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死者の人権を考える - 著作権法編

 おはようございます、茅野です。気温も温かいですし、コロナの影響でアニュアルイヴェントも楽しめませんし、季節感が狂いまくっております。もう11月だって? 嘘仰い。

 

 最近、趣味の領域では、著作権法をぼつぼつ勉強しておりました。ついでなので著作権法検定とかも受けました。(※追記: 受かってました。よかった。) わたしはブログを原則的には「成果物置き場」と位置づけているので、ある程度のケリを付けるためにも一筆やってみようとおもいます。

 というわけで今回は、著作権法に纏わる雑記です。お付き合い宜しくお願い致します。

 

 

問題提起

 先日、次のようなニュースが話題になりました。

恐ろしいことだ! つい先日、このようなことを書いたばかりでした。

「尊厳」の定義ってなんなんだ? 死者に人権は与えうるか? 生者の功利主義のために、死者の尊厳は侵害されてもよいのか。モーツァルトの例は、カフカの例は? 死者の人権に関する規制は立法しうるか。法源は?

舞台版『罪と罰』(2019) - レビュー - 世界観警察

 この記事の「前書き」に詳しいことは書いておりますが、いや、正にドンピシャなニュースで驚きましたね。

何よりも怖いのは、無邪気な「読みたい!」という声が多かったこと。人権意識が希薄すぎやしまいか。わたしは戦慄した。あなたやあなたの近しい人の没後、全世界に公開されるニュースサイトに、隠していた日記や恋文を勝手に載せられて平気な顔していられますか。それと同じ話ではないですか。王族はOK? 何百年も前の話だからOK? ほんとうに?

 

 研究目的ならばまだよい。事実、わたしだって日記などを資料として用いているわけであります(※19世紀では、日記は後に読まれる半公的な記録として書かれているので、研究資料としての価値が高く、読んだ際に罪悪感がありません)。

しかし、このように意図的に隠された部分を無理矢理暴くことや、商業的な利用は違うのではあるまいか。

 

 これらを鑑み、死者の尊厳、名誉って守られないとまずいんじゃない? と思い立ち、取り敢えず現行法を学んでみることにしました。まずは法学部の後輩の勧めで著作権法から。それでは、一緒に考えて参りましょう。

 

法の観点から考える

ベルヌ条約

 著作権法に関する国際条約である、ベルヌ条約(1886)では、第六条と第七条で死後の著作権を定めています。実際の条文を見てみましょう。

第六条の二

⑴ 著作者は、その財産的権利とは別個に、この権利が移転された後においても、著作物の創作者であることを主張する権利及び著作物の変更、切除その他の改変又は著作物に対するその他の侵害で自己の名誉又は声望を害するおそれのあるものに対して異議を申し立てる権利保有する。

⑵  ⑴の規定に基づいて著作者に認められる権利は、著作者の死後においても、少なくとも財産的権利が消滅するまで存続し、保護が要求される国の法令により資格を与えられる人又は団体によつて行使される。もつとも、この改正条約の批准又はこれへの加入の時に効力を有する法令において、⑴の規定に基づいて認められる権利のすべてについて著作者の死後における保護を確保することを定めていない国は、それらの権利のうち一部の権利が著作者の死後は存続しないことを定める権能を有する。

⑶  この条において認められる権利を保全するための救済の方法は、保護が要求される同盟国の法令の定めるところによる。

 

第七条

⑴  この条約によつて許与される保護期間は、著作者の生存の間及びその死後五十年とする。

 (後略)

第六条の二の⑴で規定される権利を、それぞれ「著作物の創作者であることを主張する権利」を「氏名表示権」、「著作物の変更、切除その他の改変又は著作物に対するその他の侵害で自己の名誉又は声望を害するおそれのあるものに対して異議を申し立てる権利」を「同一性保持権」といいます。これらを、ベルヌ条約では⑵により、死後でも保護されることが明記されています。

 

日本著作権法 

 では、我が国の国内法ではどうでしょうか。ベルヌ条約では、現行の国内著作権法の定めに留保するという条文も数多く、日本語話者である我々の関心は必然的に国内法に向きます。条文を確認してみましょう。

第十八条 著作者は、その著作物でまだ公表されていないもの(その同意を得ないで公表された著作物を含む。以下この条において同じ。)を公衆に提供し、又は提示する権利を有する。当該著作物を原著作物とする二次的著作物についても、同様とする。

 

第十九条 著作者は、その著作物の原作品に、又はその著作物の公衆への提供若しくは提示に際し、その実名若しくは変名を著作者名として表示し、又は著作者名を表示しないこととする権利を有するその著作物を原著作物とする二次的著作物の公衆への提供又は提示に際しての原著作物の著作者名の表示についても、同様とする。

