世界観警察

架空の世界を護るために

旧王家神話体系 - DARK SOULS 考察

 おはようございます、茅野です。

大絶賛六月病ですね。授業が始まりましたが、全授業オンラインです。全世界絶起選手権があればランク1を狙える当方ですので、オンラインはなかなか快適ですが、フル単詰め込んでいるのでそろそろ息切れしてきました。ほら、きょうも夜更かししてるし。

 ゲームの考察を書くのは、時間があるコロナ休業期間中だけにしようとおもっていたのですが、勢い余って資料いっぱい買っちゃったし()、いつの間にか休業終わってるし()、もうちょっとだけ続くんじゃよ……という感じです。実は書きたいこと・書けることが山ほどあったりする。尤も、更新頻度は著しく下がりますが。時間が無いので……。

 というか、わたしの場合、卒論やら仕事で受け持ってる研究業の資料読むと、もれなくダクソの考察も副産物的に書けちゃうんですよね。なんなんでしょうね。好みが似てるんでしょうね、宮崎英高さんと。まあ、だからダクソが好きなわけですが……。

 

↓今まで書いたダクソ関連の記事はここから。

sylphes.hatenablog.com

 

 さて、導入はこの程度にして、本題に入りましょうか。

今回からは、いつにも増して学究性を志向していきます。基本的には奇跡・信仰の話がメインです。わたしが神話学が好きなので(迫真)。みんな、信仰戦士になろうぜ。

 「この現実世界のどこかに "ロードラン" なる地が見つかったとしたら、この地域の宗教・慣習は如何に研究され、分類され得るか」というようなコンセプトで、既存の比較宗教学や民族学の研究を応用し、本格的に論考します。

 今回を第一弾として、シリーズ物として数記事続ける予定です。第一回となる今回は、「旧王家神話体系」と題しまして、旧王家神話、即ちロイドやグウィンを基とするロードランの神話の体系を読み解きます。

それでは、お付き合い宜しくお願いします。

 

 

神の定義を問う

 前に書いた記事で、このような問いを立てました。

 最近わたしが抱いている疑問について述べます。それは、実に根本的な話、DARK SOULS』世界に於ける神とは何か、ということです。無印時代、わたしは神とは人間や巨人、デーモンとは違う、神族という種族、別の生態系なのだという理解をしていました。それが、 II になると、弓の英雄ファリスが狩りの神エブラナとして神格化されたのではないか、と考えられるように、「人間の神格化」という概念が生まれます。更に、III になって「神喰らい」や DLC で世界の成り立ちについての情報が追加されたことで、個人的には「神とは種族である」という確信がかなり揺らぎました。もっとシンプルに、原点を疑ってみるのも面白いかもしれません。

巡礼者エルドリッチの聖痕 - DARK SOULS考察 - 世界観警察

今回は、ちゃんと立てた問いは回収しようということで、自分なりの仮説を立てたので、ここで展開していきます。

 神とはなにか。ドデカいテーマを立ててしまいました。それを問うには、まず、旧王家神話の神話体系を確認する必要があります。

 

神々の神話

 一見すると「頭痛が痛い」のような重複語に見えますが、実はそんなことありません。神話と一口には言っても、その性質は様々です。宇宙論から始まり、人間の生活までを網羅する神話では、直接的に神が関わらない物語も「神話」に組み入れられ得ます。そこで、比較宗教学では、神々が活躍をする物語を便宜的に「神々の神話」と呼びます。

奇跡とは、神々の物語を学び
その恩恵を祈り受ける業であり
その威力は術者の信仰に依存する

                   (中回復『DARK SOULS III』)

 照らし合わせて考えてみますと、DARK SOULS』世界に於いて、我々が「奇跡」と呼び使用する魔法、その物語は、ほぼ全てが「神々の神話」ということになります。

 

