こんばんは、茅野です。
松本が迫ってきてますね。感覚的にあと3週間くらいあるもんだとおもってたのでびっくりしております。
早速ですが、今回は謎の多い人物・N公爵とグレーミン公爵について、相変わらず原作・オペラ・バレエ版を比較して考えていきたいとおもいます。お付き合い宜しくお願いします。
- N公爵とグレーミン公爵
- オペラに於けるタチヤーナの夫―「グレーミン公爵」
- 原作に於けるタチヤーナの夫―「N公爵」
- 挿絵で見るN公爵
- ドストエフスキーの「プーシキン演説」
- オネーギン草稿と決定版の違い
- 太った不具の年老いた将軍?
- クランコ版に於けるタチヤーナの夫―「グレーミン公爵」
- 終わりに
N公爵とグレーミン公爵
「タチヤーナの夫」といった時に、どちらの名前を想起しますか?
N公爵 ▽
グレーミン公爵
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原作に明るい方はN公爵、オペラ・バレエ版に親しい方はグレーミン公爵を想起したこととおもいます。
タチヤーナの夫にあたるN公爵及びグレーミン公爵は、媒体によって名前も重要性も著しく変わっています。それぞれの特徴を確認してみましょう。
オペラに於けるタチヤーナの夫―「グレーミン公爵」
敢えて、先にオペラ版から見ていきたいとおもいます。
原作に於いては、タチヤーナの夫は「N公爵」とのみ呼ばれ、名前すら出てきませんが、チャイコフスキーは彼に名と美しいアリアを与えています。
チャイコフスキーが創作した名前は N から始まらず、その名も「グレーミン公爵」。このグレーミンとは、ロシア語の Греметь に由来し、この語は「鳴り響く」という意味を持ちます。もうそれはそれは名アリアを歌いそうな名前ですね。
そのアリアの歌い出しはこうです。
Любви все возрасты покорны,
愛に齢は関係なく、
このことから、チャイコフスキーはグレーミン公爵を「年老いた人物」だと想定したことが読み取れます。
↑ バルセグ・トゥマニャン(グレーミン公爵)
しかし、「グレーミン公爵は年老いているのか」、というのは、実は論争を巻き起こしている問題だったりするのです。
キャラクターの年齢論争といえば……い、嫌な予感が……。
↑ オネーギンの年齢についての記事です。地獄!
原作に於けるタチヤーナの夫―「N公爵」
では次に、原作でのタチヤーナの夫を見てみましょう。彼は「N公爵」と呼ばれています。名前すら出てきません。はじめて出て来るのは第7章。
だがそのあいだ、ある堂々たる将軍がまじまじと彼女の姿を見つめていた。ふたりの叔母は互いに目配せをして、同時に肘でターニャを突つき、口ぐちにささやいた。―――
「早く左のほうを見てごらん。」
「左のほう? どこなの? 何があるの?」
「まあ何でもいいから見てごらん。……ほら、あそこの人の塊の一ばん前に、軍服を着たふたりの人がいるでしょう。……ほら今動いた方……横向きになった方……」
「どの方? あの太った将軍?」
(『オネーギン』池田健太郎訳)
他にも、第8章よりも2年前にタチヤーナと結婚したこと、オネーギンの親戚であり友人であること、戦争で怪我をしたことなどがわかります。
しかし、年齢については、実は一言も触れられていないのです。
その一方で、N公爵及びグレーミン公爵は年老いた人物である、という誤認が本国ロシアを含め拡がっています。これは何故なのでしょうか。考えていきたいとおもいます。
挿絵で見るN公爵
本国でもN公爵が年老いた人物であると勘違いされていることの証左として、挿絵が挙げられます。
以下に示したのはサモキッシュ=スドコフスカヤ(1863-1924)による第8章の挿絵です。軍服を着ているのが公爵ですが、確かに恰幅の良い年老いた軍人であることが見て取れます。
この挿絵が描かれたのは1911年ですから、この時点で勘違いが生まれていたことがわかります。
ドストエフスキーの「プーシキン演説」
さて、勘違いに一役買ったものとして、ドストエフスキーによる演説の存在が大きいと考えられます。
1880年、モスクワ中心街でプーシキン記念祭が開催されました。そこでは名だたる帝政ロシアの作家たちが集い、異口同音にプーシキンへの賛辞を述べ合いました。
6月8日、かの有名な作家フョードル・ドストエフスキーはオネーギンに関する演説を行います。その中で、次のように述べています。
タチヤーナは高潔な魂、多くの苦悩を味わってきた心をもっていましたから、あのように決心する以外に仕方がなかったのでしょう。
純粋にロシア的な魂をもった人ならば、この問題についてこう答えるでしょう。「たとえ私ひとりが幸福を失うのだとしても、たとえ私の不幸がこの年寄りの夫の不幸よりも計り知れないほど大きかったとしても、そして誰ひとり、この夫でさえも、私の犠牲について何も知らず、それを正統に評価してくれないとしても、私はひとりの人間を破滅に追いやっておいて幸福になどなりたくありません」と。
これが悲劇なのです。悲劇は既に起こっており、最早境界線を踏み越えることはできません、遅すぎたのです。
ドストエフスキーは、N公爵を「年寄りの夫」と決めつけています―――原作にはそういった表記はないのに!
