世界観警察

架空の世界を護るために

NTLive『ベスト・オブ・エネミーズ』 - レビュー

 おはようございます、茅野です。

観劇ラッシュウィーク・ラストの3週目です! 観劇が続くことの一番の問題は、レビュー執筆の時間が取れなくなることですが、今作に関しては書きたいことが大量にあったので、ほぼ貫徹状態で書き殴ってしまいました。

オネーギン』以外で、レビュー記事がこんなに長くなったのは久々です。

 

 オペラが続きましたが、先日は National Theatre Live の演劇『ベスト・オブ・エネミーズ』にお邪魔しました。

↑ 今回と、次回『善き人』は大変楽しみにしていた(している)作品です!

 わざわざこの観劇ラッシュ期に来なくても……、危うく観損ねるところでした。間に合ってよかった。

上演は木曜日(14日)まで!(P. S. 池袋では一週間延長だそうです。嬉しい!)

皆様、今作は是非とも観に行って下さい。わたくしももう一度行きたい。

 

 今回は、備忘用メモとして雑感を書き残しておきます。

それでは、お付き合いの程宜しくお願い致します!

↑ 内容を簡潔に表したポスターも良い!

 

 

キャスト

ウィリアム・F・バックリーJr:デヴィッド・ヘアウッド
ゴア・ヴィダルザカリー・クイント
パトリシア・バックリー:クレア・フォスター
エルマー・ローワー、ウォルター・クロンカイト:ケヴィン・マクモナグル
ハワード・K・スミス、リチャード・M・ダレイ:ジョン・ホジキンソン
タリク・アリ、マット:サム・オットー
フランク・メイヤー、アンディ・ウォーホルロバート・ケネディデイヴィッド・ブリンクリー、イノック・パウエル:トム・ゴドウィン
ジェームズ・ボールドウィン、ジョージ・メリス、マーティン・ルーサー・キングJr:シラス・ロー
ウィリアム・シーン、チェット・ハントリー、ハワード・オースティン:エミリオ・ドアガシ
アレサ・フランクリン:デボラ・アリ
脚本:ジェームズ・グレアム
演出:ジェレミー・ヘリン

 

雑感

 個人的に政治が主題の作品が好きなこともあって、今期で一番楽しみにしていた作品です!

特に、1960年代のアメリカ、それも最高潮となる1968年ですよ。歴史政治クラスタで、この頃のアメリカが嫌いな人なんていないんじゃないですか? 大好きです。

 わたくしは過去の NTL 作品で一番好きなのは『リーマン・トリロジー』と『ハンサード』なのですが、この辺りが刺さっている同志は、確実に今作も好きだと思います。

↑ 『リーマン』は個人的な好みであるだけではなく、質の面でも頭一つ抜けていると確信しています。『ハンサード』はレビューを書き損ねたことを最も後悔している作品の一つ。当時はレビューを書く習慣がまだなくて……。

 

 わたくし自身、現代アメリカ政治について然程詳しいわけではありませんが(メインで追い掛けているのは近代ロシアゆえ)、鑑賞にあたり、ある程度アメリカ政治の知識があった方が宜しいかとは思います。「知識が無いと話が理解できなくて詰む」ということはありませんが、クスッとできるポイントが数倍増えます。

 「政治? ちょっとな……」という方でも、60年代は本当に激動の時代で面白いので、最初の一歩さえ踏み出してしまえば、みんなハマると思いますよ。

今回の記事はネタバレ過多ですが、弊ブログでも、少しでもそのお手伝いができると嬉しいですね。


 今作は、保守派で共和党支持のウィリアム・F・バックリーJrと、リベラル派で民主党支持のゴア・ヴィダルが、1968年に出演したテレビ番組で行った政治的ディベートを描いた、実話ベースの作品。

原作は、実際の二人についての同題のドキュメンタリーのようです。

↑ 今作と同様、向かって左にバックリー、右にヴィダルが座り、激論を交わしているパッケージ。普通に観たい。

 

 「アメリ保守主義の父」とさえ呼ばれるバックリーは、アメリカの政治思想史では避けては通れない政治評論家で、『ナショナル・レビュー』という雑誌を創刊し、強い影響力を持っています。1960年代のアメリカは激動の時代で、政治的に不安定だったこともあり、彼の「伝統的で強いアメリカ」という理念は、多くの人の共感を呼びました。

