おはようございます、積読の消化に追われる茅野です。
とある天使様から100冊を超える本が送られてきたので、冬休み中に幾らかはなんとかしようという試みであります。
インプット作業ばかりでアウトプット作業が疎かになっているのをひしひしと感じます。この記事は久々のアウトプット作業です。
さて、今回取り上げますのはエドワード・ゴーリーの『不幸な子供』。
こちらの絵本ですね。どう考えても絵本につけるタイトルではない……。とある文学系少女からの依頼でした。気合いも入ろうというものです。70ページ足らずの絵本で、ある意味難しい題材であります。
それでは思考の体操を始めましょう。
1. LOCATION
やはり一番最初に気になるのは……、そう、舞台ですね!
実在の場所/時代であれば、時代考証を元に明らかになってくる部分があるからです。
場所の説としては、二つに絞られると思います。イギリス説と、フランス説です。
時代は19世紀でほぼ間違いないでしょう。
イギリス説
根拠としましては、何と言っても、訳者あとがきです。
訳者あとがきにて、本作はしばしば19世紀ヴィクトリア朝の物語と比較されています。
お恥ずかしながら、先日資料集めの為に『小公女』(1888)を初読致しましたが、なるほど本書によく似ております。確かに結末は真逆のものでしたが。
時代背景という点では何の問題もないため、なるほど、同じ19世紀ヴィクトリア朝であるとも読めます。
イギリス説を補強するものとしてもう一つ、お父さまの軍服があります。
これが一番お父さまの軍服がよく描かれている一枚だと思います。
では、当時の実際の軍服と比較してみましょう。
赤枠で囲ったのが英軍の軍服になります。
こうやって比較してみると、英国軍が確かに一番近いように思われます。
フランス説
ここまでご覧になった皆様は「イギリスで間違いない」と思っておられることでしょう。ちょっと待って下さい!
私からフランス説を提案させていただきます。
訳者あとがきにて、本書はレオンス・ペレ監督のフランス映画「パリの子供(L'enfant de Paris)」(1913)をモデルにしたとの記述があります。
こういう記事を書くに当たって、見なければとは思ったのですが、如何せん白黒のフランス映画。視聴するのは困難のようだったので、色々調べて粗筋を和訳してみたので掲載します。語学力(英語,フランス語)が高いわけではないので誤訳があったら申し訳ない。
"パリの子供"は少女Marie-Laureに不幸が降りかかるお話です。
軍隊の長である彼女の父は行方不明になり、母は悲しみに暮れ亡くなります。次いで彼女の保護者になった者は戦争で遠方に飛ばされ、哀れMarieは厳しい寄宿学校へ送られてしまうのです。
そこでの生活に耐えきれなくなった彼女は寄宿学校を抜け出します。そして、パリの貧しい人々に攫われてしまいます。
飲んだくれの靴職人の家で奴隷のような扱いを受けることになったMarie。そこでMarieは、10代でせむしの従業員Boscoと仲良くなります。
そんな中、実は生きていたMarieの父が帰国します。彼はMarieを返して欲しいと靴職人らに交渉しますが、彼らにMarieを解放する気はありません。
警察が靴職人らに迫ると、彼らはMarieを連れてニースへ逃亡を図ります。しかし優しいBoscoがそれを追いかけMarieを逃がす手助けをしてくれ、無事Marieは彼女の父と平穏な日々を手に入れるのです。
前半のストーリーライン、丸っきり不幸な子供と同じですよね。
そして、作者ゴーリーはこの話をモデルにした、と。
では、作者の心境として、わざわざ舞台となる場所を変えるでしょうか?
しかもモデル作品のタイトルはズバリ、「パリの子供(L'enfant de Paris)」。地名がガッツリ入っているのです。
だからこそ変えた、という深読みも出来ますが、ここまでストーリーが似ていて、且つ作者がモデルにしたと公言しているのならば、そのままパリが舞台なのではないか、という説が立てられるわけです。
もしフランスが舞台なのであれば、主人公の名前はシャーロット・ソフィアではなくシャルロット・ソフィアに。お人形ホーテンスはオルタンスになりますね。
どちらが舞台なのかは定かではないですが(或いは全く別の場所なのかもしれない)、提示できる根拠は以上になります。あなたはどこが舞台だとおもいますか?
