こんばんは、茅野です。
始まります、戦いが。
いよいよと言いますか、なんと言いますか!
先日は新国立劇場のオペラ『エウゲニ・オネーギン』にお邪魔しました!
↑ 「エウゲニ」ってなんだよ(n回目)。
Каяно:Как счастлива, как счастлива я! Я снова вижусь с вами!
???:В ноябре мы виделись, мне кажется.
Каяно:О, да! Но все ж месяц целый, Долгий месяц прошел в разлуке. Это вечность!
って感じです、体感的には。伝わる人にだけ伝わって、その人達が笑ってくれればそれでいいです(内容がキモいから)。
さて、キモいことを言っていないで、新国君です。
我らが新国が『オネーギン』を取り上げるということで、大変期待していた前回2019年。主に演出が悲惨で意気消沈した2019年……。
「最愛の『オネーギン』なのに心の底から楽しみにできない」という人生初めての経験をした今回! まあそれでも、一応わたしは全通しますが、主に演出のせいで人にも勧めづらく、どうしたらいいのか迷いに迷った今回! で御座います!! お陰様で今回はあんまり布教活動をしませんでしたよ。どうしろっていうんだ……。
いらっしゃる方は劇場でぼくと握手!! お気軽にお声掛けください(?)。喜びます。しかしこちらはテンションブチ上がっているキモ=オタクなので注意してください。アドレナリンを焚いているので、皆さんの想像の5倍くらいはハイテンションです。
基本的には『オネーギン』公演の翌日は一日空けてゴリゴリ記事を書くことにしているのですが、初日の後は色々予定が詰まっていて(スケジュール管理の失敗)、執筆時間があんまり取れない為、今回はごく簡単に、概観だけ述べて次に備えようと思います。わたしにしては比較的駆け足で。ご覧の通り、投稿も少し遅れましたし……。
それでは、簡単に雑感を記して参ります!
お付き合いの程宜しくお願い致します!
↑ うん、美術はまあいいんですよ。時代考証メチャクチャだけど。
キャスト
エヴゲーニー・オネーギン:ユーリ・ユルチュク
タチヤーナ・ラーリナ:エカテリーナ・シウリーナ
ヴラジーミル・レンスキー:ヴィクトル・アンティペンコ
オリガ・ラーリナ:アンナ・ゴリャチョーワ
プラスコーヴィヤ・ラーリナ:郷家暁子
フィリピエヴナ:橋爪ゆか
グレーミン:アレクサンドル・ツィムバリュク
トリケ:升島唯博
ザレツキー:ヴィタリ・ユシュマノフ
大尉:成田眞
指揮:ヴァレンティン・ウリューピン
合唱:新国立劇場合唱団
演奏:東京交響楽団
演出:ドミトリー・ベルトマン
雑感
第1幕
第1場
序曲の時点で半ば確信しましたが、指揮がめちゃくちゃいい……ですね……!? これは素晴らしい、いや、全く想定外だ……。今まで生演奏で聴いた中で 1.2 を争うほど良い。ゲルギー親分に、ファビオ・ルイージ御大を通ったわたしが、ですよ?
歌手の予習はごく簡単にしてから行きましたが、指揮者さんは名前聞いたことない方だったし完全にノーマークだった。こういうのダークホースって言うんですよね? MVP はあなたに差し上げます。
単純に質がいいし、何がしたいのかわかるし、解釈一致するし、何よりわたしの好みだ……。
でも、正直、はじめて『オネーギン』を聴く人向けでは無いかな、と思いました。物凄く繊細な棒なので、絶大な集中力を要求されるから、集中を切らしてしまったら、薄味で、退屈に感じる人もいるのかも、とも。「眠くなった」という意見があっても、別に驚きません。
しかしですね、最終的にはチャイコフスキーってこれでいいんですよ、よくないですか?(?) 。別にエキセントリックなことしなくていいんですよ、丁寧に音作りしてくれれば、それだけで。これだけ素材の味が濃いんだからさ。
pp がとっても丁寧で、1幕は全体的にスローペース。緩急はかなりしっかり付けているが、わざとらしく大げさな感じはない。別に、「ただ音小さくて遅い」って訳ではないですよ!? 断じて!