↑ ブラウザ版。

 彼は、それまで漫然としていて纏まりが無かった人々を「保守派」として纏め上げ、またその知的で洗練されたキャラクター性で、保守派のイメージアップにも貢献しました。

 68年当時では、ベトナム戦争には賛成の立場で、大統領選は共和党ニクソン支持。

数年前までは堂々とレイシストであることを公言し、LGBTQ への差別をするヤベー奴人物でしたが、68年時点ではその考えを反省し、公民権運動には同情的になっています。

ヴィダルも、討論にあたって作戦を練る際に「奴の過去の失言を漁る」と言っていますが、それはこの辺りのことを指しているのだと思います。

思想の変化の経緯については、こちらの記事が詳しいです。

↑ 最初の考え方は擁護できないとしても、既に地位と影響力ある人物がここまで考えを変えて、それを発信したのは賞賛に値すると思います。この点に関しては、彼に続く人が増えるとよいのですが。

 尤も、ヴィダルのことを「このクィア(当時のアメリカでは放送禁止用語」と怒鳴りつけていることからも、後者への偏見は消しきれなかったようですが(後に謝罪しています)。

 

 一方のヴィダルは、バイセクシュアルであることを公言し、同性愛やトランスジェンダーを肯定的に描いた小説で国際的作家としての名声を得たリベラル派の言論人。作家としての方が高名ですが、ケネディ家の遠縁で、二度議員選挙に出馬するなど、政治の世界にも近い人物です。

↑ 初版とは表紙違うんですが、両方色々凄い。

 劇中でも、彼の代表作『マイラ』の話がよく出てきます。バックリーはこの小説を「ポルノ小説だ」と言って、ヴィダルに訴えられた(正確には反訴)こともあるとか。

 68年当時は、ベトナム戦争には反対の立場で、黒人、女性、貧困層、LGBTQ の地位向上などを目指していますが、後述する民主党の分裂により、選挙戦での立場は厳しくなっています。

 

 現代の価値観により合致するのは後者ではないかと思っていますが、共和党からドナルド・トランプが当選するなど、「保守派(勿論括弧付きですが)」が人々の支持を集めることもわかります(※バックリーとトランプの思想が同一であるわけではないことに注意)。

現代のトランプ政権、バイデン政権が優れているかというと……ね!!(濁し)というところなので、保守・リベラル、共和・民主問わず、もうちょっとマシな統治をして頂きたいものですが……。

 

 今回の上演で興味深いのは、元レイシストで、黒人の地位向上を阻害したバックリーを、黒人の俳優デヴィッド・ヘアウッド氏が演じているという点です。

彼自身、インタビューで、「複雑な心境ではあるが、演じるにあたって彼の思想を理解したかったので、色々勉強した」旨を語っていました。俳優の鑑。

 「黒人差別をしていた人物を、黒人が演じている」という点で、最初は少し混乱するかもしれませんが、俳優の肌の色や身体障害に囚われずキャスティングを行う英国演劇界の姿勢は優れていると思います。

 

 一方、ゴア・ヴィダル役のザカリー・クイント氏は、過去にゲイであることをカミングアウトしています。

↑ カミングアウト以前から同性愛者支援は色々行っていたものの、ゲイの少年の自殺を切っ掛けにカミングアウトした、という旨の記事。

 つまりこちらは逆に、自分と近い属性の人物を演じていることになります。実際、クイント氏の当たり役には同性愛者役が多く含まれているのだとか。

 自分と似ている人物を演じることが簡単だとは限りませんし、全く思想が異なる人物と一体になることも当然難しいでしょう。俳優さんも大変ですね……。

 

 何度も申し上げている通り、1968年は激動の年です。

中でも一番衝撃的だったのは、4月4日の黒人解放運動の立役者マーティン・ルーサー・キングJrの暗殺、そして、6月6日、民主党から大統領選に出馬していたロバート・ケネディの暗殺でしょう。

 彼ら二人と、また同じく黒人解放運動に携わり、同性愛者でもあったジェームズ・ボールドウィンは、今作でも端役として登場します。

俳優さんたちは、正直容姿も声音も全然似ていないのですが、喋り方は似せようと努力されていて、凄く面白かったです。ご存じなければ、是非とも調べて聞いてみて欲しいのですが、三人ともかなり喋り方が特徴的なので、思わず、「うわっ、似せようとしてる!」と映画館で一人で笑い転げてました。お隣の席の見知らぬお姉様、ゴメン。