高文化多神教宗教

 ここで重要なのが、旧王家神話は「神々の神話」を擁している、ということです。実は、「神々の神話」を持つ神話体系は世界的に見てもそう多くはありません。「神々の神話」を持つ神話は、その神話を形作った文明が非常に発達していることを示します。その中の幾つかが、我々のよく知るギリシア神話、日本神話、北欧神話などです。これらを、「高文化多神教宗教」と呼びます。『DARK SOULS』の旧王家神話が、もし現実世界のものだとしたら、間違いなくここに分類されるでしょう。

 考えるまでもなくわかる話ではありますが、「神々の神話」を物語るには、相応の土壌が、つまり確固たる「神話体系」が必要になります。如何にしてこの宇宙、世界は生まれたのか。如何にして神は誕生し、何を創造したのか。これらのことが定まっていないと、物語は語られ得ないからです。

 つまり、ロードランは、比較宗教学の見地から見ても、文明が発達していたと言えます。あのアノール・ロンドという街を造ったことからみても、それは明らかでしょう。

 

未完の神話

 ところで、『DARK SOULS』に於ける旧王家神話には「終末論」が存在しません。啓典宗教でいうところの「最後の審判」、北欧神話に於ける「ラグナロク」などがこれにあたります。

旧王家神話では、死後の世界や世界の終わりについての物語は存在しません。前者については、「不死」なる存在が世界を蠢いている時点で、幸福な来世だの、天国、煉獄、地獄だの、輪廻転生だのというのを説いたところでお笑い種だということなのでしょう。後者については、つまるところ、「まだ神話世界は終わっていない」ことを意味します。未だ信仰が生きていて、明確な終わりについての世界像が「決まっていない」。つまり、旧王家神話は「未完」なのです。或いは、神話の形態の一、「英雄譚」として、我ら灰の人が成し遂げたものが、後に「終末論」を導くのかもしれません。そして『DARK SOULS IV』のオープニングでピク・セン・リムさん(歴代ナレーターを務めている俳優)に朗読されると。なんて胸熱な。

 死生観に纏わる神話は、神話体系を形作る上で非常に重要な基となることが多いものです。多くの宗教が、「何故我々は死なねばならぬのか、死とはなんなのか」から出発しています。可能性として非常に高いと考えられるのが、人がまだ死んでいた時代、旧王家神話でもそういった物語がほんとうはあったのかもしれない、ということです。信仰をする主体である人間は、我々のように死を恐れ、「死の先に何があるのか、改善する為には如何に生を全うすればよいのか」という問いを神々にぶつけたはずだからです。神々は懇切丁寧に、その問いの答えを編み出して下すったことでしょう。

寧ろ「何故我々は死ねないのか」となる不死人の形作る宗教は、当たり前ですが、類のない異端の神話に類されるでしょう。この過程の中で、旧王家神話の終末論は失われた可能性が高いと考えられます。

 

死す神

 さて、旧王家神話体系を解く上で重要な点がもう一つあります。それが「神の死」です。例外もありますが、現実世界では原則的に神は不死です。寧ろ、ギリシア神話ケルト神話では、不死であることこそが神の条件となります。

 勿論、死す神を擁す神話もあります。前述の北欧神話ラグナロク」は顕著な例で、世界の終末には神々が凄惨な死闘を繰り広げます。しかしながら、別の形で生を得る(転生や、己を殺した別の神など何か別のものに宿る、世界の再生時に再誕する、など)とする場合が多く、完全なる終わり、とする神話は極少ないのです。

 わかりやすい例を挙げます。ハインリヒ・ハイネの『流刑の神々』です。このエッセイでは、「不死とされるはずの神が、他宗教(主にキリスト教)の侵攻により地に墜ちた際、いかにして不死性を保ったか」ということが論じられています。不死性の議論の如何によっては、『DARK SOULS』に於ける旧王家の神々も、この「流刑の神々」に類される可能性があります

bookmeter.com

 旧王家の神は、(一時的にであっても)死すと考えられます。プレイヤーが、何度もグウィン王、太陽の長子、グウィンドリン様を狩っていることが何よりの証拠です。ここから、旧王家神話の神々の死について考えていきます。

