世界観警察

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『オネーギン』に於ける同性愛的解釈 - Eugene Onegin 考察

 こんにちは、茅野です。

前期、フランス文学史の講義を受けていたのですが、名前は出しませんが講師の先生が同性愛文学に滅法つよい方で、講義の題は「近代フランス同性愛文学史」だったかな……ってくらい偏っておりました(面白かったのでいいんですが)。

そこで、「(特に写実主義を扱うなら)同性愛問題に触れないのは甘え」なんて仰っていて、「いやでもまあ確かにそうかもなァ」とおもい、今回はそういう方向性で書いてみようかな、とおもいます。

 写実主義と述べましたが、『オネーギン』をどういうカテゴリに分類するかというのは議論の分かれるところで、長くなるのでまたの機会にじっくり書かせて頂きます。

 

 今回は、先人の意見を借りつつ、原作、オペラ、バレエの三媒体に於ける同性愛的解釈をみてゆきます。オネーギンとレンスキーがメインです(というかこの文脈で語られるのはそれしか見たことがない)。

それではまずは同性愛的解釈の筆頭格、エイフマン・バレエから考えていこうとおもいます。

 

 

エイフマン・バレエ鑑賞の報告

 大分時間が経ってしまいましたが、エイフマン・バレエ来日公演の『アンナ・カレーニナ』最終日にお邪魔していました。

事前情報をあまり集めていなかったし、モダンだと好き嫌いが分かれるだろうとおもい、正直あんまり期待していなくて、学生券でギリギリ滑り込んだのですが、凄くよかったです……!

 

 肉体美に特化したモダンなものかとおもえば、十二分にドラマ性があるし、照明を用いた演出はまさに舞踏"劇"。全員が高身長で一人一人が大輪のようで、四肢から背中から甲から弓なりに曲がることの美しさといえばもう。

 で、問題はここからなんですが、前日でエイフマン版『オネーギン』の DVD が売り切れていたらしく、手に入れられませんでした……。

エイフマン・バレエの DVD は、ネットでの取り扱いがなくて物販でしか買えないので、  も  の  す  ご  く  楽しみにしていた分心底悔しいです。

……最終日にしか行かれなかったのでご縁がなかったということなんでしょうか? 久々に『オネーギン』の神に見放されました(?)。

あの……入手出来た方は感想等お聞かせ願えたら嬉しいな〜〜〜……なんて……お願いします……(切実)。

 

エイフマン版『オネーギン』

 ところで、エイフマン版の『オネーギン』は、噂によると、大変ブッ飛んでいるとか。

舞台は1990年(ソ連時代)で、オネーギンが同性愛者でレンスキーと付き合っているという設定なのだそうで……。

情報だけ追っていると、「いやそれは最早『オネーギン』なのか?」というかんじなのですが、「どこまでがその作品なのか」「どこがその作品の根幹を成すのか」「何が抜けたらもうその作品ではなくなるのか」というのは遠大な論題だと思っていて、この場合は『オネーギン』のメイン・ストーリーラインのほんとうの "核" のみを『オネーギン』と規定したのだな、と解釈しました。

 しっかし、婚約者を取られたことで諍いになり命を落とすにまで至るレンスキーと、元帝都のドン・ジュアンことオネーギンのホモセクシュアルを前面に持ってくるとは、実に挑戦的だとおもいます。

しかも、その改変を言語を伴わないバレエという表現方法で魅せるというのですから、これが気にならないわけがありますか。

 観ないことには解釈・考察とか成り立たないじゃないですか。いつか必ず議論の俎上に乗せてやるからな、と宣言し、推測を終了します(すみません)。 

 

 さて、しかし、こちらが今回の論題となるわけですが、オネーギンとレンスキーのホモセクシュアルについて、エイフマンは先駆的だったのでしょうか? というと、必ずしもそうとは限らない事実があります。二人の関係についての論述は、実は探そうと思えば山ほど出て来るのです。

 

『オネーギン』創造者は同性愛者が多い?

