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映画『チャイコフスキーの妻』 - レビューと解説

 おはようございます、茅野です。

本日9月8日は、ユリウス暦我らが殿下のお誕生日で御座います。大層めでたい。生まれてきてくれてありがとう。そんな日に上げる記事がこれでいいのかとは思いつつ。

またグレゴリオ暦での際に何かしら書ければ良いなと思います!

 

 さて、とうとう日本でも公開されましたね、映画『チャイコフスキーの妻』!

↑ ちゃんと初日に観に行きましたよ! パンフレットも買いました。

ロシアで公開された時から、色々な意味で注目しておりました。

 

 最近映画は Filmarks で感想を纏めているんですが、今回は折角ですから記事にしようと思いまして、久々に映画レビュー記事になります。

↑ Filmarks のわたしのアカウント。最近ですと、NTL の『ナイ』がよかったです!

 

 レビューとは言っても、わたくしはやはり何よりも『エヴゲーニー・オネーギン』のオタクですし、この映画には是非とも注目して頂きたいキャラクターが登場していますから、その二点について重点的に書いて参りたいと思います。参考になれば幸いですね。

 それでは、お付き合いの程、宜しくお願い致します!

 

 

出演

アントニーナ・イヴァーノヴナ・ミリュコーワ:アリョーナ・ミハイロワ
ピョートル・イリイチ・チャイコフスキーオーディン・ランド・ビロン
アナトーリー&モデスト・チャイコフスキー:フィリップ・アヴデーエフ
オリガ・ニカノロヴナ・ミリュコーワ:ナターリヤ・パブレンコワ
イオシフ・イオシフォヴィチ・コーテク:ニキータ・エレネフ
アレクサンドラ・チャイコフスキー:ワルワーラ・シュミコワ
ピョートル・イヴァーノヴィチ・ユルゲンソン:ヴィクトル・ホリニャック
ニコライ・グリゴリエヴィチ・ルービンシテイン:オクシミロン
ヴラジーミル・ペトローヴィチ・メシチェルスキーアンドレイ・ブルコフスキー
ニコライ・リヴォーヴィチ・ボチェチカロフ:グルゲン・ツァトゥリャン
監督・脚本:キリル・セレブレンニコフ

 

雑感

 ロシアは著作権がガバガバなので、インターネット上にフルの動画が上がっており、実は先に字幕無しで軽く観ていました。

わたしはロシア語初学者なので、リスニングテストがてら……。というわけで、今回は日本語字幕で答え合わせをするような気持ちで参りました。一部はちゃんと聞き取れていてよかったです。

 

 先に、『オネーギン』と某キャラクターに関係しない点について簡単に振り返っておきます。

 

 まず何と言ってね、帝政ロシアの映画が撮られる、それだけで嬉しいですよ! この映画でも描写されるように、帝政ロシアは貧富の差も激しいし、社会制度は崩壊しかけているし、住みよくない地域だとは思います。が、何故こんなにも好きなのか。わたしにもわかりません。恋かも。

 わたしが特に好きなのは1820-60年代で、この映画は70-90年代を描きますから、少しズレますが、それでも嬉しいですね。

 パンフレットによると、セレブレンニコフ監督は「また近代ものを撮りたい」と仰っているとのことだったので、期待ですね。

 

 さて、このセレブレンニコフ監督といえば、バレエウォッチャーにとってはボリショイ・バレエの『現代の英雄』と『ヌレエフ』を手がけたことでお馴染み。

前者はロシア文学好きで知らぬ者はいないレールモントフの傑作で、わたしも散文小説の中では一番好きだと常々申し上げていますし、後者は題材もさることながら、制作過程がスキャンダラスであったことで話題になりました。主演のヴラドは大変だったらしい

 当時は「バレエ門外漢のヤベー演出家が引っ掻き回してんなあ」としか思っていませんでしたが、今思えば、ゴチゴチの体制派のボリショイと、反体制派の監督は最初から折り合いが悪かったのかも。侵攻によってそれが可視化されたような気がします。

 

 バレエの時は、正直に言ってあまり良い印象がありませんでしたが、今回の映画は素晴らしいですね。時間の経過を示す移行が洒落ていたり、離婚調停の際の人物の配置などは絵画のよう。

題材選びも面白いですし、映画に関しては(この一本しか観ていませんが)気に入りました。

 

 ロシアは演劇が盛んで、俳優さんの質も高いことで有名ですが、今回も俳優さんは皆素晴らしかったですね。特に、主演のミハイロワさんはもう、「怪演」。彼女で成り立っている映画です。

