世界観警察

架空の世界を護るために

NTLive『ストレイト・ライン・クレイジー』 - レビュー

 こんばんは、茅野です。

昨晩、今晩と、一気に三記事ずつくらい書いています。書けるときに書く! 鉄則です。後回しにしても特によいことはありませんからね(特大ブーメラン)。

 

 さて、というわけで続けてレビュー執筆マラソンです。第六回となる今回は、National Theatre Live より、演劇『ストレイト・ライン・クレイジー』で御座います。

↑ いつもお世話になっております!

 

 研究会で国際政治を学んでいたこともあり、アメリカの行政の物語ということで楽しみにしておりました。期待に違わぬ名作で何よりです!

今回はこちらの雑感を記して参ろうと思います。

 

 それでは、お付き合いの程よろしくお願い致します。

↑ このポスター、良すぎません? 部屋に貼りたい。

 

 

キャスト

ロバート・モーゼス:レイフ・ファインズ

フィノーラ・コーネル:シボーン・カレン

アリエル・ポーター:サミュエル・バーネット

マライア・ヘラー:アリーシャ・ベイリー

ジェイン・ジェイコブス:ヘレン・シュレシンガー

アル・スミス:ダニー・ウェブ

ヘンリー・ヴァンダービルト:ガイ・ポール

作:デヴィッド・ヘア

演出:ニコラス・ハイトナー

 

雑感

 NTL の! 政治劇が! 好きです!!

『ハンサード』や、『プライマ・フェイシィ』、『リーマン・トリロジー』など、政治や経済、金融、法など、硬めのテーマが大好きです。

特に『リーマン』はめちゃくちゃ好きでした。個人的な好みなのは勿論ですが、何よりも質が頭一つ抜けて高い。可及的速やかに円盤を売ってくれ。

↑ かなり盛大に沼堕ち。もっとリサーチなど深めて参りたいところです。

 今作『ストレイト・ライン・クレイジー』も、正にこの系譜。ニューヨークの街並みを作った男、「マスタービルダー」ロバート・モーゼスの半生を描きます。

 

 高校の頃、研修で数ヶ月アメリカ合衆国に飛ばされていたものの、中部にいたので、実はニューヨークには一度も訪れたことがなく。
土地勘がないので、あまり実感が湧かない所が少しばかり残念です。「ここがロバート・モーゼスが作った場所かァ!」と、聖地巡礼してみたいところ。

せめて『世界ふれあい街歩き』とかで予習したい。

↑ テレビ業界や芸能界に嫌悪感を抱くわたくしが唯一好んで追いかけているテレビ番組『世界ふれあい街歩き』。長年のファンです。オススメ。好きだ。

 

 従って、ニューヨークという街の創造秘話などは全く存じ上げなかったので、勉強になりました。恒例の、「どこまでが史実でどこからが創作なのか」チェックを行うため(※粗探しとかではなく、単に劇の内容を知識として鵜呑みにしても良いのか、という個人的な知識探究です)、資料も買い、読み始めました。

↑ 取り敢えずこの2冊を。
都市論とかも勉強してみたいな。お勧めの書籍などありましたらご教授下さいませ。

 

 都市の創造といえば、作中でも名前が出てきた、パリの改革者オスマン男爵。また、ロシア帝国に現を抜かしている身としては、ペテルブルクの創造主ピョートル大帝など。

モーゼスは、彼らと並び立つ「マスタービルダー」ですが、彼らと異なるのは、時代です。

 近世や近代では、帝政の元、「上からの改革」を強力に推し進めることが可能だったわけですが、20世紀ともなると、そうは参りません。

作中にも、「民衆は自分が何を望んでいるのかすらわからないのだから、権力者が導き、与えるのだ。」という旨の台詞が何度か出てきますが、これは正に前時代的な考え方であると言えるでしょう。

寧ろ、19世紀以前であれば、歓迎された考えかも知れません。事実、アレクサンドル2世も殆ど同様のことを言っています(※長男の皇太子に対し、「皇帝とは、国民よりも彼らの利益を知り、それに便宜を図ってやる者のことだ」、という旨を伝えています)

従って、晩年に関しては、正に「時代の潮流の見極めを誤った」ということなのでしょう。遅れてきた天才。19世紀の政治を好んで追っている身としては、モーゼスの考えもよく理解できるので、歯痒さを感じましたね。完全な悪というわけではなく、20世紀の価値観にそぐわないだけなのだろうと。

