世界観警察

架空の世界を護るために

東京バレエ『ロミオとジュリエット』 2022/04/30

 こんにちは、茅野です。

ゴールデンウィークですが、皆様は如何お過ごしでしょうか。わたくしはバレエ三昧です。やったー!

 

 レビューを書くのが(わたくしにしては)遅れてしまいましたが、一昨日、東京バレエ団さんのクランコ版『ロミオとジュリエット』、拝見して参りました!

 普段は同クランコ版の『オネーギン』を熱狂的に愛好しているのですが、実はクランコ版の『RJ』を観るのは初めて。先日のシュトゥットガルト・バレエ団のガラコンサートでバルコニーシーンだけ拝見しましたが、全幕は初見だったので、楽しみにしていました。

 というわけで今回は、東京バレエ団さんのクランコ版『ロミオとジュリエット』の簡単なレビューになります。4月30日土曜日の回にお邪魔しております。

 

 簡単にはなりますが、お付き合い宜しくお願い致します。

 

 

キャスト

ロミオ:秋元康

ジュリエット:足立真里亜

マキューシオ:宮川新大

ティボルト:安村圭太

ベンヴォーリオ:玉川貴博

パリス:大塚卓

指揮:ベンジャミン・ポープ

演奏:東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団

 

雑感

 最初に思ったこととして、「クランコ作品だな~~」ということですね。

特に、第1幕で、主役級たちが演技をしている中、群舞に巻き込まれてゆき、最後に主役同士が鉢合わせるところは、『オネーギン』第2幕第1場を否が応でも想起させます。クランコ曰く、『オネーギン』の振付の中でも特に気に入っている箇所であるようなので、『RJ』の頃からその片鱗が見られるわけですね。

 また、2幕1場にて、下手前で黄昏ているロミオ、舞台中央で瀕死のマキューシオを見やりながら腕を組んで澄ましてるタイボルトも、なにかを想起させますよね……。

 「乳母」に「少女」、「手紙」という組み合わせなんかも然りですね。オペラ版でもバレエ版でも、『オネーギン』では乳母(フィリピエヴナ)が手紙を届けるシーンはカットされてしまうので(※描かれないが、実際にはフィリピエヴナではなく彼女の孫が届ける)、なんだか新鮮でした。

 

 振りだけとって見ても、とんでもない高難度のリフト、PDDで、サポートを受けつつ旋回中に足のポジションを変えていくジュリエットの振りもクランコらしさを感じさせますね。

 クランコ作品の特徴として、「演技と踊りの連続性」、「振りの難易度の高さ」は誰もが指摘する点かと思いますが、改めてそれを感じました。

 数年前の来日公演での『白鳥の湖』ではあまり感じなかったのは、『RJ』ほど顕著ではなかったのか、わたしが当時クランコ作品への理解が足りていなかったのか……。

 

 ほぼいきなりで申し訳ないのですが、オケは一体全体どうしたことか。アマチュアオーケストラの方がまだ頑張るのではないか。第一ヴァイオリンだけのパートであんなに濁ることありますか。

全体的に満足のいかない演奏でも、「このパートだけはよかった」みたいな点が大抵はあるのですが、今回は少々厳しいですね。ソロパートも、当然トゥッティも、擁護不能です。途中から主演二人がなんだか可哀想になってきました。

 オペラとバレエを両方愛好する人々の間では、「バレエは演奏中にも拍手などが入るのが頂けない」という意見が散見されますし、わたくし自身普段はそう感じているのですが、何故バレエでは音楽が蔑ろにされてしまいがちなのかという点についての疑問が、嫌な方向で解けてしまったような気が致します。ああ、プロコフィエフ……。

 

 美術についてです。担当は我らがユルゲン・ローゼ御大。

常時後ろに橋がかかっているのが大変お洒落でした。それも、お飾りではなく、上手く活用されていました。奈落で棺が下がっていくのは流石に驚き。お洒落~!