わたしはここで勝利を確信しました。序曲の最後の方です。
↑ 休符まで入っているのがポイント。
この後ちょっと加速して落ち着いて、が続くのも洒落ていたな~……。
ちょっと、過去に『オネーギン』何回振ったんですか? 新国君どこからこの人発掘してきたんです?? まだ38歳の若手さんでしょ? やるな……マークします……必ず CD を出せ、出すんだ、はい今!!!
最初の四重唱。
" Привычка свыше нам дана, Замена счастию она. " のところの木管が凄く一音一音しっかり吹いてくれていたのが良かったです。
↑ ここ。
今書いてて思いましたけど、こう、音(休符含む)を一音一音丁寧に演奏してくれるのがオタクのハートに刺さったんでしょうね。そうだ、そうだ、音も歌詞も全部大事にして欲しい。噛みしめる時間をください。サラッと雑に流されるのはきらい。
最初の演出解釈違いポイントなんですけど(キリがないですが)、この四重唱の後に夫人とフィリピエヴナが泣くのは、個人的には「無い」です。え、何に対しての涙なんだそれは。
" Привычка свыше нам дана, Замена счастию она.(習慣は天からの授かり物、幸福の代わりになる)" と言っているのだから、過去を惜しんだり、幸福の方が良かったという気持ちは多少あれど、現状を受容しているポジティヴな歌ですよね。
確かに、歌の最後の方では夫(ディミートリーさん)が亡くなった話になりますし、音楽もそれに従って短調になりますが、それにしたって歌詞とは合わない。
それに、ここで「ラーリナ夫人は本当は習慣よりも幸福を求めていた」とすると、第3幕のオネーギンさん(彼は「習慣よりも幸福」を求めようと足掻く)との対比の形が崩れるんですよ、それは構造として非常に勿体ない。
オペラ『オネーギン』って、結局タチヤーナが「幸福よりも習慣」を選ぶことから、ここでの台詞はある意味で予告というか、真理を言っているというか、その「習慣」さえも受け継がれていくというか、要は非常に重要な台詞になってくるわけですね。
それを自ら否定するような演技を入れてしまうのは何故なんだ、この対比よりも重要な要素があるというのか。教えて欲しい。
ていうか、音楽を楽しみたいので余計な雑音入れないで欲しい。泣き声どうでもいい。要らない。
農民の合唱。ソロがまず良いです。合唱になってからもテノールが特に良い。バランスを崩さない程度に、" Скоры ноженьки со походушки." のところでテノールがハッキリ聞こえるのレアかも。
なんというか、凄く「ロシア民謡っぽかった」です。いや、はい、元からそうなんですけど、ロシア語も上手いし、クオリティ高い。「日本人がそれっぽく真似事してるよ~」じゃなくて、ちゃんとロシア民謡だった。
だからこそ、Вайну やらずに次進んだの絶対許さないからな。新国合唱団をナメているんですかね? 絶対素敵な Вайну やってくれるし……。削るのは冒涜。罪。
オリガは体型はとてもスレンダーなのに、声はガッッツリアルトです。10代の女の子がそんなアルトかいな、という突っ込みはさておき、" Я беззаботна и шаловлива, Меня ребенком все зовут! " が太い。強い。
但し、相変わらずほんっとお衣装と演出が……、酷い。友人曰く、「モップみたいな服」。はい。
宜しいですか、オリガちゃんは男性陣公認の美少女です。また、10代半ばのティーンエイジャーです。現代でいうと、恐らく中学生とか高校生とかそんなもんです。
皆様、これくらいのときって何が好きでしたか? ピンクのフリフリにどでかいリボンですか? 一部にはそういう人もいるかもしれませんが、一般的ではないですよね? 厨二病真っ盛りなお年頃ですよ? 逆にそんなん黒歴史確定じゃないですか。
いくら「子供っぽい(Меня ребенком все зовут)」という歌詞があるとはいえ、10代の女の子をバカにしてるでしょ、流石に。乙女に対する理解力がなさ過ぎる。
四重唱。
この四重唱の入り、ホルンのロングトーンが続くじゃないですか(最後もですけど)。なんか妙に主張が強くて実質五重唱でした。オネーギン、レンスキー、ターニャ、オリガ、ホルン。指揮は左手で「押さえて~」とやっていたから、多分指揮者の意図ではない。ホルンが難しい楽器なのは重々承知なのですが、でもやっぱり「ホルン、pp!!」って言っちゃう……よな……。
ホルン君(ちゃんだったらごめんね)はターニャとオリガ、どっちが好き?