 

第二十条 著作者は、その著作物及びその題号の同一性を保持する権利を有し、その意に反してこれらの変更、切除その他の改変を受けないものとする。

第十九条、第二十条はベルヌ条約の 第六条の二の⑴と対応し、「氏名表示権」と「同一性保持権」を定めています。第十八条では、「その著作物でまだ公表されていないものを公衆に提供し、又は提示する権利」を規定しています。これを「公表権」といいます。

この「公表権」「氏名表示権」「同一性保持権」の三つを、纏めて「著作者人格権」といいます。

 

 他人にその一部または全てを譲渡できる「著作権」とは違い、「著作者人格権」では、

第五十九条 著作者人格権は、著作者の一身に専属し、譲渡することができない

と定められています。では、著作者や実演家(演奏家、俳優など)が存しなくなった場合はどうなるのか。確認してみましょう。

第六十条 著作物を公衆に提供し、又は提示する者は、その著作物の著作者が存しなくなつた後においても、著作者が存しているとしたならばその著作者人格権の侵害となるべき行為をしてはならない。ただし、その行為の性質及び程度、社会的事情の変動その他によりその行為が当該著作者の意を害しないと認められる場合は、この限りでない。

 

第百一条の三 実演を公衆に提供し、又は提示する者は、その実演の実演家の死後においても、実演家が生存しているとしたならばその実演家人格権の侵害となるべき行為をしてはならない。ただし、その行為の性質及び程度、社会的事情の変動その他によりその行為が当該実演家の意を害しないと認められる場合は、この限りでない。

 

第百二十条 第六十条又は第百一条の三の規定に違反した者は、五百万円以下の罰金に処する

と、このように、生前と同等の権利を定めています。しかしながら、その後の「当該著作者(実演家)の意」という曖昧な文言が、生者によって歪められて認識されそうな点に懸念を覚えますが……。

 

 「死人に口なし」とはよく言ったもので、権利を侵害されても彼らは抗議することができません。著作権法では、その場合の救済について定めた文言も存在します。

第百十二条 著作者、著作権者、出版権者、実演家又は著作隣接権者は、その著作者人格権著作権、出版権、実演家人格権又は著作隣接権侵害する者又は侵害するおそれがある者に対し、その侵害の停止又は予防を請求することができる
2 著作者、著作権者、出版権者、実演家又は著作隣接権者は、前項の規定による請求をするに際し、侵害の行為を組成した物、侵害の行為によつて作成された物又は専ら侵害の行為に供された機械若しくは器具の廃棄その他の侵害の停止又は予防に必要な措置を請求することができる。

 

第百十六条 著作者又は実演家の死後においては、その遺族(死亡した著作者又は実演家の配偶者、子、父母、孫、祖父母又は兄弟姉妹をいう。以下この条において同じ。)は、当該著作者又は実演家について第六十条又は第百一条の三の規定に違反する行為をする者又はするおそれがある者に対し第百十二条の請求を、故意又は過失により著作者人格権又は実演家人格権を侵害する行為又は第六十条若しくは第百一条の三の規定に違反する行為をした者に対し前条の請求をすることができる
(中略)
3 著作者又は実演家は、遺言により、遺族に代えて第一項の請求をすることができる者を指定することができる。この場合において、その指定を受けた者は、当該著作者又は実演家の死亡の日の属する年の翌年から起算して七十年を経過した後(その経過する時に遺族が存する場合にあつては、その存しなくなつた後)においては、その請求をすることができない。

著作権法によれば、死後七十年間は遺族による起訴により、財産的権利侵害の請求をすることができます。

 しかし、第六十条及び第百一条の三に関しては、期限が設けられておらず、永続すると解することができます。「当該著作者(実演家)の意」をどう解するか、が焦点となるでしょう。

 

三島由紀夫の手紙無断使用事件

  当節では、実際の判例を見てみましょう。

三島由紀夫といえば、日本を代表する大作家ですが、彼の死後にある裁判があったことを知る人は少ないのではないでしょうか。「三島由紀夫の手紙無断使用事件」こと、「東京高裁 第5631号」です。

 

 同裁判は、三島由紀夫が書いた未公表の手紙を、受取人が己の小説に掲載した際に問題となったもので、その焦点は「著作者人格権」に於ける「公表権」です。「公表権」について争われたケースは非常に少ないようで、法学の参考書などにも載っています。

