世界観警察

架空の世界を護るために

命名の謎 - Eugene Onegin 考察

 こんばんは、茅野です。

大学(コロナ禍の影響でオンライン)が始まり、4年次にしてフル単(25単位)入れているために物理的に時間がない学生です。いや、別にそんなに授業入れる必要はないんですが、仲良い先生の授業とか興味ある授業入れてたらパンクしました。そういうもんじゃないですか? 意識は低い系です。

 

 ……という状況なので、ガッッツリとリサーチしたり論考を書くのはちょっと体力的にキツいため、今回はさっくり終わらせたいとおもいます。

今回は、『エヴゲーニー・オネーギン』に於けるキャラクターの名前について。これがまた、某年齢論争ばりに意見が割れていて驚いています。謎が多すぎるぞ、エヴゲーニー・オネーギン……。それでは早速参りましょう、お付き合い宜しくお願いします。

 

 

エヴゲーニー

看板説

 この記事と発端になったのが、この RUSSIA BEYOND さんの記事の一節。

f:id:sylphes:20200611235048j:plain

ここでは、「エヴゲーニー・オネーギンという名は店の看板から取られたのだ」とあります。
いや、マジで!? 初耳なんだが……(※散々オタクやってるくせに無知)。ということで、調べてみました。

 その結果、確かにそのような記述は幾つか見つかります。例えばボリス・ボガチェフ氏によると以下のようにあります。

f:id:sylphes:20200612000336j:plain

内容はほぼ同様ですね。

 それにしても、出典はどこなのだろうか……(調べても今のところよくわからず)。真偽の程は定かではありませんが、複数の人が触れていることを踏まえると、やはり根拠があると思われます。ここまで ”メタ” な話だと、プーシキンの手紙とかなんでしょうか。ちょっと継続リサーチしてみます。

 

脚韻説

 さて、上記「看板説」はわたしも初見でしたが、かといって、この名前の謎に対して何一つ意見を持っていなかったわけではありません。

おもうに、一番この問題で一般的なのが「脚韻説」ではないかと考えられます。まず、第1章第8スタンザの冒頭部を見てみましょう。第8スタンザでは、作中で初めて「エヴゲーニー」という名前を使って脚韻が踏まれます。

Всего, что знал ещё Евгений,     -a
Пересказать мне недосуг;       -B
Но в чём он истинный был гений,    -a

下線部が同じ形になっているのがご覧頂けるかとおもいます。

 『エヴゲーニー・オネーギン』は、「14行四脚弱強格」という韻律で書かれています。噛み砕いて言うと、1スタンザ(塊)が14行からなっていて、行末で韻を踏んでいるわけです。『オネーギン』行末では、各14行が「aBaB/ccDD/eFFe/GG」という形になっていて、先程の引用では、わかりやすいように行末に -a 、 -B と示しました。

小文字のa, c, e は「女性韻」で、 B, D, F, G が「男性韻」と呼ばれます。女性韻とは、簡単に言うと、行の最後から2つ目の音節にアクセントがあるもので、男性韻は行の最後の音節にアクセントがあるものです。このことから、 a では太字で示した "e" に、 B では太字で示した "у" にアクセントがあることがわかります。

 ここでは、この Евгений と言う名の語末の ний に着目します。ロシア語の、特に形容詞男性形では、この ний で終わるものが多数あります。例えば、 утренний(「朝の」, 35スタンザ)、прежний(「前の」, 53スタンザ)といった具合。つまり、 Евгений という名は、ロシア語に於いて、脚韻が非常に踏みやすい、というわけです。他に ний で終わる男性名は Арсений などがありますが、プーシキンは他作品『青銅の騎士』なんかを鑑みても、この Евгений という名が気に入っていたようです。このことから、 Евгений という名は、韻の踏みやすさを考慮して名付けられたのではないか、と考えられます。

 『オネーギン』に於いて、この Евгений という語で脚韻を踏んでいる、というのは、もう一目瞭然の事実ですから、「最初に言い出したのは誰」というような話をするのは野暮です。この説を特にわかりやすく解説しているのは、あの有名なヴラジーミル・ナボコフ訳注などです。