レンスキーのアリオーゾ。朗々と響き渡ります。大変良い声をお持ちです。「もうこんなん出てきたらオリガもオネーギンのことガン無視でいいでしょ」みたいなレンスキー出てきました。ゲッティンゲンって魔境なの?
でも " Ты одна в моих мечтаньях, " のところの Ты のズリ上げは大いに改善の余地あり。最早 Ты じゃなくて「(子音 т 消滅の後)えい~↑」だったもんな。無学にして声楽も音声学も詳しくないですけど、それはあかんでしょ。ロシア語の新二人称「えい」。
この後 Ты ~ って歌詞が続くんですけど、他はそこまで気にならなかったです。でもその直前の "Как одна душа поэта ~ " の душа もちょっと気をつけた方がいい。
他の部分は2回目以降の公演の雑感に回します~(時間が無いし、今日全部書いちゃうと多分流石にあと3回分書くことなくなるので……)。
第2場
たまに言っていますが、わたしは『オネーギン』の曲は全て満遍なく大好きであるものの、強いて一番を選ぶならここ、1幕2場序曲です。チャイコフスキーの官能性全部ここに出てると信じています。
棒はとっってもえっちなのですが! チェロの重奏時に微妙に音程が合っていないと生まれる「うねり」が勿体ない! ちょっと気持ち悪い!
普通なら全然許容範囲なのですが、今回はかなりのローテンポ且つ pp なので、どうしても目立ちます。ここ、千秋楽までに改善されますか? 期待します。
さて、ターニャです、「手紙の場」です。
ターニャにしては軽めの声質で、クリアな声をお持ちです。声量に関しては、ちょっとセーブ気味かな? と思いましたが、でもターニャって2幕殆ど歌わないし、「手紙」が一番の見せ場なので、ここでセーブせんでも、とも思いつつ。まあ長いからね。
地声っぽい箇所や、歌というより喋りっぽくなってしまっている箇所がちょっと気になりました。
でも " Дрогой! " の伸びなどは素敵です。" Вот он! " 2回目は下げる派。
彼女の「手紙」が入った CD を買ったのですが、正直、録音の時の方がずっといいなと感じました。録音が良いということは、それだけの実力の持ち主ということではあるのですが、初日だからセーブ気味なのかな? 指揮や演出との相性の問題? 上がり調子を期待します。
他も良い点気になる点幾つかありますが、細かいことは次回以降で。
で、今回言わなきゃいけないのはこっち。ちょっと!! こら!! 扇風機直ってないじゃないか!!!! おい!!!
わたしはやった、みんなもやって。お客様のご意見は効果あるらしいので。
— 茅野 (@a_mon_avis84) 2023年7月1日
みんなもあの扇風機もう嫌でしょ pic.twitter.com/pK0oexpHX8
説明しよう。扇風機事件とは。
" Вообрази: я здесь одна! " 以降、窓から風が入り込んでくる演出があります。それ自体は良い。落ち葉も舞って素敵である。
しかし、なんだその扇風機の音は。ターニャを侮辱しているのか、というくらい、「グオーン」という無機質な音がします。許し難い。
確かに、多少改善はされました。明らかに、2019年の時の方がうるさかった。いやでも、いるよ、まだ扇風機。え、聞こえます。「ゴオー」っていってますよ。わたくし今回席1階後方でしたが、全然聞こえる。これじゃ及第点出せないですよ。
演出より音楽を優先しなきゃダメでしょう、どの口で客席に静寂を強いているのか一回冷静に考えてみてくれ。余計な雑音を入れるくらいなら洒落た演出も諦める。それの何が悪いんでしょうか。
っていうかこの「お客様のご意見」、記名制だったので強制的に本名入力の上で書いたので、思いっきり新国の内部に素性バレているよな……、まだ自分が甘口レビュワーで良かったと思う……。え、甘いですよね?
