世界観警察

架空の世界を護るために

意志を持つエウリュディケ - 現代のオルフェウス神話

 こんにちは、茅野です。

わたくしが Nintendo Switch を購入したということを知った友人らがオススメソフトをそれぞれ贈ってくれるのですが(ありがとうございます)、先日はクリスマスプレゼントにと『あつまれ どうぶつの森』を頂きました。もういよいよゲーム機が手から離れません。

 

 さて、今回はジャンル横断型の記事を。わたくしは冥界下り譚が好きで、最も有名な「オルフェウスの冥界下り」も須く好きです。オルフェウスを題材とした芸術作品は数え切れない程の量に達していますが、今回はその中から幾つかの作品を時系列順に取り上げ、特にエウリュディケ側に焦点を当て、その傾向を分析します。

オペラ、文学、映画、ゲームと、幅広い媒体から一作品ずつセレクトしてみました。お楽しみ頂ければ幸いです。

 それではお付き合いの程宜しくお願い致します!

f:id:sylphes:20211228104037j:plain

↑ ジャン=バティスト・カミーユ・コロー『ウリディスを冥界から導くオルフェ』(1861)。

 

 

オペラ『オルフェオとエウリディーチェ』(1762)

 最初にご紹介するのが「オペラ改革者」クリストフ・ヴィリバルト・グルックのオペラです。来年、新国立劇場でも上演されるので、東京付近にお住まいの方は是非いらしてくださいませ。

↑ 我らが新国立劇場。わたくしはロシアオペラを応援していますが、バロックオペラももっと取り上げられるようになるといいですね。

 

 ……と紹介しておいてなんですが、わたくし、昔この作品がたいへん苦手で。実は、はじめて観たオペラ作品がこちらというかなり希有な人間なのですが、初手で地雷(結末改変)を踏まれたことに怒り心頭。暫くオペラを封印していた程でした(過激派)。

 しかし、それも昔の話。この記事を書くために、「パンドラの箱」を開けましたが、音楽が実に流麗ですね~!  グルックの作品の中でも代表作とされる由縁がわかります(当時ははじめてのオペラということで良さがわかっていなかった)。

 

 美しい作品ですので、是非ご一聴ください。

↑ エウリディーチェを連れ戻す第三幕第一場からにしてあります。

 

 オルフェウスの冥界下り譚が始めて紡がれたのは紀元前5世紀頃だと考えられていますが、その頃から妻エウリュディケは口を閉ざしていました。初期の作品では、オルフェウスが連れ戻したい人物が妻であるということすら記載がなかった程だと言われています。エウリュディケが登場してからも、彼女が口を開くことは滅多にありませんでした

 

 しかし、時代は下り18世紀。オルフェウスの物語はオペラ化を果たします。それが今回ご紹介する『オルフェオとエウリディーチェ』です。オペラとは「歌劇」であり、登場人物が台詞を言う(歌う)ことによって成立します。エウリュディケは人魚姫のように声が出ないわけではありませんから、勿論彼女も自らの意志を伝えることになります。ここで彼女に漸く声が与えられる運びとなったわけです。

 

 して、彼女は何を歌うのでしょうか。一部の歌詞を抜粋してみます。

Che fiero momento!
Che barbara sorte!
Passar dalla morte
a tanto dolor!
Avvezza al contento
d'un placido oblio,
fra queste tempeste
si perde il mio cor.

 

Amato sposo,
m'abbandoni così! Mi struggo in pianto,
non mi consoli! il duol m'opprime i sensi,
non mi soccorri!... un'altra volta, oh stelle!
Dunque morir degg'io,
senza un amplesso tuo... senza un addio!