ちなみに、オペラ版オネーギンが作曲されるのは1877年からですから、オペラ版の影響は考えられず、寧ろチャイコフスキーがこの演説を聞く、或いは原稿を読んでいた可能性は考えられます。
オネーギン草稿と決定版の違い
しかし、本当に『オネーギン』原作には惑わせるようなことが書いていないのか? というと、そうでもありません。
実は、N公爵について、草稿と決定版では違いがあります。
上に引用したタチヤーナの発言、「あの太った将軍?」ですが、こちらは現在ひろく読まれている決定版。ところが、草稿では違う言葉になっています。
「どの方? あのお年寄り(старый)の将軍?」
まさかのドンピシャストライク! 草稿ではお年寄りという設定だったのです。
しかし、これで解決めでたしめでたし! となるにはまだ早い。
まさか皆が皆草稿を読んでいるわけではないという当然の事実があります。ともなると、勘違いの要因は他にもありそうです。
たとえば、「将軍である」ということ。こちらはどの媒体に於いても共通していますが、将軍というと、出世に出世を重ねた老人……というイメージがなんとなくありますよね。しかし、帝政ロシアの場合そうはなりません。
19世紀前半の帝政ロシアでは、20代の若さで将軍にまで上り詰める人は少なくありませんでした。しかし、読者が持つ勝手なイメージから、プーシキンは意図せず老人を想起させている可能性があります。
他にも、『オネーギン』自体のストーリーラインから勘違いが起こっている可能性がありそうです。見てみましょう。
太った不具の年老いた将軍?
プーシキンは何故N公爵を「年老いた」将軍から「太った」将軍へと変更したのでしょうか。そこには何か理由がありそうです。
先人の意見をお借りすると、田辺佐保子先生は、『オネーギン』という作品のカテゴリ、及びストーリーラインと絡めて考察しています。曰く、
ドストエフスキーにせよ、チャイコフスキーにせよ、愛する人を退けるタチヤーナの悲痛な信条と苦悩にいたく同情し、彼女を悲劇のヒロインとして崇め奉りすぎている感がある。夫が老齢である方がその悲劇性が高まるはず、それで無意識な誤解へと導かれた、ということもあろう。
しかし作者自身が「序詞」で示唆したとおり、この韻文小説は「なかば滑稽、なかば哀しい……色とりどりの章の集まり」であり、喜劇も悲劇も併存する「人生の小説(ロマン)」として広やかな小説世界を繰り広げている。その終幕も悲劇一辺倒に色づけされているわけではなく、より広い視野のもとに描かれており、それが作者によるタチヤーナの夫、N公爵のプロフィール決定とその描き方にも反映されているのでなかろうか。
(「タチヤーナの夫とは?」田辺佐保子)
つまり、ドストエフスキーやチャイコフスキーは、オネーギンを「悲劇」として理解したものの、プーシキンはそれを意図していなかった、というところが正解なのではないかというわけです。
「太った不具の年老いた将軍」と望まずして年若くして結婚、というとなるほど悲劇性も高まりそうです。しかし、原作に於いてはそうはなりません。
まず、「太った」ですが、仮に草案の「年老いた」という表現に変えられたとしても、他にも「堂々たる将軍」(第7章)「重々しい将軍」(第8章)なる表記があり、「太った」という直接的な表現がなくとも、恰幅の良い印象は受けます。
次に「不具の」ですが、ロシア語では изувечен という単語が使われています。これは、治らない外傷や障害が残ることを指すようですが、生活に支障が出ないものである可能性もあります。
「年老いた」「将軍」に関しては、前述の通りです。