 

 個人的には、ロバート・ケネディ(愛称はボビーで、劇中ではそう呼ばれている)が、特に彼の4月4日のキング牧師の死を伝える演説が大変に好きで……。過去に記事を書いているくらいには……。

↑ 歴史的名演説です。動画も貼っているし、スクリプトと翻訳も用意しているので、是非聞いて欲しい。

68年ということで、言及がないはずはないとは思っていましたが、まさか役として出ててくるとは思わず、動揺しました。ボビーが統治するアメリカは是非見たかった……。

 one another という語の直後にボビーの演説のシーンになるのも大変良いですね。

上記の記事でも書いていますが、この演説の中でも、« but is love and wisdom, and compassion toward one another ~ » のくだりは、特別印象的なので……。

 

 ところが、ボビーは民主党からの出馬であり、且つヴィダルはケネディ家と親戚でもあるにもかかわらず、彼はボビーとは個人的な確執があって、不仲だったそうで。1963年3月にヴィダルが書いた記事では、ボビーはかなりコテンパンにやっつけられています。

↑ 手厳しい。ホッファの件などは、まあね~……って感じなんですけど。

 しかし、彼が狙撃された時などは非常に衝撃を受けている描写があったり、愛憎相半ばな感じなんでしょうかね。

 

(主に弊ブログの読者さん向け:

 特にケネディ兄弟とヴィダルの関係性は、個人的にはこれ以上無いほどデジャヴュでした。

先程の記事にもあるように、ヴィダルはボビーの兄ジョン・F・ケネディ(愛称はジャック、JFK とも)のことは、

In temperament, John Kennedy is perfectly suited to the Presidency. His brother is not.

ジョン・ケネディの気質は、大統領に完璧に合致している。彼の弟は違う。

と高く評価していますし(この「完璧」って言葉も、ねえ)

 そう、つまり、「為政者兄弟に重たい感情を向けているゲイの作家兼政治家」というところで、もうめちゃくちゃメシチェルスキー公爵なんですよね! お前さん、20世紀のアメリカに転生してたんか! と映画館で叫びそうになった。

 劇中で、ケネディ兄弟との関係を訊かれた時に、「私とボビーは、お互いジャックを愛していた、違う種類の愛だがね。」と答えていて、「え、これ絶対公爵君も言ってるでしょ、探せば確実に全く同じ表現あるよ。」と震えました。ボビーもまあまあブラコンなのでね……。

 まあ、わたし個人はケネディ兄弟は兄よりも弟推しなんですが(※この世代のケネディ家も兄弟が多く、実はジョンは次男。長男ジョセフは将来を嘱望されていたものの若くして戦死しており、この点も何と言うか思うところあり。ロバートは三男)

 劇中のヴィダル自体、ゲイであることを物凄くオープンにしていたり、政治家以前に作家であったり、論戦に長け狡猾な性格だったりと、かなり公爵に似ています。

 この点だけでも、読者さんには是非ともこの作品観て欲しいんですよね、わたしの思い違いではなく、本当に公爵っぽいかどうかを見極めて頂きたいというか。いや、ほんと笑いました。)

 

 閑話休題

前述のように、キング牧師、ボビー・ケネディボールドウィンら歴史上の有名な人物は、喋り方を似せていて大変面白いです。ここ元ネタを知らないと笑えないので、もしこれから観に行く方がいたら、ここだけでも予習してみて欲しいです。

 一方、主人公のバックリー、ヴィダルはモデルとなった人物に寄せておらず、オリジナリティがあると感じました。

とはいえ、この二人の喋り方がほんとうに良くて!  早口だけれども堂々としているバックリー、ねちっこく癖になるウザさ挑発的なヴィダル。喋り方一つでも、それぞれキャラが出ていて素晴らしいです。

 ちなみに、実際の二人の討論の映像は残っていて観られますので、こちら見較べてみてください。

 こちらは第1回ですが、彼らの発言は劇中で出てきた台詞とほぼ同様で、「ほんとうにこの通り演じているんだ!」と、少し感動的でさえありました。

 

 作中で何度か言及があった、「3年前のケンブリッジ式のバックリー VS. ボールドウィンの討論」はこちらですね。1965年に行われた、「アメリカン・ドリームは黒人の犠牲の上に成り立っているか」という議題での討論です。

 ここでの投票では、ボールドウィンが圧倒的多数で勝利しています。

劇中の台詞にもある、« I picked the cotton, and I carried it to the market, and I built the railroads under someone else's whip for nothing. » はこの時のものですね。

 

 演出では、ディベートがボクシングに準えられることもしばしば。

ボクシングといえば、弊ブログでイチオシの現代オペラ『チャンピオン』ですよ!

