おはようございます、茅野です。
レビューラッシュを走っています。まだまだ続きます。宜しくお願いします。
先日は、演劇『ハリー・ポッターと呪いの子』にお邪魔しました。12月19日マチネの回です。
↑ 流石にロングランすぎてビビる。
わたしはオペラとバレエはよく観ますが、ストレートプレイやミュージカルは普段観ませんので、久々の演劇です。
先に申し上げておきますが、わたくし、『ハリー・ポッター』ミリしらであります。原作も読んだことありませんし、映画も観ていません。ただし、有名すぎるので、主要登場人物の名前や、有名なミームくらいは知っている……くらいです。ガリー・ポッチェル。
海外児童書は『セブンス・タワー』と『バーティミアス』派でしたから……。
↑ 今思うと、ジェンダーロール反転の主人公って4章よりもこっちの方が早かったかも。
↑ 有名な鈍器本。『ハリー・ポッター』とどこでこんなに差が開いてしまったのか……。
予習もなく観に行くという蛮勇をやりました。この演目をミリしらの人間が観に行くことは寧ろ珍しい気が致しますので、何かしら参考になればいいなと思います。
今回は備忘がてらこちらの雑感を記して参ります。
それでは、お付き合いの程宜しくお願い致します。
キャスト
ハリー・ポッター:吉沢悠
ハーマイオニー・グレンジャー:木村花代
ロン・ウィーズリー:ひょっこりはん
ドラコ・マルフォイ:永井大
ジニー・ポッター:白羽ゆり
アルバス・ポッター:渡邉蒼
スコーピウス・マルフォイ:久保和支
デルフィー:乃村美絵
マクゴナガル校長:榊原郁恵
原作:J. K. ローリング
脚本:ジャック・ソーン
美術:クリスティーン・ジョーンズ
音楽・編曲:イモージェン・ヒープ
雑感
今回観に行った経緯ですが、セドリック・ディゴリー推しの限界オタクな友人に、推しキャラの尊厳破壊を一人で観る勇気がないので付き合って欲しいと誘われまして……。いい席をご用意して頂いちゃいました。ありがとう!
わたしも1人のオタクとして、物語の完結後に好きなキャラクターを公式にめちゃくちゃにされたら発狂するなあ……と、変に感情移入して悶えてしまいました。
駅から既に全面的に『ハリー・ポッター』仕様になっていて、気合いの入れようが窺えます。
友だちの勧誘で『ハリー・ポッター』入門したんですけど、バイロン卿とイヴァン雷帝がいた(何故?)
— 茅野 (@a_mon_avis84) 2024年12月19日
教養がないので後はわからなかった😂
作中では魔法使いの設定になっているのかな?🤔 pic.twitter.com/SiMVOyD56L
↑ 美術ガチ勢各位、他の人物を教えてください(丸投げ)。
『ハリー・ポッター』世界の帝政ロシアってどうなってるんだろう。推しが魔法使いになる世界線もあるんでしょうか!?