 

仮説1: 不死は呪われた概念説

 『DARK SOULS』世界では、不死人を「呪われた」存在と形容します。以下を確認してください。

名も無く、薪にもなれなんだ、呪われた不死

                     (OP『DARK SOULS III』)

呪われた不死人の証

                (ダークリング『DARK SOULS III』)

 これは、「本来死ぬ定めである人間が不死になったこと」を「呪われた」と形容している、と解釈できる一方で、「不死という概念そのものが呪われている」と解釈することもできます。後者の場合、聖なる神が呪われた存在であるはずがないので、神は死さねばなりません。このことから、旧王家神話では、そもそも神は死ぬ存在なのだ、とする仮説です。この説を取る場合、原則的な「神」の定義、即ち「不死」を用いることが出来ないため、「神」の定義は『DARK SOULS』世界独自のものを定める必要が出てきます

 しかし、この仮説には穴もあり、つまり、『DARK SOULS III』の「王たちの化身」の第二形態、グウィンの説明に窮することになります。尤も、レトリックの穴を縫って反論することも可能です。それは、「化身」という語の定義を明確にすることによって達成し得ます。「化身」とは、第二義として「神が姿を変えてこの世に現れたもの」とする一方、第三義では「抽象的で無形の観念などが、形を取って現れたもの」としています(大辞泉「化身」より)。後者を取る場合、「化身」がグウィンそのものである必要が失われるということがご理解頂けるかとおもいます。尤も、「観念も生のうち」と言われてしまえば、それまでです。「生」の定義から論じ合うことになるでしょう。その議論は後述、そして別記事に譲り、次に仮説2をご覧頂きます。

 

仮説2: 実は不死説

 旧王家の神は、実は死んでいないんだよ、とする説です。根拠は2つあります。

一つは、前述の「王たちの化身」のグウィンです。「薪」になって以降も、概念的にではあっても『III』でも立ち向かってくる姿は、「まだ生きている」と言ってもよいのではないかという考えです。

二つ目は、エルドリッチに喰われたグウィンドリン様の存在です。以下のテキストを確認してください。

エルドリッチは暗月の神を喰らい
遅々としたその中に夢を見た
密かに隠した、白い娘の夢を

                (生命狩りの鎌『DARK SOULS III』)

考察勢が通称「宮崎文法」と呼んでいる、味があるものの日本語的には破綻している文章です。目的語が抜けているというか、位置詞の用法がおかしいというか……。宮崎文法を品詞分解するのも楽しそうですね。わたしは言語苦手なんで、誰かやらないかな(他力本願)。

 まあ、素直に解釈すれば、「その」とは直前の動詞「(神を)喰らい」であり、言い換えれば「遅々とした神喰らいの中に」となるでしょう。つまり、現在進行形なのか過去進行形なのかは不明ですが、グウィンドリン様の消化に手こずっている、ということが読めるわけです。そしてこれが前者だった場合、グウィンドリン様は死んでいないということがお分かり頂けるかとおもいます。これが仮説2、不死説です。

 しかし、この仮説2も、わたしが議論相手から提示されたのなら、こう反論するでしょう。「では、『無印』に於けるグウィンドリン戦と、『III』の太陽の長子戦を如何に説明するのか」と。かなり苦しくはなるものの、実はこれに対する再反論も可能です。それは、「グウィンドリン様と太陽の長子は殺害しなくてもクリアが可能である。又、『III』のストーリーを考えるに、グウィンドリン様を殺害しないルートが正史であると考えてよい。或いは、『無印』で主人公が殺害しても『III』で復活したと考えるならば、それこそ不死である。更に言えば、旧王家神話の神々は太陽や月など、「一時的に隠れる」性質を持つものを司っているのであり、「一時的な死」について論理立った説明が可能である。従って、神が不死でないとする明確な証拠、即ちグウィンドリン様、太陽の長子を殺害した後、彼らがどうなるのか、二度と生き返らないのか、という点はストーリー上提示されていないことになる」というものです。一応論旨は通っているかとおもいます。より優れた反駁を思いついた方はコメント欄にどうぞ。