          
震え、足はよろめき、この胸は張り裂ける
これほど辛くこれほどむごい定めと知っていたならば
黄泉の国の死の眠りをなぜ捨てたの
これほどの苦しみが私を襲うとは

 

愛するあなた、私を捨てるのですか?
泣いているのに、なぐさめもなく
ああ、この嘆きも変える水
私は、ああ、神々よ
死ぬ他ないのです。
抱きしめられず、別れも言えずに

                               (岩河智子訳)

 ご存じのように、オルフェウスは禁じられていたにも関わらず、彼女を「振り返り」、見てしまいます。しかし、それはエウリュディケが望んだことでもあるとしたのが革新的です。

 しかし、エウリディーチェはオルフェオが冥王ハデスと交わした契約を知りません。ゆえに、早く愛する夫と向き合いたい一心での台詞でもあります。もし、オルフェウスが振り返れば最後、己は再び冥府に連れ戻されるということを知っていれば、このような台詞は出て来なかったかもしれません。 

 

詩『エウリュディケからオルフェウスへ』(1864)

 グルックのオペラが大成功を収めてから丁度100年近く後のこと。オルフェウスの冥界下り譚は、文学の世界でも大変人気な題材ですが、当然とも言うべきか、主人公オルフェウスが主体のものしかありませんでした

 そんな中、短い八行詩ながらも、エウリュディケの視点から冥界下り譚を捉えた作品が19世紀中頃になって漸く登場しました。イギリスの詩人ロバート・ブラウニングによる、『エウリュディケからオルフェウスへ(«Eurydice to Orpheus»)』です。

But give them me, the mouth, the eyes, the brow!
Let them once more absorb me! One look now
Will lap me round for ever, not to pass
Out of its light, though darkness lie beyond:
Hold me but safe again within the bond
Of one immortal look! All woe that was,
Forgotten, and all terror that may be,
Defied,—no past is mine, no future: look at me!

わたしに口を、眼を、眉をください! それらにもう一度、

この魂を奪わせてください! 一度でも見つめてくだされば、

そのまなざしは永遠にわたしを包み込んでくれましょう、

その光を見逃すことはありません、かなたには闇が広がっているけれど。

不死なる一瞥の中にわたしを繋ぎとめてください!

そうすればわたしの味わった悲しみはすっかり忘れられ、

この先すべての恐怖も拒めるでしょう。

わたしには過去も、未来もないのです。わたしを見つめて!

                               (沓掛良彦訳)

 aabccbdd の八行詩ですね。

この詩で特徴的なのが、恐らくはエウリュディケ自身が、オルフェウスが振り返れば何が起こるのかを理解した上で、振り返って欲しいと述べていることです。今一度の生よりも、一瞥の中にこそ永遠を感じ、求めるというのは実に詩的であると言えるのではないでしょうか。

 主に20世紀以降、フェミニズム運動が活発になってゆく過程で、エウリュディケに視点を当てた詩が多く発表されることになります。しかし、その先駆けはブラウニングにあります。

 

映画『燃ゆる女の肖像』(2019)

 更に時代が下り、21世紀。最近の作品をご紹介します。

昨年日本でも公開され、一部では話題を呼んだ名作フランス映画『燃ゆる女の肖像(Portrait de la jeune fille en feu)』

f:id:sylphes:20211228084613j:plain

 『燃ゆる女の肖像』は、18世紀ブルターニュを舞台に、令嬢と画家という身分の差がある女性同士の恋愛を主題にした映画です。静謐な雰囲気がありながら、情熱的な愛を描く、LGBT映画の傑作として高い評価を得ました。

 

 この作品のベースにはオルフェウスの冥界下りがあります。作中では、主要登場人物である画家マリアンヌ、令嬢エロイーズ、女中ソフィの三人がフランス語版の『変身物語』を読み合わせるシーンがある他、ことある毎にオルフェウスの物語のオマージュが挿入されたり、解釈について議論したりします。

 以下の対話は『変身物語』を読むシーンでのものです。

Marianne : « Il choisit le souvenir d’Eurydice, c’est pour ça qu’il se retourne. Il ne fait pas le choix de l’amoureux, il fait le choix du poète. »
Héloïse (après réflexion) : « Peut-être que c’est elle qui lui a dit: Retourne-toi ».   

