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戯曲『プリンセス・ダーグマル』 - レビュー

 こんばんは、茅野です。

電子辞書を酷使しすぎて、週に一度くらいの頻度で電池を取り替えている気がします。恐ろしい速さで消費されていく単三電池。そのせいで、最近、辞書も充電式の方がいいのでは? なんて考えています。

 

 さて、今回は珍しく書評です。

書評も積極的に書いていきたいとは思うのですが、読解力と知識の無さで筆が止まるので、結局あまり書けていません。ただ、一般的に手に取りづらい洋書の紹介などは積極的に行っていきたいなと考えていて、今回はその一環です。

 

 わたくしは19世紀ロシア帝国の政治に関心があり、度々リサーチをしているのですが、特にニコライ・アレクサンドロヴィチ皇太子殿下という人物に大変惹かれておりまして、彼に関する資料を漁ることを趣味としています。

↑ 資料の翻訳や解説など、色々書き散らしているので、良かったら。

 

 そのリサーチの途中で、見つけてしまったのがこちらの戯曲。その名も『プリンセス・ダーグマル(Принцесса Дагмар)』です。(※普段は英語風に「ダグマール」と表記しておりますが、ロシア語だとアクセントが前で「ダーグマル」が正しい音写になるので、当記事ではこれで参ります)。

↑ ロシア語ですが、KindleGoogle Books で数タップで入手可能。

 

 プリンセス・ダーグマルこと、デンマーク王女ダーグマルは、ニコライ殿下の婚約者だった人物です。しかし、殿下の急死によって結婚は叶わず、最終的に彼の弟であるアレクサンドル大公と結婚し、大公の即位後は大公女、そして皇后マリヤ・フョードロヴナとなります。

 

 戯曲『プリンセス・ダーグマル』は、王女時代の1864-6年、即ち、ロマノフ家の兄弟との恋愛と結婚を題材にした物語で、殿下ファンとしては是非ともチェックしたい代物。

 というわけで今回は、この戯曲『プリンセス・ダーグマル』についての書評となります。

それでは、お付き合いの程宜しくお願い致します!

 

 

 

概要

 戯曲『プリンセス・ダーグマー』は、2017年に完成した戯曲ですが、普段洋書の購入で愛用している Google Books での発売はなんと2022年5月とのことで、道理で最近になって見つけたわけだ……と一人納得しておりました(履歴を辿ったところ、わたくしは5月8日にこの戯曲を見つけていました。日常的にリサーチしていることがバレる……)。

 

 著者はナイリ・アクチューリン氏という方で、現代の劇作家のようです。発表している作品数も多く、中でも歴史を題材とした作品が多いように見受けられます。

 

 言語はロシア語ですが、戯曲なので全部台詞調になっており、読みやすいです。初学者にも勧めやすいかと思います、わたくし自身が初学者なので信憑性あります!(?)。

 

 構成は2幕10場で、それぞれの幕に5場ずつです。短く、ページ数だと139ページ。

登場人物は、ほとんど台詞のないモブも合わせて10人で、小編成なものであると言うことができます。

 

あらすじ

 第一幕第一場。

語り部童話作家アンデルセンが務め、舞台進行を担う。花売りの少女との対話で、観客を19世紀半ばへ誘う。

 第二場。

デンマーク王女、長女アレクサンドラと次女ダーグマルの対話。イギリス皇太子エドワードと結婚した姉と、将来の結婚を不安に思う妹。

 第三場。

デンマークの王宮にロシア皇太子ニコライ・アレクサンドロヴィチが訪れ、ダーグマル姫と出会う。互いに惹かれ合う。

 第四場。

ニコライと弟アレクサンドルの対話。ダーグマルのこと、ロシアの政治のことなどを話すが、途中で兄は突然卒倒しかける。

 第五場。

花売りの少女とアンデルセンが、二人の婚約を祝う。

 

 第二幕第一場。

1865年3月。デンマーク王(ダーグマルの父)クリスチャン9世は、アレクサンドル2世(ニコライの父)から、ニコライが重い病に冒されているという報を受け取る。

 第二場。

4月10日。ニコライの病床に、ダーグマルとアレクサンドルが訪れる。最期の会話を交わし、ニコライは死んでしまう。

 第三場。

5月。デンマーク王女姉妹の悲しみに満ちた対話。中盤、クリスチャン9世がロシア皇家が未だダーグマルを宮廷に迎え入れる用意がある旨の手紙を受け取ったことを告げる。

 第四場。

1866年6月。皇太子となったアレクサンドルがデンマークへ訪れる。クリスチャン9世との対話の後、ダーグマルにプロポーズする。彼女はそれを受ける。

 第五場。

9月。ダーグマルがロシアに向けて旅立つ。

 