 本人も仰っていたように、チャイコフスキー役のビロンさん(「バイロン」読みにせよ「ビロン」読みにせよ、凄い名前だ!)は、実際のチャイコフスキーの写真や肖像画にちょっと似ています。現代の演劇や映画では、俳優さんの容姿に関しては寄せないことも多いですが、やはりこれほど有名な人物を演じるとなると、この点も重要に思えますよね。

 

 史実をベースに、フィクションを交えた作品ですが、史実も史実なので、「あ~やってそ~~」が続きます。リアリティがあり、歴史創作としてもかなり良い塩梅なのではないでしょうか。

創作したエピソードがあっても、パンフレット曰く、アントニーナの台詞は殆ど全てが実際の手紙から取られているとのことです。怖すぎる。

 

 基本的には、常時煙ったモスクワの湿度の高そうな不潔な町並みが舞台になりますが、カメンカの森がまたこの世のものとは思えないくらい美しく……。

 

 結構性器やセックスシーンがババーンと出てくるので、幾らチャイコフスキーファンであっても、家族やカップルでの鑑賞はお勧めしません。絶対初デートで行くなよ! そういうのが苦手な人にもお勧めしません。

しかし、モザイクも無しに堂々と色々出てくるので、インパクトは凄まじいです。良い効果になっていると思います。性器の匂い嗅がれて(嗅いで)微動だにしない俳優さんも凄い。

 

   アントニーナが「皇后に嘆願書を出す」と発言しますが、ここでの皇后とは殿下のお母様でしょうか、それともお姫かな? 気になります。

 

 どうでもいいですが、手紙に書かれるチャイコフスキーの字が綺麗すぎて、そこだけ解釈違いでした。チャイコフスキーの字ってこれだぞ?? 

↑ 内容の推測ができていれば読めなくは無いけど、もっと綺麗に書いてくれると助かる。

 

 チャイコフスキー夫妻が写真を撮るシーンで、本を持たされたチャイコフスキーが「プーシキンだ」というシーンがありますが、実際のお写真こちらですよね。

 実際にはどうだったんだろう? 本当にプーシキンだったら嬉しいな。グラズノフ出版かな。

 

 それから、パンフレットでは、ヒロインの旧姓は「ミリューコヴァ」になっていますが、アクセントは「ミリュコーワ」では?

 

 取り敢えず一旦はこんなところで、次節に譲ります。

 

『オネーギン』との関連を探る

 さて、この映画、『エヴゲーニー・オネーギン』という作品を知っていれば知っているほど楽しめるのはオタクの戯れ言ではありません。本当です。

『オネーギン』を知らない人のために、この映画とどのような関係があるのかをザックリ解説します。

 

 『エヴゲーニー・オネーギン』とは、「ロシアの詩聖」と讃えられる文豪アレクサンドル・プーシキンの代表作で、1820年代のロシア社会を描いた韻文小説です。

ロシアでは義務教育で学ぶ作品で、国民の多くが一部を暗唱できるほど有名な作品です。

 一番の特徴は、ストーリーを持つ一冊の小説でありながら、全て韻を踏んでいることで、ロシア語の美しさを余すことなく堪能することができます。

一方で、ロシア語の特性を活かしすぎたあまり、翻訳に向いておらず、ロシア語圏以外では知名度が劣る傾向がありますが、ロシア語を知る者は全て、この作品の偉大さに気が付くようにできています。

 

 さて、このロシア文学を代表する名作『オネーギン』ですが、チャイコフスキーがオペラ化しています。概要については、過去に解説したことがあるので、よければこちらをご覧ください。

↑ 30ページに纏めてあります。題の通り、簡易に纏めたつもりですので、入門にもどうぞ。

 これがまた素晴らしい名作で、ロシアオペラを代表する作品となっています。

『オネーギン』は、ロシア文学の中でも最高傑作、ロシアオペラの中でも最高傑作と、偉大な優れた作品なのです。

 

 オペラは1877年5月~1878年2月の間に書かれましたが、チャイコフスキーアントニーナと結婚するのが1877年6月であり、正に作中の期間に書かれていたんですね。

 

 『オネーギン』で最も有名なシーンは、ヒロインのタチヤーナが手紙でオネーギンに告白するシーンです。結構長いので全て引用はしませんが、全編にわたって情熱的な恋文で、中でも印象的なのはこの一節。

Кто ты, мой ангел ли хранитель,
Или коварный искуситель:
Мои сомненья разреши.
あなたは何者なの? 私の守護天使
それとも狡猾な誘惑者?
私の疑念を晴らしてください。

