こんばんは、茅野です。
先日、映画館で映画を二本梯子しました。普段そこまで映画を観ないことに加え、最近は映画を観たらレビュー記事を書くようにしていることもあって、梯子するのはもしかしたら初めてかもしれません。いやでも、大変楽しかったですね。
↑ 観てきた映画、一本目のレビュー記事。
続けて観たもう一本の映画が『林檎とポラロイド(APPLES)』。「記憶喪失のおじさんがただリンゴを食べるだけ……」みたいな予告に、なんだか猛烈に心惹かれてしまい、ウッキウキで席を取って楽しみにしていました。我ながら、何故こんなに惹かれたのかよくわかりませんが、なんか刺さった……んですよね……。
そんなわけで今回は、映画『林檎とポラロイド(APPLES)』の簡単なレビュー記事になります。ネタバレを含みます。
お付き合いの程、宜しくお願い致します。
↑ このポスター、芸術的すぎません? 好きだ、好きすぎる。壁に貼りたい。
キャスト
男:アリス・セルヴェタリス
女:ソフィア・ゲオルゴヴァシリ
女医:アンナ・カレジドゥ
医師:アルギリス・バキルジス
監督・脚本:クリストス・ニク
雑感
非常に静謐な映画で、個人的に好きな一人芝居~少人数劇のような作品である一方で、街や郊外など、背景の描写も美しいです。
主演のセルヴェタリス氏の、常時少し困ったような青い瞳、しかし悲壮感はない雰囲気が絶妙で、素晴らしいキャスティングだと感じましたね。
「林檎」と「記憶喪失」というキーワードだけで、正直ある程度結末は読めてしまいますし、その結末に関してもあまり捻りはなく、想定通りの位置に落ち着くので、ストーリーとしては少々盛り上がりに欠ける印象があります。しかし、この作品の醍醐味はハラハラドキドキの展開ではないので、裏切られたような感覚も持ち得ません。
日本公開は三月で、わたくしは四月に拝見致しましたが、「新しい自分」プログラムは、正に「新生活」ということで、四月にぴったりな映画だなと感じました。
主人公の新たな部屋は、必要最低限の家具の揃う、シンプルな部屋ですが、これがまた一人暮らしを始めたばかり、というような雰囲気があって非常によいです。あれよりももっとずっと質素ですが、個人的には、研修で数ヶ月滞在していたアメリカのテネシーの寮が正にあんなお部屋で、こういう新生活って意外と楽しいものなんだよなあ、と懐かしんだり。
一方で、元の主人公の部屋は豪奢で、書斎に整然と並べられた蔵書からは、主人公が元々人生経験豊富なエリート階級のインテリであることを伺わせます。その対比も素晴らしい。
「記憶喪失」を題材とした作品を鑑賞する度にいつも感じるのは、記憶がないにも拘わらず、人は歩き、喋るよなあ、ということです。脳医学は全く存じ上げない無学ゆえにわかりませんが、記憶する場所が違うとか、そんなところなんだろうとは思うのですが、それでもやはり、「この単語はあの人が使っていたから覚えたんだよなあ」とか、そういう記憶だけが抜けるというのは少々ご都合主義的すぎないかと、余計なことを考えたりするのですよね。
特に、外国語学習をしている時なんか、「この単語はあの教材に出てきたな」とか、そういうのって結構記憶に紐付いていたりしませんか。であればその教材を思い出すわけで、そう考えると記憶喪失ってどこからがその範疇に入るのか、とか、色々哲学的な問いが生まれてきます。
従って、この題材を採った作品が、どのようにこの問題を処理しているかに関しては関心があります。今作の場合は、『ジングル・ベル』や『白鳥の湖』がそのイメージに結びつかないなど、聴覚記憶と視覚記憶の断絶が垣間見える描写がある一方、八百屋の店員に住所を訊かれた際、口が反射的に以前の住所を口走るなど、非常に興味深いなと思って観ていました。
もう一つのキーとなるのが、タイトルにもなっているリンゴです。恐らく、ここで数ある果物の中からリンゴが選ばれたのは、その効能や、舞台となる地で入手しやすいことなどもあるでしょうが、リンゴ=知恵の実というような、宗教的含意もあるのだろうなと感じました。
一方、その対として描写されるのがオレンジです。一応、この映画を観たこともあり、書きかけだったオレンジに関する記事なども脱稿してみました。
↑ オレンジが神話や文学に於いて、生死と関連して語られることについて。
八百屋の店員に「リンゴは記憶力低下防止にも効果的なのに、全然売れないんだ」という話を聞いたリンゴ狂の主人公は、袋に大量に詰めていたリンゴをこっそりと全て戻し、代わりに大量のオレンジを買って帰ります。リンゴの効能か、記憶を取り戻しつつあった主人公は、己の悲しい記憶の存在を悟り、これ以上の記憶を取り戻したくなかったのでしょうか。
