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トンデモ医療史 - 考証雑記

  こんばんは、茅野です。

わたしには生活リズムという概念がないのですが、流石に最近は我ながら酷い有様です。昨日外出したこともあって今日はほぼ二徹目なのですが、変にアドレナリンを分泌したせいで溌剌としています。その勢いで記事まで書いちゃう。

 

 今回は書くつもりがなかった突発記事です。

わたしは帝政ロシアニコライ・アレクサンドロヴィチ皇太子殿下(1843-1865)に興味があって、よく調べているのですが、昨晩も例によってリサーチしていました。オタク風に言えば「推し」。めちゃくちゃ好き。

↑ 詳しくはこちら。

 

 その際、衝撃的な記述に出逢ってしまったため、今回は殿下に関する記述を取り上げ、そこから医学考証、特に誤ったトンデモ医療について書いていきたいと思います。お付き合いの程、宜しくお願い致します。

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資料の紹介

 今回、参考文献として用いたのが、リディア・ケイン、ネイト・ピーダーセン著の『世にも危険な医療の世界史』です。一時期大分話題になったので、ご存じの方も多いかもしれません。

 めちゃくちゃ良書です。軽快でアイロニカルな語り、充実の内容、文句なしです。

わたしは少し前にこちらを読んでいて、ある程度頭に入っていた分、今回資料を読んでいてひっくり返ったわけです。確かに、本の中でもごく最近まで用いられていたトンデモ医療について沢山載っているのですが、急に身近になった感があって……。

 

 どの章も興味深く、怖く、面白いのですが、個人的な一番のお気に入りは溺死体タバコ浣腸。友人に話したところ、気に入ってくれて(?)、なんと再現CGまで作ってくれたという。

↑ 好きすぎる。ありがとう。

 あの、あれですよね……、これが原因で亡くなった方もいて、全然笑い事ではないのですが、こう、なんだろう……、「ダーウィン賞」みたいな、笑っちゃいけないのにどうしても生理的に先に笑いと困惑が出ちゃうみたいなこと、ありますよね、いやその、ダメではあるんですけど……ハイ……。

詳しくは『世にも危険な医療の世界史』第8章へ!

 

19世紀中頃の治療法

 まずは問題の記述を提示します。アレクサンドル3世(殿下の弟)の若かりし頃について書かれた長い伝記です。

 На консилиум собрались кроме двух придворных врачей, Шестова и Гартмана, проживавшие в Ницце доктора Циммерман, Рикар, Ваю и Рерберг. По осмотре больного последний из них, русский подданный, определил болезнь, которою страдал Цесаревич: воспаление головного и спинного мозга (meningitis cerebro-spinalis), и с ним согласились все прочие. Врачи признали также, что болезнь достигла последнего фазиса развития и что нет надежды на спасение. Решили, однако, приложить шпанскую мушку к затылку, горчичники к ногам и давать внутрь каломель.

 会合に集まったのは、二人の宮廷医シェストフとハルトマンを除いてニースに住んでいた医学博士ツィンマーマン、リカール、ヴァユー、そしてレルベルクだった。最後の診察で、ロシアの医師たちは皇太子が苦しんだ病を明確にした。それは脳炎と脊髄炎(脳脊髄膜炎)で、他の全ての医師は彼らに同意した。医師たちも認めたように、病は末期に達しており、回復する見込みはもう無かった。しかし、首筋にスパニッシュフライを、足に芥子泥を、そしてカロメルを投与することを決定した。

≪Детство и юность Великого князя Александра Александровича≫ Сергей Спиридонович Татищев - p. 428

…………。………………!? 

え、正気か…………????

 

 前半も痛々しくてキツいのですが、問題は最後の行です。それが医療として罷り通るとおもっていると!? いや、『世にも危険な医療の世界史』、読んでおいてよかったなって心底おもいました。でないとこれがどれだけおぞましい代物か気付けなかったとおもいます。教養はオタ活を助く。

 

 脳脊髄膜炎(正確には脊椎結核、それが転位して結核髄膜炎を併発した)は、現代の最新技術を用いても予後不良の(致死率が高く、生き延びたとしても後遺症が残る可能性が非常に高い)病気です。当時ともなれば治療法など皆無で、どうしようもなかった……とは聞き及んでいましたが、しかしこれは流石に酷い。

 

 ちなみに、流石皇太子殿下というところで、ここに挙がってはいませんが他に帝政ロシアの著名な医師が総掛かりで付いています。

エーテル麻酔を用いての手術を確立したり、骨折時の矯正ギプスを定着させた伝説的な外科医ニコライ・ピロゴフ、ニコライ2世の主治医として有名なエヴゲーニーの父であり、トリアージの導入や剖検の発展に寄与して「ロシア医学の父」と評される臨床医セルゲイ・ボトキン、特に感染症治療の分野で活躍し、若きアレクサンドル・ボロディンにも教えたという帝国医学アカデミー教授ニコライ・ズデカウエルなどなど……。

 幾ら19世紀中頃(1865年)と言えども、帝政ロシアが誇るこのメンバーが付いていればある程度大丈夫だろうとおもっていた……、この資料を読むまでは!