 

否定的人物説

 さて、もう一つ説があります。それが「否定的人物説」です。18世紀~19世紀前半(要はプーシキン以前)までのロシア文学では、命名に於いて一定のルールが存在しました。それが「喜劇的人物向けの名前 / 否定的人物向けの名前 / 英雄の名前」と言ったような、キャラクターの性格に基づく命名です。わたしはオネーギンさんが「ただのイヤなやつ」とは全く思えないのですが、素直な性格でないことは確かなわけです。「エヴゲーニー」という名は、伝統的に、どちらかというと否定的な人物に付けられる傾向があったようで、それが命名の由来のひとつになったのではないか、と考えられます。ちなみに、「エヴゲーニー」とは、「高貴な生まれ」を意味する名前ですので、勿論貴族ネーム。この説については、小澤政雄先生の訳注が詳しいので、興味がある方は、小澤先生訳をお買い求めください。

 

どの説が正しいのか

 わたしはこの「脚韻説」が決定的だとおもっていたので、異説があること自体に驚いたのですが、ここで「どちらが正しい」と断定することは出来ません。又、この3つの説は両立も可能で、例えば「看板の名前を見たプーシキンが、この名が韻が踏みやすいことに気が付き、又、書きたいキャラクター像に合致したので採用した」、などというように考えることもできます。個人的にも、もう少し踏み込んで調べてみたいトピックですね。

 

オネーギン

 さて、名の話をしたところで次は姓に移ります。

看板説

 「エヴゲーニー」同様、看板から取られた、という説です。

オネガ河説

 姓のほうで最も有名だと思われるのが「オネガ河説」です。まずはこちらのロシア、アルハンゲリスク州の地図をご覧ください。

f:id:sylphes:20200612010709p:plain

f:id:sylphes:20200612011250p:plain

南北に貫く、一際青く太い線がオネガ河です。このように、ロシアには語幹が同じ地名があり、ここから取られたのではないか、というわけです。

 後述しますが、『オネーギン』には他にも川の名前が語源になっているのではないかと考えられるキャラクターがおり、その関連性からも有力とみられます。又、『オネーギン』の影響が顕著なレールモントフの著作『現代の英雄』では、この「オネガ河説」に倣い、主人公ペチョーリンの名をペチョラ川から取っています

 但し、この説には一点弱いところもあって、それは「オネーギン」という語では全く韻が踏めない、ということです。「エヴゲーニー」が韻を考慮して選ばれた名前なら、「オネーギン」もそうあるべきではないか、と指摘された際、この説では反駁することが適いません。実際、オネーギンの名は行末には一度も使われません。尤も、「そこまで至れり尽くせりな命名をしなくとも韻くらい踏める」というような、プーシキンのプライドがあったのかもしれません。カッコいい。

 

どちらが正しいのか

 名同様、ここで断定することはできません。個人的には、前述の『現代の英雄』が大好きで、後者の説に疑いも持たず生きてきたので、異説の存在に驚いています(二回目)。そして、「オネーギン」という名を実際に持っている人物の実在を知ってテンション上がりましたね。いや、もうこの『エヴゲーニー・オネーギン』が偉大且つ有名すぎて、特にロシア語で検索掛けると同名の人物なんかほぼ全くヒットしないので……。非ロシア語圏では何度か「オネーギンさん」の存在を確認しましたが、ロシア語圏で実在しているかは確信がなかったもので……(特に、川の名前からの造語的な名前と聞いていたので)。しかし、『オネーギン』刊行後とあらば、なんともネタになりそうな姓だ。

 

