ります。
昼食
コロナ禍の影響などで店が全然やっておらず、朝食を食いっぱぐれた我々は、和歌山駅方向へ向かいつつ、早めの昼食とします。
↑ 熊野牛のハンバーグ。
やはりその土地のものを食べたかったので、熊野牛としました。リーズナブルで、地元でも評判のお店なのだとか。美味しかったです。
紀伊風土記の丘
↑ 入り口が大変立派。
前回の島根遠征で、『出雲国風土記』に触れ、風土記に関心を持っていたので、この場所を選びました。
二階の展示室で船の模型や鏃などの古物に触れ……。
↑ みんな大好き(?)竪穴式住居。
↑ ずらりと並ぶ埴輪がかわいい!
植物園などもあり、かなり散策し甲斐がありますが、この日は猛烈な暑さだった為、室内展示をメインに見て終了しました。
帰還
お昼過ぎ、駅で友人らへ簡単なお土産物を買い、解散。再び、特急くろしお、東海道新幹線で東京へ。
↑ 帰還!
着いた頃にはもう夜でした。和歌山、遠し。一方、新幹線と特急(しかもふわふわシート)を乗り継ぐだけで着くので、身体的には楽ちんです。
熊野古道 中辺路コースは、登山初心者にも優しく、初めての登山には持ってこいです。尤も、我々のように、夏真っ盛りだとか、一日で三山を強行突破するのはあまりオススメできませんが、体力のある方なら問題無いでしょう。不可能ではありません!
前回の島根遠征と比べ、島根が物凄い都会に感じてしまうような和歌山でしたが、それこそ求めていたものであり、山、海、川、滝、森……と、雄大な自然は怒り狂っていたわたくしの精神にはよく染み渡りました。
「蘇生の森」を歩き、「胎内を潜り」、汗を流して筋肉を痛めながら自らの身体を持って体感する、昔ながらの信仰を実践し、心身共にリフレッシュが可能です。新たな一歩を踏み出すには持ってこいの場所。これが「蘇りの地」とされる熊野の由縁なのです。蘇生譚愛好者としても興味深く、楽しい遠征でした。
最後に
通読お疲れ様でございました! 二泊三日にしては長くなってしまい、9000字ほど。
今回は、「熊野三山を制覇する!」と、目的を一つに絞り込んでいたので、無駄なく回れ、大変有意義でした。と申しますか、軽く調べた程度では、三山以外にどこに行けばよいのやらよくわからなかった、というところもありますが……。和歌山プロ、再来する時の為に名所をご教授下さい!
しっかし、やはり旅は楽しいですね。はやくコロナ禍も全面的に明けるとよいのですが……。また次の遠征も迫ってきているので、無事に楽しく旅程を終え、記事にしたいと思っています。
それではお開きとさせて頂きます。ありがとうございました。