 さて、オペラ版オネーギンを創作した作曲家ピョートル・イリイチ・チャイコフスキーが同性愛者であったというのは非常に有名な話です。

このことが幸薄い結婚を生み、このことが伝説の "1877年" を創り上げ、このことが彼の謎の多い死の切っ掛けとなったのではないかとさえ言われています(諸説あり)。

 

 又、数あるバレエ版『オネーギン』の中で、最も成功していると言える作品を創作した振付家ジョン・クランコですが、彼も同性愛者であったといいます。少年時代からその傾向があったそうで、生涯独身を通したことからも窺えるでしょう。

 

 必ずしも作者の経験や性癖が作品に現れるとは言い難いと思いますが、何か影響を読み取ることは出来るかもしれません。

ロラン・バルトは『作者の死』を説いていますし、ここを強引に結びつけることは間違っているのかもしれません。しかし、一つの事実として、考察の際頭に留めておくことは必要でしょう。

 

 さて、「オネーギン創造者に同性愛者が多いか」、という問いですが、これには必ずしも肯定的な意見を与えることはできません。

例えば、『オネーギン』を長大な注釈と共に英語で "再創造" したヴラジーミル・ナボコフホモフォビアであったこともこれまた有名な話です。

尤も、芸術家にはそもそも同性愛者が多いとかなんとか諸々、他にも考慮すべき点がありますので、実際のところはどうだかわかりませんね。

 

19世紀ロシアの同性愛事情

 さてここからは時代考証のお時間です。

近世・近代では、同性愛はソドミーとして法律で禁じられることが多々ありました。

帝政ロシアに於いては、1706年にピョートル大帝軍法規定として取り入れたのが最初だと言われています。しかし、これは軍人にしか適用されず、執行も稀でした。

 

 『オネーギン』の物語自体はアレクサンドル1世期の末期ということで学者間でもほぼ見解の一致が取れていますから、特に法律的な罪ではなかったことがわかります。

 

 次にこの法が大きく姿を変えるのは1832年。お馴染みニコライ1世が刑法を制定した際に同性愛の禁止が組み込まれています。

安野直先生によると、当法はヴュルテンベルク王国法の模倣なのだそうです。

 ここでは、995条で男性間の性行為を禁止し、これを犯した場合にはあらゆる権利の剥奪、シベリア送り4-5年、協会での懺悔行などが加えられることが明記され、続く996条でその対象が未成年や精神薄弱者であった場合、強制的に10-12年の懲役が科されることが定められています。

ニコライ1世紀は "暗黒時代" なんて言われることもあるほど厳しい弾圧の時代だったことを留意してください。

 

 ところで、谷口栄一先生によると、ホモセクシュアル(Homosexual)ないしホモセクシュアリティ(Homosexualität)という語は、1860年代末にドイツ系ハンガリ一人の作家ケノレトペニーが新しく造った言葉で、世紀転換期には急速に欧米各国に広まったそうな。

つまり、チャイコフスキーの時代には既にあったことばなのですね。尤も、ロシアにまで拡まっていたのかは疑問ですが……(そこまでは追えませんでした)。

 

 アレクサンドル2世期は "大改革の時代" として、ニコライ1世期の締め付けが一気に緩くなった時期です。

刑法についても見直され、実際に刑罰が下されることはほぼなかったはずです。また、チャイコフスキーが活躍したのはこのアレクサンドル2世~3世期ですが、アレクサンドル3世は芸術に明るい人で、チャイコフスキーを芸術家として愛していたことで知られています。

 

 現代の感覚だと、「法律違反でないのならいいんじゃない?」という風に感じてしまいますが、当時は世間体や名誉というものが第一であったこと、そして宗教(ロシア都心部の場合ロシア正教)が大きな力を持っていたことを想起してください。

 ソドミー法が定められたのは、何よりもキリスト教がそのように指示したからです。ニコライ1世期から、ロシア帝国が掲げていたスローガンは「専制正教、国民性」ですし、『オネーギン』作中のタチヤーナの信心深さもその証左となるでしょう。

 世間体や名誉は社会的な寿命でした。これが失われると、ご存じのように、決闘沙汰になったりするわけです。何よりもこれが重んじられた時代でした。現代を生きる我々としては少々滑稽に感じますが、時代考証に必要な概念です。

 

原作の解釈

 原作の時点ではこのような解釈をするような人は少ないのですが、ゼロではありません。

特に、第4章まででオネーギンが作中の人物で一番心を寄せていたのはレンスキーだと考えられますし、彼を殺害した後、傷心のオネーギンは数年間放浪の旅に出ます。

↑ オネーギンの旅の期間についてはこちらを参照ください。

 

 尤も、わたし個人としては、原作に於いてこの二人が友愛以上の関係にあったか、ということについては否定的な意見を持っています。

オネーギンは心理の揺れ動きの描写も巧みな作品なので、陳腐な分類をすることは野暮ですが、敢えてことばにするならば、物語前半でレンスキーがオネーギンに感じていた感情は「尊敬」や「嫉妬」なのだろうし、オネーギン側は「興味深い」くらいだと考えています。決闘後にしろ、愛があったから悔やんでいるのだ、というよりは、心理的トラウマになっていると考えた方が筋が通ります。