史実との差異

 歴史物を扱う場合、個人的に一番気になるのが史実との差異。ということで、簡単に考証を行います。

 

 この戯曲、ほぼそのまま史実です。台詞回しも、手紙や日記などで遺っている本人の言葉をそのまま使っていることが多く、台詞の半分近くは史料で見た記憶があります。

寧ろ創作要素が少なすぎて、「作品」として受け取って良いのか? と感じるレベル。

 

 とはいえ、わかりやすさや舞台の進行などを考慮して、史実から変更されている点もあります。

 例えば、戯曲では、ニコライ殿下とダーグマル姫が幼少から婚約していることになっている(但し面識はない)という点です。

史実でも政略結婚ではあるのですが、1864年9月に殿下がプロポーズし、婚約することになります。ロシアとデンマークの婚約による同盟は、最新の情勢の変化(プロイセンデンマークの戦争など)を汲んでいるので、幼少期から成立することは有り得ないのですが、そうしておいた方が話が進めやすいのは理解できるので、納得のいく変更です。

 

 他は、史料にある言葉が、別の人物の口によって発せられることが多々ありますが、登場人物を減らし、人物像を濃くするというのは戯曲に於いては普通のことなので、こちらも納得のいく変更です。

 第一幕第四場での兄弟の対話は、実は史実ではメシチェルスキー公と殿下の対話です。対話相手が変更されているだけで、会話の内容は殆ど同じです。

↑ つまり、正にこれです。

まあ、わざわざメシチェルスキー公を出す必要はないですからね。ええ。

 

 また、アンデルセンと交友がある人物として、殿下の教師陣の中でも、ヘルシンキ大学で教鞭を執っていたヤコヴ・カルロヴィチ・グロートを選ぶなど、史実通りではないにせよ非常に納得のいく人選で、よくリサーチして書かれていると思います。

 

 他にも、殿下が亡くなったのは4月12日なのですが、第二幕二場のト書きでは10日となっています。というのも、殿下は11、12日には殆ど意識がなく、弟や恋人と対話したのは10日であることが由来であると考えられ、そこまで史実に揃えるか……と感心しました。

 

 更に、殿下の祖父ニコライ1世も、殿下も、亡くなる直前に錯乱してしまって譫言を言うのですが、運命の悪戯というか、なんだか恐ろしいことに、その時の言葉が一緒なのですよね……。戯曲で、殿下が最期にニコライ1世のことを思い浮かべるのは、これが由来であると想定できます。

 

 あっ、一点だけ気になったのが、殿下が亡くなったお屋敷「ベルモン荘」を Бермонт と記載していたことです。フランス語は語末の子音を発音しないものの、ロシア語ではする関係で、通常は Бермон と音写します。

また、そもそもフランス語では Bermond で、Bermont はアレクサンドル大公が間違って手紙に書いたものです。従って、きっとこのミスのある、アレクサンドル大公からメシチェルスキー公宛ての手紙を参考にしたんだろうな……などと余計な推理をしました。

 

総評

 殿下ファンの視点から失礼致します。

わたくしのように、始終リサーチを掛けている厄介なオタクからすると、「史実そのまますぎる!」というのが第一の感想です。

よく言えば、「何故そこを変えたんだ?」というようなストレスが全く無い。一方で、「一字一句同じだと、それはそれでどうなんだ?」とは思います。

尤も、フィクション要素が多いと萎える派でもあるので、史実通りであることは有り難いのですが、限度のようなものを初めて感じました。史実をあまり知らなければ、また違った楽しみ方があるかもしれません。

 