こちらも同性愛や人種について扱っていますし。最近そんなのばっかり観ているな……、いいけど……。

↑ ブランチャード作品は問答無用で観るべし。

 ちなみに、エミール・グリフィスがベニー・バレットを殺してしまったのは、1962年のことです。同じく60年代アメリカ! 

 

 演出でもう一点面白いのは、ホテルのシーン。同じセットに、バックリー陣営とヴィダル陣営を置いてしまうのは画期的!

両陣営とも舞台上では同じ部屋にいるのですが、同時に動き、会話するのを片方陣営に絞ることによって、「本来は別のホテルの一室だけど、似たような空間で、同じように作戦を練っている」ことを表しているのが本当に洒落ていて! あれとっても良いですね!

オペラでも使えそうな演出です。

 

 今作の面白い点は、「テレビ番組について演劇で描いている」ということも挙げられます。その趣向、演出、舞台セット共に洒落ていて素敵です。

 中2階のあるセットで、そちらは主に放送室を表しています。1階部分は転換によって、主人公二人がディベートする舞台、パーティ会場、ホテルの一室などに早変わりします。奥にはプロジェクターがあって、当時の状況などを映し出しています。

NTL の舞台では、かなり凝った部類かと思います。

 

 最早アメリカでは定番となった政治について討論するテレビ番組ですが、68年のバックリー VS. ヴィダルのものは、その元祖と言われています。

今作は、このような番組に対しての是非を投げ掛ける作りにもなっています。

 

 政治家やコメンテーターの討論番組は、もっと言うと、1960年のジョン・F・ケネディ VS. リチャード・ニクソンが初回です。

この放送では、一般的に、若くて見栄えが良く、清潔で美しいスーツを着たケネディ、疲れていて、くたびれたスーツを着たニクソンが否応なく対比され、この放送の後にケネディの得票率が伸び、彼の当選に大きく寄与したと言われています。

↑ その番組も残っています。皆様ならどちらに投票しますか。

 ここから、選挙戦に於けるテレビの重要性が飛躍的に増していくのです。

 

 しかし、そのことは、政策の善し悪しでの判断ではなく、ポピュリズムルッキズムを助長させることも意味しました。

国政選挙の場は人気投票と化し、「この人の方がテレビでよく観るから」とか、「この人の方がハンサムだから」のように、言ってしまえばくだらない理由での投票が増えてしまいます。

そのことを思えば、テレビでの討論番組自体の是非を問いたくなるのは当然です。

 

 また、今作のバックリー VS. ヴィダルの討論は、広報で「Debate as Combat」と書かれているように、建設的な議論ではなく、弁論での戦闘へと変わっていきます。

最終的に、ヴィダルはバックリーを「ナチ」、バックリーはヴィダルを「クィア」と罵り合うほどの個人攻撃に発展していってしまいます。

これは現代日本でも大きな問題となっている、誹謗中傷の問題に通ずるところがあり、今こそ考えられるべき問いでしょう。

 

 それを助長させたのが視聴率です。二人の討論番組は、弱小放送局 ABC に莫大な視聴者をもたらしました。この番組によって、 ABC はビリからトップ放送局へと一気に上り詰めます。

二人の議論、改め戦闘的ディベートは白熱を極め、最早個人攻撃に発展してしまいますが、「視聴者が求めるのは知的な議論ではなく、血なまぐさい罵り合いなんだ」と気が付いた放送局は、それを止めるどころか、愚かにも火に油を注ぎます。

視聴率の為なら何をしてもいいのか? という点も現代に通じますし、またこれが史実では50年以上も前に問われた問いであることにも驚かされます。

 

 「公の場で政治の話をしてはならない」という奇怪な空気が蔓延している日本(まあわたくしはガン無視していますが……)に住む立場からすると、公共放送で、政治家や、名高い政治評論家或いは思想家が討論するのは、非常に望ましいと感じます。正直、大変羨ましいです。