 

 仮説を2つ提示しました。一応、想定し得る反論、そして再反論も一例だけ挙げてみましたが、どちらもなかなか苦しいとおもわれます。よって、ここで結論を下すことは出来ませんが、少なくとも、「不死である」「不死身である」とどちらかに言い切ることが出来ない、という点が明らかになればそれでよいのです。つまり、言い換えれば、「旧王家神話に於いて、神の定義は不死性に求められない」と言うことが出来る、ということです。この否定的概念としての定義は、非常に重要です。

 では、神とはなんなのか。それを次節で確認します。

 

文化英雄

 わたしの考えでは、旧王家の神は「文化英雄」です。「文化英雄」とは、比較宗教学の学術用語です。語義を確認しましょう。

文化英雄(ぶんかえいゆう) Culture Hero

神話に登場する人類に有益な発明や発見をもたらした人物のこと。(中略)

文化英雄は万物を創造することはなく、火や農耕など特定の文化要素に限定された範囲の創造行為を行う。(中略)

通常文化英雄は始祖としての性格を持ち、至高神とは区別されている。しかし、一部には神の属性を持つものもある

             (「文化英雄」ブリタニカ国際大百科事典)

正に旧王家の神を指すことがおわかり頂けるかとおもいます。わたしがわざわざ「文化英雄」という概念を引っ張り出してきたことには理由があります。それは、文化英雄は(元からの)神性を問われないからです。

 どのような者が「文化英雄」になったのか、そして文化英雄に神性は付与し得るか、という問題について、これまでの研究を簡単に纏めておきます。文化史家クルト・ブライジッヒは「人→神(文化英雄)」、つまり部族の始祖などの人間が、「文化英雄的行為」を成し遂げることにより「神」になる、としました。一方、文化英雄研究の大家であるパウル・エーレンライヒはこれを否定し、「神→人或いは神(文化英雄)」、即ち、至高神がまず存在し、彼が人間化し社会に干渉することによって文化英雄になる、その際神性を保ったままでもよい、としました。民族学から比較宗教学へアプローチしたアドルフ・イェンゼンは、更に異なった見解を提出しました。曰く、「(神性は問わない)→神(文化英雄)」、即ち、「文化英雄」になる前は神でも人でも構わないが、文化英雄になった後には神性が付与される、としました。物凄くざっくり纏めているので、語弊もありましょうが、今回はこれでお許し下さい。つまり、纏めますと、「文化英雄」になる前の神性については意見が分かれるが、「文化英雄」になった後は原則的に神性を付与され得る、ということです。『DARK SOULS』世界では、旧王家の神々は、テキストで「神である」と言明されておりますから、ある程度コンセンサスが取られている「文化英雄は神になる」という研究を用いれば、元の種族を問わず、「神」認定を得る、というわけです。これにて、上記問題提起に於ける、狩りの神エブラナ問題も解決します。神の定義が見えてきました。即ち、「文化英雄」に於ける「神性」とは、「不死性」ではなく、その「功績」に求められるのです。

 よって、必然的にこちらも学者によって意見が分かれることになるわけですが、高文化多神教宗教に於いても、たとえばギリシア神話ならゼウス以外の神は文化英雄である、とする考えもあります。こう考えれば、より旧王家の神が文化英雄らしく見えてくるのではないでしょうか。

 又、「神」と「英雄」の違いについても述べておきましょう。基本的には、「神」とは不死であり、「英雄」とは死すべき定めにある者を指します。狭義的には、「英雄」とは、ギリシア悲劇の主役を担う存在で、半神半人です。本来、ギリシア悲劇では、「英雄」が偉業を成し遂げるも、最後には死する、というのが基本的なストーリーでした。狭義的には対立する「神」と「英雄」の概念ですが、「文化英雄」であれば、この対立は解消されます。

