こんばんは、茅野です。
ずっとパソコンに向かっておりましたら、右腰に違和感が。こんなのでも、Under 25 歳席に座っているというのだから驚きです。デスクワーク民に救いを……。
さて、レビュー執筆マラソン中です。第五回となる今回は、コメディ・フランセーズのライブビューイングから、演劇『病は気から』を鑑賞して参りました。
『ファルスタッフ』、『ジゼル』と連日観て、一日だけ空け、翌日観ました。観劇三昧です。
それでは、お付き合いの程よろしくお願い致します。
キャスト
アルガン:ギヨーム・ガリエンヌ
トワネット:ジュリー・シカール
アンジェリック:クレール・ドゥ・ラ・リュ・デュ・カン
クレアント:ヨアン・ガジオロフスキ
ベリーヌ:コラリー・ザホネロ
ベラルド:アラン・ラングレ
トマ:クレモン・ブレッソン
ディアフォアリュス / ピュルゴン:ドゥニ・ポダリデス
ルイゾン:マリー・ドゥ・チューロワ
演出:クロード・ストラーツ
雑感
ごく久々のフランス演劇でした!
最近は National Theatre Live によく通い、イギリス演劇ばかり観ています。この間は、新国立劇場で日本のものも観ました。
↑ 内容としてはオーストリアものです。
わたくしは個人的に大学でフランスの戯曲を勉強しており、特にゼミではモリエールを扱っていたので、なんとも嬉しい気持ちに。
↑ 原作。疫病が流行している今、オススメです。
演出も演技も非常にトラディショナルで、「流石、伝統のコメディ・フランセーズ……!」と感じましたね。
尤も、逆にいえば、新規性や目新しさは殆ど全くないと言ってもよく、フランス演劇を観慣れている方には物足りなかったかも。
とはいえ、伝統を受け継ぐ劇場も必要ですから、コメディ・フランセーズはその役割をよく果たしていると思います。伝統と革新、どの分野でも争点となる問題ですが、難しいですね。
役どころも、「劇団長(モリエールが演じた役)」、「若い娘枠」、「二枚目枠」、「妙齢の女性枠」、「三枚目枠」……と、今でも盛名座を感じさせます。
お衣装やセットも含め、モリエールの時代に即したものになっています。それにしても、主人公・アルガンの格好よ。背中側は殆ど裸でおむつという。病人服の時代考証とかもやったら楽しそうですね!
唯一現代的なのは、マスクの存在。これにより、現代のコロナ禍との物語の紐帯を感じさせる作りになっており、大変巧妙です。
モリエール喜劇の特徴は、「笑劇(ファルス)」とは異なり、奇異な格好や考えの人間を中心に展開される、というもの。『病は気から』は、その筆頭格と言えます。
主人公アルガンは、肉体的には頗る健康なのですけれども、「自分は何か重い病気だ」と思い込んでいます。正に『病は気から』というか、寧ろ「気(精神)が病」と言ったところ。
身体的にも精神的にも、健康であるに越したことはないと思うのですが、特に、モリエールの時代よりも少し後の近代フランスでは、肺病み(結核)や、鬱病が、世紀病として「流行」になるという、奇特な価値観を持っています。
勿論、「病気が
『椿姫』なんか、正にこの系譜ですよね。ちなみに、わたくしが愛好しているロシア文学『エヴゲーニー・オネーギン』も、第一章の章題は「
この価値観は、本気で病に苦しんでいる人に失礼だと思うのですが、日本でも「風邪引き男に目病み女」と申しましたし、「(嘔吐や痙攣を伴うようなものでなければ)病める人はカワイイ」という認識は、割と世界共通の考えなのかもしれません。「推し」が早逝しがちな闇のオタクのみなさま、感情の向き合い方にはお気を付けくださいませ(特大ブーメラン)。
劇場を出た後、正にその話をしている方々もいらっしゃいましたが、アルガンの存在は、現代に照らし合わせて言えば、「家族に反ワクチンの人がいる」というと、リアリティが湧くかと思います。なかなか壮絶です。
また、婚姻制度や遺産相続制度など、近世フランスの風習を描いていますが、これは日本の家父長制や、家族責任論によく通ずるもので、現代日本に生きていても、思うところがある方が多いのではないかと思います。
モリエール喜劇は、近世の文化や社会を伝えると同時に、現代にも通ずるものがあり、正しくそれが「古典」たる理由ですよね。
モリエールの時代には、医療といえば、瀉血か浣腸でした。それしかありませんでした。瀉血のやりすぎで殆ど失血死するようなケースも多々あり、未発達な医療の杜撰さが伺えます。
医療が発達したのはごく最近のことで、わたくしが愛好している19世紀中頃も悲惨でした。
↑ わたくしが趣味で研究している方の資料をベースに、当時の医療の実態を垣間見る記事。かわいそう。
それゆえ、モリエールは「医療」や「医者」がだいきらいだったと言われており、それが『病は気から』での風刺にも繋がると考えられています。
これは物凄く大雑把な分類であって語弊を生みそうですが、大まかに言って、イギリス演劇やロシア演劇には、「役者が自分の人生に照らし合わせて役柄を形成する」という考えがあり、役柄の喜怒哀楽を、自分の人生から引き出すメソッドが存在します。所謂「スタニスラフスキー・システム」などですね。
この手法を用いることによって、同じ役柄であっても、役者毎に解釈が大幅に変化したり、真に迫った演技をすることが可能になりました。しかしそのせいで、システムで育った俳優さんは精神を病みやすいのではないかという懸念があるのですが……。
「真に迫った演技が可能である」ということは素晴らしいことだと思います。一方で、フランス演劇では、「役は役」と、役柄と役者を切り離した考えが主流でした。システムのような、俳優に精神的な強い負荷を強いるものと違って、「あくまで仕事は仕事でしょ」という考え方が、実にフランスらしいなと思ったりします。
現代では、前者のメソッドの方が主流になってきていると思うのですが、フランスにはフランスの優れた演劇文化がありますから、これを保持してゆこうとするコメディ・フランセーズには、今後とも頑張って頂きたいものです。
最後に
通読ありがとうございました。3000字ほど。
コメディ・フランセーズの演劇は、Pathé Live さんの広告を見る度に、「観たいなあ」と思っていました。しかし、いつも日本は上演対象外……。悲しい思いをしていたので、今回漸く鑑賞できてよかったです! 特にモリエールなんて!
ボリショイ・バレエのライブビューイングの際などに流れる、シーズンアナウンス動画が凄く好きでした。近年は撮ってくれなくて悲しい。
↑ 格好良すぎません? ドキドキする。
戯曲が専門だったので、その上演となるフランス演劇も機会があれば色々観たいですね。オススメがあれば是非ともご教授くださいませ。
まだまだ続きます、レビュー執筆マラソン! 次の記事でもお目に掛かれれば幸いです、ありがとうございました。