劇場も勿論『ハリー・ポッター』一色になっていました。客席は明るめで、メモを取りやすくて助かりました。
この日は学生団体さんが入る日だったらしく、沢山の高校生がいました。オペラやバレエに学生団体が入ることはありますが、演劇にも入ることがあるんですねえ。エンタメ性が高い今作の方が喜ばれそうではある、残念ながら(?)。
いつものように幕ごとに雑感を書いていく前に、先に主要な点について簡単にまとめておきます。
初見バイバイ
ハッキリ書いてしまいますが、初見バイバイです。ミリしら勢にはオススメしません。
観客が『ハリー・ポッター』本編の冒険を熟知している前提で話が進み、説明が一切ありません。完全に置いていかれます。
キャラクター数も結構多いし、舞台上に登場しない知らないキャラクター名も色々出てきて、「それ誰? それ何?」となります。固有名詞も長くて難しいし。呪文や魔道具、守護霊(?)なんかも知っていないと何が起きたかわからないかも。
いくら『ハリー・ポッター』が超メジャー人気作とはいえ、学生団体が入っていることからも明らかなように、全員が予習しているわけではないでしょう。せめて配布冊子などで説明するとか、救済措置があってもいいような気がしました。
これはオペラの演出に関してもよく言っていますが、舞台芸術には補足説明がないほうが望ましいです。それが「舞台芸術」を名乗る以上は、舞台のみで完結するべきだと確信しているので、作中でなんとかして欲しいですね。脚本次第でどうとでもできた気がします。
ちなみに、ハリポタ博士な友人曰く、セリフは概ね原作通りなんだとか。原作厨が脚本を書いたのかもしれない。それはいいけども、ミリしら勢も救済して欲しい。
キャラクターのビジュアルは映画に寄せています。俳優さんが日本人なのも、最初は違和感があるかもしれませんが、だんだん慣れます。
大スペクタクル
脚本に難ありな一方で、演出は素晴らしいの一言に尽きます。演出全振りです。
マジで魔法が掛かっているように見えます。考えながら観ていても、普通に仕掛けがわからないものの方がずっと多いです。シンプルに凄い。有料でいいので全公演終演後に種明かしして欲しい。
ミリしら勢も、「演出を観る為に来た」と割り切ってしまえば、充分楽しめると思います。だからこそもっと脚本頑張って欲しかったというところはある。
台詞が早口と伺っていましたが、別にそんなことはないですね。特に早いとは思いませんでしたので、ビビらなくてよいと思います。もっと早い上演、幾らでもあります。
ヘイトコントロール皆無
そして驚いたのが、ヘイトコントロールを一切しないことです。
『ハリー・ポッター』シリーズって、基本的に世界とキャラクター人気で売っているコンテンツであるように思うのですが、「こんなにキャラクターを魅力的に描かないこと、ある?」と思いました。
昨今のコンテンツはしっかりとヘイトコントロールを行うことが多いので、とても驚きました。(そもそも、主要登場人物たちの子供世代が~……という設定自体が「如何にも」という感じの、ファンに向けて作られたキャラクターコンテンツという感じがする)。
俳優さんの容姿や演技などの要素は抜きにして、キャラクターの設定や言動だけで考えたとき、誰かキャラクターを好きになる要素、ありましたかね……? みたいなレベル。強いて言えば、スネイプ先生は好意的に描かれていたと思う。
ハリーは毒親だし、アルバスは自己中心的で最後までそれが治らないし、寧ろキャラクターのこと嫌いになって欲しいのか? とまで思いました。
成長物語ってこんなもんなのかな? いや、解決によるカタルシスがないし、それに限度ってものがないか?
大人気『ハリー・ポッター』シリーズともなると、キャラクターのヘイトコントロールをしなくても人気が出るのか……と逆におののいたりしました。
それでは以下、細かい点についての備忘メモです。
第1幕
舞台はキングス・クロス駅からスタート。ほんとうにある駅らしいです(英国未踏並)。
↑ ロンドンの北寄り。
来年ロンドン遠征に行く予定なので、余裕があれば寄ってみます。
最初の「魔法」は早着替え。この時点で凄い。既に種明かしが欲しい。
ハリーは足首までのインバネスコートで、お衣装カッコイイです。ズボンに杖を差すところがあるのも面白いですね。その世界の標準的なオプションなんでしょうか。
話が前後しますが、第2幕後半のゲルミオーナハーマイオニーの黒コートもカッコよかったです。作中のお衣装だとあのコートが一番好きかも。