 そして、ギリシア神話では、神は物理的に大きい存在でした。偉大だということは、身体もデカいということです。文字通りそのまま。DARK SOULS』無印時代、不死人よりも明らかに一回り大きい人型の存在=神である、という説が一般的でした。即ち、グウィン王とか、アルトリウスとかですね。しかし、「英雄」という概念を持ち出すならば、「神」よりは小さいとはいえ、「英雄」だって大きかったわけです。喩えるなら、神が(幻影の)グウィネヴィア様サイズで、英雄がグウィンサイズ、とでも言いましょうか。このことから、身体の大きさという観点では、彼らが原則的な意味での「神(不死身の存在)」と「英雄(死すべき存在)」どちらなのか、は割り出せないです。

 

 つまり、どういうことかというと、「文化英雄としての神」であれば、旧王家の神の不死性を問わず、彼らを「神」と定義し、「神々の神話」として成立させることが可能だ、ということを主張したいのです。旧王家の神は、必ずしも不死であったり、神という種族であったりする必要はないのです(勿論、必然性がないだけであり、そうであってもよいです)。彼らが、例えば「太陽の光」や「暗月の光」を生み出し、人々に分け与えた、その「功績」こそが文化英雄の定義に当て嵌まり、ひいては神性に繋がるというわけです。

 旧王家神話体系に於ける神とは何か。その問いに対するわたしの答えは、「高文化多神教宗教」に属し、「文化英雄」としての側面が強い一族である、となります。

 

 さて、ここまで、旧王家神話を貫く世界像について考えて参りました。ここからは、神一柱ずつにフォーカスして考えていきます。しかし、全ての神についてここで論じるとなると、とんでもない字数になりそうですので、各神につき一記事を目安に別記事で纏めることとし、その目次となるような概要をここでは述べて終わりたいとおもいます。

 

概要 - 白教

 「白教」はロイドを主神とする旧王家系宗教の最大派閥です。その一方で、「白教」は特に謎の多い誓約でもあります。

 

異なる神話体系

 わたしの考えでは、「白教」は元来の旧王家神話とは神話体系を異にします。ロイド神の神的性格が、他の旧王家の神とは余りに異なるからです。「白教」は、現実世界に於ける啓典宗教に近い宗教である、と考えます。「白教編」では、まずロイド神とは如何なる性格を持つ神なのか、そして「白教」の核を明らかにします。

 

至高神の可能性

 「ロイド神は主神である」とするテキストは数多く存在します。以下を確認してください。

白教に仕える騎士に与えられる指輪
主神ロイドの法の剣を象っている

              (ロイドの剣の指輪『DARK SOULS III』)

法の剣を司る主神ロイドの裁きは
しばし決闘に委ねられた

                 (決闘の護符『DARK SOULS III』)

グウィン王の叔父、主神ロイド使徒である
白教の高司祭に与えられる聖なる指輪

              (白教の司祭の指輪『DARK SOULS III』)

一方、旧王家神話の主神はロイドではない、とするテキストも存在します。

イルシールの法王サリヴァーンは
旧王家の主神を廃聖堂に幽閉し
ついには神喰らいに供したという

          (法王サリヴァーンのソウル『DARK SOULS III』)

「法王サリヴァーンのソウル」で述べられる「旧王家の主神」とは、明らかにグウィンドリン様を指します

 主神はロイド神なのか、グウィンドリン様なのか?  そして、白教の信仰の衰退とは? 「白教編」では、これらの問いを検討します。

 

概要 - グウィン王の物語

 次いで、グウィン王の物語について簡単に述べます。もしかしたら、「白教」編と一緒にするかもしれません。

 

カリムの司祭の主張

 前述のように、ロイド神が別の神話体系を持つ神だと仮定したならば、グウィン王は最高神ということになります。しかし、そうでないならば、グウィン王は多大な功績はあるものの、一人の文化英雄に過ぎない、ということになります。この点をどう読み解くか。「グウィン王編」では、時間の経過による信仰の衰退と変化、ソルロンドとカリムの地域差に着目し、この謎を掘り下げます。