タチヤーナ

 次にヒロインの名に移ります。これは有名なお話なのでご存じの方も多いでしょうが、「タチヤーナ」という名は当時は「農民の名」として知られていました。ニコーノフ氏の統計によると、18世紀~19世紀前半に於いて、「タチヤーナ」さんは農民の間では100人中18~30人いるのに対し、貴族では100人中10人程度であったと言います(※ロシアの人名は非常にヴァリエーションが少ないことにも留意してください)。又、そのせいもあってか、プーシキン以前のロシア文学に於いて、貴族女性「タチヤーナ」さんが出て来る作品はほぼ全くなかったといいます。このことから、プーシキンが貴族の令嬢に「タチヤーナ」という名を付けたのはかなり挑戦的であり、又、彼女が「貴族らしさ」のみならず「農民らしさ」、ドストエフスキー風に言い換えれば「ロシアらしさ」を併せ持つことを表したかったのではないか、と考えられています。

 この『オネーギン』から「タチヤーナ」という名の躍進は凄まじく、「農民の名前」と考えられていたこの名は最終的に皇女の名にもなりました。ニコライ二世の御息女、タチヤーナ皇女です。

f:id:sylphes:20200612023056j:plain

↑お美しい。

 ニコライ二世自身、由来は『オネーギン』であると公言しているので間違いないです。つよい。

 

レンスキー

 お次にレンスキーを見てみましょうか。まずはこちらの地図をご覧下さい。

f:id:sylphes:20200612014728j:plain

f:id:sylphes:20200612014746j:plain

 こちらの「レナ河」というバカデカい河こそが、レンスキーの名の由来ではないかと考えられます。レナ河は、イルクーツク州とサハ共和国を流れる河で、世界で10番目に長い川らしいです。スケールが違う。

 ленский はそのままロシア語にもあって、「レナ河の」という意味になります。コンサイス辞典にも載ってます。

 前述のように、オネーギンの名はオネガ河から取られたのではないか、という説が有力です。それに合わせ、レンスキーもレナ河から、と考えられます。

 ちなみに、名の「ヴラジーミル」は「エヴゲーニー - 否定的人物説」の項にある「英雄の名前」の正に代表格だったりします。なんたる皮肉だ。

 

オリガ

 非常に一般的な女性名です。「タチヤーナ」の功で述べた「貴族の女性の名前」の代表格です。そう、つまり、レンスキーとオリガのペアは「英雄」と「令嬢」という、正に! といったペアだったのだ。それが何故こうなった。

 

ラーリン、ラーリナ

 ヒロイン姉妹の姓ですが、こちらは一般的な姓のようです。個人的に、とても感動した小話があるので紹介します。

 実は、「セルゲイ・ラーリン」さんというテノール歌手がおわしまして……。ここまで来たらもうお分かりでしょう、そう! レンスキーを演じていたのだ!!

www.youtube.com

↑ふつうに良いから聴いて。

 いや、実に感動的。レンスキー、とうとうオリガと結婚したのかとおもった(ロシアだと結婚して女性の姓になることも珍しいことじゃないらしいですよ)。ハッピーエンドな世界線(?) の『オネーギン』なのかとおもった。

 

プラスコーヴィヤ(ラーリナ夫人)

 「ラーリナ夫人の名前って知ってる?(覚えてる?)」と訊いて、答えられる人はごく少数でしょう。プラスコーヴィヤさんです。第2章33スタンザに一度だけ出てきます。

オペラでも、「コルセットも、アルバムも、公爵令嬢ポリーナも、詩を書いたノートも忘れてしまった」という歌詞が出てきますが、こちらは「ポリーナさん」という知り合いがいたという話ではなくて、「プラスコーヴィヤをフランス語風にポリーナと名乗っていたのも遠い過去の話よ」といった意味になっています。ここだけで気付けたら天才です。

 

N公爵、グレーミン公爵

 原作で言うN公爵、オペラ・バレエでいうグレーミン公爵については、過去に記事を書いているので、そちらを参照してください。

sylphes.hatenablog.com

 

最後に

 これくらいで終わろうかとおもいます! お付き合いありがとうございました。さっくり書いて終わらせるつもりが、結局5000字。執筆時間約2時間。い つ も の。

他にも異説があるよ! などのご指摘があればお知らせ下さい。勉強させて頂きます。

それでは、ここでお開きとさせて頂きます。何かお役に立てていれば幸いです。