 重ねますが、解釈は人それぞれですし、原作に於いて完全に否定されていなければ後は読者が自由に想像力を働かせることを許されています。

 

ガニュメデスの誘拐―オペラ版の解釈

 最後に、オペラ版オネーギンの同性愛的解釈を説いている本を紹介したいとおもいます。『ガニュメデスの誘拐』です。有り難いことに翻訳が出ています。

 これを記したドミニック・フェルナンデスという人物は、"戦闘的同性愛者" を自称しており、世の偏見などと闘うと宣言している高潔な人です。

 この『ガニュメデスの誘拐』は、その宣言に続き、絵画・オペラ・文学・映画など、あらゆる形態の芸術作品を同性愛的に解釈していくという分厚~い書籍なのですが、正直「流石にそれはこじつけなのでは……?」というものも無きにしも非ず。その中にオペラ版『オネーギン』についての記述が存在します。

 個人的には、この本はバルザックの『幻滅』の解説にあったので手に取ったのですが、まさか『オネーギン』が出て来るとは思わなかったのでびっくりしました。ご縁ですね。

 では、該当部について、少し長くなりますが、そのまま引用します。

……たとえば『エフゲニ・オネーギン』がそうであって、チャイコフスキー自身が同性愛者だったために、二人の友人オネーギンとレンスキーが、最初にまず舞踏会の最中に、皆の見ているまえで口論をはじめ、次には牧場で決闘するにいたるのだが、その真の動機を覆い隠すのに成功しなかったのである。

これみよがしにレンスキーの許嫁と踊るオネーギンの厚かましさ、友人に決闘を挑むレンスキーの憤激、そして、幸福とはどんなものかを知った家をスキャンダルの舞台にしてしまったことへの後悔などが、抑圧された欲望がどのようにして荒々しい感情に変わり、禁じられた希望がどのようにして抑えようのない破壊欲に変わるかを、もののみごとに表現している。二人が出逢うのは、夜明けの孤独と寂しさのなかでだった。

二人の友人はついに≪合流≫する。しかしそれは互いに戦い、殺しあうためであった。

この決闘は、二人の合いの頂点を記すと同時に、彼らが自分たちの愛に課すべき罰でもあるのだ。互いに数歩離れ、ピストルを発射する寸前、背を向け合ったまま、二人はカノンで歌う。

結びあわされていると同時にたがいにへだてられてもいる二人が互いの愛を心ゆくまで表現できるのは、まさに自分たちを罰しようとする瞬間にでしかない。決闘する二人は向かいあい、レンスキーは殺される。

彼らの欲望に許された唯一の解決は死なのであり、死こそが愛の告白であると同時にその否定なのである。「誰もが自分の愛するものを殺す」―――オスカー・ワイルドの言葉は、このオペラのエピグラフにもなりうるはずである。じかに扱うわけにはいかない状況を、あえて舞台に載せるためにチャイコフスキーが思いついた迂回路は、そういうものであった。

       (ドミニック・フェルナンデス『ガニュメデスの誘拐』)

 言いたいこともわかるような、こじつけが過ぎるような、という感じですが、一理あるかもしれません。

確かに決闘前のカノンなんかはそう取りやすいと思います。オペラ版『オネーギン』は、「言葉(歌詞)は繕い、本心は音楽に乗せている」と解釈されることが多く、カノンという形式自体にそのような解釈を見出すことも可能です。

 そして興味深い事実ですが、たとえば「オネーギン  同性愛」みたいなワードで gg ると、エイフマン版ばっかり出て来るのかなと予想していたのですが、意外なことに一番多くヒットするのはオペラ版でした(尤も、総数自体が多いということもあるだろうとおもいますが)。

聴衆の中でも、複数の人間が同性愛的解釈を行っているようですので、故意か偶然かは存じませんが、そう思わせる素因は多分に含んでいるのでしょう。

 

終わりに

 『エヴゲーニー・オネーギン』は、若い男女四人が繰り広げる、実にヘテロセクシュアルなストーリーラインを持っています。その中で、同性愛的解釈が生まれるというのは非常に興味深い事実です。

それも、複数の人間が考え、解釈として一定の地位を得、更にそれを土台とした再創造まで行われているのです。

 

 皆様はどうお考えでしょうか。非常に気になります! コメントかなにかで教えて頂けると参考になります。

 それでは失礼致します。松本楽しみですね。

 

参考文献

http://repository.osakafu-u.ac.jp/dspace/bitstream/10466/12723/1/2012000157.pdf