主人公は、記憶を取り戻さずとも、それはそれで楽しい生活を送れたのではないかという気が致します。しかし、彼は「自宅」に戻り、亡き妻の墓へ参り、恐らくは、記憶を喪失したことさえも無かったかのように、日常に戻るのかもしれません。
そう思えば、主人公が記憶を喪失したのは、「蔓延する謎の奇病」が故ではなく、妻を亡くしたショックから、現代でも有り得る一時的なショック状態で記憶を無くしたのではないか、とも考えられます。
余命僅かな老人に、妻は記憶を失っていると告げられた際の、「これ以上彼女(老人の妻)はあなたを忘れずに済みますね」という返答は重く響きます。記憶を失った状態は、何も完全な悪ではないのです。我々だって、悲しい記憶や恥ずかしい過去は忘れたかったりするわけで、そこに救いを見出すこともできます。
しかし、この映画の結末とメッセージ性としては、「記憶を取り戻す」という点にあり、更に、それを好意的に描いているように取れます。「新しい自分」プログラムで出逢う若い女性が、少し露悪的に描かれているのも、それを助長させているように感じます。
この映画、或いはこの主人公の場合では、愛する人は既に他界しており、主人公が忘れてしまえば、この世に記憶を留める人がいなくなる……という状況だったが故の結末だったのかもしれませんが、短絡的に「記憶が戻る=良い」とするのは、少し多様性に欠けるような印象も受けました。
この映画では、基本的に「観ていてしんどくなる」描写はあまりありません。但し、個人的には、「期待していたのに裏切られる」という描写が苦手と申しますか、感情移入しすぎて胸が締め付けられるので、主人公が老人のリクエストに応えて、オレンジとチョコレートの非常に美味しそうなケーキを作ったのに、彼は既に亡くなってしまっていて、食べて貰うことも、喜んで貰うこともできず、空っぽの寝台にそっとケーキを置くシーンは、心にグサグサ刺さりました……。しんどい。
それにしても、主人公がリンゴを囓る、「シャクッ」というような音は最高です。リンゴをすぐにでも食べたくなりますね。
また、冒頭の主人公が頭を壁に打ち付ける音! 翻って考えれば、あの時点では記憶を失っていないし、妻を失ったショックから自傷に走ったのではないかと考えてしまいます。それとも、この頭突きで脳にダメージを負いすぎたのでしょうか。
音響もまた素晴らしい映画でした。
「謎の奇病が流行る世界」というと、近未来的ですが、写真撮影でポラロイドが用いられていたりなどの描写を鑑みるに、舞台は1960-70年代辺りに設定されているのかな、と推測します。
医師たちがデモに参加する話をしていたりしますが、ギリシャでは1967年から1974年に軍事政権が統治を行い、デモが頻発していたことを考えると、時代的にも合致します。
それにしても、この「新しい自分」プログラム、物凄いお金掛かりそうですね。患者は未だ仕事ができないですし。その財源はどこから来るのでしょう、ギリシャだし……。
「新しい自分」プログラムに関してですが、現代の価値観で考えれば、結構セクハラっぽい課題が多いです。「ナンパしろ」とか「女性の好きなところを触って良い」とか、「男でも女でも良いからセックスして来い」だとか。
そこに嫌悪感を覚える方もいるのだろうなと思いつつ、個人的には、ジョン・ミルトンの『離婚の教理と規律』に基づいているのかななどと考えながら観ていました。
曰く、結婚は、生殖の為ではなく、孤独を埋め合わせるためにするのだということです。このような観点に立てば、新しい出逢い、特に恋愛を志向することによって、記憶が抜け落ち、空っぽになってしまった人同士が、仲良くなり、新たな人生を歩めるのではないかと、そういう趣旨なのではないかと感じました。それにしても露骨ですけどね。
『APPLES』、前述のように、幾つか課題もあり、満点の映画とは言い難いものの、個人的には凄く好みで、大変楽しめる映画でした。わたくしはこういう作品大好きですね……。刺さる人には刺さる作品だと思います。公開終了も迫っておりますので、是非とも鑑賞して頂きたいですね。
最後に
通読ありがとうございました。4000字ほどです。
普段あまり映画を観ない方で、観るとしても「史実に基づいた~」というようなお堅い歴史映画ばかり観るため、今回のように純粋な創作映画を観るのは本当に久しぶりで。そんなわたしを映画館に惹き付ける、謎のオーラをむんむんに出している映画でした。大変満足致しました。顧客が求めていたものだった。
このような、主要登場人物が少ない、静謐な作品が好みなのですが、お勧めの作品等御座いましたら是非とも教えて頂きたいです。
それでは、今回はここでお開きとしたいと思います。また別記事でお目に掛かれれば幸いです。