一見したところ、マイクは不使用。しかし、叫ぶように発声するくらいなら、普通に使ってもいい気もします。箱はそんなに大きくないですし、スコーピウスなど一部のキャラはもっとトーンダウンしてもいいと思う。
今回はミュージカルではなく、演劇です。歌はありませんが、ダンスシーンは結構沢山あります。皆さんマント系のお衣装なので、映えます。
装置としては、回り舞台、迫りなどは普遍的ですが、他に吊り、手前に水槽(!)があります。炎も出ますが、個人的には危ないので舞台上で火を扱うのは辞めたほうがいいのではないかと思っている派です。お衣装ちゃんと耐熱なのかな……。
演技は大人組の方が安定している印象を受けますが、ハリーは結構言い直しが多かったですね。あとめっちゃ唾飛んでるの見えた。迫真さが伝わっていいとは思いますが、感染症には気をつけよう。
ハンガリーやエーゲなどの地名が登場。ミリしら勢としては、現実世界としっかりリンクしているのが意外でした。魔法界だけじゃないんですね。
鑑賞中ずっと「セオドール・ノットis誰」と思っていた。「ジェームズ」はアルバスの兄らしいと幕間に博士から聞いた。
本棚のなぞなぞも何一つわからなかった……。ここが一番置いて行かれたポイントかも。まず初出の固有名詞が聞き取れない所からスタート。
電話の中に入る演出もお洒落です! 原理は不明。
完全暗転は電車の後が初。
スコーピウスの台詞、「(気付いているでしょう)、自分が余計者だって」。うーん、なんとも聞き覚えのある語だ……。
例のあの人ですが、発音は「ヴォルデモー」で「ト」は言わないのが不思議でした。何故? ミリしら勢でさえ違和感を覚える。
ちなみにですが、映画版でヴォルデモートを演じているレイフ・ファインズさんは、映画『オネーギンの恋文』でオネーギン役を演じています。
↑ 最初知ったとき凄くビックリした。尚、原作厨的には……という出来である。
アルバス&スコーピウスがセドリックを救おうとする流れは急で、「理解できなくはないが共感できない」というか、割と「そうはならんやろ」感があったのですが、博士曰く、原作ではこの辺りもっと丁寧に描かれているらしいです。尺の都合か色々削った結果、この流れに違和感が生まれたっぽい。わたしがミリしらであることを抜きにしても、脚本はあんまり擁護できない……。
そういった子供特有の考えの甘さを表現したいのだろうというのもわかりますが、特に覚悟もなく思いつきで歴史を変えようとしているのがまずムカつきますよね←歴オタ。もしやるならそれ相応の覚悟を持たんかい。
セドリックのおじさんの心変わりの速さも違和感凄いな~と思ったら、ここに関しては結末で魔法なんだろうということが示唆されて安心(?)しました。そうだよね。
舞台芸術あるある・入れ替わり(登場済みのキャラクターを別のキャラクター役の俳優が演じる)の演技が皆さん上手いですね! 流石。
それにしても、魔法省のセキュリティガバすぎませんか?
魔法や魔道具の役割が重複・矛盾する時って、どちらが優先されるんだろう、とか思いながら観ていました。
子供世代3人組は、無理に恋愛要素やブロマンス営業をねじ込んでいるように見えましたが、まあこんなもんかもしれない。
演出チームは照明も巧みで、照明を利用してケンタウロスを表現しているのも素敵でした。
客席横のオレンジライトで夕焼け(朝焼け?)を表現しているのもよかった。
この間オペラ制作のお手伝いをさせていただいて、照明のキュー出しを担当したので、苦労はわかります。普通に尊敬します。
スコーピウスの語尾のイントネーションが気になっていたら、博士曰く、原作ではどもっている(吃音)設定らしい。演劇での吃音といえば、『ナイ』の記憶が新しいので、やはりどうしても物足りなさは感じますね。
↑ 吃音についてのシーン。
↑ わたしのレビュー。『ナイ』、良かったです! うちの読者さんはみんな好きそう。
今回の演出の中で、肖像画のやり方が一番アナログだったと思います。普通に額縁の後ろに立つだけという(額縁の枠外は見えないように、照明を暗くしていました)。『オネーギン』の鏡の方がまだ凝っているぞ。
終幕で「わかるだろう、自分には親がいなかったから、模範となる父親像がなくてわからないんだ」などとエクスキューズを入れてはいましたが、ハリーがすっごい毒親です。
「大切なのは従わせることだ!」て。父帝君と良い勝負するんじゃないか?