第3場
オネーギンさんです。
まず特筆すべきは、容姿端麗な歌手さんだということです。まずそこを書かれるのも本人嫌かもしれませんが、実際感想サーチしてもみんなその話しているし諦めて欲しい。
昨年、デンマークの首都コペンハーゲンの KGL という劇場で『オネーギン』を観てきたんですけど、その時のオネーギンさん(イェンス・ソンダーガードさん)もとてもハンサムな方でした。
↑ 2回観ました。KGL の雑感はこちらから。たいしたことは書いてないです。
2回連続で容姿端麗なオネーギンさんで眼福であります。わたし学部で「フランス恋愛文学に於ける一目惚れとルッキズムの問題」みたいな小論を書いたことがあるんですけど(『オネーギン』はロシア文学ですが)、まあやっぱり一目惚れには容姿って重要な要素になってきますよね(結論)。説得力がある。
チャイコフスキー御大は、オネーギンさんに全然見せ場を与えてくれないので、なんだか最早歌ではなく容姿でも勝負せざるを無くなっているのは本当に可哀想です。彼が1幕1場にアリアを入れてあげないのがいけないんですよ。叔父さんの看病したとかフェイクニュース垂れ流してる場合じゃあないんですよ。カッコイイ歌聞かせてよ。
↑ オペラしかご覧にならない方はご存じないかもしれませんが、原作ではオネーギンさんは叔父さんの看病してませんからね!? 第1章 LII スタンザを読むんですよ、いいですか。
さて、歌手相手に容姿の話ばかりするのも可哀想なので、歌の話。これは『オネーギン』を観る評論家が皆ブチ当たる壁であると確信しているのですが、1幕3場のオネーギンのアリアは、「よいバリトンのお声をお持ちなら、何事も無く綺麗に歌いきれる歌である」、ということです。つまり、当たり障りがないのです。
技術的に難しいわけでもなく、激情を訴えるわけでもない。淡々と、教え諭すという珍しいアリアです、相当の「なにか」が無ければ、光りません。
今回のオネーギンさんは、「よいバリトンの声」をお持ちです。だからとても綺麗にアリアを歌ってくれます。でも、以上です。特に「なにか」はありません。でも、この「なにか」って、天性のものであったり、あまり無闇矢鱈に求めるものでもないじゃないですか、普通、綺麗にアリア歌ってくれたら充分じゃないですか。
やっぱりチャイコフスキー御大ってオネーギンさんのこときらい? ハードル高くない?
アリア中のターニャは、2019年版よりも「夢ボケ具合」が軽減されていました。それでいいよ。
また、常識人感が前面に出ていた2019年とは異なり、オネーギンさんの方は結構「イヤなやつ」系の解釈。立ち姿がスラッとしていて美しいのもあって、なんだかバレエ・クランコ版みたいだ。バレエの『オネーギン』好きな人、今回のオネーギンさん像絶対好きだと思う。賭けてもいい。
少し話飛びますが、3幕1場での動きがちょっとグランプリエっぽくて、で、またその動きが美麗なわけですよ。「グランプリエが美しすぎるオペラ版オネーギン」の話は面白いから一生語り継いでいくね。踊って。
一方、わたしは過去にこんな記事まで書いたりしているのですが……(2018年だって、怖いね)。
↑ オネーギンさんのことよく知らない人に「ダメ男」とか「クソ男」って言われるの許せない委員会。そういうこと言う人に限って大体原作読んでないし、大手メディアとかで広報してたりするし、ほんと勘弁してほしい。
でも、解釈に一貫性があるならそれでよいです。「イヤなやつ」系の演技もハマってましたし、わたしはこれはこれで好きですよ。
第2幕
第1場
あの、一言いいですか。休憩、しませんか……?