2. STORY LINE & COMPARISON
ゴーリーの作品が他と一線を画す最大のポイントはなんといっても救いの無さ。
何の罪もない子供が、外的要因による不幸の沼に突き落とされ、美化されることすらなく無残に散ってしまう。繊細なでダークなタッチの絵が無情さを引き立てます。
この記事を読んで下さっている方もあまり目にしたことがないと信じますが、そうです、こういう話、実に希少なのです。
例えば、モデルである『パリの子供』や、本書によく似ている『小公女』。
これらの主人公は、我らが悲劇のヒロイン: シャーロット・ソフィアと似たような境遇を経ますが、最終的には幸せを手にすることができます。
本書は絵本であるため、シャーロットの心境や具体的な日常は描かれていません。しかし、シャーロットもきっと彼女らのようにひたむきに努力したことでしょう! しかども彼女は報われないのであります。
逆のパターンも見てみましょう。因果応報が、負の方向へ働いたパターンです。
グリム童話の『トゥルーデおばさん』や『わがままな子供』。こちらはどうでしょう?
グリム童話の中では少しマイナーですのでご存じない方も多いかと思います。ゴーリーの絵本が好きな方はきっとお好きだと思いますこちら二編は、ワガママで大人の言うことを聞かない子供が、魔女や神様に直々に懲らしめられるという教訓的なホラーテイストのお話です。
ゴーリーの他作品、『蟲の神』はこちらに該当するのではないか、と訳者あとがきにありましたね。尤も、乳母から離れることがそんなに悪いことか?という疑問はあります。
また、私は少し前に「悪者が大勝利して終わるお話はないものか?」と色々探し回っておりましたが、古典作品では、ないと言っていいと思います。
悪漢小説なんて物々しい名前のジャンルですら、キリスト教精神に則って悪者は裁かれ、善人は報われるのです。(よって、お偉方の間では"悪漢小説"という訳はニュアンスとして正しくない、と言われているようです。ここは和訳に頼らずピカレスク小説と呼ぶべきでしょう。)
つまり、言うなれば、因果応報的な話は最早マンネリなのです。
この『不幸な子供』は、そういう意味でとても前衛的と言えるでしょう。
用途として、子供に読み聞かせることが第一目的の絵本で、倫理観を思いっきり破壊してやるのです。こいつぁパンチの効いた前衛的芸術と言えるでしょう!
3. MOTIVE
しかし、はたしてエドワード・ゴーリーという絵本作家はそのような野心家だったのでしょうか?
勿論野心はあったでしょうが、それだけではないような気がしますよね。
というのも、まず、絵本というのは芸術作品であるからです。野心だけで新しいものが作り出せるような代物ではありません。
はじめに、上記のようなジェットコースター型の作品で、「最後レールをぶち壊して地面に追突してしまったら?」という発想があったことでしょう。彼はハーバード大学でフランス文学を専攻していたそうですから、浅学の私にはよくわかりませんが、『マノン・レスコー』とか、『赤と黒』とか、そういうバッドエンド的なフランス文学の数々に触れて傾倒していったのかもしれません。
また、陸軍で工兵隊員として毒ガスのテスト等に従事したそうですから、そこで現実の非常さを学んだのかもしれませんね。さすれば小公女などの作品がさぞご都合主義に見えたことでしょう。
思うに、彼は現実の厳しさを絵本という子供に近い媒体を使って諷刺したかったのではないでしょうか。
そしてそれを芸術作品に昇華したことで、人気に火が付いたのではないかと思います。
胸を締め付けられるような暗くて重厚な絵ですが、我々の心を動かすのは確かなのですから。
4. FINAL COMMENT
通読お疲れ様でございました。
絵本の考察というのは始めてだったので、わたしにとってはよい勉強になりましたが、まともなことが書けているのかは不安であります。
絵本に限らず、抽象的な作品は、受け取り手一人一人が違う感想を持つことと思います。
「はじめに」にも書きました通り、当ブログ: 世界観警察では、受け取り手の作品理解の援助を目的としている為、元ネタや本書が書かれた背景を記載致しました。
当記事の資料なんかをもとに、あなたがご自身の確固とした説を打ち立ててくれればよいなと願います。
それでは、世に考察のあらんことを。