 特に親しくもない男性にいきなりこれを書くのは蛮勇と捉えるべきか、それとも世間知らずな愛らしい17歳の乙女の愛の発露と捉えるべきか? 皆様はどうお感じになるでしょうか。

 

 チャイコフスキーは、タチヤーナの手紙を一字一句そのままオペラに落とし込みました。

それが、このオペラの中でも最大の見せ場となる「手紙の場」。なんと約13分間にわたってソロという、恐ろしい構成です。

↑ こちらが手紙の場。今回は、「なんだかんだ言って上手い」でお馴染み、みんなのネトコさんで。本人の解釈はともかく声もターニャによく合ってますよね。

 初恋、初夏の夜、深夜に書く初めての恋文! 乙女の高揚感が伝わる、最高の名曲です。マジで大好き。わたしはこの作品が好きすぎて、『オネーギン』第一のオタクを9年間やっています。

 

 さて、ロシア文学の最高傑作の一つに『オネーギン』なる作品があり、丁度アントニーナと関係が発展した頃にチャイコフスキーがこの作品をオペラ化していたことがわかりました。

 それだけではなく、この映画では、もっと直接的に『オネーギン』が使用されていたり、オマージュされていたりします

 

 まずは BGM から。

 一番わかりやすいのは結婚式の帰り道~アントニーナがお風呂に入るシーンで、丁度先ほどの「守護天使」の辺りがピアノ+チェロのアレンジで流れています。これ凄く良いアレンジで、是非欲しいので、サントラに入れてください。

 

 次はちょっとわかりづらいのですが、ペテルブルク行きの列車のシーンで、「手紙」の本文に入る前のオーボエクラリネットの掛け合いが、チェロのアレンジで演奏されます

↑ オペラでいうとここ。

 

 また、アントニーナが実家で弾くのは、『四季』の『一月』。こちらはバレエ版の『オネーギン』で第1幕のレンスキーの Va. として用いられている曲です。

カメンカでもアントニーナはこの『一月』を弾きますが、次に弾くのは第2幕でのレンスキーの Va. である『十月』

 バレエの『オネーギン』では、『一月』は愛に溢れ幸せ絶頂の詩人を、『十月』は死を前に絶望した詩人を表します。

 

 更に更に、アントニーナが訪ねる夫のコンサートで演奏されているのが『フランチェスカ・ダ・リミニ』

こちらはバレエの『オネーギン』では第3幕の見せ場となる「手紙のPDD」で使用されている曲で、愛の破局を表します。

 

 このように、オペラのみならずバレエの『オネーギン』からも多数の楽曲が用いられている上に、バレエの情景と合致します。

もっと言えば、作中で奏でられるチャイコフスキーの曲は、上記で挙げたもので8割程度であり、わたしのこじつけではなく、正に『オネーギン』を意識した選曲になっていると言うことができると思います。

 

 次はセリフに関してです。

チャイコフスキーアントニーナの家を訪ねたとき、" Скучно.(退屈なんだ)" と言いますが、 これは謂わばオネーギンの特徴、口癖でもあります。

 更に、彼女の求愛を断る時のセリフは「自重しなさい」です。一字一句同じというわけではありませんが、オネーギンがタチヤーナの求愛を断る際、彼はこう言います。

Учитесь властвовать собой;
自分を制御する術を学びなさい

 意味するところは全く同じです。

 

 極めつけは、「兄妹のような愛ならば」という、チャイコフスキーが求婚時に出した条件です。

オネーギンのアリアでは、このような歌詞があります。

Я вас люблю любовью брата,
Иль, может быть, еще нежней!
私はあなたを兄のような愛で愛しましょう
或いは、それよりもっと優しい愛かもしれない!

 完全に一致と言ってもよいのではないでしょうか?

 

 このように、チャイコフスキーアントニーナの恋物語は、オネーギンとタチヤーナの恋物語をなぞっているのです。尤も、オネーギンはゲイではないし、結末も違いますけれどもね。

 

 事実、実際のチャイコフスキー自身、この「類似性」は意識していたようです。

彼は『オネーギン』を書きながらも、主人公のことが好きではありませんでした。彼は「オネーギンのような冷たい男にはならないぞ」と考え、敢えて別の行動、即ち、愛していない女性との結婚を選ぶのです。

 それがどのような結末を導いたかは、映画の通りです。

 

 だから言ったじゃん! オネーギンの行動は正しかったんだって!! 1幕(3章)の時点のオネーギンは、その時の心境を考えても、タチヤーナと幸せになることはできないんだって。幾ら「乙女の恋心を踏みにじる非道な男」に見えたって、二人で破滅するよりはずっといい、そこには再生の可能性がある、ってわたしずっと言ってますよね? 強い拒絶は時に優しさ!