しかし、棺が下がる程の奈落があるとするならば、意外と幅が広いんだな? などと思ったりします。文化会館の舞台は広いわけではないので、アーチにそれほどスペースを取られるとなると……などと余計なことを考えたり。

 また、第一幕で果物商が通ったり、オレンジを投げ合ったりしていますが、なるほど、そりゃあヴェローナなら……と納得をしたり。

↑ 丁度この間、オレンジの記事を書きまして。パンフレットにも、『RJ』は「死と再生の物語」という解説がありますが、正しくです。

 

 主演お二人について。

ロミオは非常に端正でした。インタビューでは「静かめ」と仰っておりましたけれども、正にそうでしたね。

↑ リハーサルとインタビュー映像。

 その分、感情の起伏が比較的緩やかであったような気も致しました。演技はしっかり目なんだけれども、ロミオも若いので、もう少し熱があってもよい気もします。が、原則全く過不足なかったですね。

 しっかし、いつも思うんでですが、あのバルーンスリーブは邪魔じゃないのか心配になります。いや、邪魔なんでしょうけど、よく捌きますね……。
 いつも『オネーギン』ばっかり観ているので、手紙を受け取っては有頂天になり、手袋を投げつけられても拾って返してあげる優しさに、「ロミオはいいやつだなあ」と謎の感心をしてしまいました。

 

 ジュリエットは、「14歳(精確には13歳か)の少女」感が満載で非常によかったですね! 精霊やら鳥ではなく、人間の溌剌とした愛らしさに好感を持ちました。演技も丁寧で、物語にすっと入り込めました。

『RJ』は、もうキャスト表を見れば一目瞭然ですが、バレエでは非常に珍しい現象だなと思いますけれども、主役級では紅一点と言っても良く、可憐さが目立ちます。

 バットマンの時など、少し勢いが残る気も致しましたが、それを含め天真爛漫さが出ていてよかったですね。

 主演二人が申し分ないので、全体的に引き締まって見えました。尚、音楽。

 

 その他主要キャストについて。

なかなか死なないことでお馴染みのマキューシオ(?)。クランコ版でも人情派で、おちゃらけていながら芯の通ったしっかり者という、キャラが引き立っていました。

どの版でも思うのですが、バレエ版のマキューシオは、「俺を蛆虫の餌にしやがって」と吠えるような荒々しさがあまりないですよね。解釈の問題なのか。

 軽快さが求められるマキューシオですが、身軽でよかったですね。一点、トリオの時に一人だけワンテンポ遅れているのが気になりましたが、相棒ベンヴォーリオが急遽キャスト変更となったことなども関係しているのかななどと邪推をします。

 

 いつも思うんですけど、タイボルトって『RJ』の中でも美味しい役ですよね。みんな大好き名曲『モンタギュー家とキャピュレット家』に唯一参加出来る主要級で、キャピュレット側の黒一点。グリゴローヴィチ版なんか、あの曲でソロですからね。強い。クランコ版でも、演技パートが多いながらも魅せ場も多く、その認識を強めました。
 立ち姿が凛々しく、決闘でも、剣を持っていない左手の上げ方が端正で、わざと型を崩して演じるマキューシオと素晴らしい対になっていました。

 人が死にすぎな『RJ』。従って死体運搬も多すぎな『RJ』。最後、タイボルトの遺体とキャピュレット夫人を一緒に持ち上げていて、流石に「おおっ」となりました。筋力も要求される『RJ』……。

 どうでもいいのですが、パンフレットの表記についてなんですけれども……。

第2幕 第3場:市場

カーニバルの真っ最中に、ロミオは広場へ戻ってくる。ティボルトが話しかけるが、ロミオは闘おうとはしない。怒ったマキューシオがティボルトと決闘し、ティボルトはマキューシオの手にかかって死んだ。呆然として取り乱したロミオは、ティボルトに襲いかかり殺してしまう

                                  (p. 8)

 タイボルト(ティボルト)は二度死ぬ。映画化決定。……逆だよ逆!!

ちなみに英語版ではちゃんとマキューシオが死んでました。

 今回、いつものようにU25席で、三階R側だったのですが、GWということもあってか、周囲は同じくU25席の年端も行かぬ少女たちでした。彼女らにこの話は重すぎるのではないかと危惧したり。

 

 これも『RJ』を観る度に思うのですが、パリスってほんと可哀想ですよね。何も悪いことしてないのに急にフラれるわ刺し殺されるわ、災難すぎます。『RJ』は人が死にまくりますが、パリスの親族が一番怒っていいとおもう(要はヴェローナ大公エスカラス)。

 クランコ版では、良い感じに「グレーミン枠」でしたね……。

 