しかし、隣の芝生は青いというか、アメリカはアメリカで問題を抱えているのだな……ということを改めて認識させられましたね。

何か良い解決方法はないものでしょうか。民衆が皆教育を受け、政治に関心を持ち、積極的に参加するようにならないと無理な気もしますが、それが難しいのだという話ですよね。

 

 わたくしは、中・高校生時代にディベートにハマっていて、大学では議論系の研究会を選びました。後者は、国際政治について討論する場所で、そこで近代ロシア政治や、この60年代アメリカの政治の面白さを知ったわけですが……。

 ディベートと議論は、よく混同されますが、全くの別物です。

ディベートは、二つの異なる立場から意見を戦わせ、勝敗があるもの。所謂「はい、論破」はディベートの分野です(この台詞は嫌いですが)。

一方議論は、建設的な結論を出すために行うものです。多様な立場の人が、皆納得できる合意を形成することです。どんなに利害対立していても、対話を重ね、全員が賛同できる成果を作り上げることです。

 わたくしは元々ディベートをやっていて、合意形成を目的とする議論は大学に進学してから初めて学んだので、その差異に驚きましたし、「今まで何をやってたんだろう」というような、倫理的なカルチャーショックを受けました。

 政治で必要とされるのは「議論」なのに、テレビ討論だと「ディベート」になってしまう。弁論で打ち負かしたら勝ち。その口先だけの勝ち負けが何? どう政治に反映されると? 「負け」た方はどうなってしまうの? ―――全く建設的でありません。それは分断を生み、溝を広げるだけで、寧ろマイナスでさえあるでしょう。

 バックリーがその点に気が付き、「アメリカの魂」という語に強く反応するのは、象徴的な演出です。

 勝敗がハッキリしているディベートの方が、華やかで、観ていて面白いものであることは認めざるを得ません。わたくしも、今でもゲームや競技としてのディベートは嫌いじゃありません。

しかし、政治の場で本当に必要とされている対話とは何か? ということは、今一度問われるべきでしょう。

 

 インタビューでは、「バックリーよりもヴィダルの方がカメラを意識している、どう映るかを計算している」という話も出てきますが、実際、カメラの存在はこの作品でも重要な要素です。

だからこそ、終盤、「もしカメラの無いところで二人が対話することがあれば、何を話すだろう」という IF のような展開が非常に面白いのです。この二人の、憎み合う政敵にして、「好敵手(Best of Enemies)」としか言いようのない関係性も、胸が熱くなります。

 

 こんなところでしょうか。

激動の1968年アメリカ政治についての討論を描くという、ファンには堪らない一作です。ベトナム戦争公民権運動、数々の暗殺など、当時のエッセンスがギュッと詰まっています。

特に主演二人の演技も素晴らしく、双方キャラが立っていて、単純に観ていて非常に面白いです。

テレビ番組を演劇で、というのも画期的で、演出も大変洒落ています。

 今シーズンで最もお勧めの作品です。

 

最後に

 通読ありがとうございました! 長くなってしまって9000字強。

これは良いですね。ほんとうに好み。NTLive の三大名作は、個人的には『リーマン・トリロジー』、『ハンサード』、そして今作『ベスト・オブ・エネミーズ』だなあ。

皆様のイチオシ作品はどちらですか、是非とも教えて下さい。

 

 どうでもいいですが、普段19世紀の話ばかり書いていることもあって、この記事を書いている最中、常に「1968年」を「1868年」と打ち間違えていました。文字通り毎回です。正に手癖というやつ。

まあ、68年だと殿下は既に亡くなっているわけですが……。悲しい。あと60年生きろ。

 

 本当に気に入ったので、最終回にもう一度観に行けないか画策しています。もう一回観たい。上演期間が短い! そして円盤欲しいよ~!

皆様も是非とも。

 

P. S. 9/15.

 二周目観てきました!

初見では、最初の頃アップテンポなこの劇の世界に馴染むまでに少し時間が掛かりましたが、今回は冒頭から内容をするする飲み込める感覚があって気持ちよかったです。

二回目、全ての物語を知った上で観ると、最初の方の放送局同士の対話での「ニュースは事実を伝えるだけで、意見は言わない」という発言の重要性が殊更認識できました。

また、「分断」という語がどのタイミングで使われているかが意識されているな、と感じました。

 いやこれ何回でも観られるな……、もう一回観たい(三回目)。円盤欲しいです。

 

 それでは、長くなりましたので、今回はここでお開きと致します。また次の記事でもお目に掛かることができましたら幸いです!