 現代では、彼の評価が見直され、今再び彼のような人物が必要とされている、とも言われています。強力に改革を推し進めていく、求心力あるリーダーを求める時代と、民衆がそれを打倒し、民主主義的な平和、或いは停滞を築く時代は、交互に訪れるということなのでしょう。

 

 『ストレイト・ライン・クレイジー』という題は、「少しの妥協も許さず、とにかく真っ直ぐな道路を作る男」を表すと同時に、「とんでもなくエネルギッシュに、がむしゃらに突き進む男」というダブルミーニングになっていて、非常に上手いなと感じました。良い題。

 

 劇自体は、比較的少人数で、小規模です。しかし、セットは結構作り込んであります。個人的にも好み。

それぞれキャラクターが立っていて、無駄がありません。第一部で、少しギクシャクした関係だった上司モーゼスと部下二人、フィノーラとアリエルが、第二部では強力な味方になる(但し完全に仲良しこよしになっているわけではない)のが、グッときますね。続編で、前作の主要キャラが出て来るような興奮。

 モーゼスとは相反する思想を持つ、ジェイン・ジェイコブス側も、正しく冷戦期のアメリカの市民運動というところで、強権的なモーゼスと素晴らしい対比になっていました。

 

 演者さんに関して。主演はといえば、恐らく一般的には『ハリー・ポッター』シリーズなどでお馴染みの名優、レイフ・ファインズ氏。

しかし、我々にはもっと身近な作品にも出演しておられます。そう! 映画版『オネーギン(邦題: オネーギンの恋文)』のタイトルロールなのだ!

↑ 結構古いです。1999年の作。わたくしの生年に極近いです。

 正直に申し上げれば、『アンナ・カレーニナ』なども然りですが、イギリス製ロシア文学映画は、映画としての質は高いのかもしれませんが、「ロシア感」が全っっく感じられないので、生粋のロシアファンにはオススメしません。ロシアの1月、そんなに青々と緑茂ってないとおもうぞ……。

 しかし、広く知られた名優が、我らが『オネーギン』ファンの同志であり、映画版の主演までして下さっているというのは、大変喜ばしいことです。

 

 今回は、「才気煥発だが、協調性が無く、強権的で、エネルギッシュで、人の話を聞かないリーダー」という役どころ。第一部では、そりゃあ部下から恐れられるだろう、という雰囲気がよく出ていました。

一方で、それこそ『ボリス・ゴドゥノフ』のタイトルロールのような、強者特有の、時折見せる寂しそうな背中など、哀愁や同情を誘うのも上手い。

 

 部下二人がまた非常に美味しい役どころでしたね。オドオドと対応したり、珍しく上司に喰って掛かってみたりする新人時代と、「マスタービルダー」の右腕として、歴戦のベテランオーラを漂わせるギャップの演じ分けもお見事。

 

 ジェイン・ジェイコブスは、本人のお写真にそっくりで、思わず笑いが。

↑ あまりにもわかりやすすぎる。

おかっぱ頭、黒眼鏡、ネックレスと、非常にアイコニックな出で立ちですね。戦略的だ。

但し、作りとして、観客はモーゼスやジェイコブスを知っている前提、と思われるようなところもあったので、もう少し説明があってもよいのかも、と思ったり。それくらいの教養は身につけておけということですか、仰る通りで……。

彼らに詳しい観客は、ジェイコブス役の俳優さんが登場した段階で笑えるのだろうな、と後になって思いました。

 

 いつも通りの高水準、流石の NTLive です。好きだ。

今作は、人が死んだりだとか、観客のトラウマを惹起させるような描写も殆どなく、純粋に政治劇、人間ドラマとして楽しめる作品に仕上がっています。

知識があるとより楽しめるのは間違いないかも。知識を深めた後、もう一度観たい名作です。

 

最後に

 通読ありがとうございました。3500字強。

 

 次回の NTL は、少し空いて1月、『レオポルト・シュタット』。

↑ 軽く予習しておきました。

暗い物語ですが、こちらも楽しみです!

 

 いよいよレビュー執筆マラソンも次回で最終回。長かった! 10月は7回も観劇に出掛けているわけですね。幸福なことだ。

次の記事でお目に掛かることができれば嬉しいです、ありがとうございました。