わたしは酷いときは1日に3回『オネーギン』観ていた変態なので、全幕ぶっ続けでも構わないくらいですけど、そのわたしでも流石にちょっと疲れたなと思いましたよ。メモとか取りたいし。
わたしで休憩欲しいんだから、初見の人や慣れていない人は絶対休憩欲しいでしょう。
ていうか、2幕1場(1月24日)と2場(1月26日早朝)の間に休憩30分入れて、そこから3幕(数年後)に無いって、時系列で考えても変でしょう。おかしいと思わなかったんですか、制作陣は。
2幕2場から3幕1場を繋げていいのはカーセン演出だけだから……、あれはポロネーズでオネーギンが「禊」をする演出が洒落ていて、何がしたいのかわかるので、全然いいです。でも別に今回は意図があってやっているわけじゃないでしょう。
1幕では、2019年版で(主に演出で)嫌だった点が多少改善されつつあり、「ああ、ちょっとは直す気あるんだな」と思いました。まだ懸念はいっぱいあるけど。
でも2幕で、「あ~あの演出またやるんか~~」とゲンナリ……。もう一言で言って悪趣味だよ……。
一方で、指揮ですね、これが唯一の良心です。愛しています(告白)。
ワルツで急に加速。最初に思ったのは、「踊りやすそうだ!」ということです。これなら楽しく踊れそうだ! Веселье хоть куда!( хоть куда の使い方ここで覚えた)。
コティヨンもすっごく良かった。わたしはチャイコフスキーはオペラ作曲家だと信じて疑っていませんが、やっぱりバレエ音楽書くの上手いんだなって思いました。『オネーギン』観ててそんなこと思うの初めてなんですけど。あ、傑作三大バレエを書いた人のダンスミュージックなんだ、と思いました。
ファビオ・ルイージ御大の2幕1場は、有り得ないくらいテンポが精確なんですよ。あれはあれで技術で、美しい。一方で、今回のウリューピンさんは、「ノるところでノる」というか、「ここで減速してポーズ決めたいでしょ? で、ここでちょっと加速してステップ踏みたいでしょ?」みたいな、「踊る人のことを考えた指揮」だな、と思いました。これは Все экосезы も все вальсы も踊っちゃいますわー。
だからこそ、ここでしっかり踊らないのは本気で勿体ないと思った。ペリー演出のコティヨン踊って欲しい。いやほんと、演出と指揮の相性が頗る悪い。わたしの評価は演出0:指揮100ですけど……。でもこの指揮でカーセン演出とかステパニュク演出だったら、無事昇天していたと思うので、まあよ……、くはないな……。
トリケ君に関してはノーコメントで。察して。
トリフォン・ペトローヴィチ君は音程ちょっと怪しくないか?
時代考証に関して。オリガがカップから紅茶を飲んでいました。2019では、受け皿にこぼして飲んでいたのですが。曰く、「当時の慣習ではそうだった」と言われたので、「ほんとかぁ~~?」と思ってあの後リサーチしたのですが、やっぱり違うと思う。
↑ これはイギリスの話ですが、ロシアでも大差ないはず。
紅茶を受け皿にこぼして飲むのは、フィリピエヴナならともかく、貴族の令嬢ならやらないはず。オリガが如何に「農奴の歌を聴くと楽しくなっちゃう性分」でも、そんなことしていたらラーリナ夫人が真っ先に止めるでしょう。
しかし最後の " Владимир, успокойся, умоляю! " の時の謎ヴァレーニエは健在。意味わかんないから今すぐ辞めよう。
また、後ろの壁に色々肖像画が掛かっているのですが、左下の女性は皇后マリヤ・アレクサンドロヴナですね? 無学にして、彼女しかわからなかったけど。
↑ この肖像画でしょ。
「ロシア貴族のお屋敷に、皇族の肖像画が掛かっているのは普通では?」、はい、そうかもしれません。
しかし、考えてもみてください Вообрази 、2幕1場って、まあ大体1821年とかそんなもんです。マリヤ・アレクサンドロヴナは1824年生まれです。まだ生まれてないんですよ! 怖い話じゃないですか、これ。時代考証ガバガバすぎるでしょ。ドラマトゥルクは何をしている? 代わろうか??
っていうかそもそも、「屋敷の壁に皇族の肖像画を飾っている」のは、ラーリン家じゃなくてオネーギンの叔父さんの家だから( Царей портреты на стенах, / 2-II-7)。それだと『オネーギン』テスト落第しますよ。
ちなみに、弊ブログのヘヴィーな読者さんに言っておくと、彼女は我らが殿下のお母様です。似てますか?
第2場
休憩を挟んで(前述のように、わたしはここで休憩を挟むのには断固として反対である)、第2場です。休憩からいきなりレンスキーのテンションに心情持って行くの大変だからほんとうにここで区切るのやめよう。わたしも無理。
ザレツキーはオネーギン歌いでもあるヴィタリ先生です。『オネーギン』歌ってくれなかったので記事は書きませんでしたが、ジルベスター・コンサート、お邪魔しましたよ! エレツキーありがとうございます!