Marianne (ouvrant la bouche pour parler, sans rien dire).

マリアンヌ「彼はウリディス(エウリュディケのフランス語読み)との想い出を選んだ、だから振り返ったんだ。彼は恋人ではなく、詩を選んだわけ」。

エロイーズ「(熟考の末)きっとウリディスはオルフェに言ったんじゃない。『振り返って』って」。

マリアンヌ: (話そうと口を開くも、言葉が出ない)。

« Le choix du poète et non celui de l’amoureux », une lecture du Portrait de la jeune fille en feu (dir. Céline Sciamma, 2019) à la lumière du mythe d’Orphée

 オルフェと同じ芸術家(画家)であるマリアンヌは、彼の側に立ち、実態のある恋人よりも、永遠にその名を残す詩を選んだのだと意見します。一方の令嬢エロイーズは、オルフェが振り返ったのはウリディスがそう望んだからだと返します。「ウリディスだって勿論生き返りたいはずだ」と思い込んでいたマリアンヌは、その斬新な意見に言葉を失うのです。

 

 映画では、マリアンヌがオルフェウス、エロイーズがエウリュデュケに準えられています。

画家マリアンヌは、夜に白いドレスを着たエロイーズの幻影を見ますが、明らかにこれは死して亡霊となったエウリュディケを想起させます。最後にエロイーズの館を出ねばならない時、黙って出ていこうとするマリアンヌに、「振り返って(Retourne-toi.)」と声を掛けるのがエロイーズです。マリアンヌはその求めに従って振り返り、二人の蜜月は終わりを告げます。

 

 マリアンヌは最後にオルフェウスの冥界下りを題材とした作品を描いていることがわかります。

f:id:sylphes:20211228092307p:plain

丁度オルフェウスが振り返り、エウリュディケが冥府に連れ戻されようとする瞬間を切り取ったものです。ブルネットの髪を持ち、青い衣服のオルフェウスは、絵の前に立つ画家マリアンヌ本人に重なり合いますし、金髪のエウリュディケはエロイーズを想起させます。

 

 オルフェウスの冥界下りは、わたくしの考えでは、現代の男女平等の考えには相反する面があると思われます。死者である女性には全くの発言権がありませんオルフェウスがエウリュディケを連れ戻そうとするのは、彼のエゴイズムでしかなく、エウリュディケの意志は尊重されていません。彼女は生き返りたかったのかどうか、それはわからずじまいなのです。

 同じように、エウリュディケの方が「振り返って欲しい」と言ったとするのは、彼女を哀れむ現代の受取手のエゴイズムなのでしょうか。

 

 レズビアンを主題とした恋愛映画に於いて、フェミニズム的に難ありと考えられるオルフェウス神話が取り上げられるというのは非常に興味深い事例です。

 

ゲーム『HADES』(2020)

 オルフェウスの物語は、今では「硬派」とも言われる媒体のみならず、テレビゲーム部門でも健在です。数々の大賞を受賞し、正に今をときめくインディーズゲーム『HADES』はギリシア神話をベースとした物語を展開させていますが、この中にオルフェウスとエウリュディケの物語があります。

 

 『HADES』のオルフェウス神話の解釈はかなり斬新です。同作品では、エウリュディケは勝ち気な性格で、どちらかというとオルフェウスを尻に敷いています。

 

f:id:sylphes:20211227040422p:plain

↑ キャラデザイン。忘れられがちな彼女がニンフであるということ、そして性格がデザインにも現れていますね。

 オルフェウスの曲に関しても、実は彼女との共作であるものの、名声はオルフェウス一人に取られてしまった、という設定になっています。オルフェウスを英雄視するものが9割9分の中で、この解釈はかなり斬新です。

 

 冥界下りに関しては、オルフェウスに悪意がないことを承知した上で、「バカなこと」と一蹴オルフェウスが死んで冥界に住まうようになって以降も、疎遠状態でした。主人公ザグレウスは、愛の神エロース(キューピッド)宜しく、二人を復縁させることもできます。