……ということが、似た状況にありながら別の選択をしたチャイコフスキーによって証明されてしまいました。

 

 オペラではカットされていますが、原作のオネーギンは、タチヤーナの求婚を断る際、このようなことを言います。

Что может быть на свете хуже
Семьи, где бедная жена
Грустит о недостойном муже,
И днем и вечером одна;
この世でこれより酷いことがあるでしょうか
可哀想な妻が、家庭で
不相応な夫を思い悲しみながら
昼も夜も独りぼっち

 そう言って、彼はタチヤーナの求愛を断るのです。オネーギンの方が、チャイコフスキーより「紳士的」であると思いませんか。

もしかしたら、チャイコフスキーもこのセリフには耳が痛くて削除したのかもしれませんね。

 

 以上のように、映画『チャイコフスキーの妻』では、『オネーギン』のオマージュなどが多く見られます。確実に意図的に仕込んでいるのでしょうし、ロシアの観客はそのことにちゃんと気付いて観ていると思うので、日本の我々も気付いていきましょう。

従って、『オネーギン』を履修してから観ることを強くお勧めします! 或いは、この記事で復習してください。

 皆様は、どれくらい『オネーギン』要素に気付きましたか?

↑ 取り敢えず原作を読もう。

 

列車で会う金髪の男「ウラジーミル」の解説

 最後に、このブログの読者さんのテンションを上げて終わろうと思います。この映画を観て、彼を知らなかった人は、是非ともここで知ってください。

そう、映画『チャイコフスキーの妻』にて、この男、ヴラジーミル・ペトローヴィチ・メシチェルスキー公爵、遂に銀幕デビュー

↑ 俳優さんがイケメンすぎる。これ公爵君だぞ? ちょっと美化しすぎでは? それでも個人的には結構解釈一致します。嬉しい~!

 

 実際のお写真はこんな感じです。

↑ 本人曰く、「のっぽの不細工」。流石にそれは自虐すぎると思いますが、実際、巨人族ロマノフ家と比べても背は高かった模様。

 

 映画をご覧になった方は、「急に出てきてチャイコフスキーと馴れ馴れしくするこの男、誰?」とお思いかと思います。任せてください、解説しましょう。

 彼は、前述のように、メシチェルスキー公爵といい、作中では「ヴラジーミル・ペトローヴィチ」と呼ばれています。パンフレットでは「ウラジーミル」と紹介されていますね。

 

 メシチェルスキー公爵はチャイコフスキーの1歳年上で、法律学校時代の先輩です。

偉大な文人であり歴史家であるニコライ・カラムジンの孫で、本人も小説や新聞を書きました。ドストエフスキーの同僚だった時代もあります。凄まじい交友関係だ、帝政ロシア異世界転生するなら彼に乗り移りたい。

 映画でも描写されるように、彼は同性愛者であることを隠しておらず、その点でスキャンダラスで乱れた私生活を送っていました。

 

 それで、何故弊ブログで彼のことがよく取り上げられているかというと、何を隠そう、この映画の時代から約12年前、彼が愛していたのがわたしの推し我らが殿下こと、ニコライ・アレクサンドロヴィチ皇太子殿下だったからである!

↑ 「殿下って誰?」という方はこちらをどうぞ。頭脳明晰・品行方正・容姿端麗、出逢った人全てを恋に堕とすロマノフ家の最終兵器、「完成の極致」です。

 

 前述のように、公爵は同性愛者であることを特に隠してはいませんでしたし、我らが殿下は大層魅力的な人物で、惹かれるのは然もありなんというところ。それにしても、その愛がもう、熱烈でね! 

Никого в жизни своей не любил такою чистою, беспредельною и священною любовью.

私は人生に於いて、斯くも清く、無限の、神聖な愛で人を愛したことはありませんでした。

とのことです。相手が皇太子であることもあって、一応プラトニック・ラヴを強調しているらしい

 実は、公爵は何度か殿下にフラレ拒絶されたりもしているのですが、それでもめげずにアプローチを続け、最終的には彼の親友の座を手に入れます。

殿下はヘテロセクシュアルで、しかも自分の婚約者に大変一途であったので、「そういう関係」にあったわけではありませんが、公爵自身が書いているように、殿下は精力絶倫の公爵が唯一肉体関係なしに愛した相手と言えます。

 

 どうですか、映画では先輩風吹かせて粋な貴族のお兄さん気取ってますけども、若かりし頃は4歳年下の王子様にお熱だったんですよ、面白いでしょう。脇役まで濃厚でしょう? スピンオフで公爵の恋物語も撮って欲しいよ、セレブレンニコフ監督!