 判決は「いずれも棄却」ですが、その判決文が非常に興味深いため、一部を引用します。

著作権法六〇条ただし書きの適用
①本件各手紙は、三島由紀夫生きているとして、恥じ入るようなところは全くない
②本件各手紙は、控訴人福島に私信として送ったものであり、控訴人福島は自分のもらった手紙を自己の作品に引用したのである(罪の意識の不存在)。
③文芸出版において伝統と実績のある控訴人会社から出版された真面目な文学作品の中に引用されている。
④手紙利用の仕方も、小説の展開に応じた自然なもので、いささかも礼を失していない。
⑤今も毎夕仏壇の前で三島由紀夫の成仏を祈っているという控訴人福島が、三島由紀夫にもらった手紙を自己の小説に利用したのであって、手紙の利用にはいわば祈りが籠められており、三島由紀夫の人格を傷つけるような意図は毛頭ない
三島由紀夫の死亡から二八年、最初の手紙が書かれた年から約三七年、最後の手紙が書かれた年から三一年が経過している。
⑦本件各手紙が著作物といえるかどうか疑問である。

結局、故人が何を思うかという推定は(裁判官というある程度公平な視線を持った人物が裁定するとはいえ)生者のエゴで決められるんだな! ということがよくわかる判決で面白いですよね! そうおもいませんか! いや、判決内容に反対の立場というわけでもないのですが、非常に興味深いです。

 

 この判決を見ておもうことは、『現代の英雄』ならばどうか、という疑問です。勿論、『現代の英雄』はフィクション(散文小説)ですし、現代日本のものではありませんから直接的には関係がないのですが、仮に現代日本での出来事だとして、一種の思考実験、ケーススタディ的に、照らし合わせてみたら、どうでしょうか。

↑現代の英雄についてはこちらから。

 

 『現代の英雄』第三部以降は、ペチョーリンが亡くなった後、彼の日誌を細部(登場人物の名など)を変えて、第三者が出版した、という設定になっています。これは、著作権法に則って考えれば、「公表権」(ペチョーリンは日誌を公開していない)、「氏名表示権」( "ペチョーリン" という名は、語り部が一種の偽名として命名したものであり、実際の名ではないと考えられる)、「同一性保持権」(細部を変更しており、又、掲載はカフカース滞在時のもののみ)の全てを侵害していると考えることができます。すごいや!

 次に、「三島由紀夫の手紙無断使用事件」の判決と照らし合わせてみますと、

① ペチョーリンが「恥じ入るか」に関してはわたくしには判断致しかねます。

語り部は、彼の日誌をたまたま譲り受けたうえ、彼の死を「喜んだ」のであり(第三部前書き)、情を知っていたと考えられます。

③真面目な文学作品であることは間違いないでしょう。

④ 「礼を失しているか否か」についてもわたくしには判断致しかねますが、②を鑑みるに、その判定は厳しいものにならざるを得ないでしょう。

⑤ 前述のように、「祈り」は込められておらず、「現代の英雄」として一種滑稽に描く気はあったのではないかと推察できます。

語り部はペチョーリンの訃報を知ってすぐに構想を始めたのであり、精確な時間はわかりませんが、時間はさほど経っていないと考えられます。

⑦ 手紙同様、日誌が著作物と言えるか否かは不明ですが、「独創的な思想が書き記された文章」である以上、著作物と言うことができるのではないでしょうか。

 ……といったように考えることができます。尤も、帝政ロシアでは、前書きによれば、「著者が亡くなった際、死者の日誌を出版する権利」というのは存在するようなので、これは思考実験のお遊びに過ぎないのですが。

 わたしは『現代の英雄』という小説を愛していますが、それはあくまでもこの作品がフィクションだからであります(レールモントフの自伝的な側面を持つというツッコミはお控え下さい)。このような問題提起をしてくれることも、愛する理由のひとつです。但し、現実では絶対にやらないでください。

 

(どうでもいいですが、裁判で成仏という語を見る日がくるとは……と衝撃的でした。「成仏」ということは、必然的に故人を仏教徒だと断定していることになり、宗教学的観点から見ても面白いですね。)

 

内閣衆質一五四第一五五号

 最後に、衆議院の見解を確認します。衆議院では、「内閣衆質一五四第一五五号」で、「死者の人権の保護に関する質問」及びその答弁が確認できます。

上記リンクから全文を確認して頂きたいのですが、ブログという体裁上、一部を引用します。

質問書

1 わが国の法体系上、一般に死者の人格権は認められるか

(中略)