 

 これは推測になりますが、同作品に於いて楽人オルフェウスの声が非常に高いのは、前述のグルックのオペラのオルフェウスカウンターテナーであることが影響しているのかもしれません

 

 今まで発言権すらなかったエウリュディケが、オルフェウスとの関係に於いて寧ろ主導権を握っている、としたのはとても斬新で、現代の価値観に即していると考えられます。

 

意志を持つエウリュディケ

 あくまで「オルフェウスの冒険」でしかなかった原型の冥界下り譚。エウリュディケは単なる冒険の「ご褒美」でしかなく、彼女の意志は不明瞭であり、語られることはありませんでした。

 時代が下るにつれ、エウリュディケの存在感は増してゆきます。オルフェウスの物語は、オルフェウス一人のものではなく、二人の愛の物語なのだという解釈が生まれるのです。

 

 今回は特に有名な四作品をご紹介しましたが、ここで語られるエウリュディケの意志が、「振り返って欲しい」というもので統一されていることは注目に値します。

オルフェウスが振り返ってしまった理由は、「まだそこが冥界であると知らなかった(もう地上に着いたと勘違いした)から」とか、「単に耐えられなかったから」といった、様々な解釈があります。しかし、エウリュディケに言葉が与えられている作品では、確認できている限りほぼ全てが「エウリュディケがそう望んだから」という理由になっているのは興味深い事実です。

 

 エウリュディケが蘇りたいと望んでいることが明確であるのならともかく、意志がわからない状態で連れ戻すのは、オルフェウスのエゴイズムでしかありません。そして、失敗するのも「オルフェウスが振り返った」という一点に尽きるため、オルフェウス一人に責任があります。エウリュディケは、エゴイスティックなオルフェウスに振り回される哀れな亡霊でしかありません

 しかし、エウリュディケが「振り返る」ことを望んだのだとしたら、まだ救いがあります。そこに彼女の意志が介在しているからです。

 

 このように解釈するのは、前述のように、「そうあってほしい」という受取手のエゴイズムでしかないのかもしれません。エウリュディケは、ただの「ご褒美」ではなく、オルフェウスと対等な立場にある彼の妻なのであり、彼はその意志を汲んだのだということにしたい、というただの欲望なのかもしれません。

 しかし、物語は時代のニーズに合わせて形を変えるもの。逆に、古代ギリシアの時代には男尊女卑思想が根強く(男性間の同性愛が流行したのもその一例)、「死した女性に言葉を与える必要は無い」と考えられていたからに他なりません。

現代、特にフェミニズムが台頭した19世紀以降では、寧ろエウリュディケに発言権を与えるべきだ、とする傾向が強いのは特筆に値します。

あなたはエウリュディケはどのような意志を持ち、何を望んだと考えますか。

 

最後に

 通読お疲れ様でございました! 7000字です。

昔から冥界下り譚が好きだったので、今回簡単ではありましたがご紹介する記事が書けてよかったですね。

 

 オルフェウスの冥界下りをモティーフとした作品は、研究者が追跡しきれない程に多く、当然わたくしも全てを把握しているわけではありません。オススメのオルフェウス型の作品をご存じでしたら、紹介して頂けるととても喜びます。宜しくお願いします!

 

 オルフェウスの物語は、「どうして振り返ってしまったのか」という部分が伏せられているところがとても詩的で、多くの芸術家の想像力を刺激してきました。現代の価値観に照らし合わせて考えれば、前述のように、「エウリュディケがそう望んだから」とするのがよいでしょう。しかし、それと同時に、それ一辺倒になってしまうのも、多様性の観点から懸念する次第です。今後も様々な解釈、作品が生まれることを願うばかりです。

 

 それでは、今回はここでお開きとしたいと思います。また別記事でお目にかかれれば幸いです!