 クランコ版『RJ』は初見だったのですが、何が観たかったって、懸垂ですね。見所です。

以前、シュトゥットガルト・バレエ団のフリーデマン・フォーゲル氏が、インタビューで「ジュリエットはいいよなあ、バルコニーの上で待っているだけで。」というような発言をしていたのが余りにも印象的で、以来、ロミオの懸垂は楽しみにしていました。

 しかし、先日の来日ガラの『RJ』バルコニーシーンのPDDではまさかのカット。

↑ 一応極簡単にレビューなども。

 今回、お目に掛かれて良かったです! あの魅せ場となるPDDの直後にも拘わらず、腕の力だけでググッと上がり、キスして颯爽と帰ってゆきましたね……、つ、強すぎる……。

 バルコニーシーンは、やはり全幕だからなのか、ガラで観た時とは大分印象が変わりました。物語の中に溶け込んでいると、ライトモティーフのような、振りの意味なども違って見えてきて興味深いですね。

 

 第3幕冒頭、物凄い所謂「朝チュン」だったので思わず笑いました。クランコ作品って、わたくしがいつも『オネーギン』ばかり観ているせいか、なんと申しますか潔癖なイメージが強いんですけれども、『RJ』はロマ(ジプシー)の描写など、マクミラン作品を感じさせるような描写があって、結構意外でした。

 ……という余談はさておき、ロミオが先に起きるのは、最後のジュリエットがロミオの死後に起きることとの対比なのだろうなと感じたりしました。

 「『RJ』といえばバルコニー!」というイメージが強いわけですが、個人的にはこの別れの前も好きで。と申しますか、音楽的には作中で一番好きですね(今回は音楽には期待できませんでしたが……)。チャイコフスキーも作曲しているのはバルコニーではなくこちらの方ですしね!

↑ こちらはプロコフィエフではなくチャイコフスキーの話。

 

 前述のように、ジュリエットの演技が凄く良くて、特に仮死の薬を飲むシーンは最高でしたね。完璧。

 して、仮死状態のジュリエットの前での群舞。容赦がなさすぎて笑いました。クランコ版、マンドリン(でしょうか?)のディベルティスマンを二曲挟んでいて、興味深かったですね。

 しっかし、ローレンスさんは何故に森にいらっしゃるのか。教会ではないのか。というか、髑髏と薬草持っての登場、最初から明らかにヤバい奴オーラを漂わせまくっております。野外の粗末な十字架に「『ジゼル』か!」と思い、その手提げの中を確認し、「……いや、『Mayerling』だな!」と思い直す。一人だけ出て来る作品間違えている感(ダンサーさんの問題ではなく)。面白かったです。

 

 最後は、タイトルロール二人の死にて終了。両親らに死体が見つからないENDでした。その方が『ロミオとジュリエット』という題に則していていいのかもしれませんね。『モンタギューとキャピュレット』ではありませんからね。

 

最後に

 通読ありがとうございました! 5000字強です。

 

今回は、日程の問題もあり、土曜日の回にお邪魔しておりましたが、直前になってこのような記事が……。

―今後踊ってみたいと思う役は?

柄本弾さん:『オネーギン』!!

不肖わたくし、オネーギン役(ターニャ、レンスキーらも、勿論)を目指すダンサーさんを1ファンとして心の底から応援して参ります

そういうことは早く言ってよー! 初日も予定開けたよー! 未来のオネーギンダンサーの予習をしたかった。柄本弾さん、近いうちに同系統の役柄(同系統の役柄……?)で観てみたいですね。『オネーギン』に出る(出たい)旨の宣言を頂けると、わたくしが席を買いますので是非とも立候補下さい。宜しくお願いします(?)。

 

 更には、日本『オネーギン』界最強ファンの一角、我らが斉藤友佳理御大からもこのような一言が。

「ロミオ役のダンサーがオネーギン、レンスキーに、ジュリエット役のダンサーがタチヤーナにと、成長していってもらえたら」と、目標を定める。

                            (パンフレット p.17)

ほんとうに仰る通りです!!!! 是非とも宜しくお願いします!!

これは本当に東京バレエさん近々『オネーギン』再演ありますよ……あると信じています。全通したい。宜しくお願いします。

 

 と、希望に胸を膨らませつつ、今回はここでお開きとしたいと思います。公演、大変楽しませて頂きました。

また別記事でお目に掛かれれば幸いです!