 

 それでは、最後の行に上げられている治療薬3種について、掘り下げていきます。

 

スパニッシュフライ

 スパニッシュフライは、その名の通り虫の名前です。緑色の甲虫なのですが、虫が苦手な方もいらっしゃるとおもうので画像は自粛しておきます。斯く言うわたくしも虫は苦手なのです。

 聞き慣れない虫の名前だ、とおもう方も多いのではないかとおもいますが、もしかして、とっくに存じ上げている! という方は、夜の営みに熱心な方かもしれません(※媚薬として有名です)。しかしここでは勿論、精力剤として処方するのではありません。

 スパニッシュフライの体からはカンタジリンという有機化合物が分泌されるのですが、これに触れると皮膚が焼けます。つまり人体に有害なのです。……が、こちらをどうするのかと申し上げますと、乾燥させたスパニッシュフライをすり潰し、粉末にしたものを蝋、ラードと混ぜた軟膏が19世紀初頭から売られていました。それを皮膚に塗り込み、意図的に水疱を……!、…………。……考えただけで肌がぞわぞわするぜ…………。

 

 なにゆえにそんな非人道的なことをするのか? 曰く、はしかなどでは湿疹が治まってから症状が落ち着くため、湿疹は病の症状ではなく治癒への一歩と考えられていたのだとか。これが1845年の医学書に堂々と載っているというのだから驚きです。イギリス発祥の治療法で、ヨーロッパで広く行われていたようです。

 嘘みたいな本当の話ですが、酷い時は患者に焼きごてを押しつけて湿疹の形成をしており、スパニッシュフライはその簡易版、という位置づけです。信じられん。痛い。

 処方されたのは末期症状のヒステリー、喉頭炎、心気症、炎症、発熱、ジフテリア脳炎などで(上記の例では末期の脳炎なのでここに当て嵌まります)、最近の例は1929年にも使われたのだとか……。

詳しくは『世にも危険な医療の世界史』第14章をどうぞ。

 

 当たり前ですが、医学的な根拠はなく、ただ痛いだけなので、皆様は決して真似しないように。マルキ・ド・サド侯爵に憧れる方は、まあ、その……お好きにどうぞ。

 いやしかし、あの美しい首筋に傷を付けたのか……許し難いな……。美しいとおもっていたのはオタクのわたしだけではなく、同時代に回想録を著した某伯爵も美しいと著しております。それを…………。

 

芥子泥

  芥子泥(かいしでい)は、読んで字の如く、カラシを使った療法です。日本でも、江戸時代~大正時代には民間療法として広く行われていたそう。

 民間療法として定着していたくらいなので、やり方はとても簡単。皆様も食卓でお目に掛かる機会があるであろう、あのカラシを練ったものを患部に塗り、ガーゼで覆って温湿布として使います

 

 こればかりは実際に湿布として効果があるらしく、現代でも稀に行うことがあります。実際に行った方曰く、貼って数分で熱くて痛いほどになるが、終わった後は確かに効果を実感できるのだとか(やっぱり痛いんかい)。

 湿布薬であることからもわかるように、酷い肩凝りや腰痛などに処方されたり、呼吸を楽にするために胸部に貼ることが多かったようです。

 

 温湿布であることから、身体を温めるために使用されたケースもあります。実際、殿下の婚約者でもあったマリヤ・フョードロヴナ皇后は出産(お腹の子はニコライ2世です)のときに大分苦労されて、その際この芥子泥湿布を処方された、という記録が残っています。

 しかし、殿下は脊椎結核を患っていて、腰の椎骨が壊死して潰れていた、という恐ろしい記録が残っていたりするので、腰に貼るならわかるのですが、何故足。病理剖検の記録を確認しても、足は何ともないはずなんですよね。全然わからん。トンデモ医療、全然わからん。

 

カロメル

 カロメルとは、『世にも危険な医療の世界史』の第1章にも取り上げられている、水銀のことです。日本語では甘汞(かんこう)と言ったりします。カロメルにしろ、甘汞にしろ、何だか美味しそうな名前ですが、ただの毒なので皆様は絶対に口にされないよう。

名前の語源はギリシア語の kalos (良い)+ melas (黒)とのこと。アンモニアに反応すると黒くなるからだそうです。

 水銀なので勿論有害なのですが、なんと20世紀の半ばまで医薬として使われてきたという恐ろしい物体です。その頃まで毒と考えられていなかったという。恐るべしトンデモ医療!