 

死による「完成」

 グウィン王の物語を比較宗教学の観点で読み解くと、これは「ハイヌウェレ型神話」に分類されるのではないか、と考えています。

ハイヌウェレの神話はウェマーレ神話の一部ですが、簡単に言うと死体化生の物語です。神が死すことによって人々は救われる、というなかなかエグい神話群を指します。「グウィン王編」では、前述の「死す神」で展開した議論の続き、グウィン王は死しているのか、生きているのか、という論題を継いだ後、自らの身体を贄に供したグウィン王の物語をハイヌウェレ型神話と仮定し、グウィン王の神的性格と旧王家神話の神話体系をより明確化します。

 

ロードランの生活

 又、比較宗教学では、類似の神話体系の分布を確認することで、地理的・気候的要因が神話に与えた影響をも考察します。イェンゼンによれば、ハイヌウェレ型神話の分布は熱帯の農耕民族に多いそうです。であるならば、ひっくり返せば、グウィン王の物語が「ハイヌウェレ型神話」であるならば、ロードランの気候は暖かく、人が食べ物を必要としていた時代、農耕を行っていた可能性が見えてきます。ロードランでの生活様態に関しては、他の観点からも考察すべきことがある為、深入りはしない予定ですが、「グウィン王編」では、比較宗教学を用いてのロードランの生活を考えます。

 

概要 - 太陽の戦士

 誓約者も多いであろう「太陽の戦士」についての簡単な概要を述べます。一時期はこの太陽の長子考察で考察界も燃え上がっておりましたね。今更ですが、わたしも筋だった論考を書き、議論の叩き台としたいとおもいます。

 

プロメテウス型神話

 神話学で言えば、太陽の長子の物語は「プロメテウス型神話」に類される可能性が高いとみています。それは、火、即ち太陽に纏わるから、ということではなく、「(主に窃盗によって)最高神の怒りを買い、しかし人々に恩恵を分け与えた」という点がプロメテウス型神話の特徴だからです。グウィン王の怒りを買ったその理由が言明されていない以上、推測の域を出ませんが、「グウィン王の怒りを買い、追放されるも、雷の奇跡と加護を人に分け与えた」という点を抜き出すと、共通点は多く、思考の価値はありそうです。「太陽の戦士編」では、太陽の長子と人々の信仰を解くことで以後の論点を明らかにします。

 

トリックスター

 旧王家の神々の中で、前述の「文化英雄」としての素質が最も強いのが太陽の光の長子です。「文化英雄」は、時に愚か者として描かれることが多い為です。又、文化英雄の物語は、その性質上「神話」よりも「英雄譚」に分類されることがあります。

太陽の長子と、その筆頭騎士
そして竜狩りの剣士の物語は
最も勇壮な竜狩り譚であるという

                  (固い誓い『DARK SOULS III』)

この『固い誓い』のテキストからも明らかなように、太陽の長子の物語も「英雄譚」となっています。

愚か者として描かれる英雄は、時に「トリックスター」と呼ばれます。太陽の長子は、正にこの「トリックスター」なのです。「太陽の戦士編」では、神としての太陽の長子のみならず、英雄として、そしてトリックスターとしての性格を論考します。

 

『太陽の戦士』

 ところで、この世の中には、『太陽の戦士』という小説があります。正にドンピシャなタイトルです。「太陽の戦士編」では、この『太陽の戦士』という小説を読み解きながら、『DARK SOULS』世界との関わりを明らかにする、というアプローチも実施します。

 

概要 - 暗月の剣

 個人的にあらゆる誓約で最も興味深いと考えているのが「暗月の剣」です。それは、わたしが単に『III』では誓約を結んでいるから、とかそういう話ではなくて、神と直接対峙し、会話することが可能で、更にその顛末まで子細に明らかになっているという唯一の誓約だからです。よって、恐らく「暗月の剣」編が特に長大になるだろうと予想しています。その概要を述べます。