オネーギンの時とは全然歌い方が違って驚きました。ヴィタリ先生のオネーギンの解釈凄く好きなので、今度全幕でオネーギンやってくださいね。
うーん、でもザレツキーにはやっぱり柔らかすぎる気がする。声質的にはオネーギンですよね。ザレツキーってもっとバスバリがよくない?
しかし、スラヴ系キャストで固めた今回でも、一番ロシア語綺麗なのはヴィタリ先生でしたけどね! 流石ロシア語発音指導を担当されるだけある。
いや、なんか今まで書きそびれてましたけど、主要キャストのロシア語に不安感が無いってもうそれだけで満足度高いですよ。この間はデンマーク語訛りのロシア語を楽しんできましたけど、そういうことじゃないからね。
全人類が好きなことでお馴染みのレンスキーのアリアです。
いや、感想サーチしていると全員がベタ褒めしているのでほんと書きづらいんですけど、でももうこれ完全にイタオペじゃないですか、最初の Что の時点で吹き出しそうになりましたよわたしは?
1幕の時点ではそこまで違和感ありませんでしたが、アリア聴いて確信した、あなたはレンスキーではないです。ゲッティンゲンじゃなくてイタリアに留学行ったでしょあなた?
これだとラダメスです。絶対普段ラダメス歌ってるでしょ、と思って調べたら案の定だった。知ってたよ。今からあんたの名前はヴラジーミル・ラダメソヴィチ・レンスキーだよ!(父なの?)。っていうかレンスキーの父称って何? パパ、息子の愚行を止めてくれ。
終演後、ソプラノの友人が「ロベルト・アラーニャを思い出した」と仰っていて、めちゃくちゃ共感しました。アラーニャ御大のレンスキーも、めっっちゃ歌上手いのは間違いないんですが、レンスキーじゃなさすぎて爆笑なんだよな……、いや、煽ってるわけじゃなくて、ほんとに笑えるんですよ、嘘じゃなくて。機会があったら聴いてみてくださいね。歌が上手けりゃなんでもいいってわけじゃないんですよオペラは。
イタリアオペラのリサイタルだったら Braaavo! でしたが、全然「全幕レンスキー」では無かったから、感情移入はできなかった。
逆に、ペテルブルクで学んだロシア人でここまでイタオペイタオペしてるの凄くないですか? いや、これは間違いなく西欧では第一線で戦える実力。でも、ロシアの魂は Куда, куда です。
二重唱のカノン。
指揮を見ていました。 "Враги!" "Враги!" と続きますが、この時にレンスキーとオネーギンを指さす形で指示出ししていました。レンスキーとオネーギンが指揮を見ていたのも見ていました。やっぱりここの入りって難しいんだろうな。
声楽家からも「この指揮は歌いやすいと思う」とお墨付きを得ていて、今回の指揮は最強なの? もう無敵じゃん、と思ったりしました。だからこそ演出で泣き声とか余計な雑音立てるの本気で辞めて欲しい、怒りが湧く領域。上演中はお静かにして貰えます?