その愛用者はナポレオン・ボナパルトエドガー・アラン・ポーなど、国を問わず多岐に渡り、幼児にも使用されていたというので頭を抱えてしまいます。

 

 効果としては、下剤や嘔吐剤の役割があります。そりゃ有毒ですから、身体が一生懸命排出しようとするのですね。これは有名なのでご存じの方も多いかとおもいますが、近世西洋医学では、瀉血や下剤など、とにかく身体の中の物を排出させることが重要視されていたので、その名残とも言えます。

 特に瀉血は、現代医学に於いても時に有用な場合も稀にありますが、近世では基本的に献血もびっくりの有害なレベル抜きますので(時には致死レベルまで)、ご利用は計画的に。

 

 殿下の医療記録を見てみると、医師ピロゴフによって一時間ごとにカロメルを処方されていたことがわかります(一時間ごと!?)。食欲不振で最早吐くものもないのに、絶えず吐き気に苦しめられていたそうな。可哀想がすぎる。その場にいたリトヴィーノフ中尉によれば、吐き気は基本的に「薬の副作用」だったようで、それって正にカロメルのことじゃん……と理解して天を仰ぎました。「薬」……「薬」ねえ……。

 

最後に

 恐ろしい記事を書いてしまいました。通読ありがとうございます。6000字弱。

殿下がこのような「治療」を施されたのは、恐らく死の1-2週間前で、余り長く苦しむことがなかったのが唯一の救いでしょうか。絶対死を早めている気がする。怖い。皇太子という最も高い地位にあった人物のケースで「これ」ということを考えると、市民階級ではどうなっていたことか……身の毛もよだつってこのことなんですね。

 

 尚、治療方針の会議では揉めに揉めたらしく、「絶対に助からないことがわかっているのだから、これ以上苦しめることはない」という派閥と、「患者の心臓が止まるその瞬間まで医者は諦めないでいるべき」派で大論争をしたそう。

結局、後者の急先鋒ニコライ・ピロゴフが論争に勝利し、このような結果になったということがわかっています。ピロゴフ医師の意志は崇高なのですが、その「治療」がこれともなると、前者の手に委ねられて欲しかったな……とおもってしまう次第です。これは生命倫理の問題として考えても非常に興味深いですね。

 

 ちなみに、読むからに痛い無意味なトンデモ医療を施された殿下御自身はというと、臣下たちが驚嘆したように、一度たりとも弱音や不平は吐かなかったそうで、そのことは自身が告解の際にも述べています。

尤も、医療を信頼していなかったということを濁して述べてもいるということも付け加えておきます。病の発端は4年も前に遡るのですが、「(弱音を吐いたり卒倒したりするのは)一国の代表として、ロシア帝国の代表として相応しくないから」と、死の半年前にイタリアで遂に卒倒するまで懸命に一人で激痛を押し隠してきた精神的巨人です。弱冠21歳。えげつない非凡さ。すきです。現代の税金泥棒な政治家に爪の垢煎じて飲ませたい(人権規約と労基法接触しない程度にちゃんと仕事して)。

但しそれが仇となって早期発見ができなかったのも事実ですが、結局のところ医師たちは死の1週間前になるまで病名の特定すら適わず、「治療」もこれ、ということを考えると、発見できなかったのは寧ろよかったことなのかもしれない、とさえ思うようになりました。病気はするもんじゃないですね……。

 

 なんだか半分くらい推し語りになってしまったような気もするのですが……(失礼しました)、一旦お開きとしたいとおもいます。コロナ禍により、「医療崩壊」「医療壊滅」と嘆かれている昨今ではありますが、19世紀のトンデモ医療史と見比べると、幾らか慰められるかもしれません。そういう問題ではありませんが。少なくとも我々は、わたしの推しよりも恵まれた環境にあります。医療従事者の皆様に感謝を、現代医療の勝利を祝して。ありがとうございました。