 1 「個人情報の保護に関する法律案」、「行政機関の保有する個人情報の保護に関する法律案」などは、「『個人情報』とは、生存する個人に関する情報であって」と定義し、この法案により保護される対象を、生存する個人に限定している。その理由としては、総務省より「死者には請求権がないため、遺族自身の個人情報を構成するような場合を除いては、法体系上保護することができない」との説明を受けている。
 しかし、著作権法における人格的利益の保護の考え方に見られるとおり、死者に人格権や請求権がなくとも、その必要がある限り、死後も法的保護を与えることは可能である。従って、個人情報の保護を死者に及ぼすか否かは、法体系上一概に否定されるものではなく、あくまでも立法裁量の問題であると考える。この点について、改めて政府の見解をお示しいただきたい。
 2 国民の自然な感情として、死後であればプライバシーないし個人情報を自由に利用・開示されてもかまわないと考えるのは一般的でない。むしろ多くの国民が、死後も自己に関する情報はきちんと保護されることを望んでいると考えるが、この点政府の見解は。

(前略)死後についても法的な保護を与え、個人情報の適切な取扱いを確保すべきではないか

いや、実に素晴らしい。言いたいこと大体言ってくれた。ありがとうございます。圧倒的感謝。

それに対する答弁を確認してみましょう。

 お尋ねは、一身に専属する権利の主体が死亡した後に、その権利がどのように保護されるか、という趣旨であると考えるが、一身に専属する権利は相続の対象とはならない。また、死者の名誉を毀損する行為は、刑法(明治四十年法律第四十五号)第二百三十条第一項の名誉毀損罪に当たるが、同条第二項により、虚偽の事実を摘示することによってした場合でなければ、罰しないものとされている

(中略)

 「個人情報保護関係法案」は、高度情報通信社会の進展に伴い個人情報の利用が著しく拡大している中で、個人情報の取扱いに関連する個人の権利利益を保護することを目的とするものであるが、ここで課題になっている個人情報の保護は、すぐれて生存する個人についてのものと考えられる。また、個人情報取扱事業者、行政機関及び独立行政法人等における個人情報の取扱いに対するチェックは、個人情報の本人であって初めてこれを正確に行い得るものであるため、個人情報の本人が個人情報の開示、訂正及び利用停止を請求する仕組みとしたものであるが、これらの権利を行使することは、生存していなければ不可能である。これらを考慮すると、「個人情報」の範囲を「生存する個人に関する情報」に限ったのは、立法政策として必要かつ十分なものと考える
 なお、個人情報保護関係法案においては、死者に関する情報であっても、当該情報が遺族等生存する個人に関する情報でもある場合には、生存する個人を本人とする個人情報として保護の対象となるものである

 また、個人情報保護関係法案の個人情報の保護の内容が以上のようなものであるからといって、制度の趣旨・目的を異にする著作権法や刑法の名誉毀損罪との関係で法的な均衡を欠くものではないと考える。

 「あっお役所の回答だ……」という感想がまず第一ですね(オブラートに包んだ表現)。

「死者に関する情報であっても、当該情報が遺族等生存する個人に関する情報でもある場合には、生存する個人を本人とする個人情報として保護の対象となるものである」という個人情報保護関係法案、「結局は生者様が一番!!!」という思想が全面に押し出されていて面白いですね。この答弁や同法案を作成した皆様もいつか亡くなるということをお忘れ無きように……。

 まあ、尤も、生者の人権もまともに守れないような世界(日本に限らず)に、死者の人権を守ろうなんて、土台無理なお話なんでしょうか!

 

 話が多少逸れますが、請求権があるのが「遺族」に限られるというのも、立法上やむを得ない部分があるにしろ、問題があると考えられますね。著作権法第百十六条によれば、遺族とは、「死亡した著作者又は実演家の配偶者、子、父母、孫、祖父母又は兄弟姉妹をいう」とされています。わたしの友人には所謂天涯孤独の人物もおりますし、考えたくない話ではありますが、コロナ禍などによってその人数が増加していくことも想定されます。又、「配偶者」とありますが、同性婚が認められていない現代日本に於いて、パートナーからの起訴を受け付けないという姿勢は、全くもって受け入れがたいものがあります。

 選挙権を保持する一日本国民として、政府には再考して頂かねばならぬ問題であると確信しております。又、当記事をご覧になっている市民の皆様におかれましては、是非とも選挙に足を運んで頂きたく……。わたしは行動します。

 

最後に

 通読ありがとうございました。引用が多く、長くなりました。8000字超えです。

 著作権法では、充分に推しの人権が守られないことがわかりましたね! 勉強した甲斐があるというものです!! 

今後、個人情報保護関係法案、名誉毀損罪、プライバシーの権利などについても学び、思考することができればいいなとおもっています。その際は是非お付き合いの程を宜しくお願い致します。

それでは一旦お開きとさせて頂きましょう。ありがとうございました。

 

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参考文献