階段の演出良すぎました! 個人的にはここが一番好きかも。ここもう一回観たい。
フォーメーション覚えるの大変そうですし、駆け上ったり駆け下りたり、体力も使いそうですが……。無言でもここまで雄弁に語り、物語を進められるのは見事です。
幕間に我が博士が「回転音が全くしない。いいキャスター使ってる」と言っていて笑いました。確かに。
バトルシーンはワイヤーアクション(?)多めです。若者以外もかなり体を張っていて、大変そうでした。事故にはお気を付けください!
ミリしらなので、原作でどのように描かれているのか知らないんですけど、ドラコってこんな一人語りするキャラなんだ……と思いました。先程の階段のように、言語を使わずに物語を進めることもできるのに、唐突に長台詞もやる。
生徒会長がプロンプターやっていて笑いました。あれも台詞のうちなんでしょうが。
そういえば、演劇ってプロンプターいないんですかね、怖いな。
中幕で水中を表現しているの、普通に驚きました。演出は本当に上手い。
それだけではなく、舞台の手前には水槽も! 1番前の席の人、水がかかりそうまである。大丈夫でしたでしょうか?
炎に至っては、前方ブロック最後列のわたしまで熱気を感じましたし。
亡霊が客席の上まで! 観客の上に落下の危険性のあるものを出すって、管理めっちゃ大変そう……、なんかこっちまで胃が痛くなってきます……。
第2幕
休憩を挟んで第2幕。
魔法などに関する演出は、仕掛けがわからないことの方が多いのですが、青い炎(守護霊?)を人が操っているのは丸見えでした。いやしかし、火は安全第一なので、それでよいです。
亡霊が急降下する時の布の動きが最高すぎます。間違いなく計算され尽くした動き! 何かに目覚めそうだ。
マクゴナガル先生が一番演技上手かったかも。あとは嘆きのマートルちゃん。
デルフィーは闇落ちしてからよくなりました。上演中ずっとお名前デルフィーヌだと思ってた。キャスト表見たらデルフィーになっていた。
博士の推し(セドリック)はすっごい主人公ボイスでした。普通(?)だったら彼が主人公造形だと思います。
でもまあ、シナリオライトの観点から言うと、「有能な味方は早めに行動不能にしておけ」はセオリーなので、ストーリー展開上殺されちゃうのも残念ながらわかります。主人公を食っちゃいますからね。
浮かび上がる文字はカタカナでした。客席までびっしりでした。こちらもミリしらだけど、『刃牙』の家を思い出した。カタカナだからそう感じるわけで、これが仮にアリフバーター(アラビア文字)とかだったら爆イケだった可能性がある。
駅長はフランス語とかではなく、完全に謎言語を発していました。原作では何語の設定なんだろう。上演では、ほぼこの動画でした。
↑ これ母語でやるの難しそう。
「1981年10月31日が39年前」という発言があったので、2020年設定らしい。めっちゃ最近だった。
「セントジェローム教会の前にポッター像がある」らしいですが、それはロンドンではないのかな?
毛布の回収の下りは見事でした。
ドラコがスコーピウスをもう一回ハグする動作が自然でよかったです。
ダンブルドア先生曰く、「苦しむのは息をするのと同じくらい人間的なこと」らしい。……カフカか何か?
照明と音響で教会を表現するのが素敵でした。教会なので、音がよく響いています。ここで歌いてぇ~!(※聖歌合唱をやっています)。
結局息子の見せ場はハリーが取っちゃいました。そういうところだぞ? たぶん、そういうところが息子から嫌われてんだぞ?