不愉快な演出に関してはノーコメントで。口を開くと呪詛しか出て来ないので。やろうと思えば呪いの怪文書だけで数千字乗る。
第3幕
第1場
KGL のペリー演出並に目のやり場に困るポロネーズです。仕方がないから、上手側に掛かっている殿下の祖父の肖像画の太腿を観察していました。若い頃はハンサムなんですよねあの人(肖像画だから盛ってはいるんだろうけど)。あの時代の男性のタイツって普通に艶めかしいですよね、あれが最もフォーマルな服装なんて今の感覚では有り得ない。
なんかこう、あの振り付けを見るに堪えなくなったらニコライ1世を観察するのはアリだと思います、お勧め(?)。
で、マジレスすると、あそこにニコライ1世の肖像画が掛かっているのはおかしいですからね。あの時まだ皇太子ですらないし。単なる三男坊だし、当時から国民人気ないし。ほんと、時代考証しっかりやってね。
まあ突っ込みどころは無限にあるのですが、気になったのは、合唱が "Княгиня Гремина! Смотрите! Смотрите! (グレーミナ公爵夫人だ! 見て! 見て!)" って言いながら、全員オネーギンを見ているのが気持ち悪かったです。誰も Смотреть しとらんやないか。その人、タチヤーナ・グレーミナさんじゃなくて、エヴゲーニー・オネーギンさんっていうんですよ、ご存じでしたか? わたしからご紹介しましょうか。
あと、 " Как Чацкий " ね。2019の頃から本当に意味わかんないポイント。
グレーミン公爵。全てに於いて満足です。以上。グレーミンは素晴らしいことが前提なので。ありがとうございました。
ちゃんと「ロシアの公爵」だった分、レンスキーより好感度高いです。でも、『オネーギン』よく観る人なら絶対わかってくれると信じているのですが、グレーミンを「主要キャストで一番良かった」って言うの、癪なんだよな。わかりますか? なんですか、この良いところ取りの役。一曲だけ歌って全部掻っ攫っていくじゃん。オネーギンさんと比べてくださいよ、不公平でしょ。チャイコフスキー御大が悪いんですよ、聞いてんですか御大、今からオネーギンにアリアをもう一曲書くんだよ。
うん、でも、良かったです。
アリオーゾ。
ここでグレーミンに負けちゃいけないんですよ、悪くは無いけどもう一歩。このままだとフラれる。
で、問題はここの演出なんですけど……(n回目)。
ごめんなさい、演出許せないポイントは数多くあれど、オネーギンを体制派として描いたことだけは絶対許せない……です……。
えっと……、韻文小説『エヴゲーニー・オネーギン』の主人公は、「余計者」という近代ロシアに特有の社会的な層に属するのですが……、「余計者」っていうのは、当時政治的不自由によって抑圧されていた青年貴族を指すんですけれども……。その彼が、アレクサンドル1世とニコライ1世にお辞儀をするたぁなあ……、ロシア史(ロシア文学史)再履してください、というか1回でも履修したのかと問いたい。「オネーギンとは何者か」を知っていれば、絶対にそんな「間違い」は犯さないはず。
オネーギンが「体制派」なら、物語の前提が崩れる、絶対に有り得ない。これは解釈とかそういう次元ではない。
確かに、後世になってオネーギンが左派に「反体制の旗印」として祭り上げられすぎている側面はあると思いますよ。でも、それはオネーギンというキャラクターが、(検閲に引っ掛からない程度に)、そういう風に描かれていたからですよね?
オネーギンが体制派だったら、それこそただの性悪男じゃん、ダメですよそんなんじゃ。これ、そういう話じゃないから、って話をこれまで何回したと思ってるんだ。グレーミンが勲章を持っている退役軍人で「体制派」だからおもねっているとか、お笑い草なこと言い出したら怒りますからねわたし。
第2場
終わるのはやいなあ。もうラストですよ。
「キモい」と評判のタチヤーナの「脱皮」。やりたいことはわかりますよ。ドレスを脱いで、昔の簡素なワンピースに戻ることで、容姿としても Как будто снова девочкой я стала, ってしたいんですよね、それくらいはわかりますよ。でもまあ、下品。
はい、オネーギンさんもそこ、匂い嗅がない! 変態!
二重唱。
ここのオネーギンさんの早口言葉は難易度が高いので(やっぱりチャイコ以下略)、綺麗なロシア語の発話が求められます。ここのオネーギンさんの歌詞が全く聞き取れなかったら控えめに言って悲惨なので。しかし、やっぱり母語(ウクライナ語が母語だったら非常に申し訳ない……)勢は強かった……。ノンストレス。
" я так наказан! " が凄い哀れっぽくて好き。でも、この解釈のオネーギンさんはわざと哀れみを誘うようにやっている策士解釈なんだろうな。
ターニャは結構サラサラ歌っていて、もう少し感情を乗せてもいいかも。 " Что я богата и знатна, " は伸びやかで素敵でした。
みんな大好き " Ах! Счастье было так возможно, Так близко! Так близко! " は、最初の Ах! が気持ちよいし、その後もオケにビッタリ合っていて良かったです。
但し、 " Прощай навек! " の Прощай が迷子に。 навек の伸びはよかった。
正直、オネーギンさんの " Позор, тоска ~" よりも、最後の三連符が丁寧で良かったなあと感じました。
↑ わたし、今日指揮を褒めすぎなのではないか? でも良かったものは良かったと沢山言うべきなので。
ここ、オネーギンさんの叫びに合わせて勢いよく流れ落ちていく演奏が多い中で(それはそれでよい)、こうやって丁寧にやってくれると、オペラ全体のラストとしての余韻を感じるものだなあ、と新たな知見を得ました。素敵!