 そして、これは正に、「 "リアル" と "リアリティ" の問題」が絡むなと感じました。

ニコライ殿下の人生は、史実の時点で凄く「フィクションっぽい」んですよね。

誰からも愛された才能ある美しい王子様が、美しい王女様と惹かれ合って婚約し、幸せな一時を過ごすものの、数ヶ月後には病に倒れ、若くして死んでしまう。

もう既にお伽噺とか童話の世界みたいなんですよ。メーテルリンクとかが書いてそうな類いの。悲劇としても完璧です。"リアリティ" が無い、と申しますか。

だからこそ、"リアル" に起きた出来事である、という事実が映えるんですよね。「えっ、これでノンフィクションなの!?」という驚きが肝だと思うのです。

 従って、「殿下の人生を題材に物語を創作したとき、果たしてそれは面白いのか?」という疑問は、個人的に常にあります。

 少なくとも、新規性はないと思っています。現実ではこれ以上無く非凡でも、フィクションの世界では平凡な物語になってしまう気が致します。『ドン・カルロ(愛し合う若い王子と王女の悲劇)とか、『椿姫』(若くして病死)など、イタリアオペラの良いとこ取りのような。

 とはいえ、「どこかで見たような設定」だと思えるということは、それだけこのような題材がフィクションの世界で好まれた、ということでもあります。それ故に、面白くないわけはないんですよね。実際、哀しくも美しい物語です。

 「史実のニコライ・アレクサンドロヴィチ皇太子と、ダーグマル王女の物語をベースにしている」という新規性はあれど、それはメタ的な話であって、どのようにこのような「見慣れた」物語の新規性を担保するか、という点に於いては、もう少し何か一捻り欲しかったかな……と思います。

 

 戯曲としては、あの童話作家ハンス・クリスチャン・アンデルセンをナレーター(進行役)としたのが画期的でした。実際、アンデルセンはダーグマル姫と親交があり、よく彼女に童話を読み聞かせていたそうですし、彼女がロシアへ発つ時も日記に彼女を案ずる旨を記載しているなど、全く違和感がありません。

一方、「アンデルセンらしさ」のようなものはもう少し台詞に感じたかったところです。悪く言えば、「ただナレーターがそう名乗っているだけ」と申しますか、喩えば自著の引用を鏤めるとか、そういったものがあると尚良いのではないかと感じました。

 

 キャラ付け的な点で言えば、前述の通り、一次資料の記述をそのまま引用しているため、殆ど史実通りなのですが、クリスチャン9世はよりファンキー(?)になっている気がしました。いきなりチャリンコに乗って暴走する、謎にテンション高いパパ……。

 また、ニコライ殿下の弟、アレクサンドル大公は、史実のメシチェルスキー公の台詞が充てられている関係で、史実よりもインテリゲンツィアに。殿下と政治の議論ができる存在となりました。勿論、拗らせたブラコン具合は踏襲されています。

 

 主人公であるダーグマル姫も、殆ど手紙などで本人が書いているものを台詞としています。恋する少女であり、愛らしい王女様です。三姉妹の中でも「賢い」と言われていたことが作中で反映されています。

殿下と王女は、政略結婚でありながらも相思相愛で、殿下が亡くなった直後に「ロシア正教に改宗することを断念するつもりはない、ロシア語も勉強し続ける」と宣言しており、そのことも、弟アレクサンドル大公との縁談に繋がった理由の一つと考えられます。そのような愛の深さや、決断力を、戯曲という形で描くのもまた良いなと感じました。

 

 しっかし、何度も申し上げているように、殆どが史実通りです。殿下の資料を読む度に思うのですが、史実が一番面白いのですよね……。物語にしたくなる気持ちもとてもよくわかります(フィクションに向いているかどうかは抜きにしても)。

現代の劇作家も同じことを考えたのだろうなと思うと、何となく嬉しくなりました。

 

最後に

 通読お疲れ様で御座いました! パパッと単発を書くつもりが、いつの間にか5000字強……。長々と失礼しました。

 

 戯曲ということで、今後どこかで上演して欲しいですね。ニコライ2世は題材として人気なので、その母であるマリヤ・フョードロヴナは歴史小説や映画などでもよく登場するのですが、アレクサンドル3世は何故か題材として大変不人気で……。ましてや殿下なぞ…………。

帝政時代は、皇家を題材とした物語は検閲を通らないと規定されていたため、皇家に纏わる物語は皆無で、ソ連時代は当然皇家を題材とした物語は受け入れられなかったので、意外にも連邦時代が唯一皇家を題材とした作品を生み出せる環境なのですよね。今後に期待です。

 

 それでは、今回はここでお開きと致します。また別記事でお目に掛かれれば幸いです。