1幕を観て、子世代の話なのかなと思いきや、結局親世代が決着を付けていました。
ヴォルデモートが魔法とか使わずに普通に手でドア開けているのがなんかシュールでした。あっ普通にドア開けるんすね。
そして、まさかの花道。客席横を通って行きました。これは凄いファンサだ!(?)
人殺し鑑賞会を「なんかいいことしている」かのように語っているのはちょっとモヤモヤしました。まあ、ひっくり返せば歴史修正は悪ということなので、言いたいことはわからなくもないんだけど……。
それにしても、ヴォルデモートが花道を通って客席後方へ行ったことで、舞台上のハリーたちがわたしたち観客の方を観ながら演技することに説得力が生まれていたのが演出の勝利でしたね。
ハリーは最後叫ぶ演技頑張っていました。お疲れ様です。
緑のビーニー帽のモブ君も然りでしたが、皆さんスローモーションの演技が上手いです。こういうのって、下手っぴだとそれだけで白けたりしますが、ちゃんと演出として違和感なく機能していた。本当に演出は上手いです。
日常(?)に戻ると、ローズちゃんの発声の良さが際立つなあと思いました。
最後のシーンの照明綺麗すぎです!! 最高。画になる。
しかし、親子の会話はそれいいのか。いい話にしようとしている?
それにしても、そのトランク群、墓石を表現していたのか! 会話で言及されるまで全く思い至らなかった。確かに、S. B. (誰だろう?)とかイニシャルっぽいものも書かれていますね。
「今日はいい日になりそうだな」「そうだね」で完。
結局、タイトルの「呪いの子」って誰なんだ問題ですが、これはわたしがミリしらだからわからないのではなく、博士曰く、意図的に濁してあるのだそうです。
出自の怪しげなデルフィーを指しているとも読めるし、有名な親の元に生まれ、そのことに苦しむ子供たちとも読めます。
以上、備忘メモでした。
演出が非常に巧みで、スペクタクルとしては傑作と言えます。一方、わたしがミリしらであることを抜きにしても、脚本は改良の余地があるように感じました。
最後に
通読ありがとうございました! 7000字ほど。
これは有識者の解説も読みたいところですね~。
知人に「『ハリー・ポッター』の舞台を観た」と言ったら、「茅野さんと最も縁遠そうなタイトル来たな」と言われてしまいました。いや、確かにわたしはマイナージャンルを好んでいるけど、意外とポケモンやウマ娘もやるしディズニー映画も観たりするぞ……? またメジャージャンルに入門してしまいました。
それにしても、わざわざ公式から後になって「結局このキャラは早くに死ぬ運命だったんだよ! ハハハ」とか言われたらムカつき散らかしませんか? よくファンが耐えているな……なんて訓練されているんだ……という気持ちになります。
わたしも推しが早逝しているもんですから、妙に感情移入してしまい、「歴史変えようとしたけど、やっぱり死ぬしかなかったわ!笑」とか言われたら【検閲により削除されました】するぞ、とか思いました。この辺り、デルフィーに感情移入します。他に何が犠牲になってもいいからこの命取り返すぞ、くらいの気概を持てよ!
なんだか、セドリック推しの友人よりもわたしの方がムカムカしてしまいました。
余談ですが、この記事の執筆中の作業用BGMはこちらです。
↑ アナトーリー・リャードフの『魔法にかけられた湖』。
『ハリー・ポッター』シリーズは音楽も素晴らしいですよね。帝政ロシアのオタクとしては、それこそチャイコフスキーとかリャードフとか、この辺りが参考にされているんだろうな~とは感じます。
『ハリー・ポッター』の音楽が好きな人は、こういった帝政ロシアのマジカル寄りな交響曲も好きだと思う。布教させてください。
さて、次回の記事ですが、またもレビューです。今年観たものは今年中に書き終えたい……! 頑張ります。
それでは、今回はここでお開きと致します。また次の記事でもお目に掛かることができましたら幸いです!