 

 3年も前に彼のご紹介の記事を書いているので、詳しくはこちらをどうぞ。

↑ 公爵君についてはこちらを参照のこと。

 その他にも、彼を主人公とした連載を2本完結させています。更に気になる方はこちらも読んでください。

↑ 晩年に書かれた回想録の殿下との部分を抜粋した翻訳連載。甘くて苦い恋の物語。

↑ 我らが殿下との書簡の翻訳連載。殿下に貢いだり、家を出禁になったり、こちらも濃いです。

 連載を2回も書けてしまっているように、彼は殿下について、膨大な量の愛の言葉や記録を書いているのです。これでも氷山の一角です。

 

 しかし、このメシチェルスキー公爵、ロシア史ではかなり否定的に評価される人物です。

まず、この映画のテーマにもなっているように、当時ロシアでは同性愛は禁じられており、それを隠していないというだけでも問題となりました。しかも一時期恋のお相手が皇太子だったというのだから攻め攻めである

 そのような人物が皇家に強い影響力を持ち、政治にも関与していたというのだから、スキャンダルにならないはずもありません。

ロシア史では、「アレクサンドル3世時代のラスプーチン」というように捉えられることさえあります。

 

 メシチェルスキー公爵とチャイコフスキーの関係についても触れておきましょう。

前述のように、彼らは法学校時代の先輩後輩で、とても仲が良かったようです。

公爵は、謂わば同校の「ゲイ・サークル」の中心人物で、若きチャイコフスキーをここに引き入れ、彼に同性愛者であることを自覚させ、当時の社会で生き抜く術を教えました。

 このゲイ・サークル、腐女子腐男子の皆様が想像するようなお耽美なボーイズ・ラヴの世界を想定して貰っては困ります。もっとずっと生々しいですよ。

彼らの間で流行っていた遊びを紹介すると、例えば、皆で集団オナニーをして、一つのフランスパンの上に射精していき、一番「遅かった」者がそれを食べるというもの。色々エグいって!! 親愛なる殿下、ほんとうにこんなのがあなたの親友で良いのか!?

 厳密な意味での「セックス」にまで進んだかどうかは知りませんが、公爵とチャイコフスキーは学生時代、このような行為を日常的に行う仲であり、それで映画でもあのように親しげなのですね。アントニーナが疎外感を覚えるのも必然である。

 

 メシチェルスキー公爵は、チャイコフスキーに音楽の道に進むことを勧め、一時はパトロンとして資金援助もしていました。

パンフレットには「慈善家」とありますが、個人的にはこの表記には懐疑的です。と言いますのも、彼の資金援助は善意によるものではなく、恐らくは肉体関係との引き換えとしての資金援助であったと考えられているからです。事実、数多い公爵の「愛人」たちは、彼の庇護によって出世街道を駆け上っています。一緒に登場するセリョージャ君は、誰がモデルなのか不明。「愛人」が多すぎる

……それではやはり、チャイコフスキーとも「そういう感じ」に……?

 

 まさか、殿下よりも先にメシチェルスキー公爵が銀幕デビューしてしまうとは。しかも、チャイコフスキーとの関係で描かれるとは。凄い時代になったものです。

しかし、殿下が俳優さんによって演じられるとなると、解釈が一致すればその俳優さんを追ってしまいそうだし、合わなければめちゃくちゃ嫌いになりそうだ。怖い。

 いつもブログで扱っている人物が映像化したということで、個人的にもある種の感動があります。おめでとう、公爵!(?)。

 

 皆様も是非、劇場で公爵君を確かめてくださいね!

以上!

 

最後に

 通読ありがとうございました。9000字ほど。

帝政ロシアチャイコフスキー、『オネーギン』、公爵君! と、「わたし一人をターゲットにしているのか!?」というくらい、盛りだくさんでした。恐れ入った。好きです。

皆様にも是非劇場で公爵君を見て欲しい。どうぞ宜しくお願いします。

 

 次回の記事は未定ですが、殿下関連の記事を書けたらいいな~と思っています。公爵君ではなくてね。映画『チャイコフスキーの妻』の鑑賞者には、公爵君だけではなく、是非殿下のことも知って欲しいですね。

 

 それでは、今回の記事はここでお開きと致します。また次の記事でお目にかかれれば幸いです!