 

禁室型神話

 暗月の神、グウィンドリン様の神話は、現実世界では「禁室型神話」に分類されるでしょう。簡単に言うと、「神の姿を見てはならない」という原則を神話化したのがこの「禁室型神話」です。神話がより通俗的な形になった民話でもよく目にするタイプで、「禁室型民話」と呼んだりもします。「暗月の剣編」では各神話に於ける「禁室型神話」を確認し、その類似点を明らかにします。

 

偶像崇拝の禁止

 又、「暗月の剣」で顕著なのが、「偶像崇拝の禁止」です。世界的に見ても、偶像崇拝を禁止している宗教は数えるほどしかありません。特に、啓典宗教の原則になっていることで有名ですね。このことから、「暗月の剣」は、旧王家神話の中でもより発展した、求心力ある宗教だとみることが出来ます。して、何故偶像崇拝は禁止されるのか。「暗月の剣編」では、先程の「禁室型神話」と絡めながら、暗月神話を紐解きます。

 

視覚の主題

 グウィンドリン様は、王冠によりその瞳を覆っています。「瞳を覆う」という行為は、『DARK SOULS』世界では非常に重要な意味を持ちます。ここに関しては、暗月以外の問題も絡みますし、長大になる予感しかないので、別記事で纏めておこうとおもいます。「暗月の剣編」では、その記事を叩き台とし、幻を扱うグウィンドリン様と関連させ、更に応用して視覚の問題を取り扱います。

 

月と性

 グウィンドリン様と言えば、女装でございます。「月」というモチーフは、女性の月経と関連づけられることが多く、「月の神」は女神であるとする神話も多いのが事実です。しかし、日本神話の月読尊を筆頭に、男性神や、少年神、果ては性別の概念を越えた月の神を持つ神話も現実世界では存在します。「暗月の剣編」では、暗月警察の皆様に耳を狙われ告罪符を投げつけられることを覚悟しつつ、エグいR-18, R-18Gの凄惨な苦労を強いられた月の神の神話、マリンド・アニム神話の一部を紹介したいと考えています。

 

その他

 「王女の守り」とグウィネヴィア様に関しましては、比較宗教学の観点で考察を行うには判断材料が余りに少ない為、記事を書く予定はありません。信徒の皆様、お許しをば。

 「青教」「青の守護者」については、「暗月の剣」の派生と見てほぼ間違いないため、単独で書く予定はありません。

 「教会の槍」とフィリアノール様に関しては、今のところ「教会の槍」をこの神話体系シリーズで書く予定はありませんが、フィリアノール様当人については別のアプローチ方法での論考執筆を予定しています。気長に待ってください。

 

最後に

 わたしは脳のキャパシティが狭いので、定期的にアウトプットしないと脳が爆ぜてしまう! とおもい書き始めたら、案の定の長さになりました。今回も1万字お付き合い頂いてありがとうございます。こんなに書く予定ではなかった。しかも大量に次回予告してしまった。

 一応、上記の予定に関しては、わたしも暇ではないので更新速度は遅いだろうとは思いますが、執筆の目処、つまりリサーチはある程度は終えているので、些細な予定変更はあるかとおもいますが一応は書くつもりでおります。付け焼き刃知識で記事を書くのは本懐ではないので、現在絶賛追いリサーチ中。民族学、宗教学はいいぞ。

 学究的アプローチは、堅実ではありますが、その性質上噛み砕いて説明しても難解になってしまうこと、ぱっと見の「面白さ」に欠ける為、原則的に需要がない代物だと理解しています。しかし、「考察」とは本来こういったアプローチを指すはずですし、わたしはゲームを起点として学問をするのが個人的に好きなので、こういったやり方を採用しています。ゲームの内容も理解し易くなるし、知識も付くし、一石二鳥です。オススメ。

 それでは、長くなりましたが締めさせて頂きたいとおもいます。ご意見、反論等ありましたらコメント欄まで。次の記事でお目にかかれれば幸いです。

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