公演に関しては以上です!
開演前・幕間・終演後の話
今日は、沢山の方にお時間割いて頂けてとっっても幸せでした!
まず、開演前に、 ma belle Tatiana こと、ソプラノのゆいさんと再会し、終演後も3時間(!)通話に付き合って頂いて、感想を整理したり、一緒にパンフレットの軽いファクトチェック作業をしたりしました。こんなことに付き合ってくださるのはゆいさんしかいません。好きです(告白)。
彼女は、以前タチヤーナを歌ってらして(その雑感を書いたことがありますが、まだまだにわかだった頃にものすんごいハイテンションで書いていて心の底から恥ずかしいのでリンクは張らずにおきます、おゆるしください)、そこからご縁が生まれました。公演前に、 DM で「観に来て欲しい」というお話を頂いて、「え、単なるキモオタに如何なるご用……!?」と、物凄く動揺したことを覚えています。人生で初めて出逢った『オネーギン』オタクの同志です。
また、同じく開演前、ロシア文学者の toriyamayusuke 先生に漸くご挨拶が叶いました。切っ掛けはわたしが某学会について「部外者が聴講に行っても良いのかな~!?」とツイートしたら、「是非来てください」と温かいお言葉を頂いたところからで、お言葉に甘えて突撃した挙げ句、「レールモントフの作品には "ウンディーナ" と "ルサルカ" が出てきますが、ここの使い分け・違い・彼が意識している点はなんだと思いますか」とかなんとか素人質問をかまし、しかも夕方に用事があったので途中退席するとかいう、今考えても最悪すぎるムーヴをかましたりしたのでした。
しかし、ここから学会やらセミナーやらに通えるようになり、今では色々遊びに行っています、心から感謝しています……。最初に遊びに行った学会が、専攻のフランスや、研究会で担当していた中東ではなく、趣味のロシアっていうのがもう意味不明ですが……(今ではそちらの方にも行きます)。
ロシア文学・音楽界隈の先生方はわたしに優しすぎだと思います。絶対に過大評価です。わたしはただのオタクですからね!(自己紹介)。あまりに温かいので、居心地良くて動けなくなってしまいました、助けてください。
また、幕間からは頼もしき批評家・三島先生と合流! ロシアオペラに強く、ユーモアに富んだ公演評が非常に魅力的で、個人的にも大ファンです。
先生は、わたしよりもずっと速く、初日の感想を書いてくださっています!! 間違いなく、レビュー最速です。強すぎる。
↑ わたしの記事なんか見てないで今すぐ三島先生の見解を読むのだ。
千秋楽にもいらっしゃる予定とのことでしたので、またお会いできるのが大変楽しみですし、感想もまた読めると思うとウキウキしてしまいます。
このままだとわたしは今から「手紙」を書きかねないので、「オネーギンのアリア」で撃退してくださいね、宜しくお願いします。
『オネーギン』公演でテンションブチ上がっているオタクに付き合って頂いて、本当にありがとうございました!! 皆様とお話しするのが、公演そのものと同じかそれ以上に楽しかったです!!!!!!!
最後に
通読ありがとうございました! 「時間がないから簡単に書きます」とか言って、1万4000字ですからね、頭がおかしいのかと言われても反論ができません。タチヤーナと同様、ほぼ一晩で一気書きです。
でも、これでもめちゃくちゃ削ってます、もっと言いたいこと・言えることは色々あった。でももう2回目の公演が10時間後に迫っているのでやめます。わたしは寝るんだ。
というわけで、次回は2回目の公演評です! 演出以外、楽しみ~。あの指揮3回聴けるの喜びだな~。
お越しになる方は是非ともお楽しみくださいませ。そしてご挨拶させてください。
それでは、今回はここでお開きと致します! 2回目の記事でもお目に掛かることができましたら嬉しいです。
↑ 書きました! こちらからどうぞ。