ともすると、どうでしょう。解釈によっては、「戦争の傷もある程度癒えた、恰幅の良い年若い将軍」かもしれないではないですか。これでは大分イメージも変わってきます。
更に、N公爵が年若いとする根拠として、オネーギンとのエピソードが挙げられます。N公爵は、オネーギンの親戚であり友人であることが第八章からわかります。そして幼少では共に悪戯をした仲ですらあるようです。
幼少期に共に悪戯をした、ともなると、年の差があったとしても、10歳は離れていないのではないか、とおもいませんか。
加えて、親類で年も近いとなると、もしかして、二人は似ていたりして……? なんて、考えてしまいませんか。タチヤーナがオネーギンを捨ててN公爵との道を選んだのには、そういった理由もあったりして……なんて、ちょっと穿った解釈すら成り立ちそうです。
クランコ版に於けるタチヤーナの夫―「グレーミン公爵」
さて、それではここでバレエ・クランコ版のグレーミン公爵についてみてみたいとおもいます。
クランコ版での名前は「グレーミン公爵」で、チャイコフスキーのオペラの系譜を受け継いでいることがわかります。しかし、一方で、この人物はオペラ版との違いも存在します。
↑ マドレーヌ・イーストー(タチヤーナ)とアンドリュー・ライト(グレーミン公爵)
わたしがクランコ版オネーギン愛好家と話していて衝撃を受けたのは、「タチヤーナが今更オネーギンに惹かれるなんて説得力がない。グレーミン公爵のほうが素敵なのに」というような発言が多く見受けられたことです。
わたしも当初は上記の「太った不具で年老いた将軍」というイメージを持っていたので、「まさか、そんな! 比べるまでもないだろう」と思っていたのですが、こうやってよく考えてみると、間違っていたのはわたしの方なのかもしれません。
バレエは、その性質上、キャラクターダンサーなどの例外を除いて基本的には「太った」「不具の(=足を怪我した)」主要キャラクターを出すわけには参りませんし、「年老いた」ですら少々難しいところです。
それもあって、バレエのグレーミン公爵は確かに貫禄あるダンディという趣きで確かにカッコいい。
故意か偶然かわかりませんが、クランコ版では前述の「戦争の傷もすっかり癒えた年若い将軍」という解釈が通用するといえそうです。この場合、タチヤーナの迷いというのは、「オネーギンへの愛」というよりは、「青春へのノスタルジー」などの方がしっくりきそうですね。
うーん、それはそれで面白い……これからどういう顔をして手紙のPDDを観ればいいんだろう……(?)。
又、クランコ版のグレーミン公爵は、「オネーギンと親類」なのではなく、「ラーリン家の親類」という差異があります。しかし、第2幕第1場に於いて、親しげにオネーギンと会話している描写などが挟まれるため、「オネーギンと親類」という設定が消えた訳では無いのかも知れません(特別そういった表記は見当たりません)。
オネーギン家ともラーリン家とも親類のグレーミン公爵……一体運命の糸はどうなっているんだ……。
終わりに
N公爵及びグレーミン公爵は、「太った不具の年老いた将軍」、「戦争の傷もすっかり癒えた年若い将軍」という二通りの解釈が可能です。
演出やヴァージョンによって上演側の解釈は変わると思いますし、読者・鑑賞者として我々も自由に読み解くことができます。しかし、プーシキン、チャイコフスキー、クランコが想定した像はそれぞれ異なりますから、それは頭の片隅にでも置いて頂ければよいのかなとおもいます。
それでは失礼します。松本までのカウントダウンをしつつ!